約束の逆転(第2話)
- 同日 某時刻 八重沢剣道場 -
殺人現場に到着したが、やはり何人もの警察が調査をしていた。
とても稽古場の中には入れさせてもらえそうもない。
「なるほどくん、どうするの?」
「うぅん…」
成歩堂が顎に手をあてて考えていると、聞き覚えのある声が辺りに響いた。
「ふんふん、それでどうしたッスか?」
「はい。それで私は急いで携帯電話で警察に…」
緑色なのか何なのかよく判らないが、あの見覚えのあるコートを見つけた。
そして、特徴のある「ッス」のあの口調。
「あぁぁっ!!糸鋸刑事!」
成歩堂より早く先に反応したのは真宵だった。嬉しそうに両手をあてて喜んでいる。
「げっ、またあんた達ッスか!一体ここに何の用ッス!?」
明らかに嫌がっている。成歩堂たちといてろくな事がなかったから、当然といえば当然だ。
「なに言ってるんですか、ぼくは弁護士ですよ?ここに来る理由は一つです」
「うぅぅ…弁護の為の調査、ッスね…」
「そういうこと!中、見させてもらってもいいですよね?」
真宵が剣道場の中を指差して、これで入れると嬉しそうに笑った。
が、
「………残念ながら、許可出来ないッス」
「えええぇぇっ!?どうして!」
「まだ警察が調査中ッス。それに自分が見張ってるッスから、何かあったら自分の責任になっちまうッス」
「そんな固いこと言わずに!」
真宵と糸鋸が激しく言い争ってるが、その会話に入らず、成歩堂はひたすら中を見ていた。
「って、なるほどくん!なるほどくんも何か言ってよ!」
「え?ああ…でもイトノコ刑事に、何言っても無駄だと思うよ」
「じゃあどうするの?」
「それはね…こうするんだよっ!」
「きゃ…!」
成歩堂は真宵の手を掴むと、糸鋸の隙をついて中へ入った。
「ああっ!待つッス!!」
「糸鋸刑事!よそ見しないで、ちゃんと仕事してください!」
「え、ええっ!」
追いかけようとする糸鋸を近くの警官が注意してる間に、二人は中へと入っていった。
- 同日 某時刻 八重沢剣道場 稽古場 -
「ここが殺人現場か…」
「うわっ、まだ血の跡が残ってるよ」
稽古場の床にこびりついた血の跡をみて、真宵は顔を青くした。
何度か見ていても、やはり慣れないものなのだろう。
「凶器は日本刀だったよね。一体どんな風に殺されちゃったんだろう」
「う〜ん…まぁ明日には判るだろうから、いいか」
「駄目だよ、弁護士がそんなんじゃ!」
「あいたっ!」
真宵に背中をばしっと叩かれた成歩堂は小さい悲鳴を出した。
「いてて…だけどどうやらここには重要な物は無いな」
「ええ〜!せっかく苦労して中に入ったのに!」
「それはぼくだろ!真宵ちゃんは何もしてないじゃないか」
「む〜…そんな事言う…」
玄関から外を見渡そうとした成歩堂は、こつん、と足に当たった物を拾い上げた。
「何だ、これは。………鍵?」
それは小さい金属の欠片で、どうやら鍵の先らしかった。
「鍵の先?何でそんなのが落ちて……あ、ねぇ、なるほどくん。鍵穴壊れてるよ」
「え?………まぁ、何とか使えるんじゃないかなぁ」
真宵が指を指すその鍵穴を見ると、こじ開けて壊れたようになっていた。
成歩堂はさりげなくフォローしたが、正直…ちょっと開けにくそうだ。
「中にはもう用は無いし…道場の周辺を調べようか」
「えぇ〜、もう?」
残念そうな声を真宵は出したが、二人は道場の周辺を見ようと外へ出て行った。
「うぅ〜ん…怪しい物、ある?」
「簡単にあったら苦労しないよ、真宵ちゃん」
道場の周りには、木が囲む様に茂っていた。そして人が歩くようなスペースは砂利が覆っている。
二人はその周辺を調査していた。
だが流石に警察が調べた後なので、事件に関係のある物が残っているとは考えにくかった。
「ぐるっと回ったけど、やっぱり無いよ。なるほどくん」
「やっぱりそうか…」
と、そこまで成歩堂は言ったが、真宵が手に持っている小さな石を見つけた。
