逆転−HERO− (1) | |
作者:
紫阿
URL: http://island.geocities.jp/hoshi3594/index.html
2009年05月01日(金) 15時51分37秒公開
ID:2spcMHdxeYs
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――それは、一瞬の出来事だった。 弓なりにしなった彼女の肢体は、次の瞬間には猫のように丸まり、かと思えば再び反り返り……ほんの瞬きほどの間にめまぐるしく姿勢を変えていく。 天蓋幕を引きちぎり、流れるように艶やかな黒髪を惜しげもなく振り乱し、激しく咳き込み、白い喉をかきむしり、枕を床に叩き付け、シーツを引き摺り下ろし……観てるこっちも息が止まってしまいそうな、迫真の演技だった。 やがて――彼女がぴくりとも動かくなると、会場は静寂に包まれる。 声を発する人も、ましてや動く人なんて誰もいない。空気も時間も全部、凍り付いてしまったみたい……。そして、ゆっくりと降りてくる――幕。 幕は…………なかなか上がらない。さすがクライマックス、引っ張るね。 あたしの隣では御剣さんも、食い入るように舞台を観ていた。 1分、2分、3分……5分………………あれ? 観客のさらさらと言うささやきがざわざわと言うざわめきに変わり、更にどよどよのどよめきになった頃、ようやく幕は開いた。 場面は酷く昏い、洞窟みたいなところ。ジュリエットが横たわる台座の傍に、思い詰めた表情で跪いているロミオ。鈍い光を宿らせたナイフを胸の前でしっかりと握り締めて。 ロミオ『――おお、ジュリエット!私の愛しいひと、愛しい妻よ!貴女の蜜のような息を吸い取ってしまった死神も、貴女の美を如何にすることも出来なかったのだ!……紅の美の旗印が貴女の頬に、唇に、翻っている。死の白い旗印とてまだ掲げられていない……。 貴女は何故、今もなおこんなにも美しい?もしや死神までもが貴女の美しさに恋をしてしまったのではあるまいか?!……ああ、心配だ!それならば、この僕がいつまでも貴女の傍に留まって、この昏い宮殿から二度と離れないでいよう。……ここに僕は永遠の安息を求める。この肉体から、宿命の楔を断ち切ろう。…………さ、さぁ!案内人よ!……凶暴で無慈悲な、冷たき案内人よ!今こそ、その……非情な牙を、我が胸に突き立てよ!』 言ってから向きを変えた切っ先が胸に吸い込まれて消えるまでは、息を吐く暇もなく。……お芝居でもナイフを刺すのは怖いのかな?手も声も、スゴく震えてたけど。 耳が痛くなるようなどよめきの中でも御剣さんの息を呑む音がはっきりと聞こえ……あれ?今、何か言った?……空耳、じゃない。確かに、小さな声で『バカな…!』って。 けど、舞台は続いているから問い質すことも出来ない。ま、いいや。あとで訊こう。 そうこうするうちにジュリエット、ゆっくりと身を起こす。…………あれ?あれれ? ジュリエット『…………おお、ロミオ。どこなの、私の……愛しい、夫よ!……な、何かしら?この短剣は……愛しい夫の手にしっかりと握られて……そ、そう、これで胸を突いて……と、時ならぬ最期を……お、お遂げになったのね……?!』 ……ヘンなの。ジュリエット、何だか別人みたい。照明が暗くて役者さんの表情はあまり見えないんだけど……声は上ずってるし、セリフもトチってばっかでぎこちないし、さっきの人の演技とはゼンゼン違う気がするんだよね。 ジュリエット『……ひどいお方!私の目覚めを待たずして、逝ってしまわれるなんて……お願いよ、短剣!こ、この胸がお前の鞘!私を、愛しいロミオの元へ行かせて……っ!』 あたしが心の中であれこれツッコミを入れている間に、ジュリエットはロミオの手から取り上げたナイフで胸をひと突き、彼の上に崩れ落ち……たんだけど、さっきの毒を飲むシーンと比べるとイマイチ迫力不足で物足りないの。 ――で、その後。何となく慌しい感じで降りてきた幕は、グラデーションがキレイな布の上にラメ&刺繍がいっぱい入っている、一番立派な外幕だった。 あの外幕が開いて劇が始まった。