逆転の旋律〜終わらないDL6号事件〜(光のエピローグ)
「実は、私・・・・・・・・・ッ!!?」 証人席の女性は、いきなり首を押さえて悶え始める かと思うと、証言台の陰に倒れ込んでしまった 「美歌ァァァァーーーーッッ!!!」 被告席の男性は、いきなり顔を乗り出して叫んだ 証人席で倒れる婚約者に向かって  ――いったい、どうなってるんだ? 私がこの騒ぎに戸惑ったその瞬間、検察席の男の口元が緩んだ ひょっとして・・・ 「狩魔検事ッ! ひょっとしてこの証人に、何かしたんじゃないですか!」 「はて、我輩には心当たりがないな」 「とにかく、こうなってしまった以上裁判の収拾がつきません  証人を病院に連れて行くため、しばらく休憩とします」 悪野裁判官の木槌だけが、空しく鳴り響いた 被告は証人を心配して、法廷の外まで見送りに行ったようだ。 私はさっきの出来事について考える。 狩魔豪のあの不敵な笑み、きっとまた何か不正を行ったに違いない。 彼女は何か重大なことを言おうとしていた。 それを隠そうとして、狩魔検事は彼女の口を封じたのではないのだろうか・・・ 「御剣弁護士・・・」 被告の柔らかな口調が、私の名を呼んでいた。 その彼の右手には、さっきまで持っていなかった小さな小ビンが握られていた。 「美歌を見送るとき、検察側控え室を通った。その時にこの小ビンを見つけたんです」 彼はそう言って、私にその小ビンを手渡した。 ひょっとしてこれは、さっきの不正に使われた物ではないのだろうか―― 「それでは、法廷を再開しましょう」 「証人が倒れてしまった以上、裁判は続けられまい。  しかし、先程の鈴鳴聴真の証言だけで充分判決は下せるであろう」 狩魔検事は指を鋭く鳴らして、そう言いきった。 「異議あり!」 私は思わず叫んでいて、被告から貰ったあの小ビンを突きつけた。 「狩魔検事!先程あなたの控え室で、こんな小ビンを見つけました。  ひょっとしたらあなたが、今の証人にこの薬品を盛ったのではないですか!?」 「下らない。そんな証拠がどこにあるというのだ」 「なら、狩魔検事。この薬を飲んでみてください」 「な、何だと!?」 「あなたの控え室にあったのだからあなたの物です。飲めないはずはないでしょう!」 「い、異議あり!」 狩魔検事の放った異議。だが、その顔からは汗がこぼれ落ちている。 「そんな必要はない。裁判官、さっさと判決を下すのだ」 「そうはいきません。あなたはこのビンの中身を使って彼女の口を封じたんだ。  薬物を使って証人に危害を及ぼした。狩魔検事のやったことは立派な不正行為です!!  狩魔検事に、その詳細を要求したい」 私の指さす検察側の先には、まるで動揺の色を見せない検事が一人。 被告席でうなだれる彼や、証人席で倒れた彼女のためにも、ここで退くわけにはいかない。 二人のためにも、私はここで明かしてみせる。 目の前の男がやらかした最も卑劣な立証方法を。 「我輩は不正など知らない」 「なら、このビンの中の液体を飲んでください」 「そんな無駄なことをしている暇など無い」 「なぜ飲めないのですか!?そんなに危険な薬品なんですか?」 「弁護士の過剰な妄想のために、我輩が動くまでもない。ただ、それだけだ」 「なら、せめてこのビンの中身だけでも教えてもらいたい」 「弁護士!!いくら寛大な我輩でも、それ以上の追求は我輩の逆鱗に触れることになるぞ」 「話をそらせないでください!!」 言葉と言葉とがぶつかり合った、まさに死闘。 ここで退いた時点で、第三者である被告の運命が左右されることになるんだ。 負けるわけにはいかない。 「あなたと話していてもラチがあかない。  悪野裁判官、あなたはどう思われますか?  彼の不正は、先程の証人の容態から明らかです。  狩魔検事には何らかの“処罰”を下すべきではないかと」 悪野裁判官は考え込んだ。 そして、その光景を眺めながら、彼は笑っていた。いや、にやついていた。 「弁護士・・・最後に教えてやろう。我輩はこの25年間の検事人生。  “敗北”と“処罰”の2文字だけは、味わったことがないのだよ」 満面の嘲笑を浮かべてそう言い終えるかのを待っていたかのように、 悪野裁判官は大きく木槌を鳴らした。 「それでは、私の考えを述べたいと思います」 会場が一瞬のうちに静まりかえる。 「狩魔検事がその薬品を証人に盛ったかどうか極めて曖昧。  弁護側の立証は無効、そう言わざるを得ません」 「そ、そんなッ!!」 ほとんど審議もしないで、不正じゃないと言いきるなんて。 いくら何でも酷すぎる。 「だから言ったではないか。我輩は“敗北”という言葉を知らないとな」 裁判官が考えている時に見せたのと同じ、勝利を確信したかのような彼の笑み まさか、狩魔検事は裁判官をも操っているというのか・・・? 「ふざけるなッ!!」 「倒れた女の子が可哀想すぎるわ!!」 「どう見たってあの検事の仕業じゃないか!!」 「毒で口を封じてまで、有罪を取りたいのか。この最低検事!!」 「裁判官の判断もおかしいぜ。検事と裁判官は共犯なんじゃないのか!?」 私の心情に同調するかのように、傍聴席から無数の罵倒が飛び交う。 その光景はまるで悪夢。  ――この法廷は狂っている!! 私はただそう思うことしかできなかった。 「静粛に!! 静粛に!!」 