逆転の旋律〜終わらないDL6号事件〜(第7話)
   〜♪♪ ♪♪♪ ♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪  七音美歌が奏でたのはモーツァルトの『レクイエム』  『レクイエム』の楽譜は未完成のまま、モーツァルトは死んだのだ。  ゆえに、この鎮魂歌は終わることを知らないのだ―― いや、どうやったら終わるのかもわからないのだ――    多くの音楽家がその未完成の楽譜に自分なりのメロディーを付ける。  だが、どれもこれもモーツァルトのとしてのレクイエムではなかった。  未だに色々な鎮魂歌が流れ続ける。  この法廷の中にも流れる・・・悲しい旋律に合わせて。      〜シミ シラレ ラ シミラレラドシミ  彼女がレクイエムの最後をしめた時の、メロディーに合わない不協和音。  いや、正確にはものすごく小さな音だった。  異常なほど敏感な聴覚を持つオレだからこそ真の意味を聞き取れた。  それは、オレだけに宛てた七音美歌からのメッセージ。   〜BE BAD A BEADACBE  メイの暗号を解いた時の要領で、オレの頭は即座に音をコードに変換する。  だが、その考え方だけだと英文をなさない。  指揮者としての音楽知識を持つオレだからこそ真の意味を読み取れた。  それは、オレだけに宛てた七音美歌からのメッセージ。   〜HE HAD A HEADACHE  成歩堂さんに教えた『CDEFGAB』のコードはアメリカ式だ。  だが、バイオリンの本場とも言えるドイツで使っているのは、  BがHに変わった、『CDEFGAH』のコードなのだ。  それは、オレだけに宛てた七音美歌からのメッセージ。        ―― He had a headache ――      ―― 彼は頭痛を抱え持ってしまった ――  そう、今まさに目の前に映し出された光景だ。  オレが偽のアニキに仕立て上げた一人の男が、頭を抱え込んで絶叫している。  全てはオレのせいだ。  七音美歌はそう言いたいのだろう。  全ては自分勝手な欲望のために、オレはみんなを苦しめてきた・・・  警察の捜査はオレの細工で妨害され、そして目の前では検事が苦しんでいる。    ならオレは、そこから立て直さなきゃいけないんだ。  成歩堂さんが言ってたじゃないか。“発想を逆転させる”って。  オレの行動でみんなを指揮できる力があるなら、オレが先頭になってやるさ。  オレが向かうのはもう迷宮入りの道じゃない。真実への道だ。  その後をみんなが追えば、きっとみんなの求める真相がそこにはある。  ここから始まるのは、オレの指揮する追複曲(カノン)だ――           【第7楽章】:Canon  休憩は終わった。人が散った傍聴席にも、騒ぎがまた戻り始めている。  ただ1つ違うのは、一向に人影の現れる気配のない検察席。本当にアイツは大丈夫なのか・・・ 「私の方は大体整理がつきました。いやはや、まさか芹緒検事の正体が、あの黒原検事だったとは」  裁判長は一人納得している。 「しかし、困りましたな。彼は殺人を犯してしまっています。殺人犯に検事をやらせるわけには・・・」 「でも、今まで彼は芹緒検事として法廷に立っていました。支障はないのではないでしょうか」  黒原を敵に回すのは手強くなるが、なんとかしてここは彼を検察席に立たせたい。 「だが、これは法にもあることです。それに逆らうことは出来ないのですぞ」  裁判長が睨み付けてくる。  裁きの庭である以上、法の力は絶対。僕はもう言葉を返せなかった・・・ 「とりあえず、今日はもう閉廷して、最終日に別の検事を立てて――」 「異議あり!」  裁判長の言葉を押し切って放たれた強い異議。つい昨日の法廷でも聞いたはずなのに、何だか懐かしく感じられる。 もちろん、その声の主は―― 「この俺抜きで話を進めるなんて良い度胸してるじゃねえか、ジイさん。 この黒原健司を怒らせると、地獄の果てを見ることになるぜ!」  果敢にも勢いよく裁判長を指さす黒原。