逆転−HERO− (6)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月06日(水) 20時42分46秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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同日 午後1時30分 喫茶店 『サバラン』
 

 クラシックな木製のドアを、勢いよく開け放つ。
 頭上で響く呼び鈴の音も、『OPEN』と書かれたプラスティックプレートがひっくり返って『CLOSE』になったことも、さして広くもない店内に転々と居座る客の視線を一身に集めたことも、その時は全く気にならなかった。
 否――気にしてなどいられなかった、と言う方が表現としては正しいだろう。
 かくも私を急き立てるのは、学園を出た時に掛かってきた一本の電話だった。

『助けて、御剣さん!あたし、捕まっちゃった!裁判所前の“サバラン”って喫茶店にいるから、すぐに来て!』

 切羽詰まった真宵くんの声を聞いた瞬間、私の頭は真っ白になった。
 ただ、思い出さずにはいられない――二年前、彼女は『コロシヤ』なる危険極まりない人物に誘拐された時のことを。
 『サバラン』という名の喫茶店は、つい最近……もの凄く最近、聞いたような気がしたが、その時は気に留める余裕もなく駆け出した。

(真宵くん、無事なのか……?!)

 板張りの(フロア)を踏み抜かんばかりに店内を闊歩し、彼女の姿を探し求める。
 何事かという表情のウェイトレスの脇をすり抜けた、その瞬間――

「あっ、おーい!みつるぎさーん!こっちこっちぃ〜」

 張り詰めた緊張の糸は、私の名を呼ぶ呑気な声に一刀両断された。
 思わず足を止め、辺りを見回そうとし……その必要など全くないと気付く。
 私の前方、ぶんぶんっと左右に大きく振れる手はイヤでも目に入った。ついでにテーブルを挟んだ向かい、こんもりと繁る赤毛のアフロも。それがぐりっと振り向いて、
「よっ、ニィちゃん。遅かったなぁ」
 とてもよく見知った顔が現れた時、私は両肩から力が抜けていくのを感じた。
 ナツミさんの前には果物と生クリームで飾り立てられたオレンジ色の“山”を乗せた足付きデザート皿が、どんと置かれている。そして、当然のことながら真宵くんの前にも同じものがあった。 
 テーブル中央、宣伝用のプレートに『サバラン特製サバラン・ア・ラモード』の文字が誇らしく踊っている。……あの物体の代金は、間違いなく私持ちだろう。
 ここまで全力疾走してきた分の疲れに例えようもない虚しさが加わって、倒れ込むように空いた席に腰を落とした。文句のひとつも言いたかったが、この虚脱感の中では無理そうだ。まずは、話が出来るだけの気力を取り戻さねば……。