劇の間は一度も降りてこなかった外幕。それが降りてきたってことは……じゃあじゃあ、公演はこれでお終い?!えと、これで……? この後まだ何かあるような気がして、少しの間、あたしはぼんやりと閉ざされた舞台を見ていた……けど。幕は、二度と上がらなかった。 <これにて劇団エデン公演『戯曲ロミオとジュリエット』を終了させて頂きます。皆様、ありがとうございました。足元にお気を付けてお帰り下さい。ありがとうございました> そのうち公演終了の放送が流れ、場内は明るくなり、席を立つ人も目立ち始める。 「……何だかな〜。あれだけ引っ張ったのに、ズイブンあっさりしたラストだったよね」 あたしはまだ信じられない気持ちで、隣の御剣さんに声を掛けた。 「あは。まみちゃんには悪いけど、ちょっと拍子抜け……あ、そーだ。ねぇねぇ、御剣さん。あたしの気のせいかもしれないけど、最後のシーンのジュリエット、少しおかしくなかった?何ていうかなぁ……別人みたいな気がしたの。御剣さんはどう思った?」 …………返事、ないや。う〜ん……あたし、ちゃんとしたお芝居を見るの初めてだから分からないけど、ラストシーンって、きっと大体、こんなもんなんだ。 「……あ、やっぱ気のせいだった?ゴメンね、せっかく余韻に浸ってたのに」 苦笑しながら隣を窺う……と。うわ。今まで見たことのないような険しい顔。 「…………ではない」 「え……?」 「気のせいではないっ!来たまえ、真宵くん!」 叫ぶや否や、観客の流れに逆らって走り出す御剣さん。あたしも慌てて後に続く。目指すは今しがた幕が降りたばかりの――舞台。 「誰か居ないのか、返事をしたまえっ!」 幕の向こうに呼び掛けると、見覚えのある衣装を身に付けた男の人が出てきた。 「キミは、ロミオを演じていた青年だな?」 眉を吊り上げて迫る御剣さんに、その人(……名前分からないから、とりあえず“ロミオさん”にしとく)は、怪訝そうな顔を向ける。 「ええ、そうですけど……あなたは?」 「観客だ。今の舞台について、物申したいことがある。責任者に取り次いで頂きたい」 どーしちゃったんだろ、御剣さん……なるほどくんに煮え湯を飲まされたときだって、ここまでフキゲンにならないのに。 「あの……申し訳ないんですけど、今はちょっと立て込んでいまして……その、舞台も終わったばかりですし。そう言えば、各模擬店・催しのご意見・ご感想等は学園指定のアンケート用紙が配られるそうで、それを後に配布することになると実行委員の方が……」 御剣さんのただならぬ気迫に圧されつつも、ロミオさんの返答はあくまで形式的だった。 「意見?フン、そんな生ぬるいことをわざわざ言いくるものか」 「はい?というと……」 「!」 うわわっ。今、コメカミの辺りで、ぴききっ!って音したよぉ! 「異議あり!」 「……あの?」 ロミオさん、固まる。普通に過ごしてたら見ないもんね、人指し指のどアップなんて。 「今の舞台、観客の立場で異議……もとい、物言いがあると言っているのだ!」 「ど、どういうことでしょうか……?」 「愚問だな。当然、ラストの一場面に決まっているだろう?!」 御剣さんの一言に、ロミオさんの顔が強張る。何か言い返そうとして口を開きかけたのだけれど、それは叶わなかった。 「答えたまえ、ロミオ君。キミは何故“短剣”を使って命を絶った?! あの場面は、ジュリエットの訃報に絶望したキミが彼女と運命を共にするために薬屋から買い求めた毒薬をあおって命尽き果てるのではなかったのかッ?!」 「それは……お、同じ短剣で運命を共にした方がロマンチックだからですよ!劇団エデンは“独創性”を重んじる劇団です。固定観念に囚われず、回りくどい表現はアレンジし、常に新しい演出を取り入れることを基本方針にしています。それに物言いされても……」 あのラストシーンにはあたしも確かに不完全燃焼感があったけど、御剣さんの不満はよっぽどだったみたいで、そこから三年前の再来よろしく情け容赦ない攻撃が始まる。 「うム。確かにラストシーンまでの独創性は完璧だった。先人が築き上げてきた古き良き土壌を大切にしながらも新しい演劇の可能性を見出させるような構成。