黒原が帰ってきたんだ・・・ 「知ってるか?死刑執行失敗後に、その死刑囚が釈放される理由を。一事不再審の原則によって、 同じ事件を二度裁けないからなんだぜ」  黒原の口癖となっている『知ってるか?』口調の雑学。そして 「つまり、俺は刑の執行を受けてからここにいるんだ。罪が帳消しとなっている俺を、 ここから立ち退かせることは出来ないのさ!!」  法律にのっとった鮮やかなまでのロジック。もうそれは、さっきまで見ていた芹緒検事とはまるで別人。 「さあ、始めよう。半年前のリベンジマッチといこうじゃねえか、成歩堂」  裁判長から指さしの標的は僕へと変わる。 「しかし、記憶の方は大丈夫なのですかな?」 「事件の概要なら、休憩中に資料にザッと目を通しておいた。それだけあれば、俺が勝利することなど簡単だ」  なるほど、登場が遅れたのはそのためだったのか。  それにしても、随分と立ち直りが早い。さっきまで絶叫していたのに、今ははつらつとした表情で法廷に立っている。 でもその奥には、まだあの辛い感情が眠っているんだ。 「それじゃ、裁判の続きといこうか」  悪魔的な黒原にも、人間としての感情が眠っていた。そこから何か、彼を救える手がかりがあるのかもしれない。 「俺が芹緒奏詞っていう男の偽物になっていたことはわかった。 だが、それが本物の芹緒奏詞が生きているということにはならない」 「しかし、彼の所持品である顎当てが現場に落ちていたんですよ」 「それを芹緒本人が置いたとは限らないんだよ」 『それに、奏詞は18年前の事件で有罪になって、死刑を受けたんですよ』  黒原と美歌さんとで僕に突っかかってくる。 「それがそもそもおかしいんですよ。殺人事件1つで、死刑になることがあるのでしょうか?」 「それはお前ら弁護士としての主観だ。検事である俺なら、殺人は充分に死刑の対象となるのだ」 「しかし、それも検察側の主観でしかない」 「なら、お前ならどうやってこの問題を証明する気だ?」  芹緒奏詞が死刑に値するほどの罪を犯したのか・・・それを調べる方法は1つ。 「僕らでもう1度検討するんですよ。MPA事件を。幸い、関係者は全員法廷に揃ってます」  これはある意味、チャンスかもしれない。  芹緒奏詞の罪状とか以前に、MPA事件の詳細を知ることが出来る。そうすれば、今回の事件と何か繋がりが見えるかもしれない。 「弁護側は鈴鳴聴真の証言を要求します!!彼に、18年前の法廷で何を喋ったのかを証言してもらうのです」 「あとで泣きを見ても知らねえからな」  黒原は僕の提案に反対しようともせず、不敵に笑うだけだった。  ――数分して、黒原は控え室で待機させていた鈴鳴聴真を連れてきた。  鈴鳴くん自身はいつものように楽観的な表情を浮かべているが、黒原はあまり乗り気じゃないようだ。 「証人、18年前にMPA事件で目撃したことについて証言してもらいたい」 「18年も前の事なんて覚えてねえよ。ゼーンブ忘れちった☆」  無邪気そうに笑っている鈴鳴聴真。それに反応して、血管が切れるほど怒ったのは黒原だ。 「俺の嫌いなヤツを教えてやろう。クソ親父、俺を負かすヤツ、そして、てめェのような覇気のねえ野郎なんだよ!!」 「ヤッダなぁ、もう。そんなにカリカリしちゃメーダー(ダメ)よ。カルシウム不足なんじゃないの?」 「一発痛い目見ないとわからねえようだな。そんなにこいつを喰らいたいか!!」  黒原は検察席に思いっきり強くステッキスタンガンを叩きつける。って、ええッ!? 「な、何でそんな物を持っているんだ、黒原!?」 「ついさっき新しく取り寄せたのさ。シゲキがあるからこそ、法廷はいっそう楽しくなる」  シゲキの意味を取り違えている気もするけど・・・  そんなことはお構いなしに、半年前の悪夢を彷彿とさせる電流が黒原を取り巻く。 「またフザけたことを言ってみろ。18年前の事件どころか、俺みたいに全部の記憶を失うことになるぜ」  電源の入ったステッキの先端を証人に向けると、さすがの彼も黙ってしまった。 「わ、わかったよ。