ファイナルファンタジーシリーズ:FF物語(9)
〜決戦〜

 四人の前で、鈍い輝きを放つ黒水晶。時空を越える、扉の入り口。
 ここまでくると、いやが上にも緊張が高まる。
「でもさ〜…オレ、楽器なんて弾けないぜ?」
 その緊張を紛らわすため、ジタンは一人、おどけた調子で笑って言った。心の中では彼も不安で一杯なのだろうが、必死で表には出すまいとしている。
(…ったく、お前ってヤツは)
 そんなジタンに、強張った表情のバッツがふっと微笑む。いつだって、持ち前の明るさで周りを盛り上げてくれた少年が、今はとても頼もしく思えた。
(――仲間、か)
 吸い込まれそうな黒水晶の闇に目を落とし、ぼんやりと物思いに耽る。
 この地で出逢った新しい戦友の存在は、自分が考えている以上に大きくなってきていた。昨日の夜、クラウドがぽつりと洩らしたように。
 この先に進んでしまったら、もう引き返せないだろう。元の世界に戻るため、彼らは戦い続けてきた――けれど。
 今は、その瞬間を迎えるのが、少し…怖い。
「……ッツ?バッツ?!」
 顔を上げると、目の前にティナがいた。リュートを抱え、心配そうな視線を送っている。
「どうしたの?ぼーっとしちゃって」
「…ああ、悪い。何でもないさ」
 曖昧に誤魔化して、バッツは彼女の視線を避けるように黒水晶の前に立った。
「ティナ、リュートを」
 差し出された右手に、ティナは黙ってリュートを委ねた。バッツはそれを受け取ると、自分では弾かずに黒水晶の前に翳した。

 キィィィン…!

『?!』
 リュートはバッツの手を離れ、宙に浮いた。同時に黒水晶の表面に、グリーンの文字が浮かび上がる。 
 四人にはまったく読めないものだったが、それはおそらく古代ルフェイン文字の旋律。
 黒水晶から光が伸び、リュートを包み込む。
「――共鳴、している…」
 クラウドが乾いた声で呟いた時、リュートは静かなメロディーを奏で始めた。
 400年分の想いを解き放つかのごとく、穏やかに。
 忘却の彼方で眠る古代人に捧ぐ、悠久の鎮魂歌(レクイエム)を。

 黒水晶とリュートから溢れた白い光に、四人の姿は溶け込んで消えた。
 クリスタルに導かれ、四人は今、2000年の時を越える。
 『光の戦士』として、最後の使命を果たすべく…。

 ドガッ…!ザッパ〜ン!
『マダダ!オレサマハ マダ、シナナイ!』
 ドゴン!ザザーン…!
『フォフォフォ!カユイワ!ソレデモ ゼンリョクノコウゲキカ?!』
 もう何度、そんなやり取りを繰り返したことだろう。倒しても倒してもしぶとく起き上がってくるクラーケンを前に、グゥエインは限界を感じていた。
 無残にも剥がれ落ちた蒼い鱗と、真新しい無数の傷が戦いの壮絶さを物語る。
『はぁ、はぁ、はぁ……ッ?!』
 びゅん!
 触手の乱舞は、束の間の休息も与えずグゥエインに襲い掛かった。
「グゥエイン!」
 彼の羽ばたきが弱くなってゆく様子は、船上のビッケにもよく見える。
「くそっ…!すまねぇ!弾さえ切れなきゃ…」
 甲板から身を乗り出し、悔しげに呻くビッケ。用意した魔法弾のストックはすでに底を突いており、彼にはグゥエインをサポートする術がなかった。人魚たちの魔力も切れ、今や海ではグゥエインとクラーケンの一騎打ちが繰り広げられているのだが…。
 相手は水のカオス。戦闘フィールドが海である以上、グゥエインは圧倒的に不利だった。
 体当たりするたびに飛沫を上げる海水は容赦なく彼の体力を奪い、クラーケンに活力を与える。グゥエインはもはや、海面すれすれを飛ぶことさえしんどくなっているようだ。
 そしてそれこそが、海の悪魔・クラーケンの狙い。
 ザザアッ!
 海が割れた。何十度目か知らないが、倒したクラーケンがなかなか姿を見せないことでグゥエインの気持ちに隙が生じ、判断が遅れる。
 沸き起こった十本の水柱は、彼の孤独な戦いを見守っていたビッケたちの視界も奪った。
 かつてない緊張が走り、短いようで永遠にも思える時間の果てに水飛沫の幕が解けた時、彼らはもっとも恐れていた光景を目の当たりにした。
『グゥエイーーーーーーンっ!』
 ビッケとサラの絶叫が重なる。
『ぐ…はぁ…っ!』
 絡み付いた触手の下、グゥエインは己の骨が軋む嫌な音を聞いていた。
 クラーケンの触手は翼や胴体にがっちりと食い込み、蜘蛛の巣に掛かった蝶のように、もがけばもがくほど抜け出せなくなる。
 みしみしみし…ぎしぎしぎし…。
 触手に力が加わるごと、グゥエインの骨が悲鳴を上げた。一気に絞め上げないところを見ると、クラーケンは捕らえた獲物をじわじわとなぶり殺すのがシュミらしい。
 グゥエインはすでに戦意を喪失し、ぐったりとうなだれていた。
「ちっくしょう!あのイカヤロー!こうなりゃ、特攻仕掛けてでも一矢報いてやらなきゃ、気がすまねぇや!」
 いても経ってもいられなくなってビッケは身を翻すと、自ら舵を取りに行く。
 例え短い間でも、クラーケンを相手に、共に戦ったグゥエインは“戦友”だ。見捨てる訳にはいかなかった。
(俺も海で生きる男の端くれ!体張らなくてどうするよ?えぇ?!海賊ビッケよぉ!)
 震える足に活を入れ、目一杯舵を切る。船首の先には、クラーケン。
「野郎共!覚悟は出来ているんだろうなっ?!」
 一瞬、間があり。
「お、おお〜っ!」
「海の男の意地、見せてやろうぜっ!」
 などと、半ばやけくそ気味の喚声が上がった。
(へへっ…!ありがとよ、テメーら)
 ビッケはずずっと鼻をすすり、舵に手を掛ける。キッと正面を睨み据え、叫んだ。
 その顔はもう、荒くれ海賊たちを率いる、誇り高き船長ビッケのものだった。
「目標!前方、水のカオス・クラーケン!いっけぇ〜っ!」

 ザザーッ!

 幸いなことに、風向きは追い風。限界まで広げた帆に目一杯風を受け、ビッケの船は全速力で奔り出した。
 クラーケンはビッケの存在など全く眼中にないようで、グゥエインをなぶり殺すことに集中するあまり、無防備な背中を晒している。
 このチャンスを逃す手はない。旨くいけばグゥエインを放すかもしれないが、この船も無事では済まないだろう。それも覚悟の上である。
 人魚たちはおろおろと船の行く末を見守るしかなかったのだが…。
「サラ!あれ…」
 いち早くその存在に気付いた人魚のエリアが天を指差し、叫ぶ。彼女の声に、他の人魚たちも一斉に天を仰いだ瞬間、彼女たちはすっぽりと黒い影に覆われた。
 しかしそれは一瞬のこと。頭上を過ぎ去って行った影の行く先を目で追う人魚たち。
 そこには、さっきまで彼女たちが固唾を呑んで見守っていた者たちがいた。すなわち、クラーケンに特攻を掛けるビッケの船が。
 巨大な影は、真っ直ぐクラーケンに突っ込んでいく。
「ななな、なんでいっ?!敵かっ?!」
 目の前に立ち塞がった第三の巨影に、ビッケは思わず舵を切り、船を止めた。
 敵わない相手と分かっていても、腰の曲刀を引き抜いて、応戦の態勢を取る。
『人間よ、そう簡単に命を捨てるべきではない』
 警戒心丸出しの彼に、返ってきたのは優しい響きを含んだ声だった。
『だが…弟を救ってくれた礼は十分にさせてもらうぞ!』
「ああっ…?!」
 呆気に取られるビッケの前で、シルバードラゴンはその優美な巨体を翻し、クラーケンの背中に飛び降りた。
『ウッ…?!ナ、ナニモノ…!』
 背中を伝わる鈍い衝撃に、クラーケンはようやく新たな敵の存在を知る。背後を取られ、危険を感じたのか、反射的に身をよじった瞬間、グゥエインを捕らえた触手の力が抜けた。
 シルバードラゴンにとっては狙い通りの行動。彼は振り向いたクラーケンの顔面に炎のブレスをお見舞いすると素早く飛び立ち、触手地獄に囚われていたグゥエインの身柄を掠め取った。
『グォォッ…!シ、シマッタ!』
 纏わり付く炎を拭いながら、驚愕の叫びを上げるクラーケン。視界の端には陸地に向かって飛び去るシルバードラゴンの姿がある。
『オノレ!アノ ドラゴンハ…?』
 時間にすればものの一分も経たないうちに、突如現れたシルバードラゴンは鮮やかなグゥエイン救出劇をやってのけた。
 クラーケンやビッケたちが呆然と立ち尽くす中、助けられたグゥエインだけはシルバードラゴンの正体に気付いていた。
『大丈夫か、グゥエイン』
 力強い羽ばたきと身体を支える温かい皮膚の感触。そして、誰よりも優しい声。
 朦朧とした意識を奮い立たせ、首をもたげる。大きく見開いた瞳に飛び込んできたシルバーは、グゥエインが最も安心できる色だった。
『――アディリス…兄さん…』
『よく頑張ったな、グゥエイン』
 アディリスは彼を安全な平地に降ろすと、再び中に舞い上がる。
 眼下の海に憎むべき敵の姿を捉え、彼は怒鳴った。
『水のカオス・クラーケンよ!おれの可愛い弟をいたぶってくれた恨み、百倍返しでは利かんぞ!我が力、とくと思い知るがいい!』

