ファイナルファンタジーシリーズ:FF物語(8) |
〜集結〜 カオスの神殿――朽ち果てた外壁と雑草だらけの中庭。半ばからぽっきり折れた柱。それらをびっしり覆う苔。目に見える状態全てがあの時のままなのに、神殿全体を包み込む禍々しいオーラは、よりいっそう増している。 ほんの数日前も四人はここを訪れて、こうして神殿を眺めていた。 あの時は考えもしなかった。もう二度と来るはずのない場所に、再び足を踏み入れる日が来ようとは…。ここでガーランドを倒したのが、ずいぶん遠い昔に思えた。 ガーランドを倒した瞬間、幕を開けた四人の旅。それが今、終わろうとしている。 思えば全ての始まりだった、この場所で。 だが、今日の天気はあいにくだった。雷を含んだ暗雲が空一面を覆い隠し、朝日は地面を照らさない。まるでこれから得体の知れない敵と相対する四人が心に抱く不安を、そのまま映し出した空模様である。 「…ったく、ついてねェの!おてんとサマにもそっぽ向かれるなんてよ〜」 不穏な空気を振り払うように空元気を奮い立たせ、ジタンが足を踏み出そうとした瞬間。 バリバリバリバリッ…!ドガシャーァンッ!!! 強烈な閃光が暗雲を分ち、次いで凄まじい轟音に大地が揺らぐ。四つの稲妻が柱となって足元に落ち、直後――辺りは真っ白く染まった。思わず目を伏せる、四人。 「…ふぇ〜っ!危機いっぱ――…!!!!」いち早く顔を上げたのは、ジタン。 だが、次の瞬間。彼はいつものような軽口を叩くことが出来なくなる。 目の前に立ちはだかる四つの影。信じられない…いや、信じたくない。 異変に気付いて他の三人もその視線を追うように目を向け、彼と同じく凍り付く。 『久しぶりだな、光の戦士諸君』 カタカタカタ…口が言葉を発する度、剥き出しの歯と歯が洩らす乾いた響き。 『うぬらに受けた屈辱の数々、決して忘れまいぞ!』 しゃらん…しゃらん……三対の刃が擦れ合って聞こえる耳障りな金属音。 『ワレラ ソノウラミハラスベク、ジゴクノフチヨリ ヨミガエッタ…』 ぬちゃっ、ぬちゃっ…生々しく蠢く十本の触手。 『あはん♪ずいぶん驚いてるようじゃない?このボーヤたち』 『しかし、言ったはずですよ?全ての“終わり”は“始まり”に繋がると』 『そう、最初から儂らには“終わり”など無かったのじゃよ』 『それじゃあ、第二回戦…行ってみよぉ〜っ☆』 首に宿った人格たちの人を食った物言い。薄く哂う六つの口。四人に注がれる十二の眼差しが、妖しい煌めきを放っている。 土のカオス・リッチ 火のカオス・マリリス 水のカオス・クラーケン 風のカオス・ティアマット 彼らの前に立ちはだかる四つの巨体。確実に、倒したはずの…。 対峙の瞬間。迸る戦慄。死闘。そして得た勝利――ひとコマひとコマの映像と共に、トドメを刺した瞬間の手応えが、まだリアルに残っている。 それらが紛うことなき現実の出来事だったのならば…今、目の前に広がるこの光景も幻などではなく、未だ覚めやらぬ悪夢なのか。 「――ウソ…だろォ…?な、何で…?」 硬直したまま、バッツはやっとそれだけの言葉を喉の奥から絞り出す。 『ククク…再び我らの姿を目にして驚いているのかね?光の戦士ともあろうものが』 余裕の笑みを浮かべるティアマット。悪趣味にも絶望と困惑に打ちひしがれた四人の反応を愉しんでいる様子。 「お、お…い…。オレたち…倒した…よな?」 ジタンはまだ現実を受け入れることが出来ず、よろよろとカオスたちの前に歩み出て尋ねた。普通なら、正気の沙汰とは思えない行動だが、咎めるものは誰もいない。 「何故…どうして、彼らがここに…?」 さっきから、その問いばかりが頭の中をぐるぐる駆け巡っている。 『カカカ…。我らには“あの方”が付いている。従って、真の敗北は有り得ぬのだ』 例によって歯をカタカタ言わせながら、リッチがせせら笑った。 「あの方…?カオスって奴かっ…!」 『ほほほ!威勢のいい坊や、お喋りはそこまでじゃ!あの時の礼、たっぷりさせてもらうぞえ!』 食って掛かったクラウドの前に、炎の雨が降り注ぐ。身をよじって躱し、彼はとっさに剣を抜いた。だが、その顔色は冴えない。 マリリスの言葉を皮切りに、四体のカオスたちは一斉に戦闘態勢を取る。 「じょ…ジョーダンきついぜっ…!一体ずつでも苦戦したってのによ!」 クラウドの右側を固めつつ、ジタンが呻く。口には出さなかったが、彼もまったく同意見だった。弾かれたように、バッツとティナが走って来る。 正面から睨み合った光の戦士とカオスの間に奔る戦慄。図式的には四対四の互角。理屈では、そうだ。…が、いかんせんウェイトに差がありすぎる。 ばちばちっ…ばちぃぃぃーん!!! ティアマットの三段ブレスが大地を焦がす。 べきべき…ばきぃっ! クラーケンは十本の触手で手当たりしだい辺りの木々を薙いでいき、 ごおおっ! 次の瞬間、マリリスが放った怨念の業火で焼き尽くされて墨と化す。 『ブリザガ!サンガーッ!!!』 更に、リッチの魔法も格段にランクアップしていた。 四人はそんなカオスたちが放つ攻撃の四重奏を避けるだけで精一杯。 『フォフォフォ!ドウシタ?ニゲテイルダケデハ ハナシニナランゾ!』 「おいおい、こいつらまさか…前より数段パワーアップしてンのか…うわっ?!」 容赦なく打ち下ろされる触手を掻い潜りながら、ジタンが悲鳴に近い叫びを上げた。 「ジタン!プロテ…!」 『そうはゆかぬぞ、小娘!』 触手の余波で吹っ飛ばされたジタンに向けたティナの防御魔法は、寸でのところでマリリスに弾かれる。どうやら向こうもこちらに負けないチームワークを持っているようだ。 おまけにこんな開けた場所では身を隠し、隙を窺う場所もない上、逃げることも不可能。目的地であるカオスの神殿まで駆け抜けることすら、彼らががっちりバリケードを組んでいる以上、無理だろう。 「ちっくしょうっ…!ここまで…ここまで来てッ…!」オレたち、こんなところでくたばっちまうのかよっ!」 傷付いた身体を抱き、絶望的な気分に打ちひしがれて絶叫するジタン。 『ファファファーッ!絶望を胸に死ぬがよいわッ!!!』 頭上に迫る、リッチの大鎌。ジタンは全く避けようとしなかった。生気を失った虚ろな瞳に、大鎌の妖しい煌めきが映る。一瞬後には、間違いなく身体を両断されているだろう。 『ジタンーーーーーーっ!!!』 仲間の悲鳴を意識の隅に捉えながら、ジタンの目はまるでスローモーションのようにゆっくりと迫る刃を追っていた。 (死ぬ前ってのは、やけに周りの動きが遅く感じられるっていうけど…本当なんだな) 恐怖よりもぼんやりとそんなことを考える自分が、何とも滑稽で苦笑してしまう。 その、刹那。夢か幻か――瞳に映った大鎌のシルエットがフッと消えた。 「ジタン!諦めるなんてあなたらしくないんじゃない?!」 気丈な一喝と、自分をかばって目の前に立ちはだかる人影を見た時、ジタンは我が目を疑った。 「――ダ…ガー?」 「もおっ!しっかりしてよね!この戦いが終わったら、あたしを迎えに来るんでしょ?!」 風に翻る純白のマント。錫杖がしゃらんと澄んだ音を立てた時、彼の意識は完全に覚醒する。覚醒したと同時に、どくんと心臓が高鳴った。 「何ぼんやりしてるのよ、さ!立って!」 「セ、セーラ…その、髪――」 ジタンの目線は王族御用達の雅な女性用アーマーより、純白のマントより…彼女の肩の辺りでばっさり切り揃えられたブルーの髪に注がれている。 「…あ、これ?切っちゃった。前の長さじゃ戦いには不向きでしょ?」 セーラ王女は悪戯っぽくウィンクし、彼の手を引っ張って立たせた。 「ん?どしたの、ジタン。あたしの顔に何か付いてる?」 顔を覗き込まれてジタンはかあっと紅くなる。きょとんとした表情のセーラ。彼女はもちろん、彼が髪を切った自分の姿にもう一人の女性を重ね合わせたことに気付いていない。 (……参っちゃうな、どーにも) 照れと懐かしさが相まって、内心複雑な気分である。それでも自分を助けてくれたセーラには、精一杯の笑顔で応えた。 「いや、サンキュ!それと…似合ってるぜ、その髪形!」 「うん!ありがと!」と、セーラもはにかむ。 『うぬっ…!誰かと思えばコーネリアの王女かっ!』 「ガディア!」 『ぐあっ!』 どうやらさっきもリッチはセーラの対アンデッド用浄化魔法でダメージを受けていたらしい。体勢を立て直し、さっきにも増して猛然と襲い掛かってくる。 それをセーラが再び追撃魔法で撃退し、リッチはまたしてもよろめいた。 「だけどセーラ、いいのか?こんなところに来ちまって…」 「なに言ってるの!」 ジタンの言葉を遮り、彼女はびッと人差し指を突きつける。 「あたしはあたしに出来ることをしに来ただけ。コーネリアの王女としてね。 昨日の夜、あなたに言われたでしょ?それでやっと気付いたの。護られてるだけじゃ何も始まらない。今度はあたしがみんなを…大切なものを護る番! そうよ!白魔法だってこういうときのために覚えたんだもの!」と、気丈に微笑んで。 「ん!そだな。それでこそ“王女”だぜ!」 その真っ直ぐな瞳を、今度はしっかり受け止めるジタン。――と、その時。二人の時間を引き裂くように不吉な黒い影が視界を埋め、サッと顔色を変える。反射的にセーラの手をつかみ引き寄せようとした。が、彼女は何故か動かない。 「セーラ、危ないっ!セーラ!…セ、セーラ…?!」 焦るジタンに、彼女は力強い微笑を投げ掛ける。 「大丈夫!そう思ってるのはあたしだけじゃないから」 ザーッ! さながらそれは雨の如き…いや、まさしく“雨”の音だった。ジタンとセーラの頭上を越えて、幾千幾万本も降り注ぐ、火矢の雨。空は一瞬で真っ赤に染まり、セーラの向こうでリッチは炎に包まれ、苦しみ悶えている。 思いもよらぬ光景に、ジタンは呆然とセーラを見つめた。彼女は笑みを湛えたまま、しなやかな指で、すいっと彼の後ろを指し示す。 『光の戦士さま〜!』 『カオスを倒せっ!カオスと倒せっ!』 『この世界は貴様の好きにはさせないぞぉ〜っ!』 幾重にも重なった喚声と怒号の嵐。大地を揺るがす馬の蹄は、一頭や二頭ではない。 ジタンはゆっくり振り向いた。視界を覆う、土煙。その、向こうに。 馬を駆り、弓を構え、剣や槍を振り翳す人の群れが浮かび上がっていた。 「みんなの心はひとつなの。