逆転の旋律〜終わらないDL6号事件〜(第5話)
――もう耐えられない。私はこの場で全てを告白する。
そう決意していた。
だからこそ、何もかも検事さんに打ち明けたつもりだったのに・・・
「ならば、貴様の好きにするが良い。我輩からは何も言うまい」
責められるかと思ってた。
言葉とは裏腹に少し優しさが混じっていたその言葉に私はホッとした。
その言葉をずっと信じていた。
「カンペキな証言をするためには緊張もする。これを飲んで落ち着くと良い」
――すぐに裏切られるということも知らずに
「それでは証言を開始してください、証人」
「その前に、私は1つ重大な告白をしなければいけないんです」
「告白ですか。まあ構わないでしょう」
法廷が静まりかえる。少し顔の怖い裁判長も、検事さんも見守ってくれている。
ふと被告人席に目をやる。彼は何も言ってこない。
ゴメンナサイ。やっぱり、私・・・隠すことなんて出来ない
「実は、私・・・・・・・・・ッ!!?」
――何、これ?
「あ・・ぁ・・・・・ぁ・・・っ」
――喉元が焼けるように熱い。
――声も出てこない。
――呼吸が苦しい。
うつろな視界の中に検事席が映る。検事さんの口元がにやついているのが見えた。
「ぁ・・あな・・・・た。だ、騙し・・・・・・」
コーヒー・・・。きっと、控え室で飲んだコーヒーの中に何か仕込んであったのね。
でも、時すでに遅し。このとき、私の中で全てが終わった。
私は証言台の陰へと、滑り込むように倒れていった。
「美歌ァァァァーーーーッッ!!!」
私が最後に聞いた彼の言葉。
この後、彼は消えてしまった。有罪判決と共に――
そして、私は長い眠りについた。
あの時の奏詞の叫びは、この長い夜を暗示させる小夜曲(セレナーデ)だったのかもしれない――
【第5楽章】:Serenade
「黒原が生きていた・・・いったい、どういうコトなんだ」
薄々勘づいていたことではあったが、それは信じることの出来ない現実。
『つまり、“死刑を執行した”と“死んでしまった”というのは同じではないということだ』
「まさか・・・」
『そうだ。ヤツは死刑を受けながら生き残ったのだ。法律上、死刑執行後に生きていた死刑囚は釈放される』
・・・知ってるか? 死刑執行を受けても生き残っていたら、その死刑囚はそのまま釈放されるんだぜ。
1ヶ月前、黒原の死刑が執行された後のことだ。僕は黒原らしき人影とすれ違い、その言葉を聞いた。
もう少し早く気付くべきだった。ドッペルゲンガーは“生きている人の分身”であることを。
つまり、あの人影が何であるにせよ、あの時点で黒原はこの世に存在していたのだ。
『芹緒検事の正体がヤツだった。とりあえず、私が報告できるのはここまでだ』
「うん、ありがとう、御剣」
そして、御剣に連絡先を教え、FAXでその戸籍のデータだけを送ってもらった。
このデータをもらうために、御剣が必死に役所に頼み込んでる姿が伺える。
《戸籍》・・・芹緒或人には10歳離れた兄の芹緒奏詞がいる。年齢に換算すると、現在の芹緒奏詞の年齢は35歳。
黒原が生きていた。芹緒検事が黒原である可能性が高い。でも、そうなると新たな疑問が浮かんでくる。
DL6号事件の発端となった事件の被告人、或人くんの兄でもある本物の芹緒奏詞は一体何者なんだ?
