逆転−HERO− (2)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月02日(土) 20時22分15秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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 言うなればそれは、土台を持たない家が風や波にさらわれるが如く。依頼人の信頼を基盤としない弁護はやがて崩壊するが定め。やがて……否。極めて、近いうちに。

「スズランの毒で一人の生徒が再起不能になった三年前の忌まわしき事件――」

 焔城検事の両腕がゆっくりと天に向かって伸び、私はそれをなす術もなく目で追った。

「忘れたとはいわせんぞ、夜羽愛美ッ!!!!」


ドォン……ッ!!!!



 限界まで引き上げられた両腕が朱き雷と化し、検察側の机を打ち据える。

 それは。天を引き裂き、地を焦がし、嵐を呼び、命を刈り取る神の意志――(いか)()

「ひえっ!」

 ふと周りを見渡せば、災厄から逃れるべく机の下に身を隠す裁判長の姿あり。

『はうっ……!』
 無抵抗に薙ぎ倒される乙女たちの姿あり。

「きゃわわっ?!」
 肝の座った真宵くんでさえ大きな目を更に大きく見開いて……。

「…………み、見た?御剣さん!今、焔城検事の背後で赤い爆発みたいの起こったよ?!スゴイね、あの検事さん!やっぱり“何とか戦隊”の“何とかレッド”なんじゃない?!」

 ……か、彼女の食い付きポイントは、他と少々ズレているようだ。トノサマンのクライマックスシーンを見たときのように頬を紅潮させ、私に同意を求めてくる。

「……錯覚だ、真宵くん。それよりもっと問題にすべき発言があったのではないか?」

「……」

 ニギヤカなこちら側とは対照的に、被告人席は墓場のような静けさに包まれていた。
 墓石にでもなってしまったのではないかと思うほど、身を硬くして動かない愛美さん。
 焔城検事の言う『三年前の忌まわしき事件』とやらがさいころ錠で閉ざされた心の秘密の中核であることは、もはや間違いなかった。
「愛美さん!あなたは一体、何を隠していると言うのだ?頼む、答えて頂きたい!」
「……」
 私の訴えにも彼女は無反応。沈黙の海に溺れてしまいそうになった時、向かいからの声は軽い侮蔑を含んでいた。
「三年前――聖ミカエル学園・演劇部所属の生徒が一人、スズラン毒に倒れた。生徒の名前は、真多井 流花(またい るか)。
 丁度、今頃の季節だ。学園祭公演を一週間後に控え、彼女は誰もいない稽古場で早朝練習に励んでいたんだ。……彼女は、ジュリエット役だった」
「?!」
「驚いたか?そう、三年前の演目も今回と同じ『ロミオとジュリエット』だった。そして、この劇中でもスズランの花束が小道具として使われていたんだ。
 何といっても、スズランは聖ミカエル学園のシンボル。小道具と言えど、完璧なものを用意する必要があった。当然、造花で済ますなどということはあり得ない。稽古の度ごとに学園の温室から最も良い状態に咲いたものを調達するようにしていたそうだ。 
 その新鮮なスズランが、主役の真多井流花に牙を剥いた。フ、何とも皮肉な話だろう?」
 ……どうも、話が見えてこない。私は先を促した。
「続けていただこう」
「発見された時――」と、愛美さんを睨み付けながら、焔城検事。

「彼女の意識は既になかった。倒れた彼女の周りに割れたコップの破片が散らばっていたため、警察は彼女が何らかの毒物を飲んだのではないかと推測した。
 そこで、床に零れていた水の成分を科捜研に回し、分析した結果――コンバラトキシンが発見されたんだ」

 光の具合か、気のせいか。鳶色の瞳はループタイの留め具と同じ、火の色を帯びていた。

「現場となった稽古場の机の上には、新聞に包んだスズランが置いてあった。いかにも『たった今、水から引き上げましたよ』と、言わんばかりの様態でな。それが決定打となり、事件には『被害者がスズランを抜いた後のコップの水を普通の水だと思って飲み、水中に溶け出していたコンバラトキシンで中毒を起こしたもの』という判断が下った。
 状況からして、そう思われるのも無理はない。コンバラトキシンはとても水に溶けやすい性質を持っていて、スズランを活けていたの花瓶の水を飲んだだけでも中毒症状は現れる。子どもが夜中に喉が渇が渇いたために、枕元にあったスズランを挿していたコップの水を飲み、翌朝には死んでいたという話もあるくらいだからな。
 しかしッ!毒草のは誤食・誤飲による中毒事故は、いずれも幼い子どもが引き起こした事例(ケース)。高校生の真多井流花がそんな過ちを起こす筈はない!事件現場のスズランはそう見みせるための細工……彼女が誰かに毒を飲まされたのは明らかだったんだッ!」

