FF物語(エピローグ) |
エピローグ1 いつか帰るところ いつものテラスに佇んで、少女は空を眺めていた。 雲ひとつない青空はどこまでも澄んで、今日もまた、平和な一日の訪れを告げている。 世界が平和なのは喜ぶべきことだ。少し前までこの辺りは、陰鬱とした霧の大地だった。 それもただの霧ではなく魔物を生み出す霧で、人々は恐怖と不安を抱え、日々を過ごしていた。誰も彼も自分の進むべき道を見失い、希望のない未来に怯えていた。 あるいは、その恐怖から逃れるため、狂乱と快楽に身を堕とした者もいる。そう…少女の母親、ブラネ女王のように。 「……はぁ」 アレクサンドリア国王女・ガーネット・ティル・アレクサンドロス17世は、とめどなく沈みゆく自分の思考に、重い溜息で終止符を打った。 そんなことをしても、ぜんせん気持ちが晴れないことは分かりきっている。空はこんなにも晴れていて、日差しはとても眩しくて、城下町はあんなに賑わっているというのに…。 (神様は意地悪ね…) 世界が平和になればなるほど、一国の王女という地位は揺るぎないものとなって、彼女に重く圧し掛かる。世界の平和か自分の自由かを選ぶこと、それはある意味究極の選択だ。けれど、彼女には選べない。現在の彼女に“選ぶ”などという自由はなかった。 なぜなら彼女は、『ガーネット王女』だから。 (――あれからジタンはどうしたかしら…) テラスの手すりにしなだれかかり、シッポの少年を想う。疲れていたとはいえ、せっかく来てくれた彼の好意を無にしてしまったことを、ガーネットは昨日からずっと悔いていた。いつも以上に気が沈んでいるのも、きっとそのせいだろう。 そういえば、孤独を紛らわしてくれる小鳥たちの姿も今日は見えない。 「はぁ…」 ガーネットは二度目の溜息を吐いた。何だかこの世界に独りだけ取り残されてしまったようで…。 「――はぁ〜…」 このままでいると、気分はどん底まで滅入ってしまいそうだった。彼女はのろっと顔を上げ、踵を返す。とりあえず部屋に戻って、“王女”のやるべき仕事でもしていよう。 彼女の部屋は豪奢だけど、どこか空虚で薄暗い。 (この部屋も、私と同じね。どんなに着飾っていても空っぽで…) 自嘲気味な苦笑を浮かべながら、机に向かう。机の上には彼女のサインを待つ書類が、山と詰まれていた。彼女はいつもの通り羽根ペンを握り、書類と対峙する。 書類の内容に目を通し、問題なければ『ガーネット・ティル・アレクサンドロス17世』のサインを記す。機械的な作業だ。深く考えなくても手は勝手に動いてくれる。 だが、今日に限って彼女の手は石化でもしたように微動だにしなかった。 「……」 しばらく文字の羅列と睨み合いを続け、やがて彼女は羽根ペンを放り出す。 「…つまんないわ」 たまらなく惨めになって愚痴った時。 「つまんないならやめちまえっ!!!」 怒号と共に、勢いよく窓が開け放たれた。 外からの風に煽られて、机の上の書類が部屋中を乱舞する。 ガーネットは崩れ落ちる書類の山にしばし呆然と見入っていた。そして、夢遊病者のようにふらりと立ち上がる。紙の雨を掻き分けながら、テラスへ…。 目一杯風を受け、膨れ上がるカーテンの向こうに浮かび上がる人影。ゆらゆら揺れる長いシッポ。顔を覆うカーテンをつかみ、がむしゃらに引き剥がす。 「盗みに来たぜ、王女様!」 「――っ!ジタン…!」 そこにいつもの明るい笑顔があって、ガーネットは思わず抱きついた。 「ほら、早く着替えてこいよ」 ジタンは泣きじゃくる彼女を優しく押しやり、テラスの向こうを指差す。 「……?」 涙をぬぐいつつ彼の肩越しに外を見ると、小型の飛空艇が空中停止していた。 「ここは…マダイン・サリ…?」 数時間後。ジタンに案内されるままガーネットは、かつての故郷を訪れていた。 故郷、といっても、ここに居た頃の記憶はほとんどない。辛うじて覚えているのは、子守唄代わりの母の唄と、激しい嵐の衝撃。それから―― 「召喚壁…久しぶりね」 召喚士の村『マダイン・サリ』で、その場所は“聖地”とされている。高い壁に囲まれた円形の空間の内部は厳かな空気が漂っていて、よそ者を受け付けぬ雰囲気がある。 何も知らずにここを訪れた者でも、一歩足を踏み入れた瞬間、感じるはずだ。自分は『招かれざる者』だという違和感を。 しかし、ガーネットにとってここは母親の胎内にも似た、心地よさを覚える場所である。 幼い頃――物心ついて間もなかったけれど、自分は毎日ここへ来て、母と一緒に祈りを捧げた。 『世界が平和でありますように…』 『幻獣と仲良く出来ますように…』 『親子三人、いつまでも一緒にいられますように…』 「お父さん、お母さん…」 壁画を見ていると、涙が止まらなかった。 戦いが終わり、アレクサンドリアへ戻ってからは一度もここへ来ていない。だからこそ、余計に。込み上げてくるたくさんの想いは抑え切れそうになかった。しばらくして、ガーネットはすっくと立ち上がり、固い決意の宿った瞳でジタンを見つめた。 「――ジタン。あたし、ここで暮らしたい。あなたと、一緒に…!」 「……ここ、見てみなよ」 ジタンは彼女の言葉に答えることなく視線を外し、壁画の一点を指差した。 「ジタン!はぐらかさないで聞いて!」食い下がる、ガーネット。 秘めてきた想いを全てぶちまけるかのように。 「――あたしね、ずっと考えていたのよ!あたしはっ…あたしは『ガーネット王女』なんかじゃないの!だって、本当のあたしはここに居た!