逆転−HERO− (3)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月03日(日) 18時49分56秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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 ここへ来て、ようやく彼女も気付いたようだ。控え室に、一際大きな合掌が響く。
「うム。三年前、柚田伊須香は真多井流花の“代役”だった。芝居を滞りなく終えたということは、彼女は代役としての素質を十分備えていたのだろう。代役でありながら劇団にスカウトされたこと、それに昨日の演技を見ても明らかだ。
 しかし、代役は主役が健全である限り表に出ることはない、言わば“日陰の存在”――もし柚田伊須香にとって、ジュリエットの“代役”が不本意だったとしたらどうかな?」
「え?それって……」
「焔城検事が言ったような確執が、柚田伊須香と真多井流花の間にあった、ということだ」
 私はそれを真宵くんにではなく、私たちが話している間、一言も声を発しなかった愛美さんに向けて言った。
「真多井流花という生徒は、転校してきて早々ジュリエット役に選ばれたのだったな。
 例えば、柚田伊須香がそれまで自分の演技に絶対の自信を持っていて、ジュリエットに選ばれることも当然と考えていたのだとしたら、相当悔しい思いをした筈……いや、その辺りの事情は、二人と同じ演劇部にいた愛美さんの方がよく知っているのではないか?」


パリーン!


 何の前触れもなく、錠前の映像(ヴィジョン)が砕けた。

「――正確に言うと、伊須香さんが一方的に流花さんを敵視してたようです」

 その余韻の中、愛美さんは重い口を開いた。

「彼女が風邪で休んでいる間に、顧問の戸場(とば)先生が流花さんをジュリエット役に決めてしまったんです。伊須香さんは自分の演技を見てから決めて欲しいと食い下がったんですけど、先生は流花さんの演技に心酔していたから、それは叶えられなくて……。
 だからって、先生が伊須香さんの演技力を認めていなかったわけじゃないんです。むしろ、評価してたと思います。だって、他の役を勧めてましたから。……だけど、伊須香さんはジュリエット役以外は興味がなかったみたい」
「それで代役に納まったのか」
「彼女、自分から希望したんです」
「相当、悔しい想いをしたのだろうな」
「……伊須香さんは表面上は平静を装って稽古場の片隅で黙々と脚本を読んでました。けど、ある日の放課後、わたし、たまたま見ちゃったんです。放課後に一人残ってジュリエットの練習をしている伊須香さんの姿。
 それがもう凄い気迫で、わたし、圧倒されちゃって……何となく、思ったんです。もしかしたら、伊須香さんは舞台に立つつもりなんじゃないかって」
 私が質問を重ねるごと、愛美さんの表情は複雑なものになっていく。
「流花さんは、天才肌って言うのかな、人を虜にするのね。だけど、伊須香さんの演技もね、やっぱり凄いし素敵なの。あは、わたしなんかが言うのもおこがましいんだけど。……だから、どっちがなってもおかしくなかったと思うんだ、ジュリエット」
 愛美さんの話は私が想像したよりもはるかに生々しく、当時の状況を伝えていた。ここまでの下地があれば、主役の座を追いやられた柚田伊須香が次にどういう行動に出るか、予測するのは難しくない。私は次の言葉を待った。
「……さっきおっしゃいましたよね、成歩堂さん。わたしが『見てはいけないものを見てしまった』んじゃないか、って」
 と、不意に。潤んだ瞳で見上げられて、ぎょっとする。また“酔い”が回ってきたのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
「正確に言うと、わたし……『見てはいけないものを見てしまった』んじゃなくて、聞いてはいけないことを聞いてしまったんです」
「聞いてはいけないこと?」
「はい。伊須香さん、誰かを脅して手に入れてたみたいなんです。その……“毒”を」
「脅迫、か」
 真宵くんは息を呑んだが、今までの話から何となく想像は付いていた。
「……あの日、わたしはゴミ捨ての当番だったから、ゴミ箱を持って焼却炉に行ったんです。焼却炉は学園の美観を損ねないように敷地の目立たない場所にあるんです。
 そこは人もあまり来ないような場所だったけど、あの日は先客がいました。最初に聞こえてきた声が伊須香さんであることはすぐに分かったから、彼女一人だと思ったんだけど……聞こえたんです。微かに。
 一方的にまくし立てる伊須香さんの声に埋もれて……“誰か”の“声”が」





