約束の逆転(第3話)
- 9月10日 某時刻 地方裁判所 被告人第三控え室 -
そこには明らかに顔色が良くない男性がいた。
もちろん、今から始まるこの裁判の被告人、十寺 康信だ。
やはり不安の色を隠せずにいる。
「大丈夫ですよ、十寺さん!なるほどくんならきっと何とかしてくれますよ」
真宵が精一杯励ますが、効果は薄いようだ。
「十寺さん。昨日も言いましたが、大船に乗った気持ちでいてください。
ぼくは必ず無罪を勝ち取ってみせます」
にっこりと微笑んでみせた成歩堂の顔を見て、やっと安心したのか、十寺は軽く笑った。
「そうですね。信じていますから、成歩堂さん」
二人はにこりと笑いあい、硬い握手を交わした。
それを見ていた真宵だったが、そろそろ時間だと気づくと成歩堂の腕を掴んだ。
「なるほどくん、もうすぐ時間だよ」
「あ、ちょっと待って。真宵ちゃんに手伝って欲しいことがあるんだ」
「え、何?しょうがないなぁ。副所長として頑張っちゃおうかな〜」
成歩堂は真宵の耳を引き寄せると、何やら耳打ちをした。
そしてその言葉を聞き終わると、真宵は少し驚いた顔で成歩堂を見た。
「何でそんなのが必要なの?」
「いや。何かひっかかるんだ…。お願いだよ、真宵ちゃん」
このとーり、と手を合わせて頼み込む成歩堂を真宵はぽかんと見つめていたが、やがて笑顔になると、
「この真宵ちゃんに任せなさい!」
と、資料室に向かって走って行った。
(頼んだよ、真宵ちゃん…)
走っていく真宵の後姿を見送りながら、成歩堂は心の中で呟いた。
「被告人、ならびに弁護人は速やかに入廷してください」
その係員の声を聞くと、二人は頷きあい、法廷へと足を進めた。
カン!
しんとした法廷に、裁判長の木槌が響き渡った。
「これより、十寺 康信の法廷を開始します」
「弁護側、準備完了しています」
「検察側、準備完了」
裁判長のその声を合図に、成歩堂と冥は準備完了の声をあげた。
「よろしい。では、狩魔検事。冒頭弁論をお願いします」
「…被害者は神楽 一志。八重沢剣道場の生徒。9月8日の朝に日本刀で腹部を刺され、死亡している所を発見されたわ」
「に、日本刀…。それはまた趣がありますな」
(そういう問題でも無いと思うけど…)
「第一発見者はこの道場の師範、八重沢 綾乃。朝練の準備をしようと道場を開けた時に発見したそうよ。
凶器から指紋は出なかった。だけど被害者は、ある決定的な証拠品を握っていたわ。
それを証拠に、今回の被告人、十寺 康信を逮捕にいたったわ」
「そ、それは一体…!」
「それはあの刑事の証言で明らかになるでしょう」
決定的な証拠品、と聞いて裁判長は急かしたが、冥は軽く流した。
そして得意の決めポーズをしながら、叫んだ。
「イトノコギリ刑事を入廷させなさい!」
そう言ってすぐ、いつもの薄汚れたコートを来た糸鋸が入廷した。
入ってきた糸鋸は心底怖そうな顔をしている。当然だが、冥が怖いのだろう。
冥の方をちらちらと見ながら、ため息をついていた。
「え、えっと。自分はイトノ…ぎゃあっ!」
自己紹介をしようとした糸鋸に、いきなりムチが飛んできた。
「ななな、何で叩くッス!」
「誰も名前と職業なんて聞いていない!もう判りきっているわ」
「そ、そりゃそうッスけど…うぎゃあっ!」
「さっさと証言しなさい!」
何度もムチが飛んできて、流石に学習したのか、大人しく証言を始めた。
「9月7日の夜、おそらく被害者は遅くまで稽古をしていたッス。
被害者の稽古中、犯人は被害者のいる稽古場の鍵をこじ開け、侵入。
被害者が更衣室から出てくると、犯人は日本刀でドスッ!と一突き!
