蒼色の星夜
作者: 暁   2008年12月14日(日) 01時26分24秒公開   ID:n2AyXP0hFJM
【PAGE 1/2】 [1] [2]


 蒼い夜空を見上げて、和輝は天へと手を伸ばした。
 柔らかい草が生い茂る地面に寝転んだまま、天で瞬く星を掌の中に捕まえる。そのまま掌を返して、自分の顔のほうに向けてみるが、当然ながら掴んだ星はすり抜けてしまっていた。宇宙の大きさに比べれば、ちっぽけな自分の手の平。それを見上げて、和輝は僅かに瞳を細める。
 
 だが、微かに靴音がして和輝はそちらに顔を傾けた。同時に、声がかかる。
「――またここにいたのか。和輝」
「浩史か」
 和輝は年の近しい友人の名を呼んだ。
 彼は和輝の頭の傍に立って、こちらを見下ろしてくる。和輝と比べれば背の低い浩史だが、流石にそんなアングルで立たれると、かなりの威圧感があった。彼は、風に靡く黒髪を押さえるように頭に手をやる。それから、呆れた表情で首を横に振った。
「よくもまぁ、飽きずに一人で空なんかを見上げてられるもんだ。何も無いこの野原に足を向ける物好きは、お前くらいのもんだぜ? ここがそんなに気に入ってるのか?」
 浩史の声と共に、さらり、と耳元で若草が揺れた。
 背から伝わってくる暖かい地面。確かに周りには何も置いていないが、この一面に広がる背の低い草花が、和輝にとっては何よりも貴重で得がたいものだった。――いや、ここにいる全ての人間にとって、それは真実であるはずだ。
「まぁな。だが、お前もたまに足を向けてくるだろ? 物好きにも俺を探しに」
「……誰が物好きだよ」
 彼は声を低めてそう言ったが、他には何も言わずに和輝の横に腰を下ろした。
 和輝は何も考えずに、何の用だ、と口を開きかけ……その無為さに気付いて口を閉ざした。彼が黙っている以上、彼が和輝の傍に来たことに理由など無いのだ。ただ、誰かと一緒にいたかったと言うだけだろう。有り余るほどの時間を、誰かと潰したかったのだ。
 浩史は座ったまましばらく和輝を見下ろしていたが、やがて和輝の姿勢を真似て地面に寝転がった。そして、しばし和輝の横で夜空を見上げてから、わざとらしく首を傾げる。
「何か、面白いものでも見えるのかと思ったが」
「たまに、オリオンとサソリの対決が見られるぜ」
「……真冬の星座と真夏の星座が、どうやったら喧嘩できるんだよ」
 彼はそう言ってから、機嫌が良さそうに笑った。和輝はその横顔を盗み見ていたが、彼がこちらを向く気配がして、視線を空へと戻す。
 蒼みを帯びた空が、少し近づいて見えた。

**

 その日も一人で野原に横になり、和輝は夜空を見上げていた。
 普段と変わらない風景。――だが、唐突に目の前が真っ暗になる。
 蒼い夜空も消え、空に瞬いていた星たちも消え、この大きな野原の入り口近くに煌々と照らされていた明かりも消えて、突如として真の闇が訪れる。今まで鳴っていた風の音や虫の音、草のすれる音も、何もかもが聞こえない。闇に閉ざされた、無音の世界。
 全てが失われた世界の中で、和輝は反射的に身を起こした。周囲を見回す。しかし当然ながら、闇の中では何も確認することは出来なかった。目を閉じているのか開けているのかも解らない。まるで自分と世界とが一体になってしまったかのような錯覚に陥る。
 それに対抗して、和輝は自らに対して冷静に声をかけた。
(……何が起きたのかは解らないが、すぐに予備電力が働く。大丈夫だ)
 和輝の胸中での台詞に呼応して、と言うわけではないだろうが、ほとんど同時に何箇所かの明かりが復活する。自分の手元が見える程度には空間が照らされた。だが、その灯りは薄く、緊急時に避難を誘導する程度の役割しか果たしてはいない。
 和輝はその灯りを睨みながら、立ち上がった。
 こんなことは初めてだった。何かしらの問題が生じて電力供給炉が止まった場合でも、普通ならば予備の発電が活動して電力を供給する。一時的に、全ての機能が回復できる程度の電力は維持できるのだ。だが、夜空や星空の“映像”や“人工”風が復活していないと言うことは、今はその予備電力も働いていないと言うことになる。つけられた明かりは、予備の予備だ。蓄えていた少しの電力を、最低限の機器にだけ当てている状態なのだろう。
(どう言うことだ?)
 和輝は思わず自らに問いかける。が、答えが出るはずも無い。とにかく、事態を確かめることが先決だった。和輝は一瞬でそう決断すると、出口に向かった。