「へへぇ〜!あれがグゥエインの兄貴だったとはねぇ…」
 火花を散らし始めたアディリスとクラーケンから距離を置きつつ、嘆息するビッケ。
 一度は覚悟を決めていただけに、何となく気の抜けた感じもしたがこの際、彼に任せるしかないだろう。下手に出て行っても足手まといになるだけだ。
 しかし、依然として見守ることしかできないビッケのもどかしさは募る。
「畜生!なんてちっぽけなんだよぉ、あっしら人間の力は!」
 思い余って舵を叩き付けた時だった。
「お〜い!ビッケ君!」
 声のした方に目をやると、陸地から手招きをしている人影がある。舵を切り近付く。それは、自分もよく知る人物だった。
「…あ!ウネ先生ですかい?!」
「ビッケ君!今のうちに半島を迂回して西側の海岸に回りたまえ!」
 身振り手振りを交えつつ、ウネは甲板から身を乗り出しているビッケを急かす。
「向こう側ではドワーフたちがたくさんの物資を用意して待っている!もちろん大砲の弾もある!ニトロの火薬を量産して造った強力なヤツだ。威力は保障するッ!」
「……お、おおっ!そりゃあありがてぇっ!」
 ウネの意図を察し、ビッケはにやりと笑みを浮かべた。

 ポーションから溢れ出る光の粒子が、傷付いた身体を癒してゆく。
『――ありがと…ドーガ』
 目の前でポーションを翳す親友に、グゥエインは弱々しい声で礼を述べた。
「な〜にを水臭い。あなたらしくもないですね」
 人間の傷なら数個で治せるはずのポーションも、対象がグゥエインの巨体では焼け石に水。それでもドーガはポーションのオーブを片っ端から割っていった。
「痛むかい?」
 ドーガの問い掛けに、グゥエインは微かな笑みを零す。
『ううん…今はとても嬉しい気持ちでいっぱいなんだ。だってね、兄さんがボクのこと、ほめてくれたんだよ』
 彼はゆっくりと頭を起こし、クラーケンと激突する兄の雄姿を見つめた。
 彼らはほぼ互角の死闘を演じている。しかし、炎と毒霧ブレスを自在に操るアディリスに、さすがのクラーケンも動きが鈍ってきた。
『兄さんはやっぱりすごいよ…。ボクなんか、足元にも及ばないや』
 グゥエインの声に、力がこもる。瞬きもせず、彼は兄の戦いに魅入っていた。
 傷を負ったことも恐怖を感じたことも忘れ、絶対の信頼を込めた眼差しを、たった一人の兄に送る。
(…まったく、羨ましいよ。こんなにも素直に兄貴を応援出来るお前が。オレも初めっからそんな風に出来れば良かったんだけどな)
 ポーションを使い切ったドーガはグゥエインを残し、その場からそっと離れた。

(――兄弟、か)
 そして、ビッケと別れたウネもまた、皆と離れた場所で一人感慨に耽っていた。が、ふと感じた人の気配に眉を寄せる。条件反射…なのかもしれない。
「よっ♪兄さん」
 ドーガはいつもと変わらず軽い調子でウネの顔を覗き込む。
「相変わらず難しい顔してるなぁ。そういうトコ、昔のまんま…」
「……ドーガ」
 とめどなく投げかけられる皮肉を遮り、ウネはボソッと弟の名を呼んだ。
「へぇ…!」ドーガは明らかに意外そうな顔を向ける。
 ちゃんと名前を呼ばれたのは何年ぶりだろう、と思いながら次の言葉を待った。
「――礼を…言いそびれてた」
 短い間の後、ウネはついに覚悟を決め、口を開いた。
「ルフェイン語解読の手伝いと…それに、さっき。……ありがとな」
「雪――…」
 ドーガはしばらく黙っていたが、やがて掌を空に向け、悪戯っぽく口の端を歪める。
「降るかもな」
「…バーカ」
 呆れ返った呟きだったが、ウネもまた、笑っていた。
 何年かぶりに、弟の前で。昔の素直な微笑みを。

 その頃――カオスの神殿より一番離れた森側では、リッチ&マリリスの執拗な攻撃がコーネリア・エルフ連合軍を苦しめていた。
 カオス四人衆の中では下のランクに位置する二体でも、その桁外れな大きさとパワーは小さな人間やエルフにとってみればそれだけで脅威だった。
 彼らの大きさと唯一張り合えるのは巨人の峠より馳せ参じた巨人族のテュールだけ。しかし彼もまた生身の肉体を持つ生命体であり、痛覚の無いリッチ相手では分が悪かった。
 力任せに組み伏せれば横からマリリスが突っ込んでくるので、決定的なダメージは与えられない。しかも、グゥエインの協力を望めなくなった分、コーネリア兵やエルフたちではマリリスを足止めすることも適わなかった。
 リッチとマリリスにもそれはよく分かっている。だから彼らはテュールの体力を消耗を狙い、しつこく食い下がってくるのだった。
 そんな最悪の状況下で、セーラは傷付いた者を木の陰に連れて行き、白魔法で癒しながら励まし続けていた。ドワーフたちの援助で物資不足の危機は免れたが、攻めの決定打が無い以上、泥沼の攻防は終わらない。
 ふと北の空を見やれば、バハムートを始めとするドラゴンたち&ルフェイン人がティアマットと激突しており、東の海岸ではクラーケンVSアディリス+ビッケ海賊団の戦いが更にヒートアップしているようだ。グゥエインは動ける状態になく、いずれにしても皆、こちらまで手を回す余裕はなさそうである。
(ダメダメっ!ドラゴンさんたちに頼っちゃ…!)
 セーラは頭を振り、心に生じた甘えを捨てた。残り少ない魔力で、回復に専念する。
「セーラ王女…すみません。我々の力が至らないばっかりに…」
「セーラ様…。私のことは構わず、他の者を助けてやって下さい」
「セーラ王女……」
 傷を負った兵士たちは一途にセーラを信じ、無理に笑顔を作って見せた。
「大丈夫…大丈夫だから、気をしっかり持って!」
 彼らのそんな表情を見ると、セーラの胸は締め付けられた。彼らにも家族や恋人がいる。だから、ここで死なせるわけにはいかない。
(――そうよ…あたしは王女!コーネリアの王女なんだから!)
 最後の手当てを終え、錫杖を手に立ち上がる。その途端、魔力と精神力の大量消費で足元がふらつき、よろけた。
(倒れる…っ!)と、思った時。
「おっと!」
 大きく傾いた身体は、地に付く前にしっかりと受け止められていた。
「……ア、アレックスさん!」 
 慌てて顔を上げたセーラの前に、エルフ族アレックスの心配そうな表情がある。
「まったく…貴女こそ無茶しすぎですよ、王女」
 アレックスは彼女の肩を優しく押し戻しながら、少し掠れた声で言った。
「だって、あたしっ…!」
 セーラは悲痛な眼差しを彼に向ける。自分の力ではどうしようも出来ないもどかしさ。圧倒的な力の差…それらが圧し掛かって、彼女の心は大きく軋む。
 誰でもいい、聞いて欲しい。全ての想いをぶちまけられたらどんなにか楽だろう?
 それでも、彼女の想いは言葉にならないまま、消えた。
 何故なら、視界を埋めたアレックスの姿もまた、傷や火傷で目も当てられない状態だったから…。そういえば彼は、エルフの弓兵の最前線に立って、マリリスのファイヤーボールから彼らを護っていた。そのための傷や火傷だろう。
「ア、アレックス…さん…」
「…っ!」
 硬直しているセーラを放し、アレックスはがっくりと膝を折った。
「アレックスさん!」弾かれたように駆け寄るセーラ。
「フ、フ…ちょっと無謀な賭けでした…」
 刃こぼれの激しい長剣を杖代わりにして身体を支え、アレックスは苦笑する。
「やはり、カオス二体を相手では甘くなかったですね…。エルフの弓兵も歯が立たず…全員退却…させました。王子はドワーフ族の船にかくまってもらっています。
 私も…無念ですが…これ以上は力になれそうもありません…っ…!」
「しっかり!アレックスさん!今、ケアルガで…」
 苦悶の表情を浮かべるアレックスに向け、セーラは両手を翳す。おそらくこれが、最後の回復になるだろう。けれど、このまま彼をほっとくわけにはいかなかった。
 掌に精神を集中して…と、その手が突然強い力で引かれ、魔法は途切れた。
「駄目です、王女!最後の魔力、ここで使うべきではない!」
 セーラははっと息を呑み、首を振る。
「そんな…だって、あなたの傷――」
「元より覚悟の上です!エルフの王家に仕えていれば、いつかはこんな日が来る…と。それでも、私は、後悔していないっ…!」
 彼女の手首をつかむ手に力を込め、アレックスは必死の形相で訴えた。二人の睨み合いはしばらく続き、
「――それに…」やがてアレックスは、ふっと表情を和らげる。
「貴女には…光の戦士との約束があるでしょう?」
「アレックスさん…」
「アルス王子を…頼みます」
「――っ…!」
 言葉が喉につっかえて、セーラは返事を出来ずにいた。けれど…せめて。
 彼女はアレックスの手を取り、固く強く握り締めた。

 ざしゅざしゅざしゅっ!