被害者はその時、犯人の足袋のある部分を引き千切っていたッス。
それを証拠に、被告人を緊急逮捕したッス」
糸鋸が話している間、成歩堂はその言葉を聞き逃さないように集中していた。
一方、冥は得意げに笑っていた。今回の勝ちを当然と思っているようだ。
「これがその現場写真ッス」
「受理しましょう」
現場写真は思わず目を背けたくなるようなものだった。
更衣室のドア付近に仰向けに倒れ、腹部に刺されて死んでいる被害者の顔は苦悶の表情で固まっていた。
その表情と言えば、女性なら小さいながらも悲鳴をあげるだろう。ムチで人を叩く検事を除いて。
その写真を、成歩堂はファイルにしまった。
「それしにても…日本刀でドスッ!とですか」
「そんな事はどうでもよろしい。成歩堂 龍一。尋問をお願いしようかしら。
まずは、このヒゲの証言を崩してみなさい。まさか、こんな所で躓かないわよね?」
自信あり気にそう言うと、ムチで机を叩いた。
「今度こそ、貴様に勝つ!」
「こ、こら。狩魔検事!ここは喧嘩する場所では…うひゃあっ!!」
裁判長がそう注意すると、容赦ないムチが飛んできた。生々しい音が響く。
「早く進めなさい、裁判長」
「は、はい。判りました…」
(大丈夫なのか?この裁判…)
「で、では、成歩堂くん。尋問を」
「は、はぁ…」
カンと木槌が鳴り響き、成歩堂の尋問が始まった。
「あの、被害者は夜遅くまで稽古をしていたんですか?」
「間違いないと思うッス。死亡推定時刻も夜遅くだったッスから…」
成歩堂はその言葉を聞くと、解剖記録を取り出した。
確かに死亡推定時刻は11時15分となっている。
「何故、被害者はそんな時間まで稽古を…?」
「被害者は八重沢流の中でも優秀な生徒だったッス。だから遅くまで稽古をしていても不思議ではない、と綾乃さんは言ったッス」
「確か…この道場の師範ですね?」
「そうッス。凄く美人なんスよ!まぁ自分はマコくんが一番…うぎゃっ!!」
糸鋸がそこまで言うと、いうまでもなく冥のムチが飛んだ。
「どうでもよろしい」
「うぅ…辛いっす」
糸鋸は涙目になりながら、叩かれた頬を擦った。
「じゃあ続けますけど…被害者は稽古中なのに鍵をしめてたんですか?」
「いつも被害者は一人の時は自分流の稽古をしていたらしく、見られないように鍵をしていたらしいッス。
だから犯人は鍵をこじ開けて…」
と、糸鋸がそこまで言うと、成歩堂は大きな音をたてて力強く机を叩いた。
「うわわっ、何ッスか!?」
「犯人は鍵をこじ開けた…。じゃあその音に、何故被害者は気づかなかったんですか!」
成歩堂は指を突きつける中、冥は机に頬杖をつきながら、いつもの得意げな顔で指を揺らした。
「ふふ…。バカも休み休み言え。日本ではそう言うそうね」
「な、なんだって…?」
「いい?成歩堂 龍一。死体は更衣室のドアの前で見つかったのよ」
「そ、そうらしいですね」
「じゃあ被害者は更衣室を出ようとした時に刺された。つまり…」
冥はそこで一呼吸置くと、得意のポーズで叫んだ。
「被害者が更衣室で着替えている間に鍵をこじ開け、日本刀を取った。そう考えるのが妥当でしょう!」
「う、うぅぅ…」
「た、確かに!」
相手の迫力のある、しかも正論であるその言葉に、成歩堂は思わず情けない声を出した。
そして裁判長は冥の言葉に納得したようだった。
「よって今のはムジュンでも何でもないわ。続けなさい、ヒゲ」
「は、はぁ…。判ったッス」
(くそっ、何とか見つけられたと思ったのに…)
成歩堂は心の中で自分を詰る。
「そういえば…足袋って何ですか?」
「足袋も知らないッスか?足袋(たび)というのは、剣道やその他モロモロに使う靴下のような物ッス」
「そういえば、弓道を習っている孫も履いていましたなぁ」
「そして足袋を履く時に、止めるための金具があるッス。専門的には『こはぜ』と言うッスが…。
そのこはぜを、被害者は握っていたッス」
「それがもしかして……?」
「予想通り、被告人の物だったッス。そして被告人の指紋付きだったッス」
(や、やっぱり…)
致命的な証拠品に汗を流しながら、成歩堂は必死に考えていた。
(ムジュン。この中にムジュンは無いのか?さっきから引っかかってる事があるんだけど…。
あの時、犯人と被害者の他に……誰かが…)
その時、成歩堂は勢いよく顔をあげると、机を叩いた。
「そ、そうか!」
「いきなり何ですか、成歩堂くん!びっくりさせないでください」
裁判長の言葉を聞いているのかいないのか、成歩堂は早口は喋り始めた。
「犯人が鍵をこじ開けて入った?そんな事は、有り得ない!」
「な、なんですとっ!」
「何故なら、道場の玄関に10時半から11時までそこにいた第三者の人物がいる!」
その言葉に法廷内はざわざわと騒ぎ始めたが、裁判長の木槌の音でまた静まりかえった。
「静粛に!静粛に!!一体誰なのですか、その人物は!」
「この道場の生徒、燈六 聡華ね」
「そう。彼女は遅くまで稽古をしていて、迎えの車を待っていたんです!」
成歩堂はそこで一呼吸置くと、また机を強く叩き、
「道場の前でね!」
と、叫んだ。
また法廷内が騒ぎ始めたが、裁判長は木槌を叩きもせずに言った。
「…どうやら、その燈六という生徒に話を聞く必要がありそうですね」
「やはりヒゲを打ち崩してしまったわね。成歩堂 龍一」
ムジュンを突きつけられたにもかかわらず、冥は相変わらず得意げな笑みを浮かべていた。
(すべて予想済みってわけか。ってちょっと待てよ。もしかして、あの子を尋問しなきゃいけないのか!?)