どこにでも居る普通の女の子なの! そして、あなたと出逢って一緒に…ね?簡単でしょう? いつも、いつまでも…あなたと…いたいの…。お願い…っ!」 「セーラ」 ガーネットは、言葉を最後まで紡ぐことが出来なかった。何故なら、彼女はジタンの胸に、ぎゅっと抱かれていたのだから。 「――ジ、ジタン…?」 「君が王女じゃなかったら、オレはきっと、盗みになんて行かなかったよ」 低い声が、耳元で囁く。それは普段のひょうきんな彼とは違う、真剣で穏やかで…少し大人びた声だった。 「オレは自分にないものを持っている君に惹かれたんだ。君が“王女”だっかから。 もちろんそいつは物質的なものじゃない。そんな薄っぺらいものじゃないんだ…! 本当はさ、羨ましかった。王女として、輝いていた君が。でも、君は君で“王女”としての自分に迷いを覚えていた…。結局みんな、同じだって思ったんだ。人間はさ。 オレだって、自由気ままに生きてるようで、いろいろあったんだぜ?だけど一緒に旅してさ、君はオレを元気付けてくれただろ?自分だって辛いこと一杯抱えてるってのに。 ……嬉しかったんだ、そういうの。今までは人に心配されるのって、うざったくてしょうがなかったんだけど、君が掛けてくれた言葉はいつでも温かく心に残ったんだ…セーラ」 「――セーラ?」 顔を上げるとすぐ前に、ジタンの眼差しがあった。ガーネットは真っ赤に染まった頬をますます紅くして俯く。 (な、何だか今日のジタン、変よ…) 俯いたまま、消え入りそうな声で訊いた。 「あ、あの…セーラって、誰のこと?」 初めて聞く名前である。もしかしたら女好きのジタンのことだ、ガーネットを他の誰かと間違えて呼んでいるのかもしれない。 (もしそうだったら、許さないんだから。…けど) セーラという名前は彼女に不思議な感覚を与えていた。その時、ふっ…と、背中を抱いた手の感触が消える。 「今度こそ、ちゃんと見てくれるよな?」 慌てて顔を上げると、さっきと同じく壁画の一点を指し示すジタンがいた。今度は彼女も言われるまま、壁画に顔を近付ける。 「読んでみなよ。ここに彫ってある文句をさ」 頭上から、優しい声。ジタンが指した場所には、確かに文字らしきものが刻んである。だが、風化が激しくて読み辛い。 「え〜っと……」 更に、ぐぐっと顔を近付けるガーネット。そして―― 「『我が愛するセーラ』…?!これって……」 がばっ! 瞳をこれでもかというくらい大きく大きく見開いて、振り返る。 「セーラ。これが君の、本当の名前だ」ジタンは優しく微笑んで言った。 「たぶん、君の本当の親父さんがさ、願を込めて彫ったんだと思う。『セーラ』って。 いい名前だよな。だからオレも、これからはそう呼ぶことにした。 『ガーネット』でも『ダガー』でもなく…。 ああ、そーだよ!周りがどう呼ぼうが、関係ないと思わないか?確かに君はアレクサンドリアの“王女”なのかもしれない。けどな、ここに来て気付いたんだ。 やっぱりオレにとって、君は『ガーネット王女』でも『ダガー』でもなくて…世界でたったひとりだけの大切な女の子『セーラ』なんだ!」 「――っ…!」 「ここに来たい時は、いつでも連れてきてやる!うるさいスタイナーとか城の兵士とか大臣とか、全員的に回しても君を盗みに行く! な〜んたってオレは、世界一の大泥棒!ジタン・トライバル様なんだからなっ!」 そう言って勇ましく胸を叩いてみせるジタンが、涙で滲んだ視界に霞む。けれど、ガーネット…否。セーラにはそれがとても眩しかった。 「……うん。そうだね」 彼女は地を蹴り、太陽のように明るい輝きをくれた少年の胸に飛び込む。ジタンは、黙って彼女を受け止め、固く抱き締めた。もう二度と、この手を離さないように…。 「……あ〜あ」 同時刻。召喚壁の入り口にて、二人の世界に浸るジタンとセーラを眺めながら、ぶータレる少女が一人。中の二人は彼女の存在にまったく気が付いていない。 「――ったくぅ…」 少女の視界に仲むつまじく抱き合う二人の姿が映る。それはもう、少女の手が届かなくなった場所で…。 「二人とも、エーコがいないとなぁ〜んにも出来ないんだから…もうっ!世話がやけちゃうったらないわっ!」 愚痴と一緒に深〜い溜息。それから少し寂しそうな笑みを浮かべ、「お幸せに、ね♡」と呟いて、何かを振り切るように走り出した。 「さ・っ・て・と。エーコも早く新しいカレシ、GETしに行かなきゃね〜♪」 エピローグ2 ゴールドソーサーは今日も平和 メカに囲まれた狭い空間で、彼はいつも、目を覚ます。それは決して快適な目覚めなどではなく、むしろ…。 「――ううっ…」 脳の内部を引っ掻き回されたような不快な感覚に見舞われて、クラウドはのろりと起き上がった。 (……戻って…来たのか?) 電話ボックスサイズの箱。怪しげな機械が剥き出しの内部。 彼にとって、そこは見慣れた忌まわしき場所。彼を取り囲む機械群は、オーバーヒートを起こしているのか、しゅうしゅう蒸気を吐き出している。 彼はしばらく呆けたように、帰還の余韻に浸っていた…が、蒸気はたちまちボックス内部を埋め尽くし、容赦なく温度を上昇させた。 「げっ…!」 やっと正気に返ったはいいが、クラウドの視界はすでに真っ白な煙で埋め尽くされていた。慌てて立ち上がり、出口を探すのとほぼ同時に―― がちゃん! ロックを解除する重々しい音が響いて、光が差し込む。 「ぜぇはぁ…ぜぇ…はぁ…」 無我夢中で箱の外へと転がり出た瞬間、クラウドは身体中のありとあらゆる細胞をフルに使って深呼吸をした。