「真宵ちゃん。それは…?」
「え。ああ、これ?今、砂利の周辺探してたら拾ったの。綺麗だよね〜」
その小さな石は確かに綺麗だった。
真宵のような女性の手のひらでも包み込めるような小さな石で、赤く透き通っていた。
灰色の砂利の中に混じっていれば、確かに目立つ小石だ。
「へぇ〜…だけど事件には関係なさそうだね」
「あっ、そういう事言う〜!」
私にとっては大発見なのになぁ、と呟きながら、真宵は自分の袖にその石をしまった。
そして、ここの道場の師範、八重沢 綾乃に話を聞くために、そこを後にした。
- 同日 某時刻 八重沢剣道場 -
「あっ、あんたたち…!やっと戻ってきたッスね!」
道場の入り口付近に戻ってくると、明らかに怒った様子の糸鋸が二人を出迎えた。
「許可も無しに中へ入って…信じられないッス!もー有罪ッス!!」
「だ、だってイトノコ刑事が入れてくれないからじゃないですか!」
糸鋸の言う事が正論なおだが、何故か逆切れする成歩堂。弁護士の性なのだろうか。
一方真宵は、糸鋸の隣にいる女性に目を奪われていた。
女性はすらりと背が高く、身長は真宵と10pは違うだろう。
目は大きく睫毛が長い。「高値の華」とでも言いたくなるような雰囲気を出している。
シャギーをして切られたショートカットがよく似合う、美しい女性だった。
そして、その女性は道場の胴着を着ていた。
「なるほどくん。この人じゃない?この道場の…」
と、真宵がそこまで言うと、その言葉が聞こえたのか女性はにっこりと笑って言った。
「この道場の師範、八重沢 綾乃です」
その美しい笑顔に、思わず成歩堂、そして真宵までもが顔を赤く染めた。
「う、うわぁ…すっごい美人さんだね…」
(…ここに春美ちゃんがいたら大変だったな…)
成歩堂は赤くなった頬を抑えるように軽くさすりながら、とりあえず話を聞くことにした。
「あなたが第一発見者、だったんですよね?」
「そうです…何でこんな事になってしまったのか…」
「発見した時間は?」
「そうですね…よく覚えてませんけど、朝の8時頃だったと思います」
「死亡推定時刻はその前の晩の11時すぎッス。もう今更ッスから、解剖記録も渡しておくッス」
殺人現場も目撃者も知られたので、もうどうでもよくなったのだろう。
糸鋸は自分の鞄から大きい茶封筒を取り出すと、成歩堂に渡した。
それにはこう書いてあった。
『死亡推定時刻 9月7日 11時15分 腹部を刺され失血死』
成歩堂はありがたく解剖記録をもらい、ざっと見るとファイルに入れた。
綾乃は悲しそうに顔を伏せると、顔に手をあてた。
「その時の現場の状況、教えていただけますか?」
「もちろんです。朝練のために道場に行ったら、一志くんに…日本刀が刺さっていたんです」
「に、日本刀が…?」
凶器の使われ方に、驚きの声をあげる真宵。
「はい。日本刀は道場に飾ってあったものでした。多分、犯人が使ったのでしょう」
「犯人…って、被告人の名前を知らないんですか?」
生徒を殺害されて、そして犯行の疑いが掛かっている十寺を彼女は知っているはずだ。
むしろ恨むべき存在かもしれない。
なのに「十寺」といわず「犯人」という言い方に、成歩堂は疑問を感じた。
「いえ、知ってるんですけど…まだ犯人は十寺さんと決まったわけじゃないんですよね?」
「ま、まぁ…判決はこれからですけど」
「だから犯人呼ばわりしては少し失礼かな、と思って…」
そう言ってさわやかに笑う綾乃に、成歩堂と真宵は顔を見合わせた。
(どうやら、少しずれた人らしいな…)
成歩堂は苦笑しながら顎をさすると、次の質問を始めた。
「あの、見たところ鍵穴が壊れてかけているらしいんですけど…何か知っていますか?」
さっきの鍵穴を、道場の持ち主本人に投げかけてみた。
「さぁ…私が事件の前日まで鍵の開け閉めはしてましたけど、あんな風にはなっていませんでしたよ」
「そうですか」
(うーん…あれは一体何だ…?)
