逆転の検事(第3話)
   同日 午後8時12分    石渥家 私はすっかり暗くなった空から零れ落ちる雨の雫を、ヒゲに持ってこさせた透明のビニール傘で防いでいた。 一方のヒゲは傘を買うお金もないのか、しきりに辺りを見渡して雨宿りできる場所を探していた。 しかしこの通りは住宅街で、雨宿りできるような屋根などはどこにも見当たらなかった。 私は目の前の2階建ての家の方へ視線を移した。 紅蓮色の屋根は闇色の空で薄暗く染まり、白い壁は不気味に濡れていた。 ここから見る限り、この家は縦に長い長方形をしているようだった。 2台のパトカーの間から家を眺めることに飽きた私は、家の中へと足を進めていった。 腰程の高さの黒い門を開け、茶色い木製の感じを受ける鋼鉄のドアを開けた。 明るい照明に照らし出された玄関と廊下は普段は綺麗に片付けられているのであろうが、 今は警官達の汚い靴で大理石のような黒い玄関を埋め尽くされていた。 私は少し顔をしかめ、警官の靴に触れないように足場を踏んで、微妙な隙間に靴を脱いだ。 アメリカでの生活が長かった私は、未だにこの靴を脱ぐという習慣に違和感を覚えている。 黒いソックスごしに床の冷たさを感じながら、この家の構造に目を巡らし、頭に叩き込んだ。 まず玄関から真っ直ぐ伸びる廊下の中ほど右に、2階へ続く階段が見えた。すぐ左に1つ、 奥にもう1つ扉があり、長い廊下の終点にもう一つ扉があった。 扉と呼べるものはもう一つ、玄関のすぐ右にあったが、それは小さな納戸だった。 私は辺りを見渡して玄関の脇に棚を見つけると、中から紺色のスリッパを取り出して、住人の了解なくそれを履いた。 パタパタとスリッパの心地のよい音を響かせながら、私は左側の身近の扉から中を調べていった。 まず入ってすぐの扉は、革のソファとガラステーブルの置かれた応接間だった。 床には絨毯がしかれ、窓はレースのカーテンで薄く閉じられていた。 少し中に入って見渡したが、特に奇妙な点は見つけられなかった。 さっさと扉を閉めて次の扉に移り、中の様子を探った。 中は一目瞭然、トイレだった。 私は何となく外れくじを掴まされたような気分になり、さっさと扉を閉めた。 ちょうどその時隣の扉が開き、お馴染みのヒゲがぬっと現われた。 「あ、カルマ検事、トイレっすか?」 無礼極まりないので、私はすかさず持っていた鞭をしならせた。 空気を裂く音が響き、ヒゲの悲痛な声が響いた。 「ここの住人は?」 私は、ヒゲの痛みに渋る表情を無視して尋ねた。 ヒゲは痛みの声を漏らしながらも、ちゃんと「この部屋にいるッス」と質問に答えた。 ヒゲを脇へ押しのけて、さっさと中へと入っていった。 明るい色の家具がしきつめられたその部屋は、入ってすぐの左側は居間。右側はキッチンとなっていた。 そして住人らしき男がひとり、ソファに腰掛けて警官に囲まれていた。 ゴツゴツとした黒い顔つきだが、体は少し痩せ過ぎのような感じを受ける。 短い黒髪は後ろに流れ、耳には金色のリングピアスをしていた。 普段の顔つきはともかく、今は警官に囲まれて情けない顔つきになっていた。 「石渥翔平(ゴクアク ショウヘイ)、36歳。  現在は某商業会社に平社員として勤務してるッス。  妻子なし。もとより結婚経験もないッス」 脇から現われたヒゲが、目の前の人物について説明した。 「家の中はどうだった?」 私は横目でヒゲの顔を見つめながら訊いた。 「うちよりも何倍と広かったッス」 ヒゲが呑気な顔で感想を述べたので、私は鞭を握る手に力を込めた。 ヒゲは私の殺気に気付いたのか、口を慌てて閉じて言い直した。 「どこにも異常はなかったッス。  人が隠れいている様子も、隠せる場所もなかったッス」 私はしばしヒゲを睨んでいたが、その報告は正しいと認識した。 