「あぁ、よろしいか?」

 近くに居た背の高いウェイターを呼び止め、ブレンドティーを注文する。

「はい。畏まりました」

 給仕服がなかなかサマになっている青年ウェイターは、白い歯を覗かせて踵を返した。彼の後姿をぼんやりと目で追い、少しして視線を戻すと――目の前では削岩機のように動くスプーンが、オレンジ色の山を容赦なく切り崩していた。
「お。さすがにお疲れやな、ニィちゃん。今、嬢ちゃんから裁判の経過を聞いたところやねんけど、苦戦しとるみたいやないか。
 やっぱり『深紅(しんく)処刑人(しょけいにん)』は手強いンか?」
 オレンジ色の塊をひょいひょい口に運びながら、ナツミさんが面白そうに笑う。
「深紅の、処刑人……?」
 返事の代わりなのか、私の前に一冊の雑誌が差し出される。『月刊 ビジュアル法廷』という如何わしいタイトルには覚えがあった。確か一日目の審議が始まる前、真宵くんが焔城検事のことを伝えようとして、私に示したものだ。
「御剣さん、これこれ」
 と、隣からサバラン・ア・ラモードを跡形もなく片付けた真宵くんの手が伸びてきて、雑誌のページを繰る。彼女が示した場所には、ここ数日ですっかりお馴染みとなってしまった人物の写真とゴシック文字の煽り文句が乱舞していた。
「『深紅の処刑人』――ウチが付けた “謳い文句”(キャッチフレーズ)や。イカスやろ?」
 安っぽい雑誌にありがちな構成を、恥ずかしげもなく自慢するアフロ頭。
「今ね、流行ってるんだよ。きゃっちふれーず。若い法曹家さんたちの間では一種の“すていたす”なんだって。御剣さんもどぉ?きゃっちふれーずのひとつやふたつ」
「せやせや、今日びキャッチフレーズの一つも付いてない検事や弁護士はペーペーのトーシロかモグリやで。ウチとこの雑誌の専属モデルになったら、カッコエエの付けたるで!
 せやなぁ……『法廷に舞い降りる赤いヒラヒラ』とか!」
「違うよ、そこは『フリフリ』だよっ!」
 ……盛り上がるのは勝手だが、いい加減その視点から離れて頂きたい。ついでに言うなら、フリルタイ自体は全く赤くない。
「ん〜、でも『処刑人』じゃ、ちょっと悪者っぽくない?検事ってさ、曲がりなりにも悪い人をやっつけるショーバイじゃない?もっと夢のあるきゃっちふれーずにした方がウケるよ、きっと。あたし的にはね〜……『法廷焦がす赤い流星!』がいいと思うな♪」
「おっ、嬢ちゃん。それはウチへの挑戦か?まぁまぁのセンスやねんけど――不採用やね」
「え〜?!なんでさ〜!」
「ええか?キャッチフレーズっちゅーのはな、外見より中身の要素が重要やねん」
 ……私のキャッチフレーズを思いっきり外見で決め付けたのは誰だったか、小一時間ほど問い詰めたい。
「中身ってどういうこと?」と、首を傾げる真宵くんにナツミさんはぐぐっと顔を寄せ、
「ウチの調べによるとな、あの焔城っちゅう検事は被告人をビシバシ有罪にするだけやのぉて、被告人に付いた弁護士の無能っぷりをこれでもかってくらい追及して徹底的に叩きのめすねん。
 それはもう、徹底的にや。焔城検事に打ち負かされた弁護士はしばらく立ち直れへんほどの精神的ダメージを負うらしいワ」
 本人は声を潜めているつもりでも、内容は筒抜けである。
 しかし……成る程。被告人への厳しい糾弾、弁護士に対する剥き出しの憎悪、己の信じる正義を貫こうとする姿勢――彼の戦闘スタイルに、私が何処となく親近感を覚える理由。
 彼は多分、似ているのだ。犯罪者に対する憎しみと弁護士に対する嫌悪感を募らせながら検察席に立っていた、過去(かつて)自分(わたし)に。

「お待たせいたしました。どうぞ、冷めないうちに」

 穏やかなウェイターの声と柔らかな香りが、逆行しかけていた意識を現実に引き戻す。
 私の前に置かれた口幅の広いカップの中では、艶のある紅色の液体が揺らいでいた。何気なく手を伸ばし、口を付けて――その見事な味わいに感嘆する。
 ウェイターが軽く頭を下げてテーブルを離れてしばらく、私はゆったりと流れる時間を楽しんだ。この件にかかわってからは心労の耐えない毎日だが、美味い紅茶を口にする機会が増えたことだけは好しとしよう。

