逆転−HERO− (5) | |
作者:
紫阿
URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html
2009年05月05日(火) 16時10分26秒公開
ID:2spcMHdxeYs
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「二度目ですね。ここで、あなたとお会いするのは」 「……」 「正確には、この壁の外ですが」 「……」 「この場所は一体、何なのです?」 「……ノエルが愛した庭よ」 まともな返事が返ってくるとは思わなかったので、多少、面食らう。……それでも。 「ノエル――この写真の人物ですね?」 私はポケットから、彼女――詩門温子に返すべき“もの”を取り出した。 昨日、彼女がこの庭の外で必死になって探していた革の写真ケース。 「?!」 彼女は思いもしなかったのだろう、私がこれを持っているなどとは。 「お返ししますよ。あなたのでしょう?」 恐る恐る伸ばびてくる手に、しっかりと掴ませる。もう二度と、落とさないように。 「ノエル……っ」 しばらくは、押し殺したような嗚咽だけがさわさわと花を揺らす風の中に溶けていた。 「――天使、だったの。彼」 不意に。開いた写真ケースに埋めていた顔を上げ、彼女がぽつりと呟いた。 「え……?」 「子どもの頃にね、この町で迷子になったのよ。あたし。引っ越してきたばかりで。……道端で泣いてるあたしの前に、スズランの刺繍の入った綺麗なハンカチが差し出されたの。顔を上げると、そこにあたしと同じくらいの歳の少年が立っていた。 抜けるような白い肌に柔らかなそうな金髪、宝石みたいに青い瞳のその子が、あたしには“天使”に見えた。彼の喋る言葉は、あたしが聞いたこともない言葉だったし……。 でも、彼が自分を指差して『ノエル』と言ったから、彼の名前が『ノエル』ということだけは分かった。ノエルは泣き止んだあたしの手を引いて、ここへ連れて来てくれたの」 天から舞い降りてきた風が、少しほつれた彼女の前髪をいとおしそうに撫でて過ぎる。 「……あたしとノエルが遊んでいるところに、おじさんがやって来たの。ノエルの父親だって言ってね。夕方になると、おじさんはあたしを家の近くまで車で送ってくれた。 あたしがまたノエルに会いたいっていうと、おじさんは『また明日、迎えに行くよ』って……それから一ヶ月ぐらい、あたしは2〜3日おきにここへ来て、ノエルと一緒に遊んだわ。夢のような時間だった。……けど、ある日を境に迎えは来なくなったの。 あたしはずっと待っていた。雨の日も、風の日も……だけど、おじさんはもうあたしの前に現れなくなって、ノエルとも会えなくなった。だから、あたし……あの時のこと“夢”だったんだな、って思うようにしたわ」 さらさらさら……。彼女の声が途切れる合間に緑が唄う。 「――でもね、ノエルとの出逢いは夢でも幻でもなかった。あたし、見付けたのよ。母さんが集めてきた名門高校のパンフレットの中に、あのおじさんの顔を。『聖ミカエル学園 学長 赤間神之助』――それが、おじさんの名前だった。 あたしの学力じゃとても合格出来ないような ほんの一瞬。肩越しに除いた眼差しに宿る侮蔑と、憂い。それとよく似た表情を、私は昨日、学長室で見ていた。 「この場所はすぐに見付かったけど、扉は固く閉ざされてた。扉を叩きながら、あたしはノエルの前を呼んだ。あなたに逢いに来たのよ……って、何度も、ムチュウで叫んだわ。 しばらくそうしていると、後ろから声を掛けられた。『君は誰だね?!何故、ノエルの名前を知っている?』って。振り向くと、赤間学長が驚いたような顔で立ってた。 ……あたしは学長に全てを話した。学長はあたしのことを覚えてて、話を聞きながらそうか、そうか……って、何度も頷いてくれたわ。そして、話してくれたの。ノエルは病気になって故郷フランスの病院に入院中なんだってこと、あたしのことをずっと気にしててくれたこと、心配を掛けたくないから黙っておいて欲しいって言われたこと……全部。 学長は、ノエルの写真とここの鍵をあたしに渡しながら『君が今でもノエルのことを想ってくれているのなら、ノエルが愛したこの庭を蘇らせて欲しい』って」 写真ケースを胸に抱く、詩門温子。