 風を斬る音と共に、セーラの頭上で枝葉が舞った。
『ほほほ!こんなところにエルフの残党がいたよ!』
 耳をつんざく甲高い哂い。ボリュームに富んだ金髪を振り乱し、艶めかしい肢体をくねらせながら、彼女は最悪のタイミングで現れる。
 出来れば…いや、今は絶対にお目にかかりたくなかったその姿。
 執念の蛇女、火のカオス・マリリス。
『ふふ〜ん、コーネリアの王女もいるようだねぇ?これは願ってもない獲物じゃ。若い娘の生き血は肌に好いというからねぇ…。さ〜て、どう料理してやろうかえ?』
 がちゃがちゃと鳴る六振りの剣。そこから垣間見えるマリリスの美貌は、ゾッとするほど醜く歪んでいる。
 気を失ったアレックスをかばい、セーラはキッと彼女を見据えた。
 一対一でカオスと対峙するのはもちろん、初めて。しかもここまで近いと改めてその脅威を思い知らされた。逃げ出したい気持ちをぐっと堪え、錫杖を振り翳す。
 はっきり言って、万に一つの勝ち目も無い。そんなことは一番よく分かっていた。
「たああっ!」
 分かっていた…けれど。気合い一閃、地を蹴って走る。
 カッシィィィン…ッ!
 鉄の擦れ合う鋭い響きが辺りに木霊し、セーラの錫杖はマリリスの剣の一振りで、あっさりと弾き返される。
「――ううっ…!」
 当然の、結果。けれど、セーラのショックは大きかった。残された選択は、鈍く痺れの残る腕をさすりつつ、じりじりと後退するだけ。“無力”という言葉が、脳裏を掠める。
『ほほほ…!いいねぇ、絶望に打ちひしがれたその表情。料理には極上のスパイスじゃ!』
 マリリスが放つ粘っこい視線と言葉は、セーラをじわじわ追い詰めてゆき…遂に。
 どっ…!
「!」
 背中一杯に伝わる硬い幹の感触が、最後の逃げ道を閉ざした――その、刹那。
 マリリスの口が耳まで裂けて、振り翳した六つの刃は冷たい氷のブルーに染まった。

 ズザシュッ!

『ぎぃやあぁぁぁあぁっ!!!!』
「……え?」セーラは一瞬、我が目を疑った。
 マリリスの絶叫が脳を揺さぶり、ようやく自分が無事だったことに気付く。
「う…で…?」
 足元にごろんと転がったものを見て。ぎくりとする。
 紛れもなく、それは肩から切り落とされたマリリスの腕。どす黒い血がだくだく溢れる断面は、“切り離した”というより“引きちぎった”のに近い状態だった。
 ゆっくりと顔を上げた先の地面に、視界一杯を埋め尽くすほどの馬鹿でかい逆三角形が突き刺さっていた。それは、冷酷なまでに美しい碧の、巨大な――氷柱(つらら)。
 マリリスの腕をもぎ取っていったのは、はるか上空より飛来したこの氷柱らしい。
「どうだい?マトーヤ様特製、最大級ブリザガのお味は」
 頭上から響く声。目をやると、愛用のホーキにまたがり悠々と宙を舞う、魔女マトーヤの艶姿があった。彼女はもんどりうって苦悶するマリリスに冷ややかな一瞥をくれ、セーラの側にふわり降り立つ。
「マトーヤさん!」
 間一髪のところで危機を逃れたセーラは、頼もしい助っ人に声を弾ませ駆け寄っていく。
「礼は後だよ!まだ終わったわけじゃない!」
 そこに、マトーヤの鋭い叱咤が飛んだ。彼女の眼は油断なくマリリスに注がれている。
 腕を一本もがれて、マリリスは地面に這いつくばったまま、すぐに攻撃を仕掛けてくる様子はない。それを確認すると、マトーヤはやや厳しい面持ちでセーラに向き直った。
「こいつのことはあたしに任せな」
「あの、でも…」セーラの顔が、さっと曇る。
 予想通りのお人よしな反応に、マトーヤは「はんっ!」と鼻で笑ってみせ、
「お前さんに心配されるほど、あたしゃ落ちぶれちゃいないつもりだがね。何年“魔女”やってると思ってるんだい?」
「……」
返す言葉もなく、黙ってうなだれるセーラ。蘇る、あの想い。
(やっぱりあたしじゃダメだった…。無力ね…あたし)
「シケたツラするんじゃないよ」
 だが、打ちひしがれている暇はなかった。顔を起こすと、すぐ鼻先にある人差し指。
「あんたには、やってもらうことがあるんだからさ」
「え…?」
 セーラが何か問う前に、突きつけられた人差し指が宙でくるりと円をなぞる。
 それはある種のおまじないに似た仕草だったが、次の瞬間、そこから生まれた眩い光がセーラの視界を白く染めた。
「両手を出しな」
 誘われるまま掌を上に向けると、そこへ光の玉が降りてくる。
「『ホーリー』のオーブだよ。最高位の白魔法さ」
 真っ白な光の向こうで、水晶の瞳が煌めいた。
「生命エネルギーを聖なる波動に変換して相手にぶつける、白魔法では唯一の攻撃術だ。
 不死体のリッチならばひとたまりもないだろうさ。王女、あんたにこれが使えるかい?」
 “尋ね”ているのではなく、“試し”ている、そんな口調だった。
 セーラの喉が、こくっと鳴る。
「――あたしにはこれを使いこなせるだけの魔力が…ないわ」
 ホーリーを手にしながらも、彼女は言い澱んだ。
「ふっ…」笑う、マトーヤ。
 嘲りの笑みではなく、幼い子どもを優しく諭すような柔らかい微笑を浮かべて。
「いいかい?よくお聞き。白魔法を生み出す力の源は、魔力だけじゃない。
 大切なのは“精神力”――心の強さだ。愛するものを護りたいって言う“想い”の力なんだよ。『魔法を受け入れ、魔法とひとつになる』のさ、セーラ。
 こいつを受け入れる覚悟があるのなら、あたしはあんたに賭けてやる…!」
 光の中の沈黙。そして、セーラは。迷いなき瞳でマトーヤを見つめる。
「やってみる……いいえ。やるわ!」
「よし!いい度胸だ」
 マトーヤの笑みが視界を掠めた瞬間、どんっ…!と強い衝撃が走り、身体が傾いた。
 突き飛ばされたと知ったのは、数枚の葉っぱに混じって自分の青い前髪がはらはらと風に舞った時だ。
 しゃらん、しゃらん…!
『――赦さぬ…赦さぬ…ゆ・る・さ・ぬ…ッ!』
 鉄の擦れ合う音と呪詛のような低い呟きが、不気味なハーモニーとなってセーラに迫る。
「何をぐずぐずしてんだい!行きな!」マトーヤが、宙から怒鳴った。
「はいっ!」
 小気味良い返事をし、セーラはすぐさま走り出す。受け取ったばかりのホーリーを、しっかりと胸に抱いて。
(信じてるよ、王女…!)
 その後姿に一瞬だけ穏やかな眼差しを送り、
「――さて、と」
 再びマリリスを見据えたマトーヤの瞳には、強い意志が宿っていた。
「一対一の女の闘い、思う存分やろうじゃないか!」
 挑発的な啖呵がマリリスの闘争心を必要以上に掻き立てたらしい。
 彼女はマトーヤを“敵”と見定め、五本の剣で隙のない構えを作る。唇からちろちろ覗く蛇の舌が、艶かしくも毒々しい紅に濡れていた。
(フン…!相手にとって不足は無いやね)
 マトーヤはふっと息を吐き、今まで肩に当てていた右手を外す。その途端、ざっくり斬られた刀傷から滝のような鮮血が溢れた。
先ほどセーラを逃がした時、不覚にも負ったものだ。治癒を掛け続けていたのだが、思ったより深手だったらしく、傷口はまだ塞がっていない。
 しかし彼女は痛みなど感じぬ風で、不敵な哂いを浮かべている。
(――いいさ。あの子の分までやってやる!)
 頭上で掲げた両手に、ゆらりと冷気が渦巻いた。