『――スズランのこと、あなたに任せていいわよね?』
『そ、それは……』 
『あなたが責任を持ってちゃんと用意するのよ。お返事は?』
『……』
『アラ、そんな態度とっていいのかしら?言うことを聞かないと学校にバラすわよ。アナタがやった“万引き”のこと』
『――!こ、困りますっ!そ、それだけは……やめて』
『でしょう?卒業前に“退学”なんてことになれば、ご両親だって悲しみますものね』
『……』
『では、よろしく。決行は明後日の早朝よ。もし、約束を破ったら……お分かりよね?』
『…………分かり、ました』





「万引きで退学かぁ……。聖ミカエル学園って厳しいんだ〜。さすがは名門校」
 真宵くんは例によって妙なところに引っ掛かっている。
「待ちたまえ。万引きは立派な窃盗罪だ。妥当な処分ではないか」
 正直な感想を述べる私に、愛美さんは苦笑い。
「あは。さすが弁護士さん、真面目な方。でも、ホントに厳しかったんですよぉ。学長はとても厳格な方だったから。廊下を走ると聖堂で一時間懺悔させられたりして」
「ほぉ」
「スゴイね〜。あたしの学校なんて、毎日廊下で5mダッシュ大会が繰り広げられてたよ」
 ……それはそれで、また別の問題をはらんでいると思うが。
「他にもイロイロ、思い出しても身震いするような学則がありました。生徒手帳に載ってますから、興味をお持ちなら学園内で生徒に会った時にでも見せてもらって下さい」
「うム。機会があれば確認しておこう。ところで、その脅されていた人物だが……」
 思わぬところで話が脱線してしまったが、三年前の事件において毒を提供した人物がいる、という事実は大きな収穫だった。その人物が今回の事件に係わっている可能性は極めて高いと思われる。私は(はや)る気持ちを抑えて訊いた。
「劇団――もとい、同じ演劇部の生徒だろうか?」
「分かりません。……でも、すごく苦しそうな声だった」
 しかし、愛美さんの表情が再び翳ったのを見て後悔する。
「…………その二日後、早朝のことです。わたしは急ぎの衣装直しがあって、早く稽古場に入ったの。そしたら、床には流花さんが倒れてて、ガラスの破片が散らばってて……。
 それを見た瞬間、わたし、雷に打たれたようなショックを受けました。……だって、わたしには分かっていたんだもの!これは起こるべくして起こった事件なんだ、って」
 やっと、解った。彼女が先ほどの法廷で、焔城検事の暴言にその身をさらし続けていたか。貝のように口を閉ざし、誰の視線からも逃れるように顔を伏せ、震えていたか。
「――ずっと、ずっと思ってた。もしもあの時、焼却炉のところで、わたしが伊須香さんともう一人の人の間に割って入っていたら、きっと事件は起こらなかった。
 警察の人から『真多井流花に毒を飲ませた人物や、彼女が恨まれる理由に心当たりはないか?』って訊かれた時に伊須香さんたちのことを話していれば“事件”は“事故”にならなかったのに……って」
「まみちゃん……」
「……けど、言えなかった。わたしは伊須香さんが流花さんに毒を飲ませたのを直接見たわけじゃないし、あの会話がわたしの聞き間違いかもしれないでしょう?流花さんが倒れたのが本当に事故だったら、伊須香さんに凄い迷惑かけることになる。
 学園からも『余計な波風は立てないように』って念を押されていたし……それに、わたし自身が疑われていたこともあって、怖くて……何も、何も言えなかったの……っ!」

 ――似ている、と思った。漠然とした罪の意識に苛まれ、肩を抱いて震える愛美さんは『DL6号事件』の悪夢に怯えていた、かつての私そのものだ。
 彼女は自分の不作為が、三年前の事件を呼んだのだと感じている。
 私は自分の突発的な行動が、父親の生命を奪ったのだと信じていた。

「……このことは、ずっと黙っているつもりだった。だけど、あの検事さんが今も必死で真相を見つけようとしているのを見て、わたし、自分がすごくいけないことをしたんだって思った。……わたしは罪深き乙女。裁かれて当前なんだわ!」

