アリバイのパラドックス
作者: 異議あ麟太郎   2009年08月16日(日) 15時34分58秒公開   ID:MUDP.QjGps6
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「ようこそ。どうぞお掛けください」
 九音は葉月が連れて来た人物に椅子を勧める。これから自らが犯した罪を暴かれる人物に……。
「突然こちらの刑事さん呼び出されてこんな病院に連れてこられて、何かと思えば推理作家の名探偵さんの名推理が聞けるそうですね」
 その人物はゆっくりとパイプ椅子に腰を掛ける。彼女の傍らには葉月が立ったままでいる。
「ええ、聞かせますよ。では、始めましょうかね。さて、画家の木下孝史さんが殺された事件ですが、この事件をそちらにいる西本刑事から聞かされて、真相に至った時僕はある種の感動を覚えました」
「ある種の感動?」
 その人物は訝しげに眉を顰める。
「ええ、それはこの事件は推理小説におけるアリバイのパラドックスを打ち破っているということです」
「それはどういうことですか? 推理小説は読まないのでアリバイのパラドックスなどと言われてもわからないんですが」
 九音はその言葉を聞くと咳払いをして
「アリバイとは推理小説ではかなり重要な言葉です。それは自分が犯行を犯せなかったというある種の証明だからです。しかし、推理小説では犯人は時たまトリックを労して完璧なアリバイを作ります。これによって自分の無実を作ろうとしたのに、アリバイが完璧すぎてかえって自分を疑わせてしまうんです。
すなわち、アリバイを作って自分の無実を証明すると同時に自分に疑いの目を向けさせてしまう――これを僕はアリバイのパラドックスと呼んでいます」
「へえ、なるほど。自分をシロくしすぎて目立ってしまうということですね」
 その人物はそれがなんだと言わんばかりの表情を浮かべる。
「さて、このことを念頭に置いてもらって、事件の説明を始めます」
 いよいよかと室内の空気が引き締まる。
「司法解剖の結果被害者の死亡推定時刻は午前零時から午前四時ということでしたが。昨日の午前二時に雨が降ったことにより犯人の足跡が残り、死亡推定時刻は午前二時から四時までに狭められました。いや、二時はあくまでも雨が降り出した時刻なのでぬかるみで足跡ができるようになるまではもう少し時間がかかったでしょう。ともかくこれで、一見死亡推定時刻は狭められたように思えます。しかし、ここで一つも問題が上がってきます」
「問題? なにそれ」
「現場までの足跡を調べるとその足跡はもともと被害者の家にあった長靴によってつけられたそうです。おそらく、犯人は足跡から自分が犯人だとばれるのを恐れてその長靴をつかったのでしょう」
「それがどうかしたの」
 その人物は何とか平静をたもうとしているが、焦りが出てきているようであった。
「いえね、被害者は現場にあった灰皿で殺害されているんですよ。つまり、この事件は被害者と犯人がアトリエにいて何かしらの理由で激昂して殺害にいたった突発的事件なんです。
しかし、犯人はぬかるみに残る足跡を気にして長靴を履いて現場に向かっている。それは自分が現場に行ったと悟られないための計画的なものです。おや、困りましたね。ここで矛盾が発生してしまいました。凶器の観点からは突発的なもの、足跡からは計画的なものだとわかる。はて、どうしてこんな食い違いが起ったんでしょう?」
 九音はわざととぼけたような言い方をしてその人物の様子を窺う。しかし、その人物は冷静に勤めてその内心を窺わせない。
「そこで僕はこう考えました。ひょっとしてあの足跡は犯人が被害者を殺した後一度母屋に戻り、再び長靴を履いて付けたものではないかと……。では、犯人はなぜそんなことをしたのか? 答えは一つです。犯行は雨が降った後行われたと偽装したかったんですよ。つまり、犯行は雨が降る前に行われた。当然です。雨が降った後行われたなら足跡が犯人の靴のものと、長靴のもの二つできているはずなんです。では、新たな疑問がでてきますね。そうなぜ、犯人は雨が降った後犯行が行われたように見せたかったのか? 答えは一つです。犯人には雨が降る前のアリバイがない人物……すなわち午前零時にポーカーのゲームをやめた三人。七瀬さん、渡辺さん、江藤さんの三人の中にいるわけです」
 容疑者が三人に絞られた。その人物の額に薄っすらと汗がにじみ出る。
「ここで先ほどのアリバイのパラドックスを思い出して欲しいのですが、今回の事件で犯人が使ったトリックは自分のアリバイを作るのではなく、すでにアリバイがある人物のアリバイをなくしてしまう通常のアリバイトリックとは異なるものなのです。自分のアリバイはできていませんが、その変わりに変に疑われることがない。自分をシロにするのではなく、全員をグレーにすることでアリバイのパラドックスを乗り越えたのです」