そっと、遠い日の名残を慈しむように。 「――その日から、あたしはここを蘇らせることだけに専念した。……そしたら、勉強が全く手に付かなくなったの。そのうち、あたしの成績は目に見えて下がり始めた。ほっとけば、留年は確実だった。あたしは、それでも良かったの。ノエルの庭さえ蘇るなら、成績なんて、どうでも。……けど、母さんはあたしを許さなかった。 あたしに家庭教師をつけて、外出を禁じようとしたわ。ここに来れなくなることだけはどうしても避けなきゃならなかったから、あたしはまた、必死に勉強したわ。……だけど、不器用で頭も良くないあたしに両立はキツ過ぎた。そのストレスを発散させるために……あ、あた……あた、し……」 声に混じる、怯えの色。小刻みに震える細い肩は、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。 「悪魔が囁いたのだな、あなたに」 霧散していく音を拾い上げるようにして訊くと、彼女は黙って頷いた。 「……弁護士さん、言いましたよね?『生徒にとって、退学処分は重すぎた』って。あたしが怖れていたのは『退学』なんて言葉じゃない。この庭からの『追放』だった。 ここは、あたしとノエルを繋ぎ止める唯一の場所。あたしの“全て”だったから――」 どんなに小さな万引き行為でも、例え誰にも気付かれたなかったとしても、彼女のやったことは“犯罪”だ。だが、彼女がそれを心から悔いているなら。救いはある。必ず。 「学長の推薦で大学に入って、今日までずっと……あたしはいつノエルが帰ってきてもいいように庭を守ってきた。 それがあたしの“使命”なんだからって言い聞かせて、自分の犯した罪からずっと目を逸らし続けてきたの。――そんな、ただの自己満足で」 彼女は自分を縛めるようにきつく身を抱き、喉の奥から 「……身柄を拘束される前に、ここを見ておきたかったの。だけど……あたしはノエルを裏切った。ノエルがこの庭に捧げてた、純真な想いを裏切った。 あたしには、ここへ戻って来る資格なんて 悲痛な叫びを上げて白衣を翻した詩門温子は、次の瞬間、ぎょっとして立ち竦んだ。 背後に感じた人の気配で、何となくその理由を察する。私はゆっくり振り向いた。 視界に飛び込んできたのは最初に会った時と同じ、優雅にたなびく 「ランカストさん……」 ゆっくりと。彼は首を横に振った。 「ここでは“赤間桐人”と呼んでくれるかい?」 昨日、それと同じ音を口にした時とは対照的に穏やかな声で言う。 「あか、ま……?」 唖然として立ち尽くす詩門温子に、赤間桐人は昨日と同じ話をした。 「……」 一通りの話が終わると、それに聞き入っていた彼女は白衣のポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。ちゃらっ、という軽い金属音が静寂の中に響く。 握り込んだ右手から覗く銀色のプレートには、スズランが彫り付けてあった。 「――これ、表の鍵。この庭はあなたのものでしょ?だったら、返さなきゃね」 開きかけた手の上に、そっと別の手が添えられる。 「この鍵は、キミに持っていて欲しい」 「え……?」 その手の持ち主の柔和な眼差しが、驚いたような表情の詩門温子に注がれていた。 「キミが自分のしたことを悔いているなら……ノエルを想い、待ち続けるなら。『罪を償ったら必ずここへ戻って来る』という約束の証として、この鍵を持っていてくれないか?」 赤間桐人の言葉に、努めて平静を装おうとしていた彼女の表情が一瞬、揺らぐ。 「でも、あたしはっ……!」 と、彼女は彼の申し出を受けることが罪だとでも言いたげに激しく頭を振った。 「――ボクは」 ぐっと突き出される彼女の手を優しく包み込んだまま、桐人氏は語り掛ける。 「ボクは現実を見るのが嫌で、この庭に背を向けた。本当の親子のように肩を寄せ合っているDaddyとノエルを見て、こんなに辛い、惨めな想いをするくらいなら庭なんて要らないって……でも、そんなのはごまかしだよ。 心の底では庭を棄てたことをずっと後悔していたんだ。それを認めたくなかったから、ノエルやDaddyをひたすら憎んで生きてきた。 ……ここに戻る資格がないというのなら、ボクも同じだよ。