話せば良いんだろ。話せば。ただ、ボーチュー(中坊)の時の話だぜ。あんまよく覚えてないんだけど・・・」 「ゴチャゴチャ言ってないでさっさと始めろ!!」  電流がバチッ!と弾ける。その音に鈴鳴くんは驚いて、慌てて話し始めた。 「中1の時に俺は、天野川の花火を見に行ったんだよ。クリスマスなのに、ジョカノ(彼女)もいないし、 ダチトモ(友達)も誘ってくれないしさ・・・一人で寂しかったのよ。いっつも俺の周りには人が集まらなくてよ。 だからこうやって明るく振る舞って誤魔化し――」   ――バチッ!! 「わわァァッ!何すんだ、いきなり!!」  証言に水を差すかのように、ステッキスタンガンが鈴鳴くんに電撃を浴びせる。  まあ、黒原の気持ちもわからなくはないけどさ・・・ 「貴様の身の上話なんか興味ない」  身も蓋もないような言葉まで浴びせられ、鈴鳴くんはかなり落ち込んでしまった。  あの時のピエロといい、どうしてこうもお調子者ほど辛い過去を背負っているのだろうか・・・どうでもいいけど。 「時間の無駄だ。さっさと事件の話に入ってもらおうか。苦労話なら、聞き役に刑事を一人よこしてやる」 「ま、マジっすか!?じゃあ、俺、頑張って証言します!」  サーカスの事件を思い出させるような会話のやりとりが行われている。可哀想なイトノコ刑事・・・ 「帰る途中で橋を通ったんだよ。ちょうどその時に、銃声が聞こえたんだ。急いでその音の方に行ってみると、河川敷の方に 男が立っているのが見えたんだ。その男は手にジュウケン(拳銃)を持ってたから、急いでホーツー(通報)したってワケ」 「それで、その通報で捕まった男が・・・」 「そう。それがセロリでシソな男・・・あ、じゃないじゃない。芹緒奏詞だったんだよ」  黒原に睨み付けられて、慌ててジョークを訂正する証人。なんだか彼が哀れに思えてくる。 「ただ拳銃を持っていたってだけで捕まったの?」 「なんでも、現場から血痕が見つかったらしい。それを調べてみると、被害者の血だったみたいだ」  ということは、現場の花火小屋で彼女は撃たれたと言うことか。 「それに、ビハナ(花火)小屋の燃え残った壁にめり込んでた弾丸の線条痕と、 芹緒奏詞の持ってたジュウケンの線条痕が一致したらしいぜ」  たとえば、狩魔沙月を花火小屋の壁まで追いつめて発砲したら、貫通した弾丸が壁にめり込む。警察もそう考えたんだろう。 「それに、ビハナ小屋は死体と一緒に燃えたらしいけど、その放火の時に使ったと思われるガソリンの入った容器と ライターが被告から発見されたらしい」  それだけあれば、被告が狩魔沙月を殺して、花火小屋で遺体を燃やすと考えるには充分なのかな。 「本当に君は見たんだね、手に拳銃を持った芹緒奏詞を」 「間違いねえって」 「他に何か持っていなかった?その被告は?」 「そうだな・・・あ、そういえば、バイオリンのケースを持っていたな」  バイオリンケース?まあ、芹緒奏詞はバイオリニストだから、持っていても不自然じゃないだろうけど。 「そのバイオリンケース、中は空っぽだったみたいだ」  どこからそんな情報を仕入れたのか、黒原が会話に入ってくる。  昔、同じようなことがあった。真っ赤なギターの入っていないギターケース、の話だ。  ひょっとしたら空っぽだったんじゃなく、中に入れていた何かを取りだしたんじゃないのかな。  《バイオリンケース》・・・芹緒奏詞が事件当時に持っていた物。中身は空っぽだった。 「芹緒奏詞、拳銃、バイオリン。他にもう何も見ていないんだね?」 「あぁ、そうさ」  いや、それはおかしいんだ。彼は銃声を聞いて事件現場へ駆けつけたはず。なのに、“あれ”を見ていないのは不自然なんだ。 「それなら、何で君は見ていないんだい。事件現場にはなくてはならないもの、被害者である《狩魔沙月》の遺体を」 「え?遺体はビハナ小屋と共に燃やされたんだろ。俺が見れるわけ無いじゃないか」 「ちなみに、花火小屋から遺体は発見されていない。文字通り蒸発してしまった。証人が見ていないのも無理はない」  黒原も証人に加担してくる。 