逆転の旋律〜終わらないDL6号事件〜(第2話)
あなたは還って来ない・・・・・はずだった。   〜〜♪〜〜♪♪〜♪〜♪  〜♪〜♪♪〜♪    だから私は弾き続けなければいけない。  この音をあなたの所まで響かせて、私の想いを伝えるの    ――あなたは死んだ。でも、せめて私の前では“奇跡”を見せて  演奏が終わると同時に、目の前のあなたは拍手をしてくる。  「残念なことに、あなたの演奏はまともに聞けたものじゃない。なぜだかわかるかい?」  私は静かに首を横に振った。  「先程のような素晴らしい音色を奏でても、あなたの美貌に耳よりも目を傾けてしまいそうだからさ」  私の目の前には、あなたが立っている。  でも、それはあなたであって、あなたではない。  いや、あなたですらない・・・  ――本当の“あなた”は一体どこへ消えてしまったの?  ――目の前のあなたは、一体誰なの・・・  哀しみを必死で心の内に押さえ込んで、軽く礼をする。  その瞬間、不意に涙も一緒にこぼれ落ちそうになってしまった。  どうして、私の前に姿を現してくれないの、と。  ――たとえ、それでどんな見返りを受けようとも私は屈しない  ――だって、私は全てを失ってしまったんだから、これ以上失う物なんて何もないもの    私はそっと自分の楽器(パートナー)をケースに収めると、最後に一言だけその風に乗せる。  ――永い眠りから一人で覚めるのは嫌なの。 だから、あなたも早く起きて。           【第2楽章】:Symphony    7月9日 午前9時34分 地方裁判所 第3控え室  結局、昨日のわかったことはほとんど皆無に等しい。目撃者の情報も、被害者の情報もよくわかっていない。 「本当に大丈夫なのか?なんか、顔が緑色してるぜ」  そして、もう一人。謎の指揮者、とでも言えば聞こえは良いかもしれないが、弁護人の僕でも情報の掴めない被告人、芹緒或人。 やっぱり、“裁判が嫌い”という彼の言葉で、なんとなく取っつきにくくなってるのが事実なのだろう。 「だ、大丈夫だよ。絶対君を助けてあげるから」  僕は何とか作り笑いをして、スーツのポケットに手を当てる。助けてあげるのは目の前の彼だけじゃない。  この事件の何らかの関係者によって監禁されている狩魔検事も、同時に救い出さなきゃいけないんだ。  まだ誘拐犯からの電話は来ない。そろそろかかってきても良いはずなのに。奴は何を考えているんだ? 「そういえば、今回の検事のこと君は知ってるの?」 「検事?俺のアニキが担当だってこと、知らずに弁護をやろうとしてたのか?」  少し不安げな顔つきで睨み付ける。どうやら、自分の兄さんが担当検事ってことは知ってるみたいだな。 それにしては、ずいぶんと冷静だな。  情報の少ない裁判に営利誘拐事件。この重荷に押しつぶされてしまいそうな気持ちに駆られる。 少しでも気を落ち着かせるために、僕は法廷記録に目を通した。      【証拠品ファイル】  《広告》・・・僕の町内会に配布された花火大会の広告。夜の9:00〜10:30まで花火大会をやっている。 9:30に文字花火の打ち上げ予定。  《携帯電話》・・・狩魔検事の携帯電話。誘拐犯との唯一の伝達手段である。  《顎当て》・・・バイオリンを弾く時に使う道具。木製で『Alto.S』と彫られてあり、芹緒或人の所有物である。      【人物ファイル】  《芹緒或人(25)》・・・事件の被告人。指揮者をやっていて、今回の担当検事・芹緒奏詞の弟。裁判という物を異常なほど嫌う。  《悪野裁紀(故人)》・・・今回の事件の被害者。裁判官をやっていたが、その他の詳細は不明。  わかっているのはこれだけ、か。一つ溜め息をつくと、幾分か気持ちはおさまった。が、心が晴れたわけではなかった。 「そろそろ時間です。被告人、弁護人は法廷の準備を」  係官の声が聞こえてくる。