逆転の検事（第2話） 同日 午後６時４３分 成歩堂法律事務所 刻一刻と時を刻む時計の音が嫌に大きく響いていた。 それがより一層の不安を引き立て、沈黙を恐怖させる。 恐怖に耐えられなかった者、糸鋸刑事が声を出した。 「お、遅いッスねぇ……」 しかしその事実は既に周知であり、誰も相槌を打たなかった。 再び沈黙が訪れ、静寂を肌で感じる場へと変わってしまった。 あれから私達はとりあえず成歩堂の帰りを信じて待つことにした。 だが待ち始めて１時間、私は彼に迫っている危険を感じていた。 しかし私はそれを不安からの妄想だと否定することで安心し、何度も瞼の裏に浮かんでくる悲惨な光景を無視してきた。 だが、それも限界のようだ。 何度も成歩堂の机に目線を泳がす真宵クンの不安は、その表情からも見て取れた。 春美クンは、手に持った小さなコップの中のお茶に映る自分の不安そうな顔を見つめている。 糸鋸刑事はそわそわと辺りを見渡して、落ち着きがなくなっている。 私は冷静を取り戻すために真宵クンに話し掛けた。 「そういえば、成歩堂は今は仕事を？」 突然話し掛けられて戸惑った真宵クンだったが、突然思い出したように話し始めた。 「そうそう、今依頼の真っ最中なんですよ！ 昨日の法廷で証拠が足らないって結論になったから、今日もう一度捜査しようって言ってたんです。 カルマ検事はきっと今捜査中なんでしょうねぇ」 思わぬ人物の登場に、私は驚愕を覚えた。 「カルマ……。 まさかメイが帰ってきているのか！？」 思わず張り上げた私の声は、真宵クンだけでなく春美クンや糸鋸刑事まで驚かせてしまったようだ。 「ハ、ハイ。 なんでも検事局が人手不足だから、わざわざアメリカから呼んだとか」 そんな情報、私は聞いてないぞ！！ 私が隣に座っている糸鋸刑事を軽く睨みつけると、実にすまなそうな顔をしてうつむいていた。 まさかメイも帰ってきているとは……。 窓から差し込んでいたオレンジ色の光が徐々に弱くなり、外は暗い夜空に包まれようとしていた。 その変化が私に冷静さを呼び戻してくれたのか、ある仮説が頭に浮かんだ。 「そういえば今回担当しているのはどんな事件なのだ？」 真宵クンに訊いたつもりだったが、質問には糸鋸刑事が答えた。 「最近話題になっている連続猟奇殺人事件ッス」 私はその言葉を聞いて、瞬時に内容を思い出した。 日夜情報の収集を欠かさない私にとって、日本のニュースも例外ではないのだ。 たしか若い女性ばかりを狙う殺人事件で、犠牲になったのは３人。 どれも首筋をナイフで切り裂かれ、さらに腹部を十字に斬りつけられて死んでいた。 警察は総動員で犯人逮捕に駆け出し、そして一人の男が逮捕された。 その男はいつも事件現場付近で目撃されており、最重要参考人として逮捕されたのである。 「ナルホド君はその事件で逮捕された人の弁護の依頼を受けたんです。 私、最初は怖かったんですが、ナルホド君が彼は犯人じゃないって」 私は彼がそう言った理由が分かったような気がする。 恐らく人の心の秘密の錠前であるサイコロ錠が現われなかったのである。 だから彼は被告人の弁護を受けたのだ。 「それで今日、その人をいつも目撃しているっていう人の所へ行くことに」 その人物については私は知らないな。 私は糸鋸刑事の方へ視線を向け、情報をくれるよう促した。 「なんでもいつも被告人を目撃している変な奴ッス。 自分は、そいつも毎回事件現場にいるから怪しいと思っているッス」 それはそうだろう。 私は顎に手を当てて、考えを巡らせることに集中した。 いつのまにか降り出した定期的な雨の音が私の集中力を向上させ、後の３人の不安をより引き立てた。 タクシーの走り行く音を聞いたような気がしたとき、再び仮説が出来上がった。 まさか彼は……。 同日 午後６時５７分 成歩堂法律事務所 その訪問者は突然現われた。 静かだった事務所に扉を乱暴に開ける音が嫌に大きく響くと、全員の視線が扉の方へ向けられた。 扉を開けたその人物は、我々の人数の多さにまず驚くと、次に私の顔を見て驚きの表情を表した。 「な、御剣怜侍……なぜ貴様がここに！」 すかさず鞭のしなる鋭い音が事務所に響いた。 「それはこちらの台詞だ。