「ちなみに、花火小屋ってどの辺にあったんですか?」 「米賀町に設置されていたそうだ。今はもうとっくに無くなってしまったがな」  《花火小屋》・・・米賀町に設置されていた花火置き場。MPA事件時に燃やされてしまい、 中に残された狩魔沙月と一緒に消失してしまった。 「それに、証人が死体を見逃した可能性もある。特にこいつのようなイイカゲンな野郎なら、な」  黒原は言葉を追加する。そうなると、別の視点からムジュンを見つけないとな。 「他に何か覚えていませんか、証人?」 「他にって・・・・あとは、川の向こう側に火が見えたことぐらいかな。燃えているビハナ小屋だと思うけど、 あれは凄かったぜ。爆音も響いたし」  野次馬のようにはしゃいで喜んでいる。そこにはらんでいるムジュンがあることも知らずに。 「証人、1つ聞いて良いですか?あなたが銃声を聞いて駆けつけ、芹緒奏詞を目撃した場所はどこだと思っていますか?」 「どこって・・・・米賀町だろ。警察も現場は米賀町だって言ってたし」  思った通り、彼はとんでもない勘違いをしていた。その証拠品を突きつけてやるんだ。 「異議あり!彼が芹緒奏詞を目撃したのは、米賀町では有り得ません!」 「どういうことだ、成歩堂」  黒原の眼がぎらつく。だんだん彼の本性も見え始めてきたか。 「彼はこう証言した。“川の向こう側に燃えてる花火小屋が見えた”と。でも、《花火小屋》は米賀町に設置されていました。 つまり、彼がいたのは米賀町から川を挟んだ有田入町の方だったのです!!」 「しかし、証人が有田入町にいることで、何かが変わるって言うのか?」 「大きく変わりますよ。現場は米賀町なのに、被告は有田入町にいた。これは明らかに不自然です」 「現場から橋を渡って逃げてきた可能性もあるだろ」 「それは有り得ません。証人は橋の上で銃声を聞いて、そのまま有田入町に駆けつけています。 現場の米賀町にいた芹緒奏詞が、銃声のすぐあとに有田入町にいるなんて有り得ません」 「なら、お前はこのムジュンをどう説明する気なんだ?」  黒原との白熱する弁論。そして、その末に僕がまとめた結論は1つしかない。 「芹緒奏詞は有田入町で目撃されてるため、米賀町で銃を発砲することは不可能。つまり、彼とは別に真犯人がいたんです!!」 「し、真犯人だと!?」  法廷もざわつき始める。  一度は芹緒奏詞が犯人ということで片の付いた事件に、今さら真犯人の存在が明らかになったんだ。騒いでも無理はないかな。 「だが、拳銃はどうなる。芹緒奏詞が持っていたのは明らかに凶器と思われる拳銃だ。 その証拠に、花火小屋の焼け残った壁から弾丸が発見されている。これはどう説明する気なんだ?」 「拳銃だけが移動したんですよ。米賀町から拳銃を投げて、それを有田入町で芹緒奏詞がキャッチした。 つまり、芹緒奏詞と真犯人は共犯だったのです」  これは自分の中ではかなり自信のある推理だった。  だが、その自信も黒原の見下すような高笑いで崩れてしまった。 「知ってるか?3つの根拠をそこに提示すれば、自分の主張は大体通ることを。 今から俺が、お前に“米賀町から拳銃を投げることは有り得ない”という3つの根拠を提示してやるよ」  僕以上にふてぶてしく笑う黒原は、人差し指を一本立てる。 「まずは1つ目。投げる力だ。成歩堂、お前の高校のボール投げの記録はどれぐらいだ?」 「えぇっと・・・35mぐらいかな」 「・・・・・・非力な奴だ」 (ほっといてくれ!!) 「とにかく、川幅は40mもあるんだぞ。かなり投げる力のある奴じゃないと、拳銃は有田入町まで届かないんだ」  僕がちょっと焦りを見せるところに、黒原は二本目の指を立てる。 「2つ目は拳銃の重さだ。小型の拳銃でも1kg近くあるんだぞ。ソフトボールはせいぜい0.5kg。 ボールよりも重い物を、どうやったら遠くに投げ飛ばすことが出来るってんだ!」 「グッ!!」  言葉も失ってしまった所に、間髪容れずに3本目の指を見せつける。 「そして3つ目。これは御剣がよく知ってるだろうな。