逆転−HERO− (2)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月02日(土) 20時22分15秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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「フ。まだ分からないのか、痴れ者」
 私が話に乗っからないことも計算通りだったのか、彼はきゅっと口の端を吊り上げる。だが、強い意志を宿す鳶色の瞳が映し出した相手は私ではなかった。
「事件の日、その毒草であるスズランを用意出来た唯一の人間がキサマだッ!夜羽愛美ッ!」
 私の視界の片隅で、愛美さんがびくりと肩を竦ませる。昨日、私と真宵くんの間柄を詮索してきたときは熟れたリンゴのように真っ赤だった頬も、すっかり色を失っていた。
「……確かに、まみちゃん、舞台でスズラン持ってたけど」
 愛美さんのただならぬ様子は、真宵くんの不安を煽るのに十分だったようである。
「しっかりしたまえ、真宵くん。スズランなど何処ででも手に入るだろう?」
「フフン、植物の生態に疎い男は何処にでもいるのだな」
 私の言葉を耳ざとく聞きつけたか、焔城検事はいかにも人を見下したような調子で、
「スズランの生育期は野生のもので4月から6月。園芸店に並ぶのとて、3月から4月。よほど早く準備しても年末年始といったところだ。念のために付近の花屋を調査したが、スズランを売っているところはなかったんだ」と、せせら笑う。
「……?それならば、愛美さんにも手に入れられないではないか」
「人の話は最後まで聞け、弁護士。これを見るがいい」
 焔城検事の手のひらできらりと輝くそれは、私のつけている弁護士バッジより一回り大きい銀色のバッジだった。中心部には、細かい模様らしきものが見える。
「何だ……?」
「これは、聖ミカエル学園の学章だ。中心には、学園のシンボルである“スズラン”が彫り付けてある」
「スズランが、聖ミカエル学園のシンボル……?」
「学長の赤間 神之助(あかま しんのすけ)はスズランの花をこよなく愛し、学園内の温室にて一年中絶やすことなく栽培しているんだ。聖ミカエル学園の生徒ならば誰でも知っていることだがな」
 焔城検事の手には、既に次の証拠品があった。……形状からして、どうも本らしい。雅やかな装丁と大きさが目を引いた。
「それは……?」
「夜羽愛美と柚田伊須香が卒業した年の“卒業アルバム”――劇団エデンの中で聖ミカエル学園の卒業生はこの二人だけなのだ。即ち!学園の温室にスズランが栽培されていることを知り得たのも、この二人だけということになるッ!」
 叫んで、彼は手にしていた卒業アルバムを力任せに叩き付ける。厚紙の表紙がひん曲がりそうなほど力を込めた反動でか、その腕は小刻みに震えていた。
「うわ。おっかないなぁ」
「うム。証拠品はもっと丁寧に取り扱って貰いたいものだ」
「え……?そっち?」
「刑事事件において“凶器”が特定の者にしか知り得ない場所にあったのならば、その人物に疑いの目を向けるのは必定!
 しかしながら、被害者である柚田伊須香がスズランを調達してくる理由はないッ!――だとすれば、答えはおのずと見えてくるのではないか?!」
 燃え盛る炎の感情が、うねりとなって愛美さんを襲う。何が彼をここまで激しく奮い立たせるのだろうか。検事としての使命感だけではないような気がするのだが。
 ……それに、愛美さん。焔城検事の主張が理不尽で隙だらけであることは、少し考えれば分かる筈。何より自分の無実は自分が一番よく知っているのだから、気負いする必要は全くないのだ。しかし、彼女は何故か嵐が通り過ぎるのを待つように、暴言に耐えている。
 彼女には、どんな厳責も甘んじて受けるしかない理由があるというのか……?俯いたままの横顔に不安が募ったが、今はとにかく、彼女の風除けに徹するしかない。
「異議あり! これははまた、随分と極端な論理が飛び出してきたものだな、焔城検事。確かにあの芝居では愛美さん演ずるメイドがスズランの花束を持って登場した。しかし、芝居に必要な小道具のある場所を団員が誰も知らないということはないだろう?