成歩堂が悩んでいると、糸鋸がぬっと割り込んできた。
「警察は、犯人が無理やり開けようとしたと見ているッス!」
「ああ、なるほど。さすがイトノコさん!」
「ふふん。警察をなめたらいけないッス」
得意げに真宵に話している糸鋸に、成歩堂は「これはチャンス」と色々聞き出そうとした。
「じゃあ何で被害者はあんな時間に稽古を?」
「そんなの知らねッス!」
「………」
成歩堂は軽く怒りを覚えながらも、とりあえずその感情を無視して話を続ける事にした。
「じゃあ八重沢さんは知っていますか?何で被害者があんな時間に稽古をしていたのか…」
「いいえ。そんな時間まで稽古するなんて…そうですね、燈六さんくらいしか」
「燈六…?」
初めて聞くその名前に、成歩堂は思わず身を乗り出した。
「えぇ、燈六 聡華(ひりく さとか)さんの事です。ここの生徒の一人ですよ」
「そうなんですか」
「まだこの近くにいると思いますけど…あ、燈六さん!弁護士さんが呼んでます!」
「い、いえ!別に呼んでるわけじゃ…」
成歩堂が言う前に、既に綾乃はその燈六 聡華という人物を呼び止めていた。
「ど〜しましたか、せんせ〜?」
ぼーっとした感じの少女が、こっちに向かって歩いてきていた。
眼鏡をかけ、薄茶の肩までのセミロングの髪をなびかせている。
綾乃もまた美人だが、この少女は素朴な可愛らしさのある少女だ。
まだ若く、真宵よりも年下に見える。
前に成歩堂が扱った事件の依頼人、須々木 マコと似ているかもしれない。
だが全然違うところは、たれ目で何故かぼーっとしているところだった。
「この弁護士さんが話があるらしいの。私は警察さんたちに頼んで、道場の中に置いてある荷物を取ってくから、後はよろしくね」
「自分もそろそろ署に戻るッス。くれぐれも現場は荒らしちゃ駄目ッスよ!」
「え、ちょっと…」
そう二人は言うと、すぐに行ってしまった。
結局、成歩堂と真宵と聡華だけがその場に残された。
少し沈黙があったが、聡華は眠たそうな顔でくるりと成歩堂の方を向くと、
「え〜と…あなたですよね〜?弁護士さんって」
と、言った。
(一応この子にも話を聞いておこうか…。まだ被害者についての情報も少ないし)
そう思った成歩堂は、とりあえず聡華に話を聞く事にした。
「君はこの道場の生徒なんだよね?」
「はい、そ〜ですよ」
「出来れば君から見た被害者を教えてくれるかな?」
「わかりました〜」
にこにこしながら、何とも緊張感の無い声で聡華は話し始める。
「いくらなんでも名前は知ってると思いますけど〜、神楽 一志(かぐら かずし)君です〜。
凄く剣道上手いんですよ〜!も〜私なんて敵わないくらいです〜。
でもちょっと周りからは嫌われてたかもです〜。皆『嫌味ったらしい』って言ってましたよ〜。
私もい〜っつも試合で負けて、『弱い』とか『クズ』だとか言われてました〜…」
(やべぇ!そういえば被害者の名前知らなかった…)
「そ、そんな人なんだぁ…」
あまりの嫌な印象を受けているだけに、真宵は思わず驚きの声を出した。
「あ、それと〜…ここだけの話、ど〜やら八重沢せんせ〜に惚れちゃってたらし〜んです!」
「ええっ!本当!?」
聡華の口から恋愛話が出てきて、真宵は興味ありげに身を乗り出した。
「はい〜。八重沢せんせ〜には、師範としても女性としても憧れてたらし〜ですよ。
せんせ〜の前だけミョ〜にニコニコしてたし、おかし〜な〜とは思ってたんですけど〜」
「は〜、そ〜ですか〜…」
「そ〜なんです〜。けっこ〜ゆ〜りょくなな情報ですよ〜」
「ゆ〜りょくなんですか〜………」
(はっ、移ってしまった!)
