逆転−HERO− (3)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月03日(日) 18時49分56秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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 それはいかにも“彼女らしい答え”であり、私にこれ以上この件について追究の必要がないことを示していた。


同日 午前11時55分 地方裁判所 第2法廷


 法廷――それは、先ほどと寸分違わぬ法廷の姿。正面中央には、やや疲れ気味の裁判長。検察官席には、無表情の焔城検事。
 そこへ降り注ぐ真夏の太陽を思い起こさせる熱視線は、傍聴席のお嬢さん方のもの。……ただ。唯一。変化したものがある。
 弁護側(わたしたち)の進むべき道。愛美さんの話を聞き、こちらの方向性は定まった。

「では、審議を再開します。えー、先ほどの話を整理しますと犯行に使われたスズランを採って来たのはどうやら被告人に間違いがないようで……」

「異議あり!」

 よって、裁判長の進行に従うつもりはさらさらない。

「な、何ですか?!み――」
「裁判長」
「ひっ……?!」

 やれやれ、迂闊な裁判長の迂闊な発言には毎度苦労させられる。これ以上迂闊な発言をされては適わないので、私は一度地獄の淵まで落とした声を目一杯、張り上げた。
「あなたは何を根拠に愛美さんがスズランを採って来たと断言するのか?!」
「……いやあの、ですから写真……そう、ですよ!ホレ、この、二枚目の!鉢からスズランを摘み取ろうとしている人物は、紛れもなく被告人ではありませんか!」
 が、裁判長も必死で保身を図り、証拠として提出された写真を示す。
「それにこちら、スズランの鉢を運ぶ被告人の後姿を捉えた写真を重ね合わせれば、被告人の行動に一連の流れがあることは明らかです!」
「ほう。『後姿』ですか」
「!」
 私はわざと慇懃に、彼の言葉を繰り返してみせる。――と。少しだけ、空気が動いた。
あなた(・・・)にお尋ねするが、この写真に写っている人物は、本当に愛美さんなのだろうか?」
 無論、その言葉は静から動へ移り変わろうとしている火の揺らめきに向けたもの。
「……と、いいますと?」
 そうとは知らず、無遠慮に横槍を入れてくる輩もいる。
「これは確かに愛美さんが舞台で着用していたメイドの衣装であり、彼女を特定する材料であることは間違いのない……と言うべきなのだろうな。普通、ここでは。
 だが、よく見たまえ。ここに写っている人物の格好を。衣装のスカート部分はかなりゆったり目で脛の辺りまで隠す上、頭部は布帽子(ボンネット)ですっぽり包まれている。おまけに布帽子の周囲を花びらのような飾りひだが取り巻いているため、髪型も判別不可能。――さて。聡明な裁判長殿に今一度、お尋ねする。
 あなたは一体、この人物のどの辺りを見て愛美さんだと特定したのだろうか?!」
「う?!それは、その……こここにこうして顔が写っている写真もあるわけですから」
「フ。『こ』がひとつ、多いようだが?」
「……何が、言いたい?弁護士」
 すっかり沈没した裁判長に成り代わり、焔城検事が押し殺した声で問う。それが形ばかりの問いであることはすぐに分かった。彼はおそらく、私の意図に気付いている。
「メイドの舞台衣装が愛美さんを特定する材料ならば――“逆”に。それだけ身に纏えば誰でも愛美さんに成りすませるということだ。衣装など、ただの“器”に過ぎん」
 それを、私もこの程、身を以って知った。青いジャケットと、ひまわりのバッジで。――だから。従って。詰まる所。早く言えば。

「こんな衣装(もの)、私にだって着られる!」

 ――と、突然。何故か(・・・)。法廷中にばたばたばた、とドミノでも倒れたような音が響く。

「ええっ?!みルホドクン、それ着ちゃうのぉ?!」
 真宵くんは何故か(・・・)。驚きの表情で危ういことを口走り、

「ロマンスの贈り物……あうっ!」
 愛美さんは何故か(・・・)。意味不明の奇声を上げつつ昇天し、

「……あの、焔城検事。弁護人の今の発言に対し、何かツッコミ……もとい、コメントを」
 更に、何故か(・・・)。裁判長までもが気の毒そうな視線をこちらに向けるのだった。

(……………………何故だ?)

