月夜革命(プロローグ・第1話・第2話)
プロローグ:革命前夜
鈍色(にびいろ)の空。湿った生暖かい風。東京の空気は、まだ肌に馴染まない。雨が降りそうだ。
高層ビルの上。女は騒がしすぎるほどの街を眼下に見下ろし、そんな事を考えていた。
「なぁ…」
女が傍の男に呟いた。
「俺はいつまで、こんな偽りの姿で生きなければならない?」
「それは、時が来れば、ですよ」
「時が来れば…か」
偽りの姿。女は、寂しげな瞳(め)でそう云った。
“俺ハ、女ジャナイ。”
“ドウシテ、女トシテ生キナケレバナラナイ?”
様々な感情が湧き起こり、泣き出しそうになる。
「俺は、そんなに大きな役目を抱えているのか?」
「はい。とても大きな、大切な使命です」
「使命、か…」
力無く笑った女(カレ)は、男に諦めたような眼差しを向けて、独り言のように力無く言葉を発した。
「俺は普通の人間として、生まれたかったよ。少なくとも、一人の男として。“月峰悠(つきみねゆう)”として、ね」
女として生きる彼、悠の目には、曇った空しか映っていなかった―――――。
第一話:再会
「あ、雨」
聖ジュリアーノ女学院高等部の校舎の二階、一年D組の教室で、日吉晶(ひよしあきら)は窓の外を見ていた。
雨を晶は嫌っている。むせ返るような、独特のコンクリート臭。都会の臭い。頭が痛くなる。
それに加えて、髪の毛が湿気に弱い。以前伸ばしていたが、雨の日などはまとまりが無くなる。なので、最近は短くしている。
その頃からだろうか。よく男に間違われるようになった。元々175cmもある身長も手伝い、
私服がサバサバしたパンツ――特にジーンズ――ばかりなのも加わって、女子から声をかけられる。いわゆる“逆ナン”。
めったに“女の子”として見られない、そんな晶も、昔は好きな人がいたりした。小さい頃よく遊んだ“ゆうちゃん”。
同い年で、女の子みたいに可愛い顔の、優しい子。突然引っ越す事になって、ゆうちゃんと離れたくなくて、晶は思いきり泣いた。
ゆうちゃんは「また会えるよ」と言って、光る石をくれた。そして晶は、遠く、ゆうちゃんと離れた場所で過ごしていた。
あれから十三年、今はどこで、どうしているのだろう。そんな事を時々考えていた。
「あーあ、どんどん強くなってきたよ。ねぇ晶」
「ん?」
「今日傘持ってきた?」
親友の村田あかりが、帰る準備を済ませ、窓の外を見ながら言った。
「持って来たよ。誕生日に雨が降るなんて、よくあるもん。気分は最悪だけどね」
今日は晶の十七歳の誕生日だ。四分の三の確立で、誕生日には雨が降る。“雨女”なんてよく言ったものだ。
「あ、そうそう。今日プレゼント持って来たんだ〜」
そう言って、あかりはかばんの中から小さな袋を取り出した。
「何?」
「いいから開けてみて」
そう言われ、晶は中身を取り出した。
「チェーン…?」
「晶さ、前に石持ってたでしょ?近くにアンティークショップがあって、材料さえあれば、アクセサリー作ってくれるんだ。
今日一緒に行かない?あの石とこのチェーンで、ペンダントとか作ってもらおうよ」
「へぇ…そんなこと出来るんだ〜…。分かった。行こっか」
「ホント!?」
「どうせあかりも作ってもらうんでしょ?」
「えへへ…バレた?」
「顔見れば分かるよ」
二人は、学校の近くにあるその店へ向かった。
「ここか…」
晶はアンティークショップ“プリシラ”の前に来て、中を少し覗いてみた。
レンガで出来たヨーロッパ風の建物の中は、とてもお洒落で、晶は少し場違いな気がした。
「何してるの?早く早く!」
「あっちょっ…」
二人が中に入ろうとした時、女性が一人出て来た。
「ねぇ、あれ…」
あかりは瞳を輝かせながら、はしゃぐ。
「月峰悠さんよ!生徒会長の!」
“月峰悠”。生徒会長をしている、謎の多い人。単純に綺麗。同じ学年とは思いたくないくらい、大人びている。
特別認可が下りているらしく、いつも私服――タートルネックで長袖にロングスカート――だ。
何でも、あまり日に焼けてはいけない病気らしい。
「どんな物買ったのかしら」
「さぁ…」
晶にとって、月峰悠は、“別世界の住人”だった。
ツキミネユウ。ゆうちゃんと同じ名前。彼女の名前を聞く度、ゆうちゃんは晶の中に笑顔で入ってくる。