あのスローペースな喋り方を思い出すだけでも眠たくなるのに、尋問でもすれば完璧にあの喋りが移ってしまう。
さっきまでの成歩堂の嬉しそうな笑みが一瞬で消えると、また冷や汗を流し始めた。
「ではその人を大至急…うひゃはっ!!」
と、裁判長がそこまで言うと、冥がムチを裁判長に打った。
「…既に次の証人として手配してあるわ」
「そそ、そうですか。では、直ちにその証人を入廷させてください」
数秒開いてから、薄茶色の髪をなびかせ、にこにこと笑った少女が入って来た。
「…証人。名前と職業を」
「名前は燈六 聡華です〜。しょくぎょ〜は学生です〜」
何とものろのろとしたその喋りに、法廷内は少し沈黙が流れた。
「ええと…あなたが、その…」
最初に切り出したのは裁判長だった。
「はい〜?あ、そうです〜。あの日の夜、玄関の前にず〜っといましたよ〜」
「では、その時の事をしょ〜げんしてください」
「はい〜。判りました〜」
(裁判長、ちょっと移ってるぞ…。大丈夫かな)
聡華という証人が出てきた事に、少し不安感を覚える成歩堂だった。
「あの夜、私はずっと稽古してました〜。確か神楽くんはもう帰っていたはずですよ〜。
神楽くんはお金持ちですから〜、いつも豪華な車が迎えにくるから帰る時はすぐにわかるので〜。
いつもは9時ごろには稽古を終わらせるんですが〜、気が付いたら10時過ぎで〜。
急いで着替えて親に電話して〜、そして10時半から11時頃までずっと待ってました〜。
そういえば、誰かが道場に来てましたねぇ〜。
でも親の車が来たので、よく見てなかったです〜」
聡華の話が終わると、あたりはしんと静まり返った。
「つまり…。あなたは目撃したわけですか!犯人を!!」
「はい〜。そ〜ゆ〜事になりますね〜」
裁判長がそう問いかけると、聡華はこくりと頷いた。
その反応に、更に脱力感が増える。
「な、何て能天気な証人なの…」
(まったくだ…)
法廷全体が呆れかえる中、聡華だけが状況が判っておらず、ひたすら?マークを浮かべていた。
「とにかく…尋問をお願いします」
「は、はい…」
やる気の無い会話をしながら、とりあえず尋問は始まった。
「被害者はいなかった、ってどういう事ですか?」
「そのままの意味です〜。私一人だけで練習をしてましたから〜。神楽くんはいませんでしたよ〜」
「ふむぅ…。では警察側の推理は外れていた、という事になりますな」
「あの、被害者はお金持ち、とか……」
「はい〜。い〜っつもベンツとか凄い車で迎えに来てますから、神楽君が帰る時って目立つんですよね〜」
事件に関係の無い話を聞いていたが、突然成歩堂は身構えた。
「では本題に入ります。誰かって、誰ですか?」
「誰って…よく見えなくて判りませんでした〜」
「でも!シルエットとで男性か女性かくらいは…」
「実はその人、剣道着を着ていたんです〜」
「け、剣道着だって!?」
成歩堂は思わず叫んだ。
「だからよく判らなかったんです。その時すぐに車も着てしまいましたし〜…」
と、そこまで話していると、冥が怪しげに笑った。
「それこそ、被告人に違いないわ」
「き、決め付けないでください!」
「生徒が後から帰ってくるはずもない。それに被告人は剣道着も持っているのよ?」
(十寺さん…そういえば持ってたんだった!)
「決まりね。誰か、なんて迷う必要は無いわ」
「でも!顔が見えなかった以上、十寺さんと決め付けるわけには…」
そこで、いきなり成歩堂は言葉を止めた。
(待てよ…)
急いで証拠品ファイルを開けると、あの焼け焦げた紙を取った。
成歩堂はそれを改めて読み、全てを悟ると、机を力強く叩いた。
「異議あり!これを見てください!!」
成歩堂が出したそれは、昨日拾った焼け焦げた紙だった。
「あなたに似合ったそのボロボロの紙が、一体どうしたのかしら?」
「そのボロボロの紙は、決定的な証拠品なんですよ」
「な、なんですって…?」
「ここをよく見てください」
成歩堂が指を指したそこは、
『9月7日 八重沢先生と夜に剣道場で稽古をする。ついに告白す』
と、書いてあった。
「これは…一体何ですか!成歩堂くん!!」
そこに書いてある文字に嫌な予感を覚えたのだろう。
裁判長は慌てた声で、その焼け焦げた紙を差し出した本人に聞いた。
「被害者、神楽 一志のスケジュール帳の一部です」
「す、すけじゅうる…!ようは予定表ですか!」
「まぁ…そうとも言いますけど……。と、とにかく!そこに書いてある事が、何を意味しているかお判りですか!」
成歩堂は裁判長だけでなく、まるで法廷内全体に訴えかけるように叫んだ。
「あの日の夜、被害者とある人物は会っているのです。事件現場でね!」
ざわっ…。
その発言に、再び法廷内は騒ぎ始める。裁判長は木槌をカンカンと叩いた。
「静粛に!静粛に!!それはもしかして…」
「そう…もちろん、八重沢 綾乃。この道場の師範です!」
「異議あり!確かに夜に会うとは書いてあるわ。だけど、ちゃんとした時間は書いてない。
犯行時刻よりずっと前に稽古をしたのかもしれない!」
「異議あり!聡華さんの証言を思い出してください。彼女がずっと道場で、一人で稽古していたじゃないですか!」
「ぐうぅぅぅ…っ!」
冥は思わず後ずさりをすると、この時初めて汗を流し始めた。
(こんな展開は予想してなかったみたいだな…)
勝利の小さい希望が見え、成歩堂は嬉しさのあまり笑みを浮かべていた。
「こ、これは一体…!うわははっ!!」
驚きのあまり裁判長がそう言った途端、冥のムチが飛んでいった。
「一体…どうなっているのっ!」
「だからといって、私を打たないでくだ…うはははっ!!!」