妙にとろんとした言葉が移ってしまい、落ち込む成歩堂。
「でも、想いを伝えきれずに…殺されちゃったね」
「そ〜ですね…『儚い恋』とは、まさにこの事です〜」
しゅんとしながら話す二人をよそに、成歩堂は溜息を吐いた。
「じゃあ事件当日の君のアリバイについていいかい?」
「はい〜。い〜ですよ〜」
聡華は事件当日を思い出そうと目を瞑っていたが、あっと呟き、手をぽんと叩いた。
「そ〜そ〜。私、夜の10時半から11時位まで道場の前にいたんですよ〜」
「ほうほう………って、えええぇぇぇええ!?」
「10時半って言ったら、神楽さんが死んじゃう30分前じゃん!」
聡華の本当に思いがけない一言に、二人は思わず叫んだ。
「そ、そんな時間に一体何してたんですか!」
「私、ず〜っと一人で練習してたんです〜。それで遅くなってしまって〜…」
「で、でも鍵は…!?」
「毎日遅くまで練習してたら、私のためにせんせ〜が特別に合鍵を作ってくれたんですよ〜」
(それって鍵を掛けるのが遅くなって、帰るのも遅くなるから迷惑だっただけなんじゃ…)
「だけどその日は私も時計を見てなくてですね〜。気がついたら10時半頃でして…。
しょ〜がないから親に車で迎えに来てもらってたんです〜」
いつもは9時頃までには終わらせるんですがね〜、と付け加えて、頭を軽くかいた。
「それにしても、練習熱心なんだね。燈六さん」
真宵が感心感心と言いながら、聡華の頭を撫でた。
「い、いえいえ〜!私は練習を人より倍くらいしないと追いつけないから〜…」
そう言って、聡華は苦笑した。
聡華は、確かに「人より倍」と言えるほどの練習量だった。
いつもは7時には終わる練習も、いつも残っては遅くまで練習していた。
その姿に心打たれたから、綾乃は合鍵を渡したのだ。けして迷惑だったからではない。
「こほん。じゃあ本題に移るけど、その時誰か人は………」
「そこまでよ」
突然聞き覚えのある声が聞こえたかと思うと、成歩堂の目の前にいる聡華は口を塞がれていた。
その口を塞いでいる人物は、
「か、狩魔検事!」
いつも自信に満ちた顔をしている、狩魔 冥だった。
白い手袋をつけている手は、聡華の口を塞いでいた。
「む、む〜?」
「この子には、明日、証人として証言台に立ってもらうわ」
「ええぇっ!?燈六さんが!?っていうか、なんで狩魔検事がここにいるんですか!」
「ふん。せいぜい驚くことね。成歩堂 龍一」
冥は、得意の自信満々の顔でこう言った。
「狩魔は偶然さえも必然とする!………これを聞けば、判るでしょう?」
「いえ、まったく意味が……いてぇっ!!」
冥がムチを構えたかと思うと、痛々しいムチの音が響いた。
「バカはバカらしい行動をとるわね。バカバカしい。少しは自分で考えなさい!」
「無茶ですよ!ってかバカバカ言わないでください!!」
「たまたまこの事件の担当になったからに決まっているでしょう!」
「だったらそう言ってくださいよ、もう。………ってええええぇぇっ!?」
「なるほどくん、さっきから叫びすぎ」
真宵は耳を塞いでいたが、あまりもの連続の叫びに突っ込みをいれた。
「じ、じゃあこの事件の検事は…」
「もちろん、私よ」
冥はふふんとでも言いそうな表情でそう言うと、成歩堂に指を突きつけた。
「言っておくわ。今回は偶然あなたが相手だっただけ。これは私が故意に起こしたことじゃない!」
「はぁ…」
「というわけで、明日は覚悟しておくことね。成歩堂 龍一」