同日 某時刻 留置所 面会室
やっぱり、真実を確かめるにはここしかない。或人くんのサイコ・ロック。今なら、解けるかもしれない。
そして、事件とは別に潜んだ謎、芹緒検事の正体を明らかにしてやるんだ。
意外にも、或人くんは僕の来訪にそれほど驚きを示さなかった。
「そろそろ来る頃だとは思ってた・・・。暗雲が立ちこめてくるような、妙に湿っぽい音が聞こえてきたから」
おそらくそれが、彼の耳が聴いた僕の心情。これから僕は、その雲を取り除くのだ。
「君の秘密を聞きにきたんだ。聞いても・・・いいかな?」
控え室で一度怒鳴られているせいもあり、僕は自然と恐縮していた。
「今なら構わねえよ。サイコ・ロックの音は嫌いだけど、我慢してやるさ」
受け入れても素直に白状はしてくれないらしい。それなら僕も、彼の挑戦を受け入れよう。
僕は勾玉を突きつけた。5つの錠のうち、1つは控え室で解除した。残りは4つだ。
「芹緒検事の正体が黒原健司だった。君はその言葉に反応したね」
「あの時はちょっと驚いただけさ。アニキはアニキであり、他の誰でもない。第一、証拠が無いじゃないか」
確かに、物的な証拠は何1つない。でも、データでならムジュンを指摘できるんだよ。
「芹緒検事の年齢は26歳。つまり、18年前は8歳だったことになる」
「当たり前だろ。それが何だって言うんだよ」
「彼は18年前に七音美歌さんと婚約している。8歳で婚約なんて有り得ないんだ!!」
「グッ・・・・!!」
言葉にもならない彼のうめき声で錠は勢いよく割れた。
「だ、だけど・・・あの女の婚約者がオレのアニキとは限らないだろ。同姓同名の別人という可能性だってある」
“検事・芹緒奏詞”と“婚約者・芹緒奏詞”は別人。ある意味彼は真実を言っている。
でも、全く違う。あくまでも僕の主張は『検事としての芹緒奏詞が偽物』であって、『婚約者の芹緒奏詞が偽物』ではないのだ。
彼の本当のお兄さんは、18年前の事件で被告人になった“婚約者・芹緒奏詞”の方なのだ。
「それは有り得ないんだよ。ちゃんと《戸籍》にも残っていたんだよ。
君と10歳も年が離れているけれど、18年前に美歌さんと婚約した芹緒奏詞は間違いなく君のお兄さんだ」
「・・・・・・・・・やっぱり、サイコ・ロックの前じゃ嘘はつけねえな」
そういって彼は少し悲しげな表情を浮かべた。それと同時に、3個目のロックが解除された。
「アンタの言う通りさ。確かに、オレには10歳離れたアニキがいる。
アニキは18年前に七音美歌と婚約して、そのすぐ後に事件の被告となって有罪判決をくらった」
慕っていた兄に有罪が下された。それが原因で、或人くんは裁判が嫌いになったんだな。
「オレはアニキを失った。そんな時、ちょうど1ヶ月前のことだったかな。アンタたちがいうクロハラってヤツに出会ったのは―――」
――梅雨の晴れない6月のある日。その湿っぽい音程が、俺の気持ちをより暗くさせる。
たまにアニキのことは頭に浮かぶ。でも、すぐにそれは霧のようにかき消えてしまう。
18年も経ってしまえば、アニキの顔も自然と薄らいでいく。今となっては、
自慢の耳で兄貴の声質を思い出すことさえも出来ない。完全にオレは、独りぼっちの環境に慣れてしまった。
孤独に溶け込んでいく自分に苛立ちを覚えて、唇を強く噛みしめた。
そして、オレは“そいつ”に出会った・・・
そいつはこの大雨の中、傘も持たずにただ浴びるように雨水を受けていた。それはまあ当然なのだろう。
なにせ、そいつは道のど真ん中に倒れ込んでいたのだから・・・
「おいッ!?大丈夫か!? 救急車を・・・・」
そいつを抱きかかえながら叫んだ。そして、うつ伏せになっていた顔を持ち上げた瞬間、オレの言葉は止まる。
「ア・・・・ニキ?」
信じられなかった。でも、それ以上にオレは信じたいという気持ちが強かった。
「アニキなのか!?アニキなんだな」
思わず興奮してしまって男の体をさらに強く揺さぶった。それを苦しがって、うっすらそいつは目を開けた。
「ここは・・・・・・?お前は・・・だれだ?」
聞こえるか聞こえないかぐらいのかすれ声を俺の耳ははっきりと聞き取った。
どうやら、記憶喪失みたいだ。その証拠に心の音が全く聞こえない。
もはや、記憶どころか感情さえも失ってしまってるみたいだ・・・
暗雲が少しずつ消えていき、真上には青い空が浮かぶ。それはまるで、オレの心情そのものだった。
「お前は・・・・だれだ?」
「オレだよオレ、芹緒或人。アニキ、自分の名前は覚えてるか?」
「俺の名前は・・・・・・・・ケンジ」
「ケンジ?何だよ、それ。アニキの名前は奏詞だろ」
「ソウ・・・・シ?」
頭をおさえながら必死で自分の名前を言葉にしている。完全に何もかもを忘れちまってるみたいだった。
「そうだよ。天才バイオリニストの芹緒奏詞。アニキは昔からそう呼ばれてきたじゃねえか!」
「思い・・・・出せ・・ない。俺は・・・・・・・ケンジだ」
何だよ、ケンジケンジって。ケンジってひょっとして、法廷とかに立つあの検事か?
