逆転−HERO− (5)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月05日(火) 16時10分26秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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 あたし、従うしかなかった……指示通りにそこへ行ったわ。席に座って待っていたら、あたしと背中合わせに誰かが座った気配がしたの。何気なく振り向こうとしたら、メモと小さい紙袋を渡されて……メモには『決して振り向かないように。
 手紙で指示したものとお前の携帯電話番号を書いたメモを紙袋に入れ、手だけ後ろに回してこちらに渡すこと。事が済んだら、私が店を出るまで真っ直ぐ前だけを見て動かないこと。このメモは後で燃やすこと』って書いてあったから……その、通りに……し、たんです」
 順調に流れていた証言だったが、最後の方は苦しげな吐息と共に搾り出したという感じ。脅迫されていたとはいえ、彼女のしたことはもちろん許し難い罪だ。しかし、苦悶に歪んだ表情を見る限り、彼女がこの三年、罪の意識に苛まれ続けてきたと知れる。
 彼女に救いがあるとすれば、自分の犯した過ちを十分に自覚し、後悔し、反省していることだろう。当たり前のことのようだが、これが出来ない犯罪者は世の中に結構いる。
「しかし、今の証言だとあなたはその……」
「君影草」
「――と直接、会っているようですね。では、証言していただけませんか?その……」
「君影草」
「――の様子を」
「……その人が出て行くところを、一瞬だけ」
 どうやら、指示に従わなかったことは『ひとつだけ』に留まらなかったらしい。
「見たのですか?!では、それも証言して下さい!」
 興奮した様子の裁判長とは反対に、詩門温子は困惑した表情で身を硬くする。
「……見たといっても、パーカーのフードを被った後姿だけよ。顔や髪型なんてゼンゼン見えなかったし、性別もはっきりしなかったわ」
「そうですか……」と、あからさまに落胆した様子の裁判長。
 しかし、私は彼女の最後の言葉に引っ掛かりを覚えていた。
「証人。『性別がはっきりしなかった』とは、どういうことだろうか?」
 その質問は自分でも不思議な感じがした。自覚はしていなかったが、私はどうやら『君影草』なる脅迫者を“女性”だと思い込んでいたらしい。手紙で細やかな指示を出すやり方や、スズランの別名だという『君影草』を名乗る感性が、そう思い込ませたのだろう。
 だが、よく考えれば『君影草』が“女性”だという確証は何もない。そして、もし『君影草』が“男性”だと確定すれば、愛美さんへの疑惑は一気に晴れるのだ。

(危なかった……余計な先入観は捨てて望まなければ)

「ええと……あぁ、そう。“身長”です。その人の身長が、検事さんくらいあったように見えたから――」

 彼女の言葉を聞いて、私は自分の質問が意義(・・)のあるものだったと確信出来た。

「異議ありッ!顔や性別すら定かでないのに、背の高さだけ正確に分かる訳がなかろう!――だいたい、私の身長がキサマの知り得るところか?!」
 私の突破口となった発言も、向かいの赤い人影にとっては異議(・・)にしかならないらしい。
「あの喫茶店、出入り口の扉の横にドラセナ・マッサンギアナの鉢があるんですよね」
「どら……?」
「ドラセナ・マッサンギアナ、観葉植物です。『幸福の木』って言った方がいいですか?」
「知るかッ!その木が何だというんだ?!」
「その人とドラセナ・マッサンギアナが扉の所で一瞬だけ並んだ時に、高さが同じくらいだったんです。あたし、店を出る時にドラセナ・マッサンギアナと自分の身長を比べてみたんです。そしたら、ドラセナ・マッサンギアナの方が10センチ以上高かったわ。
 あたしの身長が162センチだから、10センチ高いとしても172センチでしょ?検事さんの身長は知らないけど、あのドラセナ・マッサンギアナくらいはあるように見えるから」
「ドラセナ・マッサンギアナはもういいッ!」
 イライラと机を打ちつけ証人の言葉を遮る焔城検事を、私は冷ややかに見据えて言う。
「フッ。自分が不利になったことを証人にあたるのは酷というものだぞ、焔城検事」
「私が、不利……だと?」
「そうだ。今の証言で『君影草』の身長は少なくとも172cm程度と判明した。――愛美さん、あなたの身長は?」
「……ひゃく、ろくじゅっせんち」

