ドールブレイカー(前編)


 今程雨を嫌いだ、と感じたと感じたことはない。一度もない。
 絶え間なく降り続ける水滴を頭から被りながら、ナフィーことわたしは、雨を心から嫌った。
 ただ雨に濡れるだけじゃあ、今程雨は嫌いにならない。むしり仲良く出来るくらいだ。
 今、わたしは夜中に、明かりもなく、雨に打たれながら、山道を一人で歩いている。これじゃあ雨と仲良く出来る気もしない。
 こんな、雨の降る夜に山道を歩かなければいけない理由、それはわたし自身の仕事だから。
 わたしは向かわなければいけない場所がある。そして、行わなければいけない事がある。
人形を破壊すること。それが、わたしの仕事、使命だ。

 人形、それは人が造り出した、人の形をした、人ではない、物。
 今から、百年以上前から造られていた、労働力だった、物。
 その人形が最近になってわたし達を襲いだした。何故、人を襲いだしたのかは今でも分かってはいない。ただ、突然人を襲いだした。
 暴走した人形の犠牲になった人は数限りない。
 人は自ら造りだした人形を危険と判断し、自分たちの都合だけで人形をすべて破壊することを決めた。人を襲うことのない人形も、なんの区別もなく破壊された。
 人は人形を破壊することを仕事とした。人形を破壊する技術も磨かれていった。
 人形を破壊するための技術を持つたちは「破壊者(ブレイカー)」と呼ばれるようになった。
 ブレイカーは人形の破壊を効率よくこなすために組織化していった。その組織ではブレイカーの育成にも力を注いでいる。
 わたしは組織で訓練を受けた、新人のブレイカーだ。

 雨の中、わたしは歩き続け、ようやく山道から抜け出ることが出来た。
 わたしが山道から抜け出た場所は暗さで確認は出来ないけど、かなり広い平地だった。その平地には家が建っていた。その家はどうにか確認出来たけど、かなり古い建築物のようだった。わたしが古いと判断した理由はその家が木造だったことが大きい。だけど、今はそんなことを考えている場合ではない。この家で雨宿りさせてもらおうと思い、わたしは玄関らしき扉の前に移動した。
 近くで見ると、この家が相当古いことがよくわかった。こんな古い家に誰か住んでいるのだろうか、と少し不安になった。いや、誰も住んでいないのなら、誰に気兼ねすることもなく雨宿りが出来るじゃないか。鍵が掛かっていなければ、の場合だけれど。
 わたしは玄関らしき扉を、それなりに力を込め、三回、ノックした。
「すみませーん、誰か住んでませんかー」
 激しい雨音にわたしの声がかき消されないように、自分の身体に少し無理をさせてなるべく大きな声で、居ないかも知れないこの家の住人に呼びかけた。
 三十秒くらいだろうか、多分そのくらいは待ったけど、返事は返ってこなかった。今はきっと真夜中、仮に住人がいたとしても眠っているかも知れない。夜中に眠りから無理に起こすのは、なんだか無礼な気がするがけど、今の雨は礼節なんか考えていられないくらいに冷たくて、痛い。今から別の雨宿り場所を探す気になれない。ここは何としても雨宿りをさせてもらわないと。
 再度、先刻よりも力を込めて、扉を叩いた。
「すいませーん。雨宿りをさせてくださーい」
 もっと大きな声を出したいのに、雨に体力を奪われたわたしの身体はそれを許してはくれなかった。それでも、出せる限りの声で、いないかも知れない住人の呼びかける。
 今度は先刻の倍は待ったと思う。住人の反応はやっぱりなかった。この家には誰も住んでいないのかも知れない。わたしは雨に打たれながら、とりあえず、玄関らしき扉のドアノブを握って、捻ってみた。偶然、ブレイカーの証である、中指の剥がれた爪が眼に入った。
「あ」
 鍵が掛かっていなかった。これは運がいい、のかも知れない。正しくは不幸中の幸い。
 わたしは暫く、ドアノブを握り締めたまま、悩んだ。
 そして、決断した。
「勝手に入っちゃいますねぇ」
 もしかしたらいるのかも知れないこの家の住人に一言断り、ドアノブを捻った。
「どうしたんだい。こんなにびしょ濡れで」
 不意に背後から若い男の人の声が聞こえた。
「ひゃぁっ」
 自分でも情けないくらいの可笑しな声を出してしまった。何気ない街角に突然嵐が起こったみたいに驚いた。
 わたしはドアノブを熱されたやかんに触れた時みたいにはじかれるように手を離し、同時に声が聞こえた方に振り返った。
 振り返ったわたしに目の前には、わたしと同じく雨で全体を濡らしている大柄の青年が立っていた。背丈はわたしより拳三つ分くらい大きい。最初に思い浮かんだ言葉は、人間山脈。

