願いごとはただ一つ
作者: トウコ   URL: http://retouko.web.fc2.com/   2009年03月15日(日) 23時07分33秒公開   ID:0iv14BfJ/zk
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「あった! 見て、友喜」
 真ん丸に目を開いて、桜は嬉しそうに穴から掘り出したものを俺に見せる。
 それはお菓子の空き缶やった。
 いや空いてない。中からこつりと音が聞こえる。その音にハッと我に返った俺は桜の隣に座り込んだ。同時に桜が缶を開ける。
 ――――あぁ、そうや。
「ほら、七つ」
 そこに入っとったんは七つのカプセルトイやった。
「埋めたなぁ、こんなん」
 俺はカプセルトイを一つ手にとって目を細めた。
 カプセルトイの中には、当時の俺が大切にしとった車型の消しゴムが入っとる。
 そうや、思い出した。これは俺と桜がちっさい頃に埋めた、タイムカプセルや。
 カプセルトイの中にそれぞれ大切な宝物と手紙を入れて、確かに埋めた。十年以上前のこと。
「よぉ、覚え取ったな」
「忘れないよ。だって私、変わってないもの」
 桜がカプセルトイの一つを開ける。そこに入っとった手紙を桜は俺に広げて見せた。桜は満足そうに微笑む。
『ゆきとけっこんできますように』
 結婚て、おい。
「なんやお前、俺と結婚したいんかい」
「そうじゃなくて」
 ちゃうんかい。
 一瞬ときめいた自分に空しさを覚えながら、「じゃあなんや」と問えば、桜は手紙を見つめ、懐かしげに目を細めて言うた。
「友喜とずっと一緒に居たいなって、そういうこと」
 桜の静かな言葉に、俺の思考はぴたりと止まってしまった。
「あの頃はね、結婚すればずっと一緒に居られるって、そう思ってたの」
 死が二人を分つまで――親戚の結婚式で聞いたその言葉の、意味だって全然わかんなかったけど。桜は言う。それでもその言葉に憧れた、と。
 俺の顔が熱くなっていくのがわかった。ときめいた。不覚にも。恥ずかしそうに目を伏せる桜に。
 暗くて助かった。きっと俺の顔は真っ赤やろうから。一気に鼓動が激しくなった俺の心臓を押さえ、俺は拳を握りしめた。
 せやったら一緒におったらええ。それこそ死が二人を分つまで、一緒におったらええやんけ。
 言うなら今しかあらへん、俺はそう思うた。今までタイミング逃して言えへんかったこと。今言わんかったら、きっとずっと言えんくなる。
「桜」
 好きや、と言おうと思った。俺の頭にそれしかあらへんかった。
 ――せやから、全く気付かれへんかったんや。桜の目に涙がいっぱいたまっとったことに。気付いとったところで、まぁ、なんも変われへんかったけど。
「でももう一緒に居られない」
 突然、早口に言い切られた桜の言葉。ぴたり、俺の思考はまたもや止まった。
 呆然とした、というべきか。あかん、頭の中が真っ白や。今、こいつは何と言った。
 ――『でももう一緒に居られない』?
 落ち着け。自分に言い聞かせて、俺は深く息を吸う。それから深く息を吐き出して、俺は桜に問うた。
「なんでや。そらお前の学力じゃ難しいで? でもな、今から必死に勉強すりゃ間に合うて。せやから」
「違うんだよ、友喜」
「なんやねん、さっきからちゃうちゃう言いよって。何がちゃうねん」
「あたし大学行かないの!」
 落ち着ききれず苛立った俺の言葉を、桜が遮った。桜のこないな鋭い声を聞いたんは初めてやって、さすがに俺も口を噤む。桜はひざに両腕をのせて、そこに自分の顔を埋めた。自分の両腕を掴む桜の手は震えている。
「あたし、引っ越すんだ」
 顔をうずめたままのくぐもった声で桜は言うた。
 桜が言うたことをまとめるとこうなる。
 桜んとこのおっさんがこの度ど田舎に転勤になった――要するに左遷や――ちゅうことで、家族全員その転勤についてくことになったんやと。家族バラバラはあかん、が桜んとこの信条やからそれもしゃーないことなんやと。それ以上におっさんの下がった給料じゃ、桜の学費と一人暮らし資金は出せへん。
せやから桜は残ることもできず、大学へ行くこともできず。
「あたしは田舎で就職するんだ」
 桜は不意に顔を上げ、ひときわ明るい声と笑顔で言うた。でも桜の手は震えとった。
「あたしは不幸じゃないよ、友喜」
 不意に、桜と目があった。俺は桜にそないな目を向けとったんやろか。思わず俺は視線を落とした。情けない、そう思いながら。
「ごめんなさいってお父さんが言うの。今までなんの不自由もなく育ててくれたのに。でも言うの、ごめんなって」
 あたしは不幸なんかじゃない。桜はそう繰り返した。その後に小さな声で、けど、と付け足して。
「やっぱり一緒に居たいよ、友喜」
 桜の涙声。俺は強く拳を握りしめた。桜の泣き声が胸に痛い。俺はそう言うた桜の手元を見つめとった。
 桜は俺と一緒に居たいと言うた。桜が何の力もないカプセルトイにまで縋った、たった一つの願いごと。このままやと叶われへん願いごと。
 けれど、今の俺に何ができる。
『あの頃はね、結婚すればずっと一緒に居られるって、そう思ってたの』
「ほな結婚しよか」
 俺の言葉に桜は弾かれたように顔を上げた。桜が俺を見る。手の震えはぴたりと止まった。
 それからしばらく桜は俺を見つめとったが、やがて息を吹き出し、口元を緩ませた。
「なにそれ」
 そう言うて、桜は笑った。俺も笑った。なんて白々しい笑いやと思うた。
 わかっとった。多分、桜も俺も。簡単に結婚しようと言えるほど、俺たちは子供でも大人でもない。
 ボールのありかも忘れとったこの俺に、なんの約束ができんねん。これほど信用のないプロポーズ、世界中どこ探したってあらへん。
 俺はかぶりを振って、桜の腕を引き寄せた。桜は俺の肩口にすっぽりとおさまる。そして首元に桜の息がかかるのを感じた。
「友喜、自分の無力さを嘆かないでね」
 桜の涙声が俺の耳元に響いた。