一分ほどそうしてようやくひと心地着いた時。 「クラウドはん!」 独特のイントネーションを含んだその声が、脳みそを完全に覚醒させる。 「――ケット…」 立ち上がりかけてふらついたクラウドの身体は、直後に白い大きな手で支えられていた。 「えろうすんまへんなぁ。今回もまた、なんか調子がおかしなったようで…」 声の主は言わずと知れた、ネコ型ロボットのケット・シー。デブモーグリの巨大なぬいぐるみを操ってクラウドを助けながら、すっかり恐縮しきりだった。 クラウドは反論する気力もなく、その場にへたり込む。出来ればこのまま眠ってしまいたい。 「いやはや、今度こそ上手くいく思たんですけどな〜。世の中そんなに甘くないですわ」 ケットはつらつらと弁解を続ける。 「せやからな〜、ボクの技術も改善が必要っちゅーこっちゃ…ん?」 と、そこで何かに気づいたように、首を傾げた。 「クラウドはん、その背中に負うとるモノ、何やの?」 言われて初めて気が付いた。行きにはなかった背中の重み。そのしっくりくる重量感は、ついさっきまで感じていたものだ。 背中に手を回してみる。探さなくても彼の手は、自然とそこにあるものをつかんでいた。 「エクスカリバー…」 彼と共にカオスを滅した勇者の剣。 原料のアダマンタイトは熱を帯びると緋色に輝く。けれど今、己の役目を終えたエクスカリバーは、静かな眠りに就くが如く、落ち着いた朱になっていて―― ふと、思い出す。浮遊城から降り立った時、最初に見た落日の空の色。 「――何だ。付いて来たちまったのか…」 『――クラウドさん…アリガト…』 はるか遠い星の海で眠る古代ロボットの声を聞いたような気がして、クラウドはふっと苦笑を浮かべた。 「えくすかりばぁ〜…?そうや、歴史か何かの本でそんなん見かけましたわ〜」 「――ああ」 事情を知らないケットはあまりにも美しい刀身に、ただただ感心するばかり。 「ところで、何でまたそれをクラウドはんが?」 「ああ…」 過ぎ去った幻想に想いを馳せるクラウドは、彼のリアクションにも取り合わず、生返事だけを繰り返す。 「なんや、おかしなこともあるもんやな〜。…まあええわ。ほなな、クラウドはん。ボクはまた仕事がありますさかい。あんさんは、ゆっくりしていきなはれや」 全く相手にしてもらえなかったケットの方は、納得いかないまでも仕方なさそうに立ち去ろうとしかけた――その直後。 やっぱり興味津々といった顔でエクスカリバーに視線を注ぐ。 「それにしてもその剣、斬れ味よさそやな〜。どや?闘技場で試し斬りでもしていかへん?」 その言葉で、クラウドは初めてまともにケットの顔を見上げ、 「…遠慮しておく」と、苦笑した。 脳裏を掠める、カオスとの激闘。触手を斬り落とした時の手応えは、両手にしっかり残っていた。 「斬れ味なら、さんざん試してきたところ……」と、突然その表情が強張る。 「そか。残念やな〜…」 口調とは裏腹にさしたる落胆の様子も見せず、ケットは再び背を向けた。 彼は、気付いていない。今この瞬間、クラウドに起こりつつあった異変を。 あるいは、気付かないでいた方が幸せだったのかもしれないが。 音もなく、立ち上がるクラウド。眠りに就いたはずのエクスカリバーの刀身が再び光を帯びたのは、果たして錯覚だったのだろうか…。 今回の件も元をただせばこいつに一服盛られたのが始まりだった。 それだけではない。彼の意識は更に過去へと遡る。 ある時は後ろから殴られ気絶した隙に、またある時は『クラウド、大変よ!ゴールドソーサーが危ないの!』というティファの声色を使って呼び出され、この箱に押し込められた。パラレルワールドに飛んだのは、果たしてこれで何度目なのだろうか。 ふつ…ふつ…ふつ・ふつ・ふつ……ぷち…! 積み重なった屈辱の数々、今までのウラミツラミが音を立てて沸点に達する。怒りの矛先は毎回懲りずに騙される自分にではなく、無防備に晒されたケットの背中に向けられていた。魔晄のグリーンに染まった眼が、鋭い輝きを放ち始める。 それはかつて、最強戦士と謳われた『ソルジャー』だった者の証。ソルジャーの瞳に魔の晄りが宿る時、彼らの戦闘能力は極限まで引き出されるという。 エクスカリバーを握る手が、小刻みに震える。その先にある刀身は、鮮血を思わせる緋色にまで染め上げられていた。もはや“錯覚”という言葉ではどうやってもフォローが効かないほどまでに…。 「――いや、これから試そうと思っていたところだ」 地の底を這いずるような低く重い呟き。ともすれば、デブモーグリの足音に掻き消されてしまいそうなくらいの。 しかし、ケットはロボットながら…いや、ロボットであるが故に感じ取ってしまう。 背後に生じた、凄まじい“殺気”を。 ぎ、ぎぎぃっ…! 見ない方が安らかに逝けると思いながらも、ケットの首は意思に反してぎこちなく回る。 「い、いややわ〜…クラウドはん。まさかもう、全部思い出したんですか〜…?」 答えない、クラウド。無言でエクスカリバーを振り被る。 「――リ、リミット・ブレイク……Lv.4…?」 ケットは淡い希望を抱き、おそるおそる訊いてみた。 「……Lv.∞、だ」 赤い刀身にクラウドの無表情が映える。 操縦者・リーブが『ケット・シー三号機』の製作を覚悟した時、エクスカリバーの容赦ない一撃が振り下ろされた。 