雨あられのごとく降り注ぐ傍聴席の野次を受けながらも 悪野裁判官は、何とも思ってないかのように木槌を叩く。 静まりかえったところで一息つくと、悪野裁判官は最後の言葉を言い放った。 「狩魔検事に対する処分は、また後日をもって裁定します。  そして、天野川検察官夫人殺害事件において、  本法廷はこれ以上の審議を必要としません。判決を言い渡します」  ――  有 罪  ―― その2文字が、私の心に重くのしかかった。 ・・・これが、DL6号事件の始まりだった。 ・・・でも、私にとっては全ての終わりだった。  ――頭の中で流れていたのは、きっと悲しみの最終楽章(フィナーレ)だっただろう           【最終楽章】:Finale  そこは暗闇の漂う刑務所の廊下。私はただ、刑事の後について歩いているだけだった。 「ほら、さっさと歩け」  そう叫んで、私の両手の自由を奪う手錠を引っ張る。こうやられると、自分は犯罪者になったという自覚が高まる。  18年前は、愛を失った上に復讐されて殺されかけた被害者だったのに。  いえ、たとえ被害者であっても、誰も私に情けなどかけてくれない。不倫という名の過ちを犯した上での悲劇。 これは当然の報い。誰もがそう思っているのだ。この私でさえも・・・  だから、どうして私は誘拐を起こしてまで七音美歌を殺したかったのか、今となってはよくわからない。  その答えを求めるかのように、私はあの夜の出来事を思い出そうとした。  奏詞と再会した、あの天野川での出来事を―― 「まさか、人に見られてしまうなんて・・・。どうしよう、このままじゃ・・・」  運命はこの台詞から動き始めていた。  私はその日、天野川へとやって来た。花火大会の広告を見て、妙に懐かしい気持ちになったからだ。  自分が一度そこで死んだ、ある種思い入れのある場所。18年の時が経ち、私はそこに足を踏み入れたのだ。  そして、その台詞は聞こえてきた。聞き覚えのある、まるでその18年前の過去に拍車をかけるような懐かしくもあり、 ちょっと胸が痛くなるようなそんな声。  すぐにその声の主に気付き、私は声のする方へと駆け寄った。  思った通り、私の目の前には男の姿があった。18年前に私を捨てた芹緒奏詞の姿が。 「奏詞!!」  私は思わず叫んでいた。  彼は色々と後ろめたさもあってか、思わずビクッと跳ね上がって私の方を向いた。 「さ、沙月さん・・・?い、生きてたんですか・・・」 「それはお互い様でしょ」  そう、私たち2人は、互いに生きていてはいけない存在だった。  私は七音美歌に一度殺された。だから、私がこの地上に出ることは、私の死を認めた世の中に逆らうことになる。 だから、狩魔沙月はこの世にいてはならない。  奏詞は狩魔豪に一度殺された。その理由は、なんとなく想像はついた。灰根高太郎という男を私が知った時から。  なんでも、MPA事件が引き金となって起こった事件、DL6号事件の容疑者として灰根は捕まったらしい。 そして、一人の弁護士の手によって、彼は生きながらにして社会から抹殺された。奏詞が狩魔豪に消されたのと同じ理由で。  その理由は1つ。事件の真相をその人の口から漏らさないようにするためだ。  灰根高太郎の場合は、心神喪失になったわけでもDL6号事件の犯人でもないということ。  芹緒奏詞の場合は、本当は彼は真犯人の七音美歌をかばっていただけなんだということ。  いずれの場合も、外に漏れたら厄介な情報。だから、誰からも遠ざけるよう、 心神喪失や死亡を広めることで彼らを社会から除外した。  彼の死亡は狩魔豪がただ言いふらしていただけ。でも、たとえ口先だけの死でも、 一度“死んだ”芹緒奏詞はもうこの世にいてはならない存在なのだ。 「奏詞・・・一体、そこで何を・・・・」  私は思わず彼をのぞき込む。そして、彼の背後に2つの倒れた人影を見つけた。  1つは、致命傷なほどの血を流して倒れた初老の男。もう一人は、気絶した浴衣姿の少女だった。 「これってまさか・・・」 「人を殺したんだ。そして、その現場を目撃した少女を気絶させた」  辛そうな表情ながら淡々と話す彼。その彼の右足からは、おびただしい量の血が流れているのが見えた。 「奏詞、怪我してるじゃない!」 「殺す前に抵抗されて足を撃たれたんだ。大したこと無いよ」 「でも・・・血が・・・それに、気絶させたこの娘はどうするのよ」  私は目線を倒れた少女へと向ける。 「とっさに殴っちゃったけど、いずれはバレてしまう。このまま素直に自首するよ」  そう言って立ち去ろうとする彼。その彼のシャツの裾を、私は無意識のうちに引っ張っていた。 「大丈夫・・・私が・・・私があなたを守ってあげるから」 「え?」 「誘拐するのよ、この娘を。いないことにすれば、当分の間はバレずにすむ」  このときの私の頭の中は、きっと恐ろしいことがいっぱい詰め込まれていたと思う。 「近くに廃墟があるの。私が隠れ住んでいるところ。そこでしばらく身を隠すべきよ」  自首なんて絶対にさせない。誰にも奏詞の姿を見せてはならない。  奏詞を私一人のものにするのよ・・・。いまや、奏詞は私の手の中にいるんだから。 「で、でも・・・」 「このまま自首したら、あなたはまた刑務所の中よ。婚約者に会えなくても良いの?」 