狩魔冥」 私は両手を広げて、この騒動の張本人、狩魔冥の質問を質問で返した。 メイは苦い顔をして私達を見渡していたが、途端にまるで小馬鹿にしたような目になった。 「あの弁護士はどうしたのかしら？ まさか私との闘いの結果を恐れて逃げたのかしら？」 しかし私はその返事をすることが出来ず、他の３人も暗い顔で黙っていた。 重い沈黙に、メイの戸惑いに似た目線が泳いだ。 さすがのメイも事態の異変に気付いたのか、表情が真剣になる。 「どうしたのというの？」 他の３人を見渡したが、誰も口を開こうとしないので私が事態を説明することにした。 成歩堂が今朝からずっと行方不明だという部分に触れると、メイの右の眉が微かに痙攣するように動いた。 表情に段々と怒りの色が加わっていき、その目つきは殺気を帯び始める。 そしてまずその鋭い視線の餌食になったのが、糸鋸刑事だった。 鞭の鋭く切り裂くような音が響き、遅れて糸鋸刑事の悲鳴が上がった。 「な、何するッスか！！」 訳も分からず鞭で叩かれて、さすがの糸鋸刑事も憤った。 だがその感情も、メイの視線の前では段々と萎えて行ったようだ。 「何をしているの、ヒゲ。 あなたは刑事でしょう？ 何故貴様が探しに行かないの！」 メイのライオンの如き咆哮に、糸鋸刑事はやっと叩かれた理由を理解した。 「そうだったッス！ 署に戻って至急手配してくるッス！！」 糸鋸刑事の先程までの暗い表情はどこかへ吹き飛び、いつもの活気溢れる表情と共に颯爽と事務所を出て行った。 真宵クンや春美クンの表情にも、次第に明るさが戻ってきているように見える。 私は、糸鋸刑事が指示なしだとずっと私の隣にいたのかと思うと、思わずため息を漏らした。 とりあえずこれで事態は前へ進みそうだ。 私は感謝の意味も込めた視線をメイへ向けた。 「久しぶりだな、メイ」 メイは微かに笑みを浮かべると、 「ええ、そうね」 と答えた。 彼女自身についてもう少し聞きたい気持ちもあったが、とりあえず今は成歩堂の無事を確認したかった。 「今回君が受け持っている事件、理解しているな？」 「勿論よ。 この腹立たしい事件の終止符は私が打つに相応しいわ」 どうやら被害者が若い女性ばかりだったことが、彼女に少し同情を与えたようだ。 「では証人のことも分かっているな？」 この質問の真意を彼女は理解したのか、表情が少し硬くなった。 「まずは、その人物の自宅だな」 私が言うと、彼女はゆっくりとうなずいてみせた。 「ヒゲに連絡して、私も向かうわ」 「ならば私がその間この事件について調べておこう」 私達は互いの目的を確認しあうと、即座に実行へと移した。 事務所を出る際に振り返った時、真宵クンと春美クンの表情には明らかに希望で満ちていた。 同日 ？？時？？分 ？？？？？？？？？ 僕は体を毛虫のようにくねってなんとかコンクリートの壁へ辿り着くと、上体を起こして壁に背をもたれた。 暗い空間に目が慣れてきて、なんとか部屋の中の様子を見る事が出来た。 左右に３段の鉄の棚が並んでいて、その上にダンボールがたくさんつまれていた。 奥の方にはシャッターらしいものが見て取れたが、そこまで向かうには少し時間が掛かりそうだった。 電気は天井からぶら下がっている裸電球のみだった。 しかし裸電球からは糸がぶら下がっておらず、どうやら壁のどこかにスイッチあるらしかった。 ダンボールの中身なのか、何かが腐ったような匂いや古びた鉄の匂いなどが鼻をついた。 お陰でひどく息苦しく、呼吸する度に肺が悲鳴を上げた。 窓を探したが見つからない。 この状況を打破するものは何一つ見つからなかった。 僕が再び絶望を受けた時、突然金属の軋む音が聞こえてきた。 それは連続性を持っていて、僕はそれが何なのかすぐに理解できた。 シャッターが誰かによって開けられているのだ。 僕は期待を込めた瞳でシャッターを開けた人物を見ていたが、その人物の持っていたもののシルエットに絶望を与えられた。 先が少し曲がった鉄パイプが、その人物の背後の光を受けて不気味に輝いていた。 僕は生きて帰れるのだろうか……？ つづく
あとがき
実は私、小説家を目指していた時期がありました。
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