 胸に抱いたホーリーのオーブが揺らめいている。
 それは、今の自分の気持ちをそのまま反映したかのような、不安定な揺らめきだった。
(心の強さ…思いの力――!)息を切らし、奔るセーラ。
 マトーヤが告げた言葉を、頭の中で何度も何度も反芻してみる。それでも、不安は消えてくれないけれど…。――けれど。
 ふと脳裏を過ぎる、シッポの少年。彼は笑ってこう言った。
『あんたにしか出来ないことがある』と。 
(そうよ、これはあたしにしか出来ないことだもの!)
 ざざっ…!
 茂みを飛び出したところで、リッチに組み伏せられたテュールと鉢合わせる。
「土のカオス・リッチ!」
 セーラは叫んだ。全ての想いを、真っ直ぐぶつけて。
「おまえをっ…、成敗いたします!」
 リッチは勝利を確信していた。彼の持つ死神の大鎌は、忌々しい巨人の首を掻っ切る寸前で、この期に及んで敗北する要因など一つも無い。
『――ば、馬鹿な』
 にもかかわらず、その声に反応してしまったのは、“恐怖”を覚えたからだろう。
『それは…』
 彼が最も忌み嫌う、生命の波動。
『そ・の・魔・法・は…ッ…!!!』
 少女の胸に輝く光を目にした瞬間、彼は狂気に囚われた。訳の分からぬ奇声を上げ、狂おしく大鎌を振り回し、セーラ目掛けて突進する。
 セーラは哀れみすら含んだ眼差しで彼を迎え撃った。
 不思議と心は穏やかで…。
「ホーリー」
 彼女の口が聖なる言霊を紡いだ時――閃光(ひかり)が、弾けた。

 薄闇の回廊が何処までも続いていた。
 朽ちた柱も崩れた壁も、折れた柱もここには無い。ただ、現実から切り離された時間のみが、無限の広がりをみせていた。
 ともすれば、今ここに佇む自分の姿さえも虚ろってしまう中で、時折襲い掛かってくるモンスターの刺激は、何にも増して有り難かった。
 異形の魔物に太刀を浴びせた時、手を伝わる感触だけが己の存在を確かなものにしてくれる。だが、時の悪夢に終わりはなく、おぼろげな“不安”はやがて耐え難い“恐怖”となって、四人の精神を蝕むだろう。
 そう――『混沌』の名を持つ者がここに居る限り。

 時の迷宮で進むべき道を見失いそうになりながらも、四人はようやく最深部の広間まで辿り着く。
 永遠の闇が渦巻く場所――そこに、“彼”は居た。
 玉座に鎮座し、静かに2000年の時を超えた野望に酔い痴れる男が。
 “彼”はゆらりと立ち上がり、2000年の時の向こうからやって来た四人の戦士を悠然と出迎えた。
「久しぶりだな、光の戦士諸君」
 鋼の鎧が擦れ合う音も、
 重々しい足音も、
 禍々しい空気も、
 そして、くぐもったその声も。
 遠い時間の向こうに置いてきた記憶であるはず…。
「私を、覚えているか?」
 ここで目にすべきものではないはず…。
「そうだ、私は――」
 ここで聞くべき名前ではないはず。
「ガーランド」

「今から2000年後の未来で、私はお前たちに殺された」
 呆然と立ち尽くす四人に、ガーランドは最後の真実を語り始めた。
「だが、私は絶命する前に黒水晶を使い、過去へ飛んだ。
 ふふふ…。諸君が驚くのも無理はない。しかし、私は何もかも知っていたのだよ。
 2000年後のあの日、あの時――カオスの神殿でお前たちと戦うこと…そして、私が敗北(まけ)ることも。何故なら、私が『カオス』だからだ。
 私は『カオス』として『未来の自分』にこう囁く。『永遠の命が欲しくないか?』と」
「――そうだったのか…」
 長い長い沈黙の後、バッツは深い溜息を吐いた。
 彼ら四人は自らの手で、時の引き金を引いたのだ。ガーランドを倒し、誘拐されたセーラ王女を助け、カオスの神殿から立ち去った瞬間かが、全ての始まりだった。
 一度動き出した歯車は、止まることなく回り続ける。
「時は巡っている…」
 ガーランドは語る。詩人が唄を口ずさむように。
「私はここで諸君を倒し、その後でまた四体のカオスを未来へと送る。
 2000年の時を懸け、私は着々と世界を滅ぼすのだ。そして、2000年後の未来。カオスの神殿には、セーラに届かぬ想いを寄せるガーランドが居ることだろう。
 私はそこで新たな肉体を得るため、彼に取り付く。
 あの日、私に囁いた『カオス』のように――『永遠の命が欲しくないか?』」
「もうやめて!」ティナが悲痛な叫びを上げた。
「そんなことをして何になるの?!」
「くくく…」
 兜の舌から薄い嗤いが洩れる。
「限りある時間の中でしか生きられぬお前たちには解るまい」
 彼女の反応を愉しみながら、ガーランドは再び口を開いた。
「2000年の時の向こうで『ガーランド』は倒されるが、私はここへ戻ってくる。そして、『カオス』となるのだ。ぐるぐるぐるぐる…歴史は同じ道を辿り、繰り返す。
 『カオス』から『カーランド』、『カーランド』から『カオス』へと、輪廻転生する魂。2000年という時の鎖の中で無限に循環する生命――私は『永遠』を手に入れた!」
「ふざけるな!」
 闇の中で、赤い輝きが閃いた。
「そんな永遠なんてくそっくらえだ!人はな、限りある命を持っているから一生懸命生きられるんだよ!テメーの言ってることは、ただの幻想だっ!」
「…ふん。同感だな。それにキサマが誰だろうと関係ない。俺たちは『カオス』を倒すためにここへ来た」
 倒すべき相手が話す衝撃の真実よりも、怒りの感情が先に立つ男たちがいる。
 ジタンは隣の男がぼそっと呟いた一言に、驚きを隠せなかった。
「初めて意見が合ったな、クラウド」
「……」
 眼はガーランドを見据えたまま口の端を吊り上げるジタンは、少し弾んだ声になっていた。隣の男――クラウドはやっぱり無表情であるが、ちょっとだけ赤く染まっている頬は闇に溶け込んで誰にも見えなかった。
「幻想…か。確かにそうかもしれん。――だが『究極の幻想』だ!」
 そんな二人のやり取りをガーランドは一笑の下に伏す。
「貴様らは“歴史”という名の歯車に組み込まれた車輪の一つに過ぎん!上であがいている連中もだ!もはや誰にも、この閉じた鎖は解けぬ!
 貴様らを殺した後、私は永遠に生き続ける!これは、絶対不変の運命なのだッ!!!」

 グォン…!