僕はもう一度息を吐くと、それなりに気合いを入れて法廷へと臨んだ。    同日 某時刻 地方裁判所 第3法廷  さっきまでの気合いは一気に吹っ飛んだ。  僕は声も出すことが出来ない。なぜなら、目の前には絶対にあり得ない光景が映し出されていたからだ。  検察席に立っていた、おそらくは芹緒奏詞と思われる男性。黒々としたスーツとスカーフを身につけ、黒縁の眼鏡をかけている。 心なしか本人までが漆黒のオーラに包まれてるような、毒々しい雰囲気漂う独特のスタイル。  僕には一人だけ、その人物に心当たりがあった。 「黒原ッ!?」  考えるよりも先に口から出てしまった。その“黒原 健司(くろはら けんじ)”の名が。  彼のことを語るには、まずDL6号事件から説明する必要があるだろう。  彼の父親は黒原 飛響(くろはら ひきょう)と言って、18年前は地方検察局の検事局長だった。 しかし、その裏では、その権力を悪用して不正立証を行っていた悪徳検事だった。  そして、その不正は狩魔豪へと伝わった。つまり狩魔豪の不正は、黒原飛響によって教え込まれたものなのだ。  だが、御剣信が狩魔豪の不正を暴いた18年前の裁判。狩魔豪の不正から芋づる式になって、 不正の師である黒原飛響の悪行もバレてしまった。  それに怒った黒原飛響は、狩魔豪に“処罰”を与えた。それが元で起こったのが狩魔豪による御剣信殺害事件。 つまり、『DL6号事件』だ。  不正をバラされた黒原飛響も、マスコミなどに叩かれて責任を取って辞任。その後、息子の健司と一家心中を企んで、 海沿いの崖の方へと向かった。しかし、崖の先で抵抗する息子ともみ合い、結果的に息子の健司が黒原飛響を海に突き落とした。  父親を殺してしまった黒原健司は、自分の拭えない“罪”から立ち直る方法を見つけた。 しかし、それは『罪を罪で包み隠す』という最も残酷な方法だった。  彼は、自分を危うく死に陥れようとした父親を追い込んだ御剣信の息子、御剣怜侍への復讐を企んだのだ。  そして、半年前。彼の復讐計画は実行へと移され、まんまと御剣を殺人事件の被告に仕立て、自分の手で彼を裁こうとした。  だが、その復讐は僕の弁護によって食い止められ、僕は黒原をその事件の真犯人として告発した。  その裁判の後、黒原はその身勝手で残虐な行為から死刑判決が決まり、つい先月、その刑が実行に移されたばかりだった。  だから、あいつが・・・黒原が生きているはずがないんだ。なのに、自分は“死人”の名前を口走ってしまった。  対する検察側の男は、僕の言葉に唖然とした表情をとった。 「黒原?誰ですか、その人。自分の名前は芹緒奏詞。あなたの人違いなんじゃないですか?」  にっこり笑いながら、さらっと返してくる。嘘をついてるようには見えない。  『この世には、自分と同じ顔の人間が3人はいる』と聞いたことがある。でも、いくら何でもこれは似すぎている。 あれは紛れもなく黒原なんだ。僕は小学校の頃から彼を知っている。見間違うはずがないんだ。 「そんなに怖い顔をしないで下さい。それとも、まだ自分をその“クロハラ”さんだと思っているのですか?」  笑みから苦笑いへと変わっていった。もっと突っ込みたかったが、そんな進展しない会話に苛ついたのか、裁判長の木槌が鳴る。 「これ以上やっていたら裁判が進みません。何のことかわかりませんが、弁護人は話は中断するように」  そういえば、黒原と僕の対決は、裁判長の弟がやったんだっけ。裁判長は写真でしか黒原の顔を知らないから、 芹緒検事が黒原に似ていることに気付いてないんだな。 「す、すみません。それじゃ、裁判を始めましょうか」  笑って誤魔化すが、裁判長はじっと僕を睨んだままだ。  それに対し、芹緒検事は満面の笑みで僕を見てくる。“どうやら、わかってくれたようですね”と言わんばかりに。  