その度に、こんなところに居るわけがない、と、自分に言い聞かせるのだった。
でも…。晶は最近、ゆうちゃんと“悠様”を重ね合わせてしまうのだった。どことなく、似ているような気がするのだ。
なんとなく、だが。
晶はしばらくの間、悠の相変わらず背の高い後姿を見ていた。
「晶?何ボーっとしてるの?入ろうよ」
「あ、ごめん」
「もぉ〜」
扉を引くと、カランカラン、という音がして、店員が顔を出した。
「いらっしゃいませ」
店員は男だった。悠や晶より、遥かに背の高い、蒼い瞳に紅髪の男。
「あの、この石とチェーンで何か作れませんか?」
晶が石とチェーンを差し出すと、男は少し驚いた様子で、
「この石は、どこで…?」
と尋ねた。
「え?あ、友達に貰ったもので…」
「…そうですか…」
「何か…?」
「あ、いえ。気にしないで。少し探していたものと似ていたので」
そう言うと男は、やわらかく微笑んだ。
「でも、残念ですが、この石は加工に向いていません。何かそこから別の石を選んで頂ければ、お作りしますよ」
男はそう言うと、ガラスケースにはいっている、沢山の石を指差した。
「えっと…じゃあその紫色のものを。あ、あかりは?」
「私はピンク色のこれ。前から目をつけてたんだ〜。これ、ローズクォーツっていって、恋に効くのよ」
そう言うと、あかりもチェーンを取り出して、ペンダントを作ってくれるように頼んだ。
「そういえば…」
晶は、さっきから気になっていたことを、男に聞いてみた。
「このお店、店員さん他に居ないんですか?」
「そうですよ。店長の私だけ」
「店長!?」
「はい。店長の星條蒼紅(せいじょうそうく)です」
蒼紅は、店長でもあり、店の中のものは、彼が買い付けて来たものか、彼の作品だった。
「あ、そうだ。作るのはいくらかかるんですか?」
あかりと晶はすっかり忘れていたが、お金はやはり要る。
「今回は特別に無料ですよ。あの石を見せてもらったお礼です」
「え?」
「あの石は、とても良い石だ」
そう言うと、彼は微笑んだ。
「一週間後にまた来てくださいね」
店を出ると、外はもう暗かった。幸い、雨はもう止んでいた。その時、着信音が鳴り、晶はポケットから携帯を取り出した。
「もしもし」
「もしもし晶?もう!どこにいるのよ!?早く帰って来なさい!」
「今帰るとこだから」
「ゆうちゃんが待ってるんだからね!早く帰って来なさいよ!」
「分かってるって…え?っちょ、お母さん!?」
電話は既に切れていた。
ゆうちゃん…?晶の思考回路が、一瞬、止まった。
「ゆうちゃんが来てる…?」
「どうしたの?晶」
「ごめん、急いで帰らなくちゃ」
「え?晶!?」
あかりを置いて、晶は走り出した。何を考えたらいいのか分からないくらい、頭の中は真っ白だった。
「ただいまっっ!!」
玄関のドアを開けて、晶は信じられない人物を見た。
月峰悠だ。
「晶、久しぶり」
ハスキーな声で、今確かに彼女は“晶”と呼んだ。
「晶、憶えてないの?ゆうちゃんよ、幼なじみの」
「こんな格好だけど、一応男だから…」
晶は言葉も出なかった。あの悠がゆうちゃん…?確かに名前も同じで、どことなく似ているとは思っていたが、まさか…。
「理由はちゃんと話すから、とにかくそこから動いてくれないか?」
「あのぅ…」
晶は恐る恐る聞いてみた。
「それ、趣味?」
「違うっ!好きでこんな格好してる訳じゃねぇ!!」
「まぁまぁ、とにかく二人とも入りなさい」
部屋に入って、母が大体の事を話してくれた。月峰悠は、正真正銘あのゆうちゃんで、きちんと男であるということ。
そして、晶が引っ越した後、とある事情で、女として育てられたこと、など。
「俺も嫌だったよ。出来れば男として育ちたかった。けど、死にたくなかったから、仕方なくね」
「女になることと死ぬことと、どう関係があるのよ?」
晶に言われ、悠は、晶の母に席を外してくれるよう頼んだ。母は、静かに扉を閉めて、「ごゆっくり」と言って出て行った。
悠は真剣な顔で話を始めた。
「俺の両親は、晶が引っ越した後、殺されたんだ。正確には、“喰われた”、と言った方がいいな」
「喰われた…?」
「ああ。俺はたまたま家に居なくて、帰ったら家中血だらけ。そこに死体は無かった。喰われたとしか言い様が無いだろ?