所々に散りばめてある風刺の効いた痛快かつ鮮烈なユーモアの種。想い、悩み、移ろい揺れ動く人の心を これら場面構成と演出・効果・音声・照明・個々の演技や台詞には、独創性が溢れており、これまでにないロミオとジュリエットの世界を魅せてくれたことは賞賛に値する」 「……はぁ。ありがとうございます」 「しかし、賞賛に値するのはあくまでも 「いや、あのぉ……」 「元より『ロミオとジュリエット』は、ジュリエットの墓所へと向かうロミオと神父の手紙を携えた使者がすれ違う場面こそ最大の見せ場なのだぞ?! あの皮肉なすれ違いなくして、悲恋物語の金字塔が打ち立てられるものかッ!」 今の御剣さんには『死んだフリしてやり過ごしちゃえ♪作戦!』なんて、きっと通用しないだろうな〜……なんて思いながら、成り行きを見守るあたし。 「ですからそれは……」 御剣さんの眼が、スゥっと細まる。……ええと、ここって法廷じゃないよね?ロミオさん、実は弁護士だった!ってコトは……ないよね? 「百歩譲って――同じ短剣で運命を共にするという演出があったとしよう。しかしっ! 毒にしろ短剣にしろイキナリ墓所のシーンから始まったのでは、何故にロミオが死ななければならなかったのか意味不明ではないか!第一、その前の幕が長すぎるだろう?! ジュリエットの寝室から墓所までで、一体いくつの場面を 「ええと、その……」 「それも『独創性』のヒトコトで片付けるというのか?しからば訊くが――ラストシーンでジュリエットの配役を変えたのも『独創性』とやらを掲げる劇団の方針か?!」 「ううっ……!」 ま〜ね〜、御剣さんが一遍通りの弁解が通用するようなヒトならなるほどくんもあんなに苦労しなかったワケだし。 ましてや、免疫のないロミオさんは……あぁもぉ、気の毒としか言いようがない。後でトラウマにならなきゃいいけど。 「もしそうだと言うのならば、こちらも全力で反論させて頂く! 無論、ラストシーン前までのジュリエットの配役については申し分なかった。一般に広く浸透している儚くか弱い悲劇のヒロインではなく、原作から読み取れる現実的で率直、大胆かつ繊細、優雅であり素朴、時に激しく時に脆く――“悲劇のヒロイン”の一言では納まりきらない彼女の多面性を見事に演じ分けていた。特に望まぬ結婚の前夜、独り寝室で薬をあおる覚悟の演技は、手放しで絶賛しよう」 「……そ、それはどうも。後で本人に伝えておきます」 「だからこそ腑に落ちんのだ!」 「ひぃっ……?!」 あたしがやきもきしようがどうしようが、一瞬たりとも付け入るスキを与えたいのが御剣さん流。オバチャンも顔負けのマシンガントークに終わりはなかった。 「その本人が、何故最後まで一人で演じきらない?この舞台は、シンデレラが三人いるような学芸会ではないのだろう?!長時間に渡る公演では配役が入れ替わることもあるだろうが、二時間弱の公演でそんな話は聞いたことが無い。 たとえ途中で配役を代えるような緊急事態に見舞われたとしても、最後のワンシーンだけ……しかも、こう言っては何だが、あまり感心できない演技をするような役者と代えるなどあり得ないっ!」 「あうあうあう……」 ……相手が悪すぎたとしか言いようがない。ロミオさん、一生立ち直れないかも。 「それに、彼女が倒れてから後の場面はどうした?!ロミオとジュリエットの悲劇に涙する両家の親と、領主の前でもう二度と争いはしないと誓う場面までもを切って、早々に緞帳を下ろし、観客と舞台を一方的に断ち切られたのでは、カーテンコールも送りようがない! そもそもカーテンコールとは、舞台を無事に終えた出演者と観客、それにスタッフが共に喜びを分かち合い一体となる神聖な儀式の筈ではないか!それが行われないなら、我々は何処に拍手喝采を向け、誰に敬意を表すればよいのかッ?!!」 「あ、あ、あ……」 「もうよろしくてよ、乃亜(のあ)。奥に下がっておいでなさいな」 ⇒To Be Continued... |
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