「異議ありッ!」

 愛美さんの遠慮がちな呟きを、紅蓮の焔が一瞬にして焼き尽くす。

「証人の目撃は一瞬だけだ。一瞬の目測で、正確な身長が判るものかッ!」

 愛美さんの身長が160cmと判明した今、脅迫者・君影草の身長が確定してしまうと彼の主張にほころびが出てくる。
 だから、彼の異議は先にも増して攻撃的だった。しかし、突き進む道しかないのはこちらも同じ。彼に負けじと、私は声を張り上げる。

「異議あり! 証人が目撃したのはその人物とドラセナ・マッサンギアナの鉢が並んだところだ。その人物の身長は、彼女がドラセナ・マッサンギアナの高さと自分の身長を比べて割り出したもの。決して単なる目測などではなく、信憑性は高いと考えられる!」
「異議ありッ! 一連の証言にはそもそも何の意味もないことが、まだ解らないのか?
 考えてもみろ。高い身長を低く見せることは不可能だが、その逆――低い身長を高く見せるのは簡単だ。底の高い靴を履けば良いだけの話だからな!」
「異議あり! 愛美さんが自分の身長を高く見せたというのか、あなたは。それこそ、何の意味もない行為ではないか!」
「異議ありッ! 被告人の細かい意図など、こちらの知ったことではない!ここで問題にすべきは、被告人以外の人間が君影草にはなり得ないということ。それを私に確信させた根拠が、弁護士ッ!先程のキサマの発言だ!」

「何……?」

 果てしなく続くと思われた異議の応酬だが、焔城検事の不可解な発言に私は立ち止まらざるを得なかった。愛美さんを君影草だと断定した根拠が私の発言にある……?
 今日の審議をざっと思い返してみても、全く覚えがない。
 沈黙した私を用済みと見たか、非難の矛先は被告人席へ。
「被告人は聞いていたのだろう?『柚田伊須香が詩門温子を脅迫していた、その一部始終』を。とすれば――その時、彼女は詩門温子の弱みを握る機会を得ていたことになるな?」
「……?」 
 愛美さんは何のことが分からないというように首を傾げ、上目遣いにこちらを見る。
(……しまった)
 それと目が会った時、私は初めて自分の犯したミスに気付いた。彼女がきょとんとするのも無理はない。『柚田伊須香が詩門温子を脅迫していた、その一部始終』を、愛美さんが聞いた(・・・・・・・・)――というのは、私の“ハッタリ”なのだから。
(やれやれ、慣れないハッタリなど使うものではなかったな……)
「御剣さん。弁護士、向いてないんじゃないの?」 
 大いに反省してるところへ、呆れ顔の真宵くんが追い討ちを掛けてくる。
「……真宵くん。私は自分が弁護士に向いていると思ったことはただの一度もない」
 事態は緊迫しているが、ここは自己弁護に徹するべきだろう。
「二人の事情を知った被告人は、これを利用して己の野望を遂げることを考えた。即ち、柚田伊須香を亡き者にすることを。被告人は詩門温子の動向を密かに探り、思い通りに動かすための決定的な証拠を探していたに違いない。そして、その瞬間は訪れた。
 それが、先程のテープの会話だ。あのような会話を記録するには、それ相応の機材が必要だった筈。証拠を入手する機会を窺っていた被告人ならば、その会話を記録できるような機材を準備し、持ち歩いていてもおかしくはない。そして――“逆”に言えば。
 それが出来なかった彼女以外の人間には、こんなテープが用意できる筈はないんだ。ここまで説明すれば、いかな理解力に乏しい弁護士でもお分かりだろう?
 夜羽愛美が君影草であることは、もはや疑いようがない事実なのだとなッ!」
 ――とはいえ、外部の敵がああも得意げに人差し指を突きつけてくる以上は、内輪揉めもほどほどにせねばなるまいな。
「それはどうだろうか。愛美さんが犯人ならば、詩門温子にメイドの衣装を着せて学園内を歩かせる意味がない。むしろ、あの指示によって愛美さんに疑いが掛かったのだから、君影草を彼女と考えることこそ、大いなる“ムジュン”と言えるのではないか?」
「甘いな。最初から、そういう計画だったとしたらどうだ?」
「何……?」
「被告人は自分に疑いか掛かることを想定して、自分と同じメイドの衣装をさせた正体不明の人間に校内を走り回らせた。但し、一ヶ所だけ隙を作っておく。
 昨日、キサマが得意げに指摘した“スカートの裾の形状”がそれだ。わざと裾の形状を変えておくことで、自分をワナに掛けた人間が別にいると思わせることが出来るんだ。キサマのようなマヌケでお人よしの弁護士になッ!」
「な、何だと……?!」
「被告人は“ワナに掛けられた悲劇のヒロイン”を演じ、まんまと乗せられたキサマが『真犯人は詩門温子である』と言い出せばしめたもの。
 後はいかにも怪しい詩門温子を犯人に仕立て上げ、自分に無罪判決が下りれば完全犯罪成立でめでたしめでたし、という訳だ」
「バカな……!」
 何という力技……しかも、それなりに筋が通って聞こえるのが空恐ろしい。