4歳児の俺はどうしようもなくて、結局は祖母の家に引き取られた。そこで初めて、両親は俺のせいで死んだってことが分かった」
「どういうこと?」
「最初っから奴等は、俺を狙って入って来たってことだ。それに、晶にやったあの石…」
「これのこと?」
晶はポケットから石を取り出した。
「よかった、まだ持ってたんだな。それは、俺達を護ってくれる石らしい」
「じゃあ、あたしにこの石をやったせいで…」
「それは違う。どうせそれがあったって、結末は変わらないよ」
それから少し、沈黙が流れた。
「俺は、また狙われないように、女として生きなければならなくなった。別の人間として生きろ、“男の悠”は死んだんだ、ってね」
悠は寂しく微笑った。もう、あの頃の悠は、笑顔は、もうどこにもない。暗い影が落ちている。
今までは、それが逆にミステリアスな空気を漂わせていたのだが。
「ねぇ、これからどうするの?」
「今まで通り、かな」
「そっか」
帰り際、晶は「そうだ!」と言って、悠に尋ねた。
「ねぇ、前みたいに、悠ちゃんって呼んでいい?」
「いいよ」
悠は、さっきより明るい笑顔で微笑んだ。
「あ、それと」
「ん?」
「本当に病気なの?」
「え?ああ。違うよ。ほら、男と女じゃ身体(からだ)つき違うだろ?それを隠す為のカムフラージュ。
祖母が色々と手を回してくれたんだ。じゃ、また明日な」
「え?一人で帰っても大丈夫なの?」
「俺、運転手とお付居るから」
見ると、外国の高級車――車種は晶にはよく分からない――と、ドアの前に男がいた。
「あれ?あの人…」
おつきの男に、晶は少し見覚えがあった。と、晶はある物に気が付いた。
「あっちょっと待って、悠ちゃん」
晶は呼び止めようとしたが、車は走り出してしまった。
「もう…。カバン忘れちゃってるよ…。ていうか、悠ちゃんのおばあさんって、お金持ちだったんだ」
「晶ー!」
母が玄関から出てきて、「あら、悠ちゃんもう行っちゃったの?」と言った。
「早くご飯食べなさい!もう、悠ちゃんも食べて行けばよかったのに…」
「お母さん、悠ちゃんが女として育てられた理由知ってるの?」
「え?ああ。女が生まれて欲しかったおばあさんがそうした、って聞いたわよ」
「ああ、そっか」
「それより、早く上がりなさい。せっかくのご飯が冷めちゃうわ」
「はーい」
どうやら、悠は本当の事は言わなかったらしい。
でも…。晶は何か引っかかっていた。
悠は、まだ何か隠している。それに、あのお付は誰だったのか…?
晶はその日、なかなか寝付けなかった。
第二話:解放
夜の街を、一台の黒いベンツが走っていた。
「よかったんですか?」
「何が?」
「石、ですよ」
「ああ。別にいいんだ」
悠は、流れる外の景色を見ながら、ぼんやりと考えていた。
俺は何故、晶にあのことを話したんだろう?本当は、巻き込みたくなんかないのに。
いや、結局は、巻き込まざるを得ないのだ。でも何故、正体を明かしてまで会いに行った…?