そう思うと、俺は18年前の悪夢が蘇って苛立ちそうになる。なんで、アニキが検事なんて言葉を・・・
その時、オレは見てしまった。アニキの手元に握られている、その光り輝く小さな物体を。オレは急いでそれを取り上げて眺める。
「これって・・・検察官バッジ?」
あの時の狩魔とかいう検事が付けてたヤツと同じだ。そういえば、メイも子どもながらにこれを付けていた記憶がある。
「何でアニキがこんな物を・・・」
「俺は・・・・・・ケンジだ」
再び同じ言葉を男は呟く。とにかく、ここで呑気にお喋りしているわけにもいかないな。
オレは救急車を呼ぶための携帯電話をポケットにしまい、その男の肩を組んで家まで連れて帰った―――
「そして、今に至るってわけか・・・」
「そうだ。ずっとオレは、そいつがアニキなんだと思ってた」
でも、それはちょっと違う。薄々勘づいてはいたんだ。黒原が本当のお兄さんではないことに。
そうでなければ、サイコ・ロックは現れなかった。
「どの辺から気付いたの?彼が赤の他人だということに・・・」
「暮らしていけばわかるさ。職業は検事だって言い張るし、バイオリンは下手くそだし、
一人称が“俺”だったし、若すぎる感じがするし・・・」
「思いっきり別人じゃないか!!」
「・・・ぜんぶ、記憶喪失の後遺症なんだと思ってたんだ」
どんな後遺症でも、若作りになる症状はないと思うけどな・・・
「認めたくないっていうのもあった。だから、無理矢理にでも昔のアニキにするために、色々と矯正したんだ」
それが、あの一人称であり、甘い台詞であり、とにかく自分を芹緒奏詞なんだと思わせた姿ってワケか。
死刑を免れたと思ったら、記憶喪失を良いことに全くの別人に成りすまされていた。黒原も散々だよな。
「とりあえず、話せることはぜんぶ話した。これで良いだろ?」
いや、まだ納得できない。なぜなら、サイコ・ロックがまだ残っているんだ。彼の後ろに2つも。
「ところで、本当の君のお兄さんはどうしたのかな?黒原が出るまでは、“お兄さんを失った”って言ってたけど」
「本物のアニキなら・・・死んだよ。正確には、そう聞かされていた」
「誰に?」
「あの狩魔ってオヤジさ。俺はあの検事に聞いたんだ、アニキのことを。
そうしたら、“死刑になった”ってあまりにも無表情で言われてな。俺は余計に裁判を嫌いになった」
彼が道を踏み外したとすれば、それは狩魔豪を相手にしたことだろう。
何も知らない純粋な彼にとって、狩魔豪の黒さを背負うのは荷が重すぎたんだ。
「だから、そのクロハラってヤツが倒れていた時は、たとえ別人だったとしても凄い嬉しかったんだ」
にしては、何か腑に落ちない。言葉では言い表せないけれど、何かが引っかかる。
弁護士が言うのもおかしなコトかもしれないけど、殺人1件で簡単に死刑になったりする物なのだろうか?