 理性の清流。感情の濁流。二つの水流は我々を飲み込み、『三年前』に(いざな)う。

「――当時だって、そういう話がなかった訳じゃない。むしろ、最初は事件と見て捜査を進めていたんだ。彼女が狙われる理由はいくらでもあった。天性の演技力の持ち主で、転校してきた早々ジュリエット役に抜擢されたという話だからな。彼女の周りには、数え切れないほどの悪意が満ちていただろう。
 ……だが、誰が手を下したという証拠もなく、『公にしないで欲しい』という学園側の圧力もあり、結局“本人の不注意がもたらした事故”という結論で片が付いた“事件”だ」

 話を終えた焔城検事の口元には、皮肉とも自嘲ともつかない笑みが張り付いていた。
 華やかな名門女子高校の裏で蠢く嫉妬、悪意、怨念、女同士の見えない闘い。一連の物語(ストーリー)は誰もが食いつきそうな内容だった。裁判長などはすっかり彼の話に惹き込まれ、
「そうすると、被告人に毒の知識はあったのですな?」と、身を乗り出す始末。
 まるで風見鶏を見ているようだ、と思った。風に身を委ね、くるくる回る風見鶏。但し、強風時にはずっと一方を向いたまま微動だにしない風見鶏。
 頭の向きを変えるには、今より更に強力な逆風を吹かせる必要がある。
「異議あり! それだけのことで、愛美さんにだけ毒の知識があったことにはなるまい。過去の事件の詳細など、調べようと思えばいくらでも調べられるのだからな」
「いくらでも調べられる、だと?これだから何も知らない奴は救いようがないな」
 焔城検事はキリキリッ、と眉を吊り上げ、吐き捨てるように言った。

「この事件は早朝、被害者以外は誰もいない稽古場で起きている。イメージを重んじる学園側はそれを幸いと捜査員や関係者に箝口令を敷き、演劇部員には『真多井流花は急病で降板した』と伝え、学園祭は代役を立てて滞りなく終わらせた。
 この件は極めて隠密裏に抹消され、新聞沙汰にもならず終い……誰にも、どうやったって調べようがないんだ」

 いつの間にか、彼の手には青いファイルがあった。青――正確に言えば元々青い色をしていたものが、傷みと汚れで夏の終わり頃に見かける澱んだ池の色になっているのだった。
 それは、誰にも顧みられることのなかった事件の真相が沈んでいるであろう池の底。
 焔城検事の口振りから察する所、捜査当局はこの件について調べることをタブー視していたきらいがある。当然、ファイリングも許されていなかった筈。

「……そこの夜羽愛美以外はな。その女は、毒に倒れた真多井流花を最初に発見した人間なんだッ!!」

 ――だから。そのファイルは、執念の塊。この件を“事故”ではなく“事件”として追い続けてきた、たった一人の人間の、魂、そのもの。

「ええっ?!……ま、まみちゃんが?!」
「なんと……!」

 事件の経緯を空で説明できるほど、何十回、何百回と読み込んで。
 表面の青があれだけ濁ってしまうまで、ありとあらゆる可能性を求め、調べ歩いて。

「では、被告人は三年前の事件を模倣して今回の事件を起こしたというのですか?」

「いいや、違う。分からないか?」

 そして、彼は、遂に、到った。

「そいつはな、三年前の事件と同じように(・・・・・・・・・・・・)スズランの毒を利用したんだッ!」

 『二度目はない』というあの言葉は、彼が真犯人だと信じる者への宣戦布告。

「さ、三年前と……」
「……お、同じように?」
「ということは、まさか――?!」
「最初の事件が発覚しなかったのをいいことに調子に乗って同じ手を使ったのがキサマの敗因だッ!――夜羽 愛美ッ!!」
 
 三年前の事件の真相解明に命を懸ける彼にとって、今回の事件はまたとない機会(チャンス)だった。何せ、自分がずっと追っていた事件の真相を公に出来るかもしれないのだから。

「……ちょ、ちょっと待った!」

 私が何を言うより早く、真宵くんは猛然と焔城検事に食って掛かった。

「キサマは演劇部時代の三年間、一度としてマトモな役を与えられなかった。それに引き換え真多井流花は、転校早々主役に大抜擢されている。
 キサマにとっては許し難い人選だっただろう?三年間の地道な努力が否定されたようなものだからな!」

