逆転−HERO− (5)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月05日(火) 16時10分26秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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10月19日 午前10時00分 地方裁判所 第4法廷


「……時間となりましたので、二日目の審議を始めたいと思います」

 裁判長が合図の木槌を鳴らすと、傍聴席の傍聴人が待ってましたとばかりに沸く。今日も少し早めに入廷したのだが、その頃には既に傍聴席が埋まっていた。
 廷吏の話によれば、今日は傍聴希望者が席の数より多く、くじによる抽選が行われたらしい。つまり、ここにいる傍聴人はある種“選ばれた”者たちだと言えよう。そのせいだろうか、抑えきれない高揚感が伝わってくる。
 傍聴人の九割を占める女性たちのお目当ては検察席で瞑想をしている赤い人影、焔城検事……の筈、だが。何故か私自身も、先程から妙に熱い視線を感じていた。
 隠密行動中の私としてはなるべく人の前に顔を晒したくないのだが、今回ばかりは少々相手が悪かった。これが亜内検事なら、傍聴席は大抵、閑古鳥が鳴いているというのに。

「え〜、前回の審理では検察側が証拠として提出した写真に疑問点が見付かりまして、それを弁護側・検察側共に検討する、ということでお開きになった訳ですが――どうでしょう、お二方。その後、進展はありましたか?」
 裁判長は私の杞憂など全く察していない様子で、淡々と審議を進める。
「その前に皆に知っておいて頂きたいことがあるのだが、構わないだろうか。裁判長」
 裁判公開は憲法上の要請。裁判の傍聴は国民の権利。傍聴人たちを追い出すことも視界を塞ぐことも叶わないのならば、せめてこの裁判が一刻も早くお開きになることを望む。

「何ですか、みつ」

 ぎろり。

「……ナルホドウクン」

「スズランの出所、だ」

 ……やれやれ。毎度毎度、迂闊な言動が飛び出さないように神経を研ぎ澄ませておかなければならぬこちらの身にもなってもらいたい。

「はあ……スズランの出所、ですか」

 裁判長の表情は『何を今更……』とでも言いたげだ。私は構わず話を始めた。

(さて。この話を聞いた後で、あなたが何処までのほほん(・・・・)としていられるか見ものだが)

 まずは昨日、聖ミカエル学園の生徒やランカスト氏から聞いた“改革”のことだ。

「――というわけで、学園内には現在“スズラン”という植物は存在していないのだ。愛美さんがいくらスズランを採りに行くと宣言したとしても、温室の鍵を持っていたとしても、実際には聖ミカエル学園内での調達は事実上“不可能”だった。
 彼女には――いいや、彼女以外の誰にも、スズランを手に入れることは出来なかったのです」

 ランカスト氏が『庭』と呼ぶ場所のことはとりあえず伏せておいた。この段階では事件当日、愛美さんがスズランを採って来なかったことを印象付けられればいい。

「これで、問題の写真の人物が愛美さんでないとお分かり頂けた筈だ。この人物が何処からスズランを調達してきたのかはこの際、大した問題ではあるまい。
 重要なのは、学外から調達したと思しきスズランの鉢を携え、愛美さんの舞台衣装と酷似した格好で学内をうろついていたという人物の存在。その人物が大きなカメラをぶら下げたナツミさんの前を歩き、写真を撮られているという現実。
 非通知の電話に従って劇場に戻ったら、非常口付近にスズランの鉢が置いてあったという愛美さんの供述――これらの出来事は全て、今回の事件で愛美さんが凶器となるスズランの花を自ら調達したようにみせかけるための手の込んだ“演出”なのだ。
 愛美さんは“監督”の演出に振り回されたエキストラに過ぎない。そして、写真の人物は“監督”の指示に従って愛美さん役を演じた者か、あるいは“監督”自身。どちらにしてもこの事件に“監督”――即ち“真犯人”が存在することは、お分かり頂けただろう?」

 私が話している間、裁判長の顔色は赤くなったり青くなったりと忙しく変化していた。
 無理もなかろう。検察側が愛美さんを今回の事件の犯人だと主張する根拠は『今回の事件で凶器として使用された毒はスズランに含まれる毒成分で、それを入手できたのが夜羽愛美だけだったということ』と『夜羽愛美には犯行に至る動機があったこと』だ。
 私の説明は、その半分を根底から覆したことになる。動機の件についても私は昨日『検察側の思い込み』と断言しており、その上、愛美さんがスズランを採りに行ったことを示す決定的な証拠として提出された写真にもいろいろ疑問点があるとなれば――