 九音は力を込めて力説すると、さらに推理を続ける。
「さて、さきほどの三人から犯人を一人に絞りましょう。次に着目すべき点は、被害者は後頭部を数回にわたって殴られて死んでいましたが、後頭部の他に右前頭部殴られた後があったことです。このことから犯人の利き手がわかります」
「そうか、犯人が右前頭部を殴ったのなら、犯人の利き手は左!」
 葉月が指をパッチンと鳴らす。
「おしい。正面から殴ったなら左利きだが。でも、これを見てくれ」
 九音はそう言いながら、昨日葉月が容疑者の利き手を調べている時に見た検死報告を見せる。
「ここに書かれている。『被害者の体には頭部以外には傷は見られず。抵抗する暇もなく頭を殴られたものと思われる。』正面から殴りかかれたら普通手かなんかで防ぐだろ? でも、検死報告には頭部以外に傷はないという。つまり、被害者は右利きの犯人が後ろから右後頭部を殴りかかろうとした時に右から後ろに振り返ったんだ。そして、そのとき右前頭部を殴られた」
「ちょっと待ってください。左後頭部を殴りかかろうとしても振り返れば右前頭部を殴られるじゃないんですか」
 今度はその人物が九音の推理に難点を投げかける。
「いえ、違います。もし犯人が左利きで左後頭部に殴りかかろうとした時に振り返って殴られたら前頭部ではなく、側頭部になります。」
 九音はそう言うと一息ついて
「つまり、犯人は右利きということになる。さて、さきほどの三人の容疑者の中で左利きの人物はただ一人。あなたです。七瀬雪絵さん」
 九音は静かに言い放った。
 しばらく、七瀬は爪を齧りながら黙っていたがやがて
「ちょっと待って、あなたのさきほどのお話をよく考えてみると根拠が薄弱です。第一凶器の灰皿についてですけど、あなたはそれがアトリエにあったものだから、事件は突発的なものだと推理なされたみたいですけど、凶器を用意して後で見つかる可能性があることを恐れた犯人が最初からアトリエにある灰皿を使って殺害しようとしたかもしれないじゃないですか」
 七瀬は先ほどの追い詰められた様子とは打って変わって平静に戻っていた。
「あれ、でも確か木下さんのアトリエには奥さん以外の誰も入ったことがないんですよね。どうやって犯人はアトリエに灰皿があることを知ったんでしょう?」
 九音は昨日美術雑誌から得た情報を言う。
「あら、忘れたの? それとも聞いてないのかしら。あのね、先生がポーカーをやめて、アトリエに戻る時、奥さんがアトリエの灰皿が吸殻でいっぱいだったっていうような話をしたの。みんながいる前でね」
「それ! それなんですよ」
 九音は突如として声を上げる。七瀬は吃驚して
「なにが、それなの?」
「いや、本当に犯人はその時その灰皿を使おうと思ったのかなって。だって、灰皿ですよ」
 七瀬は九音の先ほどからの訳のわからない言動に業を煮やし苛立ちを隠せない様子で
「灰皿の何がおかしいの? あの、ガラス製の灰皿なら殺せると思っても間違いないでしょ!」
「なんで、灰皿がガラス製だって知っているんですか?」
 九音の口から低い声が発せられる。
「え?」 
「確かにあの時木下さん、そして木下さんの奥さんの口から灰皿の話がでました。しかし、『ガラスの』灰皿だなんて一言も言っていないはずなんですよ。灰皿だって何もガラスのものだけじゃないでしょ。アルミ製の灰皿だってある」
「きょ、凶器が灰皿だって聞けば普通はガラスの重い人を殺すになるものだと思うでしょ!」
「そうでしょう。しかし、事件が起きる前から灰皿が凶器になりえるものかどうかは判定できないんです。そんなリスクを犯すなら、何か自分凶器を持っていくでしょう。よってこの事件は突発的なものなんです。Quod(クオド) erat(エラト) demonstrandum(デモンストランダム)(証明終わり)」
 九音の推理が終わると今まで黙っていた葉月が口を開いた。
「七瀬さん。今、私にはあなたを逮捕するにたる物的証拠はありません。しかし、警察の捜査力を見くびらないで下さい。あなたが犯人だとわかれば、徹底してあなたの周りを調べます。あなたが犯人であるという証拠はもちろん動機も見つけだします。だから、一度だけいいます。自首する気はありませんか?」
 七瀬は黙りこくって、しばらくのあいだ思案したがやがて、口を開いた。
「わかったわ。自首する」
 そう言った彼女の目には何もなかったが、九音には涙が溜まっているように見えた。