その後――ゴールドソーサーでは支配人代理の遠隔操作ネコ型ロボットがスプラッタ状態で転がっていた…という噂がまことしやかに囁かれたが、ともあれこの日も狂乱と快楽に彩られたいつも通りの一日が、めでたく幕を開けたのだった。 エピローグ3 Love Will Grow エンジンの低い唸りと微かな振動…それに、少し懐かしさを覚える機械の匂い。 彼女は雲の上にいた。眼下には、見慣れた地形が広がっている。 景色をぼんやり眺めていると、戻って来たという実感に変わった。 視線を落とす。手すりに掛けた自分の両手。少し震えているのは、寒さのせいだろうか。 目の前にそっと翳し、思いついた魔法を唱えてみる。 「……ファイア」 その微かな呟きは風に乗り、あっという間に溶けていった。 掌がじんわりの温もるだけで、発動しない魔法。魔法を司る『幻獣』が消えてしまったこの世界では、もはや魔法というものは存在しない。 幻獣と人間の間に生を受け、かつては膨大な魔力をその身に宿していた彼女も、現在は普通の女性である。そうなったことが幸せなのか不幸なのか、彼女には解らなかった。 魔法が恐ろしいものだと考えていた時は、普通の人間でいられることに束の間の平穏を覚えたかもしれない。けれど、異世界に飛ばされて再び魔法と触れた瞬間の温かさは心地好く、安らぎすらもたらしてくれた。 温もりの残る手を、そっと胸に押し当てる。 とくん、とくん、とくん…。 血脈の流れが穏やかに彼女を満たしてゆく。 とくん…とくん…とくん。 何かを語りかけるように…。 (――お父…さん…?) 幻獣『マディン』――人ならざるものだった、父。 一度だけ見たその姿は、雄々しくて優しかった。 『人間として何か大切なものを感じ取ることが出来たのなら、お前は“人”となり、この世界で生きなさい』 マディンは最後にそう言って消えた。一瞬で永遠の別れだと思った。 あの時は心が空っぽになったような想いがしたけれど、今なら確実に解ることがある。 (お父さんはずっとここにいるんだよね…) 手から伝わる温もりに、もう恐怖は感じない。それは決して消えることのない、永遠の魔法なのだから。 「ティナ!」 その名が自分を示すものだと気付くまでに少し時間が掛かり…やがて、彼女はゆっくりと振り向く。 「すっとここに居たのか?」 豊かな銀髪とトレードマークの黒いロングコートを風になびかせ、男が一人、近付いて来た。全身傷だらけのギャンブラー・セッツァー。彼は、この艇『ファルコン』の主だ。 「さっき見た時は誰も居なかった気がしたが…」 「え…?さぁ…わたしはずっと、ここに居たけど…」 ティナは曖昧に返事をし、再び地上に視線を落とした。 「そうか。…ま、それならいいんだ」 首を傾げながらも、セッツァーは操縦者としての役目を果たすべく、操縦桿に向かう。 「だが、そろそろ戻った方がいいぞ。セリスが下で待ち構えてる」 悪戯っぽく忠告され、ティナは慌てて記憶の糸を手繰った。そういえば、自分は今、オペラ座に向かう途中なのだ。フィガロ国国王、エドガー・フィガロ直々のお誘いで。 そして、セリスは彼女をドレスアップさせるため、今回特別に乗り合わせている。 「ん…。分かった」 最後に一度、名残惜しそうな眼差しを空に投げ掛け、ティナはつっと手すりを離れた。 「じゃあ、行ってくる。セリスがせっかく張り切って用意してくれたんだもんね、ドレス。 ふふっ…!何だかとっても楽しみ〜♪」 「…あ、あぁ。しっかり化けてこいよ」 「もぉっ!あんまりイジワル言わないでよね、セッツァーってば!」 べっ…!と、舌を出して昇降口へと消えゆくティナを、セッツァーは不思議なものでも見るような想いで見送った。 その時の雰囲気は、自分の知っている彼女と何かが微妙に違って見えた。 飛空艇から地上を眺めるティナ。その視線の先にはいつも虚空しか映っていなかった。 愛を知らず、愛に飢え、それでも彼女は愛を求めてひたすら心を彷徨わせる…。 その彼女に、セッツァーは今、一瞬だけ光明を見出せたような気がした。 失われたはずの意思と、溢れる生命の躍動感を。 「エドガーのヤツ、きっと仰天するだろうな」 着慣れないドレスを捌きつつ、エドガーの待つオペラ座へと小走りに掛けて行くティナ。その後姿を眺めながら、セッツァーは感心したように頷いていた。 「どう?私のコーディネートは」 隣で、ふわりと金髪が舞う。 「…な〜によ。鼻の下伸ばしちゃって。もしかして一目惚れしたんじゃないでしょうね?」 セリスはすかさず正面に回り込んで彼の反応を窺った。 「――やめておこう。“聖杯のA”の行く先は、もう決まっているようだしな」 セッツァーは懐から取り出したカードをオペラ座に翳し、苦笑する。 「そうね…」セリスも茶化すのをやめ、ふっと微笑んだ。 「エドガーとなら、きっと大丈夫…大丈夫よ!」 そうであって欲しいと、心から願う。 彼女はあんなにも美しく、可憐だ。その美貌が翳ってしまわないように、せめて一輪、花を添える。それが自分に出来る唯一のことだから。 (ガンバってね、ティナ…!) 「……ところで」 ティナの姿が完全に見えなくなると、セッツァーはいつになく真剣な眼差しで彼女に向き直る。 「なっ…何だ?!」 一番最初、彼に出会った直後、『お前を俺の嫁さんにする!』宣言をされた時のことがふと脳裏を過り、思わず昔の軍人口調に戻ってしまうセリス。 何しろここはピンポイントでオペラ座だし、彼女はここでトップの歌姫『マリア』の身代わりとして、セッツァーにさらわれた過去があった。 「セリス、あのな…」と、彼の手はごく自然に彼女の肩に回る。 