「君はお兄さんは死んだと聞かされただけなんだよね?今でもまだそれを信じてるの?」
「当たり前だろ」
僕は或人くんみたいに超絶対音感なんて持ってない。でも、自分の経験が囁いている。彼は嘘をついている、と。
「ひょっとしたら、本物の芹緒奏詞は生きているんじゃないのかな?そして、君もそのことに気付いている」
「バカ言うな。どこにそんな証拠が・・・」
彼はなぜかお兄さんの存在を隠そうとしている。その可能性を示す証拠品を僕は持っている。
「だったら、もう一度説明してくれるかな。この《顎当て》がなぜ君の所持品なのか?」
「だから、指揮者をやる前にバイオリンをやってたからって言ってるだろ。名前だって彫ってあるじゃないか」
僕は首を振った。茜ちゃんから貰ったあのデータのお陰で、僕は自分の仮定を信じることが出来る。
「その『Alto.S』なんだけど、検査してみたらおかしなコトがわかった。『l』と『.』だけが真新しく彫られてるんだよ」
「ッ!?」
彼は明らかに動揺をしている。こんな細かいところまでばれないと高をくくっていたのだろう。
「その部分を取り除くと残るのは『A to S』の文字だけだ。この意味、もう言わなくてもわかるよね?」
「さ、さあな・・・」
あくまでもシラを切ろうというのか。ならば、僕も君の挑戦を受けようじゃないか。
「『AからSへ』っていう意味さ。Aは或人のA,Sは奏詞のS。おそらくこれは、
君がお兄さんへ贈ったプレゼントだったんじゃないのかな。つまり、これは君の持ち物なんかじゃない。
正真正銘、バイオリニストの芹緒奏詞の《顎当て》だったんだよ!!」
「や、やめろッ!!」
錠が割れると同時に彼は、僕らを遮るアクリル板を激しく叩く。残り1個のサイコ・ロックを後ろに抱えて。
「だから何だって言うんだ。これがアニキの物だったら、何かが変わるって言うのかよ!誰の持ち物だろうと関係ねえだろ!!」
彼は感情が高ぶるとヒステリーを起こす癖がある。
でも、今までのに比べると何かが違う。その威圧の中に、悲しみのような物が混じっている感じがした。
「ここまで来ればもう見当は付く。なぜなら、この顎当ては現場に落ちていた物なんだからね」
彼は握り拳をアクリル板に押しつけたまま黙っている。
辛いことかもしれないけれど、真相を見つけるために、僕はここから先を言わなければいけない。
「死体の傍に落ちていた顎当てを見て、とっさに君は顎当てに偽装を施した。お兄さんの所持品を、
あたかも自分の持ち物であるかのように。つまり君は、お兄さんをかばったんだ」
これが僕の辿り着いた真実。でも、サイコ・ロックはそれに答えてはくれなかった。
「ど、どこにそんな証拠があるって言うんだ・・・」
「え?」
「『A to S』を『Alto.S』と書き加えたのはわかったよ。でも、それがいつ彫られたかはわからないだろ。
事件よりももっと前に彫られた可能性だってあるじゃないか!!」
言い訳に言い訳を重ねて、どんどん闇へと転落していく。でも、これが当然の感情。
何も信じられないから、こうして誤魔化すことしかできない。
「何も言えないだろ!!所詮、弁護士なんてそんなモノなのさ。人を疑ってかかることしかできないんだ!!」
だったら、ただ一人彼らを信じてその闇に優しく手を差し伸べてやるのが、僕ら弁護士の仕事なのかもしれない。
「発想を逆転させれば難しくない。顎当ては“いつ彫られたか”じゃなく、“事件当日しか彫れなかったん”だよ」
「だから、その証拠を見せてみろって言ってるんだよ!」
「顎当てが落ちていたのも、それを君が拾ったのも偶然。となると、細工するのもとっさの出来事だったはずだ」
「だから?」
つまり、彼には彫刻刀のような顎当てを彫る道具なんて持っていなかった。だから、とっさに“あれ”を使って顎当てを削ったんだ。
「削る道具のない君は焦った。そして、代わりのモノで顎当てを削った。指揮者である君が常備しているその《タクト》を使ってね」