裁判長は何度もムチで打たれ、少し涙目になり黙ってしまった。
「うぅ…。と、とにかく、その八重沢 綾乃という人を連れて来てください!話を聞く必要があります」
「……やむを得ないわね…」
「そのようだね」
「その道場の師範とやらを、大至急呼び出し…」
と、裁判長がそこまで言うと、成歩堂が口を挟んだ。
「裁判長。彼女はおそらくこの裁判を傍聴しているはずです。召喚に時間は掛からないでしょう」
「そうですか。では、狩魔検事。八重沢 綾乃という人物の召喚する準備をお願いします」
「り、了解したわ」
「では、これより10分間の休憩に入ります!」
そう裁判長が宣言すると、木槌の音が高らかに響き渡った。
- 同日 某時刻 地方裁判所 被告人第三控え室 -
成歩堂が控え室に入ると、今にも飛び掛ってきそうな勢いで十寺が来た。
「成歩堂さん!本当に有難う御座います!!もうオレ何て言えばいいか…」
「お礼は後にしてください。それよりも…聞きたい事があるんです」
「え?何ですか」
成歩堂は十寺を制すと、真剣な顔で言った。
「あなたと八重沢さん。知り合いの類では無いんですよね?」
「え、えぇ。そうですけど。でも…」
「でも?」
「何か見たことがあるような感じなんですよね」
「…!」
そう言う十寺に、成歩堂は何か気づいたように顎を擦る。
「まぁ多分気のせいだと思うんですけど。それが何か?」
「いえ、何でも無いです。それよりも、相手は予想外の展開に慌てています。勝ちにいける可能性はあります。頑張りましょう」
「はい!頑張ってください、成歩堂さん」
二人が笑いあっていると、遠くからある少女の声が聞こえた。
「な、なるほどく〜〜〜んっ!見つけたよ!!例の資料!」
「ありがとう。真宵ちゃん」
「ちょっと強引に入っちゃったけど、まぁいいよね。結果オーライって事で!」
(一体何をしたんだろう…)
真宵の行動を不審に思った成歩堂だったが、すぐに資料に目を通すと、ファイルに入れた。
「………やっぱり、か」
「私もびっくりしちゃった。まさか…」
「え?何がですか?」
「「い、いえ!何でもないです」」
二人のやりとりを聞いて不思議に思ったのだろう。十寺は二人に疑問を投げかけるが、流されてしまった。
と、
「もうすぐ休憩時間が終わりますので、被告人ならびに弁護人は速やかに入廷してください」
係員がそう言うと、今度は真宵も含めた三人は再び法廷へと入っていた。
カン!
先ほどとは同じ、だが違う、重々しい音が法廷内に響く。
「では、これより裁判を再開いたします。召喚の準備は出来ましたかな、狩魔検事?」
「狩魔は完璧をもって良しとする。もちろん出来ているわ」
「…さらっと言えばいいのにね」
冥の堂々ぶりに、成歩堂と真宵はお互い呆れた。
「では、事件現場の道場の師範、八重沢 綾乃の入廷させなさい」
冥がそう言うと法廷の扉が開き、綾乃が入ってきた。
証言台に上ると、法廷内がざわっと色めき立った。
おそらく彼女の持つ、その美貌のせいだろう。
「これはまた美人ですぁぶっ!!」
(…気の毒に)
いきなり飛んできたムチを、もろに顔に受けた裁判長は語尾がおかしくなった。
「そんな事はどうでもよろしい。それよりも、名前と職業、よろしいかしら?」
「はい。名前は八重沢 綾乃、剣道の師範をしています」
凛としたその声にまたもや法廷内は色めき立ったが、裁判長が木槌で制した。
「静粛に!静粛に!静かに出来ない者は、出廷を命じますぞ!!」
その裁判長の言葉に流石に法廷内はしんと静まり返った。
「先ほどまでの裁判の流れは見ていたんですな?」
「はい」
「それでは、あなたが犯行当時何をしていたか。証言してもらいます」
「…判りました」
いつもはにっこりと笑う綾乃さが、流石に今の自分の立場を判っているのか、少しも笑おうとはしていないかった。
そして、綾乃の証言が始まった。
「確かに一志くんと約束はしていました。確か…10時半くらいに道場に行く予定だったと思います。
ですけどちょっと用事が出来てしまって。行けなかったんですよ、結局。
なので私、あの夜は道場には行っていません。本当です」
綾乃は真剣な顔つきで全てを話すと、ふぅと息を吐いた。
「ふむぅ…。あの夜は行かなかった、というわけですな?」
「えぇ。一志くんに連絡する暇がなくて。だけど、まさかあんな事になるなんて…」
「では尋問をお願いします。成歩堂くん」
「はい」
「約束をしていた事は認めるわけですね?」
「はい。確かに一緒に練習しよう、と私から誘いましたから」
「10時半、という時間も約束した時刻ですか?」
「ええ。結局行けませんでしたけど」
(ここまでで怪しい所は無いな…)
成歩堂はいったん会話を止め、頭の中で色々と整理し始めた。
「用事…って、一体何ですか?」
そう聞くと、綾乃は少し目を伏せた。何故か言い難そうにしている。
「どうしましたか?用事、ですけど」
「いえ、少し言い難かったものですから。実は…友達が失恋してしまって、慰めに行っていたんです」
「し、失恋…?」
「その子、とてもナイーブな子で…。とても心配だったんです」
「それで…その友達の家に行ったんですか?」
「はい。だから悪いとは思っていたんですけど、一志くんとの約束をすっぽかしてしまいました」
綾乃は軽く苦笑しながらそう言い、そして申し訳なさそうに顔を伏せてしまった。
「いやいや。しょうがなかったと思いますぞ、私は」
(裁判長…。美人に弱いなぁ…)
冷や汗を流しながら心の中で突っ込むと、次の質問に入った。
「あの夜、道場に行っていない。間違いありませんか?」
「はい。あの日以来、鍵も使っていません」
(鍵、だって…?)