エピローグ

「昨日、七瀬雪絵が全面自供した」
 九音の推理から数日後、葉月は再び九音の病室を訪れていた。
「ふーん。動機はなんだったんだ」
 九音はベッドテーブルの上に置いたパソコンのディスプレイと、睨めっこしながら訊く。パソコンのディスプレイには早く物語りを構築してくれと言わんばかりに真っ白な画面が待ち構えていた。
「瀬川さんに木下さんにモチーフをぱくられたっていう噂が立ってたでしょ。あれが実を言うと七瀬さんのことだったみたい。それで、あの夜作品のモチーフを真似たことについて、世間に公表するというつもりで、アトリエに行ったんだけど木下さんと口論になっちゃってガツンとやっちゃたみたい」
「ふーん、芸術家の世界も大変だね」
 九音はすでに終わった事件はどうでもいいという具合に欠伸をする。
「体のほうはどうなの?」
「だいぶ、よくなってきた。……珍しいなお前が俺を心配するようなこと言うなんて。何か魂胆があるのか」
 九音はまた何か事件の相談をされるのかと思ったのか渋い顔をする。
「べ、別に魂胆なんかないわよ、バカ!」
 葉月は憤慨して椅子から立ち上がる。
「ど、どうしたんだよ」
 あまりの葉月の怒りに九音は気圧される。
「何でもない! このバカ! もうあたし帰る!」
 葉月はそう言うと肩を怒らせながら病室を出て行く。
 それと入れ替わるように女性看護師が入ってくる。
「あの、先ほどものすごく怒って出て行った人は……」
 看護師が呆気に取られたように訊くと九音は
「気にしないで下さい。僕が少しからかいすぎたみたいです」
 九音はそう言うと顔に苦い笑いを浮かべた。


                      ――終幕――
■作者からのメッセージ
どうも、始めましての方が多いかもしれないので、自己紹介から異議あ麟太郎です。この小説道場ではかなりの古株です。
そして、久しぶりの方はお久しぶりです。異議あ麟太郎です。

えー、オリジナルの切れ味のよい犯人あて小説を、と思い書きました。本来今作のメイントリックは逆転裁判の二次創作用に考えていたのですが、考えた末オリジナルの方がいいかもと決断してこんな形になりました。
形式としては作中にもあるようにアームチェアディテクティブですね。謎ときに関しては敬愛してやまぬエラリークイーンを目指したつもりです、が書き終えてみればこんなしょぼいものになってしまいました。
作者的には犯人を当てられるのは六割くらいの人かなと思っています。

というわけで、最近「ひぐらしのなく頃に」にはまっている異議あ麟太郎でした。
また、お会いできることを祈りつつ

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