約束の逆転(第1話)
少年と少女は、刻んだ証を見つめた。 -----もう一度、またどこかで会おう。 -----うん、約束だよ。 - 9月9日 某時刻 成歩堂法律事務所 - そこにはまだ十代ほどの若い少女がいた。テレビを見ながらお茶を飲んでいる。 一方もう一人の若い青年は、事務所のトイレ掃除をしていた。 少女の名は、綾里 真宵。そして青年の名は成歩堂 龍一だ。 「あ〜あ、暇だなぁ。ねぇねぇなるほどくん。サンマ食べない?」 「…まだサンマは早いんじゃないか?」 なるほどくんと呼ばれた青年はトイレ掃除の後片付けに忙しく、振り向かずに喋る。 その態度が気に食わなかったのか、少女は青年をびしっと指差すと、 「人と話すときはこっちを向きなさい、成歩堂 龍一!」 と、まるであの検事の様に叫んだ。 「フルネームで呼ばないで。あの検事を思い出すから」 例の鞭を思い出したのか、うんざりとした顔でソファーに座り込んだ。 「それにしても本当に暇だね。ぼくって自分で思ってるほど有名じゃないのかな」 「…答えにくい、びみょーな質問だよ」 その時、しんとした事務所に電話の機械音が、部屋中に響いた。 「あ、はいは」 「はい、こちら成歩堂法律事務所!」 「………」 電話に近かった成歩堂が受話器をとろうとしたが、それより早く立ち上がった真宵が取った。 『…すみません。あの、弁護を依頼したいのですが…』 受話器の向こうから聞こえてきた声は、気弱そうな男性の声だった。 「はいはい、弁護からトイレ掃除まで、なんでもしますよ!」 「真宵ちゃん!勝手なこといわないで!!」 その言葉に焦った成歩堂は慌てて受話器を取り返した。 「すみません、うちの若いのが。で、弁護の依頼ですか?」 『え、ええ。今、留置所なんです。名前は十寺 康信(とおじ やすのぶ)と言います』 「わかりました。とりあえず話を聞きたいので、今からそちらへ向かいます」 そう言って電話を切ると、真宵が嬉しそうな顔で出かける準備を始めていた。 「仕事だね、なるほどくん!」 「うん、そうだね」 真宵にそう言うと、成歩堂は留置所へ向かう準備を始めた。 - 同日 某時刻 留置所 面会室 - 今目の前にいるのは、成歩堂の依頼人、十寺 康信。 垂れ目に少しはね気味の茶髪だが、それが優しそうな雰囲気を出している。 「えっと…成歩堂さん、ですよね」 被告人という立場の焦りと緊張からか、十寺は電話よりも小さい声で言った。 「はい、成歩堂 龍一です」 「助手の綾里 真宵です!」 「は、はあ」 真宵に少し押された十寺は、情けない声を出した。 「じゃあ十寺さん、あなたが捕まってしまったその事件について、詳しく聞かせてください」 「はい。えっとですね…」 事件の流れはこうだった。 9/8、ある剣道道場で殺人事件が起こった。 第一発見者はこの八重沢剣道場の師範、八重沢 綾乃(やえざわ あやの)。 朝練の準備をしようと入ったところ、日本刀で背中を刺されて倒れている生徒を発見。 日本刀からは指紋は出なかったが、被害者が握り締めていた証拠品が出された。 それは足袋をとめる金具で、そこから十寺 康信の指紋が検出されたことから緊急逮捕。 「そ、そんな証拠品が出てるんですか…」 指紋つきの証拠品など、今までの弁護で少なくは無いが、やはり慣れるものではない。 裁判では決定的な証拠品となるであろうそれに、成歩堂は焦りの声を漏らした。 「あの、やっぱり無理ですよね」 「え、いやいや!何としてでも勝ってみせます」 不安に目を伏せた十寺に、成歩堂は焦る。 「じゃあ、今度はあなたの事について聞かせてください」 「はあ…」 「あなたは剣道の経験はありましたか?」 「はい、一応…。でも昔に少しかじった程度で、経験は全然…」 十寺は、昔を思い出すかのように上を向いた。 「では足袋も持っているんですか?」 「はい。そして、あの道場の生徒さんが握ってたのは…オレのでした」 (な、なんだって…!) ますます不利な状況だ、と成歩堂は心の中で呟いた。 「それにしても…昔、ですか…。出身地はどこですか?」 「凛桜村(りんおうむら)というところです。県内ですけど、かなりの田舎ですよ」 「田舎っぽいよね〜。