逆転の旋律〜終わらないDL6号事件〜(第6話)
私はそっとゆりかごの中で眠っているその子の顔をのぞき込む。
――ねえ。この子の名前、何にしましょうか。
「お前の好きにするが良いさ」
――私、ずっと前から考えてたんだ。この子の名前。
「何だ?」
――私の名前が“沙月”で、あなたが“豪”。サツキは五月のことだし、ゴウも5って書けるでしょ?
「だから何だ?」
――この子にも5にちなんだ名前を付けようと思ったの。それで考えたの。
――五月の英語は“May”だから、この子の名前は“メイ”。狩魔冥よ。どう?
「お前の好きにするが良いさ」
もっと早くに気付くべきだった・・・
この時点で既に、私たちの愛は冷めていたんだということに。
いえ、元々私たちの愛が実ることなんて、今の今まで一度もなかったのよ。
あの人はカンペキ主義者でなければならなかった。
そのためにあの人は、私とこの子を犠牲にした。
家庭を犠牲にしてまでして手に入れた物が、本当にカンペキなの?
・・・バァーン!!
2001年12月25日。
天野川の上に浮かぶクリスマス花火を見上げながら、私はそう考えていた。
私の横には、花火などには目もくれず何かを考え込むあの人と
私の手をしっかりと握って離さない、2歳になる娘がいるだけだった。
・・・バァーン!!
どんなに美しく上がっても、あの人は空を見上げてはくれない。
私がどれだけ変わっても、あの人は何も気付いてはくれない。
だから、腹いせに他の男と付き合いを持った。
実を言うと、今日もその男に呼び出されている。この天野川に。
でも、まだ迷っている。私はまだ、この人と娘を手放したくはない・・・
――花火が綺麗ね、あなた
「花火のようにすぐ散ってしまう物をなぜ皆は好むのだ?」
――だって、散る前はとても綺麗じゃない
「下らないな。美しさをなぜカンペキに保とうともせずに散ってしまうのか理解に苦しむ」
――どんな物でもずっと同じ物なんてありませんよ。
花は枯れるし、物は錆び付くし、人だって老い衰える無常な運命なんですよ。
そう、いつでも同じ物なんて無い。
いつでもあると思った物を失ってしまった時に、人は初めてその大切さを知る。
――ねえ、もし私が他の男の所へ行ってしまったら、あなたは・・・・
この会話が全ての引き金となった。
・・・バァン!
花火とは違う破裂音がその天野川に1発響く。
・・・バァーーーン!!!
花火とは違う爆発音がその天野川に1発轟く。
2001年12月25日。MPA事件発生。
これは現在までに至る葬送行進曲(フューネラル・マーチ)の序章でしかない。
【第6楽章】Funeral march
〜〜♪〜〜〜♪♪〜♪〜♪〜♪〜
「ッ!!!?」
自分はソファから転げ落ちそうな勢いで目を覚ました。
そして、視線の先には昨日も出廷した証人・七音美歌の姿があった。
彼女は驚いたようにバイオリンを演奏する手を止める。
『あ、すみません。起こしちゃったみたいですね。検事さん、疲れているのに・・・』
そんなことを文字で表し、彼女は申し訳なさそうに頭を下げる。
「い、いや・・・気にしないで下さい。それより、今の曲は何ですか?」
『今の曲ですか?モーツァルトの“レクイエム”ですよ』
レクイエム・・・日本語に訳すと“鎮魂歌”。死者の怨念を鎮めるための曲。
いや、そんなことより、この感情は何なんだ?
どこかで聞いたことあるような懐かしい感じがする。
それでいて絶対に思い出したくない嫌な感じもする。
まるでその中には自分の全てが入ってる感じがした。
――俺はまだ敗けてない・・・・。敗けてないんだァァァッッ!!!
――お前も黒原飛響の息子。その黒い血が流れている以上、お前は私と同じ道を歩むのだ
――全てを黒く塗りつぶしても足りないぐらいに。それこそ、カンペキな“闇”を作り出してやるんだ
――親父は自殺なんかじゃない。殺されたんだよ。まだ10歳そこそこだった俺の手によって・・・
――違う道を歩んでいるようで、最後には狩魔豪と同じポイントを踏んでるんだ!
