逆転−HERO− (6)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月06日(水) 20時42分46秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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 成る程。焔城検事が女性で北斗刑事とは姉弟の関係ということも、こうなると別段、驚くほどのことはないのかもしれない。
 だが――先ほど焔城検事に起きた出来事は、私の理解をはるかに超えた怪現象だった。

「……北斗刑事。焔城検事のあれは――彼は一体、どうしたというのだ?」

「違うでしょ、御剣さん。焔城検事は女の人だったんだから、この場合『彼』じゃなくて『彼女』だよ?」

 真宵くんが耳元で囁く。細かいところにツッコミを入れたがるのは、所長譲りか。

「ム、確かにな。彼ではなく、彼女……ッ?!」

 ぐらり――視界が、歪む。またしても、この感覚。ここ数日、ふとした拍子に現れては消える、強烈なイメージ。オレンジ色の滲む風景、黄昏の少女――夢の、続き?

「姉さん……“電気アレルギー”で“雷恐怖症”なんすよ」

 北斗刑事の声で我に返る私。おぼろげな記憶の断片は、確かな形となる前に掻き消えていた。――それを追い求めることは、この状況では無理そうだ。

「で、電気アレルギー……?」
「カミナリ――キョウフショウ?」

 真宵くんと顔を見合わせ、二人して視線を落とす。彼――女は未だ、目覚めない。

「姉さんが触れた電気製品は必ず故障するし、電灯に近付けばショートさせるし、金属製品なんて触った途端に火花が散るし、乗り物に乗れば計器類を狂わせることもあるっすよ」

 うな垂れて――北斗刑事は焔城検事の身に起きた、忌まわしき事件の記憶を話し始めた。





 少女は上機嫌だった。今日は、学年が上がって最初の始業式。六年生は、小学校の最高学年である。式で校長先生が『最高学年のあなたたちは、下級生の子たちを助けてあげるのですよ』と言われたことが、少女の中の“正義”を、最高に高ぶらせていた。
 いつの頃からか――少女の中に芽生えた“正義”への憧れと信頼は、年を重ねるごとに大きく、強く育っていった。弱きを助け、悪をくじく警察官の両親を見てきた少女にとって、それは当然の成り行きだったといえよう。
 先ほども、上級生にからかわれていた下級生を助けてきたところだ。そして今も、三つ年下の弟の手を引いて歩いている。車やバイクとすれ違うときは、弟を守るように路の端にに身を寄せる。そんな些細な行動でも、少女の自尊心を満足させるのには十分だった。
 弟は三年生。身体もまだ小さくて内気だから、いじめっ子の標的になりやすい。『あたしが守ってやるんだ!』――姉として、最高学年として、少女は使命感に燃えていた。
 通学路になっている大通りから少しそれた狭い道。ここを抜ければ、家まであと少し。少女はふと、前方から歩いてくる男の姿に目を留めた。何気なく視線を上げて、顔まで届いた瞬間――少女は顔面蒼白となる。今日はまだ肌寒い風も吹いているのに、額からは対象の汗が吹き出てきた。

「姉さん、痛いよ……」

 弟のか細い声で我に返る。無意識のうちに力を込めてしまったのだろう。慌てて離した手のひらにも、じっとりと汗が滲んでいた。

「……今の男、見た?」

 男の気配が完全に消えるのを待って、少女は弟に訊いた。声が震えていることは、自分でも分かった。『?』という表情で、首を横に振る弟。少女は安堵の溜息を吐く。

「あんたは先に帰ってて。ここからなら帰れるよね?」
「姉さんは……?」

 豹変した姉の態度に不安を覚えた弟が、おそるおそる訪ねる。

「――あたしは、あの男を追う!」

 言うが早いか、少女は駆け出していた。勇ましい姉の後ろ姿が完全に消えてしまうと、呆然と立ち尽くしていた弟は、その場でしくしくと泣き始めた。


 少女は男を追い掛ける。辺りを警戒しながら早足で歩く男の後を、慎重に、大胆に。

(間違いない!あれは――)

 隣町で先ごろ起きた、強盗殺人事件。犯人の素性は既に割れていて、全国に指名手配されていた。両親の仕事柄、少女には警察署に出入りする機会があった。廊下に張られたポスターには、『全国指名手配犯』として、前方を歩く男の顔写真が印刷されていた。
 やがて、小さな魚港に着いた。そこが、男の目的地らしかった。男が停泊している漁船の一隻に近付くと、中から別の男が現れた。漁師のような格好をしているが、男が親しげに話しかける様子から仲間だと分かる。岩場の影から一部始終を見ていた少女は悟った。

(……あいつら、検問を避けて海から逃げるつもりなんだ!)