この世界を護りたいって!」 セーラはジタンの耳元でそう囁くと、コーネリア兵の前にずいっと歩み出、凛とした声を張り上げる。 「さあっ!みんな!今こそわたくしたち、コーネリアの底力をカオスたちに見せ付けてやりましょう!そして、光の戦士の進むべき道を切り開いて差し上げるのです!」 『オオーッ!!!』 『セーラ王女、ばんざーい!光の戦士、ばんざ〜いっ!!!』 「さっ、ジタン!あたしたちがカオスを引き付けている間に早く神殿へ!」 兵士たちの士気が最高潮に達したのを見届けて、セーラはジタンの腕を引っ張り、走り出そうとした。だが、相手は曲がりなりにもカオスの一人。そう簡単にことを運ばせてはくれなかった。 『この虫ケラがァァァーーーーーーーーーーーーッ!!!』 足元に落ちた昏い影をいち早く察したジタンが、セーラを大地に押し倒す。 ザクザクザクッ! 彼女を抱えたまま、ジタンは地面を転がった。それを追いかけるように氷柱が降り注ぐ。 「――ちっ!どーやらそう簡単には行かせてくれそーもないぜ!なんたって相手は腐っても土のカオスだからな」 辛うじて氷柱の洗礼を逃れ、セーラを後ろ手にかばいながら身構える。軽口を叩くその顔に、不敵な笑み。セーラの喝とコーネリア兵の声援は、喪失した彼の戦意を再び燃え上がらせるのに、十分な効果を発揮した。 一方、度重なる横やりにすっかり理性を欠いたリッチは、怒りに任せてめちゃくちゃに魔法を乱発している。それに加え、炎に焼かれてぼろぼろになった紫の衣から覗く肋骨と、怨念でぎらぎら輝く深紅の眼窩が今までにも増して異様な不気味さを振り撒いていた。 勢い勇んで立ち向かったコーネリア兵も、この世ならざる異形の魔物を目の当たりにし、すくみ上がっている。 「…っのヤロォ」 こうなるともう多勢に無勢とはいえ、こちらは生身の人間。カオス相手では、やはり分が悪い。ジタンも攻めあぐねてぐっと唇を噛んだ。 『クワァーッファファファーッ!どうしたどうした?ニンゲン共よ!どんなに寄せ集まったところで所詮はムシケラ!貴様らの力など、このリッチ、恐るるに足らず!』 リッチは狂ったように暴れている。手にした大鎌で辺りの森を薙ぎ払い、サンガーで地面を抉り…しかし、そんな彼の傍若無人もぶりも長くは続かなかった。 突如現れた巨大な影が暴れまわるリッチの前に立ち塞がり、物凄い力で組み伏せる。 『何…ッ?!』 大地にしたたか叩き付けられ、リッチは驚愕の呻きを洩らす。 『ふんっ!思い知ったか、死神め!』 「――きょ、巨人さん?!」力強いその声に、ティナが駆け寄って来る。 『よぉ!娘さん、無事だったかい?!』 ティナの目に映っているのは、間違いなく巨人の峠で出会った、あの巨人だった。彼はリッチの腕をねじ上げたまま、豪快に笑う。 「巨人さん、どうして?」 唖然としてその雄姿を見上げるティナ。巨人は彼女にぎこちなく微笑んでみせ、ちょっと照れ臭そうに答える。 『こいつにこれ以上、大地を腐らせるわけにはいかないし…何より、あんたの優しさに報いたかったのさ!まァ、海を泳いで来たからちょいと時間は掛かっちまったけどな!』 見れば、巨体から滴り落ちる海水で、足元に池のような水溜りが出来ている。 ティナは、くすっと笑って手を振った。そんな彼の一途な気持ちが何よりも嬉しくて。 けれども、いいようにあしらわれて黙っているカオスたちではない。 『おのれぇっ!汚らわしい巨人族めぇっ!』 ヒステリックな女の声は、ティナの背後から響き渡った。反射的に振り向いた彼女の表情が、はっと強張る。 「巨人さぁーんっ!逃げてぇっ!!!」あらん限り声を振り絞り、ティナは叫ぶ。 だが、三対の手に六本の大刀を振り翳し、執念の蛇女マリリスは、もう巨人の目と鼻の先まで迫っていた。大きく目を見開く巨人。 『ほほほほっ!気付くのが遅かったようだね!』 六本の刃が交差する。それらが振り下ろされてしまったら、巨人の巨体でも確実になますと化すだろう。ティナは思わず目を覆ったと同時に。空が、一面の蒼で染まった。 ザザーッ! おそるおそる顔を上げたティナの視界に飛び込んできた光景は、哀れ無数の矢の的となったマリリスの姿だった。しかもそれは先ほどの火矢ではなく、マリリスが苦手とする氷の矢で、コーネリア兵がいるところとは逆方面から飛来してきた。 「みなさ〜ん!お怪我はありませんかぁ〜?!」 氷の矢の向こうで、この場には不釣合いな幼い子どもの声が響く。 「――ア、アルス王子!それに、エルフの皆さんも!」 一番最初に声の正体に気付いたのはセーラ。すぐさま駆けて行き、とんがり帽子軍団の先頭でにっこり笑っていた少年の手を取る。 「あの〜、私もみなさんにお世話になったお返しをしたくって…。エルフ族は弓が得意だから、きっとお役に立てるのではないかと思って…」 アルス王子の口調はイマイチ緊張感に欠けるのだが、その志はコーネリアの兵たちと一緒なのだと思うと、セーラの胸は熱くなった。 「ありがとう、アルス王――きゃっ!」 ばしゅっ! 感謝の想いでアルスの手を握り締めた時。二人の側で火の粉が散って、彼女は反射的に目を閉じた。アルスはきょとんとしていたが、自分の前に立った人影を見た瞬間、嬉しそうに微笑んだ。 「アレク!」 「はいはい、王子。お怪我はありませんか?」 アレクことアレックス。代々エルフの王族に忠誠を尽くし、仕える者。 彼はマリリスが苦し紛れに放ったファイヤーボールを、手にした長剣で片っ端から振り払いつつ、セーラに近付き優雅に一礼。 「王子は言い出したら聞かないんです。危なっかしくて目が放せないでしょ…っと!」 ばしゅっ! 次の瞬間、目にも留まらぬ早業でファイヤーボールを斬って捨てた。 「アレックスさん…!」 「何をしているんです、セーラ王女!早く王子を連れて安全な場所まで退いて下さい!」 アレックスは剣を振るいながら、切羽詰った声で怒鳴った。彼の叫びに呼応するかのように再び降り注ぐ氷の矢が、次々とファイヤーボールを撃墜してゆく。 「うわたたたっ!すげぇけどっ…こんなにたくさんの氷の矢、一体どーやって?」 辺りには氷と炎のぶつかり合いで生じた水蒸気がもうもうと立ち込め、皆の視界を奪っていた。ジタンは戸惑うセーラたちの手を引っ張って行くが、水蒸気の幕に覆われて右も左も分からない。あちこちで、コーネリア兵やエルフたちの叫び声がしている。 (やばいな、これじゃ戦うどころじゃ…ん?) だが、その心配は突如巻き起こった一陣の風と共に、一瞬で拭い去られた。 いきなり視界が開けて唖然とするジタンたちの上に、スゥと被さる黒い影。それはだんだん大きくなって、ふわりと目の前に舞い降りた。 「――グ、グゥエイン…グゥエインなのか?!」 影の正体を認識してジタンは歓喜の声を上げ、ブルードラゴンの巨体に駆け寄る。 『やあ!久しぶりだね、ジタン!』 数日前、バハムートの試練によって傷付いたはずの彼が、すっかり元気を取り戻し、ジタンたちの姿を見下ろしている。ドラゴンというものを初めて見るセーラはもちろん驚いていたが、ジタンとティナもあまりのタイミングの良さに幻覚でも見ているんじゃないだろうかという気分で顔を見合わせていた。 「念のために言っときますけど、幻覚なんかじゃありませんよ!」 と、その杞憂を見透かすような声が人影と共に頭上から降ってきた。 「ドーガ…?ドーガじゃないか!」 「どぉも♪」 ドーガは今まで身を預けていたグゥエインを見上げ、びっと親指を立てる。それから、いつも通りのにこやかな笑みを浮かべて、ジタンたちの側に歩いて来た。 「ドーガさんとグゥエインさんは、私たちに力を貸してくれたんですよ!」 ジタンの後ろから、アルス王子が嬉しそうに笑う。 「力を…?」 『あの氷の矢、ボクのコールドブレスで造ったんだ』 きょとんとするティナに、グゥエインは得意げに胸を反らして説明した。 「ここは任せて下さい。大丈夫、こいつも結構、成長したんですよ!」 ドーガの言葉にアルス王子とグゥエインが頷く。三人の笑顔は、ジタンたちにとって何より心強いものだった。 「ああ。ホントに助かったぜ!」 感謝の印に右手を差し出す。ドーガもそれに答えようと黙って右手を伸ばした。 ヒュンッ…! その時、風を切って飛来した何かが触れ合おうとする寸前の二人の指先をかすめて過ぎ、足元の地面に突き刺さる。 「痛ッ…!」 触れてはいないがあまりにも鋭い風圧だったので、ジタンの指先は少しばかり血が滲んでいた。 「ったく、一体なんな……!!!」 文句たらたらで飛来した“物体”を見定めようと目を落とし、そのまま絶句。向かいのドーガも“それ”の正体に気付き、すでに顔面蒼白である。 向かい合って立つ二人の真下、大地に深々と刺さる剣先を見れば、誰だってそうだろう。紛れもなくそれは、半ばからぽっきり折られた大剣の鈍く光る刀身。 もし、あと一瞬、握手のタイミングが早ければ……。 ぞわ〜…。 二人の背中に、冷たい汗が吹き出たのは言うまでもなかった。 「――だだだだだ…誰でぃっ?!」 ずざざぁーっ! 上ずった声で叫ぶジタン。立ち尽くすドーガ。その間に、土煙を上げて滑り込む人影。 「くっ…!何て馬鹿力だ!」 クラウドはそんな彼らのことなど目に入らない様子で呻いた。肩で荒い息を吐きながら、ふと自分の手元に目を落とす。無残にも、彼は柄だけになったディフェンダーを固く握り締めていた。 「フンっ…!」 自嘲気味に呟いてそれを投げ捨て代用品はないかと辺りを見回すが、散らばっているのは折れた矢や槍ばかりで、彼の期待に応えられそうな獲物は無かった。 『フォフォフォ!ヒカリノセンシ、オソルルニタラズ!』 不快感を催す粘ついた声が、そんな彼を嘲笑うかのように頭上で響く。 クラウドはキッと顔を上げ、声の主を睨んだ。魔晄に染まった深いグリーンの瞳が、心なしか強い光を帯びてくる。感情の、高まり。 水のカオス・クラーケン。海底神殿にて死闘を演じた巨大イカの化け物。彼が武器とする十本の触手は、以前にも増して強く硬くなっていた。攻撃はもちろん、盾の性質も併せ持つディフェンダーですら、粉々に砕いてしまうほどに。 「ケッ…!厄介な相手がさらに厄介になって帰ってきたってわけかよ!」 クラウドを攻め立てようとしていたジタンも、さすがに今の状況を察し、身構えた。 『フォフォフォ!