 神さんに頼んだ所で、どうにかすんのは人間やと言うた。己が道を開くんやとも。そして、それを誰よりよく知っとったんは、きっと俺やなくて桜やった。
 今の大学を進めてくれたんは桜やった。バスケットなんて将来性がないもん、やってられへんと言うた俺に、そんなことないと言い切ったのは桜やった。
『だって、友喜はバスケやりたいんでしょう? やるだけやったらいいよ。なんとでもなるでしょ。ダメだったら、あたしが養ってあげるからね』
 そう言うて笑った桜の言葉。思えば桜は、きっぱりと言い切ることが多かった。せやから桜の言葉には力があった。お節介やと疎まれることを恐れへん桜。俺にはあらへんもの。
 俺は桜に憧れた。
 『ゆき』なんて女みたいな名前でからかった奴らを、『友と喜ぶ』という名がどうして変なのだと怒鳴ったのは桜やった。素敵な名前だと桜が笑うた、あれは小学生のこと。
 いつだって桜は俺の救いやった。
 でも――
『友喜、自分の無力さを嘆かないでね』
 どうして嘆かずにいられよう。俺は無力や。

 うちに帰ったら、飲みかけのアイスティーはすっかりぬるくなり、机に水たまりを作っとった。部屋の電気もつけへんと、俺はもはやアイスとは言えへんそれを一口飲んで、「まずい」と一言呟く。ひどくやるせない気分やった。
 桜を家まで送る間、桜は一言もしゃべらへんかった。俺も何も言わへんかった。言えへんかった。これ以上何を言うてええんかわからへんかったし、何よりしゃべれば俺まで泣いてしまいそうな気がした。えっらい情けない話やけど。
 ――――情けない。
 俺は反射的に、手にしとった缶をソファに投げつけた。タイムカプセルの缶。それはソファーの背にあたり、床にぶつかり、音をたてて転がった。
 衝撃でふたが開いて、中身のカプセルトイが転がっていく。俺はそれを見ながら力なく床に座り込んだ。フローリングの床はひどく冷たかった。
 そういえば桜の手も冷たかった。俺は桜の手の感触を思い出すように、自分の手を開いては握りを繰り返す。スコップを握り続けた桜の手は、乾燥して荒れていた。代わりに持った桜の荷物はずっしりと重かった。
 そうまでして桜が守ろうとしたものを、俺はどう守ってええのかわからへん。
 俺は自分の手のひらをフローリングに叩きつけた。静かな部屋に響く衝撃音。床のカプセルトイがころころと転がった。
 ベランダに繋がるガラス戸から差す僅かな光で、カプセルトイは時折きらりと輝く。光に吸い寄せられるように、俺は床に転がったカプセルトイを一つ手に取った。
 開けてみる。どれも当時大切にしていた宝物達が詰まっていた。そして――最後の一つに、入っとったのは手紙やった。
 なんの手紙やろ、覚えてへん。俺は首を傾げながら手紙をそっと広げる。そして手紙の中身を見た瞬間、俺は目を見開いた。
『どこにいても、どんなてきからも、桜を守れるスーパーマンになりたい』
 それは、あの頃の俺の夢やった。
 桜が俺と結婚したいと書いたように、俺も手紙にあの頃の夢を書いとったらしい。
 そうや、あの頃の俺はスーパーマンになりたかった。スーパーマンになったら桜がどこで泣いとっても見つけられるし、どんな敵から守ってやれると思うたからや。
 あの頃、俺はまだ大阪に住んどったから、あんまり桜に会われへんくて。スーパーマンやったらどんなに離れたって、すぐに桜んとこに行けるやんって、そう思うたんや俺は。
 俺は手紙を握りしめた。
 俺は何かを勘違いしてへんか。俺が中学からこっちに引っ越してきて、毎日桜と居るようになって、何かを忘れとるんちゃうやろか。