 少なくとも、劇団長の伊吹倫子はその辺りの事情を把握している筈だ。仮にも公演場所に選んだのだからな、下見くらいはしただろう。温室ならば私も見たが、かなり目立つ建物だ。劇団長ともあろう者が、その内部に無関心だったとは思えない」
「甘いな、弁護士。被告人は単に場所を知っていただけではなく、自ら名乗り出てスズランを採りに行ったのだ。フ、『それがどうした?』とでも言いたげな面構えだな。
 キサマは知らないだろうが、この芝居で使用するスズランは、最初“造花”の予定だったんだ。それが公演の日の朝になってみると、小道具入れの中に“造花スズラン”は無く、劇団エデンは取り急ぎ別の花束を用意しなくてはならなくなった。さて、ここからが問題だ」
 紅い嵐は収まるどころか、強く、激しく、容赦なく、被告人席を打ち据える。
「劇団員の話によれば、小道具の中にはスズランではない造花があり、柚田伊須香はそれで済ませればいいと言ったらしい。劇団長の伊吹倫子もそれに同意しようとした。
 そこに割って入ったのがこの女だ。こいつはな、この『ロミオとジュリエット』にはどうしてもスズランが必要なんだと喚き立て『聖ミカエル学園の温室にはスズランがある筈だから採ってくる』と言って、皆が止める間もなく飛び出して入ったそうだ。見ろ。被告人の衣装のポケットには、この通り“温室の鍵”が入っていた」
 ちゃらっ、と微かな金属音を立てて、真新しい鍵が現れる。その鍵自体に特筆すべき点はないが、一緒になったキーホルダーのプレートには赤と白のバラが描かれていた。
「ほう、なるほどなるほど」
「何でも出てくるねぇ……」
 裁判長は興味を示すが、真宵くんはうんざり気味。それは私も一緒だった。
「この位置にいると、全てが後手に廻るのだな。弁護士がこれほど難儀な職業だとは……」
 つい零れたそのそのぼやきを耳ざとく聞きつけた真宵くんが、私を見上げてにっと笑う。
「そーだよぉ〜。なるほどくん、いっつもみんなにイジワルされて、苦労してるんだから。だからさ、御剣さん。今度なるほどくんと闘うときは、それとなく便宜を図ってよね?」
「……ム。考えておこう」
 真宵くんには悪いが、この件が片付いたらしばらく帰らないつもりだ。
「さて、一連の筋書きはこうだ」
 一方の焔城検事は、我々のやり取りなど意にも介する様子もなく語り始めた。
「被告人・夜羽愛美が柚田伊須香の殺害を目論んでいた折、所属している劇団エデンが聖ミカエル学園で公演することになった。その劇では、小道具にスズランの花束が使われる。
 スズランに強い毒性があることを知っていた被告人は、そこに目を付けたんだ。スズランの毒を利用すれば、柚田伊須香を葬り去れるとな。
 聖ミカエル学園の温室では、スズランは絶やすことなく栽培されている。聖ミカエル学園の出身者である被告人も、当然それは知っていた。簡単に手に入ると思っていたのだろう。『劇で使用するから分けて欲しい』と言えば、ごく自然に温室に入ることが出来る。
 しかし、ここで問題が発生した。劇中で使用するスズランの花束が“造花”だった、ということだ。当然のことながら、造花のスズランでは人は殺せない。何としても生花のスズランを手に入れる必要があった被告人は、小道具の中から造花のスズランを抜き取って捨てるか隠すかし、何食わぬ顔でもっともらしい理屈を付けて温室へ向かったのだ。 
 これで分かっただろう。犯行に使われた毒物は被告人にしか用意出来ないシロモノ――なれば、犯人はこの女しかあり得ないのだッ!」
「おおっ、なるほど!」
 ……『移り気で浮気な裁判長』は、とりあえず放っておいてもいいだろう。しかし、焔城検事にこれ以上、好き勝手言わせておく訳にはいかない。
 どれだけ緻密な推論を組み立てても、所詮は推論。本人はさも当然のことのように言ったが、明らかに不自然な箇所がある。そこが、次に制すべきハードル。
「異議あり! よしんば犯行に使用された毒がスズランで、愛美さんが学園内のスズランの存在を知っていたとしても、先ほどあなたが得意げに披露したスズランの毒性まで知っていた思えない。 
 私の隣にいる真宵くんは彼女と同年代だが、スズランに毒があると聞いてあれほど意外そうに驚いていたではないか」

