ドールブレイカー(後編)


  わたしはアンシイさんの言葉通り、泉で汗を流すことにした。
手には、破壊者の証である漆黒の短剣を持って。
 泉は思ったよりも近くにあって、迷うこともなく簡単に到着することが出来た。

 夜風が肌に心地良い。風に揺らぐ泉の水鏡がわたしの姿を本当の鏡のようにはっきりと映していた。
 わたしは衣服をすべて脱ぎ、泉の中に身体を沈めた。水の冷気が軽くわたしの肌を刺す。その刺激が心地よく感じる。透き通り、夜空を映す水鏡はわたしの身体に貼り付いていた老廃物を洗い流してくれる。自身が浄化されていくような錯覚を覚えた。
 水の温度に馴染んだ身体すべてを一気に泉に沈め、肺活量の続く限り、水中で静止した。
 泉の内側から夜空を見た。ぼやけた光の点が、泉が波打つと同時に左右前後に踊っていた。
 肺活量の限界を感じ、身体を水に浮かべた。新鮮な空気を生きるために肺に送り込む。
「気持ちいい」
 誰かにこの気持ちよさを伝えるのでもなく、意味もなく呟いてみた。わたしの声は誰にも届かず、風が何処かに運んでいった。
 この瞬間だけは、複雑に絡まったわたしの心の糸が少しだけ、解けていくような、そんな気がした。
 暫く、身体の力を抜いて、水に身体を支えてもらった。水の冷気は確かに心地いいが、長時間感じ続けると、それは苦痛に変わる。わたしは心地よさが苦痛に変わる前に、泉から岸に上がる。水に濡れる前までは心地よかった風は、今では少し肌寒い。
 着替えと一緒に持ってきたタオルで身体に付着した水滴を拭い、アンシイさんに渡された着替えに袖を通す。二回目にもなると、あまり恥ずかしさは感じなかった。
「そうだ。わたしの服も洗うんだった」
 着替えてから気付くなんて、わたしも間が抜けた女だ。
手ごろな岩の上に置いていた、雨の日に着ていたわたしの服を手に取り、泉に浸し、生地が傷まない程度に力を込め、ごしごしと擦り合わせる。
 せっかく、汗を洗い流したのに、服をすべて洗い終わったころには、額に汗が滲んでいた。
 服の水気を力一杯絞り出し、水で洗っておいた岩の上に並べる。
 その隣にわたしが腰を下ろす。
 泉に映る、破壊者としてのわたしを客観的に見てみる。
 どうしてわたしは、破壊者になったりしたのかな。
 両親を殺した人形を憎み、わたしのような子供を増やしたくない、その一心で辛く、厳しい訓練にも耐え、破壊者になった。
 なのに、人形を破壊することを躊躇い、苦しんでいる自分がいる。まったく、矛盾した考えだ、と小さく自分を嘲笑する。
 わたしは、人形を破壊するという行為を侮っていたのだと思う。昔絵本で読んだ、勇者が魔王を退治するくらいに簡単なことだと、認識していたんだ。一部の人形に対する憎悪と、自己満足のためだけの偽善で行えるような行為ではないことが、今更ながらに、分かってしまった。
「わたしは、アンシイさんを、破壊、出来るかな……」
 わたしが破壊者として生きるためには、アンシイさんが破壊出来なければいけない。アンシイさんを破壊出来なければ、本当の意味での、破壊者にはなれない、そんな気がした。
 それでも、わたしはアンシイさんを破壊する気には、なれないでいた。
 彼を破壊するにしても、そうでないにしても、どちらかを決断しなければいけない。決断出来るまでは、アンシイさんのお家には帰らないことにした。
 懐から、漆黒の短剣を取り出し、鞘から刀身を抜く。泉にはわたしの顔を両断するくらいの位置に漆黒の短剣が映されていた。
 もしかしたら、朝まで帰られないかも知れないな、とわたしは、徹夜を覚悟した。