高笑いをしながらムチを振り回し、聡華の口を押さえたままの冥は、彼女を引き摺りながら現場へと戻って行った。
「………明日は凄いことになりそうだね」
「…そうだね」
明日の裁判を想像した二人は、うんざりとした顔をしながら肩を落とした。
「じゃあそろそろここを出…おっと!」
帰ろうとした成歩堂は、砂利の中でも大きな石に躓きかけたが何とか倒れなかった。
すると、その拍子にその石が転がった。
「うわわっ、なるほどくん大丈夫?」
「う、うん………あれ、何だこれ?」
さっき転がった石の下から、何かの燃えカスが出てきた。
殆ど燃えてしまっているが、白い部分の残している物もあった。
二人とも唖然としながら、その部分だけを取って、そこに書いてある文章を読む。
『9月5日 練習試合をする。だけど意味が無い。皆弱いと俺は思
9月6日 八重沢先生と稽古をする。先生にいつ告白をしようか
9月7日 八重沢先生と夜に剣道場で稽古をする。ついに告白す』
それは被害者のスケジュール帳だったのだろう。日付ごとに予定が書いてあった。
そして、決定的な犯行時の被害者の行動も。
「な、なるほどくん…もしかしてこれって…」
「大発見、だね」
重要な証拠が発見されて、成歩堂は喜びの声をあげた。
そして自分のファイルの中にしまう。
「とりあえずもう一回、綾乃さんと会おう。あの夜についての詳しい話を聞かなきゃいけない」
「確か…警察の人に頼んで、道場の中にいるって言ってたよね」
「じゃあぼく等も入ろうか」
警察の人たちの隙を狙って、成歩堂達は再び中へと入っていった。
- 同日 某時刻 八重沢剣道場 稽古場 -
「あれ、綾乃さんいないよ?」
「おかしいなぁ。さっき、確かに言ってたはずなのに」
成歩堂は、さっきの綾乃の言葉を思い出した。
『私は警察さんたちに頼んで、道場の中に置いてある荷物を取ってくから、後はよろしくね』
「うん。やっぱりどこかにいるはずだ」
「じゃあ色々な部屋、調べてみよっか」
調べるという行為が好きな真宵は、怪しく笑いながら色々な部屋のドアを開け始めた。
「やれやれ…」
半分呆れながらも、成歩堂も近くの部屋を調べ始めた。
まずは近くにあった、ある部屋のドアを開けたその瞬間。
服を脱いでいる、綾乃と目が合った。
上半身は下着のみで、今まさにスーツのスカートを脱ぐ所だった。
「「………」」
一時の間の後、
「きゃあぁぁーっ!!!」
綾乃の声が、その部屋に甲高く響いた。
「あわわわ!ごめんなさいごめんなさい!!」
成歩堂は急いでドアを閉めてその部屋から離れたが、顔は赤いままだった。
そしてその二人の叫び声に驚いた真宵は、すぐに成歩堂の元へ駆け寄った。
「なるほどくん、なるほどくん!何があったの!?」
「ぼくは、ぼくは!紳士としてあるまじきことを…!!」
「意味判んないよ!落ち着いてなるほどくん!!」
完全に混乱状態の成人男性とそれに困り果てた少女の二人の姿は、はたからみれば正に異常だった。
「あの…すみません。もう大丈夫ですから」
その時、さっきのドアから綾乃が出てきた。もちろん服を着ていたが。
二人とも顔を赤くしているのに疑問を持った真宵は、とりあえず綾乃に聞いてみることにした。
「一体何があったんですか?」
「ええと…大変言いづらいんですが、成歩堂さんが…その……」
「その?」
「…私が着替えているあの部屋に、入ってきてしまったんです」
「あぁ、そういうわけですか!…ねぇ、なるほどくん。まさかわざとじゃぁ…」
