逆転−HERO− (4)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月04日(月) 16時31分00秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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 学園関係者に話を聞く限り、これらのインテリアが前学長から続くものだとは思えない。おそらくは学園の敷地同様、ランカスト氏による大改造が行われたのだろう。

「そんなところに立っていないで、こちらへどうぞ」

 ――鮮烈な色彩(いろ)と香りの歓迎に圧倒され通しだった私は、その声ではっと我に返る。声のした方を見ると、ランカスト氏と目が合った。
 彼が優雅な身のこなしで示した場所にはクラシカルなセンターテーブルと、バラ柄の張布も華やかなソファが据え置かれている。テーブルの上にさり気なく置かれた一輪の白バラは、先ほど見た赤バラと対で置いてあるように見えた。

「座って。今、紅茶を用意してくるよ」

 この空間にこれ以上になく溶け込んでいるこの部屋の住人は、にこやかな微笑を残すと隣の部屋へと消えていく。

「……ああ、お構いなく」

 私が気付いて言う頃には、既に目の前のテーブルは陶磁器のティーポットやティーカップ、シュガー・ボウル、ミルクジャグなどで一杯になっていた。
 サンドイッチ、スコーン、タルトとフルーツケーキを盛った三段重ねのケーキスタンドが出てくる辺り、なかなか本格的なアフタヌーンティーの時間と相成りそうである。

「わぁ!おいしそ〜!」

 真宵くんはケーキスタンドに釘付けで、一段目から二段目、三段目と忙しく視線を動かせる。……軽い昼食は取ってきた筈だが“甘いものは別腹”ということだろうか?

「ミルクは入れる?入れない?」

 皿とフォークをテーブルの上に並べながら、ランスター氏が真宵くんに問う。

「ん〜、あたしはあった方がいいかな」
「All right.(了解)」

(――さて、どうしたものか)

 私は目の前で整えられていく食器類をぼんやりと眺めていた。……もちろん、ミルクを入れるかどうかで悩んでいたわけではない。話を切り出すタイミングを計っていたのだ。

「フ……」

 吐息の零れる音に顔を上げると、奥に消えるランスター氏の背中が見えた。少しして、彼は右手に火から外したばかりのケトル(やかん)を、左手に紅茶の缶が乗ったトレイを持って現れた。
 彼の前には、何故か二つのティーポット。それに異なる缶の茶葉を入れて湯を注ぐ。そうして適度な時間で抽出した紅茶を私の前に、濃い目に抽出してミルクティーに仕上げたものを真宵くんの前に置いた。

「Okay, please.(さぁ、どうぞ)」
「いただきま〜す♪」

 真宵くんは相変わらず上機嫌で、カップを口に持っていく。私も“成歩堂”でなければ好意に甘えるところだが、今そんな余裕はなかった。

「あの……」

「『紅茶の使命は己が一番美味しい瞬間(とき)に来客の喉を潤すこと。紅茶の願い生まれたときの温度のままでその生涯を終えること』」

 要件に入ろうとした私を真っ直ぐ見据え、ランスター氏は口を開く。

「?」

 詩の一説か、誰かの言葉か……ふとそう感じたのは抑揚の無い声の調子もそうだが、私自身がこの文句を知っている気がしたからだ。
 前に耳にしたか、目にしたのだろう。……いつ、何処でだったかは思い出せないが。
 カップから立ち昇る柔らかな湯気の向こうに、華やかな微笑(ほほえみ)が霞む。……私がもてなしに応じるまで、話を進める気はないらしい。
 私の前には、普通の紅茶よりも少し明るい色合いの液体を湛えたカップがある。誘われるように口をつけると、バラの香りが私を満たした。
 ここにあるどのバラとも違う、優雅で穏やかな芳香――時間の流れを忘れてしまうほど。先程までの急いた気持ちが喉の辺りに残る香りと共に消え、最後はふんわりとした後味に酔い痴れる……。
「わぁ!このミルクティー、すっごく美味しい!」
 真宵くんは――もちろん私とは違う味なのだろうが――感激の声を上げた。
「見事です」と、私もその一言に最上級の敬意を込める。
「Thanks!ボクに出来る最高のもてなしは、その人が一番欲している紅茶を捧げること。だからLadyにはお菓子によく合うMilk teaを――」
 ランカスト氏は空になった真宵くんのカップにおかわりを注ぎ終えると、再び私を見据えて言った。

