ドールブレイカー(中編)


 「この部屋を使ってくれていいから」
アンシイさんに案内された部屋はわたしの予想を裏切らず、やっぱり綺麗で整理整頓された部屋だった。部屋の中には小さな机とやわらかそうなベッドが置かれていた。ホテルの一室と言われても納得が出来るくらいの素敵な部屋だ。
「わあ、こんな素敵な部屋を。ありがとうございます」
 意識しなくても、自然に声が大きくなった。反射的に頭も下げていた。
「あと、君の服、どうしようか。僕が干す訳にもいかないし。とりあえずハンガーを持ってくるから、それに干してくれるかい。きっと明日は晴れると思うから、その時に綺麗に洗うといいよ」
 アンシイさんの言葉の意味はすぐに理解出来た。流石に下着まで彼に干させる訳にはいかない。それは、アンシイさんも分かっているようだ。
 よく考えれば、わたしは一人暮らしの男の人の家に泊まるのだからそれなりに不都合は起こることは簡単に予想出来たはずだ。まあ、アンシイさんはそんなに悪い人には見えないし、いきなり押し倒したりするような人ではないと思うから、生じる問題も微々たるものだろう。
「すみません」
「気にしないで」
 気さくに言い残して、アンシイさんは部屋から出て行った。
 わたしはアンシイさんが戻ってくるのを、渡されたタオルで髪の水気を拭きとりながら待つ。
 冷えきっていた身体に、乾燥した温かい布はかなり心地いい。出来れば、びしょ濡れた衣服もすべて着替えたい。けど、着替えるのはアンシイさんがハンガーをもってきてくれてからだ。
 全身に寒気が走る。思った以上に身体は弱っていた。わたしは抱き締めるようにタオルで肌の水滴を拭う。
 わたしが全身を襲う寒気に耐えきれなくなりそうな時にアンシイさんが部屋のドアを開いた。
「待たせたね。はい、コレ」
 三、四個のハンガーを手に持って、アンシイさんがわたしに歩みより、それを手渡す。
「それじゃ、おやすみ、ナフィー」
 用事を終えたアンシイさんはわたしに気を効かせてくれたのか、そそくさと部屋を後にした。
 わたしは、アンシイさんが階段を降る音を聞きながら、ぼーっとしていた。
 そして、気付いた。水分を吸ったわたしの衣服がわたしの肌に貼りつき、幼児体系なわたしのプロポーションをアンシイさんにこれでもかと見せつけていたことを。加えて下着もうっすらと見えていた。わたしは寒気を忘れるくらいに身体が熱くなった。恥ずかしい、死にそう。
 しかし、今は恥死するよりもまず、さむくて死にそうなので、濡れた服を脱ぐことにした。濡れた服を脱ぐだけで、ずいぶんと寒さはなくなるものだ。小説なんかで、よく男女で裸で焚き火に当たっているシーンをよく見るが、今ならかなり納得出来る。そして、下着も脱ぐ。誰も見てはいないだろうが、裸になるのは少し恥ずかしい。だが、他人の下着に足を通すのはもっと恥ずかしい。だからといって裸のままでいるのも馬鹿みたいなので覚悟を決めてわたしは下着に足を通す。それから先はスムーズに着替えることが出来た。アンシイさんに貸してもらった服が何で織られたものかは分からないけど、かなり肌触りが心地いい。やっぱり濡れていない服はいいものだなぁ、と初めて感じたかも知れない。
 着替え終わったわたしは自分の姿を見下ろしてみた。綿、だと思うパンツに白いTシャツ。アンシイさんが貸してくれた服はわたしの体格にぴったりだった。 わたしはベッドに腰を下ろした。何だか安心出来るやわらかさだ。今夜はよく眠れそうだ。
「本当にアンシイさんが親切な人で良かったなぁ」
 横になったまま自分の運の良さに感心しつつ、横になった。
「でも、この洋服。着る人もいないのになんでもってるんだろう。恋人だった人の服なのかな」
 なんて、ありもしない想像力を働かせてみるだけ無駄だと思い、わたしは考えるのをやめた。
 毛布を自分の身体に被せて瞳を閉じる。よっぽど疲れていたみたいで、わたしはすぐに睡魔の誘惑に負けた。
 此の瞬間だけは、任務のことを忘れていた。


