逆転−HERO− (5)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月05日(火) 16時10分26秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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「――例えば。医者が患者を殺害する意図で何も知らない看護師に毒入りの注射を持たせ、打たれた患者が死亡したとしても、罪に問われるのは“事情を知らない第三者を道具の如く利用して犯罪を実現させた者”だけだ。
 それが例の場合は医者であり、本件の場合は夜羽愛美に当たる。利用者の犯罪意図を知らず、指示に従っただけの看護師やキサマはただの“道具”に過ぎないもの。道具に罪は問えまい。
 ましてやキサマが運んだのは毒入り注射ではなくスズランの鉢だ。注射ならば毒の存在を疑うことも出来ようが、スズランを使って人を殺そうなどと誰が予測できようか。
 案ずるな、証人。柚田伊須香殺害未遂の件につき、キサマに落ち度は全くない」

 私が思考している間、焔城検事は終始怪訝な表情の証人に淡々と間接正犯の道具理論を説いていたが、終わると挑発的な視線をこちらに向けて言った。

「――さて、弁護士。覚悟は決まったか?」

「フッ、尋問はまだ終わっていない」

 それを平然と受け止め、答える。先程の講釈は彼にしてみれば余裕を見せたつもりなのだろうが、この私に考える時間を与えるべきではなかったと、そのうち気付くだろう。
 指針は既に定まっている。そう、一ヶ所だけ。彼女の証言には、追及すべき点がある。
「は。無駄と知りつつ足掻くか」
「無駄かどうか――」と、私は検察席から証人席に標的を変える。
「証人。あなたの行動について、今一度、確認する。あなたはスズランの鉢を持って、劇場裏に行ったのだな?」
「はい」
 迷いなき返答は例の如く。
「そして、その写真を撮られた」
 証言台の上には、彼女の手を離れた写真が忘れ去られたように置いてある。
「……多分。気付きませんでしたけど」
 ぼそっと答えて俯きかける彼女に、私は学園の見取り図を示す。
「だとすると、妙ではないか?こうして学園の見取り図を見ると、学園の正門から劇場まではグラウンドを突っ切って一直線で行けるようだ。しかし、この写真が撮られた場所は校舎を迂回した裏にある『Paradise of angels』と『温室』の中間辺り。
 見取り図では劇場と温室もほぼ一直線上にあるように見えるが、間には高い壁がある。
 その壁に人が抜けられる通用口のようなものはない。正門から入った場合、劇場ホールの裏口への最短ルートはグラウンドを突っ切り、劇場ホールの壁と校舎の間の僅かな隙間を抜けて行くことだ。
 ちなみに、学園の裏門は温室の正反対の場所にあるので、温室に近付く必要は全くない。――さて。私の言いたいことが分かるかな、証人」
 一気に言葉を吐き出すと、彼女から普通の(・・・)証人らしさが消えた。
 先程まで無気力にぶら下がっていた左手で右腕の袖をぐっと掴む。無意識の行動に見えたが、白衣に寄った幾本ものシワは内心の動揺の現れだろう。
「……」
「思い悩むことはあるまい、証人。私の問いは至って単純(シンプル)。即ち、スズランを置きに来ただけのあなたが本来ならば通る筈のない場所にいる、その意味を教えて頂きたいのだ」
「それは、その、迷って……」

「異議あり!」

 私の手元には、既に聖ミカエル学園の卒業アルバムがあった。
「詩門温子さん。聖ミカエル学園出身者のあなたが『迷う』とは、少々考え難いのだが」
 ぎゅうぅ……っ!白衣の袖を握る手に、ますます力がこもる。握る、というよりは捻り切りそうな力の入れようだった。
「それは……お、温室の裏の白樺林を抜けてきたから、です」
「異議あり!  あなたは聖ミカエル学園まで“自転車”で来たのでしょう?スズランの鉢をカゴに入れて。あの白樺林に、自転車で進めるような道がありましたか?」
「えっ……?! あ、あの……いえ、それは……」
 声はだんだんか細くなって、今にも消え入りそうなのだが。