「な、何々?どうしたの、なるほどくん」
成歩堂は何かを思い出したかのように急に黙り込んだ。
そんな成歩堂を不思議に思った真宵は、隣から声をかける。
「は、ははは…」
成歩堂は突然顔を上げ、手を顔に当てて薄笑いを始めた。
「なるほどくん!?どうしたの、急に!」
「バカのバカによるバカらしい笑い方ね。どうしたのかしら、成歩堂 龍一?」
冥や真宵の声は聞こえているのか否か、成歩堂はただ一言、呟いた。
「そういう事か…」
「え?」
真宵が疑問の声を出したが、成歩堂にはもはや聞こえていなかった。
そして全てを悟った成歩堂は、ばんと机を強く叩き、あの言葉を放った。
「異議あり!」
「何に異議があるんですか?弁護士さん」
いつもの優しさは微塵も出ておらず、綾乃はただ厳しい目で成歩堂を見つめていた。
「あなたの″道場へは行っていない″という発言について、ですよ」
「な、なんですって…!?」
思わず冥が驚き後ずさりをする。綾乃はただただ驚いていた。
「これを見てください」
そう言って成歩堂が取り出したのは、小さな金属の欠片だった。
「それがどうしたんですか?」
「これは道場の玄関先に落ちてました」
「ほぉ…玄関にですか」
「げ、玄関……!?まさか…」
何故か玄関という言葉に反応した綾乃は、汗を流し始めた。
「これは″鍵の先″なんですよ」
「鍵の先ですって?」
「一体それがどう繋がるというんですか?」
「…………」
疑問を成歩堂にぶつける冥と裁判長とは裏腹に、綾乃は何も言わずただ口を堅く閉じていた。
「これはあくまでぼくの予想ですが、おそらくこれは犯人が使用したんだと思います」
そこまで言うと、成歩堂は綾乃に向かって指を突きつけた。
「そう。八重沢 綾乃さんが使ったのですいってぇぇっ!!」
「何を言うの、成歩堂 龍一!」
最後まで言おうとした成歩堂だったが、冥のムチによってそれは阻まれてしまった。
「さ、最後まで聞いてくださいよ。……おそらく、犯人は慌てたのでしょうね」
「慌てた、ですって?」
「犯人は被害者に会うために先に道場に向かいました。まぁそこの近くには聡華さんがいましたが、
木の影に移動してたために犯人は気づかなかったのでしょう。
そして鍵を開けようとした瞬間、丁度聡華さんの親の車が来たらしいですよね?さっきの尋問で明らかになっています」
「も、もしかして……」
成歩堂がそこまで話すと、冥にもやっと理解できてきたのか、また汗を流し始める。
「そう。おそらく姿を見られないように胴着を着ていたのでしょうが、
流石にそこにいる姿を見られるのはまずい。そう思ったでしょう。
犯人はもちろん急いで中に入ろうと、鍵を慌てて開けようとします。しかし慌てすぎた。
鍵はまだ刺さりかけたまま、戸を開けようとした。そして、戸の間に鍵は挟まれ……」
「鍵の先が欠けて、鍵穴は壊れてしまうというわけね……」
「そう。それ以外に、鍵が欠けてしまう理由が無い!」
そこで成歩堂はまた机を叩くと、綾乃を睨みつけた。
「さぁ、綾乃さん。見せてください。おそらくその先は欠けているであろう、道場の鍵を!」
指を突きつけて、力強くそう叫んだ。
何秒か沈黙は続き、綾乃も汗を流し俯いていた。
が、
「異議あり!」
勇ましい検事側、冥の声がその沈黙を破った。
「確かに鍵は欠けているかもしれない。けど、事件の前に誤って壊してしまったのかもしれない!」
「異議あり!綾乃さんはぼくと話しているとき、確かに言いました。″私が見たときは、鍵は壊れていなかった″と!」
「異議あり!鍵を借りた生徒が壊したのかもしれないでしょう?それに、それは単なるあなた達の会話。
それは証言ではないわ。証拠にも何にもならない!」
「し、しかし…!」
「……検事側にも一理あります。弁護側の意義を却下します」
嫌な風向きになってきた言い合いに、ついに裁判長がそれを制した。
(くそっ……!)
「せっかくここまで追い詰めたのに…」
真宵が悔しさに思わず呟く。成歩堂も唇を噛み締めた。
そんな二人を見た冥は満足そうにため息をつくと、得意のポーズで問いかけてきた。
「それに動機がないわ。動機が」
「ど、動機だって…?」
「人間たるもの、大きな何かをするときは理由があるもの。」
「ふむぅ……。確か被害者は優秀な生徒だった、とか書いてありますが」
「そう。彼は優秀な生徒だった。殺害する理由が無いわ!」
(そ、そういえば動機が無い……!)