 ぽつりぽつりと天井に灯る電灯を追うように廊下を走りながら、和輝は腰に挿していた短い棒の様な物を手に取った。手元に付いているスイッチを押してから、軽く振るとそれは長い棍棒のようになる。これが、この狭い世界に存在する、唯一の武器だった。その棒をぎゅっと握って、和輝はひたすら下を目指した。
 途中で和輝と同じように、原因を突き止めようと慌てて階段を下りていく人達に出会い、彼らと合流しながら四階層分を駆け下りる。目的の部屋の前には、既に五・六人の人間が集まっていた。
「何があった?」
 和輝がそう声をかけると、ドアの目の前でたむろしていた人々が一斉にこちらを振り向く。そこにいた皆が、和輝よりも年長の人間だったが、彼らは真剣な表情で首を振った。ここには身分や立場の上下はもとより、年齢による上下関係も無い。
「和輝か。……解らない。だが、中に人が閉じこもっていると言うことだけは確かだ」
「開かないのか?」
「電子ロックは、電力が落ちるのと同時に外れているはずだが」
 声をかけてきた男はそう言うと首を振って扉を示した。だが、堅く閉じられた扉は、二人がかりで力をかけても全く動いていない。内側から原始的に物か棒でも挟んで、開かないようにしているのかもしれない。
「叩き壊そう」
 和輝がそう言うと、傍にいた人間がぎょっとしたようにこちらを振り仰いできた。同じく、扉と格闘していた大人たちも、驚いたようにこちらを見てくる。だが、和輝の冷静な視線を受けて、幾人かは同意するように頷いた。彼らのうちの一人が言う。「そうだな。扉など、あとから幾らでも修復できる。それよりも、中の様子を確かめるほうが先決だ。中で何が起こっているのかは知らないが、このままエネルギーが止まったままで放置していれば、いずれ船内の酸素が枯渇する。――いや、それよりも隕石に衝突するほうが先か。何にせよ、時間はあまり無いんだ」
「そう言うことだ」
 和輝はそう言って頷くと、人波を分けて近くの倉庫のような部屋に飛び込んだ。そこから、適当な大きさの工具を見繕って持ってくる。どうせなら、一発で扉を吹き飛ばせるような爆薬でもあれば良かったのだが、船内には火器の類は一切、置けないことになっている。万が一、誤爆でもして船体に傷を付けたら困るからだ。同じような理由で、銃器もレーザーナイフのような武器も一切、ここには――船の外側には、船外活動をするための火器や重機類が設置されているが――置いていない。
 周りで突っ立っている人々に余った工具を手渡して、和輝は扉を壊しにかかった。