だって村だもん」 「真宵ちゃん、失礼な事は言わないように」 ぶーぶーと呟いてる真宵をさりげなく無視して、成歩堂は続けた。 「でも、なんでやめちゃったんですか。剣道」 「えっ!?えっと、あの…」 その時、ガーッという音が聞こえたかと思うと、目の前には鎖が伸びていた。 錠は、4つ。 (サイコ・ロック…!しかも結構多い…) 「…あ、ああ飽きちゃったんです。まだ胴着は持ってますけど」 (こりゃ、勾玉もってなくてもすぐ判るな…) どうやら十寺は嘘は言えない性格らしい。だらだらと汗を流している。 成歩堂は苦笑しながら、その場を立ち上がった。 「その凛桜村というのはどの辺ですか?」 「え?地図なら書けますけど…何か事件に関係でも?」 「…いつも事件の真相は、思わぬ所にあったりしますから…一応ね」 それに、何故やめた理由を隠すのがどうも気になった。 成歩堂は、とりあえずその凛桜村に向かう事にした。 - 同日 某時刻 凛桜村 - 「うわぁ〜、なんか倉院の里を思い出すなぁ」 「確かに…」 とても立派とは言えなかったが、素朴さと温かさがありそうな村だった。 倉院の里にありそうな家が並んで、小さな公園もある。 「ね、ね。とりあえず誰かに話聞こうよ」 真宵がそう促したので、とりあえず家の玄関前を掃除している住民に声をかけた。 「あの、すいません。ちょっとお話を…」 「え?おお。観光とは珍しいじゃないか!」 「い、いえいえ!観光じゃ…」 「その横の変な格好した女の子とだね〜?じゃああそこへ案内するよ!」 「いや、ちょっと…あのっ!」 「ちょっと!…というか、変な格好はないでしょ!」 妙に強引なおばさんに、ほぼ強制的にある場所へと連れて行かれた。 - 同日 某時刻 凛桜村 赤糸岩 - 成歩堂達が連れてこられた場所は、とてつもなく大きい岩がある所だった。 岩のすぐ横に、木の看板で『赤糸岩』と書かれている。 よく見ると、岩の上の方に赤い縄のようなものが2本、繋がれてぶら下がっている。 「…ここは?」 明らかに奇妙なこの岩のある場所に、疑問を投げかけた。 「なんだい、そんな事も知らずにここに来たのかい?」 「は、はあ…すみません」 (…って何でぼくが謝らなくちゃいけないんだ…) 自分の情けなさに泣きそうになった成歩堂の背中を、真宵が軽くぽんぽんと叩いた。 「まあいいさ。久しぶりの観光客だし。何でも聞いてあげようじゃないか」 (…!これはチャンスかもしれない…) さりげなく、成歩堂は色々聞いてみる事にした。 岩を観察してみると、成歩堂は何個もの小さな×印の傷跡を見つけた。 その×印の上下には、傷をつけた人達であろう名前が書いてある。何故かどれも男女だ。 それが数え切れないほどの数なので、疑問を持つのは当然である。 「このクロスされた傷跡は…?」 「それがこの村の名物だよ!詳しく聞きたいかい?」 「もちろん、もちろん!」 真宵が身を乗り出すと、おばさんは得意げに話し始めた。 「こほん。これは『赤糸岩(せきしいわ)』っていってね、凛桜村の自慢の岩さ。  名前通り、まぁ恋まじないの岩さ。  この岩にクロスの傷をつけた者達は赤い糸で結ばれ、離れ離れになってもまたどこかで会える。  そう言い伝えられててね、昔はよく観光客が傷をつけに来たもんさ。  本当は傷だけでよかったんだけど、やっぱり名前を残したかったんだろうねぇ。  いつのまにか上に男の名、下に女の名を書くのが決まりみたいになっちまった。  …名前が残ってるだろう?色々な恋人同士のさ」 (ふうん…まじない、ねぇ) おばさんの話に夢中になってる真宵の傍で、成歩堂は傷をまじまじと見ていた。 確かに凄い数の傷がある。手の届かない高い場所以外に、まだ書くところが残っているだろうか。 「…ん?」 「何?どーしたの、なるほどくん」 その時、知った名前を見つけて、成歩堂は思わず声を漏らした。 おばさんの話に夢中になっていた真宵も、その声に疑問を持ち、近づく。 「これ…」 成歩堂が指をさしたその傷は、『十寺 康信』と書かれていた。 「えええぇぇっ!?…これって、もしかして…」 「うん。多分、あの人のだろうね」 そして、その傷の下の方には…『七瀬 雅(ななせ みやび)』と書かれていた。 