アリバイのパラドックス
作者: 異議あ麟太郎   2009年08月16日(日) 15時34分58秒公開   ID:MUDP.QjGps6
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「おいおい、勘弁してくれ。煙草は私の創作意欲の源だ」
「先生。奥さんは先生の体のことを心配してくださっているんですよ」
 七瀬はからかうように言う。かく言う彼女自身もメンソールを吸っているのだが。
「このメンバーで私を除いて唯一煙草を吸う君には言われたくないね」
 木下がそう言うとその場の全員が違いないと笑う。
「じゃあ、みんな楽しんでくれ」
 そう言うと彼はその場を去っていった。これが、全員が彼を見た最後である。

「そろそろ、私は眠らせてもらおうかしら」
 七瀬が席を立ち背伸びをする。時刻は午前零時ちょうど。
「じゃあ、俺も眠らせてもらうわ。最近徹夜が多かったんでね」
 続いて渡辺も立ち上がる。それにつられて、
「私も失礼しようかな。年を取ると夜更かしはどうも体にこたえる」
 今年で五十二になる江藤が立ち上がる。
「他には眠る人いる? これ以上減るようならお開きにするけど」
 古部は残りのメンバーに聞くが誰も立ち上がらない。もう少しゲームに興じるようである。
 こうして七瀬、渡辺、江藤が退場した。
 それからしばらく、居間でゲームは続いたが午前二時頃だろうか急に激しい雨が降ってきた。
「ゲリラ豪雨ですかね」
 激しい雨音を聞きながら基樹が言う。
「この時期にゲリラ豪雨ってわけでもないんじゃないですか」
 瀬川は手札の状態が苦しいのかさっきからじっと自分の手札を睨んでいる。
「もうしばらくしたらお開きにしようかね」
 あくびをしながら古部が言う。
 古部の提案どおりそれから三十分後にゲームは完全にお開きになった。

 翌日午前八時全員が欠伸をしながら食堂に集まる。
「あれ、先生はどうしたんですか奥さん」
 古部がその場に木下がいないことに気がついて沙良に訊く。
「それが、昨日私が部屋に戻ってもいなくて、そのうち帰ってくるだろうと思って寝たんですけど、朝起きてベッドを見てみると戻った形跡が無いんです」
 不安げな表情を沙良が浮かべる。
「まさか、アトリエで寝ちゃったとか」
 渡辺が冗談めかして言う。
「そんなわけありません。あそこは寝られる場所なんてありませんし」
「じゃあ、創作に没頭しているんじゃあないのかな」
 江藤はそう言いながらも、自分で可能性の低いことを言っていると自覚しているようである。
「じゃあ、俺呼んできますよ。噂の先生のアトリエにまだ入ったことないし」
 古部は席から立ち上がる。
「じゃあ、私も」
 瀬川が古部につられるように立ち上がる。
 二人は食堂を出て、玄関に向かう。
「先生に作品のモチーフパクられたって噂本当なの?」
 玄関まで行く途中で、古部が出し抜けに口を開く。瀬川が一瞬驚いたようだがすぐに平静を取り戻して
「何のことですか?」
「とぼけるなよ。先生にモチーフをパクられて激昂したけど金で黙らされたってその筋じゃ有名な噂だぜ」
 嫌な笑みを口元に浮かべる。
「そんなの根も葉もない噂ですよ。それより古部さんだって木下先生といろいろ確執があったって噂聞きますけど」
「それこそ根も葉もない噂だ」
 そんな会話をしながら二人は玄関口に着く。靴を履いて外に出るとぬかるんだ地面にはまっすぐにアトリエに向かっている足跡がついていた。
「妙だな……」
 古部が足跡を見て呟く。
「何が妙なんですか?」
 古部の言う意味がわからないのか瀬川は訝しげな表情を浮かべる。
「いや、昨日雨が降ったのは先生がアトリエに向かった後だろ、つまりこれは先生がアトリエに向かうの時の足跡じゃないってことだろ? じゃあ、この足跡は誰の物だってことになる……」
「そういえばそうですね」
 二人は顔を見合わせて首を捻るが悩んでもしかたがないので、アトリエにむけて歩みを進める。
 二人はアトリエまで足跡を辿るように歩いていく。足跡はアトリエの前まで続いていてまた母屋の方まで戻って行っていた。つまり、一度アトリエに行った木下が母屋に戻って雨が降ってきてからアトリエに向かったという可能性は消えた。木下は母屋に戻っていないからである。
 ますます、奇妙な足跡に首を捻りながら二人はアトリエの扉の前に立つ。
「先生。いらっしゃいますか?」 
 古部が扉を軽くノックし、声をかけるが返事がない。しかたがないので、扉をゆっくり開ける。
 扉を開けた瞬間に妙な熱気が流れてきた。
「うわ、なんだ、この熱さ。先生どうしたんで……」
 古部の言葉はそこでと切れた。彼の眼球の水晶体には頭から血を流して倒れている木下が映し出されていた。