「あんさんもせいぜい処刑されんように気ィつけや〜。ま、骨くらいは拾たる。あんたの骨なら高こ……エエ魔よけになりそーやからなぁ」 
 遠ざかっていた賑やかな声が戻って来るのと同時に、今の私には過去を振り返っている時間もティーブレイクを楽しむ余裕もなかったことに気付いた。何せ、今日中に『君影草』と名乗る脅迫者の正体をつかまなければならないのだ。
 私の向かいには、相変わらず巨大なアフロ頭が圧倒的な存在感を誇っている。君影草に繋がる可能性はどんな小さな手がかりでも調べる必要がある身としては、今ここで彼女と向かい合っている事態を好都合と採るべきなのだろう。
「それで?真宵くんの身柄を拘束してまで私を呼び出したのは冷やかしかな、ナツミさん」 
 ただ……こちらの要件を切り出す前に、はっきりさせておかなければなるまい。先程から粘っこく絡みついて離れない、意味ありげな視線の……理由(わけ)だけは。
「はぁ?……ニイちゃん、まさかウチとの“契約”忘れたわけやないんやろ?」
 何気なく探りを入れたつもりが、彼女には何故か逆効果だったようだ。
「契約……?」
 ニラミを効かせながら、無言でアフロ頭を突き出す。『後はそっちで考えや』とでも言いたげだが……その蛇のような眼光は、忘れようにも忘れられるものではなかった。 
 昨日の審理で私が検事であることを伏せておく代わりに……何の言葉も書面も交わさなかったが、あの瞬間、確かに我々の間には得体の知れない契約が交わされていたのだ。
「……それで、私は何をすればよいのだ?」
 彼女の意図を理解し……させられた(・・・・・)以上、こちらの採るべき態度はひとつしかない。
「まあ、そう構えんと。あんさんはぁ〜、ウチにぃ〜、大人し〜う、写真を撮らせてくれるだけ(・・)でエエねん」
「ム……?」
 彼女のことだ、『ほな、油田の1ヶでも掘り起こしてもらおか』くらい要求は覚悟していたのだが……しかしながら、あまりにも平和的な申し出なだけに余計に、何か、その、もの凄く得体の知れない、不吉な、不気味な、引っ掛かるものを感じずには……とはいえ、背に腹は変えられんが。
「そんなことでいいのなら、すぐにでも……」
「あ〜、アカン。今はアカン。そのしみったれた服装やったら、意味ないねん。いつものヒラヒラか、意表をついてピンクのリボンタイあたり巻いてもらわんと」
「?」
 曲がりなりにもカメラを持つ者としてのこだわり、ということだろうか。……クセのある含み笑いの中身はあえて考えまい。
「交渉成立、やな。コレ、ウチの名刺。今回のごたごたが済んだら連絡してや。ほな」
「――ま、待った! ナツミさん、あなたにお訊きしたいことがあるのだ」
 机の上の伏せた伝票には目もくれず、カード一枚を残して立ち去ろうとするナツミさんを、私は慌てて呼び止めた。
「……なんや?ウチもヒマやないねんけど」
 自分のことは棚に上げてよく言う……と、喉まで出掛かった言葉を辛うじて飲み込む。今ここで、彼女の機嫌を損ねるのはマズイ。
「手間は取らせん。そうだな……君がケーキセットを平らげる程の間に済ませよう。ここの紅茶は絶品だ。味わわずに帰る手はないと思うが」
「……OKェ」
 舌なめずりをしながら座り直したナツミさんの前に、愛美さんの衣装を着た詩門温子の後姿を捉えた写真を置く。
「あなたがこれを撮影した時のことを伺いたい」
「……それやったら、昨日ニィちゃんが喋らせたやないかい。ウチはこの後姿の嬢ちゃんにまんまと乗せられた、ユカイなピエロなんやろ?」
 審議でのやり取りを根に持っているのか、ナツミさんの受け答えにはトゲがある。しかし、ただ単にふて腐れているというのではない。おそらくは、私の話が彼女にとって得になるものか否かを推し測っているのだろう。
 さて、こちらもせいぜい彼女の興味を惹くように話してやらねばな。
「私が訊きたいのはもっと前――あなたがあの時間、あの場所に居たことについてだが?」
 少し間を置いて思わせぶりに切り出すと、彼女のヤブ睨みが一瞬きつくなった。
「確かについ先程まで、私はあなたが偶然に選ばれたのだと思っていました。犯人が、あの場所に居たあなた……いや、あなたのぶら下げている大きなカメラ目にを付けたのはたまたまだったと。しかし、それは“逆”だったのはないだろうか」
「は〜ん、どういうことやろ?」
 思った通り、ピラニアさながらの貪欲な喰らい付きっぷり。
「つまり、大きなカメラを持った“あなたが目を付けられた”のではなく、スズランの鉢を持ったメイド服の女性に“あなたが目を付けた”のです。
 あなたは初めからメイド姿の人物が温室付近に来ることを知り、撮影するために待ち構えていたのではありませんか?」
「……ニィちゃん。夜羽愛美をハメたんはウチやって言いたいん?」
「いいえ。あなたが何処で誰を待とうと、何を撮ろうと一向に構わない。ただ――」
 君影草――この事件の黒幕は、その名の通り“影”のように身を潜め、ただ一方的な“指示”のみで愛美さんや詩門温子を操ってきた。まるで、チェスでも興じるかの如く。
 それならば、愛美さんに疑いが掛かるような証拠品を持ち出してきたナツミさんもまた君影草の手駒のひとつであった可能性は高い。
 詩門温子のように弱みを握られて云々、ということでは彼女の場合ないだろうが……労力に見合う見返りのひとつでもあれば、おそらくは簡単に動く駒だ。
「ナツミさん。あなたがあの時、あの場所に居たのは偶然ではないのだろう?」
「……言いたいことがあるなら、ぼかさんとハッキリ言い」
 ナツミさんの声音がぐっと押し殺したものになる。彼女もその気になったのだろう。回り道はここまで。後は本道に戻って、ひたすら突き進むのみ。
()るのでしょう?あなたにあなたが起こした一連の行動を“指示”した人物が。
 教えて下さい、ナツミさん。今はどんな小さな手がかりにでも縋りたいのだ」

「……かなわんな。ニィちゃんの言う通りや」

⇒To Be Continued...

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