初めて気づいた新事実に焦った成歩堂は、乾きかけていた汗をまた流し始めた。
「それとも、あなたは答えられるのかしら?その動機とやらを!」
(考えろ!考えろ!!何故殺さなければならなかったんだ?何か不都合な事でも…?
どうすればいいんだ。ここまで来たっていうのに!)
焦りがピークまで来た成歩堂に、一つの言葉が思い出された。
『なるほどくん、考えを逆転させるの』
それは、成歩堂のかけがえの無い、師の言葉だった。
「逆転…」
「何?また何か的外れな予想でも思いついたのかしら?」
その言葉に答えず、成歩堂は目を瞑り考えを頭に巡らせていた。
やがて目を開けると、目の前を真っ直ぐ見て言った。
「動機なんて、ありません」
予想外のその言葉に、思わず法廷内は沈黙に包まれた。
「バ、バカはバカらしくバカげた事を言うようね…」
「狩魔検事。考えを逆転させるんだ」
「逆転ですって?」
「彼女が殺したかったんじゃない。彼女は殺さなければならなかったんだ!」
「!?」
その言葉を聞いた綾乃は、肩を大きく震わせた。
「なんですって…!?」
「これを見てください」
成歩堂はファイルからある新聞記事を取り出した。
「なるほどくん、それって昨日のあの記事じゃない!」
「まさか、とは思ってたけどね……」
「ど、どういう事ですかな。成歩堂くん」
話し合う真宵と成歩堂に裁判長が割り込んだ。
「これは昨日の新聞記事です。″天野組″というあの有名なヤクザの記事が載っていますね?」
「ああ、あの恐ろしい組ですね。それがどうかしましたかな?」
「ここに、天野組のボディーガードらしき人物を負傷させた、と書いてあります。
負傷させた場所は、二の腕です」
「それが今回の事件と何が関係しているというのかしら?」
「綾乃さん。昨日、ぼくが間違えてあなたが着替え中の部屋に入ってしまった事を覚えていますか?」
「え、えぇ……」
少し恥ずかしげに俯く綾乃を見て、裁判長は思わず叫んだ。
「なんと!成歩堂くん、覗きをしたのですか!」
「い、いいえ!間違って更衣室に入ってしまって…うぎゃあっ!!」
「下品で下劣で下衆ね、成歩堂 龍一」
「なるほどくん、サイテーだよ!」
「真宵ちゃんは理由知ってるだろ!」
「あ、そういえばそうだったね」
(やっぱりここはいじめられっこの席なのか…?)
以前御剣が呟いていた気がするな、と思いながら、ムチで叩かれた場所を擦った。
「と、とにかく!その時、あなたは二の腕に包帯を巻いていましたよね?」
「!!」
気づかれてしまった、とでも言いたそうな表情で綾乃が目を見開いた。
「もしかして、そのボディーガード……あなたなのでは?」
「異議あり!裁判長。弁護人は事件と関係無い質問で、証人を困惑させようとしているわ!」
「い、異議あり!だから最後まで話を聞いてください!
被害者は、聡華さんの話によるとお金持ちらしいです。何かしらのトラブルで狙われる可能性も十分あります。
となれば、綾乃さんの動機は″作らされてしまう″のです!」
「……弁護士さん」
突然、綾乃の凛とした声が成歩堂の勢いを抑えた。
「私を犯人だと思う理由も判りました。けど、これはただの切り傷です。
偶然、そのボディーガードさんの傷と似ている所に怪我してしまっただけだと思います」
初めての綾乃の反論に成歩堂は驚いた。
「……では、その傷口を見せてください」
「え?」
「この記事によると、警官が負傷させたと書いてあります。という事は、おそらく″銃″で怪我をさせたのでしょう。
銃で負傷させると、″弾痕″という特有の痕が残ります」
「だ、弾痕…!」
「あなたの傷口が弾痕でなければ、あなたの無罪は証明されますよ」
成歩堂は机を強く叩くと、叫んだ。
「さぁ、二の腕の傷を見せていただきましょうか!」
「…………っ……ああっ……!!」
成歩堂が迫ると、綾乃は崩れ落ちるようにそこに座り込んでしまった。
「……では、認めるわけですね?神楽 一志を殺害したことを」
「はい」
数分かの時間が流れたが、裁判長が問いかけると、綾乃は顔を伏せながらもはっきりとそう返事をした。
「バカなっ……!有り得ない、有り得ない!!この私が、またしても負けてしまうなんてっ…!」
冥は机を叩き悔しがっているが、成歩堂はそれに動じていなかった。
「彼の親はかなりの闇ルートを渡っていたので、裏での色々なやり取りが絶えなかったんです。
それであるトラブルが起きてしまい、ついには『溺愛している息子を殺してやる』という事になってしまいました。
偶然身近にいた私がその役目をする事になり、それでこういう事に……」
「ふむ…。そうだったのですか……」
全てが終わったかのように、法廷内はしんみりとした空気に包まれた。
と、そこで成歩堂がその空気を破った。
「八重沢 綾乃さん。この名は…………偽名ですね?」
「!?」
「ど、どういう事!?成歩堂 龍一!」
「真宵ちゃん、あれ貸して」
成歩堂は冥の言葉には答えず、真宵に話しかけた。
「これは道場の近くに落ちていました。あなたのものですね」
「あっ…!」
成歩堂が差し出したのは、あの赤い石だった。
その石を見た途端、綾乃は驚きの声をあげた。