「あの〜、ちょっとよろしいですか〜?」

 そろそろ焔城検事の異議の一つも入る頃合だ、と思っていたが――それは、全く予期しなかった者による横槍だった。
 聞き覚えが“ある”とも、“ない”とも取れる声だったが、そう感じた訳は法廷奥の関係者専用出入り口に立つ人影を見た時に分かった。
「何ですか、審議中に。今いいところですから急ぎでないなら後にして下さい」
 裁判長が、おそるおそる入ってくる廷吏の存在に気付いて煩わしそうに咎める。ちゃっかり自分の欲望を述べているのだが、恐縮しきりの廷吏は気付いていないようだった。
 まあ、裁判長の気持ちは解らなくもない。これから核心に迫ろうという時に尋問の腰を折られるとは。私が彼の上司なら、給料査定の構造改革を行うところだ。
「いえ、それが……」
 廷吏は、外観だけは威厳たっぷり裁判長に深々と頭を下げ、検察席に視線を向ける。
「焔城検事に急ぎの“電報”が届いていまして……」
 裁判長よりも不機嫌そうにしていた焔城検事は、その言葉にぎょっとして俯いた。
「……デンポウ?電話ではなく?」
 裁判長も私情交じりの怒りを抑え、不思議そうに首を傾げる。
「ね、電報って『チチキトク スグカエレ』みたいなヤツ?」
 予期せぬ展開に皆が困惑した様子を見せる中、真宵くんだけは普段通りだった。
「……キミの中で、電報のイメージはそれなのか?」
 もう少しめでたいことにも使われるのだが、普通に生活している分にはあまり馴染みのないものだ。テレビドラマのワンシーンがそのままイメージ化することもあるだろう。
「そういうことでしたら、すぐ休憩にしましょう。焔城検事のお父上に何かあったのかもしれませんから」
 裁判長が深刻な顔で席を立つ。ここにも約一名、電報に固定観念を持つ者が……いや、彼の場合はリアルタイムでああいう電報を受け取っている可能性があるな。

「余計な詮索はしなくていいッ!」

「あの、もし再開が困難なようでしたら、今日はこれで閉廷に――」

「されてたまるか、痴れ者ッ!」
 

 
ダンッ!


 焔城検事が妙な気遣いを見せる裁判長と検察席の机に怒りをぶつけながら出て行ったので、審議は自動的に中断となった。


同日 午前10時58分 地方裁判所 第4法廷
 

 15分後――思ったより早く、審議は再開された。

「――あああ、あり得ないあり得ないあり得ない。く、何というよけいなことをしてくれたのだ、北斗ぉ……ッ!私の足を引っ張るのも大概にしろというに……お前の給料査定なんか、煮えたぎるマグマに放り込んでやるッ!」
 
 この場にいない北斗刑事にとっては、不吉極まりない呻き声と共に。

「うわ。ナニやらかしたんだろ、北斗刑事……」
 焔城検事のただならぬ様子に、真宵くんは「ひえぇ……」と、小さな悲鳴を零す。
「フム、今後の彼の境遇が偲ばれるな」と、私。
 裁判長は相変わらずカンチガイしたままなのか、検察席に生温かい視線を送っていた。

「……だ、大丈夫ですか?焔城検事」

 そのいらぬ気遣いが起爆剤になったのだろう。前で組んだり解いたり、苛々と机を叩いていた焔城検事の手がぴたりと止まり。

「どういうことだ、証人ッ!」


ドォン……ッ!!!!



 遂に、爆発した。――紅蓮の炎に彩られた怒りの向く先は、目の前の証言台。
 先程と同じく詩門温子が証人として立っているのだが、その顔色は冴えない……というよりもすっかり色を失って、さながら死人のようである。
 彼女は法廷に入ってから誰とも目を合わせないように俯いていたが、焔城検事の怒声にびくりと顔を上げた。動揺した時の癖なのか、右腕を掴む左手にぐっと力がこもる。
「キサマの供述を聞いて聖ミカエル学園大学へ裏付け捜査に向かった北斗からの報告だ!」
 ポケットから取り出した封筒を机に叩きつけ、焔城検事は容赦なく彼女を責め立てた。
「キサマの証言通り、聖ミカエル学園では確かに学園祭に向けての準備が行われている。だがッ、キサマは何のサークルにも入っていないということだったぞ?!」
 私は彼の発言を、信じられない思いで聞いていた。
 検事は事件に関する情報や証拠を――それが検察側にとって不利なものであるなら尚更、表に出すまいとするもの。手の内にある情報をこうも公にする検事など見たことがない。
 だが、封筒の上でぶるぶると震える右手に心中の葛藤がにじみ出ているような気もした。手の内を見せることは不本意だが、彼の中の“正義”が、情報の隠匿を潔しとしない。
 昨日からの熱闘ぶりを見ていると、何とはなしにそう思う。
「だとすれば、写真のキサマがメイドの衣装を着ていることにつき、先程『サークルが出す店の衣装』云々の証言は――」
 それは、我ながら的を射た推察だった。真っ直ぐ上がった彼の両手は、
「全くのでたらめだった、ということになるッ!!」



ドォン……ッ!!!!