「――そして、Mr. ミツルギ(・・・・)あなたにはRelax(リラックス)効果満点のRose teaをね」

『?!』

 ぽすっ。

 私の足にかじりかけのスコーンが降ってくる。どうやら真宵くんの手から滑り落ちたようだ。彼女の素直な性格は、こういう場面でアダとなる。無論、彼女に罪はないのだが。
「いやあの、人違いではないですか?私は……」
「Did you forget(フォゲット)?(忘れたの?)」
 平静を装って取り繕う私の前に、ランカスト氏は一冊の雑誌を差し出す。
「どれどれ、えーと……季刊『紅茶の友』?」
 さっそく真宵くんの手が伸びる。しばらくの間は、ぱらぱらとページをめくる音だけが静寂の中に満ちていた。
 手持ち無沙汰になった私が再びカップに口をつけた瞬間、その音がハタと止まる。何気なく視線を移すと、彼女の大きな瞳が私を穴の開くほど見つめていた。
「な、何だろうか……?」
 戸惑う私の目の前に、開いた雑誌が突き出される。
「ここに写ってるの、御剣さんだよねっ?!」
 その後ろから真宵くんの勢い込んだ声。彼女が指し示した箇所を見て、ぎょっとする。そこに写っているのは確かに私だった。しかし、こんなもの撮られた覚えは……。
「えーと……記事のテーマは『著名人が語る、私と紅茶。第326回−天才検事の優雅なティータイム−』だって」
「…………あ」
「えーと、なになに……『御剣怜侍「紅茶の優雅で気高い芳香は、心にゆとりを与えてくれます。私は職務に終われる日々を過ごしていますが、忙しい中でも紅茶と過ごすひと時はだけは大切にしたいと思っているのです。そして、日々の忙しさを忘れさせてくれるほど見事な一杯にめぐり合った瞬間はこの上ない悦びを感じるのです」』……へぇ〜え」
「ぐはっ!いいい、いやっ、ま、真宵くんっ……!も、もうそれ以上は――!」

 ……そうだ、すっかり忘れていた。
 数年前、この国で私の名が多少なりとも知れていた頃。紅茶愛好家の検事がいるいうことを何処からか聞きつけた雑誌記者が、私に取材の依頼を持ち掛けてきた。
 それが雑多な雑誌の企画モノか何かなら断るところだが『紅茶の友』は歴史の長い由緒ある雑誌で、何より私が愛読者だったこともあり、つい引き受けてしまったのだ。

「こんなのやってたんだ、御剣さん」
「……」

 興味津々といった様子で顔を覗き込む真宵くん。必死で目線を逸らす私。
 ……若気の至りとでも言おうか、私の紅茶に対する想いやこだわりを聴いてもらうのも悪くないと思って色々喋ったのだが、他人に音読されると恥じ入るばかりだ。