「これは被害者の故郷にある、赤糸岩に傷をつけるための石らしいです。本人もそう言っていました」
「傷とはどういう事ですかな?」
「彼の故郷は『赤糸岩』というまじないの岩で有名です。恋人同士がその岩に×印の傷をつければ、
二人は赤い糸で結ばれ、離れ離れになっても必ず巡り会う、という内容です」
「それが一体何だと言うの!」
「いいですか、狩魔検事。ここから彼の故郷まで、一時間はかかります」
「そうらしいわね」
「じゃあ何故その石が道場の近くに落ちているのか?説明しましょう」
そう言った成歩堂は綾乃を少し見ると、また目の前を見据えた。
そしてファイルからある写真を取り出した。それは赤糸岩の写真だった。
「この写真を見てください。十寺さんは昔、ある人物とその岩に傷をつけています。七瀬 雅という人物です」
「七瀬 雅ですって?」
冥がそう言って考え込むと、成歩堂は真宵に持ってきてもらったあの資料を出して、言った。
「ある連続殺人事件の犯人です」
「な、なな、なんですとおおおぉぉぉっ!!」
思わず裁判長が叫ぶ。
「この警察の資料によりますと、七瀬 雅という人物は、連続殺人犯の罪で″死刑″になっています」
「し、死刑ですって……!」
「その前に、先ほどの話の続きをしましょう。昔、十寺さんと七瀬 雅は恋人同士でした。
二人は幼馴染で剣道仲間でもあり、よく二人で稽古をしていたそうです」
「……剣道、仲間……?」
冥は嫌な予感に冷や汗を流した。
「そしてこの傷をつけた翌日、彼女は場所も告げずに引っ越してしまった」
「ふむぅ……引越ししてしまうのが言い出せなかったのでしょうな」
「そして引っ越してきたその場所で数年後、彼女はある罪を問われます。連続殺人事件の犯人として。
ここの資料にもあるように、彼女は有罪になり、死刑になりました。
そして何故かこの情報は最大限に押さえ込まれました。彼女の故郷の住民も知らなかったほどに」
「それは一体どうしてなのですか?」
「これはあくまでぼくの予想ですが、彼女は捕まっていた時に誘われたのでしょう。天野組に」
「誘われた?……天野組に、ですって!?」
「彼女はおそらく無罪でした。それなのに死刑を宣告されて、本当に辛かったでしょう。
だが彼女は剣の腕は一流だった。その腕を買われたのでしょう」
成歩堂は綾乃を見ると、机を強く叩き、指を突きつけた。
「そしてあなたは……天野組を力を利用して、脱獄したのです!!」
「ち、違う!!私は七瀬 雅なんかじゃない!」
いつもは物静かな綾乃の必死な反論に、思わず成歩堂は驚いた。
だが真剣な顔になり、あの赤い石を強く机に叩きつけた。
(これだけはしたくなかった……)
成歩堂は石を置いたまま、裁判長にこう言った。
「裁判長。木槌を貸してください」
一瞬裁判長はぽかんとしていたが、すぐに我に返った。
「なっ、何を言うのですか!これは全てを制す、聖なる小槌…うわはははっ!!!」
急に冥が裁判長に向かってムチを打つと、そのムチを上手く使い、小槌を取った。
「か、狩魔検事!!あなたは新体操でもしてたんですか!」
半泣きになりながら裁判長は言ったが、冥はそれに答えずに小槌を成歩堂に投げた。
「これでいいのかしら、成歩堂 龍一?」
「か、狩魔検事が、心なしか良い人に思えてきたよ!」
「ぼくもだよ……」
成歩堂は心の中でお礼を言うと、小槌を構え、いつでも石が叩けるようにした。
まるで今から小槌で赤い石を割るかのように。
「な、何をするんですか!」
「綾乃さん。あなたが七瀬 雅じゃないというのなら、今からぼくがする事を黙って見ていてください」
「ど、どういう事ですか?」
「ぼくは今から、この石を割ります」
「!?」
その言葉に綾乃は酷く反応し、唇を震わせた。
「七瀬 雅にとってはおそらく大事な石でしょう。あの傷をつけた思い出の石ですから。
だけどあなたは七瀬 雅ではない。だったら……黙って見ていられますね?」
成歩堂は小槌を高く構えると、勢いよく赤い石に振り下ろした。
「や、やめてぇぇぇっ!!!」
その言葉に反応した成歩堂は、石を叩く直前にぴたっと小槌を止めた。
綾乃は自分の言葉に驚き、思わず口を押さえた。
「し、証人…。もしかしてあなたは…!」
「…………」
そのまま綾乃は黙り込むと、悲しそうに目を伏せた。
「やっと認めましたね。綾……、いえ、雅さん」
「……そうよ。私は、七瀬 雅」
「ほ、本当に雅なのかっ!?雅、雅!!」
突然声がしたかと思うと、被告席から十寺が雅に向かって叫んだ。
「久しぶりだね、康くん」
雅がそう言うと、十寺は目を潤ませ、今にも泣き出しそうになっていた。
死んだと思っていた恋人が生きていたのだから、当然の事だろう。
「弁護士さん。私が知っている事、全てを話します。聞いてくれますか?」
「もちろんです」
成歩堂は雅の言葉に頷くと、雅は全てを話し始めた。
「私は引っ越して数年経った時、ある事件に巻き込まれました。弁護士さんの言っていた、その連続殺人事件です。
亡くなった人は皆、刀の様な物で傷つけられて死亡していました。その時剣を扱えたのは私しかいませんでした。