ドンナコウゲキモ オレサマニハ ツウジナイノダ!』 余裕たっぷりににじり寄ってくるクラーケン。陸地という地形のため、水棲系モンスターである彼の移動速度はいまいちだが、十本の触手のパワーはそれを補って余りあるもの。 迂闊に踏み込めばディフェンダーの二の舞だ。クラーケンは触手を地面に叩き付け、威嚇している。その衝撃で飛び散る石や小枝も、ちっぽけな人間にとっては脅威だった。 「これじゃあ、近付けないな…」クラウドが悔しそうに歯噛みする。 『大丈夫、ボクに任せてよ!』 言い放って、グゥエインはクラーケンの前にずいっと立ち塞がった。彼は思いっ切り息を吸い込んで、得意のコールドブレスをお見舞いする。その一撃で、クラーケンはあっさり氷漬けになった。 『やったね!』 グゥエインはご機嫌だ。しかし―― ビシッ…びきききぃっ!グワッキィィィーーーーン!!! クラーケンを覆った分厚い氷は、鋭い音を響かせ一瞬で砕け散っていた。 『フォフォフォ!バカメ!ミズノカオスニ レイキガツウヨウスルモノカ!』 飛んでくる氷の破片が頬をかすめ、ドーガの頬に朱の線を刻む。彼は忌々しそうに舌打ちし、顎まで届きつつあった朱の筋をぐいっとぬぐった。 クラーケンは嘲笑も高らかに突っ込んでくる。そろそろ、本気で始末をつけるつもりらしい。グゥエインはといえば、ブレスの効果が無かったことにすっかり意気消沈で、その場から動こうとしない。 「何してるっ?!飛べ!グゥエイン!!!」 ドーガが必死に呼びかけても、戦闘経験の浅い彼に“臨機応変”という単語はまだインプットされていなかった。 「サンガー!」 クラーケンの注意を逸らそうとティナが放った稲妻もパワーアップしたボディには通用しない。クラーケンは数本の触手を天高くしならせ、叩きつける寸前だ。 その時になってようやく我に返ったグゥエインが、はっと息を呑む。視界一杯に広がる触手の束。グゥエインは己の命運を受け止めるかのように、紅い瞳をカッと開いた。 『グゥエインーーーーーーーーっ!!!』 彼を襲うであろう運命を誰もが悟り、悲痛な絶叫を上げる。 ズドォォォーーーーンッ! その凄まじい爆発は、場に張り詰めた空気を一瞬のうちに打ち破る。 全員の視線の先で燃え上がる紅蓮の炎。大地を揺るがす轟音は、立て続けに響いた。 それらは全て、クラーケンの周囲で弾ける。燃え盛るクラーケンは、振り上げた触手で炎を拭い去ろうとしていた。よく見れば、燃えているのは毒々しい紫色のマントだけ。さすがに体表を覆う粘膜までは拭いきれない様子だった…が。 「サンガー!」「サンガー!!」「サ〜ン〜ガァ〜!!!」 バチバチバッチーン!!! 先ほどティナが放った稲妻と同じものが、何本何十本となくクラーケンに降り注ぐ。 『グ…グォォ〜〜〜〜ッ!!!』 さすがにこれは堪えたのか、焼きイカと化したクラーケンはけたたましい絶叫を上げて海に飛び込んだ。 目まぐるしく切り替わる光景に見入っていたクラウドが、ようやく自分を取り戻し、辺りに視線を走らせる。 「おお〜い!旦那がたぁー!」 ザザーン!ザザー…! 波を掻き分け、進む音。“彼”は陸地ではなく、海にいた。 黒地に白で髑髏を染め抜いた模様。船のシンボルである海賊旗をはためかせて。 『ビッケ!』同時に叫ぶ、ジタンとティナ。 「いよぉっ!ジタンの兄貴にティナの姉御!見て下せぇ、生まれ変わったあっしの船を!」 近付いて来た海賊船の甲板で、ビッケは意気揚々と両手を振って叫んでいる。 「魔法の破壊力と火薬の爆発力を融合させて開発した、その名も『波動砲』! こいつを造るために、あっしは魔道士や鍛冶屋の協力を仰いで世界各地を飛び回り……って、聞いてるんですかいっ?!ジタンの兄貴!!!」 彼は船腹に取り付けた幾つもの大砲を指し示しながら誇らしげに説明していたが、真下の光景に気付き、すかさず鋭いツッコミを入れる。 「…え?」ティナもつられて目を落とすと、海岸ではこれまた応援に駆けつけたサラを始めとする人魚たちと、楽しげに談笑するジタンがいた。 「ああっ!会いたかったよ、サラちゃん!愛しい君の顔は一日だって忘れたこと…あ!そこのストレートヘアのコもかっわい〜ね♪名前、何て言うの?…え?エリアちゃんかぁ! 素敵だなぁ〜!オレ、君のサンガーなら食らってもいいよぉ〜!」 『……』 呆気に取られるドーガとティナの横にいつの間にか来ていたクラウド、無言で足元に落ちていたティフェンダーの柄を拾い上げると、手首のスナップを利かせ、投げた。 ゴッ! それは、完全に無防備状態だった後頭部に見事ヒットして、ジタンはあっさり波打ち際に沈む。 「さて…と。すまなかったな、ビッケ。サラ。それに、人魚のみんなも」 静かになったところでクラウドはつかつかと船の下で歩いて行くと皆に声を掛けた。 「何を改まってんですかい、クラウドの旦那らしくもねぇ!」 柄にもなく照れているのか、ビッケはせわしなく頭を掻く。サラもにっこりして、 「そうよ!この綺麗な海をクラーケンの魔の手から救ってくれたせめてものお礼よ!でも、今度は私たちが海を護るわ!この通り、魔法は得意だしね。 みんなっ!今日は今までの雪辱戦だからね!気合入れていっくわよ〜!」 『イェ〜イ♪』 サラの号令で、自慢の尾ひれをばちゃばちゃやる人魚たち。 「それに、海の化け物のこたぁ、海のプロに任せておくんなせぇ!そうだよな、者共っ! あンのイカ野郎に目にもの見せてやろーぜぇ!」 『おお〜ッ!』 負けじと海賊たちも甲板に乗り出し気合十分なパフォーマンスをみせた。 「ふっ…」 クラウドはそんな彼らの様子に一瞬顔をほころばしかけたが、急に眉を寄せる。幾度の戦闘で研ぎ澄まされた感覚が、まだ終わっていないと告げていた。 「ビッケ!左だっ!」 その怒号に和やな雰囲気が消し飛び、皆は緊張の面持ちでそれぞれの持ち場に向かう。 「面舵一杯!急げぇっ!」 海の戦いでは経験豊富なビッケが危険を察知し、素早く指示を出す。 ボコッ…ボコボコボコ……ゴポゴポゴポポ…ザッパーン! 船首が大きく傾いた瞬間に、それは姿を現した。間一髪、あと一瞬遅れていたら、船腹には大きな亀裂が入っていたか、最悪…真っ二つだったろう。 『フザケルナ、ムシケラァッ!コノウミヲ スベル シハイシャハ、コノ…クラーケンサマダァーーーーーッ!!!』 大きくしなった触手で海を割り、クラーケンが咆える。ヌメヌメした皮膚に若干の焼け焦げが残っているものの、水の力を取り入れたらしくダメージはほとんど残っていない。 彼はすっかり逆上して、触手をむちゃくちゃに振り回しながら突進してくる。小さな脳ミソに残っていた理性まで、すっかり吹っ飛んでしまったようだ。 「ちっ…!しぶといヤツだぜ!」 ビッケはクラーケンと間合いを取りつつ波動砲を連続でぶっ放す。しかし、海に入ったクラーケンのスピードは陸地の比ではなく、あっという間に追い付かれてしまう。 「サンガー!」「ファイガ!」「ラスロウっ!」 サラたちも懸命に魔法で応戦するが、ぶち切れたクラーケンの足止めは出来ない。 『コレデ オワリダ!ウミノ モクズトナルガイイ!』 視界一杯を多い尽くす触手に、ビッケの顔から血の気が引いた。 『ビッケ!』 クラウドが、ジタンが、ティナが、ドーガが叫んだ。陸地にいる彼らには、海の上での戦いをサポートする術がない。海賊船は今まさに、触手の餌食となりつつあるというのに。 そしてそれは、一瞬の出来事だった。 ドガッ…!ザパ〜ン! 鈍い衝撃音の後に、派手に上がる水しぶき。それはジタンたちのいる陸地にも届くくらいの津波を呼んだ。何かを察したドーガが、高波の中に目を凝らす。 「グゥエイン!グゥエインだなっ?!」 そこに見慣れた蒼影を発見するまで、長い時間は掛からなかった。 海よりも深い輝きの蒼。始めてみた時、あまりの美しさに心を奪われたブルー。 『ドーガぁっ!』 彼は海面より少し上空で力強い羽ばたきを続けている。ドーガは穏やかな笑みを浮かべて、今にも泣きそうな顔の親友を見つめていた。 『ボクは今まで臆病で、兄さんに助けてもらうばかりだった。でも…ドーガや光の戦士たちと逢って、変わったよ!バハムート様の試練にも打ち勝って、本当の“勇気”を手に入れた。でも…でも、ボクは思うんだ。“勇気”なんて言葉はただのきっかけだって! 怖がってビクビクしてるだけじゃ、きっと何も始まらない!…ホントは今だって、すっごく怖い。怖いけど…とにかく動くんだ!そしたら…“勇気”は後から付いてくるっ!!』 『オノレ!コナマイキナ ドラゴンノ コゾウガ!!!』 『小僧じゃないさ!ボクは、ボクはっ…!バハムート様に“グランド・ドラゴン”の称号をもらったんだぁぁぁーーーーーーッ!!!』 ドガガッ…!ザパ〜ン!!! クラーケンが身を起こしかけたところへ、グゥエインは容赦なく体当たりをブチかます。 『負けるもんか!負けるもんか!ボクは、兄さんみたいな強いドラゴンになるんだ!!!』 水しぶきを全身に受けながら、何度も何度も攻撃を繰り返してクラーケンを何とか海に沈めようとする。ちょっとでも休めば恐怖がぶり返してくるから、その分、必死に。 「――あいつ、無理しちゃってさ…。でも、随分たくましくなったんだな」 それを見守るドーガ、感慨深げに呟く。今まで手の掛かってた子どもが急に巣立って、嬉しいけれど、少し寂しい…そんな想いに囚われた。 「さて、ここはもう大丈夫ですよ。皆さんは早く神殿に!」 けれど今は、ゆっくり浸っている場合じゃない。クラウドたちの方を向き直った彼はいつもの笑顔で言う。 「でも…」と、口ごもるティナ。ちらっと海の戦いに視線を走らせる。 ビッケや人魚たちも戦線に復帰し、海戦は本格的にヒートアップの模様を見せていた。 「彼らの想いを汲み取ってあげてください!」ドーガが厳しい口調で叫ぶ。 「…よしっ!行こうぜ、ティナ!」 その一言でジタンは迷いを振り切って顔を上げ、駆け出した。ティナも今度は躊躇わず、後に続く。だが、クラウドだけは動こうとしなかった。 視線の先に、地面に深々と突き刺さったディフェンダーの切っ先がある。 「くそっ…剣が――!」 そう、彼がいかな実力の持ち主でも、それを攻撃力に変える武器がなければ牙をもがれた虎と一緒だ。そこらに落ちているなまくらな剣でも条件は同じ。 「剣…!