「七瀬…?十寺さんの昔の恋人かなぁ?」 「なんだい、あんたたち。康信を知ってるのかい?」 十寺、という名前に反応したおばさんは、いつのまにか後ろにいた。 「もしかして、十寺さんの事を知ってるんですか?」 「こんな小さい村だからねぇ、子供達の顔と名前なんて、すぐ覚えちまうんだよ」 おばさんは軽く笑いながら、懐かしそうに話した。 「本当にねぇ…懐かしいよ。それにしても、剣道やめちまった時は驚いたねぇ」 ぽつりと呟いたその言葉を、成歩堂が聞き逃すはずがなかった。 「剣道をやめてしまった理由、知ってるんですか!?」 「へ?…ああ、色々あったんだよ。あの子も」 「是非聞かせてくださいっ!」 二人の勢いに押されて、おばさんは驚きながらも答えた。 「話せば長くなるけど、あの子には小さな頃から幼馴染がいてねぇ」 「幼馴染…」 「まぁそこの傷に書いてある七瀬 雅って子だけど…凄く仲が良かったのを覚えてるよ。  年頃になったと思ったら恋人同士になってて、村一番の熱々カップルだったよ。  二人とも剣道を習ってて、いつも二人で稽古してたんだ」 恋人などという話がどうも恥ずかしい成歩堂とは裏腹に、真宵は面白そうに聞いている。 「だけど雅が突然引っ越す事になっちまってね。何も言わずに出て行ったんだよ。  それからだね、康信が剣道をしなくなったのは。  やっぱり思い出しちまうんだろうねぇ。雅との稽古を、さ」 大体の事が判ってきた成歩堂は、そこまでの話を聞いて考え始めた。 そして自分の荷物からカメラを取り出すと、その二人の傷の写真をとった。 「そんなの撮ってどうするの?」 「まぁ見てて。後で役にたつから」 「?」 真宵は意味が判っていないらしく、軽く首を傾げた。 「それと…さっきの話をまとめて、この紙に書いてもらえませんか?」 「そんなのお安い御用だよ」 おばさんは差し出された紙に、さらさらと今までの話を書いた。 おばさんが書き終わって紙を返してもらうと、成歩堂はファイルにしまった。 「よし、証言書もとれた事だし…帰ろうか、真宵ちゃん」 「えぇ〜…もう?しょうがないなぁ。帰りにみそラーメン奢ってよ!」 (何でたかが帰るためだけにラーメンを奢らなきゃいけないんだ…) そんな会話をして二人が帰ろうとすると、 「え、ちょっとあんたたち…傷はつけていかないのかい?」 おばさんが二人を呼び止めた。 「すいませーん!私たち、恋人同士でも観光客でもないんですー!」 遠くの方で真宵が手を振っておばさんに叫ぶと、そのまま村を後にした。 しばらくおばさんはぽかんとしていたが、 「なんだい!おばさんの案内、意味無いじゃないか!」 甲高い怒声が、辺りを包んだ。 そして成歩堂達は、自分達の依頼人のいる留置所へ戻っていった。 - 同日 某時刻 留置所 面会室 -  成歩堂は十寺を呼び出すと、いつになく真剣な顔で十寺を出迎えた。 「こんにちは、成歩堂さん。オレの村から帰って来たんですよね?」 「どうも、十寺さん。あなたにどうしても聞いておきたい話があったので」 「はあ…」 「あなたが隠している、剣道をやめた理由についてです」 「!?」 それを聞くと、十寺は明らかに動揺した。そしてサイコ・ロックが現れる。 ガーッと鎖が絡まる音が、成歩堂には何故か悲しく聞こえた。 「な、なな何言ってるんですか、成歩堂さん。オ、オレ言ったじゃないですか。飽きたって」 尋問中の成歩堂の様に汗をかき、目は明後日を向いている。 勾玉がなくても、明らかに嘘をついているのは明白だった。 「…十寺さん、あなたはある人物のために剣道をやめたんじゃないですか?」 その言葉に、十寺はびくっと体を跳ねた。 「もしかして、この人物のためじゃないんですか?…そう、七瀬 雅さんだ」 と、その時、ぱりんと錠が一個割れた。どうやら図星のようだ。 (やっぱりか…) 成歩堂は顎に手を置くと、考えるように軽くさすった。 すると、十寺が口を開いた。 「たっ、確かにその子の事は知ってます。でも、ただの友達です。  その子の為に剣道をやめる理由など、どこにもありません!」 目は泣きそうになりながらも、精一杯反論してくる。