「『紅茶の使命は己が一番美味しい瞬間(とき)に来客の喉を潤すこと。紅茶の願い生まれたときの温度のままでその生涯を終えること』――」

「……?!」

「Do you remember(リメンバー)?(覚えてる?)これ、キミの言葉だよ」

 私が己の軽率な振る舞いを呪っているところに、ランカスト氏の更なる追い討ち。
 何処かで耳にしたか、目にした文句だろうと思っていたが……まさか口にしていた(・・・・・・)とは。
 真宵くんはソファのクッションに頭を埋め、笑いを堪えるのに必死な様子。どん底まで落ち込んだ私に、ランカスト氏が手を差し出す。
「今ではボクのMotto(モットー)(座右の銘)になっている言葉さ。逢えて嬉しいよ、Mr.ミツルギ」
 含みのない微笑を見る限り、それは彼の本心なのだろう。
「ム、恐縮です……」
 複雑な気持ちで握手に応じる私。
「――ただね。どうしてもひとつ、ボクには理解できないことがある」
 彼は手を離すと一転、少し厳しい表情になって言った。
「……何だろうか?」
「写真のキミの襟元を飾るTriple(トリプル) frill(フリル)……今のキミの服装はどうしたことだい?センスのかけらも感じられないじゃないか!」
 金髪を振り乱し、顔を両手で覆い隠し、大げさに嘆くランカスト氏は、その煌びやかな服装も相まって芝居の登場人物のようだった。
「こちらも色々事情を抱えておりまして……」
 彼の前で“弁護士・成歩堂龍一”を演じ続けることが不可能だと思い知らされた今、この服装について弁解する気力は私にはなかった。
 ランカスト氏はふっと天を仰ぎ、再び口を開く。今度は、至って真剣な口調で。
「――事情っていうと、イスカのこと?」
「え……?」
 このまま話があらぬ方向へ流れていくものと思っていた私は、完全に不意を突かれた形。
「驚くほどのこともないさ。ボクはここのMasterなんだし、彼女はボクの親戚に当たる子なんでね。といっても、ボクはずっと祖国(くに)にいたから面識は全く……Ah, 子どもの頃に一度会ったかな。Baby(ベイビィ)(赤ちゃん)だったから覚えていないだろうけど。
 ……さっき、見舞いに行って来たんだ。けれど、面会はさせてもらえなかった。意識が戻っていないみたいでね」
「そうですか……」
 ともあれ、本題に辿り着いて良かった。ずいぶんと遠回りしたがな。
「言いにくいのですが、我々は柚田伊須香に毒を盛った容疑を掛けられている人物を弁護しています。あなたにもいくつかお伺いしておきたいことがあるのだが、よろしいか?」
「Don't mind.(構わないよ)」
 姿勢を正し頭を下げる私に、ランカスト氏がふっと微笑む。それは今までの華やかな微笑と違い、微かに憂いを含んでいた。
「就任してすぐにこんな事件を起した犯人を、ボクも最初は恨めしく思った。けど、病院のベッドで蒼白い顔で眠っているイスカを見ていると、そんなことはどうでもよくなった。今は彼女が目を覚ましてくれさえすれば、それでいいって思ってる。
 久しぶりに会った親戚とこのまま話もできないんじゃあ、寂しいからね」
「心中、お察しします」
「Lovely.(ありがとう)ボクに出来ることがあったら何でも協力するよ。
 そういえば、温室の中が見たいって言ってたね。鍵が必要ならボクのを貸そう」
 彼はジャケットの内側に手をやりながら、「……ところで、どうして温室なんだい?温室が事件に関係してるかい?」と、不思議そうな顔をする。
「ああ、実は今回の事件にはある毒物が使われたのです。その毒物というのが、驚かれるかもしれませんが――スズランに含まれている毒成分だったのです」
「Huh…!」
 微かな呻き声と、ちゃらっという金属音とが重なる。目の前に差し出されたランカスト氏の右手には、バラのキーホルダーが付いた金色の鍵が乗っていた。
「温室のMaster keyだよ。他の人に渡してあるのはこれを複製(コピー)したものさ」
「ありがとうございます」
 鍵を受け取った後、私は今日の法廷で問題になった点をかいつまんで話す。
「――もしこの学園内の敷地にスズランがなく、依頼人にスズラン毒を入手することが不可能であったことを証明出来れば、彼女に掛けられた疑いも晴れると思うのです」
 最後にそう付け加えると、ランカスト氏の眼がスゥ、と細まった。

「それならキミの依頼人は助かるよ。そんな花(・・・・)、学園内には一本も無いからね」

 吸い込まれそうな深い碧に、蔑みを込めて言い放つ。

「……ええ、先ほどの生徒さんにお伺いしました。あなたが行った大胆な“改革”の事を。あなたの行為を生徒たちはずいぶん歓迎しているようです」
 私は言葉を選びながら、慎重に続けた。
「Ha‐ha! 改革だなんて大げさだなぁ。ボクはただ、学園をあるべき姿に戻しただけさ。前学長はここを修道院とカンチガイしてしてたみたいで、生徒の個性までもを規則で縛り付けていた。
 ボクは彼女たちを縛り付けている鎖を断ち切り、代わりに自由という名の翼を与えた。それが喜ばれているなら、前学長のやり方は間違っていたんだね」
「ええ。私も生徒手帳を見せて頂きましたが、あれは確かに行き過ぎの感がある。あなたが学則の緩和を考えたのも、もっともです。
 ……しかし、スズランを全部バラに植え替えたのは一体いかなる事情があってのことだろうか?」
 私は探るように尋ねた。彼が何故、ここまで極端な行動に走ったか、その理由を知りたいと思った。
「――キミは“Wars of the Roses(ばら戦争)”を知ってる?」
 それは突然、予期せぬ方向からの質問だった。私は戸惑いながらも頭の片隅に埋もれた世界史の知識を掘り起こし、何とか答える。
「確か……イングランド中世封建貴族による内乱、だったと記憶している」
「Yes. 王家の一族ランカスター家が赤いバラ、ヨーク家が白いバラを記章として王位継承を巡る争いを繰り広げたんだ。三十年に及ぶ戦争を終結させたランカスター家の王子(プリンス)、ヘンリー=テューダーが、翌年ヨーク家のエリザベスを王妃に迎え、両家合一の証に赤と白のバラを組み合わせて“Tudor(テューダー) Rose(ローズ)”を作った――」

⇒To Be Continued...

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