ある意味、黒原の嘲笑よりも腹が立つな、あの笑みは。  《芹緒奏詞(26)》・・・今回の事件の担当検事で、被告人・芹緒或人の兄でもある。黒原健司そっくりだが、 あいつに似合わぬ微笑をよく浮かべる。  《黒原健司(???)》・・・1ヶ月前に死刑が執行されたはずの殺人犯。生前は常に黒い噂が絶えない嫌な検事だった。 「それでは、これより芹緒或人の法廷を開始します。検察側、冒頭弁論の方を」 「わかりました」  丁寧な返事をした後、律儀にお辞儀をする。漆黒の衣装とは不似合いの行動に、僕はちょっと戸惑いを隠せないでいる。 「事件は7月7日の天野川で起きました。被害者は悪野裁紀。裁判官です。裁判官の世界の間では、少しは有名な人物だったとか?」 「そうですな。死人にこう言うのもなんなんですが、何かと黒い噂の絶えない人でした。 いつ彼が裁判にかけられてもおかしくない状況でしたな」  なるほど。あの悪人面は見かけだけじゃなかったってワケか。 「被害者は拳銃で心臓を撃たれての即死。他に外傷は見当たりませんでした。これがその解剖記録です」 「わかりました。受理します」  《悪野裁紀の解剖記録》・・・左胸に銃弾を一発受けての即死。他に外傷は見当たらなかった。死亡時刻は10:00頃と思われる 「そして、捜査の結果から芹緒或人の逮捕に至ったわけです。その経緯については、担当の刑事に話を聞くことにしましょう」  その言葉を合図に、イトノコ刑事が颯爽と入廷してきた。 「それでは、糸鋸刑事。捜査についての証言を頼みます」 「了解ッス」  芹緒検事の微笑に、イトノコ刑事も素直に応じる。  黒原とは対照的に、芹緒検事には純粋という名の“恐怖”が感じられる。彼の笑顔はその象徴とも言えるのだろう。 「被告を逮捕した理由は主に3つあるッス。1つ目は、現場に落ちていた《拳銃》ッス。 調べたところ、被害者を撃ち抜いた凶器の拳銃と見てまず間違いないッス。そして、そこには被告人の指紋が付いていたッス」  拳銃に指紋が付いていたなんて初めて聞いたぞ。これでまた一歩、検察側に有利な証言になっちゃったのか。  《拳銃》・・・凶器となった拳銃。被告人・芹緒或人の指紋が付いている。弾が1発だけ撃たれた形跡がある。 「2つ目はこの《顎当て》ッス。これも現場に落ちていたものッス。バイオリンの演奏時に使う道具らしく、 これは被告の持ち物だそうッス。表面には『Alto.S』と彫られているッス」 「ふむぅ、『Alto.S』。まさしく、被告人の“いにしある”ですな。 ところで、被告の職業は指揮者と伺っていますが、何故バイオリンも道具を?」 「指揮者をやる前は、バイオリンをかじっていたそうッス」  彼もそんなこと言っていたっけ。でも、何でバイオリンからいきなり指揮者に転向したんだろう。 「そして、3つ目。これが決定的ッスね。2人の目撃者が、彼の犯行をしっかり見ているッス」 「目撃者が2人もいるんですか。それは決定的ですな」  裁判長は深く考え込む。とても険悪なムードが周りには漂っていた。 「もう充分でしょう。それでは、目撃者の証言に移りましょう。まずは、有田入町から事件を目撃した鈴鳴聴真の話を・・・」 「俺のこと呼んだ、検事さん?」  芹緒検事が全てを言い終える前に、乱暴に法廷の扉を開けて入廷してきた男が一人。 「まだ私の話は済んでませんよ」 「気にしない、気にしない。あ、ウチは鈴鳴聴真って名前なんで、そこんとこシクヨロ♪」  誰も聞いていないのに、勝手に名前を喋り始めている。シクヨロって、ヨロシクって意味だよな・・・たぶん。 「あなた、見た感じそこまで若いとも思えませんが、一体いくつなのですかな?」  裁判長が僕の心の中を代弁してくれる。どう考えても、僕と同じかそれより上ってとこだ。 見ているだけで、その若作り(と言えるかもわからないが)の言葉が、痛々しく思える。 「俺の年?