 桜は一緒に居れへんと言うて泣いた。確かにあいつは引っ越しよって、ずっと近くには居れへんくなる。
 せやけどあいつが望んだ『一緒に居る』って、ほんまにそないなことなんか。
 ほんまに俺がせなあかんことはなんや。一緒にカプセルトイ見つけることか。阿呆みたいなプロポーズすることか。
 ちゃうやろ。桜のために、何より自分のために、俺はもっと言わなあかんことが他にある――そう思うた瞬間、俺は駆け出した。
 今すぐ、それこそ瞬間移動したいくらい、桜に会って言いたい。今言わへんかったらいつ言うねん。そう思って、部屋のドアを開け、廊下を抜け、つっかけ履いて、玄関のドアを俺は勢いよく開けた。
「わっ!」
 不意に俺の間近で叫び声が聞こえる。視界の端に人影が見えて、反射的に俺は自分に急ブレーキをかけた。
 勢いで俺の体が前のめりになる。ドアノブを掴んで、俺はなんとか体勢を立て直した。振り返ればドアの傍に女の子が居る。
 それは桜やった。
 いきなり飛び出してきた俺を桜は、口をぽかんと開けた間抜け面で見とった。俺も呆然と桜を見返した。
「え、えっと」
 しどろもどろになりながら、桜は自分の額を袖口で拭った。よく見れば、桜は僅かに肩で息をしていた。桜のこめかみを汗が伝う。走ってきたんや、そう思うた。
「家に帰って、考えたんだけど、やっぱりその、友喜に言わなきゃいけないことあって」
 桜は俯きながらそう言うた。
 俺が送ってた意味ないやんけ、とか。瞬間移動ができひんくてよかった、とか。桜も俺とおんなじこと考え取ったんや、とか。色んなことが俺の頭を過っけど、一番に俺の目に焼きついたんは、今にも泣き出しそうな桜の顔やった。
 何でお前泣きそうやねん。
 気がつけば俺は、桜の腕を思いきり引き寄せとった。短く悲鳴をあげて桜が俺の方に倒れこむ。
 俺の手から離れて自然にゆっくりと閉まるドア。俺の腕の中にすっぽりとおさまる桜。桜の体温が俺の腕を伝わって、じんわりとしみこんでいく。この暖かさをもう離さへん、そう思うた。
「桜が好きや」
 ずっと近くにいれへんくても。毎日一緒に居れんくても。同じ大学に行かれへんかって。
「一緒に居んのは、お前がええ」
 俺の言葉に桜は一瞬身じろぎした。それからしばらく桜はだまっとったが、やがてこわごわと俺の背中に腕をまわした。俺の背中で、桜が俺の服を握りしめるのがわかる。背中からもじんわりと伝わってくる体温。
「うん」
 桜が俺の肩口でうなずく。
「一緒にいるのは友喜がいい」
 当然やろ。そう言うたら、桜は笑った。俺も笑った。今度はあんな白々しい笑いなんかじゃない。




 こうしてあの日から、めでたく俺と桜のお付き合いは始まった。
 桜の引っ越し先やけども、俺がそこへ初めて行ったんは、桜の就職活動の付き添いをかってでた時のことやった。
 そこで一言言わせてもらうと、あれは田舎やとは言わへん。ど田舎言うねん。
 移動手段がバスしかあらへんのに、バスは二時間に一本。道を走る車の九割は軽トラ含む軽自動車で、そもそも道路がアスファルトちゃうし、コンビニが車で一時間、閉店時間が午後七時。どこがコンビニエンスやねん。
 なんもあらへんと俺は言うた。けれど桜は目を輝かせてこう言いよった。
「大自然があるじゃない」
 まぁ、そないなとこやねん。
 都会生まれ、都会育ちの俺がそんなど田舎で生活できるかと問われたら、できへんと即答する。そんな俺の性格を知っている友人達は、みな口を揃えて言うとった。

⇒To Be Continued...

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