拳銃を投げることが、いかに危険な行為であるかをな」  躊躇いもなくあの悪夢を口にする黒原。  そう、全てはエレベーターの中で御剣が拳銃を投げたことから始まった。それはとっさの出来事とはいえ、 御剣は未だにそのことが大きな傷になっている。 「いつ暴発するかもわからねえ拳銃を投げて、それを向こう岸でキャッチするなんて無謀なことを、犯人がするはずねえんだよ!!」  掌を机に叩きつけて、僕を威嚇する。もはや何も言い返せなくなってしまった。 「以上が3つの根拠だ。これでわかっただろ。お前の推理はただの推測でしかなかったことが」  その計算された鮮やかなまでの話術。証拠品や根拠を巧みに利用した立証。  悔しいけれど、黒原の検事としての力は本物だ。 「結局、MPA事件のことを話したところで何もなかったな。そろそろ今回の事件の話に移った方がいいんじゃないのか?」  クソ・・・何か無いのか。拳銃を投げる以外に、拳銃を米賀町から有田入町に移動させる方法は。  僕は《上面図》を眺め続け、そして気付いた。もう1つの移動手段に。 「1つだけ、拳銃を移動させる方法が残っています。この《上面図》の中に」 「まだそんなことを言っているのか。どこにそんな物が書いてあるって言うんだ?」  僕は思いを込めて、上面図のある部分を指さした。みんながそれに注目する。 「これは・・・天野川ですな。天野川がどうかしたのですかな?」 「この天野川こそが、拳銃を移動させる唯一の手段だった。そう、犯人は拳銃を川に流したんですよ!」 「川に流しただと?川は上流から下流に向かって流れる物だ。岸から岸に流れる物じゃない。 拳銃はそのまま海まで流れていってしまうじゃないか!」  黒原が当然の反論をしてくる。確かに普通ならそうだ。  でも、天野川のこの特殊な地形が、この拳銃移動を可能にさせたんだ。 「上面図を見てください。天野川は米賀町側に向かってS字カーブを描いています。この状態で拳銃を流したら・・・」  僕は人差し指を拳銃に見立てて、上面図の天野川をなぞっていく。そして、カーブの地点で指を止めた。 「カーブの外側にあるのは、有田入町です。つまり、拳銃が真っ直ぐ流れていったら、拳銃は有田入町に自然と引っかかるんですよ」 「そ、そんな馬鹿な!?」  黒原は動揺を隠せない。だが、少し考えてから体勢を立て直した。 「だ、だがな・・・お前のそのトリックにも欠点はある。その3つの根拠をまた提示しようじゃないか」  黒原に再び不敵な笑みが戻る。どうやら、また荒れそうだ・・・ 「1つ目はさっきも言った拳銃の重さだ。川に流そうと思っても、まず拳銃の重みで沈んでしまう」  また痛いところをつかれる。そして、間もないまま2つ目を挙げる。 「次に拳銃だ。仮に拳銃が無事流れたとしても、銃口に付着した火薬は洗い流され、当然中だって湿気る。 警察の捜査で、拳銃を川に浸けていたことがすぐにわかるはずだ」  段々ペースを取り戻しつつある黒原は、最後の指をあざ笑うかのように立てた。 「3つ目は暗闇だ。拳銃みたいな小さな物が、暗闇の中でハッキリと見えるわけがない。 その中で、いつ流れてくるかもわからない拳銃をキャッチすることは困難だ」  再び言葉を失う。黒原の話力に完全に言いくるめられてしまった。 「つまらない立証だった。こんなにも簡単に乱れてしまうなんてな」  皮肉を含めたお辞儀を交わして、黒原はそう言ってくる。何も言い返せない自分が悔しい。 「仮にも一度は判決の下った事件だ。それを覆そうと思ったお前が浅はかだった。ただ、それだけなんだよ」  眼鏡のズレを直しながら、黒原はそんなことを吐き捨てる。  確かに浅はかかもしれない。でも、不可能じゃないはずなんだ。  DL6号事件だって、灰根さんが最初は有罪判決を受けた。だけど、実際は狩魔豪だった。 判決が下されたからと言って、それが真実とは限らないんだ。 「ねえ、なるほどくん。あたし今、凄いことを思いついちゃったんだけど」  スーツの袖を引っ張って、真宵ちゃんがそういってくる。また冗談か何かだろうか・・・ 「犯人はボートを使ったんじゃないかな?」 