 今、わたしの目の前に広がる景色には明らかに色が足りていなかった。白色と黒色、あとは血の赤色。その三色だけで、世界が彩られていた。
 幼いわたしは惨状になった家の隅で身体を小さくして、怯えていた。
 お父さんとお母さんが吐き出し、流した血がわたしの視界の半分以上を支配していた。
 目の前には、血に塗れた大好きな人、もはや人ではなく、物に成り果てていた。
 動かなくなった物の他にも血に染まった、動いている物がいた。
 それは、わたしが大好きな物、大好きだった物、両親を殺した物、心の底から恐怖し、憎い物。
 大好きなままでいたかった物。
 それは、人の形をした、人形と呼ばれる物。
 わたしはそれに首を掴まれる。
 掴まれた首はゆっくりと、ゆっくりと絞められていく。
 そして、何も見えなくなる。
 唯一、感じることの出来る聴覚から、一言、声を聞き取る。

「ねぇ、聞いてナフィー。わたしね、ずうっと前から貴方の首をね、こうして壊してみたかったの」
 それは、酷く、楽しそうに言った。

 わたしの首はその声の後に音をたてて、折られる。

 それと同時にわたしは悪夢から覚醒した。

 寝起きは最悪だ。昨日嫌という程雨に濡れたおかげか、身体がだるく頭が痛い。それに合わせて、またあの夢をみてしまった。
 この寝心地の良いベッドで眠ったにも関わらず、またあの夢を見るなんて。 わたしはよっぽど捻くれた精神の持ち主らしい。まったく自分が嫌になる。
 不機嫌なわたしの気持ちを和らげるように、窓から温かい日差しが差し込んでいた。まるで昨日の雨が嘘のように。わたしをびしょ濡れにさせたいだけで雨が降っていたかと思えるくらいに。
 でも、天気が良くて悪いことはない、とわたしは気持ちを切り替え、任務のことを思いだす。わたしの記念すべき初任務は開始早々、雲行きが怪しい。本来の予定なら、依頼主が住んでいる街に昨日の内には到着しているはずだった。雨さえ降らなければ、そして、わたしが道を間違えた挙句に地図をなくしさえしなければ、今頃は人形の破壊の為に目的地に向かっていたはずなのに。
 わたしの馬鹿さ加減が恨めしい。だからといって、自分を責めていても時間の無駄だ。今はどうやって依頼主の住む街に向かうかを考える必要がある。わたしの記念すべき初任務を失敗する訳にはいかない。わたしの予想では目的地はそれほど遠くないと思っている。もしかしたら、アンシイさんがこの辺りの地理について詳しいかも知れない。
 そう、前向きに考えていこう。そのくらいしか、今のわたしに出来ることが思い浮かばなかった。
「今は、何時くらいかな」
 腕時計の文字盤をぼんやりと覗く。あれだけ水に濡れたのにわたしの牛革ベルトの腕時計はまだ、しっかりと時を刻んでいるようだ。壊れてなくてよかった。心から思う。
 時計の針は、午前十時を指していた。休日なら、いつもこのくらいの時間に眼を覚ます。
 文字盤の次はなんとなく、窓の外を覗いてみた。日差しが少し、眼にきつい。
 窓の外には、箒を持って庭を掃除しているアンシイさんの姿があった。昨日の大雨で、かなりの落ち葉が飛ばされてきたようだ。
 わたしは、アンシイさんに挨拶と、近くに街がないかを訊くために外に出ることにした。