「ッ!!」  そう言っても、私を殺した七音美歌に会わせる気なんて毛頭無い。  ほとぼりの冷める頃には、奏詞はもう私の物よ。誰にも渡したりなんかしない。 「人が来ないうちに私の隠れ家へ向かいましょう。有田入町だからすぐ近くよ」  自分の火傷の手当に使う手持ちの包帯で、奏詞の足に応急処置を施した。  私は奏詞の使ったと思われる凶器の銃をしまいこんだ。それが凶器の拳銃ではなく、 被害者が抵抗する時に使った銃だということも知らずに。  そして、少女を担ぐ奏詞と共に現場を後にした。  奏詞を手に入れたことに対する喜びで、私の顔は自然とにやついていた。  その後で、ニュースで芹緒或人が逮捕されたことを知ると、奏詞は怪我のことも忘れて飛び出した。 死んだと思われていても、10歳離れていても、それは紛れもない弟。だから、心配でしょうがない。  ただ、たとえ弟であっても、彼と奏詞を会わせるわけにはいかない。奏詞は私一人のモノよ。 「いい。あなたは今は亡き存在なんだから、知り合いなんかに絶対顔を会わせちゃダメよ」  だから、私は彼に何度もそう念を押した。  事件の行方を影で見守っていた奏詞の話で、七音美歌が証人として出廷することを聞いた。  18年前に私を殺そうとしたあの女。その時に私は、彼女に対する殺意が芽生えた。  そして、眠らせた少女の身元確認のために、携帯電話のメモリーをチェックしてみた。 すると、そこには成歩堂龍一の名が登録されてあった。  奏詞の話にも、弁護は成歩堂龍一がすると言っていた。ひょっとしたらその弁護士を利用して、 七音美歌に復讐することが出来るかもしれない。  そう思ったらいても立ってもいられず、その人に電話をかけていた。  ――人質を返してほしくば、証人として出廷する七音美歌を引き渡せ  と。まさか、その人質が自分の娘だったということも知らずに・・・ 「私はただ愛情が欲しかっただけなの・・・誰か一人でも、私を心から愛してほしかったのよ」 「ツベコベ言ってないでさっさと歩かんか!!」  留置所の看守はそう叫んで、乱暴に私の手錠を引っ張る。  私に誘拐した動機があるとすれば、その言葉の通り。どんな形でも良いから、 私は奏詞への愛をつなぎ止めておきたかった。ただ、それだけだったのよ・・・  もう私から言葉を出すことはなかった。これ以上言ったところで何も意味はない。だって、私はこれから―― 「沙月さん・・・」  私の思いを一瞬だけ遮ってくれた彼の声。通路の反対側から見えたのは、同じように警官に付き添われて歩いている奏詞の姿だった。 「すみません。少しだけ、彼女と話をさせて下さい・・・・・・お願いします」  切羽詰まったような表情で、私と自分の傍にいる警官2人に必死に頼み込んだ。  彼のその言葉に警官たちも心動かされ、少しだけ私と話す猶予をもらった。その光景は、なんとなく寂しげだった。 「自分のせいで沙月さんまで巻き込んでしまって、本当に・・・」 「何言ってるのよ。あなたが自首しようとしたのを、私が止めたんじゃない。巻き込んだのは私の方よ。本当にゴメンナサイ」  お互いに深々と頭を下げる。でも、全て悪いのは私。 私の自分勝手な情に任せてしまったばかりに、彼の罪は重くなってしまったのよ。 「さっき沙月さんが言った言葉、聞いてしまった・・・」 「え?」 「愛情が欲しかった・・・自分が優柔不断なばかりに、不倫という形であなたの愛に対する気持ちを乱してしまった」 「そ、そんなことは・・・」  言葉が続かない。だって、MPA事件当日、彼が燃えている私よりも殺意に満ちた七音美歌をかばったことで、 私の気持ちが揺らいだことは事実だから・・・ 「自分が言ったところで全然説得力がないかもしれないけど、自分なんかよりもあなたを愛する人はいたはずだ」 「慰めなんてやめて。私の夫は仕事一筋で私なんて見てもくれなかった。 18年前、私を愛してくれているのはあなただけだと思ってた!!」  涙を流すのをこらえていても、声は自然と震えていた。 「狩魔豪がどんなにあなたを愛していたのかは自分にもわからない・・・でも、あなたのお嬢さん、 狩魔冥さんはあなたのことを愛していたはずだ。おそらく、今でも」 「何であなたにそんなことがわかるのよ・・・」 「自分があの裁判の後で、罪状が決まるまでまた留置所に入れられた。その面会で、或人が言っていたんだ。 “狩魔冥が泣いていた”って・・・」  メイが泣いていた?噂で聞く今のあの子は、あの人にカンペキに育てられ、まるで機械のように人を裁く冷酷な検事。  でも、当時はまだ2歳。あの子にもまだ、そんな感情的な時があったのかと思うと、 当たり前のことなのに私は驚くことしかできなかった。 「つたない言葉で必死に言っていたみたいだよ。“ママを殺してしまったのは、引き止めなかった私が悪いんだ”って・・・」 「ッ!!?」    ――ねえ、ママ。どこに行くの?  あの人に酷いことを言われ、私は気がついたときには芹緒奏詞を待っていた。  そのせいで、私は心の中にずっと閉じこめてしまっていた。メイが悲しげな表情で繰り返し言っていたその言葉を。  ――行かないでよ、ママ!  頭に血が上っていた私には、あの子の言葉なんて耳にも入らなかった。だから、何の躊躇いもなく河川敷を飛び出してしまった。  