図星だったのは明らかだ。 「十寺さん。あなたは嘘をついている」 「!」 「ここに、あなたをよく知っている住民の証言書があります。ここには…」 成歩堂が指差したその先には、確かに「この二人は恋人同士」と書かれていた。 「恋人同士とまで言われていたのに、ただの友達であるわけがない!」 「うぅっ…!」 と、今度は2個目のサイコ・ロックがぱりんと割れた。 (よし、順調に解けていってるな) 「…でも…そんな他人の証言、誤解かもしれないじゃないですか…」 「えっ…?」 「そ、そうだ。それは誤解なんだ。確かに彼女と仲は良かった。でもそれだけです。  恋人同士でも何でもない。ただの仲のいい幼馴染です!」 もう限界だと言わんばかりの切羽詰ったその言葉に、成歩堂は押される。 「それとも、彼女とオレが恋人同士だったという証拠でもあるんですか?」 そこまで言い終わって、十寺はふぅと息を吐いた。 苦し紛れだったわりには、割と正論な自分の言葉に安心したようだ。 だが、そんな言い逃れで逃げられるほど、成歩堂も甘くはなかった。 「………ありますよ」 「!?」 安心したのもつかの間、十寺は更に汗を流し始めた。 「これを見てください。あなたの故郷、凛桜村の名物…赤糸岩の写真です」 「それがどうかしましたか」 「問題はここ。このある傷跡です」 成歩堂が指差したその場所は、×印に十寺と七瀬の名前が書いてあった。 「これは恋人同士が誓う傷です!ここには、あなたと七瀬さんの名前がある!」 「あうぅっ…!!」 「どうなんですか!」 成歩堂は机を叩くと、目の前の依頼者を厳しく睨みつけた。 十寺も苦悶の表情で成歩堂を睨みつけていたが、もう言い逃れは出来ないと判るとため息をついた。 「………お見事です。成歩堂さん」 すると、残りの二つの錠が綺麗に割れた。鎖が音をたてて解けていく。 何故か十寺は、悲しそうに目を伏せていた。 「…確かに雅は…オレの幼馴染であり、恋人でした」 「剣道をやめたのは、七瀬さんが引っ越してしまったからですか?」 「いいえ。確かに剣道をするのは辛かったですが、やめるきっかけになったのは…」 苦笑しながら、十寺は目を瞑った。そして目に手をあてる。 今にも泣きそうなその態度に、成歩堂は思わず慌てた。 「雅が、死んでしまってからです」 「!?」 慌てていた成歩堂もその言葉に驚いた。 そして、十寺が話したくなかった理由もなんとなく判ってきていた。 これ以上、思い出すのは嫌だからだと。 「またどこかで会おうって、約束したのに…」 「それってやっぱり…」 「ええ、その傷の事ですよ。突然おかしいとは思ってたんです。  いきなり真剣な顔で「愛を誓おう」なんて言ってきたから。  そして、次の日に引っ越していってしまいました。  もう一度会えた時は、オレも立派な男になっててやるんだ、そう思っていたのに…」 「村の人は知らないんですか?七瀬さんの死を…」 「ええ。何故か新聞でもテレビでも取り上げられなかったんです。  というか…オレも雅が何故死んでしまったのかは、実はよく判ってないんです。  村長だけは知ってたらしくて、オレは村長がのひとり言を偶然聞いてしまっただけでしたから…。  村長も、あまりの事に村の人たちには話してなかったみたいです」 成歩堂はそこまで聞くと、深刻そうな顔で立ち上がった。 「有難う御座いました。思い出させてしまってすみません」 「い、いえいえ!隠してたオレも悪いし…。でも、今回の事件に関係は…?」 「まぁ危ない時の時間稼ぎに使えるかもね、なるほどくん!」 「………」 (うぅ…せめて本人のいない場所で言ってくれぇ…) そして二人は、更なる調査のために留置所を後にした。

あとがき

こんにちは。水瀬 椿というものです。 「約束の逆転」を呼んでくださって有難う御座います。 前々から温めていた話でしたので、こういう風にちゃんと文章に出来る機会が出来てとても嬉しいです。 頑張って面白い話を書こうと思ってますので、是非お暇な時でも第2話も読んでください。 それでは。(^^)

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