いくつに見えると思う?」 「聞いているのはこっちですぞ!」  裁判長は業を煮やして、思いっきり木槌を叩く。とんでもないことになってきたな。 「じゃあヒントな。レとファ、ラの上に点々が付くんや」 「できれば、ヒントじゃなくて答えを教えてもらいたいものですな」  確かにその通りだが、こういう下らない問題でも答えようとしてしまう自分が悲しい。しかも、答えがわからない。 「音階でレ・ファ・ラの上は、それぞれミ・ソ・シ。そして、シに濁点を付けて読めば、『ミソジ』。 つまり、30歳だって言いたいのでしょうね」  検察席からあっさりと解答が返ってくる。意外とこういうことには強いんだな、芹緒検事は・・・。 「ピンポ〜ン♪♪ なかなか検事さん、やるじゃないっすか!」  法廷で完全に一人だけ浮いている、鈴鳴と名乗るその男。ノースリーブTシャツに腿までしかないショートパンツ。 かなり涼しげな格好の割に、そこから放たれる熱気はただならぬものじゃない。その熱気には腹立たしささえ覚えてしまいそうだ。 「30歳でその妙なテンションは、もう少し何とかならないものですかな」  おそらく、初めて僕と裁判長の意見が合いそうだな。といっても、言われている本人は気にもしてないようだけど。 「とりあえず、さっさと始めてしまいましょう。これ以上付き合っていたら、日が暮れてしまいそうです」  裁判長が強引に木槌を叩いて一括すると、法廷の空気は一変して穏やかになった。 「それでは、証人。あなたが一昨日の事件で目撃したことについて話してください」  この修羅場、しばらく続きそうだな・・・。おそらく、この証人がいる限りは。 「俺さ、ビハナ(花火)見に天野川まで来たんだけど、そこでビハナより凄いもの見てしまったワケよ。ドラマ顔負けの殺人事件だぜ」  その殺人事件の目撃証言なのに、やたらウキウキとした表情と軽快な口調で喋っている。 これは、芹緒検事以上に調子が狂っちゃうな。 「川の向こう岸に2つの人影があって、片方がもう片方の奴に何かを向けてたんだよ。 その後で『バァン!』って銃声のような音がしたから、すぐにそれがジュウケン(拳銃)だってことに気付いたんだ。  そして、そのジュウケンを持っていた奴。犯人は間違いなく、そこの席にいる兄ちゃんだったぜ!」  ビシッと水平に伸びたその指の先は、被告席の或人くんを指し示していた。当の或人くんは、小さく舌打ちをする。 「オレはあの日から、一度たりともお前のそのムカツクにやけ面を忘れたことはなかった。アンタはつくづくいい加減なヤツだ。 18年前と変わらずにな!!」  或人くんのトーンの高い叫び声が法廷内を震えさせる。証人と或人くん、昔合ったことがあるらしい。しかも、18年前に。 「あれェ?会ったことあったっけ。全然覚えがないんだけど」  一方の証人はと言えば、そんなことを言って笑いながら、呑気に頭を掻いている。  或人くんはそれに呆れたのか諦めたのか、大きく溜め息をついて黙りこくってしまう。 どうも彼は一時的に感情が高鳴る性格のようだ。 「それでは、弁護人。尋問をお願いします」  あらゆる意味で無法地帯と化しているこの法廷で、唯一落ち着いていられる裁判長。これも長年の経験の賜物なのかな。 「あなたは、有田入町から川を挟んで米賀町の現場を見たんですよね。撃った人物が本当に見えたんですか?」 「馬鹿にすんなよ。これでも俺の視力は、両目とも0.2だぜ」  証人は自信満々な態度で、自分を指さしながら答える。 「いやいやいや、相当視力が悪いじゃないですか!」 「そっちこそ何を勘違いしてるんだよ。俺の視力は2.0。反対に読んだら0.2だろうが!」  そこは逆さに読むべきところじゃないだろう、とツッコむ気力も失せるほどの落胆が襲う。でも、彼の視力には問題ナシ、か。 「撃った時間。それは覚えていますか?」 「俺、時計持ってねえからな。