チラリとこちらを見た男と目線が合った。 ひどく怯えたような瞳だったが、どこか狂気じみたものも見えたように思えた。 この男、何か引っかかるような……。 私は少し男を睨みつけてみたが、特に変化が見られなかった。 私も一応キッチンと居間とを探索したが、やはり怪しい点は探せなかった。 「ヒゲ、もう一度この家を捜査して。  何もなかったら撤退。  私はこの男と話をしてみたいと思うわ」 私はヒゲに命令を下した後、男の前へ歩み寄った。 「少し、お話を窺いたいのですが?」 私はなるべく丁寧な口調で、しかし殺気のこもった目付きを男に向けた。 男の戸惑う顔が、少し怯えたように見えた。    同日 午後7時54分    第一殺人現場 私は振り続ける雨の被害を防ぐために漆黒の傘を持参し、今回の連続猟奇殺人事件の第一事件現場へと訪れた。 最初の殺人は1ヶ月も前に起こったので、さすがに黄色いテープは張り巡らされておらず、 現場は日常通りのアスファルトとなっていた。ただ、道の脇にある花束の数だけが異常さを物語っていた。 最初の現場となったここは住宅街の一角、普段は人通りの少ない裏道で起こった。被害者は仕事を終えて帰宅していたOLで、 近道をするためにこの道を通ったところを襲われたと推測されている。しかしその犯行は偶然にしては計画的で、 恐らくここを通った若い女性なら誰でもよかったのだろう。 私は今一度辺りを見渡した。高いコンクリートブロックが両脇に高くそびえたち、その向こうに若干家の屋根が見える。 前後は50メートルほどあり、道幅は男が3人ほど通れそうだった。 そして雨が降り、暗闇に覆われた空が広がっていても、私の足元に広がる黒ずんだ血痕は明白に見てとれた。 ちょうど隣家から漏れた光が私の周りを照らし、現場の深刻さを示したいた。 恐らく犯人は、今私が立っている所の右後方にある電柱に身を隠し、標的となる若い女性が通りかかるのを待っていたに違いない。 解剖の結果、凶器として使われているのは刃渡り7センチほどのナイフ。男が使えば、容易く女性の首筋を切り裂くことは可能だろう。 少し身を屈めて血痕の周りに視線を泳がせたが、やはり何も見つからなかった。となれば、次の現場へ行かねばなるまい。 私がそう思って立ち上がった時、頭の奥に眠る嫌な記憶の部分を刺激する声が後方から聞こえてきた。 「あら、ミッちゃんかい? ミッちゃんなのかい?」 背筋に悪寒が走るのを感じながらゆっくりと振り返ってみると、思っていた通りの人物が目を輝かせていた。 「お、おばちゃん……」 おばちゃんは私が覚えていたことが嬉しかったのか、奇声のような喜びの声を上げると、テコテコと小走りに私の前へやって来た。 「あらやだ久しぶりじゃないのミッちゃん! いつ外国から帰ったの? いやーまさかこんな所で出会うなんてねぇ」  それは私の台詞だ。 「……お久しぶりです、おばちゃん」 私は何とか喉の奥から言葉を搾り出すことに成功した。しかし私の思いなどしるはずもなく、おばちゃんは一方的に話し出している。 「いやね、ほら、あのギザギザの頭の弁護士を問い詰めてやったんだけど教えてくれなくてさ。しかもわざわざ訪ねてやったのに お茶菓子も出さないんだよ! 全く最近の子はそんな礼儀作法も知らないのかね! おばちゃんが若い時なんて必死に親から学んだもんだよ! とにかくミッちゃんの行方が知りたかったからあの安物コートの刑事んとこまで行ったのよ。そしたら外国に行ったっていうじゃない! なんでアタシを誘わなかったんだ、ってその時は思ったんだけど、ワタシと一緒にいちゃあ仕事に集中できないもんね? だからあえてワタシはいい男を待ついい女になったのさ!なんてたって……」 どうやらまだまだ話は続くらしい。