 そう思うと、いても立ってもいられなくなった。近くの公衆電話からで父親に電話を掛ける。幸いなことに電話は通じ、少女は今目の前にしている光景を早口でまくし立てた。
 電話の向こうで、父親は驚いた様子だったが、すぐに厳しい声になって『すぐにそこから離れるんだ!』と言った。少女は頷き、電話を切って振り返る。

 ――そこには、あの男が立っていた。

 男の漁船は港からいくらも離れないうちに、海上保安庁の船艇に取り囲まれた。しかし、一定の距離を保ったまま近付くことが出来なかった。甲板に現れた男が、右手の拳銃を左腕で抱きかかえている少女のこめかみに押し付けていたから。
 男は少女を盾にして、海上保安庁の船艇に包囲を解くよう要求してきた。要求を呑まなければ、少女の頭は吹っ飛ぶ――と。
 船艇には、少女の父親である警察官も特別に乗船していた。拳銃を抜いて臨戦態勢に入ってはいたが、娘が人質に取られている以上、どうすることも出来なかった。
 こう着状態が続いていた。緊張と重圧から男は苛立ち、今にも発砲しそうな素振りだった。彼らの頭上にはいつの間にか暗雲が立ちこめており、雲の中では幾筋もの電光が閃いていた。風が強くなり、高くなった波が男の乗った漁船を大きく揺らした。
 ひときわ大きな波が船底を突き上げ、男は一瞬、バランスを崩す。その隙を突いて少女は男の腕から逃れ、甲板を走った。逆上した男の銃口が、少女の背中に向けられる。

 ――銃声。

 降り出した雨の中に、赤い液体が混じる。それは、銃を構えた男の胸から流れ落ちるものだった。少女の父親は、男の肩口を狙ったつもりだった。しかし、大きく揺れていたのは海上保安庁の船艇も同じだった。狙いは逸れ、鉛の弾丸が男の心臓を貫いた。
 即死なのは、誰の目にも明らかだった。 
 男が甲板に倒れた刹那、漁船の頭上で一筋の光が閃いた。光は一直線に漁船目掛けて落ちてくる。それは、剣の達人が目にも留まらぬ早業で真剣を振り下ろす(さま)に似ていた。


ドォン……ッ!!!!



 強烈な轟音(おと)閃光(ひかり)が、その場にいた全員の視覚と聴覚を揺るがした。
 真っ白に染まる世界の中で、少女の父親はふっ飛ばされて宙を舞う娘の姿を見た。
 それは、一瞬の光景だった。世界に色彩が戻った時、少女の身体は海上に浮いていた。

 陸に戻った少女には、大手術が行われた。落雷が直撃した訳でないが、余波でも人体に与えたダメージは凄まじかった。それから一週間、少女は生死の境を彷徨った。
 
 辛うじて生命を取りとめた少女の背中には無残な電流斑が残り、少女の父親は犯人の男を射殺した咎めを受けて地方の警察署に飛ばされることとなった。
 娘を守るためとはいえ、『警察官は撃たれても撃ってはいけない』という慣行が根付いているこの国において、父親の行為はあまりにも軽率すぎたと非難を受けた――当然の、結果だった。
 




「――姉さんの体内には微弱の電流が流れていて、常に放電してる状態なんっす。
 普段はループタイの留め具(バックル)に付いている鉱石が、姉さんの発する電気を吸収・分解しているんっすけど、雷の音を聞くと“あの時”の恐怖がぶり返して、反射的に放電してしまうっす。……そうなると鉱石でも抑えられなって、ショック症状を惹き起こすんっすよ」
 焔城検事の胸元には、亀裂が入って輝きを失った鉱石が静かな眠りに就いていた。
「よっぽど怖かったんだね、感電……」
 真宵くんが気の毒そうに言う。
「うム。そういう事情があったのならば焔城検事が審議中に見せた、機械類への過剰反応も合点がいく」
「そうなんっす。普段の状態でも、姉さんはほとんど機械類には触れないんす」
「う〜ん、あたしも機械は苦手だけどなぁ……」
「しかし、テレビを見たり電話を掛けたりはするだろう?それらが制約されるとなれば、相当不便を強いられることは想像に難くない」
「うわ、トノサマンが見られないなんて……ツラ過ぎるよ」 
「でも、姉さんをフォローする体制はバッチリなンすよ。例えば、この町内で打った電報は光通信並みの速さで姉さんに届くようシステム完備されてるし!」
 成る程、それで審議中に“電報”届いた訳か。しかし、スイッチひとつで町が動くこの情報化時代に難儀なことだ。
「けど、俺……問題はもっと深いところにあると思うンす」
 がくり、肩を落とす彼からは、例の有り余るパワーが感じられなかった。
「あの事件は、姉さんの心と身体に一生消えない傷を残したっす。……だから、この世のありとあらゆる犯罪者をユルせないんっすよ、姉さんは」
 真宵くんには悪いが、焔城検事があれほど被告人・夜羽愛美に厳しく当たる理由も、今なら理解(わか)る。彼女が憎むのは“夜羽愛美”個人ではなく、“犯罪者”という人種そのもの。
 被告人におよそ“犯罪者らしい”という疑いがあれば、彼女は躊躇うことなく正義の刃は振り下すだろう。全ての犯罪者を断罪するために存在する、限りなく純度の高い焔――