あ、でも、銃声がした時にちょうどビハナ文字が上がったな。 『I LOVE ユカリ byマサシ』って」  たしかに、そんな文字花火も打ち上げられてたな。僕はあの花火を見た時、あいつを思い浮かべたのをよく覚えている。 「現場と花火の打ち上げ場所は離れている。そこから考えても、証人の視力は優れてることは証明されるでしょうね」  落ち着いた声で解説する芹緒検事。だが、どうもこの証言は腑に落ちない点がある。一体、何だ?  法廷記録をもう一度読み返し、僕はピタリとあるページで止まる。これが何を意味するかはわからないが、 ムジュンである以上突きつけなければいけないだろう。 「異議あり!」  僕は机を叩いて、御剣には劣るその眼力で証人を睨み付けた。 「本当に銃声が鳴った時、文字花火が見えたんですね?」 「あぁ、間違いねえよ。だから言っただろ、俺の視力は良いんだって」 「今は視力よりも記憶力が問題なのです。この《広告》によると、文字花火の打ち上げは9時半です。 しかし、被害者が殺されたのは10時なんですよ。なぜ30分のズレが存在するんですか!」 「異議あり!」  少し柔らかい声で発言した芹緒検事。やっぱり、黒原と比べると今ひとつ迫力に欠けるな。 「その広告には《9:30に打ち上げ予定》と書いてある。つまり、あくまでも“予定”であり、 実際の花火大会で9:30に打ち上げられたとは限りません」 「いいえ、確かに打ち上げられました。僕らもそれを見物して、ちゃんと時刻も確認しています。 間違いなく文字花火は9:30に打ち上げられました!」 「・・・ッ!!」  さすがの検事も黙ってしまった。まさか、僕らも花火見物をしていたなんて、思いもしなかっただろうからな。 「10時に犯行が行われているのに、9時半に打ち上げられた文字花火を見れるわけがない。 なのに、何故あなたには見ることが出来たんですか、証人」 「そんなこと俺が知るかよ!俺は銃声も聞いたし、花火も見たんだ。間違いねえよ」 「しかし、実際にムジュンは起きている。あなたの記憶力を疑わざるをえないんですよ」 「そ、そんなバナナ(馬鹿な)・・・」  法廷が一瞬にして凍り付く。これじゃ2年前のピエロの悪夢の再来だ。頼むから、誰かこの証人の暴走を止めてくれ!! 「と、とにかく、あなたの証言がイイカゲンでないというのなら、もう一度証言してください。殺害時の状況を詳しく」 「KO♪」 「KOって・・・ノックダウンされてどうするんですか! OKですよ!」   無難なツッコミは入れるも、この証人には一生かかってもついて行けそうにないな。ついて行きたくもないけど。 「俺は本当に聞いたんだよ、銃声を。そいつは、ジュウケンでオッサンを撃ったんだよ。 俺は止めようと思って急いでその場を離れて、橋を渡って現場に向かった。そして、そこで現場を逃げる被告人を見たってワケさ」  うーん、さっきの証言とあまり変わらない気もするな。もう少し問いつめる必要がありそうだ。 「本当に見たんですね。被告が被害者を撃つ瞬間を!」 「疑り深いなぁ。マジで見たんだよ。オッサンの足をズガン!!と打ち抜くその一瞬を。 だからヤバイって感じて現場に駆けつけたのさ」  ヤバイと感じたと言うよりは、ただ面白半分で見に行ったとしか思えないんだけどな。  だけど、そんなことよりも重要なのは、この証言に潜む明らかなムジュンなんだ。 「異議あり! 彼の今の言葉は明らかにムジュンしています!」 「い、今の証言に何かおかしなところでも・・・・?」  裁判長は目を丸くしたまま、口をポッカリと開けている。もう少し考えると言うことを知らないのかな、この裁判長は。 「おかしなところが大ありですよ。《解剖記録》を見れば火を見るより明らかです。  『被害者は左胸を撃たれて死んでいる。しかも、他に外傷はない』、 つまり、被害者が足を撃たれるところを、証人が目撃できるわけないんです!」 