私は流石にこれ以上聞く気になれず、おばちゃんの言葉の合間の息継ぎをついて尋ねた。 「おばちゃんはどうしてここに?」 マシンガントークを止められて少し残念そうな顔をしたが、私は見て見ぬ振りをした。 「……」 答えがなかなか返ってこないのでおばちゃんを見てみると、悔しそうな、残念そうな、暗い表情が浮かんでいた。 「……。この事件のこと調べてんのかい?」 やって出てきた言葉は私の質問に対する答えでなく、私に対する質問だった。私はおばちゃんの様子に何かあると確信し、 現在事件を調査している旨を告げた。するとおばちゃんは真剣な眼差しで、 「なら、話とこうかね」 と小さく呟くように言った。その目はどこか懐かしんでいるように見えた。 「ここで死んだ子、ワタシが今勤めているとこの後輩なんだよ。あ、おばちゃん今ある会社の警備員やっているのよ。 事件の2週間前くらいから来た女の子でね。健気でかわいくて、おばちゃんの若い時そっくりだったよ」 そういえばここに来る途中に資料を持ち出して読んだのだが、そういったことが書かれていたような覚えがある。 「でも、まさかこんなことになるなんてね……」 おばちゃんは事件のショックを再び受けたのか、少し顔を歪めた。私は少しおばちゃんに同情した。 今まで好きになった俳優などが死に続けているおばちゃんは、そのたびに何度も哀しい思いをしている。そして今回は後輩を……。 「あんなことがあったから、おばちゃん心配してたんだけど……」 「!!」 私は独り言のように呟いたおばちゃんに言葉を聞き逃さなかった。今の話はどうも気に掛かる。 「おばちゃん、あんなこととは?」とすぐに訊きたかったが、さすがにご老体をこんな雨の中に置くことは気が引けたので、 どこか雨宿りのできる場所へ移動することを提案した。 「おばちゃん、ミッちゃんの行くとこならどこまでもついてくよ!」 何かを期待しているような潤んだ瞳を直視することに恐怖した私は、さっさと背を向けて歩き始めた。    同日 ??時??分    ????????? 空気を切り裂く音と共に、振り下ろされた鉄パイプが僕の右の二の腕を直撃した。 僕は痛みに顔を歪め、苦痛に声を上げたが、それで治まるような痛みではなかった。 ズキズキと突き刺すような痛みが二の腕を刺激していた。 そんな僕を見て、鉄パイプを振り下ろした本人は嬉しそうな声を上げた。気が狂いそうになる、馬鹿笑いだった。 「グヒヒ、どうだ、痛いか?」 当たり前のことを訊いてくるので無言で答え、さらに睨みつけてやった。しかしそれが気に障ったのか、 さらに鉄パイプを振り上げて僕の二の腕に叩き付けた。 鈍い音を聞いたような気がして、もしかして骨が折れたのではないかと思ったが、それを確かめることはできない。 僕はただただ顔をしかめ、痛みに声を絞り出した。しかし、涙が出るのだけは我慢した。 どれだけ痛くても、目が潤んでも、涙を流すことは我慢した。それが今ぼくに出来る、唯一の抵抗のような気がしたからだった。 そんな僕を見ながら再び鉄パイプを振り上げた時、チャイムのような音が微かに響いた。 そいつはビクっと体を震わせて背後をみつめた後、チッと舌打ちをして僕の方に振り返った。 しばらく睨みつけた後、鉄パイプを思いっきり振り上げて僕の額に思いっきり叩き付けた。 それは痛みを感じるよりも先に僕の網膜に蜃気楼を浮かびあがらせ、意識を宇宙の彼方へと飛ばしていった。 僕は意識が吹き飛ぶ最後の瞬間、訪問者に助けてくれるように願った……。    つづく

あとがき

いよいよ事件は核心へ! 成歩堂は果たして助かるのか!?

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