「ここに来ると、俺はいつも考えちまうんだ」 次の瞬間。予想以上に強い力で身体ごと引き寄せられ、身動きが取れなくなった。 (ままま、まさかまだ私のことを?!そそそ、それは困るっ!私にはロックが…!) どきどき、どくどく、どくんどくん…どっくん…! 高鳴る胸の鼓動をどうすることも出来ず、セリスは硬直。 セッツァーの顔は、もうすぐ側まで迫っていた。 (×××〜っ…!) 覚悟を決め、ぎゅっと目を瞑る。しかし、いつまで経っても次の“段階”は訪れない。 「……?」おそるおそる、瞼を開ける。 「今度はいつ、俺にお前のマリアをみせてくれるのかな〜?…な〜んてコトをさっ♪」 そこにはセッツァーのにっこり♡スマイルがあった。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ……!!!!」 ばちこ〜ん! 高らかな平手打ちの音が、セッツァーの傷をまたひとつ増やした――かどーかは、まったくをもって定かではない…。(ちゃんちゃん♪) オペラ座、大ホール。そこは今宵も、愛と感動の歌劇を観に来た紳士淑女で溢れていた。 しばらくの間、取り留めのない談笑を交わしていた彼らも、館内に響き渡るアナウンスと共にしずしずと移動を始める。 けれども、壁際の目立たない場所で一人佇む青年だけはそこから動こうとしなかった。 目立たない衣服とマントで身を整えているものの、彼自身から滲み出る気品はどうにも隠しようがない。ある程度、上流階級の者ならば、ちょっと見ただけでその正体に気付き、深々と頭を垂れることだろう。 フィガロ国の若き国王、エドガー・ロニ・フィガロ。それが彼の名前である。 色とりどりのドレスを纏い、必要以上に着飾った女性が目の前を通り過ぎてゆく。彼はそんな彼女たちの中に、待ち望む乙女の姿を探した。 手に一輪、純白の薔薇を携えてくるくる回す。何色にも染まっていないその花びらは、まるで彼女そのものだ。この薔薇がどんな色に染まるかは、周りの環境次第だろう。 無理に色を付けようとすれば、彼女はきっと自らの意思で散ってしまう。 純粋すぎるが故の、脆く、儚く…哀しい存在―― 翳した薔薇の向こうには、もう誰も居なかった。皆、中に入ってしまったようだ。 空っぽのホールは、自分の心と同じに思える。 (これから先、彼女を変えることが、果たして私に出来るのだろうか?) それは彼がこの一年、ずっと考えてきた問いだった。答えの出ない、虚しい問い掛け。 (すれ違い続ける想いに、いつの日か終止符が打てたらいいのだが…) 「ふぅ…」溜息で、花が揺れる。 (――え?) その一瞬、今まで無人だったホールに彼ははっきりと認めた。虚像でも幻影でもない、待ち焦がれた乙女の姿を。その手から、薔薇がするりと滑り落ちる。 「お待たせ♪エドガー」 少女は悪戯っぽく微笑んでそれを拾い、自分の鼻に近付けた。 「うん。いい匂いだね♡…これ、わたしに?」 「ティ…ナ…?」 呆然と佇んだままのエドガーには、弾んだ彼女の声も耳に届かなかったらしい。 「……エドガー、いつもみたいに言ってくれないね。やっぱりわたし、こういう格好は似合わないのかな…?」 ティナの顔が、少し曇る。 「い、いいやっ!そ、そんなことは断じてないっ!」 落ち込むティナを見て、エドガーはようやく正気に返り、手と首を忙しく振った。 「そうじゃないんだ!そうじゃ…なくて――」 それからまじまじと彼女に魅入る。 純白の薔薇さえ色褪せて見えるスノウ・ホワイトのワンピースドレスは白い肌と一緒になってとても眩しく、下ろしたアイス・グリーンの髪がそれらに映えていっそう美しさを増し、胸元にあしらわれた一輪のマリーゴールドが、どんな宝石よりも艶やかに彼女を引き立たせていた。 「その…何て言ったらいいんだろうな…」 女性に対してはいつもすらすら誉め言葉を並べ立てるエドガーも、いつになくうろたえて弁解し始める。 もちろんティナは、綺麗だ。百人の男が彼女を見れば、百人とも口を揃えてそう言うだろう。けれど、それは空虚で、何処か人形を思わせる美しさだった。 彼女は美貌の仮面の奥に、深い哀しみを抱いている。過酷な運命に翻弄され続けた過去を憂い、不安定な未来に怯える少女。世界の運命を大きく変えた戦いが終わっても、彼女の顔からその想いが消えることはない。今、この瞬間まではそう思っていた――けれど。 「綺麗だよ、ティナ」エドガーは子どものような感想を述べる。 (まいったな…) 多分、本当に美しいと思う女性を見た時は、美辞麗句で着飾った言葉なんて何の意味もなくなるのだろうと実感した。 「…綺麗だ。とても」 「うん!ありがとう」ティナは笑って、右手を差し出す。 「じゃ、行こっか」 「ティナ…!」 次の瞬間――彼女はエドガーの腕の中にいた。 「……私では、駄目なのか?君はまだ、真実の愛を知らないかもしれない。 けれど、何でも心にしまい込まないで欲しいんだ。 君は独りじゃない…!私がいつも側にいる!二人でならば、一緒に『愛』を探せるだろう?私のところへ、来て…欲しい」 「……」 言ってから、後悔した。この手の話になった時、ティナは決まって困った顔をする。その後には気まずい沈黙がやってくるのだった。 だからエドガーは、その想いをずっと心に留めておくつもりでいた。けれども、この日の彼女はいつもと何か違って見えて、抑えてきた全ての感情を口に出してしまった。 (私としたことが、何を焦っているのだ…) 自己嫌悪に囚われ、腕の力を抜く。