この庭が好きなら、 悪戯っぽく笑い、彼は詩門温子をくるりと回れ右させた。そうして彼女が庭全体を見渡せるようにすると、肩に手を乗せて問い掛ける。 「キミはこの庭が好き?」 ……こくっ。 彼女は頷く。 「愛している?」 こく、こくっ。 最初はやや躊躇いがちに。 「ノエルのことも?」 こくこくこくこくっ。 最後は自分の気持ちを確認するように、何度も。 「だったら、No problem!(問題ないよね)」 桐人氏は彼女の前に回り込んで膝を折り、同じ高さに目線を合わせる。 「迷うことはないさ。……ボクは随分回り道しちゃったけどね。やるべきことが終わったら、キミは真っ直ぐここへ戻っておいで。それまでは、ボクがこの庭を守るよ。 二人で待たないか。ノエルが元気になって、Daddyと一緒に帰って来る日を」 庭のこと。両親のこと。ノエル少年のこと。色々と想い、悩み、憂い――彼の出した答えがその言葉に集約されているようだった。 「……っ!」 詩門温子の頬を、大粒の涙が伝って落ちる。穏やかな風の音が、二人を包み込んでいた―― 赤間桐人は詩門温子ともう一度ここで会う約束を交わし、帰って行った。 「――お訊きしてもいいだろうか」 彼女の気持ちが治まるのを待って、私は少し気になっていたことを尋ねる。 「ええ」 すぐに、意外としっかりした声が返ってきた。 「あなたが今日の証人に選ばれたのは何故です?昨日の今日で警察があなたを探し出せたとは、私には思えないのだが」 「自分で名乗り出たの、あたし。証人になります、って」 「何故?……あなたを真犯人として告発した私が言うのも何だが、証人になることは自分にとって危険極まりない行為ではなかったのか?」 「……」 「もしや、それも君影草の――」 「指示、よ」 頬に残る涙の痕が、皮肉な笑いに歪む。 「『夜羽愛美の裁判を傍聴し、写真の人物を検討する余地が生じたら、速やかに証人として名乗り出、それは自分であると証言すること』……最初の証言の内容も、全部あいつが決めたの。『こう聞かれたらこう答えるように』って、バイトのマニュアルみたいでしょ? あいつ、言ってた。『指示の通りに証言すれば、三年前の件は絶対に表立つことはない』って。――で、これがその結果」 彼女は空に向かって、ぱっと両手を広げた。 「君影草にとっては、あなたも捨石だったのです」 「そうね、馬鹿みたい。だけど、言いなりになってたばっかりじゃないのよ。はい、コレ」 少し得意げに彼女が差し出したものを見て、私は戸惑う。 「……あなたの携帯電話を預かる資格は、私にはないように思うが」 「さっき言った君影草との会話、録音しておいたの。声は機械で変えてあったから、性別や年齢は分からないけど……でも、何かの役には立つでしょ?」 「ああ、助かる」 君影草の声が残っているという事実に驚きながらも、私は彼女が無造作に投げて寄越した小さな機体を受け取った。 「――さて、と。いつまでもここにこうしているわけにはいかないな」 何処か吹っ切れたような表情で、詩門温子は虚空を仰ぐ。今にも泣き出しそうな色の空の下、自分をがんじがらめにしていた幾本もの鎖から解き放たれた彼女の顔は、さっぱりと晴れやかだった。 どうやら、迎えの刑事を寄越す必要はなさそうである。 「行かなきゃ。あたし、悪いことしたんだし」 独り言のように呟いて、白樺林へと消えゆく白衣の背中を――私は、黙って見送った。 <人物ファイル4> ・詩門 温子【しもん あつこ】(22):聖ミカエル大学・農学部の三回生。聖ミカエル学園出身。三年前の事件で柚田伊須香に脅迫を受け、凶器となったスズランの花を用意。今回も『君影草』なる人物の脅迫を受け、スズランから毒成分を抽出して渡した。 ・君影草【きみかげそう】(??):三年前の事件の真相をネタに、詩門温子を脅迫していた人物。身長は172pくらい? <証拠品ファイル4> ・鍵の貸し出しノート:三年前、用務員室に常備されていたもの。このノートに学年、クラス、氏名を記入すれば、誰でも温室の鍵を借りることが出来た。夜羽愛美、柚田伊須香の名前はなし。 ⇒To Be Continued... |
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