逆転−HERO− (2)
作者: 紫阿   URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html   2009年05月02日(土) 20時22分15秒公開   ID:2spcMHdxeYs
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10月18日 午前9時25分 地方裁判所 第2法廷
 

 翌日――私たちは開廷時刻より幾分か早く、法廷に足を踏み入れていた。
 早いうちに法廷に(こも)ってしまえば顔見知りの検事や弁護士、裁判所関係者らと鉢合わせる危険を少しは回避出来る筈だ。
 もっとも、この場に『検事・御剣怜侍』を知る人物が現れたときは、全力で誤魔化すしかないのだが……今のところは幸い私に気を止める者はいないようである。
 といっても、裁判席・検事席共に人影はなく、傍聴席も半分ほどしか埋まっていない状態なので油断は出来ない。
 ――ふと、被告人席に目をやる。夜羽愛美。私が堂々と『弁護士』を名乗れる立場なら、今は控え室で依頼人である彼女と打ち合わせをしている時間。だが、諸事情により直接ここへ来たので、今日は彼女とは、一言も会話を交わしていない。
 昨夜、留置場で現れた“さいころ錠”の問題は、まだ私一人の胸にしまってある。
 確かに彼女は柚田伊須香に対する犯行については無実(シロ)だったが、『運が悪い』というぼやきにはもっと深い意味がありそうだった。
 しかし、彼女の秘密が海のものとも山のものとも付かない現段階では、友人である真宵くんにさいころ錠の存在を明かすのは(はばか)られる。
 それに、彼女が何かを隠していたとしても、錠前を壊すには持ち駒が少なすぎた。まずは今日の裁判を乗り切ること、そして、少しでも多くの情報を集めることだ。

「ねぇねぇ、御剣さん。あたし、北斗刑事が言った『エンジョウ』って検事のこと、ちょっと調べてみたんだよ」
 私が思いを巡らせていると、暇を持て余していたらしい真宵くんが一冊の雑誌を手に話し掛けてきた。
「ほぉ、それは頼もしいな」
「『月刊 ビジュアル法廷10月号 −今が旬のイケメン検事大特集!−』によると……」
「……待ちたまえ。何だその如何わしげな雑誌名と特集は」
「え〜?御剣さん、知らないの?一年くらい前に創刊された、子どもから大人まで大人気の法律専門誌だよ。今サイコーに“オイシイ”法曹界にスルドいメスを入れる内容が満載でさ。ええと、例えば『特集!検事とお揃いのアイテムそろえちゃお♪』とか『弁護士選びもわたし流!』とか『この秋デビューの新人対決!天使系検事VS小悪魔系弁護士』とか」
「…………そういうのは法律専門雑誌とは言わないのだが」
 しかし、私が留守をしている間に随分と軽薄な検事や弁護士が台頭してきたものだな。少なくとも、私の知る顔ぶれでは考えられない――
「なるほどくんも毎号載ってるんだよ。四コマ漫画だけど……」
 ……こともなかった。
「あ、そだ。専属のカメラマンが御剣さんの写真を撮りたいって言ってたけど、どーする?」
 どうするもこうするも……。
「謹んで辞退すると伝えてくれたまえ。それよりエンジョウ検事の話は……いや、いい」
「え?どうしたの、御剣さ――」
 いつもならあれこれ想い煩いつつも結局彼女のペースに乗せられる私なのだが、今回はそれよりも早く裁判官席の背後の扉がゆっくりとスライドしていく気配を察知していた。
「雑誌より現実を見たまえ。先に話をつけておかなければならない人物が来たようだ」
 私の視線に気付いた真宵くんがあたふたと雑誌を片付けながら、
「わちゃ〜。やっぱ来ちゃったのか、おヒゲの裁判長」
 検事の問題をクリアした今、裁判官も顔見知りの人物でないことを密かに願ったが、姿を現したのは例によって見飽きた……もとい、お馴染みの面構えだった。
「……でも、よく考えたらあたし、ここではあの裁判長以外の人って見たことないや。むしろ、あの人以外に裁判官がいるのかギモンだよ」
 確かに、成歩堂とあの裁判長(オソロシイことに、私は未だ彼の本名を知らない)との遭遇率は群を抜いて高い。『移り気で浮気な裁判長』と陰で囁かれながらも、最後には何故か正しい判決を下すところは私も一目置いている人物だ。だが、こうも遭遇率が高いと意図的に、というか野次馬根性丸出しで顔を出しているとしか思えない。
 ウワサの裁判長は悠然と定位置に腰を落ち着けると何気なく弁護人席を一瞥、私の姿を認めた瞬間ぎょっと目を剥いた。