わたしのレイズサーベルを使って!わたしは魔法があるから!」 クラウドの懸念を察したティナが、腰に差した細身の剣を抜いて渡す。彼は黙って受け取ったものの、扱い慣れた大剣よりずいぶん華奢な刀身に顔を曇らせたまま。 これでは片手で振り回しても、きっとパワーを持て余してしまうだろう。だが、この際贅沢は言っていられないので、彼は仕方なくそれを腰のベルトに差した。 「――剣…そうか、まだだったんですね…」 そこへ掛けてきたドーガ、独り言のように呟いて彼方の空を仰ぐ。 「急いでくれ、兄さん…!」 その頃、バッツは宿敵ティアマットと死闘を演じていた。死闘…とは言っても、彼は防戦一方である。相対するティアマットのブレスは前にも増した威力になっていた。しかも厄介なことに、六本の首がそれぞれ異なる種のブレスを吐く。 右から炎が来たと思えば、左から冷気。頭上に稲妻が閃き、スピードは遅いが最も危険な猛毒ブレスが顔面を襲う。かと思えば、強靭な尻尾が足を払いに飛んできて…。 いかに身軽なバッツといえど、全身凶器を化したティアマットの攻撃乱舞に体力の限界を感じていた。辺りに逃げ込むような場所は見当たらない。 六つの首による連係プレーは、バッツをカオスの神殿とは反対の方向に、じりじりと追い詰めていった。背後に迫る波の音。海岸まで追い込まれたらジ・エンドである。 (くっ…!このままじゃ…!) 確実に、終わりは近付いて来ていた。寄せては返す水しぶきが足元を濡らし、彼の注意が一瞬、逸れる。 ティアマットには、その一瞬で十分だった。六つの口が、笑みの形に吊り上がる。 『グォォン!』 警報機のような咆哮と共に、炎・冷気・稲妻のトリプルブレスがバッツを襲った。 『ほぉ…。消滅(きえ)ましたねぇ、跡形もなく』 ティアマットが確信した99.9%の勝利はしかし、100%に届かないまま消滅した。 トリプルブレスの爆煙が、すうっと晴れた瞬間に。 『バオル――トリプルブレスの属性を全て防ぐことが出来る、最高位の白魔法…ですか。 なかなか粋なことをやってくれますね…セーラ王女』 セーラは他のカオスに対抗手段が出来たと知るや、すぐさま一番の危険に晒されている人物――バッツの元に駆け付けていた。 「これがっ…、王女として…わたくしに出来る…精一杯のこと…ですもの…っ!」 彼女はティアマットを見据えると、薄くなった防御壁の下で苦しげに喘いだ。 錫杖を持つ両手がわなわなと震え、透き通るような白い手の甲に朱の筋が滲んでいる。 炎・冷気・稲妻を防ぐバリアを張ったとはいえ、それはあくまで並みのレベルの魔法を受けた場合。ティアマットのブレスといえば、城を一つ破壊するほどの力があるのだから当然のダメージだった。 錫杖を握り締めたまま、どっ…と、その場に倒れるセーラ。 「あ〜…いててッ……セ、セーラ王女?!」 ブレスの衝撃で軽く昏倒していたバッツは鈍い音に目を覚まし、彼女を見つけてぎょっとする。 「――バッツ…さん、よかった…無事なの…ね?」 慌てて駆け寄り抱き起こすと、辛うじて意識のあったセーラは弱々しく微笑んだ。 「ゴメン、ちょっと…張り切りすぎちゃった…みたい…」 「ば…馬鹿っ…!無茶しすぎだろ!」 遠くなりかけた意識を奮い立たせ、気丈に振舞おうとするセーラ王女。そういう誇り高き王女の姿を、バッツは前の旅で何度も目にしている。 (――無茶だけど…めちゃくちゃ無謀だけど…でもっ!) セーラの身体をそっと横たえ、彼はすっくと立ち上がって叫んだ。 「あんたも、“王女”なんだよなっ…!」地を蹴り、奔る。 余裕で身構えていたティアマットは、一瞬バッツの姿を見失った。 十二の眼が再びその姿を捉えたのは、彼の鉄拳が自分の腹にめり込んだ時。 『ざ〜んねん。浅いわン♪』 普段はめったに使わないのだが、ティアマットは手で腹の前を軽く凪ぐ。その動きだけで、バッツの足は地を離れ、数メートルほども吹っ飛んだ。めったに使わなくても、鋭利な爪が付いた手は、かなりの破壊力を持つ。 それぞれ強力なブレスを吐く首たちに、強靭な尻尾、鋭い爪。エメラルドグリーンの鱗は絶対の強度を誇る装甲となり、攻撃が聞きそうな腹部ですら硬い皮膚で覆われているため、素手で殴ったくらいでは決定的なダメージにならなかった。 「ううっ…!くそぉ…!」 すぐさま起き上がろうとしたが、足に力が入らない。ここまで追い詰めればあわてることもないと踏んだティアマットは、余裕たっぷりに薄い哂いを浮かべ、にじり寄ってくる。 バッツは方膝を付いた状態で、なす術もなくティアマットを見上げていた。脇腹から溢れる鮮血が、足元で血溜まりを作る。…傷は、相当深い。 『月並みですが、これまでですね!』 じわじわとなぶるように近付いてきたティアマットが、ここでついにバッツの目と鼻の先まで来て静かに一声かけた後、一斉に首をもたげる。 (来る…ッ…!) 思いもよらぬ横やりが、思いもよらぬところから入ったのは、まさにその一瞬。 バッツの頭上ギリギリでティアマットの吐いたブレスが、はるか天空より飛来したブレスによって拡散させられるなどとは。 『――おのれッ!!!』 何が起きたのかバッツが把握するより早く、ティアマットは本能的にその存在を悟っている。六つの首が、空を仰いだ。 『何度…ッ、何度俺の邪魔をすれば気がすむ?! バ・ハ・ム・ー・ト・ォーーーーーーーーッ!!!!!』 びりびりっ…と、大気が震える。 『――何度でも…何度でも、さ。ティアマット』 それを鎮めるかのように、静かな…そして力強い羽ばたきが、バッツの側に舞い降りた。 『お前がその悪しき野望を捨て、正しい時の流れに還るまで…私は何度でもお前の邪魔をしてやるさ。これ以上、もう誰も殺させないためにな』 紫水晶にも似た輝きを持つ、竜王バハムートの巨体。それは決してティアマットに引けを取らなかった。竜王としての威圧感も、落ち着きも。 むしろ、動揺と苛立ちを隠せなかったのはティアマットの方だろう。 『黙れ黙れ黙れぇッ!貴様も誇り高き竜の一族なら、何故、薄汚い人間などに付く?! カオスになれば、クリスタルがあれば…俺は“永遠”という名の“安息”を手に入れられるのだッ!それを…貴様ら竜族のクズ共がッ!!!』 冷静さもすっかり失せて、感情を剥き出しに食って掛かる。 『永遠?安息?…それがお前の望んだことか?』 バハムートの口調が穏やかになればなるほど…。 『私はな、ティアマット。誇り高き竜の一族であるからこそ、人間と共に闘えるのさ』 その言葉に哀れみを込めれば込めるほど。 『歪んだ時間は必要ない。それが我らの結論だ』 『うッがああぁあぁあぁーーーーーーーーーーッ!!!!!!』 ティアマットの精神は乱れてゆく。それは、闇に心を堕としし者の――末路。 ズン! 大地が、沈む。理性を欠いたティアマットが負のオーラをぶちまけたのだ。 「!」 バランスを崩す、バッツ。踏み止まれず、傾きかけた身体を誰かに支えられた。 「バッツさん、しっかり!」 男の声。しかも、聞き覚えがある…。 「――デッシュ…6世…?」 長いローブに身を包んだ男はこっくり頷くと、バッツに肩を貸す。彼と共に歩きかけたバッツはあることを思い出し、急に顔色を変えた。 「す…すまな…!そうだ!セーラはっ…?!」 デッシュ6世が、分かっているというように顎をしゃくる。その先に、彼と同じ格好の青年がセーラを抱え、安全な場所に移そうとしているのが見えた。 「ほっ…」思わず洩れる、安堵の吐息。そして沸き起こる新たな疑問。 セーラを助けた青年とは確か、ルフェイン人の隠れ里で最初に出会っている。 それに、ティアマットと対峙する紫色の巨影。 「デッシュ、バハムート…何で、ここに?」 「私たちだけではありませんよ」 デッシュは穏やかに微笑むと、人差し指を天空に向けた。と、誘われるように視線を上げたバッツの視界に飛び込んでくる色彩(いろ)の…群れ。 赤竜、黄竜、緑竜、青竜。更に、竜王の間へ続く扉の前で見た黒竜と白竜。 ドラゴンがこれだけ集まれば、驚異というより壮観。宿敵ティアマットに対し、なみなみならぬ殺気を放つ無数のドラゴンは、無言で対峙する二体の竜を取り囲んでいる。 そしてその背に5〜6人ずつまたがる小さな影は…人間だった。 「ルフェイン人…?」 「はい。隠れ里にいた私の仲間です」 傷付いたバッツに治癒の魔法を掛けながら、デッシュは答えた。 ドラゴンにまたがったルフェイン人は手に手に自動弓や石弓を構えている。それらの標的は全て寸分の狂いもなく、ティアマットに向けられていた。 『感じていたんですよ。ドラゴンたちも、我々も。400年前の因縁に決着を付ける時が来たことを。いつかは…こんな日が来るんじゃないかって思っていました。 ――仮初めの平和など、何の意味もないですから」 400年分の憂いを含んだ声だった。それでも彼は、微笑んだ。 デッシュ6世は、初代デッシュの意思を受け継いだ青年。そして今、彼は遠き過去に凍り付いた時間を取り戻そうとしている。 天空人の無念のために。ルフェイン人の、未来のために。 デッシュが背中に負った自動弓に矢をつがえるとその側に白竜が舞い降りた。 「それじゃあ…お互いの健闘を祈ろう!」 バッツを残し、天高く舞い上がる白竜。その向こうでは、セーラを助けた青年が黒竜に乗って飛び立つところだった。 「デッシュ…バハムート…ドラゴンたち…ルフェイン人のみんな……」 バハムートとティアマットは一触即発の状態で依然、睨み合いを続けている。ティアマットが仕掛ければ、彼をぐるりと取り囲んだ弓が一斉に火を噴くだろう。それらが、風のカオスに功を奏すかどうかは別としても戦況が、有利に傾いたことは確かだった。 「よしっ!」 バッツは両手で自分の顔をぱんっとはたき、気合を入れて立ち上がる。 「お〜い!バッツ!」 「バッツさ〜ん!」 そこへ駆けて来る、複数の足音。それが誰なのか見なくても分かったが、バッツは大丈夫だというように軽く片手を上げた。 「すっげ〜じゃねーか、これこれっ!」 最初こそバッツやセーラを心配して駆けて来たジタンも、頭上に広がる光景に気付き、素直な感動を露にする。少し遅れてきたクラウドやティナ、気力を取り戻したセーラは、ただ言葉もなく立ち尽くしていた。 「これで…ほぼ、役者は揃いました」 そんな彼らの後ろから、ドーガがゆっくりと歩いて来る。 