――ざまあみろ、クソ親父・・・・・
「う、ウワァァァァァッッ!!!!」
な、何だこれは・・・頭の中にもの凄い勢いで記憶が流れ込んでいく。頭が痛い
「グッ・・・・アッ・・・・・ハァッ・・・」
必死で頭を抑えつける。静まれ・・・静まるんだ!!
「お・・・・・俺・・・・は・・・・クロハラ・・・・いや、違う!!」
自分は芹緒奏詞、他の誰でもない。そう言い聞かせるんだ。そうじゃないと、自分が自分でなくなってしまう。
『け、検事さん・・・?』
体中をうねらせて悶え苦しみ、呼吸すらも喘ぎ状態の自分を見るに見かね、証人が心配そうに尋ねてくる。
「ハァ・・・・・ハァ・・・・ハァ・・・」
少し頭痛は治まった。呼吸も少しずつ正常に戻っていく。
だが、自分の中で嫌な物だけが膨らんでいく。一体、今のは何だったんだ?
『す、すみません。私のせいで・・・』
「いえ・・・気にしないで下さい。大丈夫・・・・もう大丈夫ですから」
『でも・・・』
息を整えて軽く深呼吸をし、安堵な表情を浮かべる彼女のために笑顔を作る。
「水をやれば花は美しく育つ。それと同じです。自分が笑顔になれば、あなたも笑顔になる」
少し頭を押さえて、自分は最後の一声をかける。彼女ではなく、むしろ自分に向けて。
「大丈夫、そう簡単には倒れません。自分は・・・・・・芹緒奏詞ですよ」
7月10日 午前9時38分 被告人第3控え室
誘拐犯からの電話は昨日の法廷以来かかってこない。狩魔検事の無事を確認する術はない。
それでも僕は、彼女が生きていることを信じている。
「メイなら大丈夫さ・・・絶対に・・・」
或人くんも自分にそう言い聞かせているみたいだ。
「君は彼女のことよりも自分のことを心配した方が良い。今日の法廷、きっと君の嫌いな裁判の話も飛び出す」
「MPA事件・・・オレが乗り越えなければならない1つのカベってワケか」
「MPA?」
「天野川検察官夫人爆発炎上事件。英語に訳すと、『Mrs. Prosecutor in Amano River murder case』。
所々の頭文字をとって、“MPA”だ。長ったらしい名前だから、関係者の中ではその通称で通ってたそうだぜ」
確かに、こっちの方が呼びやすいな。
MPA事件・・・今回の事件の関係者が全て集結するもう1つの事件。そして、DL6号事件の引き金となった事件。
「MPA事件だろうと何だろうと受け入れてみせる。オレはもう、あんな闇に放り出されたくはないんだ」
この事件が解決すればその闇も消える。僕はそう信じたい。
僕は意気込んで法廷記録を開いた。色々と追加した証拠品やデータも多いから、ちゃんと確認しておかないとね・・・
【証拠品ファイル】
《広告》・・・僕の町内会に配布された花火大会の広告。夜の9:00〜10:30まで花火大会をやっている。
9:30に文字花火の打ち上げ予定。
《携帯電話》・・・狩魔検事の携帯電話。誘拐犯との唯一の伝達手段である。
《顎当て》・・・バイオリンの道具。『Alto.S』が刻まれてある。元々は『A to S』と彫られた芹緒或人から
芹緒奏詞への贈り物であり、芹緒奏詞の顎のサイズや形と一致する。
《悪野裁紀の解剖記録》・・・左胸に銃弾を一発受けての即死。他に外傷は見当たらなかった。死亡時刻は10:00頃と思われる
《拳銃》・・・凶器となった拳銃。被告人・芹緒或人の指紋が付いている。弾が1発だけ撃たれた形跡がある。
《タクト》・・・芹緒或人の指揮棒。事件の前日に寄贈された物で、元々のイニシャルである『Aruto.S』と彫られている。
顎当てを削ったために、先端が欠けた。
《事件資料》・・・星影先生から貰ったMPA事件の資料。
ファイル名:天野川検察官夫人爆発炎上事件(通称・MPA事件) 【解決済】
事件日時 :2001年12月25日
被害者 :狩魔 沙月(但し、現場・被害者の消失により生死は未確認)
事件概要 :天野川付近に設置されてある花火小屋で火災が発生し、爆発炎上。
目撃者の通報により、重要参考人として芹緒奏詞を逮捕。
その後の供述で、検察官夫人の銃殺遺体を焼却していたことが判明。