悠の脳裏をふと、祖母の言葉がかすめる。
『あの石を持つ娘、日吉晶は、お前を護ってくれる。石を持つなら、尚のこと』
祖母は、全てを知っている。悠や晶の持つ宿命(さだめ)と能力(ちから)のことも。
「限界ですか?」
「え?」
「そうして偽りながら、生きてゆくことは、もう、限界ですか?」
「限界、か」
悠は遠くを見つめながら。しばらく黙っていた。
「そうかもしれないな。…けど、そうじゃないかもしれない」
「……」
「時が来れば分かる、だろ?」
「……はい」
お付の男は、やわらかく微笑んだ。
「おはよーっ!」
あかりが、ハイテンションで、晶の方へ走って来た。
「…おはよう」
「晶どうしたの?寝不足?」
「う〜ん…まぁそんなとこ」
晶が寝付けたのは、夜中の三時頃だった。色々考えて、眠れなかった。しかも、変な夢まで見た。
悠の背中に透明な翼――月の光で、金色に輝いている――が生え、高く舞い上がる、という夢だった。
とても不思議な、でもどこか見覚えのある光景。
晶はおもむろに、ポケットに手を入れてみた。石はまだ、ある。
昨日返そうとしたがのだが、悠に「持ってろ」といわれ、そのままだ。
「そういえば、今朝って全校集会があるよね」
「え?知らない」
「えー!?晶ってば、先生の話ちゃんと聞いてた?昨日」
「ごめん、なんか昨日から頭痛ひどくってさ。薬飲んでも治んないみたい」
「もしかして、頭痛持ち?」
「いや、違うけど、なんかね。昨日から急に痛くなったんだよね。雨が降り出したくらいだったかな。
殴られるような感じがして、それから」
「病院行った?」
「まだ…」
「早めに行きなよ?何か別の病気かもしんないよ?」
「んな縁起でもないこと言わないでよ。大丈夫、絶対違うから」
「分かんないよ〜?」
絶対違う。頭痛は、悠と話している時も、邪魔してきた。いや、もっとひどく、痛みと熱を帯びていた。
悠が帰った後、何故かすっと、和らいだ。でも、治ったわけでもなく、今もずっと痛みは消えずに、そのまま。
晶は、もう丸一日近く、痛みに耐えている。少し吐き気もする。
体育館の中は、梅雨でもないのに、湿気と、夏特有の熱気が、渦を巻いていた。
晶にとっては、まさに地獄だった。しかし、悠もそれは同じだった。
カムフラージュとはいえ、さすがに長袖にタートルネックはきつい。
我慢だ、我慢――――。悠はただ、話すことだけに集中しようとした。
「皆さん、お早うございます。今日の集会は――――」
壇上に上がり、悠は会長のあいさつをしながら、むせ返る様な空気と格闘していた。
五分程経った頃、突如、声がした。
「こんな所に居たのですか、華宮夜(かぐや)姫」
爆音と共に、朱い煙が辺りに広がって、中に少年が浮かんでいた。
「おま…えは…っ」
悠は、苦しそうに息をしながら、少年に目を向けた。身体に力が入らないらしく、床にひざをついていた。
背中には、うっすらと光が灯っていた。
「帝の使者か…?俺の命を狙っている、帝の…」
「分かってるんじゃないですか」
「不意打ちは…卑怯じゃないのか?」
「今更何を。さぁ、早く姫を解放してくださいよ。その“器”から」
「嫌だね」
「では…」
少年は目を見開き、剣と共に、悠に向かって来た。
「その命、帝に捧げろ!」
「…馬鹿な奴」
悠は、手を前に突き出し、何かを唱えた。すると、大きな光の輪が現れ、少年はがんじがらめになった。
生徒達は、何が何だか分からなかった。
晶は、この混乱の中、自分の中で何かが目覚めるような感覚がしていた。悠の方を見ると、隣には、見覚えのある男が居た。
「あれは…蒼紅さん…?」
その時、晶の身体は光を発して、透け始めた。
「何…これ」
生徒達から悲鳴が上がる。
「晶…!?」
悠は目を疑った。
祖母の云った通りだった。晶は“切り札”だ。
悠は嘲笑って、蒼紅に呟いた。
「…“解放”する」
「!!?」
「力も、本当の自分も」
「しかし…っ」
「もう、限界だ」
悠が本気だと分かると、蒼紅は微笑み、
「分かりました」
と一言、云った。
「お前たち…」
声の方に二人が振り向くと、少年は自由の身になっていた。
「許さない…!!」
少年の瞳(め)が、紅く光り出し、深い闇が広がり始めた。
「悠様、ここは私に任せて、早く“解放”を!」
そう言うと、蒼紅の瞳も紅く変化し、少年に向かい光を放った。
「ありがとう…」
悠は、背中の光を実体化させ、翼で中に舞い上がった。
「我ここに、月の力、解放せん」
悠の身体は白い光を放ち、十二単を着た少女に変化(へんげ)した。
『帝…かわいそうな人』
「とうとう解放したか!その命、もらった!!」
「!!悠様っ!!」
少年の標的は、姫と化した悠に変わった。
『愚か者め』
悠、いや華宮夜姫は、哀れみの目を少年に向けた。
『…滅』
その瞬間、少年の身体は気化した。
『こちらの願いも聞き入れず、一方的に要求を通そうとするなど、愚かなこと。帝、もう遠慮は致しませぬぞ』
そう言うと、姫は悠に戻った。
と、ドサッという音と共に、また悲鳴が上がった。晶が倒れたらしい。
悠は、皆の注目を集めながら、晶の方へ近寄り、ポケットからはさみを取り出した。
そして突如、自分の髪をバッサリと切り、そっと晶を抱き上げ、皆の前で宣言した。
「私は、いや、俺は今から女を辞める!」
男に、戻る―――――。
あとがき
まともに書けた小説です。“かぐや姫宇宙人説”を元に(そんなのあったのか?)書きました。
やっと悠がカミングアウトしたので、これから真相に迫る!という感じです。
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