「……ほぼ?」 澱んだ口調に若干引っかかるものを覚えてか、我に返ったクラウドが問う。 「……」ドーガは応えず、視線を宙に彷徨わせたまま。 「彼らの他に誰か来る…と?」 詰め寄るクラウド。その声がゴッという風圧に掻き消され、ふわりと降り立つ銀の影。 「――待ち人、来たる」 『アディリス!』 セーラを除く全員の呟きが、影の正体を明らかにした。 「やれやれ、まったく。随分遅いお着きでした…ねぇ?」 安堵と親しみ。それと少しばかりの皮肉を込めた溜息を吐きながら、ドーガは“彼”に呼び掛ける。 「ウネ兄さん」 「…悪かったな」 アディリスの背中からひょこっと顔を出したドーガの実兄・ウネは、明らかに不機嫌な声でひとりごちた。その微かな愚痴が聞こえているのかいないのか…いや、十中八九聞こえているのであろうが、ドーガはくくっと喉を鳴らす。 「ふん…」 ますます面白くなさそうな表情なるウネ。が、得に相手をするわけでもなく尻尾を伝って降りてきた。その手にはやけに大きな包みがある。 『ではな、ウネ。あなたからの頼まれ事は果たしたぞ。急ぐのでおれは行く。 もう一仕事、残っているのでな…!』 ウネが離れたのを見計らって、アディリスはせわしなく飛び立った。 彼もまた、行かねばならない。ウネと同じく、自分を信じて待つ者の元へ。 ウネは感謝の意を込めて彼を見送り、その後改めて自分を取り巻く者たちに向き直る。 「遅くなってすまない。何しろ四人分、造ってもらっていたのでね」 「四人分って…?」と、真っ先に駆け寄って来るジタン。 興味津々の視線は、もちろん例の包みに注がれている。 答える代わりに、ウネはそのあまりにも目立ちすぎる包みを地に降ろそうとした時。 「…っと!」 乗りなれない竜の背で揺られたせいか僅かにバランスを崩し、よろけた。 がしゃ! その拍子に手を離れた包みが派手な金属音を立てて落ちる。が、前にのめったウネの身体は強い力で押し戻されていた。 「おつかれ〜♪」 「……」 肩にかかる手。どこか懐かしい感じもする…。けれどもウネは、無言でそれを押しやった。ドーガは行き場がなくなった手を頭の後ろで組んで苦笑を浮かべる。 「――なぁ、これ…出来たのか?」 しばらくぶりに再会した兄弟の間に漂う、そこはかとなくぎくしゃくした雰囲気。気まずい沈黙を破ったのは、クラウドだった。 彼はウネが取り落とした包み――はだけた布から覗く“もの”を凝視している。 「――ああ、待たせて悪かったね」ウネは低く頷きながらひざまずき、改めて包みを解く。 しばらくの間は布が擦れ合う音だけがその場を支配していたが、包みの中身が明らかになった時、皆は口々に感歎の呟きを洩らした。 広げた布の上に横たえられている大きさも形も違う四振りの剣。それこそ、ここ数日彼らが待ち焦がれていたものだった。それらはまだ鞘に収まった状態だったけれど、少しでも武器を見る眼を持つ者が見たならば、そこらで気安く売られているような代物ではないことに気付くはず。 「ドワーフ族一腕利きの鍛冶屋、スミス殿に最高のものを打ってもらってきた」 そう言ってウネは、それぞれに剣を渡した。 「まずはこれを受け取ってくれ、クラウド君。聖剣『エクスカリバー』だ」 クラウドに渡されたのは四本の中でも一際目を引く巨大な剣。柄から鍔、刀身へと流れるラインの見事な仕上がり具合が、熟練の技を感じさせるものだった。 「ああ、申し分ない」 ずっしりとした重みを両手に感じながら、クラウドは満足そうに頷いた。 「次は『サスケの刀』を、ジタン君に」 「は?サスケェ?ヘ〜ンなネーミング〜…」 一風代わった名称に首を傾げつつも、ジタンは目の前に差し出された小振りの刀を受け取る。サスケの刀はエクスカリバーと正反対の、四本の剣の中で一番小さい剣だった。剣というより、ナイフに近いサイズ。それで、ジタンは一瞬不満の色を見せたが、握りに手を掛けた時、その表情は一変する。 掌に吸い付くようなフィット感。無駄な装飾を一切省いたシンプルなデザインは機能性を第一に考えたもので、使う者の素早さを最大限生かす綿密な計算が見て取れた。 「――でも、ばっちりOK!気に入ったぜ!」 ジタンがご機嫌になったところで、次にウネは黒塗りの鞘を手に取る。 「それで、これが『マサムネ』」 その名称を耳にした時、クラウドの眉がぴくりと動く。かつて対立した男との因縁を感じさせる名前。しかし、彼の深層に眠る想いは誰にも悟られぬまま、持ち主は決まった。 「え…?俺の?」 指名されたバッツは、いたって呑気なものである。ウネは呆れ顔で、 「君はカオスにまで素手で挑むつもりかい?」と訊いた。 「あ〜…まぁ、それは…」 バッツの視線は、自然と微かな痺れの残る右手に注がれる。つい先ほど、ティアマットの腹に叩き込んだものの、全く効果がなかった瞬間のことが脳裏を過ぎった。 「気、使わせて悪ィな!」 バッツは愛嬌たっぷりの表情で正宗を受け取り、思い通りの手応えに満足する。 彼もまた、これと同じ名前を持つ武器を知っていた。マサムネは、両刃、或いは片刃でも直線的な剣身が特徴のブレード系統とは一線を記す部類で総称を『刀』という。緩やかに湾曲した鞘からも推測できる通り、刀はどれも刀身の反りが優美な曲線を描き、そのフォルムが絶対の強度と一撃必殺の斬れ味を生み出すのである。 扱いにはかなりの技術を要するものだが、バッツには十分心得があった。 (また、世話になるぜ!)マサムネを手に、二ッと笑う。 「最後は…ティナ。これを君に。『サンブレード』です」 「は、はい…!ありがとうございます」 魔法主体の自分にまで剣を与えられるとは思っていなかったティナは、急に指名されて遠慮がちに礼を述べた。 鞘が真っ直ぐで細い、“斬る”より“突く”ことに威力を発揮する細身の剣。それが、『太陽の剣』と命名された理由はただ一つ。ティナの視線を惹き付けて放さない部位――そこに施されたレリーフは太陽から放出されるプロミネンス炎を象ったもの。流れるような曲線の見事な造形。剣というにはあまりにも美しすぎる優美なシルエット。 「――サンブレード…あ!」 ティナは引き寄せられるように剣を手に取り、思わず声を上げた。今まで経験したことのない、魔力の高まりを感じて。 苦痛を伴う危険な増幅ではなく、自然体からの緩やかな高まりは心地良ささえ覚える。 「この剣、すごい…!」太陽の恩恵を十分に受け、ティナは素直に感動した。 「気に入ってくれたようだね、みんな」 ウネは剣が全員に行き渡ったのを見て、口を開く。 「おうっ!スペシャル・サンクスだぜ!」 びッ!と親指を立てるジタンに、併せて頷く三人。 「さーて、と。さっそく斬れ味を試さないとな!」 口にはしなかったがそう考えたのはジタンだけではなかったようで…。 しゃっ…しゃ、しゃら、しゃらん…! 四人はほぼ同時に鞘鳴りの音をさせ、刀身を天に翳す。 『?!』 刀身が露になった瞬間、彼らが示した反応は当然といえば当然だった。 何故なら彼らは、知っている。剣の原材料になったのが『アダマンタイト』という金属で、その色は淡い青――涙色した輝きの結晶だと。 今、四人の手にある剣の刃は、そのどれもが同じ色彩。ただし、青ではなく…。 「あ、赤い…?」 「不思議でしょう?」 四人の驚きを予期していたのか、ウネは穏やかな口調で言った。 「アダマンタイトというあの金属は、熱を帯びると赤くなるんだそうですよ」 しかし――ウネの説明を聞くまでもなく、四人はその意味に気付いていた。 胸の奥を熱くする、“赤”の意味に。吸い込まれそうな深い緋と同じ色の瞳をした“彼”のことを思い出させてくれるのに、時間は…要らない。 “彼”は今――主なき宙(そら)の城にて、自らの役目を果たし、静かな眠りに就いている。 ぐっ…! 「マーシー…!」 柄を持つ手に力を込めて。 「ここにいるんだよな、お前…」 ズガゴォォンッ!!! 前触れのない轟音に、掻き消されるジタンの呟き。続いて起きた爆風が、言葉の余韻をもあっという間にさらってゆく。 土煙が完全に司会を覆い隠す一瞬前、バッツは激しくぶつかり合う二つのブレスを垣間見た。おそらくは、バハムートとティアマット。因縁の対決の幕開け。 「始まったな」 感慨深げに呟くウネ。地上戦はここからが本番である。 バッツ、クラウド、ジタン、ティナをじっと見つめ、彼は言った。 「さあ、みんながカオスたちの足止めをしてくれている間に、早く!」 指差す先に、カオスの神殿。四人は黙って頷いた。 最高の武器がある。行く手を阻むものもいない。最終決戦への準備は全て整った。 後は――前進、あるのみ! ザッ! 四人、誰もが同じ気持ちで踏み出した一歩。 (皆さん…) 彼らの後ろで、セーラはぐっと唇を噛み、耐えていた。 (出来ることなら、あたしも一緒に…!) 力になりたい。だけど、想いは言葉にならない。 ここから先に進めるのは『光の戦士』である四人のみであると、分かっているから。 「――っ…!皆さんっ!」 だから、彼女は…微笑んだ。精一杯の強がりで。 「……気をつけて…ください」 カオスの神殿――近くにあって遠かった場所が、目の前に迫っている。 背後で響く仲間たちの喚声、悲鳴。カオスたちの絶叫、怒号。それらを振り払い、四人は進む。『光の戦士』として、最後の使命を果たすべく。ひたすら、前へ…前へ! 「ちょいとお待ちよ!」 そして、今まさに入り口を抜けようとした時、声は上から降ってきた。 真っ先に反応したのは、やはりというべきかも知れないが、ジタンだった。 ふわり…ふわり、ふわり…。 改めて正体を見極めなくとも、常識を超えたホーキの使い方をする人物といえば、思い当たる人物はたった一人。人は彼女を『魔女』と呼ぶ。 「足止めして悪いね」 大きく開いた前スリットをひらひらさせながら、空飛ぶホーキにまたがった姿勢のまま、彼女は言った。 「マトーヤお姐さま〜っ♪」 どげし。 シリアスに決め込んでもそこはそれ。忠実に条件反射してしまう辺り、ジタンの細胞は正直だ。直後にカウンターキックを食らうのもお約束である。 「あたしはあんたに話があるのさ…ティナ」 ジタンを沈めた後、マトーヤは何事もなかったかのように目的の人物に近付いた。 「…?」 「あんた、ノアに会ったね?」 