 彼の身体が何倍にも膨れ上がったのは、その直後だった。
 鋼の鎧は弾け飛び、中から異形の魔物が姿を現す。
『フハハハ!これこそが“カオス”!永遠の姿だ!!!』
「…今まではそうだったかもしれないけどな。何事にも“例外”ってのはあるんだぜ?」
 マサムネを抜き放ち、バッツは仲間たちの隣に立った。
「わたしたちは敗けない…。敗けるわけにはいかないの!」
 ティナの手で、サンブレードが魔力を帯びて赤く輝く。
『愚か者め!』カオスが咆えた。
 彼のとって目の前の若者たちは排除すべき存在。それ以上でもそれ以下でもない。
 丸太のような太い腕で、力任せに地面を殴る。放射状の亀裂は見る間に広がり、四人の足元まで伸びた。加えて、瓦礫の洗礼が彼らを襲う。
 ティナのプロテアがそれを弾き、四人はそれぞれの間合いを測りつつ四方に散った。
 四人に前後左右を固められ、それでもカオスは悠然と構えている。
(一斉に仕掛けるぞ!)
 仁王立ちになったカオスの背後から、バッツは左右のクラウドとジタンに視線を送る。
 ティナは少し離れたところで魔力を高めていた。
 仕掛けてくる様子はないものの、カオスの構えに隙はなく、じりじりと時間だけが過ぎてゆく。
(けっ!スカした顔しやがって…!)
 その余裕がジタンの感情を逆撫でしたらしい。サスケの刀を腰だめに、一撃必殺の刺突を仕掛けた。
「ジタン!」いち早く気付いたバッツが叫ぶ。
「あの、馬鹿!」
 一瞬送れてクラウドが――しかし、バラバラのタイミング。
『ふはははは!』
 ブウン…!
(――なっ?!)
 低く、空気が震えた。正気に返ったジタンの足が止まる。
 カオスの右手で、闇の剣が更に膨張していた。
 バッツとクラウドからは死角になって見えないようだ。
 ここまで来たらと勢いをつけ、大きく剣を振りかぶる二人。
「お、おいっ!止ま…!」
 遅かった。カオスの懐を捉える寸前、二人の身体は空高く舞う。その直後、ドサリと鈍い音が二つ、重なった。
 落下した彼らの周りの床がドス赤く染まってゆくのを視界の端に捉えながら、ジタンはカオスを睨み付ける。
「くそっ…!」
 勢いを失った突き攻撃は意味を成さない。ジタンは構えを変えてカオスを斬りに掛か…れなかった。目の前一杯が、鮮やかな緋色で染め上げられる。
 熱さは後からやってきた。身体中の水分を一瞬で抜かれたような、鈍い痺れと共に。
 一瞬の出来事。カオスはその場から動くことなく、三人の男を戦闘不能にしていた。
『さて、次はお前だ。小娘』
 カッ、カッ、カッ…!
 勝利を確信したのだろう。カオスは一人残されたティナに向かい、ゆっくりと近付いてくる。床を踏む足音が、やけに耳障りだ。
 カオスが歩けば、ティナは退がる。しばらく、無言の追いかけっこが続いた。
 しかし、際限ある空間は無情にも彼女の逃げ道を閉ざす。背中に伝わる壁の感触が、更なる緊張を誘った。
 欲望に染まった嗤いを浮かべ、カオスは剣を振り上げる。
 ぎらついた眼がティナの姿を捉え、紅く光った。
「サンガー!」
 最後の抵抗として放った稲妻も、軽く躱される。
『くくく…小娘。そういえば2000年後の私にも、電撃をお見舞いしてくれたな?
 覚えているぞ。だが、同じ手は二度、通用しない!』
 ガーランドとして敗れた屈辱の記憶を憎悪に変えて、カオスはトドメの一撃を放った。
 動かない、ティナ。
『……っぎゃああぁぁああッ!!!』
 悲鳴を上げたのは、彼女ではなかった。仰け反るカオスの横をすり抜け、ティナは素早く後ろへ回る。その時、カオスの背中に深々と刺さった剣を見た。
 ただの剣ではない。激しくスパークする細身の刀身は、彼女がついさっきまで愛用していたレイズサーベル。
 ティナの稲妻は、元よりカオスを狙ったものではなかった。絶体絶命、追い詰められた彼女の目に映った一瞬の煌めき。彼女はそれに、賭けた。
 稲妻を帯びたレイズサーベルは光の剣となり、無防備だったカオスの背中を直撃した。
(よかった…、間に合ったんだ)
 ほっと安堵の溜息を吐くティナを、三つの人影が迎え入れる。
「ティナ、時間稼いでくれて助かったぜ」
「信じてたよ、ティナちゃん!」
 バッツとジタンは回復アイテムを手にしたままで、
「レイズサーベル、持ってきて正解だったな」
 クラウドも珍しく笑みなど浮かべながら、空の鞘を捨てた。
 回復アイテムの回復効果は強力とはいえないが、応急処置くらいにはなる。三人がやられた時、自分が回復に回ってもカオスの追撃が掛かると踏んだティナは、自ら囮になって彼らからカオスを遠ざけたのだった。
「これで形勢逆転だなっ!」
 ジタンは再びサスケの刀を構え、ずいっとティナの前に立った。
「さぁ、そう簡単に勝たせてくれるかな?」
 バッツが皮肉な笑みを浮かべてマサムネを、クラウドは無言でエクスカリバーを手に取る。三人の眼は油断なく、カオスの動きを探っていた。
 あの程度の奇襲が致命傷にならないことなど、重々承知。だが、突破口は開けた。
「ヘイスト(加速)!ストライ(攻撃強化)!プロテア(全体防御)!インビア(回避率上昇)!」
 ティナの補助魔法を受け、三人は同時に地を蹴った。今度は息もぴったり揃う。
『うぬぬぬっ…!』
 カオスも奇襲攻撃のダメージから立ち直り、それを迎え撃った。
 バッツは左、クラウドは正面、ジタンは素早さを生かして背後に回る。
 闇の剣は先ほどの攻撃で消えていた。もう一度創る間を与えなければ、懐へ飛び込むことも可能。カオスは魔法で応戦してくる。
 どむっ!
 彼が放ったファイヤーボールの攻撃を難なく躱し、クラウドは剣を水平に薙いだ。
 しかし、浅い。体制を崩したところへ、カオスの蹴りが入る。
「ぐっ…!」
 寸でで身をよじった分、直撃は免れたが彼はその場でうずくまった。
 後頭部はがらあきだ。これを逃す手はない。カオスの眼が、ぎらりと光る。
 振り上げた手刀が、鋭い輝きを帯びた。
「させるかぁぁぁっ!」
 そこへカオスの死角からジタンが斬り込む。更にバッツも低い姿勢から一閃を繰り出した。一方を避けても、確実に一方はヒットする。二重の戦術。それは、確実なダメージとなって、カオスを断つ…はずだった。それが、覆されるなどとは。
 クラウドのすぐ側を掠め、床に叩き付けられたのは、紛れもなくバッツ。その直後、ドンッ…という鈍い衝撃音が耳を打つ。
 クラウドの視線は反射的にジタンの姿を追っていた。その時、辺りの光景がぐるりと反転する。何が起こったか解らないうちに身体がふわりと宙を舞い、次の瞬間もの凄い勢いで落下した。背中をしたたか打ちつけ、一瞬呼吸が止まる。
「――がっはぁ…っ!」
 血と胃液を一緒に吐き出しながら仰向けに転がり、彼はそのまま動かなくなった。
(う、ウソだろ?あれはまさか…)
 まだしも傷の軽かったバッツは何とか半身起こし、不可解なカウンター攻撃の招待に気付いて驚愕した。彼は一度、“それ”の餌食になっている。
 カオスの背中を割って生えた“それ”が何なのか、認めたくはないが本物らしい。
 ぬるっ…べちゃっ…!
 床を打つ、粘ついた嫌な音。二本だけとはいえ、彼の背中から伸びる触手は間違いなく化け物イカ、水のカオス特有の武器。
 それが今、カオスの背中で別の生き物のように蠢いていた。
(馬鹿な!クラーケン…だと…?!)
 ジタンとバッツの攻撃を払ったのも、クラウドを捕まえて床に叩き付けたのもこいつの仕業だったようだ。
(――そういえば…)
 バッツの脳裏に先ほどの光景が蘇る。ジタン目掛け、クラウドが放ったファイヤーボール。あれを使いこなすモンスターは、ただ一体。
「あんた、マリリスやクラーケンの能力まで取り込んだのかよ?!」
『ふっ…。そう驚くこともあるまい。私は真のカオスなのだからな』
 勝ち誇った口調で言うや否や、足元で風が唸り、カオスの全身を取り巻き始める。
「風…くそっ!今度はティアマットかよ!」
 舌打ちしつつも、バッツは次の行動に出ていた。
 仰向けに横たわるクラウド。彼はまだ、気を失っている。カオスの攻撃をまともに食らえば、かなり危険だ。
 ヴォン!
 ダメージの大きい身体を引きずり、クラウドの前に立ちはだかる。直後、カオスを渦巻く風の奔流が巨大な竜巻と化して彼らを襲った。
「バッツ!クラウド!」
 風の渦は容赦なく二人を弾き飛ばし、ティナが佇む側の壁に叩き付ける。
「ちっ…!メチャクチャやりやがって!」
 ひと足先に触手で弾かれていたジタンは、ティナのおかげで何とか意識を取り戻していた。ぶつぶつ文句を言いながら、二人にポーションのオーブを使う。
『さぁて、そろそろ終わりにしようか…』
 近付いてくるカオスの足音は、もはや確実なものとなった己の勝利に酔いしれていた。
「――ティナ、クラウド、ジタン」
 カオスとの距離を測りつつ、バッツは傍らの仲間に向かって言った。
「いいか…今から俺の言うことをよく聞いて欲しい」
 顔を見合わせ、頷く三人。彼がこうやって何かを頼むのは、決まって勝利への糸口を見つけた時だと信じでいる。バッツは彼らの耳元で二言三言、囁いた。
「…お、おい。大丈夫かよ、それって」
「そんな…わたし――」
「む…!」
 彼が口を噤んでしばし、沈黙が場を支配する。ジタンもティナも、冷静沈着なクラウドさえも、動揺を露にして彼を見つめた。
 バッツは黙って、仲間の答えを待つ。やがて――
「……いいだろう」と、クラウドが言った。
「ま、何とかなるさ」ジタンも明るく笑う。
 ただ、ティナだけは俯いたままでいた。
「大丈夫」
 小刻みに震える彼女の肩に、バッツは優しく手を置いた。
「俺たちに宿る、クリスタルの力を信じよう」
 その言葉で、ティナの顔から迷いが消えた。
『ほう…?』
 四人の若者がすっくと立ち上がったのを見て、カオスは面白そうに口の端を吊り上げる。
『最後のあがき、という訳か』
 サンブレードを垂直に掲げ、魔力を高める少女。その前に立ち塞がる三人の青年を、澱んだ視線で眺め回した。サンブレードは少女の魔力を吸い上げ、強烈な朱に染まってゆく。
 彼女が何を唱えるつもりかは、一目瞭然だった。
『ふふん、つくづく小賢しい女よ。フレアーが使えるとはな』
 鼻で哂う、カオス。彼にフレアーを恐れる様子は全くなかった。
 ゆっくりと歩を止めると、胸の前で印を組む。
『皮肉なものだな。私も同じ術で貴様等に終焉をくれてやろうと思っていた…』
 彼の手が、サンブレードと同じ朱色を帯びるまで、長い時間は掛からない。
『そう…こいつは土のカオス・リッチの技だ』
 カオスの生み出したエナジーは、ティナのそれより何倍も大きく膨れ上がっていた。
 彼の全身から放たれる負の波動は極限まで膨張し、対峙する四人の手や足から感覚という感覚を奪い去る。少しでも気を抜けば、余波だけで吹き飛ばされてしまいそうだ。
「うっひょおっー!きたきたきたぁっ!最後の大技ってヤツがよぉ!」
 ジタンは額に吹き出る汗を拭おうともせず、相変わらずな調子で軽口を叩いている。
 クラウドの歯が、ぎりりっ…と軋んだ。柄を握る手はぶるぶる震え血管が盛り上がり、限界以上の力で耐えているのが見て取れた。
「いよいよだな。ここからは、タイミングが命だ。…ティナ、頼むよ」
 全ての希望を託した少女へ、バッツは絶対の信頼を込めて呟いた。
「――いきます!」
 背中越しに、力強い答えが返ってくる。
 刹那――サンブレードに収束していた光と熱の揺らめきは猛り狂う深紅の嵐となって、かつてない規模の超爆発を引き起こした。