しかし、痕跡はあるものの、遺体は現場から発見されなかった。
法廷日時 :2001年12月28日
目撃証人 :鈴鳴 聴真
七音 美歌(体調不良による失神のために、証言は無効)
裁判概要 :芹緒奏詞の自供と目撃者の証言により、被告に有罪判決が下る。
また、検察側に不正らしき点が見られたが、証拠不十分により免罪。
《戸籍》・・・芹緒或人には10歳離れた兄の芹緒奏詞がいる。年齢に換算すると、現在の芹緒奏詞の年齢は35歳。
《小ビン》・・・七音美歌が持っていた物。中に入っていた液体の正体は不明。
《上面図》・・・天野川を中心に、左に米賀町、右に有田入町が書かれてある。天野川は下流にかけて、
米賀町側にかぎ型(S字型)にカーブしている。カーブが終わった先に橋が架かっている。
| 上流 |
☆ | |
| |
| 天野川 |
米賀町 | | 有田入町
| |
★ | | ●
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
| |
| |
| |
| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| |
| 下流 |
| |
| | (川幅全て、約40m)
| |
| | ★・・・事件現場 ●・・・監禁場所跡(暗号でいうCAGE)
| | ☆・・・花火小屋焼け跡地(MPA事件現場)
|****| ****・・・橋
【人物ファイル】
《芹緒或人(25)》・・・事件の被告人。指揮者をやっていて、芹緒奏詞の弟でもある。裁判を異常なほど嫌う。
《悪野裁紀(故人)》・・・今回の事件の被害者。18年前のMPA事件の裁判官もやっていて、黒い噂の多かった人らしい。
《黒原健司(26)》・・・1ヶ月前に殺人罪で死刑が執行されたはずの検事。
実は生きていて、現在は記憶を失って検事・芹緒奏詞を演じている。
《鈴鳴聴真(30)》・・・今回の事件の目撃者だが、証言は常にいい加減である。MPA事件の目撃者でもある。
《七音美歌(34)》・・・MPA事件の裁判で、狩魔豪に声を奪われたバイオリニスト。18年前は、芹緒奏詞の婚約者であった。
《芹緒奏詞(故人?)》・・・MPA事件の裁判で有罪判決を受け、狩魔豪曰く死刑となったバイオリニスト。
生きている可能性があれば、現在35歳。
《狩魔沙月(故人)》・・・MPA事件の被害者で、狩魔豪の妻だった女性。芹緒奏詞と不倫の関係にあった。
彼女の遺体は現場から見つからなかった。
《黒原飛響(故人)》・・・狩魔豪の不正に手を貸していた元検事局長。MPA事件で自らの不正が暴かれた後、
息子の黒原健司の手によって崖から転落した。
《誘拐犯(???)》・・・狩魔冥を誘拐して、七音美歌の引き渡しを要求する人物。真犯人である可能性が高い。
法廷記録に一通り目を配ったと同時に、控え室の扉が開いた。
「持ってきたッスよ。アンタの待っていた証拠品を」
そう言って大きな風呂敷を抱えて、イトノコ刑事が入ってきた。
「証拠品?」
「なんスか。もう忘れちまったんスか。狩魔検事が監禁された場所で見つけられた証拠品ッスよ」
そういえば、御剣が監禁場所を特定して踏み込んだらしいけど、既に逃げられた後だったんだっけ。
「それで、そこから何が見つかったんですか?」
「犯人も慌ててたみたいで、色々と忘れていったみたいッスね。まずは、《包帯》ッス」
「包帯・・・?」
僕はイトノコ刑事から1つ目の証拠品を受け取る。
なんの変哲もない、強いて言えば少し血が付着しているごくありふれた白い包帯である。
「これ、犯人が使ったんですかね?」
「おそらくそうッスよ。手がかりになるかどうかはわからないッスけど」
犯人はどこか怪我でもしていたのだろうか?今のところ、何かの手がかりになるとは思えないけど・・・
「続いて、《ピストル》ッス。これは一発だけ使われた形跡がある物ッスね」
「ピストル・・・?」
おかしいな。凶器は現場に落ちていた拳銃じゃなかったのかな。何でそんな物が監禁場所にあるんだ?