「それが事件当日にしか彫れないっていうのとどう関係するんだよ」
「このタクトは先端が欠けている。事件の前日に貰った新品のはずなのに。
逆に言うと、それが欠ける時っていうのは、顎当てを削った事件当日でしか有り得ないのさ!」
「そんなの推測にすぎないじゃないか!」
「知り合いに凄腕の捜査官がいるんですよ。そのタクトを貸してくれたら、顎当てを削った道具が君のタクトであることを、
カガク的に証明してくれるはずだ!」
「か、カガク的だとぉ!?」
もはや会話にすらなってないこの白熱した闘いに、ようやく決着は付いた。
しぶとく残った最後の心理錠は、空しくもあっさりと割れてしまい、残ったのは精魂共に尽き果てた被告の姿だけだった。
「認めるんだね、何もかも」
「あぁ・・・アンタには負けたよ。オレが聴いた中でも、一番熱い音が響いた」
辛い現実を突きつけられて、彼は言葉を返すのもやっとって感じだ。少し落ち着いてから、彼は話し始めた。
「確かにオレは、事件の日にこの顎当てを現場で拾った。アンタの言う通り、それはオレがアニキにプレゼントしたモノだった」
「それで、君はお兄さんが少なくともこの事件に関わっていることを知った」
「アニキが生きているという嬉しさよりも、アニキが殺人犯になっている恐怖の方が強かったんだ。
だからオレはとっさに、手元のタクトで顎当てを削って、『A to S』に“l .”を書き加えた・・・」
本当だったら『Aruto.S』と書き加えたかったんだろうけど、Aとtoの間はせいぜい一文字分のスペースしかなかった。
苦肉の策で“ru”の代わりに“l”を加えたために、あんな不自然なイニシャルが出来上がってしまったというワケか。
「本当にその顎当てはお兄さんにあげた物なんだね?」
「間違いねえよ。『A to S』も彫ってあるし、大きさや形も、アニキの顎に
ピッタリのサイズになるようオレが注文したヤツと同じだった」
なるほど。確かに人それぞれで顎の大きさって違うもんな。大きさや形を見れば、大体誰の物かわかるってワケか。
「顎当てと拳銃は念のために拭き取って、新しくオレの指紋を付けて、警察の目をアニキからそらせてやったのさ」
「或人くん・・・1つだけ言っていいかな」
「何だよ」
「どんな理由であろうと、警察の捜査を妨害する行為は犯罪なんだ。君がお兄さんを思う気持ちはよくわかる。
でも、君のやったことは紛れもない罪なんだよ」
「わかってる・・・わかってるつもりだけど、あの時には他にどうして良いのかわからなかったんだ・・・」
彼は机に頭を突っ伏して塞ぎ込んでしまった。僕はもう何も言うことは出来ない。
「なあ、成歩堂さん・・・」
「え?」
ちょっと驚いた。弁護士を嫌っていた彼から、初めてさん付けで呼ばれた気がするから。
「成歩堂さんだったら、オレを助けてくれますか?オレは偽装工作はしたけど、殺しはやっていない。
こんなオレの話でも、信じてくれますか・・・」
「当たり前じゃないか。僕は君の弁護士だよ」
「もしオレに無罪判決が下されたその時には、ちゃんと自分の罪を償うよ。だから・・・・助けてくれ・・・・」
顔を上げないために、彼の表情まで伺うことは出来ない。でも、その涙声で全てを悟った気がした。
今まで彼は現実に突き放されて生きてきた。冤罪の兄が裁かれた上に、死刑になったと素っ気なく言われ、
孤独で生きてきて、そしてこの留置所に閉じこめられた。
誰も信じることが出来ず、一人で生きることも出来ない。彼はそんな闇の道を今まで歩いてきた。
彼はもう、そんな重荷に耐えることが出来なくなってしまったのだ。
「僕は君を信じるよ。何があっても、君を守ってみせる」
「・・・嘘だったら、タダじゃすまさないからな」
「弁護士は嘘を見破るのが仕事だよ。嘘をついたりはしないさ」
これは半年前の事件でも言った覚えがある。確か、真琴さんの弁護を神乃木さんに頼んだ時だったかな。