 一階に降りてみると、昨日わたしが汚してしまった床が綺麗に掃除されていた。こういうことは、本当はわたしがしないといけないことなのに、先を越されてしまった。もう少し早く眼を覚ますべきだったと、少し後悔した。
 紐に干していたわたしのコートもなくなっていた。大方アンシイさんが外で干しているのだろう。部屋に置いてきてしまった服も早く洗って干さないといけないな。
 外に繋がる扉の前までは到着したが、靴がないことを忘れていた。
「まぁ、裸足でも大丈夫でしょ」
 迷いなくわたしは扉を開き、外に出た。水に濡れた芝生が素足には心地良い。窓から、少しだけ浴びた日差しを、今は身体全体で浴びる。これが一番の目覚ましだな、と思った。
 庭では、アンシイさんが黙々と箒で落ち葉を集めていた。なんだか、妙に箒がしっくりとくる人だ。
「おはようございます。アンシイさん」
 わたしの声に気付いたアンシイさんが箒を動かす手を止め、こちらを見た。
 アンシイさんは黙ったままだ。
「どうかしましたか、アンシイさん」
 わたしの二度目の呼びかけで、やっとアンシイさんは反応を見せた。
「ああ、ごめん。ぼーっとしてたよ。おはよう、ナフィー」
「おはようございます。アンシイさん」
 多分最初の挨拶は聞こえていないだろうから、わたしはもう一度あいさつをした。
「あ、そういえば、靴がなかったね」
 苦笑を浮かべつつ、アンシイさんはわたしの足元を見ていた。
「気にしないでください」
 笑顔で、アンシイさんの気遣いを無用だと返す。
 アンシイさんは「そうかい」と答えて、掃除を再開した。箒を動かしだしてから、アンシイさんは一度もわたしを見なかった。
「綺麗なお庭ですね。毎日掃除してるんですか」
 沈黙に耐え切れず、不毛な会話になるだろう話題をアンシイさんに振った。
「そうだよ」
 箒を止めることなく、わたしを見ることなく、明るい調子でアンシイさんが答えた。
「綺麗好きなんですね」
「うーん、そういうのじゃないんだ。ただね、昔、一緒に住んでいた人がいた時のままに、この家をのこしておきたいんだ。ただ、それだけだよ。それに、毎日暇でね」
 笑顔を張り付かせているアンシイさんの横顔が、何処か寂しそうに見える。失礼なことを訊いてしまったのかも知れない。
「そう、だったんですか」
 昔、この服を着ていた女性のことを、アンシイさんは今でも大切に思っているんだろうな。
 て、そんなこと訊いてどうする、この近くに街がないかを聞くはずだったろうに。
「あの、訊きたいことがあるんですけど、この近くにカドルーっていう街、ありますか」
「あるよ。確か、この山を降っていけばすぐに見つかると思うけど」
 当たり前のことのようにアンシイさんが言った。
「本当ですか。よかったぁ」
 本当にわたしは運がいい。アンシイさんの思いがけない一言を聞いたわたしは、嬉しさと安堵感で、身体の力が抜けて、地面にしゃがみこんだ。
「大丈夫かい、ナフィー」
 突然座り込んだわたしをアンシイさんは冗談半分だと思うけど心配してくれているみたいだ。
「大丈夫ですよ」
 答えることは出来たが、腰が上がらない。むしろ、地面に腰が着いてしまっていた。
「あ、れ」
 視界がはっきりとしない。眼が覚めた時に感じていた頭痛も酷くなっていた。身体が、だるい。わたしの身体はわたしの認識以上に弱っているらしい。
「本当に大丈夫かい」
 アンシイさんの声に感情がこもる。今度は本気で心配しているような口調だ。
 アンシイさんがわたしと同じ目線まで姿勢を落とし、わたしの額に手をかざす。
「かなり熱があるね。歩けるかい」
「大丈夫、だと思います」
 本音では立ち上がれる気もしなかったけど、歩けないと答えてアンシイさんにまた気を遣わすのも気が引ける。
 無理やりに身体に力を込め、何とか腰を上げることが出来た。頭は重くて、下がったままだ。
「すみませんが……もう少し、あのお部屋を……貸してくれませんか」
 息苦しくて、言葉が喘ぎながれでないと喋れない。
「て、ちょっと!」
「歩くのは、無理みたいだね」
 いきなり、わたしの身体のバランスが崩れた。アンシイさんがわたしを抱きかかえたのだ。
「アンシイさん!何するんですか!」
 自分の姿勢をみて、慌ててわたしは手足を子供みたいにバタバタと動かす。何故なら、わたしは今、お姫様ダッコってやつをされているから。
「歩けますから!ていうか歩きますから!だから降ろしてください!」
「無理しないで」
 邪気のない笑顔が今はなんとも憎らしい。
 もちろん、降ろしてほしい理由は自分で歩けるからではなくて、単純に恥ずかしいからだ。今、この場所にわたしとアンシイさんの二人だけなのが不幸中の幸い。でも、誰かに見られようが、見られまいが、恥ずかしいものは恥ずかしい。男性に抱きかかえられたことなんて、子供の頃に父親に抱きかかえられたくらいしか、わたしの記憶にはなかったりする。むしろ、父親以外の男性とここまで密着したこともなければ、手をつないだこともない。
 恥ずかしくて、泣きそうだ。