「ご、ごめんなさい。わたし、誰も住んでいないと思ったんです。だから決し て、その、泥棒とかそういうのじゃないんです」
 彼を見てまず初めにわたしは、言い訳を交えつつ謝った。頭上から見下ろされると妙に威圧感を覚えてしまう。
「じゃあ、何の用なのかな」
 一応、勝手に家に上がり込もうとした自分の無礼は詫びてはみたけど、彼は謝罪の言葉なんて求めていないようだ。
「あ、あの、雨宿りをさせてもらいたいんです」
 わたしを見下ろす彼に緊張しつつも、用件を伝えた。
「構わないよ」
 彼は快く、かは判断出来ないけど、雨宿りをさせてくれるようだ。
 彼がわたしを通り過ぎ、扉を開いた。
「どうぞ、早く入った方がいいよ。風邪を引くから」
 彼が笑顔でわたしを心配してくれた。なんて邪気のない笑顔なのだろう、と数秒の間、彼の笑顔から眼を離せなかった。
「どうしたの」
 案の定わたしのことを不審に感じたようで、彼は笑顔を、可笑しなものを見るような表情に変えた。
「それじゃあ、お邪魔させてもらいます……」
 恐る恐る家の中へ足を踏み入れた。
「いらっしゃい」
 彼の歓迎の挨拶を横から聞きながら、わたしは家の中を見渡した。扉から繋がっていたこの部屋は、何か作業場を感じさせるような、広い空間が広がっていた。床にはドライバーとかスパナとか、色々と工業用品が転がっている。けど、それを除けば、とても綺麗な部屋だと思う。
 今、わたしが見られる部屋はここくらいだけど、彼のお家の内装を見ていると、どの部屋も綺麗に整理整頓されているような勝手なイメージが頭の中に出来上がっていた。家自体の古さは隠し切れないけど、外装とは不釣合いなくらいに内装は綺麗だ。好感がもてる。
 そんな綺麗なお家を自分の濡れた服や靴で汚してしまうと考えると、少なからぬ罪悪感が生まれる。
 なんてことを考えながら、わたしがぼーっと家の中を見ていると、
「少し待ってて、何か身体を拭く物を持ってくるから」
 彼がそう言い残して、家の奥に進んでいった。彼は靴は脱いでいたけど、濡れた衣服には何も意識していなかった。
 床が衣服から滴る水滴で、ぽたぽたと濡れていく。
「あ、ありがとうございます」
 すでに彼とわたしの間には会話をするには適さないくらいの距離があったが礼は言わなければいけない。
「気にしないで」
 彼はわたしの声が聞こえたらしく、振り返り言葉を返してくれた。人当たりの良い好青年だな、とわたしは思った。
 暫く、そのままで待っていると、彼が真っ白な清潔感溢れるタオルを手に持ち、帰ってきた。
「これで身体を拭くといいよ」
 わたしは彼からタオルと、何故か女性物、と予想出来る衣服を渡された。その中には、丁寧に下着も入っていた。
「どうもすみません。あ、あのぅ、このお洋服は」
 彼の気遣いには感謝するけど、この服については一体、どういうことなのだろうか。着替えろ、と言っているのか。見たところ彼はこの家で一人暮らしの様だけど、何故女性物の服を持っているのか。
「このままだと風邪引くでしょ。だから着替えた方がいいと思って。大丈夫、 ちゃんと洗濯してあるから」
 彼の返答で一つの疑問は解決出来た。あと一つ、わたしは覚悟を決めて、彼に訊いた。
「失礼かもしれないんですけど……、どうして女性物のお洋服を持っているん ですか」
 失礼かも知れない、のではなく、間違いなく失礼な質問なのだけど。
「あぁ、昔、この家に女の子が住んでいたんだ。だから、その服はその女の子 のものだよ」
 微かに彼の笑顔に影がかかったように感じた。多分気のせいだろう。再度の彼の表情を見ると、やっぱり無邪気な笑顔を張り付かせていた。
「そうだったんですか、失礼なことを訊いてしまって、すみません」
 素直に自分の無礼を詫び、わたしは頭を下げた。
「気にすることないよ」
 頭の上から、彼の陽気な明るい声が降ってくる。わたしは彼の意見を尊重して、謝るのを止めて、頭を上げた。
「着替えるのなら、二階の部屋を使うといいよ。今は誰も使っていないから」
「ありがとうございます。こんなことまでさせてしまって……」
 先刻持ち上げた頭をまたすぐに下げた。
「君は、いい人だね」
 すぐには理解出来ない言葉を彼がわたしに呟くように言った。いい人は貴方だろうに。
「は?」
 とりあえず、頭をあげて、彼の顔を見た。表情は無邪気な笑顔のままから何も変わっていない。
「独り言だから、気にしないで。さて、部屋まで案内しようか、ついてきてく れるかい。あと上着と靴は脱いでくれるかな。一応、この部屋に干しておく からさ」
 彼がわたしに腕を差し出した。上着を渡してほしいのだろう。見知らぬ男性に自分の衣服を預けるのは少し気が引けるが、親切でしてくれていることなので、わたしは彼を信じて、服と靴を渡した。
「……お願いします」
「ああ、お願いされたよ」
 わたしの服を受け取りながら、彼がふざけた調子で言った。そして、初めは気付けなかった、物干し紐にわたしの衣類を架けていく。
「あの、貴方のお名前は。わたしはナフィーです」
「アンシイだよ。よろしく、ナフィー」
 いきなりアンシイさんはわたしを呼び捨てで呼んだ。少し、どきりとした。
「それじゃあ、行こうか」
 アンシイさんは服を干し終え、階段を上がっていく。わたしは返事をして、アンシイさんの背について階段を上がっていった。


あとがき


タイトルにも個性もなにありませんが、読んで頂けると幸いです。

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