直後、ティナの肢体がするりと抜けた。 きっとまた、彼女を困らせてしまったのだろう。 (――私は…っ!) 血が滲むほど、強く唇を噛む。――と。 ぎゅっ。 手に感じた温もりが、絶望の淵にあったエドガーの意識を覚醒させた。 ハッとして顔を上げると、視界一杯にティナの眩しい笑顔が映った。 「じゃあ、エドガー。待っててよね?」 「……?」 ティナは微かにはにかんで、エドガーの手を自分の両手で包み込む。 「わたしがエドガーの気持ちに心から『はい』って応えられる日まで、待っててくれる?」 真っ直ぐな言葉と視線を受けて、エドガーは大きく目を見開いた。 しかし、それはやがて、優しい微笑に取って代わる。 「ああ。いつまでも待っているよ。ゆっくり二人で歩いていこうな、ティナ」 「うん!」 ティナが明るく頷いた時、上演開始のベルが鳴った。 エピローグ4 遠い日々の名残り 喧しい…けれど懐かしい、人々の歓声が聞こえた。 狂乱はどこまでも昂ぶって、更なる熱気の渦となる。 『タイクーン武闘大会』――タイクーン王女・サリサとの結婚を賭けた男同士の熱き戦いは今、最高潮を迎えていた。 すなわち、群がる花婿候補のライバルたちを蹴散らし頂点に立った男、バッツ・クラウザーと王女・サリサとの一騎打ちである。 サリサ・シャーロット・タイクーンことファリスは、女性ながらに長年海賊の頭をしていて、自分より強い男でなければ結婚する価値もないと言い切った。 そして、このお祭り騒ぎが始まった。しかし、彼女への挑戦権を得たバッツは、訳も解らずこのステージに立っていたりする。もしここでファリスに勝てば、タイクーンの王となってしまうのだから、彼が困惑するのも無理はない。 だが、果たしてそれが現タイクーン王女レナの本心なのかを確かめる術はなかった…。 異世界に飛ばされる前、視界の端に捉えた、レナの虚ろな瞳。 “王女”であるが故に、許されぬ自由がある。彼女はタイクーン城というカゴの中から抜け出すことが出来なくなった小鳥。金網を隔てた向こうの空で群れを成す渡り鳥に、羨望の眼差しを投げ掛けている。叶わぬ願いと知りながら、大空へ羽ばたきたいと。 (――なあ、レナ)バッツは心の中で問い掛けた。 (ただ空を眺めているだけじゃ、何も解決しないだろ? 三年前、俺たちの旅がそうだったように…。真っ直ぐ前を向いて、信じるもののために俺たちは闘った。そして、世界を救ったんだ。 確かに俺たちは混乱していた世界で出逢い、共に戦ったのかもしれない。クリスタルに導かれた戦士として…。かけがえのない、仲間として。 けれど、レナ。例えクリスタルに呼ばれなくても、戦いの中でなくても、俺はいつか…君に出逢っていたと思うんだよ。理屈じゃなくてさ。 俺は風に誘われて、ある日ばったり君と出逢う。『世界を救う』なんて大それた理由なんてなくてもいいさ。ただ俺は…君といっしょにいる時間が愉しかったんだ。 だから、レナ。出来ることならもう一度、俺は君と――) ゆっくりと、目を開ける。とても穏やかな気持ちだった。 「レナ…」 観客席に視線を移すと、相変わらず虚ろな眼差しのレナがいる。 (君にしてあげられることは、最初からひとつだった…。すごく簡単なことなのに、何で俺はこんなに悩んでいたのかな) 異世界での旅を終えて還って来たバッツに、迷いはなくなっていた。 (待っててくれ、レナ…!今すぐそこへ行くからな!) 「よそ見してんじゃねぇよっ!」 と。バッツの思考はそこで途切れる。 最も近い場所の、本来ならば最も目を向けておくべき相手の怒号で。 どうやら彼は、すっかり忘れていたようである。ここに、もうひとつの“決戦”があったということを。 「――へ?」 微かな風圧を感じ、反射的に振り向いたその視界へ、拳の影が飛び込んでくる。右斜め45度、ベストな角度からのえぐり込むような一撃。 しかもファリスの目つきたるや、狂戦士並にマジだった。 (ク…クリスタルのヤツらッ…!いくら元の世界、元の場所、元の時間に戻すとか言ってたけど、何も“この瞬間”じゃなくたってぇぇぇ〜っ!!!) ぐぉぎゅる…! 一際高い喚声に埋め尽くされた舞台に、鈍い擬音が響き渡る中。もんどりうって転がりつつ恨み言をぶちまけるバッツの意識は、あっさりブラック・アウトしていった…。 ヒンヤリ冷たい感触で目が覚める。靄が掛かっているようではっきりしない眺めだが、おそらくここは何処かの部屋。 「――痛ッ…!」 朦朧とした意識を奮い立たせるつもりで僅かに首を傾けたのが裏目に出た。 一瞬だけ激しい痛みの後は、鈍痛が顔中を侵食する。少し耳鳴りもして、終いにはじんじんという音まで聞こえてきた。 「も〜…バッツったら、何をぼ〜っとしてたのよー?」 呆れ果てた少女の顔が彼を覗き込んでいる。 「……クルル、か?」 少しでも口を動かすと更なる痛みに襲われ、バッツは堪らず顔をしかめた。 「まったくぅ…。ちょっとくらいは避けるとか受けるとかって努力しなよね〜」 クルル、と呼ばれた少女は持っていた氷嚢を渡しながら、正面に回ってじゃがみこんだ。 (避けられるもんなら避けたかったよ…) 身を起こし、密かに突っ込むバッツ。もちろん、クルルには届くはずもない。 「…ところで、ファリスは?」 バッツは淡い期待を抱き、狭い部屋を見回した。彼がKOされてしまったことで、試合は幕を閉じたのだろう。辺りはしんと静まり返っている。 「海賊のアジトに帰ったよ」 間髪容れず、クルルから無情な答えが返ってきた。 