「そんなわけないだろ!!」
今まで抱えていた頭を激しく起こし、反論する成歩堂。
すると綾乃はくすくすと笑い、成歩堂に笑いかけた。
「わざとじゃないって判っていますから大丈夫ですよ、成歩堂さん」
「有難う御座います。本当にすみません…」
「声が小さいよ、なるほどくん!」
相手の優しさに感動し、今にも土下座しそうな情けない成歩堂を、真宵は一括した。
(というか待てよ…。思い出すのもなんだけど、綾乃さん、二の腕に包帯巻いてたよな…)
成歩堂は冷静になって初めて気づいたが、さっきの着替え途中の綾乃は、右の二の腕に包帯を巻いていた。
しかもそれを急いで隠すために、腕に服を掻きあげていた事を思い出す。
それに綾乃は、残暑が続くこの時期に常に長袖を着ていた。
(そんなにあの傷を見られたくなかったのか…?)
思わず悩み始めた成歩堂だが、この事件に関係は無いと思うとすぐに我に返った。
「そういえば、何で着替えてたんですか?確か荷物を取りにきたんじゃ…」
真宵がそう問いかけると、綾乃は苦笑しながら言った。
「ああ、本当は荷物を取りに来たんですけど、ついでに更衣室でスーツを着替えようと思いまして」
「そうだったんですか。それより、ちょっと話があるんですけど…」
「え?あ、すみません。これからちょっと出かけなきゃいけないので…。
今着替えていたのもそのためなんですよ。すみません、急ぎますのでこれで」
「えっ、あ…」
そう言うと綾乃は早足に稽古場を出て行った。
本題に入ろうとした成歩堂だったが、綾乃に早い口調で捲し上げられてしまったので、結局聞けずじまいだった。
「ちぇ〜…。せっかく聞けるチャンスだったのにね」
「まぁ、狩魔検事の話だと彼女も明日証言台に立つらしい、明日でいいかな」
「だから駄目でしょ!弁護士がそんなんじゃ」
「いてっ、いてっ!」
さっきと同じ事を言った真宵は、成歩堂の背中を二回叩いた。
「いたた…。って、もうこんな時間か。じゃあ最後に留置所に行って、そろそろ切り上げようか」
「うん!」
既に午後8時を回っていたのに驚いた成歩堂は、とりあえず十寺の不安を和らげて終わろうとしていた。
それが、この不利な状況の中の「不幸中の幸い」になろうとは、誰も思っていなかった。
- 同日 某時刻 留置所 面会室 -
「あ。成歩堂さん、助手さん」
「どうも。とりあえず調査は終わりました。大体の証拠品は取れたと思います」
「そ、そうですか」
まずは良い報告をして、十寺の心配を和らげようとする成歩堂。
成歩堂の思い通り、十寺は胸に手を当て、安堵のため息をついた。
「明日の裁判、絶対に勝ってみせますから、大船に乗った気持ちでいてください!」
「はい!頑張ってください、成歩堂さん!!」
妙なテンションの友情が合わさった中、真宵はさっき拾った赤い石を眺めていた。
「真宵ちゃん、それ、お気に入りだね」
「だって綺麗なんだもん。ね、十寺さんもそう思いませんか?」
「え?」
突然真宵から差し出された物に戸惑った十寺だったが、その赤い石を見ると小さく声をあげた。
その反応に疑問を持った成歩堂達。
「あれ。十寺さん、この石を知ってるんですか?」
「え、いや…。その石、赤糸岩に傷をつける用の石ですよ」
「「えぇっ!?」」
この石の意外な正体に、思わず二人は驚きの声をあげた。
「何でそんなのがあそこにあったんだろ?」
「間違いないんですか?」