「じょ、冗談だろ、オイ!?俺は確かにこの目で見たんだぜ。被害者のオッサンが足を撃たれて倒れ込む瞬間をな」 「でも、実際に被害者は足を撃たれてないんですよ。あなたの見間違いとしか思えません」 「異議あり!」  待っていましたとばかりに、今まで口を出さなかった芹緒検事が異議を繰り出す。今までは様子見だったというワケか。 「ひらりひらりと障害物を華麗にかわすアゲハ蝶。さて、あなたはその殺し方を知っていますか、成歩堂さん?」 「え・・・ちょ、蝶の殺し方?」  彼の唐突の言葉よりも、『〜知っていますか?』というあのフレーズが、それを口癖とした黒原と重なったことに戸惑ってしまった。 本当に芹緒検事が赤の他人とは思えない。 「羽をもげば動きを止めることは出来るでしょう。だけど、少しでも楽に死なせるには、 胸部を指で優しく潰すのが一番効果的なんですよ」 「・・・・・・・・あ、あの、一体何の話をしてるのですか、芹緒検事?」  裁判長の言うように、一体この話に何の意味があるんだ、と誰もが言いたそうだった。 「いえ、美しい物は壊さずに壊して、自分のモノにしたい。このムジュンを私なりに表現したかったんですよ」 「ここでそんなことを語らないでください!」 「嫌だなぁ、裁判長。そこの証人よりも美麗かつ上品な冗談じゃないですか」  どこが“美麗”で“上品”なんだ。冗談にそんな物が存在するなら、証人の冗談に困ったりはしないんだよ。 「本題に戻しましょう。つまり、足を撃たれたからと言って、それが当たったとは限らない。 そう、被害者は蝶のように華麗にかわしたんですよ。そして、2発目に心臓を撃たれて死んだのです」 「そ、そうだよ。思い出した!俺は足を撃たれたのを見て、現場へ向かったんだけど、 そこに駆けつける途中でまた銃声が聞こえたんだよ。きっとそのときにオッサンは殺されたんだ」  最初からそう言ってくれれば、こんなに時間をとる必要もなく、“もっと早く追いつめることが出来た”のに――― 「芹緒検事、どうやら証人に墓穴を掘らせてしまったようですね」 「・・・どういう意味ですか?」 「簡単なことです。銃は2発撃たれなかったんですよ。だって、《拳銃》の弾は1発しか減ってませんからね」 「な、なんですって!?」  自ら提出した証拠品なのに、すっかり忘れていたらしいな。さて、そろそろ主張しても良いかな。 「これでお分かりになったでしょう。証人・鈴鳴聴真の証言は曖昧でムジュンだらけです。この証人の記憶はアテにならないんです!」 「俺の証言はズーミー(水)もラーモーしない(漏らさない)ペキカン(完璧)なものだったんだ! それを、テーアー(アテ)にならないとは、てめぇ、俺に何かミーウラ(恨み)でもあるのかッ!」  鈴鳴は証人席を殴って派手な音を鳴らすと、まるで狂ったかのように逆さ言葉を連発した。 「い、いかん。係官、急いでこの証人を退廷させて下さい。今すぐにです!」  裁判長の命令に、数人の法廷係官が一斉に証人席に向かって飛び出し、我を忘れて暴れる証人を取り押さえる。 「は、放せ。俺は確かに見たんだァッ!!間違ってるのはあいつらの方なんだァァァッッ・・・・・・」  鈴鳴聴真の最後の轟音だけが虚しく聞こえ、法廷の扉は固く閉ざされることとなった。  そして、木槌の音だけが静まりかえった法廷に強く響いた。 「結論は出ました。鈴鳴聴真の証言はいい加減な物で、信用性を著しく欠いていました。よって、今の証言は無効とします」  ふぅ、どうやらひとまずは難を逃れたみたいだな。 「目撃者は2人いるとおっしゃっていましたな、芹緒検事。もう一人の目撃者の証言の準備をお願いします」 「残念ながら、裁判長。その証言は聞けないんですよ。いや、裁判長に聞かせたくないんですよ」 「ど、どういう意味ですかな?」 「ここで出してしまえば有罪判決は確定。