「……ど、どうなんですか、焔城検事!弁護側の説明によれば、あなたがこれまでしてきた主張は全く意味を成さないことになりますが」

 審議開始十分で窮地に立たされた検察側を気遣うかのように、裁判長が声を掛ける。
 しかし、その口元は『さぁ、面白くなってきたぞ』とでも言いたげにユルんでいた。内心は野次馬根性丸出しで、今のこの状況をしっかり愉しんでいるのであろう。
 裁判長の好奇に満ちた視線と、例によってお嬢さん方の熱い視線を一身に受け、今の今まで沈黙を守っていた焔城検事が――たった、一言。

「言いたいことはそれだけか」

 彼は私の発言など全く意に介さない様子で、負け惜しみではない薄笑いを浮かべている。
 焔城検事が私の主張に一度も異議を唱えなかったのが気にはなっていたが、やはりそれなりの用意をしていたか。こうなれば攻守逆転、今度は私が相手の出方を窺うことになる。

「検察側は証人を用意している。まずは彼女の証言を聞いて頂こう」

(ム、来たか……?!)

 焔城検事の合図の後に証言台に進み出た女性を見て、私は思わず息を飲む。彼女は糊の利いた白衣を纏っているが、昨日はニット帽にフリースという格好だった。
 その横顔は一切の感情を排除しており、ひっつめにした髪型とも相俟って、何処か冷たい印象を与えた。

「あの人って……」

 私と同様の反応を示す真宵くんの手元には、卒業アルバムが開いて置いてある。
「うム。間違いない」
 ここにある過去の姿を合わせると、彼女を見るのはこれで三度目。
「……あの、あなたは何を証言して頂けるのですかな?」
 裁判長が困惑気味に尋ねる。それは、私の疑問でもあった。彼女は白衣のポケットから紙を一枚取り出し、掲げる。目を凝らして見ればそれは紙ではなく、昨日の審議で問題になった後姿のメイドを撮った写真だった。
 しかし、その行動の意味するところは誰もが図りかねていた。検察席で不敵な笑みを浮かべている焔城検事以外は。おそらく、写真を彼女に渡したのは彼なのだろう。
「あの、それが……?」
 答えは、すぐにあった。
「この写真に写っているのは、あたしです」
 一瞬だけ訪れた静寂の後、どよめきが波紋となって法廷に広がる。
「あなたは一体……?」
「聖ミカエル大学農学部三回生、詩門 温子(しもん あつこ)」
「聖ミカエル……大学?」
「聖ミカエル学園裏の白樺林を挟む形で二キロほど離れた場所にある、学園付属の大学だ」
 例によって焔城検事の淡白な解説が入るが、先ほど間の抜けた問い掛けをした裁判長も、そして当然の事ながら私も、それは初めて耳にする事実だった。

「――と、とにかく証言を!」

 金縛りから解けたらしい裁判長が木槌を叩いて促すと、彼女は億劫そうに口を開いた。
「頼まれたんです、夜羽さんに。スズランの花を持ってきて欲しいって。
 あたし、大学の農学部だから。農学部の敷地って、そこら中にビニールハウス建ってて……年中、色んな植物を栽培してるんですよね。
 で、あの日――あ〜、ちゃんとした日付言わないとダメなんでしたっけ。えと、10月17日の午前中、です。……彼女から電話、あって。『今やっている舞台でスズランの花がどうしても必要だから、もしそっちの温室にあるのなら聖ミカエル学園の劇場ホール裏まで急いで持ってきて欲しい』って、なんかスゴク切羽詰った感じで。
 高校の時、あたし別に夜羽さんとは友達でも何でもなかったけど、困ってるなら同窓のよしみでまあいいかなって思って。大した距離じゃないし……スズラン、あったし。
 あたしは聖ミカエル学園にスズランを持って行って、劇場ホール裏口に置いた後、すぐに帰りました。夜羽さんに頼まれた通り、です」
 最後のところを少し強調するように言って、詩門温子はフイとそっぽを向いた。愛美さんは、それをぽかんと眺めている。彼女の様子を見るにつけ、今の証言に対して心当たりは特になさそうだ。
 と、いうことは。証人のもっともらしい証言は全くのでたらめか、あるいは口からでまかせ――いずれにしても法廷では感心できない振る舞いだということになる。
 それもまあ、弁護側(こちら)としては大いに結構。そのウソを徹底的に突き崩し、完膚なきまでに叩きのめしてやろうではないか。ふっふっふ。