私じゃなかったのですが、どうする事も出来ずに……事件の数年後、死刑を宣告されました」
綾乃はそこまで話すと、ため息を一つ漏らした。
だがすぐに顔を上げ、先ほどよりも真剣な顔つきになった。
「私はその時、絶望の淵に立たされていました。もうどうする事も出来ないと思っていました。
そんな時、牢屋の見張りらしい警官が私に話しかけてきました。おそらく、組のスパイか何かでしょう。
『俺達の組に協力すれば、ここから出してやる』と。」
(やっぱり、ぼくの思った通りか……)
「私はその時、迷わず出ようと決意しました。そして…… 私の顔そっくりに整形した組の人間を、死刑にさせました 」
雅がそう言った途端、法廷内が驚きと罵りで騒ぎ始めた。
「最低。自分の命が助かりたいために…他人を殺すなんて!」
「あんな風にはなりたくないな」
「人間じゃないよ、あいつ。いくらなんでも酷すぎる……」
「静粛に!静粛に!!」
「…………」
あまりの事に裁判長もぽかんとしていたが、すぐに木槌を叩く。
飛び交う罵倒を予想していたのか、雅はただ目を伏せるだけだった。
「そして私は脱獄し、道場の師範として、天野組のボディーガードとして、今まで生きてきました。
『八重沢 綾乃』という偽名を使って……」
「何故その連続殺人事件の情報が、ほとんど流されなかったの?」
「組の人に頼んで、最大限まで情報を押さえてもらいました。
ちなみに、康くんの足袋のこはぜを一志くんに握らせたのも、おそらく天野組の誰かです。私は聞かされてませんでした」
冥の疑問にも答えた後、雅はいったん置くと、十寺を真っ直ぐ見て言った。
「私は、そこまでしてでも生きたかった。誰かを殺しても、何を犠牲にしても………」
雅がそう言うと法廷内は重い静寂に包まれた。
「異議あり!!!」
ある男のその声が、その静寂を破った。
「と、十寺さん!?」
声を出したのが意外な人物だったので、思わず成歩堂はは驚きの声をあげた。
「君は……そんな事を言う奴じゃなかった…。そうだろ?」
十寺は悲しそうに笑ったが、すぐにその笑みも悲しみにかき消された。
「死ねばよかったとは言わないさ。だけど……そこまでして生きる理由は何だ!!」
悲痛なその叫び声に、法廷内はしんと静まり返った。
「康くん……忘れちゃった?」
雅の震えた声が、静かな法廷内に響き渡った。
「もう一度会おう、って…約束したじゃない」
「!」
その言葉に、十寺は反応した。
『いつか離れ離れになっても、またどこかで会おう』
『うん。約束だよ』
「私は……忘れた事はなかったよ?」
「オ、オレだって忘れた事なんてなかったさ!」
「私は、もう一度康くんに会いたかった。それが…………」
雅は涙を流しながら、言った。
「私の、たった一つの″生きたかった理由″」
雅がそう言って、力無く泣き崩れた。
成歩堂達は、悲しすぎる真実にただ顔を悲しく歪めるしかなかった。
「……深すぎる愛が生んだ悲劇、というわけですな。
それで、真犯人の雅さんは?」
「八重沢 綾乃、もとい七瀬 雅は緊急逮捕したわ。
…………こんなに後味の悪い裁判は、初めてよ」
冥のその言葉に、成歩堂は無言に同意をしていた。
十寺は証言台に立って判決を待っていたが、その表情は何とも言えなかった。
「では、十寺 康信に判決を下しましょう」
裁判長はそう言うと、十寺を真っ直ぐ見て判決を下した。
無罪
「今日はこれにて閉廷!」
そして木槌が力強く叩かれた。
- 同日 某時刻 地方裁判所 被告人第一控え室 -
「弁護を有難う御座いました。成歩堂さん」
「十寺さん。おめでとうございます……とは、言えないようですね」
成歩堂は祝いの言葉を言ったが、悲しそうに顔を伏せる十寺を見て訂正した。
「雅は、ただオレに会いたかっただけなんです。それなのに……雅は………」
「……こんな事をいうのも何ですが、彼女はこれまで組を守る為に何人もの人を殺害しています。
重い刑は避けられないでしょう」
「判っています。もう二度と、ガラスの向こうでしか会えないという事も……」
ガラスの向こう。留置所の面会室の事だろう。
もう雅は、そこから出てくる事はおそらく永遠に無い。
「でも平気です。たとえ会えなくても、もう二度と触れる事が出来なくても…」
十寺はそう言うと、成歩堂を真っ直ぐ見て、言った。
「オレと雅は、赤い糸で結ばれていると信じていますから」
そう言って、十寺は裁判所を後にした。
成歩堂達は何とも言えない嫌な後味を残しながら、そこに立ち尽くしていた。
「約束……か」
真宵の小さな呟きは、成歩堂の耳にこびり付いて離れなかった。
あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございます。微妙に詰め込んでてごめんなさい。
ついに綾乃の正体を書きました。けどバレバレでしたね。(^^;)
この話は悲しい話にしよう、と決めていました。
暗い気持ちになっていたらごめんなさい。でも私の狙い通りです♪(最低)
次はエピローグです。後味が悪くて嫌な人は読んだ方がよろしいかと。(笑)
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