今となって再び思うことは、ただ単に後悔の念だけ・・・ 「今でもきっと、彼女はそのことに罪悪感を抱いているんじゃないのかな」 「もう18年も前の話よ。あの子もきっと忘れているわ」 「そうかな?だったらどうして、監禁された彼女は何も言わなかったんだろう。あなたが誘拐したのは自分の娘であることを」 「そんなの、死んだ母親の顔を忘れているからに決まってるでしょ」 「自分はそうは思わない」  いつになく真面目な表情になって、彼は首を横に振った。 「あなたと事件現場で再会したとき、自分ですらあなたが狩魔沙月だとすぐにわかった。娘ならなおさらわかるはずだ」 「だったら何なの?」 「今でも罪悪感を抱いていたから、彼女は何も言うことが出来なかったんじゃないのかな。 “母親を殺してしまった自分が、誘拐を犯したあなたに文句を言う資格はない”って思いこんで」 「そんなことって・・・」  信じることが出来ない。監禁して暴力までふるった私を、今でも娘が愛してくれているなんて、そんなこと・・・ 「自分は信じたいな。愛は何も異性と作るだけじゃない。親子とだって、立派な愛情は築けると自分は思うんだけどな」 「バカな子ね・・・メイは何も悪くないのに。悪いのは全部、私のせいなのに・・・」  私だって信じたい。信じたいからこそ、思わずそう言ってしまった。 「あなただってそう。お嬢さんと一緒さ。要らない罪まで全部、自分一人で背負ってしまう。悪い癖だよ」  彼は少し微笑むと、私の肩を優しく叩いた。 「自分の罪は自分で償う。あなたが背負う必要はない」  でも、彼のその言葉には、何か威厳と冷酷さを感じた。 「自分が優柔不断なばかりに、あなたには余計な罪まで背負わせてしまい、あなたを苦しめる結果となってしまった」  再び真剣・・・いや、もっと重みを感じるような表情で私を見つめてくる。 「だから、自分はここに1つの決断を下したいと思うんだ」  彼は溜め息に似た深呼吸をすると、唇を強く食いしばって言葉を放った。  ――ワカレヨウ  私の耳は、その言葉をうまく変換することが出来なかった。  わかっていた結末のはずなのに、私の頭の中はそれを認めることが出来なかった。 「自分から言えることはただそれだけだ。やっぱり、2人の女性を同じぐらい愛することなんて、自分には出来ない。 本当に、ゴメンナサイ・・・」  彼はそう言い残すと、警官の方へと寄って深々と礼をした。 そして、付き添いの警官と共に再び歩き出し、私の横を通り過ぎていった。 「話は終わったな。それじゃ、行くぞ」  あまりにも無情に聞こえる看守の声が、私の心により深く傷を負わせた。  ・・・狩魔冥さんはあなたのことを愛していたはずだ  それを唯一救ってくれたのは、彼が残していったその言葉だった。  たとえそれが真実じゃなかったとしても、私にはそれが嬉しかった。私は誰からも愛されていないワケじゃなかった。  今だったら、悔いなく私の思いを実行に移せそうな気がする。 「何を止まってるんだ。ほら、早く・・・」  看守の言葉はそこで止まった。私の思い詰めた眼に恐怖を感じたからだろう。 「大丈夫ですよ。もう看守さんに世話は焼かせませんから・・・」    ――ブチッ!!  あまりにも鈍い音が口の中で響き、次に広がったのはただ血の味だけだった。 「お、おいッ!!一体、お前、何をしたんだ!?」  私の口から溢れる尋常じゃないほどの血を見て、看守はどんどん血相を変えていく。 「舌を切ったのか!?なんてことを・・・」  慌てふためく看守。そして、急いで奏詞の後を追い、傍に付き添っていた警官たちを呼んでくる。  私が最後に見た光景は、その中で一人ポツンと通路にたたずんでしまった奏詞の姿だけだった。 でも、見えるのは彼の後ろ姿だけだった。 「ゴメンナサイ、沙月さん・・・。自分はあなたとの関わりを断ち切った。だから、もう振り向きません。 駆け寄りません。これ以上、あなたを迷わせたりはしない・・・」  最後の言葉に、彼は私にそう言った。  彼の言うように、死ぬ前に下手に情をかけられるよりはマシかもしれない。  でも、少し寂しかった。私はここで独りぼっちで死ぬのだから。  でも、遠いところでは、メイが私のことを思っている。  そう信じ、私は彼の震える背中を見ながら、ゆっくりと目を閉じた。 これが2度目となるであろう、今度こそ本当に永い眠りのために。 「メイ・・・」  監禁場所で現行犯逮捕し、狩魔沙月を送検してから数時間。メイはそこから動こうとはしない。 ただじっと、母親がパトカーで去っていった先を見つめているだけだった。 「その・・・何といえばいいのか・・・」  言葉が見つからない。父親に引き続き、母親までもが罪を犯したのだ。完全な孤独を味わう彼女の心は、 言葉1つで和らぐほど単純なモノではないはずだ。 「慰めなんて要らないわ。あなたに言われると、余計に落ち込むだけよ」  強がってはいるけれど、彼女の目尻は少し歪んでいた。 「薄々わかってはいたわ。監禁中は顔だって隠してなかったし、聞こえてくる声にも聞き覚えがあったから」 「だが君は、自分が娘であることを告白しなかった」 「当然ね。あの状況で犯人を刺激するようなことを言ったら、それこそ何されるかわかったものじゃないわ」  強がってはいるけれど、本当は君は怖かったのじゃないのだろうか・・・。