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「で、急いで被害者に駆け寄って死亡していることを確認すると、古部さんと瀬川さんは急いで母屋に戻り、警察に連絡したというわけ」
 葉月は事情聴取で聞いたことから事件当夜のことを事細かに説明した。
「ふーん、なるほどね。で、司法解剖の結果は?」
 九音は欠伸をしながら訊く。葉月は警察手帳を開いて
「死亡推定時刻は午前零時から四時まで、死因は後頭部を複数回にわたって鈍器で殴られたことによる脳挫傷。凶器は現場にあった灰皿」
 そう言いながら凶器の灰皿が写った写真を一枚差し出す。
「少し死亡推定時刻の幅が広くないか?」
 凶器が映った写真を見ながら、九音は尋ねる。
「それはさっき死体発見の状況を話したとおりアトリエの中はかなり熱くなってたの。石油ストーブが焚かれていてかなり室内の温度が上昇したみたい。そのせいで、当初直接的な死因は一酸化炭素中毒が疑われたみたいだけど、最終的には後頭部を殴られたのが死因で決まったみたい。で、死亡推定時刻に幅があるのは」
「室内の温度が高温だったから、正確な時間が出せなかったわけか」
 九音が葉月の言葉を引き取って言う。
 死亡推定時刻を出すのにはいくつかの事柄がある。
人間は死ぬと筋肉が硬直する。大体、硬直は頭から足の方へといき、死後二十四時間が硬直のピークで、四十八時間で下肢に弱く残る程度であとは消えていく。これがいわゆる死後硬直である。
また、死ぬと当然だか血の流れは止まる。この時死体の中の血液は地球の引力にひかれて、死体の下方に血が集まってくる、これを死斑という。死斑にも死後硬直と同様に時間的経過により変化がある。詳しくは書き出すときりがないので割愛するが、この二つの変化が死亡推定時刻を算出する代表的なものである。
しかし、死体のいた環境でこれらの出方が通常と変わってくる。例えば、死後硬直は死体が低温度の場所あるいは水中にいた場合遅くなる。今回の事件の場合は室内の温度は高温になっていたので、死後硬直は早く起り、死斑もでやすい。よって死亡推定時刻に幅をもってださなければならなくなる。
「そういうこと、検死官の報告によるとあくまでも幅を持たせての死亡推定時刻とのことよ。でも、特に問題ないでしょ。今回の場合はもっと死亡推定時刻はもう少し狭められる」
 葉月は意味深な笑みを口元に浮かべる。
「足跡か……」
「そう、事件当夜の時間の流れ、雨、足跡の三つを考えあわせると、死亡推定時刻は午前二時から四時の二時間になる」
 葉月はそう言うと一枚の紙を取り出して、ベットテーブルの上に置く。
「事件当夜のタイムテーブルよ」
 それは次のようになっていた。
 午後八時パーティーが開かれる