「もしかして、レナにも会わずに…か?」 「…うん。レナはレナで部屋に閉じこもっちゃってさ」 うすうす予感はしていたが、バッツはがっくり肩を落とす。 「……何だよ、あいつ。意地ばっかり張って。本当のことを言えば、レナだって解ってくれるのに」 バッツの微かな呟きを、クルルは聞き逃さなかった。 「本当のことって、何?」 「ああ…」 興味津々の眼差しを向けられ、曖昧に頷く。別に隠していたわけじゃないけれど…。 『これがおれに出来ること…いや、おれにしか出来ないことなんだ!だから、城には戻らない!』 旅先でファリスト会った時、彼女の口から洩れた言葉を思い出す。 (でもな、ファリス。レナは追い詰められていたんだ…) 「…なぁ、クルル。ファリスは何で海賊を続けてると思う?」 クルルの問いには答えず、逆に訊いてみた。 「何で…って、海賊のみんなのためでしょ?」と、彼女はやや困惑気味に答える。 「それもある…。けど、本当の理由はな――」 「……そうだったんだ」 一通り、バッツの話を聞いた後、クルルは感慨深げに深い溜息を吐いた。 「ファリスはファリスでちゃんとレナやタイクーン城のことを考えていたんだね」 「だけど、結果的にはそれが裏目に出ちまったし…。ファリスのヤツ、ちゃんと解ってるのかな」 「解ってるみたいだよ」 「……え?」 予期せぬ答えに、バッツはのろっと顔を起こす。 「そのファリスからさ、伝言預かってるんだもん!」 きょとんと首を傾げるバッツに、クルルは「んふふ♡」と、意味ありげな含み笑いを浮かべた。 がちゃり。 ノブを回す音がして、ゆっくりと扉が開く。 振り向かなくても、誰なのかはすぐに分かった。タイクーン王女レナの部屋に、ノックもなしに入って来れる男性は、父親であるタイクーン王亡き今、一人しかいない。 「いやぁ…参ったよ、レナ。思いっ切り負けちまった」 バッツは決まり悪そうに苦笑しながら、背を向けたままのレナに近付く。 顔の腫れは完全にとはいえないまでも、少しはマシになっていた。もっともそれは、ここを訪れる前、『それじゃあ顔にりんごがくっついてるみたいだよ?』と、クルルが冷やかし半分に渡してくれハイポーションのおかげなのだが。 「……痛い思いさせてゴメンなさい。また、迷惑かけちゃったね」 虚ろに呟くドレス姿のレナ。彼女の視線は窓の外を飛び交う小鳥たちにぼんやりと注がれている。 「馬鹿みたいでしょ?こんなことしてみたって、私はもう、あの輪には加われないのにね」 自嘲とも皮肉ともつかない言葉。久々の再会が重苦しくなる。 二年前までの前向きなレナを知っている分、バッツは少なからずショックを覚えた。 それでも気を取り直し、 「レナ、聞いてくれ。実は、ファリスはな――」 「タイクーン城にモンスターの残党や悪い海賊たちが押し寄せてこないよう、毎日海やあちこちの街で睨みを利かせているんでしょ?」 「!」絶句する、バッツ。 「驚くことじゃないわ。私はタイクーンの王女だもん。国の周りの情報なんて、黙ってても全部入ってくるの」 レナは肩越しに振り向き、乾いた笑いを浮かべて告げた。 「――本当は全部、分かってた。姉さんの、気持ち。 姉さんは外で、私は中で…タイクーンを護ってるんだって。 でもね…私は忘れられなかった。あなたやみんなと旅した時間、全てが。 自分は本当はどうしたいんだろう…って。ここではいくら考えても出ない問い掛けばかりしてた。…心細かったの。とても。そんな時に姉さんが帰って来た。 姉さんも戦いの日々で大変なんだろうって思うけど、私より充実してる感じがした。それがすごく羨ましくて、気が付いたら八つ当たりしてた…。 姉さんは“王女”を私一人に押し付けてる…って」 バッツは黙ってレナの言葉を聞いていた。小刻みに震える肩が、何だかとても頼りない。 そっと手を乗せ、引き寄せる。レナはゆっくり振り向いて、そのまま彼の胸にもたれ掛かった。 「……でも、仕方ないよね」 しばらくの時間が過ぎ、彼女の口から洩れた呟きは、諦めさえ含んでいた。 「私は今まで“王女”だったし、これからもずっと“王女”でいなきゃらならいんだし…。 もう、いいんだ。――ゴメンね、バッツ。話…聞いてくれて、ありがと」 そして、自分から身を引き剥がす。どんなに望んでも叶わぬ願いがあることを、彼女は知っている。本当なら、目の前の青年にすがり付いて泣き喚いていたかもしれないけれど、そうさせない自分がいた。『レナ・シャーロット・タイクーン王女』の心が…。 「――旅に出ようか、レナ」 不意に聞こえたその囁きは、頑なに固まってしまった王女レナの決意を根本から覆すものだった。腫らした瞼を開けると、差し伸べられた右手がある。 「行こう!風が、呼んでる」 「バッツ!どうして…?!」レナはふるふると首を振り、視線を逸らした。 ゴブリンに襲われ、初めて助けてもらった時のように、その手につかまれば楽になれる。 「ダメよ…っ!」 ともすれば、その誘惑に飛びついてしまいそうな自分の弱さを必死で自制しながら、彼女はバッツの右手を振り払った。 「私はここを離れるわけにはいかないの!あなたにも分かるでしょ?!」 「じゃあ…さ」 今度はバッツも戸惑うことなく悠然と、行き場のなくなった両腕を頭の後ろで組む。 「ファリスが王女役を代わってくれるって言っても?」 レナは彼が口走った言葉の意味を理解しかね、のろりと顔を起こしただけ。 「ファリスが、王女に、なってくれるとしたら…」 「ウソ!」 