空飛ぶホーキを目の前に、ティナは困惑する。それでも、彼女が口にした名前には覚えがあった。 「…えっと、あ。はい!コーネリアの魔法屋でいくつか魔法を教えてもらいました」 「そーかい…」 「マトーヤさん?」 感慨深げに頷くマトーヤ。ティナは質問の意図が解らず、首を傾げる。 「…どうかしたのか?その、ノアって人が」 バッツはクラウドは始めて聞く名前なので、尋ねずにはいられなかった。 「……あ、ああ。大したことじゃないんだけど…さ」 マトーヤにしては珍しく歯切れの悪い答え方。これで気にならない方がどうかしている。 いつも「興味ないね」の一言で片付けてしまうクラウドさえ、黙って次の言葉を待った。 「――分かったよ。あんたには離しておくべきかもしれないね」 マトーヤは仕方ないというように首を振り、ホーキから降りる。 「ティナ。あんた、あいつから受け取ったんだろ?究極の黒魔法『フレアー』を」 「あ…!」 どくん。 熱くなる、胸の奥。ティナはそっと手を触れた。破壊の力。負の力。滅亡の力…でも。 (――大丈夫…だいじょうぶ) 受け入れて、ひとつになれた。だから、大丈夫。そう自分に言い聞かせると、胸の鼓動は収まった。 「受け取りました」 はっきりと、口に出す。真っ直ぐな瞳を向けて。 マトーヤは「へぇ…!」と小さく声を上げ、それから穏やかに微笑んだ。 「感謝するよ、ティナ。あんた、あいつを救ってくれたんだね」 「え?救って…?」 「最初で最後の弟子なのさ。あの子…ノアはね」 マトーヤは豊かなプラチナブロンドを掻き上げると。視線を虚空に映した。彼女の瞳に何が映っているのか、今は誰にも解らない。 「…あの子の故郷『ミシディア』は、魔術師や魔道士はかりが住んでいる辺境の村でね。ルフェイン人の隠れ里くらい森の奥深くにひっそりと存在していたんだ。 あの子はそこで生まれ育った。同じ頃に生まれた子よりもあの子の魔力は突出していて、皆、えらく期待を掛けていたのさ。けど、あいつが四歳を迎え、本格的に魔法を覚える年齢に達した時、事件は…起こっちまった」 「事件?」 「ああ。魔力含有量(キャパシティ)は誰よりも優れていたのに、皮肉にもあの子は、一切の魔法を受け付けない体質だったんだ」 「へ?それって…?」 ゴキブリ並みの生命力で復活したジタンが、横からひょっこり顔を出す。 「俗に言う、アレルギーさ。卵アレルギーや動物アレルギーみたいに、あの子は魔法アレルギーだったんだ。魔法を体内に取り込むと、身体が拒否反応を示す類の…」 「でも…!」マトーヤの説明に、ティナはぶんぶんっと首を振っていった。 「わたし、ノアさんに魔法を教えてもらったわ!ファイヤやサンダーを…」 「オーブから…だろ?」 その質問を予期していたのか、マトーヤの返事は早かった。 「ああいう初心者用の魔法は、オーブやマジックアイテムに固定しておくことが出来る。 それをコントロールできる魔力が備わってさえいれば、魔法屋は開けるのさ。…でも、本格的に魔術師や魔道士を目指すなら、体内に魔法を取り込むのが絶対条件だ。 知ってるかい?外から与えられた火や稲妻のエナジーは、人やモンスターの体内で『魔力』と融合して初めて『魔法』になるのさ。レベルの高い魔法を覚えるには、それ相応の魔力が必要とされる…ってのは、つまりこういう理屈なんだ」 「魔法についての講義はいい。話の続きを聞こう」 カオスの神殿を一瞥し、クラウドが言った。 「確かにね」苦笑する、マトーヤ。 「まぁ、魔道士の村でそういう人間がいたらどうなるか…大体の予想はつくだろ?」 「普通なら、邪険にされるよな。将来有望な魔道士だったんだろ?」 バッツの言葉に、ティナが表情を曇らせる。 「それくらいならまだ良かったさ。だけどね、村の人間はあの子にハンパじゃない仕打ちをしたんだ。期待した分、その反動は大きかったんだろうさ…! とにかく、あの子は若干四歳にして村を追放された。実の両親さえ、それを止めなかったんだ。 村を出た時、あの子は本当に独りでね…。あたしが森の中で行き倒れているのを見付けなかったら、確実に命はなかったはずだよ」 「――なんて…酷い」 「酷い話さ。くだらない“掟”ってヤツなのかもしれないがね」 マトーヤは吐き捨てるように呟いて続けた。 「あたしはあの子を連れ帰り、アレルギー体質を治す方法を研究したよ。何年も掛けて…でも、完全に治すことは出来なかった。 …あたしはね、正直それでもいいと思った。今さら魔法を使えるようになったところで、あの子はミシディアには帰れない。でも、魔法が使えなくても普通の人間として生きてゆくことは出来る。むしろその方が幸せなんじゃないか…って思ってた。 だけど、そんなもっともらしい理由で納得たのはあたしだけだった。まったく、浅はかだったよ。あの子にとってはミシディアだけが、唯一の故郷だったんだね…」 マトーヤの口調は過去の自分を呪っているかのようだった。 「――ある日、ミシディアからの便りが来た。『凶悪なモンスターが攻めてきて村は危機的状態にある。助けて欲しい』って、勝手な内容のね…!ここに自分たちがゴミのように棄てた子どもがいるとも知らないでさ。 当然あたしは突っぱねてやった。もちろんこんなこと、あの子には話しゃしなかったよ。けど、あの子はあたしの留守中に手紙を見ちまった。 あの子は故郷が危ないと知って、いても立ってもいられなくなったんだろうね…。あたしが洞窟に帰った時にはもういなかったよ。 しかも、それだけじゃない。あいつと一緒に、フレアーのオーブまで消えていた。 あたしは急いでミシディアに向かったさ。あの子を追って。…でも、全てが遅かった。 あの子は地面に穿たれた巨大なクレーターを前に、呆然と佇んでいたんだ」 『!』 彼女の言葉が意味する結果を、四人は瞬時に悟った。 「最悪の結末…か」 「――そうさ。ついさっきまで、そこには『ミシディア』という名の村が、確かに存在していたんだよ」 マトーヤは沈痛な面持ちでうなだれる。 「モンスターの大群から村を護ろうとしたあの子は、フレアーを体内に取り込んだ。その結果…さ。あの子が暴走させたフレアーはモンスターもろともミシディアをふっ飛ばしちまった…。しかも、体内に取り込んだフレアーはあの子の膨大かつ純粋な潜在魔力と絶妙なバランスを保って融合したのさ。オーブに戻すことは不可能だった。このあたしでもね。 そしてあの子は、あたしの前から姿を消した。…もう、五十年以上も昔の話さ」 「ご…じゅうねん…?」息を呑むジタン。 マトーヤの指す『あの子』が、コーネリアの街で見たあの黒魔道士なら、記憶に新しい彼の顔はどう見ても自分より年下で…。 「フレアーが肉体の成長を止めた…」 クラウドだった。『え?』という顔を向けるバッツとティナ。マトーヤまでもが意外そうに彼を見ている。 「膨大なエネルギーが生態バランスを狂わせたんだろう?そういう現象なら知っている」 かつて仲間だった男の顔を思い出しながら、クラウドは説明した。その男は止まった刻(とき)の狭間にいて、未だ覚めやらぬ悪夢を見ているのだと。 「――そうだね…」マトーヤは空虚な笑いを浮かべていた。 「いつ爆発するか分からない爆弾を抱えて、あいつは恐怖と闘っていたんだろうさ。 一日、一分、一秒を……」 『人は、弱くて脆い生き物です』『誰しも心に恐怖を抱き…』『生きるのが怖かった』『その恐怖を消し去るために…』『――僕だって、魔法は怖い』 (…っ!ノア!)ティナの心で、言葉が弾ける。 (ノアもわたしも魔法でたくさんの人をころした…。知らないうちに、ころしてしまった) 誰よりも激しく“恐怖”を感じ、“罪”という名の牢獄で“孤独”の鎖に囚われていた少年と少女…。 (――似ていると思ったのは…そのせい…?) 「……してるよ」 「…え?」 マトーヤの穏やかな声が、ティナの意識を現実に戻す。 「ティナ。あんたには感謝してる」 ふと、脳裏を掠めていく言葉。マトーヤは最初に『感謝してる』と言った。 (感謝?何故…)ティナは不思議そうに彼女を見上げる。 「おそらくあの子…あのままフレアーと心中する気だったんだろうよ。でも、あんたはフレアーを受け取ってくれた。純粋な魔力と純粋な魔力は引き合って共鳴するんだ。 あいつをフレアーの呪縛から解き放ってやれるのはあんたの魔力だけ…あたしには出来なかった」 マトーヤは戸惑うティナの肩に手を置くと、優しく引き寄せ、囁いた。 「ありがとうよ、ティナ。あの子はもう…大丈夫さ」 「そんな、わたし…」 ぐっと声を詰まらせるティナ。それ以上は何も云えなかった。 「さぁさ!辛気臭い話は終わりだよ!」 短い時間が過ぎた後、マトーヤは顔を上げて叫んだ。 よく通るいつもの声に戻り、じっと四人を見やる。 「カオスのことはあんたらに任せたよ!せいぜいしっかりやってきな!なぁに、もしもって時にゃ、骨くらい拾ってやるさね!」 「しおらしいマトーヤ姐さんも可愛かったけど、そっちの方がやっぱりらしいやなっ!」 「年下はノー・サンキューっていったろ!ボーヤ!」 悪戯っぽい笑いを振り撒き、駆け出すジタン。マトーヤは軽く手を上げて、その背中を見送った。 「よし、行こう!」バッツも気合を入れ直し、歩き出す。 ティナは自分を真っ直ぐ見つめているマトーヤに、迷いなき瞳で頷いてみせた。 四人の姿が神殿の入り口に消えるのを視界の端で見届けながら、背を向けるマトーヤ。 ふと、人の気配を感じて苦笑いを浮かべる。 「――悪趣味だね。早くお行きよ」 微かな呟きは、神殿に入る直前で一人だけ踵を返したクラウドへの皮肉だ。 「肉体が滅びても死なない生命はある」 静かな言葉。マトーヤの肩が、ひくっと震える。 「……解んのかい?」 「ああ。だってあんた…泣いてるからな」 振り返った時、クラウドの姿はどこにもなかった。 どしゃっ…。 力なく、しゃがみこむ。乾いた草の感触は、何処か虚ろで物哀しい。 「フフッ…あたしもトシかねぇ…」 抱えた膝に顔を埋め、マトーヤは自嘲気味に哂った。 神殿の中は、耳が痛くなるほどの静寂に満ちている。 最初に来た時、彼らに襲い掛かってきた不死者も、今はその姿を見せなかった。 肌で感じた禍々しさが嘘のように影を潜め、虚無の空間を支配するのは不気味なまでの静けさのみ。 