 案の定、空では太陽がわたしに挨拶をしてくれる時間になった。人間、本気で何かを考えると、時間や眠気、空腹など関係なくなるものだな、と感心してしまう。
 何時間も悩み、迷ったが、結局結論は出ていなかった。
 いや、結論は出ているのかも知れない。人形一体を破壊するかどうかで、ここまで苦しむようなら、最初から破壊者なんて目指すべきではなかった、と。
 そうなると、わたしはアンシイさんを破壊出来ない、と結論を出すしかない。結論は出せても、決断は出来ていない。アンシイさんを破壊しないのではなく、破壊出来ないだけなのだから。
 そんな自分を卑怯だな、と思いつつ、一晩で乾いた自分の服に久しぶりに袖を通す。
 破壊者の証の一つである爪が剥がれた中指が不意に眼に飛び込む。爪を剥がれた時の痛みを破壊者になれた喜びで我慢した、思い出のある指。でもその思い出を楽しく思い出すことも、もう二度となくなる。そう思うと、やはり、寂しく感じるし、悲しくも感じる。
 破壊者としては生きていけない、と結論を出した癖に、まだわたしは破壊者に未練があるのか。
 仕方の無いことなんだ。わたしに人形を破壊する勇気がないんだから。
 諦めるんだ、とわたしは何度も自身に言い聞かせる。
「アンシイさんにお礼を言わないといけないな。あと、服も洗わないと」
 今日、この家から出よう。この場所に人形がいたことを忘れてしまおう。
 現実逃避するように先刻まで着ていた借り物の服を洗う。
 洗い終わると昨晩のように水を絞る。けど、ここで乾くのを待つ訳にはいかない。わたしは湿ったままの服を持って、アンシイさんの家に戻った。


 わたしの想像とは裏腹に、アンシイさんは庭の掃除をしていなかった。朝が早すぎるからだろうか。庭には昨日から干されているわたしのコートと靴があった。わたしはそれを物干し棹から外し、身に着け、何も掛かっていない棹に湿った服を掛ける。
 次にアンシイさんを探して家の中に入った。家の中は人の気配がなかった。
「アンシイさん、いないんですか」
 少し声を大きくしてアンシイさんを呼んだ。だが、返事は返ってこなかった。家の中にはいないのだろうか。わたしはそれを確認するために他人の家を探し回る気にはなれず、外を探してみることにした。

あてもなく、林の中をうろついてみる。太陽の光を木の葉が遮り、林の中は結構暗かった。
 目の前に、葉が光を遮らず、陽だまりが出来ている場所を見つけた。
 アンシイさんが、いた。
 アンシイさんが、誰かの墓石の傍に腰を降ろし、眠っているように見えた。 その墓石の周りはアンシイさんのお家の庭と同じくらいに綺麗で、花も咲いていた。
 わたしはアンシイさんに歩みより、アンシイさんの隣にあるものが墓石だと確信した。
 石には、アルン・ケルヴと名前が彫られていた。
「おはよう、ナフィー」
 アンシイさんは瞳を閉じていただけで、眠ってはいなかった。
「おはようございます。あの、そのお墓」
「アルンの墓だよ。八十六年前に病気で死んでね」
 アンシイさんが笑顔で答えた。その笑顔をみているとわたしはどうしようもなく悲しい気持ちになった。
 アンシイさんの悲しい笑顔を見ていると、アンシイさんがナフィーさんのことを愛しているんだ、と分かった。もう、声も聞けない、言葉を交わすことも出来ない大切な人を、八十年以上も想い続けている。
 大好きな人が先に逝ってしまう悲しみ、独り残される悲しみ。
 その悲しみの中、アンシイさんは八十年以上も生き続けている。
「アンシイさんは、アルンさんのこと愛しているんですよね」
「ああ、今も、ずっとアルンのことは大好きだよ。愛してる」
 笑顔のままで、なにも考えることなく、彼女のことを愛することが当たり前のことのように、アンシイさんは答えた。
「独りで、寂しくないんですか」
「そうだね、寂しいね。でも、仕方がないことだよ。アルンは人間で、僕は人形なんだから」
「仕方がないと思えば、納得出来ますか」
 何故、こんなことを訊いているのか、自分でもよく分からない。
「わたしの両親は理不尽な死に方をしました。わたしも人間が死ぬのは仕方のないことだと思います。でも、わたしは両親の死を受け入れられてません」
 気付けば、わたしは自分の感情をアンシイさんにぶつけていた。きっと、大切な人を亡くしてしまった立場が自分と似ているから、こんなことも言えるのだろうと思う。
「僕も受け入れられてないよ。今も、受け入れられないまま、死なないでいるよ」
 アンシイさんの笑顔が少し霞んだ。
「ナフィーは強いね。そんな悲しいことがあっても、ちゃんと生きているんだから。僕は、生きてるんじゃなくて、動いているだけだよ」
「わたしは強くなんてないです。自分が嫌になるくらい、弱い人間です」
 すぐにアンシイさんの言葉を否定した。わたしが強いなんて、勘違いも甚だしい。
「でも、ナフィーは生きているよ。死んでいない。逃げなかった」
 アンシイさんの言葉で初めて気が付いた。人形は自分で命を断つことが出来ないことを。アンシイさんの言葉に従うなら、わたしは確かに逃げていない。アンシイさんとは違って、逃げ道はあった筈なのに。
「僕は、アルンが死んだ時、本気で死にたいと思った。今の悲しみから逃げることが出来るなら、いつでも僕は逃げたいと思っているよ」
逃げ道。考えもしなかった。人形に終わりを与えることが出来るのは破壊者だけで、逃げ道を作ってあげられるのも、破壊者だということを。
「わたしなら、アンシイさんに、逃げ道を作ってあげられます」
 自分でも信じられない言葉を、わたしは口にしていた。一晩悩み、決意出来なかったことを。
 都合の良い考えだというのは分かっているつもりだ。アンシイさんが死にたいと言わなければ、わたしは確実にこのまま、山を降りただろう。
 でも、わたしには、アンシイさんの願いを叶える力がある。ただの偽善だと、心の中では理解しているが。
「どういう意味かな」
 突然のわたしの申し出をアンシイさんは理解出来ていなかった。
「わたしは、人形を破壊することが出来ます。アンシイさんが望むなら、わたしは……」
 一呼吸、間を置き、その間に覚悟を決める。
「貴方を破壊します」
 迷いなく、言い切った。
 アンシイさんは暫く黙り、そして、口にした。
「本当に出来るのかい」
 アンシイさんの笑顔は消えていた。
「はい」
 アンシイさんが望めば、彼を破壊する覚悟はある。彼がそれを望まなければ、そのままわたしは破壊者を辞めるだけだ。
 結局、わたしは、自分が傷つくのが嫌で、人形を破壊出来ないと思いこんでいただけだ。わたしが、一時期の悲しみを我慢すれば、彼の永遠とも思える悲しみを終わらせることが出来る。
「それじゃあ、お願いしても、いいかな」
 淡い笑みを浮かべて、アンシイさんが言った。
 僕を殺してくれと、間接的に。