「ボート?」 「そう。ボートの中に拳銃を載せて流したの。それだったら拳銃は沈まないし、濡れないし、 ボートは大きいから暗闇でも目立つでしょ?」 「でもね。現場付近にボートがあったら、いくらなんでも警察が気付くと思うんだけどな・・・」 「う〜ん、言われてみればそうだよね。当たってると思ったんだけどな・・・」  真宵ちゃんは残念そうにうつむく。  でも、案外その線は良いかもしれない。川に浮く大きな物の中に拳銃を入れて流した。 それなら、黒原の言っている反論を全てクリアできる。  ボートじゃなくて、何か代わりの物があれば・・・ 「そろそろ弁護人もネタ切れみたいだな。案外、張り合いのない試合だったな」  黒原は呆れながら首を横に振る。まだ、試合は終わっちゃいない・・・ 「異議あり!」  考えるよりも先に人差し指は動いていた。  僕の考える証拠品が合っているかどうかはわからない。でも、ただ突き進むのみだ。 「犯人はボートに拳銃を乗せて流したんですよ。そうすれば、なんの問題もなくなります」 「確かにそうだ。だが、ボートが現場に転がっていれば、警察資料に書いてあるはずだぜ」 「そう。ちゃんと書いてあったんですよ。ボートの代わりになった“ある物”がね」 「なんだそれは?」  ボートの代わりになる物。僕の中ではもうこれしか思い当たらない。 「《バイオリンケース》ですよ。中は空っぽでした。つまり、その中に拳銃を入れて川に流したんです。 そして、芹緒奏詞が有田入町でキャッチした。その姿を、鈴鳴聴真が目撃したんですよ!!」 「な、何だとッ!?」 「ケースの中には拳銃の他にも、放火した時のガソリン容器やライターなども入れておいたんでしょうね。 芹緒奏詞が全ての罪をかぶるために」 「そんな馬鹿な・・・こんなことが・・・」  今度は黒原が言葉を失ってしまったようだ。彼は何も言ってこない。  しかし、そこはやはり黒原の実力。すぐさま落ち着きを取り戻した。 「大体、トリックがわかったところで、その真犯人が誰なのかがわからねえだろ」  確かに、今となっては時効となってしまった事件。真犯人を捕まえたところで何もない。  でも、僕らはここから現在の事件の真相を突き詰める。そのためには、MPA事件を解かなければいけないんだ。 真犯人はもうわかっている。 「バイオリンケースは現場の米賀町から有田入町へと流した。つまり、バイオリンケースは元々犯人が持っていたことになる」 「そういうことになるな」 「そして、事件関係者の中で芹緒奏詞以外にバイオリンを扱う人物、さらには芹緒奏詞が有罪判決を受け入れるほど、 かばわなければいけない人物は一人しかいない」 「ま、まさか・・・」  視線は一斉にある人物に集中する。僕はその人物をゆっくりと指さした。 「芹緒奏詞の婚約者であり、バイオリニストの七音美歌さん。あなたしかいないんですよ」  美歌さんは顔色1つ変えようとはしない。  こうなることを予想していたのか、時効だから安心しているのか、それとも全てを認めて諦めがついたのか、僕には予想が付かない。 「真犯人は七音美歌で、彼女をかばうために芹緒奏詞は自らを犠牲にした・・・」  黒原は力の抜けた体に鞭打って、そう呟く。 「だから、何だって言うんだ。それがわかったところで、一体何が変わるって言うんだ!!」  認めたくないという気持ちも合わさって、黒原の声はいっそう深く法廷内に響く。  確かに、MPA事件の時効がきた以上、七音美歌を捕まえることはもう出来ない。芹緒奏詞に話を聞くことも出来ない。  でも、MPA事件は終わっても、まだ今回の事件は終わっていないってことなんだよ。 「彼女がMPA事件の真犯人だった。それはつまり・・・」    〜〜〜♪〜♪♪〜〜♪〜♪♪〜〜♪〜  まるでタイミングを見計らったかのように流れてきた携帯のメロディー。  そう、僕の答えはこの中にある。 「もしもし」  裁判長の目つきすらもろともしないで、僕は電話に応じる。 『昨日は途中で中断されてしまいましたからね。