「要するに、キサマはこう言いたいのだな?『後ろ向きに写った人物は被告人ではなく“被告人の振りをした別人”である』と」
 雑然とした雰囲気の中、焔城検事だけが冷静に私の真意を代弁する。
「成る程、スズランに触れた人物が他にもいれば、その人物にも毒を入手する機会があったことになるからな。――しかし、解っているのだろうな?」
 瞳の奥に宿した炎の色がスゥ、と細まり、男性にしてはしなやかな指先が私を捉えた。
「それなりの主張を通すには、それなりの根拠が必要であるということを。言ってみろ。この期に及んで、キサマが後ろ向きの人物を被告人でないと主張し始めた、その根拠を!」
「先程、控え室で愛美さんに聞いた話だ」
「ほ〜、苦し紛れの言い訳でも始めるか?」
 焔城検事が揶揄するように口の端を歪めたが、私は無視して先を続ける。
「温室の鍵を借りて温室へ向かおうとした矢先、何者かから『スズランは用意出来たから戻って来い』という電話があった。急ぎ劇場ホールに取って返した彼女は非常口のドアの所にスズランの鉢を見付け、これを切り取った。二枚目の写真はその時のものだろう。
 ――しかし、だとすれば一枚目の写真はどうなる?彼女は温室には行かなかった。したがって、スズランを持ち帰ったのも彼女ではない。ならば、この後ろ向きの人物は愛美さんではなく、愛美さんに変装した別人“X”ということになるのだ」
「は!口裏を併せるなら、もっと上手くやったらどうだ?」
 焔城検事の口調が強くなる。怒りさえ、含んで。食らいついてきたな、予想通り。検察側に“例の物”を提出させるためのお膳立てが、これですっかり整った。
「口裏併せどうか、そちらで調べてみたらどうだ?」
「なに?」
「愛美さんが誰かからの電話を受け、劇場に戻ったことは事実なのだよ。“着信履歴”を見てみたまえ、通話記録が残っている筈だ。それを確認して頂きたい」

「ちゃくしん、りれき……?」

 また、空気が動いた。――しかし、その動きは今までとは明らかに違っていた。

「うム。愛美さんの“携帯電話”の“着信履歴”だ。どうした、彼女の携帯電話はそちらで押収しているのだろう?」

「けいたい、でんわ……!」

 額には玉の汗、極限まで開いた瞳孔、顔面蒼白、ハスキーを通り越した嗄れ声――信じられない思いで目を凝らすが、錯覚ではない。
 つい先ほどまで彼の発する気迫は全てを押し流すジェット気流のようであったのに、今は彼自身が乱気流の中の航空機さながらに動揺している。
「……こっちの攻撃、なんか効いてない?これってチャンスかもね、御剣さん」
 真宵くんは彼の変化を無邪気に受け入れているが、私は釈然としない思いだった。攻撃も何も、私が求めたのは携帯電話、しかも被告人のもの。検察側にいれば、日常茶飯事的な要請だ。それがこの焦りよう……焦り、いや。これは、脅え?……まさか。
 しかし、これが今まで次から次へと証拠品を出していた人間の反応なのか……?

「どうなのです、焔城検事。被告人の携帯電話、証拠品として提出して頂けるのですか?」

「けいたいでんわ……ちゃくしんりれき……!」

 裁判長の催促を受け、机に押し付けた両の拳がワナワナと震える。そして――

「――ほ、北斗ぉッ!さっさと確かめろッ!!!」


 
…………どたどたどたとたどた、ばんっ!


「は、はいっす〜!たたた、ただ今っ……!!!」



 どこか懐かしくもある騒々しい足音と共になだれ込んできた人影は、早々に退場した筈の北斗刑事。ぶんぶんと空気を掻き回す彼の手に、私はピンク色の携帯電話を認める。
 とてもではないが、彼の私物とは思えない。……ということは、これが?
 証人席に立った北斗検事は、さっそく電話を操作し始める。彼の登場が余りにも唐突だったため、裁判長以下その行動を黙って見守るしかない。
「ええと……事件があった、10月17日の着信は一件。時間表示は『10:41』になってるっすが、これのことっすかね?」
 そうこうするうち彼は目的のデータを探し当て、その画面を私たちの方に向けた。
「うム、その時刻は先ほど愛美さんに訊いた時刻と一致する。相手は分かるか?」
「いや……“非通知”っすね」
 まぁ、そう簡単に尻尾は出さんだろうな。相手も。最初(ハナ)から期待はしていなかったが。

「ひつ、うち……?」
「あ……。つまり、番号を通知しないで掛かってくる電話のことっす。非通知で電話を掛けると、受け手は誰から掛かってきたか分からないっすよ」

「ふ、ふふふふふふ……!仰々しく騒ぎ立てるから何事かと思えば……ッ!」

 ダンッ!