バッツがみなまで言う前に、レナは猛然と食って掛かった。 『淡い期待はもう要らない』と。彼女はたった今、そう決意したのだ。 再び決意が揺らいだら、もう、立ち直れそうに…ない。 「本当だよ」 きっぱり答えたバッツの顔は、吐息を感じるくらいの距離にあった。 「それに、俺の気持ちもな」 雲ひとつない、突き抜けるような空の碧。彼の瞳は真っ直ぐで、真実だけを告げている。 「何のために旅をしてるか、俺はずっと考えてた。そりゃあ昔は『世界を見て回れ』っていう親父の遺言があったからなんだけど、最近一人でいる時に、よく思うことがある」 「何…?」おずおずと、レナが訊く。 「景色をな、探してたんだ」 「けしき…?」 「ああ」バッツは深く頷いて、レナの手を取った。 「ガラフの世界と合体してさ、この世界の景色もずいぶん変わったんだぜ? 俺は今まで長いこと旅をして、あちこち見て回ったつもりだったけど、こうなるとまた一から見直さなくちゃならないみたいでさ。出掛けるたびに毎回違う景色と出逢う。 夜明け前の空が不気味なくらい真っ赤だったり、夕焼けに映えた飛竜想の紫がすごく幻想的だったり、虹なんてどこに出るかで表情が違ってて面白いし、抜群に綺麗なんだ。 そういう景色をさ、独り占めしないでレナにも見せてあげたくなる。 これを見たら、レナはなんて言うだろう…って、いつも考えてるよ。無意識のうちにさ」 バッツは風のように爽やかな微笑みを浮かべて言った。 「バッツ…」虚ろだったレナの瞳が、微かな輝きを帯びてくる。 「最初の旅は戦いばっかで慌ただしくて、ゆっくり景色を眺めてるヒマもなかったけどな、のんびりした旅ってのも、結構楽しかったりするんだぜ?」 バッツはどこぞのシッポ少年のように、大げさな身振り手振りで話を膨らました。 「そう…なんだぁ…!」つられてレナも、乗り気になる。 「でも、本当に姉さんが王女を?」 とはいえ、やっぱり半信半疑だった。ファリスはタイクーンの第一王女である前に、海賊のお頭だ。海賊であることに確固たる自信と誇りを持っている。その性分は、彼女と一緒に旅をしたものなら誰だって熟知しているはず…。いくら妹のためとはいえ、彼女の人生そのものといっても過言ではない“海賊”を捨てるとは思えない。 「う〜ん…」 核心に迫る問いだったせいか、バッツの勢いが削がれた。 「それがな…」と、決まり悪そうに口ごもる。 レナの顔が、さっと曇った。 (やっぱり私は自由になれないの…?) 何やら考え込んでいるバッツを前にし、彼女は再び絶望感に打ちひしがれる。 「――半年間、なんだって」 「……は?」 思いもよらぬ一言にレナは我が耳を疑いつつ、まじまじとバッツを見上げた。 「クルルから伝言なんだけど…」と、バッツはもったいぶった咳払いをひとつして。 「『おれがドレス着て王女様なんてハズカシイことやってられるのは半年が限界だ!だからそれまでに帰ってこなかったら…ぶっ殺す!』――だ・と・さ」 レナの視線を受け、バッツはにっと口の端を吊り上げる。 『……』 じいっと見つめ合う、二人。そして、緊張の糸はあっさりほぐれた。 『ぷっ…!』 どちらからともなく吹き出し、きゃらきゃらと笑い転げる。 「な、何それ〜!姉さんらしすぎ〜っ!」 「だろ?でも…」 久しぶりに見たレナの明るい笑顔が、バッツにはとても愛しかった。 気持ちが和んだところで、改めて問い掛ける。 「俺はその時間だけでも、レナと一緒に旅がしたい」 レナはさすがに気恥ずかしくて、俯いてしまった。けれど、すぐに上目遣いでバッツを見つめ、くすっと笑って右手を差し出す。 「うん。よろしく、ね♡」 バッツはレナの手を取って、力強く頷いた。 「ねぇ!まずはどこに連れて行ってくれるの〜?」 ふっかふかの羽毛に顔を埋め、レナが叫ぶ。 「そーだな〜…」バッツは少し考えて、 「じゃあ、クリスタル巡り…ってのはどうだ?」 ぎゅっ! 「わわっ?!」 答える代わりにしがみつかれ、大きくバランスを崩した。レナは、ころころと笑っている。チョコボのボコつられて一際大きく鳴いた。 バッツが慣れた手つきで手綱を捌き、スピードを上げてゆく。若き二人と一羽のチョコボがこれから織り成す物語の行く末は、たぶん誰も知らないけれど。 探求は風に叡智を乗せて――またひとつ、新しい旅が始まった。 〜FIN〜 |
紫阿
2004年06月05日(土) 18時56分39秒
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この作品に寄せられた感想です。 | ||||
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とうとう終わりましたね。実は前回エピローグみたいなのないかなあって思っていたのは偶然ですかね(笑) そこのところも読む人のことを考えているのかなあとか思ったり。 |
50点 | わた | ■2004-06-05 21:40:50 | 218.47.213.194 |
ついにエピローグを迎えてしまったッス!(泣)それぞれのエピソードに、感動したッス!ぐッと来たッス! もらってもいいッスか!(嬉涙)こちらこそ、ありがとうッス!また、こういう小説書いてほしいッス!(←ワガママ言うな。) |
50点 | うらら | ■2004-06-05 20:18:54 | 210.198.102.95 |
合計 | 100点 |