「……べらべらとしゃべりすぎだ、北斗」
 
 ――蚊の鳴くような、細い声。すぐさま反応したのは北斗刑事だった。アタフタとベッドに駆け寄り、声の主を覗き込む。
 
「ね、姉さん!……だ、大丈夫っすか?!」

「北斗……キサマ、何処までウカツなのだ?余計な、人間まで……連れて来おってッ!」

「姉さんッ!大事無くて良かっ――あ()ッ!!」

 北斗刑事が焔城検事の手に触れた瞬間、蒼白い火花が散った。その衝撃でか、鉱石の亀裂は更に広がる。北斗刑事、鉱石を手に溜息ひとつ。

「あ〜……これはもうダメっすね。オレ、スペア持ってくるっす!待ってて下さい、姉さ〜ん……!!」

 その声はあっという間に遠ざかり、焔城検事の病室には私と真宵くんが取り残された。
 ふむ、この辺りが引き上げ(とき)か。退出しようと、真宵くんを促した時。

「……カミナリごときに怯えるなど、情けない検事だろう?……笑いたければ笑うがいい」

 まだ少し荒い呼吸(いき)(もと)、焔城検事が卑屈に哂った。

「――私は、地震だ」

 真宵くんが、はっと息を呑む。

「……?」
「幼少の頃、地震で死にかけたことがあった。微弱な揺れでも足が竦む……未だに、な。――トラウマとはそういうものだ」
「……」

 何故、こんなことを口走ったのかは分からない。慰めというのではなかったし、互いの傷を舐め合うという気持ちも毛頭なかった。――ただ、伝えておきたかった。

「そ、そうだよ!焔城検事。人間だもん、コワイもののひとつやふたつ、誰だってあるよ!あたしだって……ものスゴク怖いモノ、あるしっ!」

 一方、真宵くんも、こちらは純粋な優しさで焔城検事を元気付けようとしている様子。

「ほう?百戦錬磨のキミにも苦手なものがあるとはな。今後の参考のために、ぜひ聞かせていただきたい」

 素直な想いに軽い気持ちで乗っかったことを――数秒後、私は猛烈に後悔する。
 
「ヌエ」

「……は?」

「ヌエだよ、ヌエ!はみちゃんの持ってた『妖怪大図鑑』に載ってたバケモノなんだけどさ……頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎だよ?も〜ぉ、ドコ目指してるんだかワケ分かんないでしょ?!もし出遭っちゃったら……って想像するだけで……あ〜、もぉダメっ!!」

 ……さも恐ろしげに叫ぶ真宵くんの思考回路は、私の斜め前を全力で飛び越えていた。

「安心したまえ、キミがその種の生き物に遭遇する可能性は……限りなく、ゼロに近い」
「へ……?ゼロじゃないの?」と、真宵くん。
 彼女の場合、0.0000…1%くらいの確率で、遭遇しそうな気を起させるから不思議なのだが。
 ふと見れば、焔城検事の目も点になっている。

「……キサマら。それで同情しているつもりか。私を丸め込んで起訴を取り下げさせようとしているなら無駄なことだぞ?」

 そこはかとなく微妙な空気が漂いきった後で、焔城検事が呻くように言った。

「そ、そんなんなつもり……だって、あんなの見ちゃったら心配じゃないですか!」
「ハッ、勘違いしてくれるなよ?私とキサマらは敵同士。弁護士助手風情に心配されるいわれはないッ!被告人・夜羽愛美には揺るぎない有罪判決をくれてやる!覚悟するのだな!」
「だ〜か〜らぁ!まみちゃんは犯人じゃないんだってば!」 
「何とでも言うがいいッ!この事件は何としてでも私がカタを付けてやるッ!!

⇒To Be Continued...

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