 しかし、焔城検事はそれをそよ風ほどにも感じてない様子で愛美さんを糾弾し続ける。

「か、勝手なこと言わないでよ!まみちゃんはそんな子じゃないもんっ!」
「そして、今回の事件――同じ聖ミカエル学園・演劇部出身でありながら、スカウトで入団、二年目にして主役の座を得た柚田伊須香に対し、キサマはそれより一年も遅れて、しかも衣装係としての入団。
 二年経って何とかありついたのは、ワンシーンしか出番のない、台詞もロクにないメイド役。既に看板スターをしての階段を確立しつつある柚田伊須香とはあまりにも違いすぎる境遇だ。面白かろう筈がない」
「――ひ、酷いよっ!役をもらえたこと、まみちゃんスゴク喜んで、一生懸命演技したのにっ!ワンシーンとか、セリフが少ないとか……そんなのゼンゼン関係ないもん!」
「ふ。仮にも役者を志すものが、たかだかメイドの役くらいで満足出来る訳はなかろう。あわよくば、スポットライトを独占したいという野望は持っていた筈だ。
 しかし、それが叶えられることはなく……キサマが彼女たちに対して抱いていた嫉妬や怨念はやがて殺意へと変わり、理不尽な逆恨みの矛先が罪無き二人に向けられた。 
 自分の才能に見切りをつけ、舞台から降りていればよかったものを……自らの欲望を満たすためだけに邪魔者を排除しようとするなど沙汰の限りに非ず!」
「あ〜、こうなったらもう……異議あり!」
「そう、三年前は事故という不本意極まりない結果に甘んじたが、ようやくシッポを掴むことが出来た!夜羽愛美ッ!私はキサマを許さない!私は……いや、検察側は――」
「む〜……!」

「柚田伊須香殺人未遂事件に加え、三年前の真多井流花殺人未遂事件についても被告人・夜羽愛美を訴追するッ!!!」

「異議あり!異議あり!!異議(おお)ありなんだってば〜〜っ!!!……って、へ?」

「静粛に!静粛にぃ〜〜っ!!弁護人の付添い人はみだりに異議を唱えないで下さい!」


ドォン……ッ!!!!



 焔城検事が怒りに任せて両手を振り下ろしたのと、真宵くんの悲鳴にも似た異議が炸裂したのと、ついでに蚊帳の外だった裁判長が割って入ったのは、ほぼ同時だった。
 その後しばらくの間は、三人の荒い息遣いと重い沈黙が法廷を支配していた。

「……ね、御剣さん。もしかして、まみちゃんの罪、増えちゃった、とか?」

 若さとガッツでいち早く復帰した真宵くんが、恐る恐る訊いてくる。
「うム。裁判所が焔城検事の請求に応じ、三年前の事件について愛美さんに犯罪事実があることを認めれば罰条が追加されることになるな」
 私は正直に答えた。焔城検事が三年前の事件に言及したのはこの瞬間のためだった。彼の目的は最初から決まっていたのだ。
「う〜っ、あの裁判長のことだもん、きっと二つ返事で応じちゃうよ。そうなる前になんとかしなきゃ!」
 言われるまでもなかった。彼の陰謀に甘んじる気はないし、三年前の事件などこちらの知ったことではないとしても、これ以上事態を引っ掻き回されるのは御免被る。
「犯行に使われた毒はスズランの毒であり、被告人にはスズランが毒になるという知識があり、学園内にあることも知っており、採りに行った事実もある上、柚田伊須香を殺す動機も十分!
 夜羽愛美の犯行を特定する要素として、これ以上、何を望むというのかッ!」
「いいえっ、それだけはっきりしているのなら、他に何も必要ありません!」
 そう思っていた矢先、焔城検事ダメ押しの一言が風見鶏の足をへし折った。
「ああっ、やっぱりぃぃ〜〜!!あの裁判長ってばイロイロ軽すぎ〜!!!」
 真宵くんの悲鳴に私も激しく同感する。土台を失った風見鶏は特大の釘で繋ぎ止めておかなければ……風に吹かれるがまま、何処へ行くやら分からんからな。

「異議(おお)あり!」

「……は?」
「えと、御剣さん……?」
「動機の点に関しては完全にあなたの思い込みであって論ずるに値せず、『スズランを採りに行った事実もある』という部分には、全く同意しかねる」

⇒To Be Continued...

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