「弾丸の線条痕と比較する時間はなかったッスが、これだけでも何かの手がかりにもなるかと思って持ってきたッス」
確かに、もう1つ凶器らしき物が見つかることは心強いかな。
「最後は《サンダル》ッスね。これはアンタも見覚えのある物ッス」
そう言って風呂敷を空にして、僕に最後の証拠品を手渡す。
「サンダル・・・?」
片方しかないが確かに見覚えのあるサンダル。そして、側面に書かれてある『May』の文字。
これは・・・狩魔検事のサンダルだ!!
「狩魔検事は花火大会中に誘拐されたッスからね。監禁される時もそのサンダルを履いていた物と思われるッス」
「でもこれって、何かの役に立つのかな・・・」
「我々が踏み込んだ場所には狩魔検事が確かにいた。それを裏付ける証拠品にはなるはずッス」
イトノコ刑事から貰った3つの証拠品。
何がどう役に立つのかはわからないけれど、刑事には感謝してその証拠品を法廷記録に新しく閉じることにした。
《包帯》・・・監禁場所に残っていたごく普通の包帯。わずかだが、血が付着しているが、誰の血かは不明。
《ピストル》・・・監禁場所に残されていた物で、1発使われた形跡がある。線条痕などは不明。
《サンダル》・・・監禁場所に残っていた物。狩魔検事が事件当時履いていたサンダル。『May』と名前が書いてある。
同日 午前10時 地方裁判所 第3法廷
僕の目の前に立っているのは芹緒検事。でも、その正体は黒原健司。一度それを知ってしまうと、妙に気構えてしまう。
そんなことを知らない裁判長は、いつものように木槌を叩くだけだった。
「それでは法廷を開始します。前回は弁護人の起こした騒動のせいで、法廷が中途半端な形で終了してしまいました」
そういって再び僕を睨み付ける。やっぱりまだ僕のことを怒ってるみたいだな・・・
「というわけですので、前回の続きからということでよろしいですかな」
「たしか、“七音美歌がなぜ顎当てに彫ってある『Alto.S』を知っていたか?”でしたね」
裁判長の言葉に同意してそう返す芹緒検事。あの時は僕が圧倒的に不利な状況だったな。
「そのことに関して、七音美歌自身に証言させるのが一番早いでしょう。入廷してください、証人」
芹緒検事の言葉に促されて、美歌さんはゆっくりと中へ入っていく。
「それでは証人。なぜ『Alto.S』のことを知っていたか。それを証言してもらいましょう」
『はい。昨日検事さんの言ったように、私は以前から被告のことは知っていました。
その時に、彼はイニシャルを『Alto.S』で表現すると知ったんです』
簡潔にまとめたこの証言。昨日の僕だったらこのムジュンには気付かなかった。今なら僕は、これが嘘という証拠を持っている。
「異議あり!彼女が前々から、被告のイニシャルを知っていたなんて有り得ない!」
『どういうことですか?弁護士さん』
すかさずスケッチブックを広げる彼女に向けて、僕はある証拠品を突きつける。
「これは被告の《タクト》です。このタクトには『Aruto.S』と彫られてあります。
彼は元々、このイニシャルで通していた。つまり、顎当てに『Alto.S』が彫ってあることを知れるわけがないんですよ!!」
「弁護人は一体何が言いたいのですかな?」
「彼女がイニシャルを知る機会があったのはただ1つ。現場に踏み込んだ時だけですよ。
昨日は、現場に近づいてないと証言してたのに」
不敵な笑みを証人に見せつける。彼女は何も返してはこない。
「まさか君は“この証人が真犯人だ”なんて、言い出すんじゃないんでしょうね?」
芹緒検事が僕の心を読み取ろうとするが、その読心術は黒原ほどではないらしい。
「そうではないですよ。ただ僕は知りたいだけです。現場に近づいたことをなぜ隠していたのか、をね」
「それならば仕方ないな。気が済むまで証言をするが良いさ」
『け、検事さん!?』
一番驚いたのは証人のようだ。まさか、証言を許可するとは思わなかったからだろう。