午後十時ポーカーが始まる
 
午後十時三十分被害者がアトリエに行く

午前零時七瀬、渡辺、江藤が就寝

午前二時大雨が降る

午前二時半全員が眠る

「現場までの足跡が付いているということは犯人が現場に行ったのは雨が降ってきた午前二時以降ということになる、か」
 九音は葉月が作ったタイムテーブルを見ながら独白する。
「そういう事ね。あ、それから検死官が面白いこと言ってた」
「おもしろいこと?」
「被害者は後頭部を複数回殴られているけど、右前頭部を一回殴られているって」
 自分の右前頭部を差しながら説明する。
「右前頭部?」
「そう。つまり、犯人は最初に被害者の右前頭部を殴って昏倒させ、倒れた被害者の上から馬乗りになって何度も後頭部を殴ったってことみたい」
「なるほどね。最初に後頭部を殴ってから前頭部を殴るわけということか……。なあ、現場までの足跡あれから誰の靴かわからなかったのか」
 葉月はそれを聞くと写真を一枚取り出す。
「それが問題の足跡。でも、役にたたなかった。その足跡はもともと被害者宅にあった長靴の後みたいだから」
「ふーん、なあ、凶器はアトリエにあった灰皿だったんだよな」
 九音は真剣な顔つきになって尋ねる。
「ええ、そうよ。それがどうかした?」
「……いや、灰皿っていうのがどうも殺傷力の高くない凶器だから」
 九音は凶器の灰皿が映った写真を見たがら、腑に落ちないというような口調で言う。 
「どうして? 犯人と被害者がアトリエにいて、犯人が突如激昂して現場にあった灰皿で被害者を殴ったって考えればとこもおかしくないじゃない?」
 言わんとするところの意味がわからないとばかりに葉月は首を捻る。
「いや、だからそれが……」
 九音はそこまで言うと突如として黙りこんでしまう。そして、その視線は空を睨み黙り込んでいるその様は彼の回りだけ時間が止まったかのように葉月には見えた。
「どうかした九音?」
 葉月は恐る恐る凍った時間に閉じ込められた探偵の顔を覗き込む。
「わかったかもしれない」
 九音は未だに視線を空に向けながらも葉月の問いに返答する。
「なにが?」
「葉月。容疑者の利き手を至急調べてくれ」
 葉月のほうに視線を急に戻すと、九音は微笑を浮かべながら言う。
「利き手? そりゃ容疑者に電話で確認を取ればわかることだけど、でもどうして?」
「わけは後で話す。とにかく調べてくれ」
「わ、わかった」
 葉月は九音の迫力に気圧されながらも、席を立ち病室を出て行く。
「後は、外堀を埋めるだけか」
 九音は葉月が出て行くのを見届けると独白し彼女の鞄から捜査資料を取り出し、目的の物を探す。
――俺の論理が正しければ……。
資料を斜め読みしながら求めるべき情報を探す。それは、検死報告の中に会った。

被害者の体には頭部以外には傷は見られず。抵抗する暇もなく頭を殴られたものと思われる。

その部分を見つけると「ビンゴ」と言い資料を指で弾く。
――しかし、これだけでは反論される可能性もある。俺の論理に補強できるものがあれば。
そう思いながら、九音は早く葉月が戻ってこないかと焦れていると、先ほど葉月が見せた被害者が載っている美術雑誌が目に入った。
手に取り眺めて見るとそれは木下のインタビューが載っている。何気なしに斜め読みしていると、ある部分で目が止まった。

インタビュアー「木下先生はアトリエには自分の奥さん以外入れたことがないとのことですがそれは本当ですか?
木下「ええ、本当です。掃除を任せている信頼できる妻以外にアトリエに入れたことはありません」

九音は思わず口元から笑みがこぼれる。
「これはうまくいけば使えるかもしれないな。後は話の運びかたしだいだが」
 そう言った瞬間に葉月が病室に駆け込んできた。
「これが、容疑者全員の利き手よ」 
 そう息を切らしながら一枚の紙を九音に渡す。
「病院の廊下は走るなよ」
 紙を受け取りながら走ってきた葉月を茶化す。
「あんたが大至急って言ったんでしょ!」
「へいへい」
 そう言いながら九音は葉月が渡した紙を見る。

 古部豊――右利き
 瀬川美穂――左利き
 渡辺翔――左利き
 七瀬雪絵――右利き
 基樹圭介――右利き
 江藤雄作――左利き
木下沙良――右利き
 
「それがどうかしたの?」
 メモをじっと見つめる九音に葉月がそっと話しかける。
「いや。それより葉月この現場写真に写っているの煙草だよな。これって、吸殻だったか?」
「うん。そうだけど」
 葉月は訝しげな表情を浮かべ九音に詰問する。
「葉月。犯人がわかったよ」
 さも、何気ないように九音は言う。
「本当!」
 葉月のその反応を見てニヤリと笑うと九音は厳かに言い放った。
「ああ、論理の輪は閉じた」


読者への挑戦


  さて、この瑣末な推理小説もここにいたってようやくすべての情報が出揃った。次章で、九本九音が読者に与えられたデータと同じものに則って犯人を指摘する。読者の中にはすでに真相を看破している方もいれば、誰かわからずこんな幕間を入れずとっとと次章に移れと思っている方もいらっしゃるかもしれない。
 しかし、慌てないで欲しい。ここまで丹念に読んできたあなたなら犯人をあてることはいとも簡単なはずなのだから。

 では、ここで先人の例に倣ってかの有名なあの言葉をあなたに送らせていただく。

「私は読者に挑戦する、犯人は誰か?」
 
 論理に幸運の女神の微笑みはいらない。願わくば、読者諸君に論理の女神からのひらめきがありますように――。 

⇒To Be Continued...

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