証言を聞かせずに裁判を明日に延ばした方が、 裁判長の顔をもっと長く見れるじゃないですか」  芹緒検事は表情一つ変えずにサラリとそんな台詞を言ってくる。 「男にそんな甘酸っぱい言葉を囁かれても、全然キュンとしません。早急に証人を出さないと、法廷侮辱罪を適用しますぞ!」 「やれやれ。もう少しユーモアを理解できないものですかね。目撃者の証言が聞けないのは、他にちゃんと理由があるんですよ」 「いいから、早く証言の準備をしてください!」  僕の言葉にも自然と力が入る。芹緒検事は1つ溜め息をつく。 「もう一人の目撃者、七音美歌。彼女は喋ることの出来ない人間なんですよ」 「喋ることが・・・・・・出来ない?」  一体、どういう意味なんだ。サユリさんじゃあるまいし、喋れない証人って・・・ 「それは証人席に立たせればわかることでしょう。裁判長、少し休憩を挟んでもらっても良いですか?」 「それは構いません」  そう言うと裁判長は木槌を1回叩く。 「それでは、これより10分間の休憩を取りたいと思います。もう一人の目撃者の話はそのあと執り行います」    午前12時3分 地方裁判所 第3控え室 「或人くん。少し話があるんだけど」  控え室に戻るなり、僕はずっと抱えていた疑問を彼にぶつけようとしている。彼もそれを察してたか、顔が引き締まっている。 「何ですか、一体」 「芹緒検事のことですよ。本当に彼は君のお兄さんなの?」 「当たり前だろ。アニキだって自分からそう言ってるじゃねえか」  だけど、彼の視線は心なしか僕からそれていて、その背後には見たくなかった光景が広がっていた。  心理錠(サイコ・ロック)が5つ、僕の目の前にその鎖の壁が立ち塞がった。やっぱり、彼は嘘をついている。 「それは違う。彼は君の本当のお兄さんじゃない」 「バカなこと言うな!どこにそんな証拠が・・・」 「僕は彼を一度見たことがあるんだ。彼の本当の名前は、《黒原健司》・・・」 「ッ!?」  驚きをグッと抑えたようだけど、その焦った表情だけは消えなかった。  そして、彼を纏う錠が1つ虚しく割れた、次の瞬間だった――― 「・・・鎖の擦れる音、硝子のような物が割れる音。まるで、オレの心の脆(もろ)さを表してるようで、いつ聞いてもヤな音だぜ」  それを発したのは他でもない或人くん。ど、どうなってるんだ。彼には、サイコ・ロックが見えているのか!? 「そして、アンタもその音が聞こえるみたいだ。割れる音のした時、アンタの表情が少し緩んだ。 アンタは一体、オレに何をしたんだ!?」  突然胸ぐらを掴まれて身動きが取れなくなった。真宵ちゃんが必死で彼を抑えようとしたのが功を奏し、彼の握力が弱まった。 「・・・悪かった。なんか、証人でヤツが出てきた時、何か無性にイラついて。それでカッとなってしまった」  スーツから手が離れて、少し咳き込んだ後に言った。 「別に気にすることはないよ。それより、君には何でサイコ・ロックが見えてるの?」 「さいこ・ろっく、何だそれ?」 「え・・・?だって、鎖や何かが割れる音が聞こえたんでしょ?」 「聞こえるのは音だけさ。音からイメージを膨らませて、いろいろな物がオレには見えてくるんだ」  だからさっき錠が割れる音を“硝子のような物が割れる音”と曖昧な表現をしたのか。 「絶対音感・・・音を一度聞いただけで、それを楽譜に表すことが出来る特殊能力。オレには生まれつき、それが備わっているんだ」  なるほど、その能力を生かして指揮者になって、音の指導をしているってわけか。 「そして、絶対音感やズバ抜けた聴力だけでは聞き得ない音。例えば、心の中の音。オレにはそれさえも聞こえてしまう。 オレはこの能力を“超絶対音感”と呼んでいる」  超絶対音感・・・その名の通り、絶対音感を超えた絶対音感。彼の言葉は、妙な重みを僕に与えた。 