そろそろ良いでしょうか?七音美歌を引き渡してもらいましょう』  機械音で全てを隠そうとする誘拐犯。  でも、ベールを脱いでしまえば、そんな物は単なる目くらましでしかない。 「MPA事件の謎を解きました。そして、ついに僕らはわかってしまったんですよ」  法廷内にもよく聞こえるように、僕はスピーカーホンの音量を最大まで上げる。 「あなたの正体は・・・狩魔沙月さんですね」 『ッ!!?』 「な、なんですと!?狩魔沙月ってあの・・・」  誘拐犯は絶句。さっきまで怒り一色だった裁判長も、驚きの色を隠せない。 「馬鹿な!狩魔沙月はMPA事件の被害者だぞ。七音美歌・・・いや、犯人に殺されて遺体を燃やされてるんだ」  七音美歌から犯人を言い換えている。きっと黒原も、まだ僕の推理を認めたくはなかったのだろう。  でも、こう考えると全てのつじつまが合うんだよ。 「でも、その遺体が燃えているところは誰も見ていません。焼け残った花火小屋から、彼女の遺体は見つかってないんですよ」 「それは、跡形もなく遺体が蒸発してしまったからだ」 「いや違う。そもそも遺体で考えるからおかしかったんですよ。彼女は銃で撃たれても、まだ微かに息があった。 そして、燃えさかる花火小屋から必死で抜け出して、一命を取り留めたんですよ」  これは僕の推測でしかない。ただ、誘拐犯は何も反論してこない以上、これは紛れもない真実。 「彼女は七音美歌に殺された・・・いや、正確には殺されかけた。だから、彼女を恨んで、逆に美歌さんを殺そうとしたんです」 『全部デタラメだ。妙なことばかり言ってると、お前の人質がどうなっても知らないぞ』  誘拐犯は逆上して、僕らの耳をつんざくほどの叫びを発する。 「あなたは狩魔沙月じゃない。そういうなら、それでも構いません。でも、あなたが人質といっているその少女。 彼女の名前は“狩魔冥”。それだけは紛れもない真実なんです!」  偶然にも、僕らは一度も誘拐犯に狩魔検事の名前を言ったことはなかった。  そのせいで、彼女は知らなかったんだ。自分が実の娘をさらってきて暴行を加えてしまっていたことに。 『な、なんですって!? そ、そんな・・・・』 ピッ  最後の最後で素を見せた後、通信は途絶えた。真偽を確かめるために、狩魔検事の元へ向かったのだろう。  これはある意味賭けだ。狩魔沙月が娘への愛を断ち切っていないのなら、彼女は無事に帰ってくる。 でも逆に、狩魔沙月が娘を嫌っていれば、彼女はその場で・・・ 「おい、そろそろ説明した方がいいぜ。俺の炎に襲われたくなければな!」  ステッキスタンガンを構えたまま、黒原は不機嫌な表情で僕を睨み付ける。  裁判長も言葉では言わないが、このまま事情を打ち明けなければ、確実に僕は事件の弁護士から下ろされるだろう。 「じ、実は・・・」  もうここは正直に告白するしかない。  狩魔沙月の心情から言っても、彼女をすんなり返してくれるとは思えない。みんなで力を合わせて、今は彼女を救い出す時なんだ。 「なるほど、そういう事情があったのですな・・・」 「狩魔冥が誘拐されただと?いいザマだな。元々俺は、狩魔家の人間は好んじゃいない。 負け犬は犬らしく扱われて犬死にすれば、それで充分なんだよ」  黒原から飛び出す信じられない発言。  逆らうのが怖いためか、誰も何も言ってこない。ここは僕が・・・ 「黒原、お前って奴は――」 「だが――」  僕の言葉を重ねるように、黒原は言葉を続ける。 「てめェがそっちに気をとられて俺との勝負に敗北したって、俺は嬉しくも何ともない。正々堂々と相手を精神的に 打ち負かすのが俺の流儀だ。そっちの問題を片付けたら、お前は俺の相手をすることだけを考えるんだな!!」 「黒原・・・」  悪く振る舞ってるように見せて、本当は狩魔検事のことを助けたいと思ってる。  本当に素直じゃないんだな、黒原って・・・   チャラッチャ〜ララ〜チャラララ〜〜♪  次に流れてきたのは僕の携帯の間抜けな着信メロディー。僕はすぐに電話を取った。 『私だ。誘拐犯から連絡はあったか?』 「うん。