「分かりました」
 アンシイさんの瞳から目を逸らさず、返事を返す。
 人形を破壊するためには、人形に内蔵されている動力源を破壊しなければいけない。人形の身体だけ破壊するのであれば、一般人にだって出来る。だが、一般人に壊せるのは身体だけで、動力源までは破壊出来ない。人形の動力源を破壊出来るのは、破壊者の証である漆黒の短剣をつくるオリハルコンという金属だけだ。人形の動力源には、人形の感情が宿っている。だから動力源を破壊しないことには、本当の意味での破壊ではない。
 わしは短剣を鞘から抜く。
 アンシイさんに苦痛を与えないためにも、一突きで動力源を貫かねばならない。
 わたしは、限界まで集中力を高める。
「それじゃあ、行きます」
 短剣を握る指に力を込める。
 地面を割りそうな勢いで、わたしは強く踏み込み、
 まばたきもせず、アンシイさんの胸を捉え、
 そして……、

 渾身の力で、アンシイさんを貫いた。

 初めて、誰かを刺した。まるで、初めて人を殺したみたいに恐怖を覚えた。
 でも、刺したのは、殺したのは、人間じゃなくて人形。
 そう思わなければ、わたしは、悲しさや罪悪感に耐え切れない。
 動力源を貫かれたアンシイさんは足に力が入らないらしく、力なく、わたしに倒れこむ。わたしはアンシイさんを、二、三歩よろめいたけど、どうにか支えることが出来た。
 わたしは涙を流していた。涙は止まる様子もなく、頬を濡らしていく。
「あ……りが……とう、ナフィー……」
 アンシイさんが風に塗りつぶされそうな声で、そう言ったように感じた。
「お礼なんて……言わないで」
 聞こえた言葉に呆然として、わたしはアンシイさんの身体を支えるのを、止めた。
 支えを失ったアンシイさんの身体は力なく地面に倒れた。
アンシイさんの胸に、杭のように刺さった短剣を抜き、鞘に戻す。
 涙で霞む瞳で、アンシイさんの表情を見た。彼の顔が心地よさそうに笑っているように見えた。きっと、わたしの願望がその、幻を見せたに違いない。
 わたしは、なんとかアンシイさんの上半身を抱え上げ、アルンさんのお墓の傍まで、運んだ。
「天国で、アルンさんと逢えるといいですね。アンシイさん」
 天国なんて、本当にあるかなんてわたしには分からない。でも、信じることは出来る。だから、今はないかも知れない天国も絶対にあると、わたしは信じた。