 二つの紅蓮が、広間の中央でぶつかる。激しい競り合いの軍配はすぐに上がった。
 カオスの放ったフレアーはティナが発したエナジーを呑み込みそのまま着弾、破裂した。

『――ふっ…ふはは…ヒャーッハハハハハハッ!!!!』
 光と熱がカオスの顔を不気味な血の色に染め上げる。
 爆発の余韻が消えた時、四人の姿は影も形も無くなっているだろう。おそらくは、骨の断片も残さずに。
 邪魔者はいなくなった。全てが思い通りになった…。
 完全なる勝利をその手に収め、時の支配者となった男の雄叫びは途絶えることなく、いつまでも続いていた――背中の触手が一刀の元に斬り伏せられる瞬間まで。
 凍り付く、カオス。引きつった嗤いを顔に張り付かせたままで。
 斬り落とされた触手は緑色の液体を振り撒きながら床に転がり、塵となる。だが、カオスの背中からはしつこく新たな触手が生えようとしていた。
「哀れだな、あんた」
 クラウド・ストライフは逆手に構えたエクスカリバーでそこをえぐり、触手の機能を停止させる。
「こうやって誰かの力を取り込まないと、強くなれなかったのか?」
『ば…か…な…?!――き、貴様ッ…!』
 時の支配者『カオス』の意識は敗北を否定している。しかし、跡形もなく消滅したはずの光の戦士は今、夢でも幻でもなく彼の前にいるのだ。
 その事実は、彼が人間『ガーランド』であった時、一瞬抱いた死の恐怖を蘇らせるのには、十分すぎる材料であり。
『なぜ…?!何故、死なない?なぜ、私を殺せる?!
 ……な、ぜ…っ…!閉じた時の鎖を断ち切ることが出来るのだァァァッ…!』 
 とめどなく押し寄せる恐怖が狂気を駆り立て、彼の精神を蝕んでゆく。
「何故なら――」声は別の場所、はるか上空より響く。
「オレたちは始めから、この世界に存在していないからさ!」
 ざん!
 頭部から腹部へ、打ち下ろしの斬撃はカオスを真っ直ぐ断っていた。そして、軽やかに着地を決めるシッポの少年、ジタン・トライバル。
「でもな、俺たちがここにいるのは理屈じゃないんだ」
 続けざまに、バッツ・クラウザーがマサムネを薙ぎ払う。その流麗な軌跡はカオスの胸を真一文字に駆け抜け、ジタンの付けた傷と交差(クロス)して見事な十字を刻み付けた。
「俺たちは、あんたが閉じた次元の外から来た、異世界人(イレギュラー)なのさ。
クリスタルに呼ばれてな…!」
『――な…ん…だ、と……?!』
「だから、お前の方こそ俺たちを倒すことなど出来やしないんだっ!」

 ずんっ…!

 バッツ、クラウド、ジタン。三振りの刃が同時にカオスの胴を貫く。
 そして。朦朧とする意識の中で、カオスは確かに感じ取っていた。
 ただ一点、そこにある“光”――自分が得たはずだった、最高の力を。
 つかもうとして伸ばした両手が、虚しく空を切る。
『――フ…レ…アー…っ!』
 その強く純粋な魔力は彼を威圧し、得体の知れない恐怖心を植え付けた。
 さっきの競り合いは確かに勝った。けれど今、目の前のフレアーは彼が放ったフレアーよりも何十倍も明るくて、美しい。
「さっきの一発はファイガだよ。単なる“囮”のな!」
 ジタンの一言が、彼の絶望に追い討ちを掛けた。

『大丈夫。貴女は…強い。きっと、誰よりも』

 サンブレードから溢れ出る、光と熱の饗宴。その向こうに、ティナ・ブランフォードは、三角帽子を被った少年の笑顔を見ていた。
(ノア…!わたしに、力を貸して!)
「フレアーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」

 迫り来る、真紅の奔流。カオスは瞬きもせず、その光に魅入っている。
 満足げな、薄い笑みを浮かべながら。彼は、たった一人の女性を求めていた。
 『カオス』から『ガーランド』へと戻りつつある心の中で、最も愛した女性の笑顔を。
 もしかしたらそれが、2000年の時間を支配し、悪魔に魂を売ってまで手に入れたかった唯一のものだったのかもしれない。
 彼はもう抗うことさえせず、ただ静かに、熱と光を全身で受け止めた。

 永遠の生命を夢見た『カオス』と、永遠の愛を欲した『ガーランド』
 表と裏を閉じた終わりなき“メビウス”は、二人がひとつでなくなった瞬間、脆く崩れ去る。それは、あまりにも呆気ない訪れ。

 時の鎖は断ち切られた…。

〜別離〜

 2000年後、地上――
 この感情をどう表現すればいいのか、人々は戸惑いの表情を隠せないでいた。
 地面はえぐられ木々は根こそぎ薙ぎ倒され、壊れた武具が散乱する中、無傷の者は一人としていない。辺りはあらゆる災害がいっぺんに降り掛かり、通り過ぎた後みたいな有様だというのに、不思議と心は穏やかだった。
 ひとえにそれは、彼らが『混沌より生まれし悪魔』と死闘を演じ、辛くも勝利を収めたからかもしれないが、自身はまだその事実を認識できずぼんやりと虚空を眺めていた…。

 ビッケが全てを懸けて放った最後の波動砲は、水のカオス・クラーケンの背中を突き抜け、馬鹿でかい風穴を開けた。そこへアディリスが最大級のファイアーブレスを浴びせる。
 火達磨になったクラーケンはもがき苦しみながら大海原にダイヴし、絶命した。
 ビッケと海賊団、アディリスとグゥエイン、ウネとドーガ、サラと人魚たち。
 動かなくなった化け物イカの巨体を前に、言葉を発する者はない。
 おそらくは。海から吹く潮風が、熱く火照った身体と砲台を冷ましてくれるまで…。

 立ち込めた熱気の隙間を縫って、心地よい涼風が頬を撫でる。
「――な、何ですか…?これは……」
 それが、エルフの青年アレックスの、目を覚まして最初に発した一言だった。
「なんだい…。人がせっかくなけなしの魔力使い切って手当てしてやったのに、言うことはそれだけかい」
 不満たらたらの女の声。驚いて辺りを見ると、彼のすぐ横で若い女が仰向けに寝そべっている。
「あ…!貴女は魔女のマトーヤ!」
「…ったく。今度は呼び捨てかい、若いの。あたしゃあんたより、だいぶ長生きしてるはずなんだがね」
「し、失礼しました。マトーヤ様…」
 言われて、アレックスはようやく今の状況を理解した。
 火のカオス・マリリスに追われ、重傷を負った彼はどうやらマトーヤに助けられたらしい。多分、セーラ王女も無事に逃がしてくれたのだろう…と。
 そして、当のマリリスは…と、彼は再びその“物体”に目を移した。
 直径は十メートルくらいか。四方八方ありとあらゆる場所から生えた、棘・トゲ・とげ。まるで巨大な“ウニ”のような。それら何十何百のトゲは、全て氷で出来ていた。
 その中身…というか中心の状態を想像してしまったアレックス、ゾクッと身を竦ませる。
「――や〜れやれ。まったくしつこいったらありゃしなかったよ。中途半端な攻撃じゃ、かえって怒らせるだけだし…。一気にケリを付けるにゃ、こいつが一番さね!」
 彼の反応を愉しみながら、マトーヤはいつまでもケタケタと笑っていた。