「花の命は意外に短い。だけど、法廷はもっと短い。一度で良いから美しく咲き誇って、自分を楽しませてくださいよ、成歩堂さん」
段々だけど、芹緒検事の雰囲気が変わっている。黒原に近づいている、僕はそう感じた。
『私が現場を通りかかった時、現場から逃げる被告の後ろ姿が見えたんです。
変に思って現場に近づいて、顎当てと死体を見てしまったんです』
彼女は怯えながらも、少しずつ証言を始めていく。
『それでとっさに彼が犯人なんだと思ってしまって。昔の婚約者の弟だからかばおうと思って、
目撃証言を拒否していたんです。本当に申し訳ありませんでした』
彼女はそう書いて深々と頭を下げた。
「ふむぅ、なるほど。それで昨日は“何も見ていない”と言っていたのですな」
裁判長は一人頷く。すかさず僕は彼女に聞き返した。
「被告をかばった・・・果たして本当にそうなんでしょうか?」
『どういう意味ですか、弁護士さん?』
「あなたが本当にかばいたかった人物は別にいたんじゃないか、ってことですよ」
『そんなはずありません。他に誰をかばうと言うんですか?』
文字による証言は弁護人には不利だ。なぜなら、証人の焦りなどの感情を読み取ることが出来ないからだ。
でも、今の彼女が心の中で動揺していることは、喋らなくてもなんとなくわかる。あともう一押し、証拠品を突きつけるだけだ。
「あなたが本当にかばいたかった人物・・・それは、あなたの婚約者だった《芹緒奏詞》だったんじゃないんですか?」
『何を言うんですか?彼はもうここにはいない人間なんですよ』
「あなたこそ何を言っているのですか、証人。芹緒奏詞は自分ですよ。ちゃんと自分はここに存在しています。
そして、あなたの心の中にもね」
そんな台詞を言う芹緒検事。マズい・・・今ここで彼に出てこられたら、話がこじれてしまうだけだ。
「芹緒検事、少しだけ僕らの会話を聞いていてください。口を出されると話がややこしくなってしまうんですよ」
「まるで、恋の三角関係ですね。なるほど、私を蹴落として証人をモノにするための策略というわけですか」
怒るかと思っていた芹緒検事が、妖しげな目つきでにやついている。
「いやいやいや、そういうワケじゃなくてですね・・・」
なんだか、違った意味で話がこじれてしまったようだ。
――そして数分後、色々と説得を試みて、なんとか芹緒検事を黙らせることは出来た。
「さて、続きに戻りましょう。あなたは顎当てを見て、死んだと思っていた芹緒奏詞が生きていることを知った。
それで彼をかばった。違いますか?」
『お話になりませんね。私は被告が逃げているのを見ているし、顎当てのイニシャルは“Alto.S”だった。
被告が事件に関わっていることは予想は付いても、奏詞の存在を知ることは出来ないと思いますよ』
芹緒奏詞の存在を知るきっかけ。或人くんだって気付いたんだ。婚約者の彼女だって“あれ”には気付くはずだ。
「話によると顎当てという物は、人それぞれ大きさも形も違うみたいですね」
『そうですよ。だって、一人一人アゴの形が違いますからね』
「なら話は早い。あなたはその《顎当て》の大きさや形で、彼の存在を知ったのです。指揮者の或人くんさえも気付いた。
バイオリニストのあなたなら、顎当ての違いにもっと敏感に気付けたはずだ」
彼女は言葉を返す力がないようだ。よし、これで芹緒奏詞の存在は証明できた。残る問題は・・・
「そろそろ修羅場を迎えても良いでしょうか、成歩堂さん。三角関係という名の修羅場をね」
もう一人の芹緒奏詞の存在だけか・・・
「さっきから聞いていれば、“芹緒奏詞は死んだ”だの“もうここにはいない”だの、
全く理解できないことを言っていますね。自分はここにいるんですよ」
「いえ、あなたは本物の芹緒奏詞ではない」
「本物では・・・ない?粉雪が地上から舞い上がるくらいに不可思議なことを言うのですね。
ただ・・・違うのは、あなたの場合は聞いていてもときめかない冗談・・・ですけどね」
彼は言葉も途切れ途切れで頭を押さえている。頭痛なのかな?