「それで、さっき言ってた“さいこ・ろっく”ってのは何なんだ?」 「え・・・」  突然の質問にとっさの答えが出てこなかった。今になって自分の失言を後悔した。  隠しても仕方がないので、洗いざらい白状した。信じた信じないは別にして、或人くんは意外にも僕の話を素直に受け入れた。 「なるほどな。つまり、そのサイコ・ロックっていうのは、オレがさっき聞いた音を一度信号化させ、 それを目に見えるよう映像に具現化した物なのかもしれないな」  論述的な言葉で独り言を呟く彼を見ながら、ふとあることを思い出した。 「そういえば、さっきの証人とは知り合いだったみたいだけど、一体どういう関係なのかな」 「関係も何も、オレが裁判を嫌いになった18年前の法廷。そこで、ヤツは事件の証人として顔を出していたのさ」  僕は一瞬、悪寒を覚えた。18年前って言えばちょうど、DL6号事件が起きたのと同じ年じゃないか。 「よければ、その18年前の裁判について詳しく教えてく―――」     〜〜〜♪〜♪♪〜〜♪〜♪♪〜〜♪〜  僕の言葉を遮って流れてきた、聞き覚えのあるメロディー。狩魔検事の携帯電話だ! 「ゴメン、この話はまた今度」  そう言い残して僕は真宵ちゃんと一緒に控え室の外に出た。 「もしもし」 『どうやら、逃げずに法廷まで来たようですね』 「・・・人質は無事なんだろうな?」  真宵ちゃんも犯人との会話に必死に耳を傾けながら、僕のやりとりを見守っている。 『まだグッスリ眠っていますよ。薬が少し強かったみたいですね』 「ここに電話してきたのは、人質交換の要求の件か?」 『そうです。あなたがそれを守ってくれれば、人質は無傷でお返ししましょう』  かたく唾を飲み込む。要求によっては、僕は2年前と同じ道を辿ってしまう。 『要求は1つ。これから証人として出廷する七音美歌。彼女をこちらに引き渡して貰いたい。ただそれだけです』 「え・・・」  あまりにも予想外な要求に、次の言葉がなかなか出てこない。 「その証人を引き渡してどうするつもりだ?」 『殺すんですよ。あの人殺しは、私の手で裁かなければいけないんだ』  要求は予想と違うが、2年前と全く同じ状況。要求を受け入れても受け入れなくても、誰かの人生が確実に終わる。 「そ、そんな要求は・・・」 『彼女にはそういう電話があったと裁判時に伝えておいて下さい。あとで私が迎えに行きますから』 「ちょ、ちょっと待っ―――」  電話はそこで切られてしまった。僕はあまりの悔しさに、携帯を床に叩きつけてしまいそうになった。 「・・・なるほどくん」  真宵ちゃんは心配そうな顔で僕を見てくる。彼女を助けるためには、証人を生け贄に捧げなければいけない。 そんなことが僕に出来るわけがないんだ。 「成歩堂弁護士。そろそろ休憩が終了しますので、準備をお願いします」 「わかりました」  係官に悟られないよう、精一杯の平常を作ろうとする。僕は狩魔検事の携帯電話をそっとポケットにしまい込んだ。  順調な交響曲(シンフォニー)は幕を閉じた。ここから先、楽団は荒れ狂ってゆく・・・                       続く

あとがき

芹緒検事は当初のクールという設定からかけ離れた、甘い言葉を囁くナンパ男に。 鈴鳴聴真は設定以上のおバカキャラになってしまいました。 果たしてこんな調子で、無事に連載が終われるのかが自分でもとても疑問です。 ちなみに、鈴鳴の口調は、TVディレクターらが使ってるらしい業界用語からきてます。 【例】これからザギン(銀座)にシースー(寿司)でもベーターしに(食べに)行こうぜ みたいな感じです。(本当に使われてるかは謎ですが) 実際、鈴鳴の口調は自分のオリジナルなので、誰も使いませんが。 彼の台詞が読みにくかったらすみません。

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