**

「……浩史」
 大きな部屋。大きなモニターの前に立っている男を見て、誰かがそう呟いた。
 人々が部屋に流れ込んでも、彼は暗い宇宙が大きく映し出されたモニターを見上げていたが、名前を呼ばれて初めて視線を落とした。ゆっくりと顔をこちらに向け、そして、目を細めて笑った。
「やぁ。どうしたんだ? 皆、揃って」
 確りとした口調。そう言って首を傾げる様子も、普段の彼と何処も変わりが無いように思えた。頭が良くて、明るくて、周りの皆からも慕われている彼。だが、普段と変わらない様子であるということが、この状況では逆に異様に感じられた。
「浩史。これは、一体、どういうことだ?」
「どう? 何がだ?」
 浩史はそう言って首を傾げて見せた。皆が戸惑っている表情をしている中、彼一人だけは、満面の笑みを崩さない。全エネルギーの供給ストップと言う異常であり緊急な事態。そんな時に、船内の中枢を管理するコントロール室に篭っていた男は、皆の反応を面白がるように視線をめぐらせている。
「ここで……何をしていた?」
「システムを落とす準備を。――だが停止プログラムは、流石に面倒くさい造りをしているな。エネルギー生成を止めるだけで三時間もかかったよ。この船の機能が完全に停止するのも、あと丸一日はかかるらしい」
 あまりに普通の調子で告げられた言葉に、一瞬、思考が停止する。それは周りの人間も、同じだったらしい。一瞬、皆の息遣いまでもが止まった気がした。だが、そんな静寂を破って、誰かが叫ぶ。
「な……にを馬鹿な! 皆を殺す気か!?」
 ここは、宇宙空間に浮かんだ船の中だ。機能が停止すれば、確実に酸素を含めた気体の循環生成も止まるし、水も生成出来なくなる。重力は居住スペースを回転させる遠心力によって得ているし、推進力は元より慣性に頼っているため運行自体に支障は無いが、船の自動衝突回避装置は利かなくなる。小惑星や飛来した隕石を避けることが出来なくなるのだ。衝突すれば――運が悪ければ一瞬で――宙の藻屑となるだろう。
「そうだな。そういうことになるかもしれない」
 顔や口調は正気だが、台詞の内容が正気ではない。そう思った人々が、彼を取り押さえるために足を踏み出そうとすると、浩史はナイフを取り出した。片面に鋭い刃の付いた、古い型の調理用ナイフだ。船外を映し出しているモニターの薄ら明かりで、銀色に照らされる刃物に、皆の足が止められる。
 だが、和輝は気にせずに一歩、歩を進めた。
「――和輝か」
 人の輪から、一人だけ飛び出した和輝に向けて、浩史がそう言う。彼は和輝の顔を見て、それから和輝が手に握った伸縮自在の棒に目をやってから、可笑しそうに笑った。
「あぁ、そう言えば今は和輝が警官を任されているんだったか」
「……まぁな。河西から継いだよ」
 前任の“警官”は、河西と言う男性だった。一年ほど前に、病死した彼から、この棒を受け取った。だが“警官”と言っても、別に、普段は何の役割も負ってはいない。何かがあった時に――例えば、今のような状況だろう――それを平定するというだけだ。
 彼は和輝の手にあるその棒を見て、僅かに瞳を細めた。
「ここで唯一、武器として存在しているものがそれだな。宇宙での生活に狂ってしまった者を、安全に取り押さえるために作られた警棒。単なる棒だが、せいぜいこんなナイフを振り回すことしか出来ない船内では、有効な道具だと思えるね。――だが残念ながら、俺は狂ってなどいない。いたって正気だよ」
 長く続く閉鎖空間での生活。もしくは、宇宙に暮らしているということでの影響か、精神に異常を来たす者があとをたたなかった。突如として暴れだしたり、自傷行為に走ろうとする者たちを止める役目も、和輝は負っていた。和輝は冷静に問いかける。
「正気な奴が、自らの生命維持装置を外すのか?」
「正気だからさ。世界の終焉を生きていくためには、狂ってしまうしかない。だが、どうしても自我や理性なんてものは残ってしまってね。苦しくて仕方が無いんだ」
 彼はそう言って、笑った。無邪気にも見える笑顔は、だが、何処か歪んでいる。
「一時は七千人以上を収容していたこの“ノア”も、今や総人口が五十三人。見た感じ、今ここにその人口の半分は集まっているみたいだね。社会や身分も出来やしない、戦争すら起こらない、小さな世界だ」
 浩史は周りを見回して、両手を広げた。だが、ナイフはまだ手に握られたままだ。「これ以上の人口の増加は望めないから、あとは一人・一人と徐々に減って行くしかない。老人から死んでいけば、最後の一人になるのは、俺や和輝のような若い人間だろうな。――和輝は、考えたことがあるか? この広い船内に、一人きり。この広い宇宙に、一人きりで生きると言うことを。……俺はずっと考えていたよ」
 ずっと浮かんでいた笑い顔は、いつの間にか泣きそうな顔へと変化していた。

 戦争によって滅びゆこうとしていた地球や火星などを捨てて、太陽系外に新天地を求めた“ノア”が旅立ったのは、僅かに七十年前だ。だが既に、地球や他惑星・衛星の地表を踏んだことのある人間など一人も生き残ってはいない。船内には、地球とほとんど変わらない擬似空間を作り上げているというのに、それでも宇宙空間では長生きすることは望めないらしい。
 人口の激減の理由はそう言った早世に加えて、少子化だ。
 理由は解らないが、宇宙空間では子供がほとんど誕生しない。それでも二世までは何とか社会を築ける程度には生まれたが、三世の誕生となるとほとんど奇跡に近かった。

⇒To Be Continued...

■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集