逆転の検事(第4話)
   同日 午後8時22分    喫茶店「ブラック」 「なんですって!?」 私は思わず声を上げてしまい、おかげで周りの客達の訝しげな視線を集めるはめになってしまった。 しばらく視線の嫌な感覚とひそひそ話を味わっていたが、私はゆっくりと辺りを睨みつけ回して元の視線と沈黙を提供した。 客達が全員こちらを見てないか確認した後、一つ咳払いをしてから目の前のおばちゃんの方へ身を乗り出した。 「ストーカーがいたというのは本当ですか」 私は睨みつけるような目つきをしているつもりだったが、おばちゃんの輝く少女のような瞳の前では少し自信がなかった。 「本当よ。あの子、なんでも元恋人かなんかに追い回されてたのよ。おばちゃんも一回見たことあるんだけど、 なかなかしつこそうな奴だったよ。陰険な感じでさぁ、きっと衝動で人を殺す奴よ」 どうも余計な情報もついているような気もするが、どうやらストーカーがいたというのは事実らしい。 私はより詳しく話すようにおばちゃんに促した。おばちゃんは話せることがうれしいのか、キラキラとした表情で喋り始めた。 「事件のあった2週間くらい前かねぇ。なんでも過剰に心配性な奴らしくてさ、嫌になったから別れたんだって。 そしたら男の方が諦めきれずになってストーカーになっちゃって、あの子、相当参ってたよ」 おばちゃん独特の手招きのような癖とともに、どんどんと新事実が浮かび上がってくる。 どうやら今回の事件の鍵を見つけることに成功したようだ。後は、それに合う鍵穴を見つけるだけだ。 「その男の名前は聞いてないだろうか?」 おばちゃんは腕組みをしてうーんと低く唸った後、首を横に振った。 「駄目だ、思い出せないわ」 さすがに欲張りすぎたようだ。 私はすまなさそうにするおばちゃんに断りを入れると、さらなる情報を求めて席を立とうとした。 「なんだったかねぇ。ジゴク、じゃなくて……ゴク……ラク?」 必死に思い出そうとするおばちゃんの口から漏れた言葉に、私は思わず立ち止まった。 そして振り返り、考え込んでいるおばちゃんの顔を見つめた。 そういえば今メイが訪れている男の名前は……。 「も、もしかしておばちゃん、その男の名前はゴクアクでは!?」 再び私の元へ視線が集まったが、今度は気にしなかった。私はおばちゃんの答えに集中していたのだ。 おばちゃんはしばらくきょとんとしていたが、私の言葉と記憶の中の名前が結びついたのか、大きく口を開けて頭を縦に振った。 「そうだよ、ゴクアク! ゴクアクって名前だったよ!」 私は礼を言うのもままならない内に、急いでコートを脇に抱え込んで出口へ向かって走っていた。 残されたおばちゃんは、呆気にとられた様子で私が傘を広げて走ってゆくのを見つめていた。 急がねば、メイがあぶない! 私はちゃんと喫茶店の机に千円札を置いてきたことを考えながら、丁度良く走ってきたタクシーを右手を挙げて止めることに成功した。 素早く行き先を告げ、メイの携帯電話へと通話を試みた。しかしコール音が鳴るだけで、一向に出ようとしない。 私の焦る気持ちとは裏腹に、タクシーは赤信号で足止めをくらっていた。 それが無性に腹立たしいと感じたのは、これで初めてかもしれない。    同日 午後8時18分    石渥家 私は再確認を終えたヒゲを撤退させると、目の前の男と一対一になった。 どうやらこの男に関しては何もおもしろいことを聞けそうにない。 私も撤退すべく、男の情けない表情を鼻で笑ってやると、背を向けて歩き始めた。 扉を開けると、玄関の窓ガラスからパトカーの赤いランプが見えたので、私が少し足を早めた時だった。 うかつにも油断した私の背後で、男の右手が光っていた。バチバチと火花のようなものを飛び散らしたそれは、 私の父が護身用として持っていたものよりも一回り小さかった。 男は不気味な笑みと共に、スタンガンを力強く私の背中へ押し当てたのだった……。    同日 午後8時37分    ?????????? 首筋に何か冷たいものを感じ、私の意識は混濁した闇の中から急速に現実へと呼び起こされた。 途端に全身にビリビリとした痛みと痙攣が走り、私の意識がよりはっきりとしてくる。 しかし目の前に広がる光景は暗闇に包まれ、最初自分がどういう状況にあるのか全く分からなかった。 痛みに顔をしかめ、目が闇の世界に慣れだした時、再び首筋に冷たいものを感じ、慌てて天井を見上げた。 よくは見えないが、どうやら張り巡らされた小さなパイプの一つから水が漏れているようだった。 私は首筋を手で拭おうとして、それが不可能であることに気付いた。 そしてよくよく自分の体を見渡してみると、手を後ろ手に、足首を揃えてロープで縛られていた。 ここで初めて私は覚醒し、自分が危機的状況に置かれていることを理解した。 どうやらあの男、クロだったみたいね……。 私は自分の醜態に苦笑しながら、尚且つこの状況の打破に取り掛かるために情報の収集に取り掛かった。 なんとか暗闇に慣れた目を辺りに巡らせて、現在位置と部屋の状態を頭に叩き込んだ。 