被告は誰であろうと一時的に人を信用することが出来なくなっている。いや、ひょっとしたら自分さえも信じられないかもしれない。
僕に被告を信じる理由があるとするならば、彼らの笑顔を再び蘇らせたいからだろうな。
「でも、1つだけ約束してくれないかな」
「何だ?」
「これからは、どんな現実があっても絶対に逃げないこと。たとえば・・・その・・・」
あまりにも勝手な推測のために、言っていいのかどうか躊躇ってしまう。それを笑いながら、或人くんが代わりに答える。
「わかってる。たとえアニキが殺人犯だとしても、もう覚悟は出来ている。
また怒鳴り散らすかもしれないけど、今度はきっとすぐに受け入れられる」
果たして、それが本当に良いことなのかはわからない。
受け入れたくない現実を無理に受け入れさせることが、彼のためになるのかどうか・・・。
でも、現実を受け入れられなかったがために、彼が今まで苦しんできたのもまた事実なのだ。
「弁護士って良いヤツなんだな・・・」
彼はボソリと呟くように言った。
「今まで君が見てきた人たちが悪すぎただけさ。弁護士にも検事にも裁判官にも、良い人はいっぱいいる」
「今のアンタの言葉なら、少し信じられる気がするぜ」
彼は再び目の辺りを押さえた。掌をすり抜けて流れ落ちる一筋の液体を見て、じっと眺めるのも悪いと思って僕は目をそらした。
同日 某時刻 天野川 有田入町方面
天野川には米賀町と有田入町を結ぶ橋が架かっている。僕は事件現場の米賀町へ向かうため、有田入町から橋で渡ろうとしていた。
その途中で出会ってしまった。思い詰めたような表情で川底を見つめる、一人の女性の姿を。
そして、それは紛れもなく今日の法廷に出た証人、七音美歌であった。
彼女は手に小ビンを持って、そのまま服も靴も身につけた状態で川に入り始め、おもむろに小ビンを開け始めた。
僕と真宵ちゃんは同じ想像を巡らせた。そして、慌てて川へと走って、美歌さんの体を押さえて小ビンを強引に奪った。
「ッ!!?」
美歌さんは声帯障害を抱えているため、声にならない悲鳴をあげながら抵抗している。
「だ、ダメですよ、美歌さん!!自殺なんてしちゃダメですよ」
「そうですよ。あの電話の相手は僕らが必ず捕まえますから、早まった真似はしないで下さい!!」
真宵ちゃんと僕が決めつけた1つの仮定。
今日の法廷で誘拐犯は“七音美歌を連れてこい。殺してやる”と直接本人に電話をかけた。
それに怯えた美歌さんが、殺される前に自分が死のうと、毒薬の小ビンを手にしていたんだと思った。
『自殺じゃないですよ』
押さえつけられた状態で必死でペンを走らせ、ちょっと歪んだそのスケッチブックの字を僕らに見せた。
「じ、自殺じゃない?」
僕と真宵ちゃんが同時に手を離すと、少し息を切らせながら彼女はまたペンを動かす。
『ビンの水を川に捨てようとしただけですよ』
「そ、そうだったんですか・・・」
僕らはホッとして、彼女から盗った茶色い小ビンを見る。ラベルも何も貼って無く、謎の液体がただ少し入っているだけだった。
彼女は僕からその小ビンを取り返すと、中身の液体を川に捨て、空になったビンは河川敷に設置されてあったくずかごへと投げた。
『それでは、私はこれで』
彼女はそう書き残して去ろうとした。でも、僕は思わず「待った」をかけて、彼女の足を止めた。
「あなたも気付いてたんですよね?」
『何にですか?』
「芹緒検事が18年前の芹緒奏詞と別人だということにですよ」
彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を無にしてスケッチブックを見せる。
『昔は昔。今は今。花だっていつかは枯れるし、人だって常に同じではないんです』
まるで詩のように書き連ねた彼女の文字。
僕の質問に肯定してるようにも否定してるようにも見える。いや、それ以上に彼女は何かを訴えようとしているのか?