「う〜…気ィ抜けちゃうな〜」 サスケの刀を無意味に振り回し、一番先頭を歩くのはジタン。新しい武器の威力を早く試したくてうずうずしているのか、さっきからずっとこの調子である。 「ここってこんなに静かだったっけ?」 誰にともなく言って、バッツは足元の小石を蹴った。 カラカラ…カツン! それは障害物のない床をどこまでも転がって、突き当りの壁で跳ね返る。 敵の気配がないカオスの神殿は、ごく普通の廃墟だ。 「ゾンビたちもいないな…」 一番最後に足を踏み入れたクラウドもいつの間にか追いついていて、話に加わる。 「それに――…」 バッツは入った時から覚えていた違和感を口にした。 「コウモリ」 今までずっと黙っていたティナが、後を引き継いで言う。その視線は、目の前の開けた空間に注がれていた。 足元に転がる扉の残骸は、バッツが蹴り付けて壊したものだ。その部屋に、かつての主はもういない。その代わり、ここには新しい住人が引っ越してきたようである。 「コウモリ…か」頭上を仰ぎ、クラウドが呟く。 何の変哲もない天井に、彼らはいた。初めてここに来た時、四人は彼らの歓迎を受けた。襲うでもなく、逃げるでもなく、異様なまでに騒ぎ立ててまとわり付いてきたコウモリたち。あの時はただ煩わしくて、彼らが全部で何匹いたかなど考えもしなかった。 「イチ、ニィ、サン、シ…と、全部で五匹か。意外と少ないでやんの」 バササッ…! バッツの呟きに、コウモリたちの羽音が混じる。侵入者の気配を察知したのだろう。 「ちっ、またかよ!」と、あからさまにうっと〜しそうな表情のジタン。 好戦的なモンスターと違って戦う必要はないが、邪魔なものはジャマである。 「突っ切るぞ!」クラウドの号令で、皆は一斉にダッシュした。 「ようこそ、光の戦士」 すれ違いざま――その声が耳に届いて、四人は足を止め、ゆっくり振り向く。 「コウモリ…?ウソだろ?」ジタンが引きつった笑いを浮かべる。 今まで『キィキィ』としか聞こえなかったコウモリの鳴き声が、いきなり人の言葉に変わっていれば、彼の反応は至極当然だろう。 「信じられんかも知れぬが、我々はルフェイン人じゃ」 横一列に並んだコウモリのうち、真ん中の一匹がついと飛び出て言った。 空耳ではない。それは確かに人間の言葉で、彼の口から発せられていた。 「我々はカオスの呪いでかような姿となった。だが、君たちがクリスタルの光を開放してくれたおかげで、こうして話をすることが出来る」 「ルフェイン人…?じゃあ、浮遊城から来た人なの?」 ティナの問いにコウモリは「ふむ…」と唸り、再び口を開いた。 「そうじゃな…。先に自己紹介をしておこう。わしの名前は『シド』 ルフェインの戦士――『ガイア五騎士』のリーダーじゃ」 コーネリアの街、裏通り。昼間でも人気のないその一角に、山と積まれた瓦礫がある。 昨日までは黒魔法屋だった建物の成れの果て。これがいつも通りのありふれた朝なら、街の人たちは何事かと集まって来たことだろう。 が、彼らの興味は今のところ、こことは別の場所にある。 だから、彼女は今…たった一人でここに居た。 がしゃっ…がらっ…。 歩く度に乾いた音を立てて崩れ落ちる窓や壁の残骸。抜け殻の空間。 (――この店は、まるであんたそのものだよ…) そんな中、唯一形を留めていた揺り椅子の前で、彼女の歩みがぴたりと止まった。 「莫迦だね…こんなもの、まだ大事に持ってたのかい?」 寂しそうな笑みを浮かべ、震える手で揺り椅子…否、残された“もの”を取り上げる。 あれは、そう…あの子が十三歳を迎えた誕生日。月の明るい夜だった。 『ねぇ!これ、欲しいな。これ買ってよ!』 『何だい?どれどれ…ん?こりゃただの三角帽子じゃないか。魔力が込められてるわけでもなし…』 旅の行商人が持って来た物の中に、それはあって。 『だってだって!僕もお師匠様みたいな帽子、欲しいんだもん!』 『だったらもっといいやつを買ってきてやるよ。大体、これじゃただの麦わら帽子と変わらないだろ?』 『ヤダ!これがいいの!だってね、ミシディアの魔術師は十三歳になるとお祝いにこういうのもらうんだよ!あのね…僕、今日で十三歳なんだ。 だから、今日を過ぎると意味なくなっちゃうんだよ!』 『へぇ…!あんた、今日が誕生日だったのかい? ん〜…分かった。負けたよ。そういうことなら特別さ。あんたにこれをプレゼントしてやる。ただし、大切にしな。いいね…』 『…ホント?ホントにいいの?わ〜い!やったぁ!ありがとう、お師匠さま!』 (――そんなに高価なものじゃなかったのにさ、あの時あんたの笑顔…今までで一番嬉しそうだったね) 背もたれに引っ掛かり、風に身を委ねる帽子。よく見ると、あちこちほつれたり破れたりしたのを、丁寧に修繕した跡がある。 彼女が戯れにあげた帽子でも、少年にとっては始めてのプレゼントだった…。彼は、いつも大きすぎるひさしの下で、屈託のない笑顔を見せていた。 不運な体質を呪うことも、自分を棄てた者たちを恨むこともなく、ただ静かに己の運命を受け容れたまま…。 (――あんた…優しすぎたんだよ) 体内に宿した魔力と外からのエナジー・フレアー。絶妙な均衡の元にひとつになった二つの力。それは彼の時間を止め、彼に浸透し、彼を形成していた。 そのバランスが狂った日。器である肉体は急激な変化に耐え切れず、崩壊してしまったのである。 そう――跡形もなく。 「ノアぁぁぁーーーーーーーッ!!!」 空っぽの椅子を抱きしめ、マトーヤは叫んだ。 『これで良かったんですよ。僕は、きっと。…ねぇ、そうでしょう?お師匠さま』 無人の街に風が吹く。誰にも知られることのなかった、孤独な闘いの終わり。 やっと訪れた安息の時間を愛しむように、少年は告げる。自分の一番大切な人へ。 風は彼の想いを乗せて、何処までも高い空の彼方に消えていった。 シド――その名を聞いた時、四人の脳裏にそれぞれ同じ名を持つ男の顔が過ぎった。 思わず絶句し、お互い顔を見合わせる。 『シド』を名乗ったコウモリは、神妙な顔つきでそんな彼らの反応を窺っていた。自分が言った事実が何の効果を示すのか、ここまで来た者になら解るはず…と、期待を抱いて返事を待つ。 やがて四人の若者は、何もかも悟ったような顔でこっくりと頷いた。 「シド…か」クラウドが呻く。 「う〜ん…シドねぇ…」バッツはしきりに首を傾げ、 「シド…なのよね?」ティナも困惑した表情で。 ジタンの瞳はこれでもかとばかりに大きく見開かれ…。 「……うぬ?」 ここにきて、ようやくシドは気付く。四人の視線が暗黙の了解を経て、同じ思惑の下、自分に注がれていることに。 「な、何じゃ…うっ…?!」 じとっ…! 不安になって聞き返そうとしたが、八つの瞳に睨み据えられ二の句が告げなくなる。四人が一歩詰め寄ると、彼は体二つ分後退り…はっきりいって、最初の威厳はかけらもない。 「おいっ!あんた、シドなんだよな?」 「お、おおっ!いかにもっ!」 飴色の髪の青年と顔がくっつくくらい目の前で叫ばれ、思わず返事をした。 「火力船の!」 「……?」 「何言ってるの?バッツ」と、今度はポニーテールの少女が不思議そうに目をぱちぱちさせながら、 「シドおじさんは発明家だったけど、船なんて造ってないわ。あ、でも…セリスはイカダを作ってもらったっていってたなぁ…」 「??」 「ちょっと待て!」そこへ、ツンツン頭の青年が険しい顔で割って入る。 「シドといえば、飛空艇だろうが!」 「???」 「ま、確かにシドっていやぁ飛空艇はつき物だよなっ!」 「えぇ?ちょっと待って!わたしは聞いてないわ、そんなこと…」 「????」 三つ巴の『シド』論議は延々と続く。しかし、当の本人…すなわち“この世界のシド”は、ぽつねんと置いてけぼり状態だった。 「――なあ、シドのおっさんよぉ…」 ぽんっと肩を叩かれ…もとい羽をつかまれた感触で振り返ると、そこに四人目である尻尾の生えた少年がしみじみ彼を眺めていた。 「……おぬしはなんじゃ?」 ひたすら嫌な予感を覚えて身構えるシドに、少年は思いっ切り哀れみを込めた口調で。 「ブリ虫、カエルときて、今度はコウモリかよ…。大変だな、あんたも」と、首を振る。 「……」 「――で、原因は?一体、酒場の誰に手を出したってんだ? 流しの踊り子、バーバラお姐さま?(色っぽいもんな〜♡) 看板娘のクローディアちゃんとか?(わかるわかるっ!清純乙女って感じだし♡) それとも新人バイトのアイシャちゃん…。(おいおい、あのコの歳ってオレとタメくらいだぜ?) あ、分かった!占い師のミリアムちゃんだろ!(惹かれちゃうんだよな、あの神秘さに) …ま、まさかとは思うけど、お色気ムンムンの女主人シフさんとではっ?!(くはぁっ!大人の恋の物語!うむむ…さすがシドのおっさん。オレには未知の世界だぜ) だけど、コウモリとはね〜。ヒルダさんのお仕置きもコワイよな〜。ままま、とにかくさ、火遊びはほどほどにしねーとな。エーコも娘になったことだしよ!」 ぶち。 蟻をつぶす音にも似た微かな響きが、四人の耳に届くはずもなく。 「――ひ、ひ、ひ…」 「ほら見ろ、やっぱり『飛空艇』で決まりだな」 小刻みに震えるコウモリを指差して、自信ありげにクラウドが言った。 「ひっ…ひっ…!」 当然ティナは不満顔で、バッツは納得したようにうんうんと頷いている。 「で、で?結局誰をオトしたのさ?オレにだけこっそり教えてくんない?」 ジタンの目が、爛々と好奇の輝きを放つ。 「ひ…!」 誰もが緊張した面持ちで彼の答えを待っていた。そして、次の瞬間。 「人の話を聞かんかぁぁぁぁあぁーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」 ティアマットのトリプルブレス級ぷっつんボイスに、神殿全体がびりびりと震えた。 「ぜーはーぜーはー…」 どっと脱力感に襲われ、シドはひらひら落ちてゆく。 「ああっ?!大丈夫ですか、シド殿!」 「隊長、ここは抑えて抑えて。血圧高いんですから…」 後ろに控えた四匹のコウモリが慌てて彼を支えに掛かる。その後、ようやく落ち着きを取り戻したシドは、頭上に被さる人影を恨めしげに睨んだ。 「…さて、冗談はこれくらいにして」 「ん。そーだな」 クラウドとバッツは、ねじ曲がった話の筋を元に戻そうとしたのだが…。 