「被告人にとって最大の“誤算”は、詩門温子が証人が過去の罪を告白し、脅迫者・君影草の存在を明らかにしたことと――この私を敵に回したことだッ!」

 焔城検事の剣幕に、愛美さんはすっかり萎縮していた。身に覚えがあるからという訳では無論、ない……が、彼女の様子は傍目にはそんな印象を与えてしまうのだった。

「そして、弁護士。キサマは今日、三年前の事件につき夜羽愛美の潔白を証明した。しかし、キサマのしたことはそれだけ(・・・・)……本件、即ち“柚田伊須香殺人未遂”における被告人の無実の証明は何ひとつしていない」

 愛美さんを抑圧してしまうと、後に来るのは当然――

「したがって、検察側の主張はいささかも変わらず――柚田伊須香殺人未遂事件に加え、詩門温子への脅迫についても被告人・夜羽愛美を訴追するッ!!!」

「……って、また余計な罪がくっつけるしっ!御剣さん、言われっぱなしじゃない!何とかしてよっ!」

 真宵くんに諭されて、我に返る。そうだ、呆気にとられている場合ではない。
 視界の端に映るくたびれ気味の法服。宙ぶらりんのままの木槌。ムダに立派な顎ヒゲ。
 目を瞑り、眉間にしわを寄せ、傍目にはもっともらしく我々の話に聞き入っている様子の裁判長――だが、油断は出来ない。彼の場合、いつ朱に交わって赤くなるやもしれん。

「主張が変わらないのは弁護側もこちらも同じこと。愛美さんが疑われるように仕向け、詩門温子を脅迫した『君影草』なる人物は別にいると考える!」

「そこまで!」


 
カン!

 
 我々の応酬が佳境に差し掛かったところで、置物と化していた裁判長がついに動いた。

「双方の主張は分かりました。その……」
「君影草だッ!いい加減に覚えろッ!」
「――なる人物の正体がはっきりしないことにはこれ以上の審議は望めません。したがって、検察側・弁護側それぞれに、その人物について詳しい調査を要請します。
 それから、証人。あなたにも少しお話を伺わなければなりませんね」

 厳しい視線を据えられ、詩門温子は黙って頷く。そして――

「あと、先程の身長の件ですが……慎重に検討して下さいよ。身長(・・)だけに、慎重(・・)に」


『………………………………』


「では、本日はこれにて閉廷!」


 
カン!


 法廷内に渦巻く熱気は、突如発生したブリザードによって跡形もなく吹き飛ばされた。


 廊下に出ると、警察官や廷吏が右往左往しているのに出くわした。彼らの一人を捕まえて訳を訊いたところ、早口で『詩門温子が逃亡した』との答えが返ってきた。

「大変だ!御剣さん、あたしたちも探そうよ。あたし、あっちの方を探すね!」

 真宵くんは私の返事をまたずして身を翻し、その後姿はあっという間に見えなくなる。

 独り取り残された私の足は、自然と“あの場所”に向かっていた。


同日 午後12時42分 聖ミカエル学園 構内 白樺林の奥
 

 単一色(モノトーン)の林、レンガの障壁。昨日、一昨日、見た時とそれらは何も変わらない。
 ここだけが現実の時間から切り離されたように、動くものとて何ひとつ無く……。
 ただ、今――開いた扉の向こうから、仄かに漂う甘い香り。誘われて、足を踏み出す。

「ム……」

  視界に溢れる色彩(いろ)海原(うみ)
 スズランの白、スイセンの黄色、キキョウの紫、マリーゴールドのオレンジ、バラの赤……あとは、名前も知らない色とりどりの花々。灰色の世界を歩いて来た私の目に、それらは少し煩すぎた。
 それらを守るようにして――あるいは、それらに護られるようにして佇む白衣の人影。

⇒To Be Continued...

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