『18年前に私が受けた痛みなんて、あなたにはわからないのよ』
文字だけでは心情までは読み取れない。でも、この文字は一段と、強く殴り書きしたような感じが読み取れた。
「あなたの痛み。それって、狩魔豪から声を奪われたことですか?」
触れてはいけない一線なのかもしれない。それでも僕は、そこを踏み越えなければいけない。
『あなたって、残酷な人なのね。私の古傷を裂こうとするのだから』
そう、真実を知ることは時として残酷な行為なのだ。
『声も婚約者も自分自身も失った私から、あなたはこれ以上何を奪おうというの?』
そう知っていながらも、僕はこれ以上超える勇気はなかった。彼女の瞳が、近づくことを阻んでいるかのようにぎらついていた。
声、婚約者・・・これはなんとなく想像はつく。でも、“自分自身を失った”ってどういう意味なんだろう。
『法廷でまた会いましょう。その時には私も過去を話しているかもしれませんね』
彼女は軽く会釈を交わすと、綺麗なドレスを翻しながら去っていった。“過去”という名のわだかまりを僕らに残して。
そして、それを少しでも解く鍵になるのは・・・
「なるほどくん、それって・・・」
真宵ちゃんは僕の拾った物を見て驚いている。
「これを調べてもらうんだよ。きっと、何かわかるはずだ」
彼女がくずかごに捨てた《小ビン》を握りしめて、僕は向かうべき所へと足を運んだ。
橋を渡った先で待っている“あの娘”がいる場所へ。
《小ビン》・・・七音美歌が持っていた物。中に入っていた液体の正体は不明。
同日 某時刻 天野川 米賀町方面
「おぉ、待っていたッス。御剣検事から伝言があるッスよ」
自分の待ち人とは違うものの、これも自分の待っていた物には違いなかった。
「ひょっとして、狩魔検事が見つかったんですか!?」
「残念ながらそれはまだッス。ただ、それらしい建物に目星は付けたみたいッス」
そう言ってイトノコ刑事は一枚の紙を広げた。どうやら、天野川周辺の上面図のようだ。
《上面図》・・・天野川を中心に、左に米賀町、右に有田入町が書かれてある。
天野川は下流にかけて、米賀町側にかぎ型(S字型)にカーブしている。カーブが終わった先に橋が架かっている。
そんな上面図の右側、つまり有田入町のある地点に赤く丸が囲んであった。
「この建物は数年前に廃墟になった屋敷ッス。ここだったら人一人難なく隠せるし、川を挟んだ事件現場も見えるッス」
「その屋敷には踏み込んだんですか?」
「それが・・・既にもぬけの殻だったみたいッス。でも、監禁場所が有田入町と特定した後すぐに非常線を張ったッスから、
まだ犯人は有田入町のどこかにいるはずッスよ」
「ま、間に合うんですか・・・そんなことで」
「犯人は“またかけ直す”って法廷で言ったんスよね?それならまだ、狩魔検事を人質にどこかに立てこもってる可能性が高いッス」
確かに、まだ美歌さんを引き渡すという要求は果たされていない。それならまだ、狩魔検事は無事ということになるのだろうか。
「犯人も相当慌てて立ち去ったみたいッス。いくつか証拠品を置いていったッスよ」
「どんなものなんですか?」
「これから調べるから、まだ何とも言えないッス。何かわかり次第、それらを届けにあがるッス」
こちらの方はなかなか進展しそうにない。無事でいてくれよ、狩魔検事・・・
「そういえば、茜ちゃんは今いますか?」
狩魔検事と同様に、僕が待っているもう一人の“あの娘”。彼女の方は見つけるのに手間がかからなかった。
「あたしのこと呼びましたか?」
いきなり肩に重みがかかる。そして、僕の背後からひょっこりと彼女は現れた。
「あ、茜ちゃん。できれば後ろから脅かさないでほしいな」
「あはは、ごめんなさい。それで、何かあたしに用があったんですか?」
「あ、うん。ちょっとこの中身の正体を調べてほしいんだ」
そういって僕は、美歌さんの持っていたあの《小ビン》を茜ちゃんに手渡した。
「この小ビンを調べれば良いんですね。でも、中身がほとんど無いから、調べるのに時間はかかっちゃいそうですよ」
「できれば、明日までに調べてきてくれると嬉しいんだけどな」
茜ちゃんは小ビンを眺めながらちょっとうなったが、すぐに笑顔を取り戻した。
「わかりました。他ならぬ成歩堂さんの頼みですからね。頑張って調べてみます」
彼女はそういって両手を握って意気込んでいる。こういう仕草も真宵ちゃんそっくりだな。
「それじゃ、早速調べてみるので、あたしはこれで失礼しますね」
そういって彼女は小走りに去っていった。
あの小ビンの中身がわかれば、美歌さんの隠す秘密がわかるかもしれない。そんな淡い期待が僕の中にはあった。
明日で全てに決着を付ける。殺人事件も誘拐事件もDL6号事件も。
今日という日が長く感じられる。小夜曲はその長さを埋めるかのように流れていった。
続く
あとがき
ちなみに、最後の方に出てきた暗号。
音楽無知な自分が必死に練りだした物なので、
かなり無理がある上に、間違いの可能性もあります。
その辺はご了承下さい。
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