彼らはすっかり忘れていた。ここに天然で大マジな男が約一名いたことを。 「なぁなぁ!もったいぶらずに教えろって!あ、もしかしてオレの知らないコだったり?それならそーと早く言ってくれよ!水臭ぇな、シドのおっさん!」 魔晄のグリーンに彩られた瞳が鋭い眼光を放ち、こめかみに浮いた血管が、ぴくぴく痙攣し始める。どうやらエクスカリバー初の餌食はシッポ男に決定らしい。 「ふふふふ…泣かせてやる…!」 「――クラウド、怖い…」 お花畑逝き確実なジタンを前に、ティナはすっかり涙目になってふるふる震えていた。 「話してもらおうか、洗いざらい…全てを、だ」 ジタンが静かになったところで、クラウドはようやく本題に入る。 「ルフェイン人の『ガイア五騎士』って言ったよな?」 バッツの問いに、シドは低く「うむ…」と唸った。 ガイア五騎士――浮遊城の端末室で、初代デッシュが口にした名前。 彼は語った。古代ルフェイン人、すなわち『天空人』はカオスの正体を探るために『カオスの神殿』に勇敢な五人の戦士を送り込んだ。しかし、彼らは帰ってこなかった…と。 「我々は解き明かしたカオスの秘密を浮遊城に伝えたのですが、後から乗り込んできたカオスに見付かり、こんな姿にされてしまったのです…」 「なるほどね〜。コウモリにされちゃったんじゃ、帰りようがないわな〜」 そこへ、妙に納得した声が割って入った。ふと見れば、ジタンがバッツの肩越しに、ひょこっと顔を出している。 (こいつの前世はフェニックスか…?) 心の中で律儀に突っ込んでおいてから、クラウドは再び訊いた。 「俺が本当に知りたいことは一つしかない。何故、俺たち四人は『光の戦士』として選ばれた?いや、違うな。何故『光の戦士』が俺たち四人でなければならなかったんだ?」 ティナがはっと顔を上げる。バッツもジタンも、おそらく気持ちは同じだったろう。 「それは…君たちが『別世界(パラレルワールド)』の人間だからじゃ」 彼らの視線を受け止め、シドはきっぱりと言い切った。 「君たちは『別世界』の存在を信じるかね?」 シドに問われ、真っ先に頷いたのはクラウドだった。彼は、本人の希望に基づいた経験ではないにしても、それを身を以って証明している。 「『別世界』とは、自分たちが存在する世界とは別の時空間に存在する世界のことじゃ。 分かりやすく言うとじゃな…例えば、線を一本引くとしよう。これが、ある世界の時間の流れを示すとすれば、隣にもう一本線を引いた時、それが『別世界』の時間の流れということになる。そういう線のことを、我々は『次元』と呼んでおる。 『次元』の線は無数にあり、それぞれ異なる時間の流れの中で発生した生命体が行動することで、歴史というものが形成されてゆくのだ。…解るかな?」 クラウドは黙って頷き、バッツも何とか頭をフル回転させて理解しようとする。ティナはといえば、ジタンが寝てしまわないようにつついたり引っ張ったりと忙しくしていた。 「まぁ、一から十まで理解できずともよい。とにかく君たちはそういったいくつもの並行世界より、ここへ転送されてきたのじゃ」 「転送…何故?」と、ティナ。 「『カオス』じゃよ」 シドは背後に広がる混沌の闇を一瞥し、呻いた。 「カオス――過去から未来に自分の分身である四体のカオスを送り込み、着々と世界を滅ぼす者。我々がやつの存在に気付いたのは、現在より遡ること400年前。ちょうどティアマットが目覚めた時代に当たる。 そして、奴の力がここ『カオスの神殿』に集まっていることを突き止めた。しかし、やつの姿はここにはなかった。そこで我々は過去の世界にいる全ての元凶を倒すために、『時空転移装置』の使用を試みた」 「じくうてんい…そうだ!マーシーが言ってたな!その装置で400年後に飛ばされてきたって!」 「そうじゃ。時空転移装置は二つあった。一つは浮遊城…もう一つは、この部屋に」 『この部屋?』 慌てて辺りを見回す四人に、シドは落ち着いた口調で、 「この先に何があるか、知っておるか?」と訊いた。 「この先って…あっ!」 シドの後ろには目を凝らしても何も見えない闇が続いている。その闇を見透かしていたバッツがふと、何かを思い出したように手を打った。 最初にここでガーランドを倒した後から、ずっと記憶の片隅で燻っていた“何か”の影。 それが今、ようやく鮮明な姿になる。闇の中で、妖しい輝きを放っていたもの。それ自らが放つ光ではないような気がした。光るというより反射だ。例えば…。 「鏡…か?」 「鏡ではない。『黒水晶(ダーククリスタル)』じゃよ」と、シドは即座に言い換える。 「あれこそが、オリジナルの時空転移装置。浮遊城のはあれを模して創ったものじゃ。 カオスは時空店に装置を使い、時の流れを永遠に支配することを目論んだ。 そして、400年前。奴は我々に呪いをかけた後、また過去に戻っていった。 だが、我々はその事前、解き明かした秘密を浮遊城に転送すると共に、四つの『別世界』に扉を開いた。カオスを倒す者たち…すなわち、『光の戦士』を召喚するための結界じゃ。 だが、計算に狂いが生じ、400年も待たなければならなくなったがな…」 一通り聞いても、最初の疑問はまだ残る。 「何故、『別世界』でなければならなかったんだ?」 「我々では倒せないからだ。いや、我々だけではない。この世界、この次元で発生した生命体ではカオスを倒せんのだ。これは…理屈ではない。 君たちはカオスの存在しない場所、『別世界』の住人。カオスの干渉がない世界の者たちだからこそ、カオスを倒す資質を秘めている」 「じゃあ、それが俺たち四人だったのは? 」 「…ふむ。君たちは少し勘違いしているようじゃな。よいか、確かに『別世界』への扉を開いたのは我らであった。しかし、君たちを選んだのは、クリスタルのかけらなのじゃよ」 『!』 「我らは時空転移装置にクリスタルのかけらを投じた。クリスタルのかけらは『光の戦士』にふさわしい四人の若者を探して時空間を彷徨い、やがて君たちの元に辿り着いた。 そして、この世界に召喚したのじゃろう」 「でも、あんたの話し方じゃ『別世界』はもっといっぱいあるって感じだぜ?何でまた、オレたちを?」 シドの言葉を遮り、詰め寄るジタン。シドはその質問を予測していたらしく、諭すように説明を加えた。 「『別世界』といっても、いろいろある。時間も空間もここよりはるかにかけ離れた次元の者を召喚するのは不可能じゃ。それに、多大な危険を伴う。下手をすれば、次元の狭間を永遠に彷徨うことにもなりかねんからな。 その点、君たちの世界とこことは少なからずの繋がりがあった。まったくの平行線ではなく、何処かの点で時空間が交わっておったのかもしれぬな」 「要するに、だ。この世界と俺たちの世界とは親戚なわけだ」 バッツは深く頷いて、すっきりしたような笑みを浮かべる。 「異世界を旅しているはずなのに、自分の世界と何かしらの繋がりを感じていたのは、やっぱり気のせいなのではなかったんだな」 シドの話で頭の中のもやもやがなくなり、晴れ晴れとした気分だった。 「確かにそうかも。この世界にはびっくりするくらい同じ人や物の名前があったからな〜。 セーラ王女にコーネリア。ガーランドやクリスタル…」 「バハムート、飛空艇、魔法や武器の名前…ギルもそうよね?」 ジタンとティナはそれぞれ思い当たる節を並べ立て、最後にクラウドが静かに言った。 「それに、シド。あんたもだ」 「……」 「最後に一つ、訊きたい。カオスを倒せば、俺たちは元の世界に還れるんだな?」 「『時』が正しい流れを取り戻しならば」 「過去…だったよな?カオスがいる場所。どうすれば行ける?」 「黒水晶の前にて『リュート』を掲げよ。さすれば道は開かれん」 「リュート?」 「あ!セーラ王女にもらった楽器…!」 叫ぶやティナは、荷物袋から小さな弦楽器を取り出した。 「そうじゃ。カオスは過去へ戻った後、時空転移装置を一方的に封印したが、『リュート』にはそれを解くパスワードがメロディーとして記憶されておる」 それだけ聞ければ、十分だった。四人はコウモリの脇を抜け、奥の闇へと歩き出す。 「……光の戦士よ、教えてくれっ!」 その背に向かい、シドは思わず叫んでいた。 400年間ずっと考えて、答えが出せなかった問いを。 「我々の築いた文明は間違っていたのか?!或いは…我々の存在そのものが――?!」 その時シドは、闇に映える四つの赤い輝きを見た。 (アダマンタイトの…剣?) それは、ルフェインの民が高度文明の果てに生み出した、最強度の金属である。だが、彼らの滅亡と共に、過去の遺物となったはず。 しかし今、目の前にあるのは新しい命を吹き込まれたアダマンタイト。 カオスを滅ぼす、四つの牙。 カシィィン…! 赤い光はひとつとなって、透明な音を響かせる。 「俺たちは“間違い”でここに来たわけじゃない」 「マーシーは生まれてきて良かったって言った。この世に“間違い”で生まれてきた生命なんてねぇよ」 「カオスを倒せば“間違い”のない世界になるよね」 「この闘いを“間違い”になんかさせないさ。人が開いた扉を閉じるのは、人だ!」 それが彼らの“結論”だった。 「――クリスタル…。あなたが選んだ『光の戦士』たちは、わしたちの想像をはるかに超えた、素晴らしい若者たちだったよ…」 四人の姿が闇に溶け込み完全に消えた後、シドは静かに呟いた。 |
紫阿 2004年05月31日(月) 15時45分57秒 公開 ■この作品の著作権は紫阿さんにあります。無断転載は禁止です。 その9を見る/FF DATA MUSIUM TOPに戻る |
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今回は、いっそうボリュームアップっす!シドの最後のセリフはカッコイイし、キャラには益々魅せられるッス。オリジナルの設定も、最高ッスよッ。(嬉) | 50点 | うらら | ■2004-06-01 18:22:21 | 210.198.102.163 |
もうホントにどこに感想言っていいかわかりませんね(泣) >女の子たちの名前 分かる人は分かりました(笑) |
50点 | わた | ■2004-05-31 19:41:55 | 218.47.213.194 |
合計 | 100点 |