 アンシイさんを破壊して、数分が過ぎたけど、まだ涙は止まっていなかった。わたしは、幼い子供みたいにぐすぐす、と鼻を鳴らして泣いていた。
 不意に背後から物音が聞こえた。こんな状況でも、泣き顔を誰かに見られるのが恥ずかしいと感じたようで、反射的に瞳を袖で拭っていた。
 顔が濡れていなくても、目が赤くなっているので、そんなことをしたところで殆ど意味はないのだけど。
 わたしは、内心怯えながら、振り向いた。
 振り向き、見た先には、わたしの上司の破壊者、リヴァウス様が立っていた。
 リヴァウス様はわたしの恩師で、破壊者になる前から、かなり世話になっている男性だ。破壊者になれた時、一番に喜んでくれたのもリヴァウス様だ。
「リヴァウス様。どうして」
 何がいるのかと怯えていたわたしが馬鹿みたいだ。でも、この人物がわたしの目の前に立っているのも、ある意味、想像外のことだった。
「貴女の帰還があまりに遅かったので、様子を見にきたのですが……」
 リヴァウス様が言葉を区切った。多分わたしが泣いていたことに気付いたのだろう。
「何かあったのですか」
 泣き顔のわたしを見てリヴァウス様は慌てもせず、驚きもしなかった。むしろ、子供を諭す父親のような、落ち着いた口調で、訊いた。
「リヴァウス様。人形を破壊するのって、こんなにも辛いことなんでしょうか」
 一度は止まりかけた涙がまた溢れだした。
「ナフィーは、今回の任務が初めてでしたね」
 リヴァウス様の優しい声を聞いていると、涙が止まる気がしなかった。
「よく頑張りました。立派ですよ」
 リヴァウス様はひび割れた硝子を扱う時くらいに丁寧に、優しく、わたしを自身の胸に抱き寄せた。
「リヴァウス様……」
 わたしは、リヴァウス様の胸に顔を押し付け、思いっきり泣いた。
 恥ずかしいとか、惨めだとか、格好悪いとか、関係なく、泣いた。
「ナフィー。わたしは、貴女が破壊者になってくれて、本当に嬉しいのですよ。貴女のような心優しい女性が破壊者になってくれて、ね」
わたしは、リヴァウス様にお礼を言おうと思ったけど、何も、言葉に出来ず、泣くことしか出来なかった。

 数分後、わたしは落ち着いて考えてみて、かなり後悔した。恥ずかし過ぎる。
 恥ずかし過ぎて、リヴァウス様の顔を正面に見ることが出来なかった。
「落ち着きましたか。ナフィー」
 背後から、リヴァウス様の声が聞こえた。
「は、はい。落ち着きました」
「それじゃあ、帰りましょうか。本部に」
「は、はい」
 わたしは、俯きながら、リヴァウス様の顔を窺ってみる。リヴァウス様はわたしの視線に気付いてはいなかった。
 本当に素敵な男性だなぁ、としみじみとわたしは思った。


 あとから聞いた話だけど、アンシイさんの破壊がわたしの任務だったらしい。依頼主に逢わずに依頼を完遂した破壊者はかなり珍しいらしい。わたしの他に数人、いるとかいないとか。


「やっと逢えたね。アンシイ」
 目の前には、何十年間も恋焦がれた女性が、いた。
「どうしたの。だまっちゃって」
 彼女が笑みを張り付かせた。見ているだけで幸せになれる、彼女の微笑み。
 言葉をかけるよりも先に僕はアルンを抱き締めた。
 涙が溢れた。
「逢いたかった。愛しているよ。アルン」
 彼女の温かさを自身の身体で感じる。
「……わたしもアンシイが、大好き」
 アルンの声を耳元で聞く。
 心から聞きたかった言葉。
 忘れることのなかった言葉。
「もう、絶対に離れない。離さない」
「絶対に、離さないでね」
 離さない、離す訳ない、離してたまるか。
「これからは、ずっと一緒だね」
「うん」
 二人の涙が光になって、世界に消えた。


あとがき


完、です。こんな終わり方です。読んでくれていることを祈ります。
最後まで、辛抱強く読んでくれた方、本当にありがとうございます。
途中から読んでくれた方も、本当にありがとうございます。

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