 ――いや、味方となり得るのは他にもいる。私は傍聴席を振り仰ぎ、叫んだ。

「純朴なる乙女たち!あなた方の中で、スズランに毒があるなどということを知っていた人はいるだろうかっ?!
 断っておくが、ここは法廷、厳粛なる場所。従って、ウソ・偽りはタブーです。さあ、答えて頂きたいっ!」


「え?!えと、あの、そのっ……!」
「あんっ、いやんっ!あの悩ましげな目で見つめられるとわたしっ……!」
「だ、ダメよダメダメ!誘惑に負けちゃ……あ、あたしたちには翔サマがぁっ!」

「いち、にい、さん、しぃ……スゴイよ、御剣さん。眼光だけで十人オトしちゃった!」

 彼女たちの中で、スズランに毒は含まれていることを知っていた者は誰一人としていないのだろう。この私でさえ知らなかったのだから、当然と言えば当然の反応だ。
 さて、ここまで漕ぎ着ければ後は簡単。波間に漂う木の葉の如く不安定なジャッジの心にちょっと働きかけて、こちらに振り向かせるだけだ。
 彼とは長い付き合いだから、扱いは心得ている。こういう場合は考えるヒマを与えさせず、いきなり振ってやると上手くいく。

「焔城検事、あなたの博識ぶりは認めよう。だが、お分かりか?これが世間一般の認識というものなのだ。従って、愛美さんだけがスズランの毒性について知り得、利用することを思い付いたと言うあなたの推測は明らかに不自然。そう思いませんか、裁判長」
「――お、思いますよ。勿論。そんなブッソウな知識、園芸の知識がある私でも知り得ませんでした。ましてやこんなか弱いお嬢さんが知っていたとはとても考えられません!」
 と、案の定。彼は内心の動揺を長年の判事生活で蓄積してきた威厳の下に押し隠し、便乗してきた。
 曰く『園芸の知識』は、松の枝振りがどうとか言う領域なのだろうが、細かいことにはこだわるまい。私は一気に畳み掛ける。
「聞いたかな?知性と教養溢れる裁判長殿でさえも、スズランの毒性はご存じなかったのだ。愛美さんが劇中でスズランを持っていたという事実も、彼女の母校でスズランが栽培されているという事実も、ただの“点”に過ぎないもの。
 バラバラの“点”を、あなたが知識として持っている“スズランの毒性”という“線”で繋げて悦に入るのは構わんが、世間一般ではそれを“こじ付け”と言うのだよ。
 それでも自分の推論が正しいと言うのならば、焔城検事。あなたは“愛美さんにスズランの毒性について知識があった”ことと“愛美さんが確実にスズランの毒を利用した”ということを、確かな証拠と共に立証すべきなのだ!」
「……な、なるほど。私もナルホドウクンに同感ですな。検察側はもろもろの主張を裏付ける、確かな証拠を示して下さい!」
 裁判長は私が持ち上げたのに気を良くしつつも、立場上、厳しい口調で問い質す。
 相手は完全に孤立している。……しかし、私は釈然としないものを感じていた。
 愛美さん――私の依頼人。弁護側は今、優勢に立った。それなのに、彼女は安堵の表情ひとつ見せず、何かから逃げるように頭を抱え震えている。

(一体あなたは何を隠しているのです、愛美さん……!)

「異議ありッ!」

 その硬直状態を打ち破り、自信と誇りに満ちた高らかな『異議』が響き渡る。

「哀れなほど何も知らないのだな、キサマ。この女を弁護するからには、多少の予備知識を備えていると思ったが、とんだ拍子抜けだ。所詮、キサマも名を上げたいだけの慈善家か!」

 ――私は直感した。焔城検事は自分の劣勢を覆すカードを持っている。いや、あの余裕を見るにつけ、本人に劣勢だという意識はないのだろう。

「どういうことだ……?」

 検察席に投げ掛けた問いは、間接的に愛美さんを捉えたもの。

「……」

 が、答えはない。

「被告人。キサマ、いつまでそうやってしらばっくれているつもりだ?」

 蔑みを込めた鋭い視線と言葉が、閉ざされた心の扉を強引にこじ開ける。

「スズランに毒が含まれていること、その毒性は強力で、時には人を死に至らしめることもあるのだということを、キサマが知らない筈はない」

 土足で踏み込み、踏みにじる。

「……!」
「御剣さぁん……」

 がくがくがく、と、遂には削岩機のように震え出した愛美さんを見かね、真宵くんが私のジャケットを強く引っ張った。彼女が救けを求めていることは分かったが、私は応えられなかった。……正確に言えば。応えようにも応えることが出来なかったのだ。

⇒To Be Continued...

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