『さぁ、どうした?さっさとトドメを刺せよ。遠慮することはねぇさ。それで終わりなんだろ?』
 風のカオス・ティアマットと、ドラゴン族&ルフェイン人連合軍の闘いは熾烈を極め、400年前の大戦の再来を思わせた。
 ただあの時と違うのは、竜王バハムートの足元に物言わぬ五つの首が転がっていること。
 ティアマットは最後にひとつ残った首で、皮肉めいた嗤いを浮かべ、バハムートを見上げていた。
 ドラゴンたちも決して無傷ではなく、翼の折れた者や鱗が剥がれ落ちた者、地面で喘いでいる者も少なくない。だが、バハムートは常に、先陣で闘い続けてきた。
 ある時は己の巨体を盾にして、トリプルブレスの猛攻からルフェイン人を護り、またある時は一糸乱れぬ統率力を以ってドラゴンを指揮し、総攻撃を仕掛けた。
 その結果――“勝者=バハムート・敗者=ティアマット”という、もはや覆すことの出来ない図式が、二人の間に出来上がっていた。
 けれども。五つの首を失い、エメラルドより硬い装甲を誇る鱗もボロボロに剥げ、無数の矢を浴び、黄金の鬣は見るも無残に焼けただれ…そんな凄惨極まる姿になっても尚、ティアマットは闘争心を失わなかった。
 憎しみに澱んだ瞳をぎらつかせ、無言で佇む宿敵を見据える。
『まさか、変に情けなんざ掛けてんじゃねぇだろうな?
 もしそうなら、オレはあんたをユルさねぇ。あんたが背を向けた瞬間、その忌々しいツラに喰らい付いてやるだろうぜ!』
『――情けなど、掛けん』バハムートは穏やかに答えた。
 彼もまた相当深い傷を負い、立っているのがやっとの状態。しかし、他の者の手を借りることなく毅然と構えている様は、ある種の神々しさを醸し出している。
『だが、お前に訊きたいことが一つある』
『ほぉ?それはそれは…』
 その問い掛けは意外だったらしく、ティアマットは殺気を抑えて卑屈に嗤った。
『話してみなよ。聞いてやるぜ。オレの命がまだあるうちに、な』
『…お前、何故我々に洗脳の術を掛けなかった?』
 バハムートの澄んだ瞳は、動かないティアマットに真っ直ぐ注がれている。
『そうすれば、400年前と同じようにこちらの行動は制限される。その隙を突いて攻め込んだなら、少なくともこれとは違う結末になっていただろう。
 私に情けを掛けたのは、お前の方――』
『クッ…!勘違いするんじゃねぇよ』
 彼がみなまで言う前に、ティアマットはよろっと身を起こす。一斉に警戒するドラゴンたちを、バハムートは無言で制した。
『勘違い…か?』
『ああ、そうだ!』
 眉を寄せるバハムートに、ティアマットがずいっと詰め寄る。
『400年前の古臭い戦術を持ってきたって、カビだらけで使い物にならないだろうさ。
 同じ相手に同じ手は二度と使わん。…そいつがオレの、ルールだぜ。
 それに――オレはまだ、“キサマ”に敗けたわけじゃねぇ!!!』
 叫ぶやいなや、彼はぐおっと首をもたげた。 
 皆の間に緊張が奔る。バハムートの脇を固めていた黒竜と白竜が素早く間に割り込んだ。
 しかし、限界まで開いた口は、目の前の宿敵ではなく、暗雲立ち込めるカオス神殿の上空へと向けてあった。
 大気を轟と裂き、ティアマットは最後のブレスを放つ。それは漆黒の雲へと吸い込まれるように消えてゆき、膨大な稲妻のエネルギーを帯びて戻って来た。
 彼――即ち、ティアマットの元へと。
『なにを…ッ…?!』

 ずんっ…!

 バハムートの叫びは次の瞬間。響き渡った鈍い衝撃音に掻き消されていた。
 400年を賭した因縁の決着。それは、ティアマット自らの手によって終焉(おわり)を迎え――バハムートは生涯最大最強のライバルに、弔いの咆哮を捧げたのである。

 眩い光が晴れた時、そこには何も残らなかった。
 土のカオス・リッチ。不死体である彼に痛覚は無く、斬ろうが突こうがダメージらしいダメージにはならない。
 彼は不死たる己の躯に絶対の自信と奢りがあった。けれども彼は、一人のか弱い少女が唱えた光に恐怖し、怯えた。
 聖魔法『ホーリー』
 その神聖なる輝きが視界を覆い尽くした瞬間、彼は跡形もなく崩壊していた。
 どしゃっ…。
 しゃがみ込む、セーラ。瞬くことも忘れ、ぼんやりと風に漂う塵を見つめる。
 魔力という魔力、精神力という精神力を全て使い果たしたはずなのに、意識だけはやけにはっきりとしていた。
 空を覆っていた暗雲はいつの間にか晴れ、一条の光が降り注ぐ中で舞う塵は、場違いな美しさを醸し出す。
 幻想的な煌めきの向こうに、セーラは愛しい人たちの顔を垣間見た。
(バッツさん、クラウドさん、ティナさん……ジタン。あたし――…)
 不意に。熱いものが頬を伝い流れ落ちる感覚で、彼女はハッと顔を上げた。
 ホーリーを放ったあの一瞬、心にぽっかり空いた穴。
(――あれは、気のせいなんかじゃ…なかった) 
 全ては終わった。終わった…けれど。
 この地には二度と帰って来ない人たちがいることを、彼女は感じ取っていた。
(きっと、もう…逢えない――)
 やっと勝利を認識したらしいコーネリア兵やエルフたちの歓声が、何だかやけに空々しく聞こえる。
(…ありがとう、みなさん。そして――さよなら) 
 セーラは静かに瞼を伏せ、時空を越えた想いと遠ざかる記憶に最後の別れ告げた。

『――元の世界、元の場所、元の時間に戻るときが近付いています…』
 カオスを倒した勝利の喜びを味わう暇もなく、突如響いてきた“声”はそう告げた。
 無言で佇む四人の男女に、驚きは…なかった。
 ここが、彼らの旅の最終地点であることは分かりきっていた。
 闘いが終わりを告げれば、『光の戦士』もまた、その使命を終える。
 彼らに“明日”の戦いは、ない。
 暗黒は失せ、世界は『光』を取り戻したのだから。