 地の底を這いずるような笑い声と共に、検察側の机が仰々しい音を立てる。

「誰か分からぬ者から電話があった、ただそれだけのことではないか!!!」

 ……唖然とする。

 これほど適格かつ明快な反論はなかろう。着信履歴で判明するのは電話が掛かってきた日付と時間、そして相手の電話番号。掛け手が“非通知”設定にしていれば、まさに彼の言う通り、『誰が分からぬ者から電話があった』ことしか分からないのだから。

「うわ〜、ばっさり斬られちゃったねぇ……」

 真宵くんがぽつりと零すのへ、私も同意。

「……うム、身もフタもない」

 本当に、随分と強引に振り切ってくれたものだ。
 そして。呆気に取られ二の句を継げないでいる私たちの隙を付き、焔城検事は怒涛の如き進撃を開始する。北斗刑事や携帯電話には見向きもしないで。

「もういい、北斗ッ!さっさとそれをしまって証人を呼べッ!」

 彼の命令、というか絶叫を受け、北斗刑事はあたふたと証言台を後にした。

(……いいのか、それで)

「これが被告人であるか否か、写真を撮った人物に訊けば分かること!こちらはいつまでも下らん話題に付き合っているヒマはないッ!
 ……ふ、ふ、ふ、ふふふふふ。最初からこうしていれば下らん戯言になど付き合わなくて済んだのだ……ッ!は、は、ははははは……!!!」

 焔城検事の眼は何故か据わっており、得体の知れない不気味さを醸し出している。もしや私は、踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまったのだろうか……。
 何とはなしに視線を落とすと、証拠の写真が目に入る。――それにしても、“写真”か。“写真”というものに私はロクな思い出がなかった。
 私自身“いい加減な写真”の犠牲になったとでも言おうか……全く、アレは本当に“いい加減で隙だらけの写真”だった。……思い出すだけでも不快な気分になる。
 いい加減度で言えば、この写真もいい勝負だな。こんな後姿だけで、よくも愛美さんだと言えたもの……………………だ?

「……ね、御剣さん。あたしさ、こういうサイアクの状況でサイアクの写真が出てくる場合の証人、何とな〜く予想ついちゃうんだけど」

 真宵くんと私はこの写真に対し、同じ感覚を抱いていたらしい。

「うム、私も心当たりがないこともない」

 そう答え、二人して顔を見合わせた次の瞬間。


ばんっ!!!


 騒がしい音を立てて法廷後ろのドアが開け放たれる。

「あんじょうおおきに、毎度ありぃ〜!」

 陽気な関西弁と、赤茶けた巨大マリモとでも言おうか、奇抜な髪型を引っ下げて現れた人影は、図らずも私と真宵くんが思い描いていた人物に他ならなかった。

「日当さえ出るなら商人でも証人でも何でもござれ……」

 その人物は傍聴席の間を、そこが自分のための花道でもあるかのように悠々と抜け、証人席に陣取り、高らかに自分の名前を宣言する。

「孤高のフリーカメラマン・大沢木ナツミ、ここに推参〜!」

 ピントは甘いが内容はしょっぱいこの写真が出てきた地点で、私は気付くべきだった。……や、気付いたところでどうにかなるものでもないのだが。
 とにかく、彼女の存在と写真は私にとってある種のトラウマ。出来れば、いや。絶対、再会したくなかった。――忌まわしき記憶渦巻くこの法廷では、特に。

「……って、アンタらさっきから話長いねん!証人のウチを差し置いて、どーゆーこっちちゃい!ここは証人の証言一発カマしてカタがつく場面ちゃうんかいっ!その証人が準備万端やっちゅーのに、あーでもないこーでもないとぐだぐだぐだぐだ……イチャモン付けよってからに!ウチの写真にケチつける前に、そっちの話をつけとかんかい!」

 そんな私の内心を気遣うこともなく(……というか、全くこっちを見ていない)、彼女はひたすら我が道を行く。

「あ!あなたは……!」
「おっ、タコヤキ頭のおっちゃんやないかー。久しぶりやな。またよろしゅー頼むワ」

 私と同じくここ数年、彼女とその写真に振り回され続けている裁判長も口をあんぐり。
「証人って、ナツミさんなのぉ?!」
 真宵くんは純粋に驚いている。私の記憶では、彼女も確か“被害者”だったと思うが。

⇒To Be Continued...

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