 もはや、恥ずかしさに耐えることしか出来ないわたしをアンシイさんは軽々と二階の部屋まで運び、ベッドに降ろした。
「本当に、すみません」
 ここまで運んでくれたことには感謝するけど、やっぱり恥ずかしい。少しだけ、瞳が潤んだ。それ以上に身体がだるいけど。
「暫く横になるといいよ。身体が弱ってるだけだから、すぐによくなると思うから。それじゃ、ゆっくり休んでね」
 そういい残して、やっぱりアンシイさんはすぐに部屋を出ていった。
情けないな、と心底思う。枕に顔を埋め、自分を呪う。アンシイさんの親切心が少し、つらい
 わたしの身体は睡眠を求めているようで、自分を呪うことよりもまず、睡眠を優先した。

 汗を吸った服の肌触りの気持ち悪さに我慢出来ず、上半身をベッドから起こす。
 上昇していた体温を平熱まで戻すために、かなりの量の汗を流したようだ。服が汗でかなり湿っていて、背中に布が貼りついている。
 この肌触りは気持ち悪いけど、それだけの量の汗を流したこともあり、身体のだるさは殆どなくなっていた。多分、熱も引いている。
「べとべとだ。気持ち悪いなぁ」
 額を這う汗の雫を手の甲で拭う。どうせ汗を流すのなら、浴槽の中で半身浴でもしながら汗を流したいものだ。
「もう、夜なんだ」
 数時間前に差し込んでいた光が無いことに気付く。部屋の中も少し薄暗い。時計をみると七の近くを針が指していた。
 窓を覗くと、幾つかの星の光がわたしの頭上まで到着していた。わたしまで届く星の光はこんなものじゃないだろう。今から二時間もすればわたしの頭上には星の光だけで天井が作られるに違いない。街の中では見ることの出来ない星の光をここぞとばかりに眼に焼き付けておきたい。
「綺麗な星空。やっぱり山は違うな」
 これだけ、壮大な星空を見たのは何年ぶりだろうか。思い出せないくらいに久しぶりのことだ。
 こんなに大きくて綺麗な星空と比べて、わたしは本当にちっぽけで醜い。やっぱり、星に見下ろされているだけのことはある。わたしは、どんなに頑張っても遥か頭上の星の美しさには勝てない。ただ、綺麗だなと、感動し、羨ましがることしか、出来ない。
 なんだか泣けてきた。
 そんな、妙なセンチメンタリズムを感じていたわたしの思考を中断させるように、ドアが軽く叩かれた。
「ナフィー、入っていいかな」
 ドア越しにアンシイさんの声が聞こえた。
「あ、はい。どうぞ」
 わたしが返事を返すと、アンシイさんがゆっくりとドアを開いた。ドアの向こう側に立っているアンシイさんの手には湯気を上げているお皿があった。
 湯気はとても良い香りがした。食欲をそそる香りだ。思えば、朝から何も口にしていない。
「夕食、作ったんだ。食べられるなら食べた方がいいよ。あと、身体は大丈夫かい」
 アンシイさんはお皿を机の上に丁寧に置いたあと、わたしの額に手をかざした。
 少し、緊張した。多分、顔も赤くなっていると思う。
「熱はないみたいだね。よかった」
 星空に負けないような、綺麗な笑顔をアンシイさんが見せた。そんなに嬉しいことなのだろうか。
 きっとわたしは、そんな風には笑えない。
「服が汗でびしょびしょだね。着替えを持ってくるよ」
 本当に良く気が付く人だ。わたしが何も言わなくても、わたしのしてほしいことが分かっているみたいだ。
 アンシイさんは、急ぎ気味に部屋を出た。
 目の前には、アンシイさんが作ったと思うスープが湯気を上げていた。とりあえず、アンシイさんに「頂きます」と一言お礼を言ってから口にするべきだろうとわたしは思い、スープには口を付けず、アンシイさんが着替えを持ってくるのを待った。
 数分が経過した。階段を上る音が聞こえた。律儀にまた、アンシイさんはノックをした。
「ナフィー、入っていいかな」
 ここは、貴方の家だろうに。
「はい、どうぞ」
 同じ言葉をアンシイさんに返す。ドアを開き部屋の中に入ってきたアンシイさんの手には案の定洋服を持っていた。
「どうしたの、食べないのかい。食べたくないのなら無理に食べることはないけど」
 スープに口を付けていないことにアンシイさんが気が付く。