 ――だが、私の悪夢は既に過去の物語。そうと分からせてくれた友人を見習って、今度は私が彼女の罪悪感を振り払う番だ。

「愛美さん、あなたが誰も傷付けていないことは明らかなのだ。気に病むことはない」
「うう、わたし……!」
「まみちゃん!そのこと法廷で証言しようよ!そしたら、三年前の事件の疑いは晴れるじゃない!今からでも遅くないよ、ね!」
 言葉に詰まる愛美さんの横で、真宵くんが意気込む。だが、私は今の段階ではそれが不可能であることを知っていた。
「残念ながら、それは無理なのだ。真宵くん。我々が審議しているのはあくまでも今回の事件であり、三年前の事件ではない。柚田伊須香が犯人である客観的な証拠は何もない以上、今そこを追及しても、火に油を注ぐだけだろう」
「ええっ?!じゃあじゃあ、まみちゃんは疑われたままじゃない!」
 予想通りの反応だが、今はその気持ちを何とか抑えて貰わなければなるまい。彼女を宥めるために、私は自分の中で息づき始めたおぼろげな予感を口にした。
「心配はいらない。この事件を追って行けば、三年前の事件真相はおのずと見えてくる。愛美さんに掛けられた疑いも、必ず、晴れる。私を信じるのだ、真宵くん」
 多少、やや芝居掛かって言ったのが効を奏したのか、真宵くんは黙って頷く。
「……あの、あの、成歩堂さん。わたしに掛かった疑惑の雲、本当に晴らして下さるの?」
「うム。それが私の役目だからな」
 まだ憂いの表情でいる愛美さんにも力強く応え……と。気のせいか、私を見上げる眼差しが妙に熱っぽいのだが。これはもしや、危険信号……?!
「じゃあ、じゃあ……!全てが許されるとき、愛しい人のかたわらで、胸いっぱいのロマンスを抱いて眠ることができるかしら?!」
「まっかっせて!ナルホドクンならきっとやってくてるよ。ね!」

 ……いや、さすがにそこまでは責任が持てない。そして、このままではマズイ。彼女に“酔い”が回って来ないうちに、私は慌てて最後の質問をした。
「――しかし、ひとつ分からないことがあるのです。愛美さん。
 造花のスズランが無いなら、他の花でもよかったのではないですか?あなたがスズランを採りに飛び出していかなければ疑われることもなかったのでは……」
「いいえっ!ダメなんです!あの場面だけは――スズランじゃなきゃ、ダメなんですっ!」
 ここまで強い否定が帰ってくるとは思わなかったので、唖然としてしまう。
「この劇はわたしの思い出、わたしの全て!だから!絶対!妥協は許されないんですっ!」
 しまった。彼女の場合、一度燃え上がった気持ちは留まるところを知らないのだった。

「だってこの劇の脚本は、三年前わたしが……というか、演劇部のみんなで演じたロミオとジュリエットの脚本を使っているんだもの!成歩堂さんたちも観たでしょ、舞台!
 話の構成もストーリーの独創性も台詞も演出も素晴らしいかったと思いませんかっ?!
 それも全て、あの脚本があったからなんです。団長もおっしゃってたわ!三年前に見たとき、凄い衝撃を受けたって!だから今回、伊須香さんの凱旋公演はあの脚本で演ろうってことになったんです。伊須香さんは……三年前のこともあって、最初は反対したの。
 だけど、彼女こそ一番あの脚本を愛していたんだと思うわ。だって、愛してなきゃあんなに観る人の魂を揺さぶる演技なんて出来ないでしょう?」

 ――しかし、それが故に。彼女の言葉はウソ偽りのない真っ直ぐな気持ちなのだろう。

「もちろんもちろんね、わたしだって伊須香さんに負けないくらいあの脚本を愛しているのよ。特にスズランに結びつけた手紙で二人が密会する約束をする場面!
 家柄という鎖に縛られて逢いたくても逢えない二人が、スズランの花束にそっと結びつけた手紙で密会の約束をするなんて……エターナル・ロマンス、ここに極まれりっ!」

 これを“逆”――即ち“犯人側”から見れば、これを利用しない手はない。かくして愛美さんは犯人の意図した通りに動き、現在に至るという訳である。

「そのスズランを、二人を繋ぐスズランを、わたしが……このわたしが届けるんですよ!こんな幸せってないでしょう?!
 だからっ、だからあの場面はスズランの花束じゃなきゃとダメなんです。他の花なんかじゃ、絶対ゼ〜ッタイ、ダメだったんですっ!!!」

⇒To Be Continued...

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