自分の母親が誘拐犯であるという事実が。 「それに、確信が持てなかったのよ。誘拐犯の方も、私に何も言ってこない。ママの方も、私の顔を忘れてしまったようね・・・」 「果たしてそうだろうか。ひょっとしたら彼女も、君が娘であることを薄々感じていたのかもしれない」 「言ったでしょ。慰めならやめてって!」  私の方を振り向いたかと思うと、強気な態度で攻めてくる。  だけど、そんな見せかけだけの表情とは違って、私の言葉は証拠品がついてくるのだよ。 「君が最初に監禁された場所に踏み込んだ時、君の《サンダル》を見つけた。 おそらく、ここに運ばれるときに落としてしまったのだろう」 「ええ。現に私の右足は何も履いてないわ」  右足に視線を落としてみると、ずっと素足なために少し汚れてしまったその足が浴衣の裾の下から見えた。 「そのサンダルには『May』と書いてある。その名前を見て、狩魔沙月は君が娘であることを勘づいていたのかもしれないのだよ」  慰めといえば慰めにもとれる。しかし、私にはこれが真実であってほしい、そう願っていた。  私は言葉と共に、糸鋸刑事に法廷から届けてもらったサンダルを元の持ち主へと返す。 「その可能性・・・なくはないかもね」  サンダルを受け取ったメイは、意外にも素直に私の言葉を認めてくれた。  彼女はサンダルに書いてある自分の名前を見つめ、感傷に浸りながら口を開いた。 「冥っていう名前はママがつけてくれた。5月の英語である『May』になぞらえて。 だから私も、英語で名前を書くときは『May』と書くようにしてるの」  『Mei』ではなくわざわざ『May』と書いてある。自分が名付けた由来なのだから、 これを見て狩魔沙月がメイを娘だと気付いても不思議はない。 「私が生まれた当時、パパは48歳。ママは25歳。有り得ないぐらいの年の差結婚だって、当時はだいぶ騒がれていたわ」  確かに、20歳以上年の離れた夫婦なんて私も聞いたことがない。 「ママは警察病院の看護婦だった。事件に巻き込まれてパパが大怪我を負った時、 ママに治療してもらったことが出会ったきっかけみたい」  なるほど。彼女が看護婦だったから、火傷の手当も芹緒奏詞の傷の手当ても一人で出来たというワケか。 「私の姉さんの名前、覚えてる?」 「たしか、純(じゅん)だっただろうか」 「そう、純と冥。ママは私の名前を名付けるとき、6月のJuneと5月のMayで重ねることも出来るってはしゃいでたわ」  私が狩魔豪に弟子入りしていた時代、師匠から何度かメイの姉の話も出ていた。 既に結婚して子どももいて、飼い犬に“リュウ”と名付けているらしい。 「パパは姉さんを検事にしようとしたんだけど、ママが断固反対したの。“この子の道ぐらいこの子に決めさせてあげて”って。 だから、パパに洗脳されていない純粋な子になるように、そんな意味を込めて“純”って名付けられたらしいわ」  そして、狩魔沙月の名付けた思惑通り、彼女は狩魔豪の敷いた検事へのエリートの道を捨て、今の幸せな家庭を持ったということか。 「私が生まれたときも、ママは検事にすることをずっと反対していた。でも、MPA事件でママが死んだら、 パパはチャンスとばかりに、裁判が終わってすぐに私をアメリカに留学させた」  彼女は明後日の方向を見つめている。きっとその視線の先には、18年前の彼女の悪夢が映っているのだろう。 「留学した私は、そこで検事としての道を歩んだ。それが、今の私。皮肉なモノよね。ママの言うことに背いたために、 誘拐なんて仕打ちを受けたんだから」 「しかし、君は検事としての自分に後悔しているわけではないのだろう?」 「モチロンそうよ。でも、私にはママに対して知らず知らずのうちに逆らってきた。それが自分でも許せなかった」 「それは・・・君が全て狩魔豪に導かれたことであって・・・」 「それはもっと許せない。パパがママを愛していなかったなんて・・・私、信じたくない!! でも、それが真実だった。だから、今の私があるのよ」  自分という証拠品を提示することで、自分の最も嫌う真実に辿り着く。これこそが真の皮肉ではないのだろうか?  だが、そんな物はすぐに断ちきることが出来る。なぜなら、彼女の言うことは、真実とは断言できないのだから。 「狩魔豪は、本当に狩魔沙月を愛していなかったのだろうか?」 「そうよ。そうじゃなければ、ママが死んですぐに私をアメリカに留学させたりなんかしないわ」 「それはきっと、君が母親のことを思い出して悲しまないようにするためだったのではないか?」 「にしても、わざわざママの嫌っていた検事にしなくても良いじゃない。もっと他に、方法はいっぱいあったはずよ!」  長い間狩魔のやり方を学んできた私でも、師匠の考えを全て理解することは出来ない。  でも、私は私なりに、1つの結論を下してみたいとは思う。たとえそれが間違いだったとしても、 私にはそう思っているだけで幸せなのだ。  “宿敵だった御剣信の息子である私を、なぜ弟子にとったか?”、そんな答えの出ない質問も全て、 私なりに導いて心の中に閉じこめてきたのだ。 「きっと師匠は予感していたのかもしれない。あの裁判のあと、自分の身に何かが起こることを」 「それって・・・」 「そう、DL6号事件だ」  MPA事件の裁判の直後、DL6号事件は起こった。