私はどうやら廃屋のような部屋の壁沿いに寝かされていたようだ。左右には金属製であろう棚があり、 その上にダンボールが置かれている。そのダンボールから漂っているのか、 何かが腐っているような嫌な匂いが鼻をつく。裸電球が一つ部屋の真ん中にぶらさがっていたが、 紐がぶら下がっていないところを見るとどこかにスイッチがあるようだ。 私がこの絶望的な状況にため息をついた時、部屋の隅から低い男の呻き声を聞こえ、急いで声の方向へと視線を向けた。 「うう、……うう」 上半身をうつ伏せに、体をくの字に折って倒れている男がそこにいた。 見慣れたギザギザの頭に焦点が合わさった時、私はその人物が何者なのか理解し、声を上げた。 「成歩堂龍一!」 しかし成歩堂龍一は呻き声をあげるだけで会話をしようとはしなかった。 私はなんとか身をよじって近づいてみると、若干だが額から血を流し、スーツの所々に返り血らしきものが飛び散っていた。 やはり彼も同じく、手を後ろに、足首を揃えてロープで拘束されていた。 「しっかりしなさい、成歩堂龍一!」 私が顔を近づけてもう一度名前を呼んだ時、部屋全体に金属の軋むような音が広がった。 それは私の目の前にあるシャッターが開く音で、不気味な音ともに人間の足元シルエットが浮かんできた。 背後から差し込む光でシルエットになっているものの、その人物は間違いなく先程私が尋問していた人物、石渥氏だった。 私は石渥をきっと睨みつけたが、彼が右手に持っていたものが光に反射して、目元を強烈な光で照らされた。 目を細めて見て見ると、それは銀色に光る刃物だった。大きさからしてナイフだろう。 「へへ、起きたようだな」 石渥は先程までの印象と全く異なる不気味の声をあげ、足を引き摺るような歩き方でゆっくりと近づいてきた。 シャッターは開かれたままで、そこから溢れる光のせいで私の闇に慣れた目は全く機能を果たさなかった。 「ギヒヒ、悪いけどあんたにも痛い目にあってもらうぜ。そこの男みたいになぁ、グハヒ」 そう言いながら、ナイフの先で隣に横たわる成歩堂を指した。 「何故なの、あなたはどうして彼をこんな!」 私は精一杯声を上げて脅したつもりだったが、石渥は無表情のままじっと私の顔を見下ろしていた。 その生気のない目はまさに死者のものであり、私は思わず恐怖を覚えた。 そんな私の様子に気付いたのか、狂気に満ちた喜びの笑いを男は披露した。そして腹を抱えて膝を叩いた後、その笑いは突然止まった。 しばらく沈黙と静寂が辺りを支配していたが、音のない動作でゆっくりと体を真っ直ぐにさせると、右手を高々と持ち上げた。 「うるさいよ」 そして空気を裂く音が響き、私に向かってナイフの刃が突き進んでくる。 私は痛みと恐怖に耐えるため、目をつぶって体を強張らせた。しかし、ナイフは私の元へ届くことはなかった。 「ぐわわわぁぁぁ!」 低い男の叫び声が目の前で響き、私は驚きのあまり目を開けてしまった。そこには血のついたナイフを持って呆然とする石渥と、 左肩から血を流して身をよじっている成歩堂の姿があった。 しばらく状況が飲み込めなかったが、痛みに叫ぶ成歩堂を黙らせようと放たれた石渥の蹴りで私はやっと事実を理解した。 意識を取り戻した成歩堂が、私をかばうためにナイフの方へ飛び出したのだ。そしてナイフは彼の左肩に突き刺さり、 驚いた石渥は慌ててナイフを抜いたらしい。 「成歩堂龍一!」 私が再び彼の名前を呼ぶのと同時に、石渥が再度放った蹴りが彼の顔面に叩き込まれた。 私はあまりに悲惨な光景に絶句し、成歩堂は再び意識を失った。 そして額を拭った石渥が、ふうと息を吐いた。 「邪魔しやがって、クソ!」 石渥は気を失っている彼に尚蹴りを加えた。私はその光景を見ている内に、自分の内から怒りの炎が溢れるのではないかと思った。 それほど私のはらわたは煮えくりかえり、この男に対する憎しみで満ちていた。 もし今ここに鞭があるなら、この男の五体をバラバラにしてやれるのに。 歯を食いしばって睨みつけていると、石渥は蹴るのに飽きたのか、成歩堂が気絶していることに気付いたのか、蹴るのを止めた。 そしてしばらく彼を見下ろした後、私の存在を忘れていたようにこちらに視線を向けた。 石渥は再び下品極まりない笑顔を浮かべながら、成歩堂の血のついたナイフを高々と振り上げた。 今度こそ私を守る者はいない。それでも私はどこかで誰かが助けてくれることを期待して、目の前の男を睨み続けた。 私の内の怒りは、ナイフの恐怖を乗り越えさせてくれた。 無論石渥にはそんなことは全く無関係で、ただ自分の邪魔をされたことだけに腹を立て、 今度こそ目の前の女を斬りつけてやろうということしか考えていなかった。そしてそれを実行すべく、 彼は再び渾身の力を込めてナイフの刃先を目の前の獲物へと振り下ろした……。   続く

あとがき

さぁクライマックスです!!

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