「えぇ。特徴的ですから。その石は」
その時、成歩堂は思い出した。そういえばあの赤糸岩の近くに、赤い石の砂利が広がっていた気がする。
(あれはあの×印をつけるための石だったのか…)
妙に納得した成歩堂だったが、更に謎は深まるばかりだった。
なぜあそこにその石が落ちていたのか。そしてそれを落としたのは誰なのか。
「石の件はもういいでしょう。それよりも、今日はゆっくりと休んでください」
「はい。明日、お願いします」
そもそもこの事件とは関係が無いと踏んだ成歩道は、とりあえず留置所を出る事にした。
- 同日 某時刻 成歩堂法律事務所 -
「はぁ〜…疲れたねぇ」
「でも、十寺さんを無罪にするためだからね」
ソファーで寝転ぶ真宵に、成歩堂は苦笑した。
そして朝に取り忘れた新聞を取りに玄関へ出た。
成歩堂が新聞を取ってくると、真宵はソファーから急に立ち上がり、新聞を取った。
「4コマ見せてよ、4コマ!」
「こ、こら!」
新聞を見ながらお茶を飲むという、溜まった疲れを癒すその行為を邪魔された成歩堂は焦った。
「なんだ。今日もつまんないんの。………ん?何この記事」
「え?どんな記事だよ」
いつもは4コマとテレビ欄しか見ない真宵が、真剣にある記事を見ているので、成歩堂も興味を持つ。
そこには『天野組の一味、負傷!』という記事が載っていた。
「アマノグミ…って何?なるほどくん。お菓子?」
「これはヤクザのこと。ぼくも名前を聞いた事があるし、ヤクザの中でも有名な方じゃないかな」
色々な事に疎い成歩堂だが、天野組の存在は知っていた。
そこらへんのヤクザでも、「天野組」と聞くと背中が凍るだろう。
「ふうん。で、警察の人が、そのアマノグミっていう人の誰かを怪我させたんだね」
真宵は記事の文章を読みながら、いかにも「警察と天野組」が「正義と悪」のようにウキウキと語っている。
「凄い事だね。その警察官、きっと前代未聞の事に仲間から騒がれてるかもね」
「えっと、その警察官の話によると…。麻薬の取引中を現行犯逮捕しようとして、
アマノグミのボディーガードの様な人を怪我させた、とか何とか…」
「でも眠らされて逃げられたって書いてあるね。天野組の力は凄いからなぁ」
「せっかく追い詰めたのにね。えっと、負傷させた場所は…… 二の腕 ?」
その言葉を聞いた瞬間、成歩堂は手に持っていたコップを落とした。
ぱしゃんという音を立てて、成歩堂の膝の上に零れた。
「うわわわっ!何してんの、なるほどくん!!」
「な、何でも無い!ちょ、ちょっと手が滑って」
迫り来る嫌な予感に、成歩堂は嫌な汗を流した。
(まさか。いや、まさかな…)
まさかと思えば思うほど、嫌な予感は確実に大きくなっていく。
とりあえずその新聞記事を切り取り、ファイルにしまった。
「どうするの、そんなの?」
「いや、ちょっとね」
綾乃の二の腕の傷を見ていない真宵には何も判らないので、成歩堂はとりあえず誤魔化しておいた。
そしてその日は、明日は裁判だというのに、どうしても拭いきれない不安を募らせるばかりであった。
『この道場の師範、八重沢 綾乃です』
あの美しい笑顔の裏に、何が隠されているのかと。
あとがき
ようやく探偵パートが終わりました。次は法廷パートです。
実は剣道の事はよく判らないので、何か間違っていても生温かい目でスルーしてやってください。
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