「御剣さん……顔、怖っ」
「錯覚だ、真宵くん」

「……ええと、そういうことらしいです。弁護人、尋問どうしますか?」
 詩門温子の証言によって主張を再構成しなければならなくなったものの、それならそれで追及すべき点はいくらでもあった。
「当然、権利は行使させていただく」
「そうですか……」
 かん。無気力な証言に触発されてか、木槌が気の抜けた音を立てる。
「裁判長、ちょっと面倒くさそうだね」
「人を裁く者としての自覚がないのだろう」
 証人ともども少しはやる気を出して欲しいものだ。私は証言台に写真を示し、尋ねる。
「証人。ここに写っているのは、本当にあなたで間違いないだろうか?」
 証人――詩門温子はそこで初めて私を見たが、これといった反応はなかった。昨日、一瞬だけ会ったことを覚えていないのだろうか。それとも、単に興味がないだけか。
「はい。そうです。間違いありません」
 事務的な返事。その表情はロウ人形のように固まって動かず、生気が感じられない。
「では、あなたがこのような格好をしているのは、いかなる理由によるものだろうか?」
 愛美さんに『スズランを持ってきて欲しいと頼まれたからそうした』という理屈は解るが、彼女がメイドの衣装を着ていることとそれとは結び付かない。そこを指摘すると、彼女は事もなげに答えた。
「……聖ミカエル学園の学園祭の後、大学でも大学祭が開催されるんです。
 これ、あたしの所属するサークルが出店()喫茶店(みせ)服。
 夜羽さんからの電話、衣装を合わせている時にあったんで。彼女、なんか急いでいるみたいだったから、着替えもせずに飛び出して来たっていうか……」
「ほぉ。急いでいた割に、スズランはきっちりと鉢に収めてあるようだが」
「あ〜……あたし、聖ミカエル学園まで自転車だったから。植木鉢の方がカゴに入れる時に安定すると思って。……そんな、大した手間じゃないですよ」
「スズランを持って来た時、愛美さんの携帯電話に非通知で連絡を入れたのはあなた?」
「……入れたかな。入れたかも」
「何故、わざわざ非通知設定にしたのですか?」
「わざわざっていうか、いつもやってることです。あまり親しくない人の携帯に番号残すの、不安なんで。勝手に使われたりとか、イタズラ電話とか……そういうの、困るし」
 彼女の無気力な返答に、さっさと義務を果たしてこの状態から開放されたいという内心がありありと見て取れた。
「尋問は以上ですか?……ふ〜む、特に問題はなさそうですなぁ」
 波風のない普通のやりとりに、裁判長はすっかり退屈してしまったようである。
「当然だ。――まぁ。被告人が自らスズランを採りに行ったのでないことは認めてやる。
 だがッ!ここにこうして『被告人に指示を受けて、スズランを届けた』と証言する証人が存在する以上、その辺の事情には今や何の意味もない。
 被告人(キサマ)が手に入れたスズランを使って柚田伊須香を死に至らしめようとしたことは、動かしようのない事実なのだからなッ!」
 焔城検事が勝ち誇ったように言って、天高く掲げた人差し指を愛美さんに向けて振り下ろす。愛美さんはそんな彼の気迫に圧され、強く否定するのもままならない様子だった。
「違う、違いますっ……!」と、弱々しく首を横に振るのが精一杯の抵抗。
「御剣さんっ、またまみちゃんが苛められてるよぉ!」
 真宵くんのすがるような視線に急かされながら、私は詩門温子の証言を検討する。彼女がもし何か後ろ暗い秘密を抱えているのなら、それは必ず態度や言動に表れる筈。
 それを悟られまいと変に気負ってボロを出したり、饒舌になって余計なことを口走り、知らず自滅の道を辿った証人を、私はこれまで幾度となく目にしてきた。
 彼女の証言は無気力で消極的だが、訊かれたことについては過不足なく答えている。特に、不自然な箇所は――

「あの、私の持っていったスズランが悪用されたってことは聞きましたけど……あたしのやったことって、何か罪になるんですか?」

⇒To Be Continued...

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