「あ〜あ、見付かっちゃった」

 かくれんぼの鬼にでも発見されたような調子で、身を屈める真宵くん。
「キミが隠れたところでどうなるものでもあるまい」と、私。
「……そだね。でもホラ、裁判長も何だかアヤしげな動きしてるよ?」
 私たちの視線の先で、裁判長は目をこすり、頭を振り、ヒゲを撫で、手元の資料を意味もなくぱらぱらとめくり、天井を仰ぎ、木槌の握りの具合を確かめ、果てはどこからか取り出した黒ぶちの眼鏡(おそらく老眼鏡)を掛けては外し、掛けては外し……この非日常を何とか自分の勝手知ったる日常に戻そうと涙ぐましい努力を続けていた。
 ここが法廷でなく、彼が法服を纏っていなかったら、真宵くんの指摘通り、任意同行を求められても文句は言えない挙動不審振りである。
「……見なかったことにしたいみたいだね」
「うム。だが、裁判長としての理性がそうはさせないようだぞ」
 彼とて曲がりなりにも法の番人を称するならば、いつまでも現実逃避している訳にはいかないと思ったのだろう。今度は瞬きひとつせず、弁護人席を凝視する。
「うあ、見てる見てる。裁判長の視線、今度はあたしたちにruby>釘付け(・・・)だよ。どーするの?」
 接触は時間の問題。珍しく不安げな眼差し真宵くんへ、私は力強く頷いて答えた。
「フ、真宵くん。釘は“付ける”ものではなく“刺す”ものだ」
「……御剣さん、何だか冥さんに似てきたね」
「まあ、見ていたまえ」

「あの〜……」

 現実を受け入れる気になったらしい裁判長が、腫れ物に触るような調子で私に囁く。

「私の記憶がまだ健在ならば、あなたは確かみつ」
「私は“成歩堂龍一”だが、何か?」(裁判長。この法廷内において、私の正体はあなた一人の胸にしまっておいて頂きたい)

 ほんの少しドスを利かせた声の中に、密やかなメッセージを含ませるだけでいい。

「?!」
(あなたはいつも通り進行してくれるだけでよいのだ。難しい要求ではないだろう?)

「……ですが、あなたはどう見てもみつ」
「弁護士の“ナルホドウリュウイチ”だ。いつも通り(・・・・・)よろしく(・・・・)

 この真摯な訴えが耳に入らない相手では、決して、ないのだから。

「いやあの……しかし、ですな、みつ」

 裁判長の声に当初の音量はもはやない。だが――“刺す釘”は多い方がよかろう。

「私は“ナ・ル・ホ・ド・ウ・リ・ュ・ウ・イ・チ”だ。よもや、依存はあるまいな?」
(あなたも色々場数を踏んできた筈だ。察・し・て・頂・け・な・い・だ・ろ・う・か?)

「は、はひっ……?!」

 餌を欲しがる金魚のように口をぱくぱくさせるだけとなった裁判長の姿を確認して、私は目の前の問題が極めて平和的に、かつ穏便に片付いたことを真宵くんに告げた。

「話は付いたぞ、安心したまえ」
「……御剣さんの眼光って冥さんのムチより強力な武器なんじゃないかなぁ」
「フ、非番の日は何をしてもユルされるのだよ。犯罪以外はな」

 問題のひとつが滞りなく(・・・・)片付き、気を緩めかけたその一瞬。突如沸き起こった黄色い歓声が、越えていかなければならないハードルの多さを私に思い知らせた。
 傍聴席はいつの間にやら満員御礼。その九割方が何故か女性で、みな一様に恍惚とした表情を浮かべているのだから、これほど異様な光景はない。

「御剣さん、見て」
 
 面食らう私に、真宵くんの声が掛かる。見れば彼女は、彼女と一番近しい人物がいつもそうするように、真っ直ぐ伸ばした人差し指を検察席に突きつけていた。
 その延長線上を辿り――私の視界に飛び込んできたのは、燃え盛る炎の(あか)を身に纏った青年だった。歳は……私と同じかその前後だろう。
 やや細身の身体を包み込んだ深紅のジャケットはそれだけでも目を引くのだが、ループタイの留め具にあしらった楕円形の石の鮮やかな火色(ファイアレッド)は特に印象的である。

「!」

 私の目線とほぼ同じ高さにある相手の瞳――視線が交錯した一瞬、思考回路が停止った。

「ホラ、あれが焔城検事だよ」

 手元の資料(?)と見比べながら興奮した様子で叫ぶ真宵くんの声が急速に遠ざかる。
「どしたの、御剣さん。ボンヤリしちゃって……手ごわそう?」

 私が相槌のひとつも打たなかったからだろう、彼女はそう言って顔を覗き込んできた。

「――ム、そうではない」

 慌てて取り繕ながら視線を戻す。しかし……何なのだろう、この感覚は。強い意志の光を宿す鳶色の瞳、夕日を浴びたように鮮やかなオレンジの髪を、私は――

(……オレンジ?)