「そろそろ、言ってもいいでしょう。あなたの本当の名前は・・・黒原健司なんですよ」
「クロハラ・・・・・ケンジ?」
「く、黒原ってあの、半年前に殺人事件を起こしたあの黒原健司ですか!?」
芹緒検事が戸惑っている間に、裁判長の方が驚いてしまったようだ。法廷内もパニックに陥る。
「・・・・・・・・」
そしてもう一人、声は出ないけれど驚きを隠せない人物が一人。
『彼の本当の名前が、そのクロハラっていうのは本当なんですか?』
「まず間違いありません。彼は記憶を失っていて、代わりに芹緒奏詞としての記憶を刷り込まれてしまったのです」
問いかけた後はそのまま考え込む証人。そして、彼女はとんでもない言葉を書いた。
『私、彼の記憶を取り戻すことが出来るかもしれません』
「えッ!?」
『法廷が始まる前の控え室で、私がある曲を演奏しているのに彼が反応したんです。その時に“クロハラ”って単語も出てきました』
もしそれが本当なら、黒原健司として彼はここに立つことが出来る。
「早速演奏してください。彼の記憶が取り戻せるかもしれません」
『でも・・・あの時でさえ、検事さんはとても苦しんでいました。頭痛で頭を押さえて、ずっと叫んでいました』
黒原の記憶を取り戻す・・・それが良いことだとは思う。でも、かなりの荒療治になることは間違いないワケか。
「や、やってください・・・証人。もう自分は、自分でなくなることが嫌なんです。本当に自分を・・・出してください」
頭を必死で押さえて冷や汗を流しながら、芹緒検事は必死で頼み込む。
美歌さんは間近で苦しんでいるのを見ているせいか、演奏するのを戸惑ってしまう。
でも、彼の必死な眼にとうとう負けてしまい、彼女はそっと足下のバイオリンケースに手を伸ばした。
――しばしの沈黙。そして、その静寂の中で彼女はそっとバイオリンに顎を載せた。
〜〜♪〜〜〜♪♪〜♪〜♪〜♪〜〜♪♪〜
彼女が奏でる美しいバイオリンの調べ。僕はその旋律に聞き覚えがあった。
「この曲って・・・黒原検事さんの携帯電話の着信メロディーだよね?」
真宵ちゃんの方が先にその答えを口にした。
半年前の裁判で、この着信メロディーは何かと重要となった証拠の1つである。
哀しみと寂しさの合わさったような特徴ある曲調。黒原がどんな思いでこのメロディーを携帯に打ち込んだのかは知らない。
「ウ・・・・・ウアァァッッ!! グッ・・・・ガッ・・・ウゥ!!」
でも、黒原の異常なまでに悶絶している姿を目の前で見ていると、よほど辛い思い出がそこにあることを僕らは悟った。
黒原は検察席の机や壁に頭を激しくぶつけたり、床を転げ回ったり、その光景はもう直視できないような物だった。
「ウワァァァァァッッッッーーーー!!!」
法廷を揺るがすほどの叫び声を放った後、彼は糸が切れたかのように大人しくなってふらふらと控え室の方へと向かっていった。
『検事さん、大丈夫でしょうか・・・』
「アイツなら大丈夫です。一度は死を経験している男ですから。そう簡単にはめげたりしませんよ」
自分にもそう言い聞かせる。
いつもはどこまでも腹黒く暴力的なヤツだったけど、そんなアイツにも心の底に触れたくない過去を抱えていた。
その記憶を無理矢理呼び起こすような真似をしてしまったことを、僕は少し後悔した。
「とりあえず、いったん休憩を取りましょう。私も未だに整理が出来ておりませんのでな」
木槌が鳴る音も、今は少し寂しげな感じがした。
続く
あとがき
御剣信が狩魔豪の不正を暴いた裁判、自分はこれにMPA事件と名付けました。
あまりに通称が長すぎたので、そのままで表現しづらかったのが一番の理由ですが。
証拠品ファイルでいくつか更新した点はありますが、一番変わったのが《上面図》
表現しづらかったので、AAで描いてみました。
小説で絵を使うのは自分の中では禁じ手だったのですが、
次の章でこの上面図に描かれている特殊な地形が重要な役割を果たすので、
いびつになりながらも、あえて載せてみました。
(ここに投稿してから気付いたけれど、この第6楽章って、
法廷記録だけで大きくスペースをとって、あまり話は進んでないな・・・)
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