そして、私の投げた拳銃が暴発して狩魔豪に弾丸が当たり、 彼自身の手で私の父を殺害した。そんな悪夢を彼が事前に予期していたとすれば・・・ 「師匠はあのあと、怪我の治療のためにしばらく休暇を取っていた。当然、狩魔豪は自分の過ちと妻の死で精神状態も 安定しなかったはずだ。そんなボロボロの自分よりも、君に託したのかもしれない。MPA事件の真実を見つけることを」 「つまり、ママが死んだ事件に執着があったからこそ、私に本当の謎を解いてほしかった、と?」 「そういうことだ」 「でも、真犯人の七音美歌を裁くよりも、パパは芹緒奏詞を裁く方を選んだのよ。ママへの愛よりもカンペキの経歴をとった。 それなのに、今さらになって真犯人を裁けだなんて、虫がよすぎるわ!!」 「彼は安易に無敗の経歴をとったわけではない。それに、この事件は完全に終わったわけではない」  MPA事件の真犯人は七音美歌。確かにこれは揺るがせない事実であろう。だが、 カンペキを目指す狩魔豪が、彼女に目を付けないわけがない。  つまり、師匠は初めから知っていたんだ。真犯人が誰なのかを。わかっていながら、 あえて裁判に臨んで、1つの判決を下したんだ。  それが、七音美歌をかばった芹緒奏詞への有罪判決。その偽りの判決の裏にも、闇が隠されている。 そして、その闇はまだ晴らされてはいない。 「MPA事件、DL6号事件、悪野裁紀殺害事件。この3つの事件の真の意味を知ったとき、我々は辿り着くはずだ。 逆転に逆転を重ねた、完全なる“真相”に」  全てがまだ終わったわけではない。明かされていない真実がそこにはある。私はそう確信していた。  メイはこの事実に口をただ開けて呆然としているだけだった。そんな彼女に私は最後の言葉をかける。 「その真相に辿り着いたとき、狩魔豪は狩魔沙月を本当に愛していなかったのか?その答えも自ずと出てくるはずだ」  そして、そこに辿り着くのに時間はかからない。  黒原健司・・・その答えの一番のキーとなる人物がヤツだ。ヤツに再び出会った時。 それこそがこの事件の本当の最終楽章となるのだろう。 「アンタとの約束・・・ちゃんと果たしたぜ」  僕の目の前には或人くんが座っていた。そして、それを仕切っていたのは薄いアクリル板1枚。 たったこれだけの板で、僕と彼の間には大きな意味を持っていた。 「無罪を獲得したら自分の罪“捜査妨害罪”を認めて罪を償う、だったね」 「アンタは約束通り、俺を無罪にしてくれた。だから、今度はオレが守る番なんだ」  彼の目は妙なほどに輝いていた。最初に留置所で見たときよりもずっと。  いや、初めてあったときの目が死にすぎていたのかもしれない。あの時の彼は、怖いぐらいに周りが見えていなかった。 僕にはそう感じた。 「でも、まさか本当に無罪になるとは正直思ってなかった」 「え?それって、僕が君を守れなかったってこと?」 「悪いけどオレ、絶対に無理だと思ってたんだ。だって、それほど有能な人に見えないし、アンタは」  彼は無邪気に笑いながら、ちくちくと胸に刺さる言葉を言ってくる。 まあ、確かに僕は、バッジを付けないと弁護士と信じてもらえないような男だけどさ・・・ 「な、なるほどくん。そんなことで落ち込まないでよ」 「じょ、冗談だよ。無実を証明してくれて本当に良かったと思ってる。やっぱスゲェよ、アンタは」  あれほど怒りっぽい彼が、こんなに笑っているのを見るのは初めてかもしれない。  最初は、弁護士や裁判は嫌いだといっていた頃に比べれば、もの凄い快挙かもしれない。 「裁判嫌いはもう克服したのかな・・・?」 「まだ全てとまではいかない。MPA事件の裁判は、オレに深いキズを負わせてしまったんだからな」  彼はまた顔を歪める。ちょっと悪いことを言ってしまったかな・・・ 「オレはアニキを2度失った。MPA事件と、そして今回の事件。オレが無罪になった代償はあまりにも大きいんだ」  彼は無罪となり、代わりに兄の芹緒奏詞は逮捕された。MPA事件に変わる新たな傷を、彼は負ってしまったのだ。 「アニキが事件に関わっていることは、薄々わかっていたつもりなのに、やっぱり今でも認めることは出来ない」 「それが普通だよ。誰だって身内が犯人だなんて信じたくないよ」 「アニキは一度は死んだと思っていたのに、生きていたと思えばこのザマか。アニキの人生、もうメチャクチャだよ」  芹緒奏詞という人格を狂わせた人物。それを挙げるとするならば、おそらくは狩魔一族だろう。   夫の狩魔豪も、自分の無敗の経歴のために無実の芹緒奏詞を有罪にした。そして、彼の不正によって、 婚約者の声は奪われてしまい、深い悲しみに陥ってしまった。  妻の沙月は芹緒奏詞を婚約者から奪い取った上に、自分が死んでしまった殺人は芹緒奏詞が成り行きでかぶってしまった。 更には、今回の事件で共犯をそそのかしている。 「狩魔沙月は死ぬ直前に言っていたらしいぜ。“誰にも愛されないことが怖かった”ってな。それが誘拐の動機だ」  はじめ、狩魔沙月が自殺したと聞いたときはショックだった。  でも、一番ショックを受けたのは狩魔検事。もはや涙を流すこともしないほどに硬直し、そのあとは素直にその死を受け入れた。  元々は18年前に死んだはずの母親。