 次の瞬間、全ての雑念を断ち切るかのように振り下された。
(――己の信じる正義に妥協はなし、か。今どき珍しいタイプの検事だな)
 焔城検事には妙に感心してしまったが、そうなると問題は証人の方。
「どういうことですか、証人。あなた……これは、立派な偽証罪ですぞ!」
 と、私が何か言うより先に。焔城検事が激怒している理由を理解したらしき裁判長が、捨て置けないといった調子で証人を咎める。
 罪に立派も何もあったものではないだろう、と呆れながら私も尻馬に付いて言った。
「証人。もう一度、きちんと証言していただきたい」
 先程の尋問の続きをしたいところだが、こうなった以上、方向転換はやむを得まい。
「あなたが “メイドの舞台衣装を身に付けている理由” を」
 裁判長、焔城検事、傍聴人。それに、私と真宵くん。皆の視線が証言台に詩門温子ただ一人に注がれ、沈黙と緊張が法廷を支配する。――そのまま数秒が経過し、やがて。

「……手紙、もらったんです。学園祭の何日か前に」

 逃げ道はないと悟ったか、諦めの極致か……ようやく彼女は、重い口を開いた。
「手紙は、あたしに聖ミカエル学園にスズランを持って来るよう頼むもので……メイドの衣装を着て行ったのは、その手紙に“鍵”が同封してあったからです」
「鍵?」
「ええ、大学近くの駅内にあるコインロッカーの鍵。あたしはその鍵でロッカーを開けて、そしたら中に紙袋に入ったメイドの衣装が入ってました。それと一緒になっていた手紙には『学園祭に来る時は、この衣装を着てくるように』って指示が……あ、そうだ」
 一度話し始めたら、吹っ切れたのかもしれない。彼女はふっと私を見て、
「ついでにさっきの弁護士さんの質問、答えます。あたしがわざわざ温室の方を回ってきたのも、手紙にそういう指示があったからです。『温室の辺りをぶらついてから劇場にスズランを届けるように』って。あたし、言われた通りにしただけで……」
 さりげなく尋問の答えを入れてきた。そんな余裕を見せながら、不可解としか言いようがない行動には自分の意思は全く介入していなかった、ということをほのめかす。無気力・無害な証人振りは表面だけで、彼女はなかなかの策士なのかもしれない。
「全て『頼まれてやった』行動なのだな?」
「はい」
 焔城検事が念を押すように言い、詩門温子は強く頷いた。図らずも、そこで『一連の行動に関して詩門温子には主体性がなかった』という二人の結論が合致する。
「手紙の主は、夜羽愛美か?」
「……はい」
 だが『彼女の意思を握っていたのは夜羽愛美である』という結論に対し、詩門温子の返答には若干の間が見られた。
(――フム、成る程)
 元より、彼女が『手紙』の話を持ち出してきた時点で次に講ずべき手段は決まっている。
「今一度、確認したい。あなたは『手紙』の指示のままに、駅のコインロッカーから取ってきたメイドの衣装を着て、聖ミカエル学園の劇場ホール裏にスズランを持って行ったのだな。しかも、ただ持っていくだけではなく、温室付近を適当にうろついた後に」
「え、ええ……まあ」
「ほぉ。随分と面倒かつ不可解な指示だと思うが、よく引き受ける気になったな。証人」
「それは……と、友達(・・)からの頼まれごとなら」

「異議あり!」

 私が異議を発した瞬間、彼女ははっとして口元を押さえる。抜け目がない彼女のこと、それが取り返しのつかない発言であったと気付いたのだろう。
「あなたと愛美さんが『友達』――これまた、妙なことを言う。先程は彼女のことを『友達でもなんでもない』『あまり親しくない人』などと、突っぱねていたではないか」
「!」
「証人の証言には一貫性がないので、ここはこの件についてもう一人の当事者である夜羽愛美さんにお答え願いたいのだが、よろしいか。裁判長」
 主導権は既にこちらのものなので、許可は形式的なもの。
「……え、ええ。構いませんよ。ええと、被告人は弁護側の質問に答えるように。あ〜、座ったままで結構ですから」

⇒To Be Continued...

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