「そんな。食べたくない訳ないです。ただ、一言、お礼を言ってから食べたくて……。それじゃあ、頂きますね、アンシイさん」
 お皿と一緒に置かれていたスプーンを握り、スープをすくう。そしてそれを、口に運ぶ。
「美味しいです。アンシイさん」
正直に感想を伝えた。わたし好みの薄味で、あっさり系だ。病み上がりのわたしのことを考えて、喉を通りやすいものを作ってくれたんだろう。
「そう、良かった」
 下心も何もない笑顔でアンシイさんは、返事を返した。わたしは、アンシイさんのその笑顔から、顔を逸らした。
 スープの二口目を、食べる気が起きない。
「どうして貴方は、見ず知らずのわたしに、こんなに親切にしてくれるんですか」
 ただ、単純に気になった。醜いわたしの側面が、訊きたいと思ったからだ。
「アルンがね、昔一緒に住んでた女の子なんだけど、その子がね、誰にでも優しくしてあげてねって、よく僕に言い聞かせてたから」
「だったら、そのアルンさんがアンシイさんに、誰にでも優しくしてあげてって、言わなかったら、わたしに親切にはしなかったんですか」
 どうしてわたしは、こんな嫌味なことを言うのだろうか。こんな人の揚げ足を取るようなことを。こんなこと、本当は言いたくないのに。
「うーん、どうだろうね、僕はアルンに造られた存在だから。アルンの言うことを聞くのが当たり前だったから。でも、今は僕の意志で、行動しているつもりだよ」
「え?」
 一瞬、自分の耳を疑った。
「造られたって、どういう意味ですか」
「僕は、アルンに造られた、人形だよ」
自分は人形だ、とアンシイさんは時間を訊かれて、答えるくらいに簡単に言い放った。わたしにしてみれば、かなり重大なことを。
「そう……だったんですか。全然、気が付かなかったです」
 人形がこんなにも表情豊かだとは思わなかった。きっと、かなりの技術者が彼を造りあげたのだろう。
 アンシイさんが人形なら、いつかは暴走し、人を襲うのだろうか。わたしには想像もつかないし、そんな光景、想像したくもない。
 両親を殺した人形、わたしを笑って殺そうとした人形と、アンシイさんは同じ存在。人形なら、分解を依頼されていなくても、無条件に分解しなくてはいけない。その人形が現在、人間に無害だとしても。人形は憎いはずなのに、わたしはアンシイを分解しなければいけないと思うと、何故か哀しくなった。
 アンシイさんと、短い時間だが、触れ合ってみて、自分達と何も違いなんてなかった。わたしは、アンシイさんを分解するのではなく、殺さなければいけないのかも知れない。なんの罪もない、わたしにとても親切にしてくれた、アンシイさんを。
 哀しいからといって、人形を放置しておく訳にはいかない。それが、組織の規律。
「びっくりしたかな、黙っててごめんね」
 いきなり黙りこんだわたしを不思議に思ったのか、アンシイさんがわたしに声をかけた。
「そんな、謝ることないですよ。驚きはしましたけど」
 貴方を分解しなくてはいけない、とは、今のわたしには言えなかった。
 わたしは精一杯、笑顔を作ることに努めた。
「このスープ、ほんとに美味しいですね」
 何を喋ればいいかが思い浮かばず、一度口にした言葉を繰り返した。
「ありがとう」
 嬉しそうにアンシイさんが言葉を返す。
「ああ、そうだ。汗を洗い流したいなら、この家の近くに泉があるから、そこを使うといいよ。服もそこで洗えばいい」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
 生返事をアンシイさんを見ずに返す。今のわたしは上手く思考が働いていないらしい。
「僕はそろそろ退散するね。何か用があれば、僕は下の階にいるから、声をかけて。それじゃ」
 部屋を出るアンシイさんの後ろ姿もまともに見ることが出来なかった。
「本当に美味しいな、このスープ」
 本当は食べ物が喉を通るような心理状況ではないけれど、わたしはこのスープを残す気にはなれなかった。


あとがき


初めから読んでくださっている方にはこの展開が予想出来ていた方もいると思います。

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