ある程度の覚悟はあったのかもしれない。  そんな彼女を見て逆に、みんなは彼女に声をかけてあげることが出来なかった・・・ 「アニキも同じことを思ったんだ。自分が誰にも慕われていないんじゃないか、ってことが。 あんな口説き文句だって、その気持ちの裏返しでしかないんだ」  糸鋸刑事から、芹緒奏詞が被害者を撃った動機を聞いた。  僕は最初、自分を冤罪にした裁判官を許せないんだと思っていた。でも、彼の心情はそう単純ではなかった。  彼は知ってしまったのだ。悪野裁紀がMPA事件の裁判で、狩魔豪の不正の事実を知っていたことを。 不正をあらかじめわかっていながら、婚約者の声を奪った狩魔豪に何も処分を下さなかった。それが許せなかったのだ。 「アニキは自分よりも相手の方を優先する。いつでも、みんなのご機嫌を伺っているような人間なんだ。 だから、殺人だって何だって、自分が信頼している人間のためだったら何でもしてしまう。その人に嫌われないために」  それ故に、18年前は婚約者のために自らが無実の罪をかぶり、そして今回、その婚約者のために事件を起こした。  糸鋸刑事はまだ拳銃の入手ルートに辿り着いていないけど、それだけ計画的な犯行まで行ったんだよな。一人の婚約者のために・・・ 「バカだよ、アニキは・・・。もっと、自分勝手に生きたって良いじゃねえか。人のために、自分の一生を台無しにするなんて。 バカだよ、ホントに・・・」  そうやって陰口をたたきながらも、彼の体は小刻みに揺れていた。彼だって悲しくもあり、悔しいのだろう。 『私のせいで・・・奏詞は・・・』  僕らにはその声は聞こえない。  その台詞に気付いたのは、僕の背後で彼女の足音が鳴っていたのに気付いてからだ。 モチロン、その台詞の主は話題になっている張本人、七音美歌である。 「そうさ。全部アンタが悪ィんだよ。お前のせいで、アニキは・・・」  或人くんの表情が打って変わる。完全に敵意剥き出しの表情だ。 「お前がいなければ、アニキは普通の生活が送れた。18年前にアンタと婚約してから、アニキの人生はメチャクチャだ!!」  彼の怒声に、美歌さんはただ黙って聞いてあげることしかできない。まるで、自分の非を全て認めてしまっているようだ。 『私がいなければ・・・奏詞は捕まらなかった?』 「そうだよ。今さら何言ってやがるんだ!!」 「ちょ、ちょっと、或人くん。いくら何でも言いすぎだよ」  確かに、彼女をかばったせいで、18年前に芹緒奏詞は捕まった。でも、その道を選んだのも芹緒奏詞本人だ。 彼女が全て悪いわけではない。  いや、それ以前に、或人くんが彼女を責め立てている光景をこれ以上見たくない。 こんなことは、お互いに深い傷を負わせるだけだ。 『あなたの望み通り、私は明日にでも消えてしまうかもしれません』 「み、美歌さん!?」 『あの裁判で狩魔検事に飲まされた薬品で、私の身体は侵されています。薬はじわじわと身体を蝕(むしば)んでいき、 今はもう歩くことさえやっと』  その言葉を見た瞬間、彼女がスケッチブックを掲げる手が自然と震えているように見えた。  法廷にいるときさえ、彼女は笑ったり泣いたり怒ったり、そんな感情を顔には表さなかった。それは彼女が無表情なんじゃなくて、 表情が“作れなかった”からなんだ。彼女の身体の機能は、既にそこまで来ているということなのか。 『私はもういつ死んでもおかしくありません。もうあなたたちに迷惑をかけることもないでしょう』 「ば・・・バカヤロー!!そう簡単に死なんて口にすんじゃねえよ」 『でも、それはあなたが願っていることなのでしょ?』 「だ、だから・・・その・・・今のは言葉のあやというか・・・アァ、クソッ!!」  彼はどこにもぶつけられない怒りに翻弄され、グシャグシャに頭をかきむしる。 そして、一息ついて出来るだけ冷静な気持ちで口を開いた。 「アンタがそんなに思い詰めてるなんて知らなかったんだよ。 今さっき、お前のせいで知ってしまったじゃねえか。もう怒る気もしねえよ」  彼は横の方を向いた。表情は髪の毛に隠れてわからないけど、たぶん今の或人くんは照れているんだろうということはわかった。 「ありゃ、みんなここにいたんすね。これで、全員ゴーシュー(集合)だな」  今までの雰囲気を全て吹っ飛ばしてしまうほどの、気の抜ける発言者が一人加わる。 それは言うまでもなく、今回一番のトラブルメーカー、鈴鳴聴真だった。 「てめェまで来ることはねえだろ。一体、何の用なんだよ」  再び或人くんに怒りが戻る。どうも今回の容疑者は、一人一人が噛み合っていない感じなんだよな・・・ 「そう、ツンツンすんなって。俺だってさ、みんなに謝りたくて来たんだからさ」 「謝る?」  彼の性格からは考えられない言葉が飛び出したので、僕は思わずオウム返しをしてしまった。 それでも、彼は楽観的な顔を全く崩そうとせず、そのまま喋り始めた。 「今日のテーホー(法廷)だってさ、いろいろみんなに迷惑かけたジャン。 MPA事件でも、18年前は俺、間違った証言してたんだよな」 「ああ、そうさ。だから、オレは気に入らなかったんだ。アンタのようないい加減な野郎が証言しちまったせいで、 アニキの有罪が決定してしまったかと思うとな!!」  アクリル板を拳で強く打ち付ける或人くん。