『時が正しい流れを思い出せば…』

 天空人『ガイア五騎士』のリーダー、シドの言葉が脳裏を掠める。
 カオスが去ったこの世界は、やがて在るべき正しい形を取り戻し、そして…四人は。

「……ったく、勝手な話だよな」
 土・火・水・風――頭上で輝く四つのクリスタルを見上げながら、ジタンはわざとオーバー調子で一人ごちた。
「来る時は無理やりに呼び付けといてさ、用事が住んだら『ハイ、サヨーナラ!』かよ」
 誰も、相槌を打つものはいない。三人とも思い思いの姿勢で押し黙っている。
 彼の言葉は、虚しく闇に溶け込んで消えた。けれど、誰も想いは同じだった。
 ただ、口に出してしまえば本当に…本当の別れの言葉になってしまいそうな気がして、何も――云えなかった。だから余計に、ジタンのカラ元気にすがってしまいたくなる。
 しばらくの間は、そんな彼の乾いた笑いだけが重い沈黙を吹き散らしてくれたのだが。
「……あは…はははっ…は……バカ…ヤロォ…っ…!じょぉだんじゃないぜ…ったく、みんな…ッ…!」
「ジタン…」
「うっせぇ、ばかっ!」
 急に震えを帯びてきた彼の声に、ハッと顔を上げるバッツ。今度はジタンが彼の視線を避けるようにくるりと背を向けた。
「――ホント、別れを言うヒマもねーじゃねぇかよ…」
 潤んだ瞳を見せたくないのか、彼は背を向けたまま微かに呟く。トレードマークのシッポが込み上げる感情を反映して、小刻みに震えた。
「ああ。素っ気ないもんだよ」
 ぽんっと肩に置かれた手は、声と同じ温かさだった。
「だけど、俺は楽しかった。ぜんぜん知らない世界に飛ばされて来てさ、ワケ分かんないまま戦い続けて、たくさんの仲間と出逢って別れて、悩んで怒って笑ってケンカして苦しんで、さんざ迷ったりもしたけど…でも。
 そんな風にみんなでわいわいやってる時間が、なんかけっこー楽しかったぜ。
 こういうのって、久しぶりなんだけどな」
 その一言一言が、ジタンの耳に心地よく響く。まるで、冬の終わりを告げに来た、爽やかな春の風のように。
 カオスが望んだ“永遠”ではなく、万物全てに与えられた“悠久”の中で、誰かと誰かが出逢い、そして――別れる。
 ジタンも大きな二つの別れを経験し、クラウドやティナも大切な人と分かれなければならなかった。“別れ”は、大きな悲しみと共にやって来る。
 けれど、それは決して“負”の感情ではない。“別れ”行く人が“別れ”の意味を教えてくれた時、初めて人は、ひと回りもふた回りも大きくなれるのだろう。
 別れは寂しいけれど、哀しいことじゃない。バッツの笑顔が、ジタンにそう囁いていた。
「……ああ、そぉだよなっ!」
 そして――振り向いたジタンはいつもの明るい彼だった。
 ばっ!と両手を広げ、得意のポーズで叫ぶ。
「オレたちが巡り逢ったのは偶然じゃない!こうして別れるときがきても、だ!」
「…うん、そうだね。わたしも、そう思う!」
 ティナも二人の間に割って入り、何度も何度も頷いた。
「わたし、みんなのこと忘れない!みんなと一緒に旅したこと、絶対に忘れないからね!」
「オレだってさ、テ・ィ・ナ♡
 君みたいに綺麗で可愛くて優しくてオレのこと想ってくれたおんなのコのこと、記憶喪失になったって忘れるもんかってんだ!
 だからさっ!最後にお別れの熱ぅ〜〜〜〜〜〜い抱擁&口吻けを〜っ…!」
 すかっ!
 最後の最後でお約束。ジタンが目一杯広げた両手は、ティナのボディを抱き締めそこね、虚空を彷徨う。で、肝心の彼女はというと…。
「クラウドさん、いろいろありがとう。わたし、その…頑張ってみる、ね!」
「――ああ」
 少し離れた場所で一人佇む“チョコボ頭”に、熱い視線を送っている。
 そっぽを向いたクラウドの頬も、心なしか薄紅色に染まっていたりして、何となくいい雰囲気の二人であった。
「(゜д゜;;)」
「あ〜あ。麗しの君はチョコボ・ナイト様に夢中か〜…。お気の毒サマ」
 同情を込めた呼び掛けも、ジタンには全く届かない。が、放心したのも束の間のこと。次の瞬間には憤懣(ふんまん)やるかたない表情でクラウドに詰め寄り、怒鳴る。
「てンめェ〜っ…!ティナちゃんに手ェ出しといて、このまま無傷で元の世界に還れると思うなよ?」
「ほほ〜ぉ…!」
 飛び散る火花。駆け抜ける戦慄。ティナはおろおろ。そして始まる、いつもの乱闘。
(なんだかな〜…。こいつらのこーゆー光景も、もう見納めなんだよな〜…)
 バッツは少し距離を置いて、戯れる三人の姿をのほほんと眺めながら、ひとり感慨に耽っていた。
 それは、彼がここで旅をしている間、ときどき脳裏を掠めていたことで…。
 ひょっとしたら、自分がこの世界に導かれたのは、誰かに呼ばれたからじゃなく、いつも心の何処かにあった『新しい冒険がしたい』という願望がそうさせたのではないか、と。
 足の向くまま気の向くまま歩いていた元の世界の旅とは違う、新しい何かを見出す旅。
 短い間だったけれど、この旅は自分が忘れかけていたものを思い出させてくれた…そんな冒険だったような気がする。
 何のためにここへ来たのか…その意味も理由も、ほんのちょっとだけ解ったかもしれないと思った。
(――俺も、ちっとは変われたかな〜…なんちゃって…)
 目を瞑り、自問自答したみた時、暗闇の向こうに桃色の髪をなびかせた少女の幻影(かげ)が浮かんで消えた。
 正直言って、ここに来るまでは迷っていた。“王女”である“彼女”と、ひたすら旅を続ける自分との前に立ちはだかっていた、高い壁を目の当たりにして。

 ――“王女”っていう身分ごと、“彼女”を受け止めてやらなくてどうするよ?――

 オンラクの宿でジタンに言った言葉を、今度は自分に問い掛けてみる。
 あの時は、考えるより先に言葉が出た。もしかしたらあれは、意識下で眠っていた自分の本音だったのかもしれない。
 霧はいつか、晴れるもの。そして、後には見渡す限りの碧い空が広がっている。
(よしっ!還ったら、一番最初に会いに行こう)
 バッツは、う〜んと伸びをし、顔を上げた。込み上げてくる幸せを、全身で感じ取る。
 こんなにも近い場所に、一番素直な自分の気持ちを見付けられたことが、なんだかくすぐったくて…でも、ひたすら嬉しくてたまらなかった。 
「……い。おい、バッツ!なぁ〜に浸ってんだよっ!」
 我に返った彼を、ジタンがじとっと覗き込んでいた。
「…ん?」
 バッツが別段慌てもせずに少々間の抜けた返事をすと、やや間があって、呆けたような溜息が聞こえた。そして、ジタンは珍しく落ち着いた声で、
「そろそろ時間だってさ。クリスタルが言ってる」と、付け足した。
「ん」
 バッツも頷き、四つのクリスタルを仰ぎ見る。
 光を取り戻したクリスタルは眩く、美しく…そして、少しだけ切ない色に輝いていた。
 視線を落とす。六つの瞳が、自分を見ていた。
 クラウド、ジタン、ティナもまた、彼と同じく迷いを抱き、ここへ来たのだろう。
 だけど、今は――彼らも自分の答えを見付け、帰途に着こうとしている。
 彼らが在るべき場所、自分の知り得ない世界へ。
 そこで彼らが、これからどんな人生を送っていくのかは分からない。
 けれど、バッツにはたったひとつだけ云える、別れの言葉があった。
「じゃあ…」
 片手を軽く上げ、穏やかに微笑む。
「元気で!」
「ああ」
 クラウドと固い握手を交わし、
「うんっ!バッツもね…!」
 少し涙ぐむティナの肩を優しく叩いてやる。
 それで最後に「カゼ、引くなよなっ!」と、Vサインしているジタンを引き寄せ、耳元で囁いた。
「愛しの“王女”によろしくっ!」
 途端に、かぁ〜っと紅潮するジタンの頬。クラウドとティナは『?』という顔を見合わせている。バッツはそ知らぬ風で天を仰ぎ、
「待たせて悪かったな、クリスタル。それじゃ、しっかり送り届けてくれよ!」
 彼の呼び掛けに、四つの光が答えた。
 土のクリスタルがクラウドを、火のクリスタルがジタンを、水のクリスタルがティナを、そして、風のクリスタルがバッツを。
 温かい光は柔らかく、『光の戦士』を包み込む。

『元の世界へ…』 
『元の場所へ…』
『元の時間へ…』
『ありがとう、光の戦士たちよ…!』

 クリスタルの発する声は心地よいリズムとなって、頭の中に響き渡った。
 懐かしい、誘いの光が一体となって…。
 光のうねりに身を委ね、四人はゆっくり瞼を閉じる。
 再びこの瞳を開く時、共に戦ってきた仲間たちはもういない。
 四人で一緒に旅した時間など、無限に広がる次元では僅かな一点の出来事だったろう。
 そう、きっと瞬きほどにも満たないほどの。
 けれど四人にとって、その時間は悠久のものであり…。

 だから。

 幻想(ユメ)から覚める瞬間は、不思議と安らぎに満ちていた。
紫阿
2004年06月05日(土) 18時23分26秒 公開
■この作品の著作権は紫阿さんにあります。無断転載は禁止です。

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■作者からのメッセージ
 あああっ…!やってしまった。ティアマットの最期。逆裁ファンサービス(…になるのか、アレ)前にも言ったんですが、この話は結構前に書いたものをここに乗せる段階で手直しを加えてるんですけど、ティアマット全般はそっくり一から作り直したような気が。
 …ま、こういうお遊びも(さんざん遊んだけど)入れたりしてみたかったのさ。
 さて、これで1本編は終わりです。あとエピローグが最後にありますけど。
 『カオス=ガーランド』という結末はいかがでしたでしょうか?最初に倒したボスキャラがラスボスとして出てくるなんて、結構衝撃の展開だと思うんですけど。私は。RPGのラスボスって大体、2パターンに分かれてますよね?
 最初から(もしくは早い段階で)「こいつがラスボスっぽいな」って分かる時と、敵対してる相手が途中で死んで、ぽんっと何処かからでてくるパターン。こちらは少々、存在感に欠ける感じ。
 しかし、1はそのどちらとも違うのです。話につながりがあって、意外な展開に持っていく。このインパクトが素晴らしい!深い! だって、これが言いたくてここまで書いてきたんですから…!(それが伝わったかどうかは別としても)
 パラドックスものは結構ややこしくて、難しい。(きっと書き切れてないことも一杯あると思いますが)でも、好きなんですよね。
 では、長くなりましたがラスト一回エピローグでまたお会いしましょう!

この作品に寄せられた感想です。
次回で終わりですか・・・なんかいままで感想をかけなかったのはこんなにすごい作品に自分が感想を書いていいのかなって感じだったんですよ。
ほとんどやったことないから元ネタ分からないのもありましたし。
ホントに最後まですばらしい作品をありがとうございました。
あとティアマットの最後は読んでるときにあれ?って思いました(笑)
50 わた ■2004-06-05 21:24:37 218.47.213.194
うわぁ、鳥肌立ったッス!(感動。)残すはエピローグっすか、淋しいッス。(泣)でも、ここまで書き込めるなんて、すごいッス!バハムートのセリフ、「ーー情けなど、掛けん」が頭から離れないッスよ。カッコ良すぎッス!ジタン、ティナ、クラウド、バッツ、みんなの良さが小説の中に滲み出ていたッス。エピローグ、頑張って下さいッス!(応援。) 50 うらら ■2004-06-03 18:15:23 210.198.101.247
合計 100