 軽い眩暈に見舞われても、一度覚えた違和感は、そうそう拭い去れるものではない。
 空の証言台を挟んだ向こうに控える人物の髪の色はライトブラウン。今、ごく自然に思い浮かべた色彩とは全く異なる色だというのに、私は何故“オレンジ”と認識したのか。

「み、御剣さん?」
「――ああ、すまない。真宵くん」
 袖口を引かれる感覚がして、我に返る。彼女意外、誰も私に注意を払っていないところをみると、意識を飛ばしていた時間はほんの一瞬だったようだ。
「……本当に大丈夫?」と、真宵くんはまだ心配そうな表情である。
「ああ、問題ない。しかし――」
 私は彼女を安心させるために、正体の定まらない感覚を言葉にする必要があった。
「焔城検事、といったか……彼を見たのは、これが初めてではないような気がする」
「う〜ん……」と、真宵くん。
 唸り声に雑誌のページを繰る音が混じる。
「でも、それは気のせいなんじゃないかな。プロフィールによると焔城検事が検事になったのは二年前なの。御剣さんが海外を飛び回るようになったのも、その頃からでしょ?」
「では、帰国したときに何処かで見かけたか、検事局ででもすれ違ったか……」
「どうかなぁ。焔城検事はずっと地方勤務だったらしいよ。こっちに来てから間もないみたい。だけど、御剣さんはここ数ヶ月、帰って来てないでしょ?」
「……ム、まぁ、そうだな」
 真宵くんの怒涛のツッコミに、私はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
「あ。分かった分かった、分かっちゃった♪」
 私を打ち負かしたのが嬉しかったのか、彼女は少し弾んだ声で言う。
「それってもしかして、アレじゃない?ええと、何だっけ……そうそう、ランデヴー!」
「ランデヴー?」
 ……逢引などした覚えはないのだが、自信満々な彼女を見ているとこちらに非があるのではないかと不安になる。とりあえず記憶を辿ってみるが、思い当たる節はなかった。
「うん、確か。初めて見る光景なのに前に見たような気がするって感覚のことだけど」
「――君が言いたいのは『デジャビュ』ではないのか?」
「そうそう、それそれ!きっとそれだよ、御剣さんのヤツは!」
 ……どうやら雰囲気だけで覚えていたらしいが、一文字も合っていない辺り、いつにも増して凄まじい天然ぶりである。
 しかし、彼女の言うことももっともだ。成る程、既視感(デジャビュ)か。それならば別に珍しくもなかろう。疑問が消えた訳ではないが、考えるのは後でもいい。
 何より今は、目の前の障害を取り除くことに全力を尽くさねばならなかった。

「そ、それではこれより夜羽愛美の裁判を開廷します。準備はよろしいですか?え〜……な、ナルホドウリュウイチ弁護士」

 決意も新たに検察席に向き直った時、力一杯“フルネーム”を呼ばれた。
 見れば焔城検事が登場してからその存在をすっかり日陰に追いやられていた裁判長が、救いを求めるかのような視線をこちらに送っている。さては“腐っても法の番人”の理性が、私の所有する“ここでの名前”を呼ぶのに抵抗を示しているのだな?

(そのうち慣れて頂きたい)

 私が軽く(・・)睨むと、彼は慌てて検察側に視線を移し変えた。
「え〜、弁護側は問題ナシということで、検察側の……え〜、あなたは初めてお会いする方のようですな。出来れば、お名前(・・・)を教えて頂きたいのですが」

 焔城検事は組んだ腕を解こうともせず、一言。

「翔(かける)」

「……あ、はい。分かりました。翔検事、ですな?」

 素直な返答に裁判官がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。

「気安く呼ぶなッ!」

 法廷一杯に響き渡る一喝が、持ち直しつつあった裁判長の威厳を一瞬で崩壊させた。
「は……?いや、あの〜。気安く呼ぶなと言われましても、ここで名前(・・)を呼ばないというのは大変不便ですので、できればご了承頂けますか、翔けん――」

 元々の腰の低さは差し引いても、裁判長が困惑する気持ちは理解できる。しかし、焔城検事の返答は理不尽かつ手厳しいものだった。

⇒To Be Continued...

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