今事件で何度も打ち付けているせいか、アクリル板が少しへこんでしまっているようだ。 「逆さなのは言葉だけかと思ったら、18年前の目撃現場の町まで真反対だった。 今回の事件も、ピストルを撃ったのは犯人じゃなくて被害者だった。てめェの逆転劇はもう充分なんだよ!!」 「だから、謝りに来たんじゃないかよ」 「今さら謝られたところで、アニキの人生が戻ってくるワケじゃねえだろ!!」  逆転・・・僕が今までに助けられてきた言葉。だけど、今はその逆転のせいで、みんなが苦しんでいる。 僕でも今は、そんな光景を見たくはない。 「でも、鈴鳴くんの証言がなかったら、MPA事件の真相はわからなかった。 それに、今回の事件だって、ひょっとしたら間違った判決が下されていたかもしれない」 「だろ、だろ?じゃあ、やっぱり俺って、みんなのローヒー(ヒーロー)じゃん」 「調子に乗るなよ。どんな結果にしろ、みんなが迷惑したことに代わりはねえんだ」  或人くんはキッと彼を睨み付ける。その凄みに鈴鳴くんもビクッと跳ね上がって何も言わなくなった。 「わ、わかったよ・・・。ちゃんと謝るよ」  一瞬の間があって、彼は今までに見たことないぐらい真剣な顔になって頭を下げた。 「本当に、俺のせいでみんなに迷惑がかかってしまった。本当にすみませんでしたッ!!」  頭をしばらく下げたあと、ゆっくりと顔を見せた。その表情には、まだしおらしさが残っていた。 「薄々わかってたんだよ。俺はみんなのトラブルメーカーでしかないんだって。俺って、トントコ駄目なヤツだよな」 「トントコ?」 「“トントコ”は“とことん”に決まってるだろ!!揚げ足取りみたいに俺を責めて楽しいかよ!?」  な、何で僕が怒られなきゃいけないんだ!!?  というか、こんな真剣な場面でも逆さ言葉を使うのは止めてほしいな・・・ 「だからさ。俺・・・変わるよ。もう誰にも迷惑はかけないようにするよ。逆さ言葉もおフザケもやめる。 これからはちゃんと働いて真面目な人間になるよ」 「それがいいですよ。頑張ってください。クマさん!!」 「く、クマ・・・?俺の名前はキクマなんだけど・・・・・」 「細かいことは気にしないの、クマさん!!」  相変わらず真宵ちゃんの言っていることはメチャクチャだ。芹緒検事はセロリ検事だし、 どうやったらそんな間違いをするって言うんだ?  でも、さっきまで殺伐としていたムードが、真宵ちゃんの言葉で一気に和んできた。 或人くんも自然な笑みを浮かべ、美歌さんもうっすらと目を細めている。特に美歌さんは、 ただでさえ今まで無表情だったせいか、彼女の笑顔がいっそう明るく見えた。  ――芹緒奏詞 ――芹緒或人 ――七音美歌 ――鈴鳴聴真  MPA事件に関わった人たちは皆、ちょっと変わっていて性格もまるで違っている。 でも、それが1つにまとまった時、その調和は彼らをより人間らしくしてくれる。  たとえるなら、バラバラだった性格という旋律が1つになって“喜怒哀楽”というメロディーを奏でるように。  まさに大団円。これが僕らの演奏するフィナーレなのだ。 「にしても、アンタはフリーターなんだろ?ちゃんと働くっていっても、そんなアテがあるのか?」 「その点だったら大丈夫。ちゃんと良い仕事見つけてっから」  彼はそう言って、或人くんに向かって自慢げに親指を立てる。  かと思うと、突然クルリと僕の方に振り返って、鈴鳴くんは律儀にお辞儀をした。 「と、いうわけなので、今日から助手として働かせてもらう鈴鳴聴真です。よろしくお願いしますッ、先生!!」  ・・・えっ? 「うわァ、これでまた事務所が楽しくなるね、なるほどくん」    ・・・えっ、えっ!? 『良かったですね、鈴鳴さん。良い仕事先が見つかって』  ・・・えっ、えっ、えっ!!? 「良いんじゃねえの?ちょっとぬけてるモノ同士、気が合うってことで」  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「・・・・・ねえ、最後に一言だけ言っていいかな?」 「モチロンKO・・・じゃなくてOKだぜ!」 「思いっきり大声で叫んじゃって」 『私も聞きたいです。成歩堂さんの“あれ”』 「こんなに間近で見れるなんてカンゲキだな」  それじゃあ、皆さんのご期待に応えて・・・・・・・  ―――  異議あり!  ―――  【Fin.】

あとがき

とりあえず、光のエピローグの投稿は完了です。 改めてみてみると、どこが“光の〜”なんだかよくわかりませんね。 それなりにこちらの【最終楽章】は、柔らかく終わったつもりなんですけどね。 とりあえず、事件に関する色々なことを、この1話で明かしたつもりです。 たった1つの事柄を除いては・・・ それが、真の終章とも言える“闇のエピローグ” そのエピローグを書く前までは、ずっと思っていました。 『新たなる逆転の続編なのに、ほとんど前作と絡んでいない』と。 そういう理由から作ったのが、前作と絡めた完全なる真実を明かす闇のエピローグ。 とっさの付け足しなので無理が多く、内容も少しドロドロとしています。 そこのところをご了承した上で、最後に投稿される真の結末をお楽しみ下さい。

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