さっき電話がかかってきた。またかけてくると思うけど、時間がない。御剣、狩魔検事は見つかりそうか?」 『非常線を張ったが、有田入町は広い。情報でもない限り見つけることは不可能だ。何か方法があれば・・・』 「監禁場所を特定する方法・・・・」  僕が思わず呟いた一言を、黒原は聞き逃さなかった。 「場所を特定する方法なら・・・ある」  手助けを拒んでいるのか、独り言のように呟いたその一言を、今度は僕が聞き逃さなかった。 「何だって!?教えてくれ、黒原。時間がないんだ」  黒原は冷や汗を流す。素直じゃないにも限度がある気もするけれど・・・  少しうつむいて顔を赤らめながら、また聞き取れるか聞き取れないかぐらいの声で話し始めた。 「・・・こんな話がある。  昔、警察の元にナイフで刺されて失神しかけの男から電話がかかった。だが、場所を言う前に倒れてしまい、 その男がどこにいるかわからない。そんな時に、警察が男の居場所を突き止めた方法を知ってるか?」  僕には見当も付かない。黒原はそれを察してか、すぐに答えを言った。 「電話が通話中の状態で男は倒れた。だから、広範囲にパトカーを配置させ、1台ずつ順々にサイレンを鳴らしていったのさ。 そして、電話からサイレンの音が聞こえてきたら、今度はその周辺地域にパトカーを呼んで配置させ、順番にサイレンを鳴らす。 この繰り返しで目的の場所へと近づいていき、男を見つけて助けることができたんだ」  なるほど。ということは、同じことを誘拐犯との会話中にやっていれば、居場所を特定することは可能かも・・・ 「だが、この場合は同じ方法を使うことは出来ない」 「どうしてだ?」 「愚問だな。あちこちでパトカーのサイレンを鳴らされたら、誘拐犯が警戒して余計に逃げ回っちまうだろうが!」 「あ・・・」  さすが黒原だ。こんな所までとっさに頭の回転を働かせるなんて。 「ただ、逆に言えばサイレンじゃなければ良いんだ。誘拐犯が聞いても警戒しない、 それでいて電話で聞き取れるぐらいデカい音だったらな」 『そんな都合の良いものがあるのだろうか・・・』  会話を聞いていた御剣が一言言う。  誘拐犯が警戒しない大きな音・・・ひょっとしたら、あれが使えるかもしれない。 「これなんてどうだろう?」  そういって僕はある証拠品を突きつけた。 『どうだろうって・・・電話で話している私には見えないのだが』 「なるほど・・・・・・・・・・花火か」  僕の持っている町内会の《広告》を見て、黒原は納得してくれた。 「花火は天野川で毎年あげられているから、誘拐犯だって不自然には思わないし、電話でも聞こえるはずだ」 『その手があったか。大至急、花火と警官隊を各地に配置してやってみよう』  そういって御剣は電話を切った。間に合ってくれればいいけれど・・・ 「花火の用意や順々に打ち上げて花火が聞こえるまで、かなりの時間がかかる。 それだけ誘拐犯との会話を引き延ばさなきゃならねえぜ」 「何とかやってみるさ」  一度そうやって虎狼死家と戦ったことがあるんだ。時間を稼ぐことは少しは慣れている。 「オレも協力するぜ。オレの聴力を使えば、どの方向からどれだけ離れて打ち上げられたかも聞き分けることが出来る」  被告人席から或人くんも乗り出す。  そうだ。僕の周りにはみんながいる。誰かがピンチの時には、他のみんなが助けてくれるんだ。  もうすぐ誘拐犯から連絡が来る。その時は僕らは1つとなって、狩魔検事を救う追複曲を奏でるんだ。       続く

あとがき

物語としては、あと3話分ぐらいでしょうか。 やっと、執筆から解放された感じです。 さて、誘拐犯の居場所を特定する方法で、黒原が例に挙げた警察の事件。 これは実際に、アメリカで起こった事件らしいです。 TBSテレビの『島田検定!!国民的潜在能力テスト』などでも取り上げられました。 これを参考に、自分は居場所の特定法を作ったことをご了承下さい。

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