蒼色の星夜
作者: 暁   2008年12月14日(日) 01時26分24秒公開   ID:n2AyXP0hFJM
【PAGE 2/2】 [1] [2]


 未だ年若い和輝や浩史、そして他に三名の人間だけがその貴重な三代目にあたる。
「この船は、宇宙からエネルギーを取り込んで自動的に環境を循環させ続ける。中にいる人間が、全て息絶えた後でもな。そして、死体だけを積んで新天地を求めて宇宙を航行し続けるんだ。……馬鹿馬鹿しいとは思わないか? 何のための箱舟なんだ? 俺達は何のためにここに生み落とされて、何故ここで、一人で死んでいかなければならない……?」
「浩史……」
 誰かが、吐息の延長線上にあるような声で、彼の名を呼ぶ。そして彼に近づこうと、足を動かす。靴音が、無機質な床を叩いた。――その瞬間、浩史は持っていたナイフを自身の首に押し当てた。ぐっとナイフを持つ手に力を入れて、低い声で言った。
「近づくな」
「……心中が無理だと解れば、こんどは自殺を図るのか?」
 和輝がそう言うと、浩史は顔を歪めた。泣きそうな、笑いそうな表情で、視線を向けてくる。
「冷静だな、和輝。……お前はいつだってそうだ。広い船内で皆が身を寄せ合っている時でも、お前だけは一人で毅然と立っている。警棒を譲り受けたのも、他の誰でもなく、お前だった。――何故だ? 何故、お前は一人でそう泰然としていられる? どうしてお前は、そんなに強いんだ?」
 そんな訴えるような言葉に、和輝はゆっくりと首を横に振った。
「俺は、お前が羨ましかったよ」
「……何の冗談だよ」
 和輝の台詞に対して、泣きそうな声で浩史は言った。
 もう一度、首を振る。それは決して、冗談などではなかった。いつでも輪の中心で笑っている浩史のことは羨ましく思っていたし、こんな絶望に瀕した状況でも、周りを明るくさせることが出来る浩史の事を、ずっと強い人だと思っていた。
 人の輪を離れ、一人で空などを見上げているような和輝よりも、ずっと。
「人と交わり、希望を口に出来るお前が羨ましかったんだ」
 人が死んでゆくことを本気で嘆き悲しみ、仲間と将来や今を語らい、些細なことで笑ったり怒ったり出来る彼のことが羨ましかった。いつか居住可能な惑星や衛星を見つけられるかもしれないな、なんて夢物語を、笑いながら語れる彼のことを本気で尊敬していた。
 ――そう考えながら、ほとんど無意識に、足を踏み出す。浩史の黒い瞳に、涙が溜まるのが見える。
「来るな」
「一人で死ぬのは、怖いのか?」
 目の前にまで近づいても、彼は首元に当てたナイフを動かすことは出来ない。
 船の機能を停止させることによって、間接的に自殺することは出来ても、ナイフで自らの死を選ぶことは出来ないのだろう。それは、死に対する直接的な恐怖なのだろうか。どれだけ絶望していても、それでも目の前に迫った死は怖いのか。
 ――死と言うのは、そういうものかもしれない。

 “ノア”を発進させた人間達も、本気で新天地を目指していたわけでは無いだろう。
 自分達の科学力では到底、そんな場所にまでは辿り着けないことを知っていても、それでも目の前の死から逃れるために船へと取り込んだのだ。自らの命を生きながらえせるため、自らの子孫を未来へと繋ぐために。
「来るな」
 彼はもう一度そう言って、今度は震える手で、ナイフを和輝の顔へと向けた。いや、震えているのは彼の全身か。涙を浮かべながら、悲愴な表情でこちらを見上げていた。和輝は目の前に差し出された刃と、その刃の先に見える浩史の顔とを、目を眇めて見つめる。
 揺れる、黒い瞳。それを真っ直ぐに見返して言った。
「一人で死ぬのが怖いのなら、一緒にいってやるよ」
「……だから」
 彼は小さな声で言うと、突然に力が抜けたように、手にしたナイフを床に落とした。
 カン、と言う高い音が、足元で鳴る。
「お前は……どうして、そんなに強いんだ?」
 浩史はそう言って、泣きそうな顔を伏せた。和輝はまた、首を横に振った。そうじゃない、と和輝は口の中で呟く。
「俺はもう、ずっと前に絶望してしまっていたのかもしれないな……」
 項垂れたまま立っている男の頭を軽く抱き寄せて、和輝はそう言った。
 正気を失っているのは、和輝のほうなのかもしれない。自分が死ぬということに対しても恐怖の抱けない和輝は、一人でいることに孤独を感じない和輝は、誰よりも先に狂ってしまったのかもしれない。世界の終焉を生きていくために。
「だから、お前が羨ましいんだよ」
「……解らねぇよ」
 何を言っているのか全然解らない、と。彼はぽつり、とそう言った。

**

 蒼い夜空を見上げて、和輝は空へと手を伸ばす。
 広げた指の隙間から見える星空を、和輝は目を眇めて眺めた。地球の大きさからすれば、ちっぽけなこの船の中に、人工的に作られた景色。人工的な空。
 地球で見えていた夜空と言うものは、船の外の宇宙空間と同じで、真っ暗なものらしい。だが、この船内に投影されている夜空は蒼かった。昼間の青空を、暗くした色。それは、宇宙空間を彷彿とさせる夜空の黒を、先人達が嫌ったのだと聞いていた。宇宙という人知を超えた脅威は、船体の壁を挟んだだけの距離で、常に人間を圧迫しているから。
 ――それならば、夜など作らなければ良いのだ。和輝はそう思う。常に昼間の青空や太陽が映し出されていたところで、各部屋にはそれぞれ遮光がされているから、寝る時にも支障は無い。そもそも宇宙空間には、昼や夜などといった概念すら無い。

 がさり、と草を踏む音がして、和輝は視線を向ける。
「……浩史か」
 名を呼ぶと彼は、あぁ、とだけ言った。そして、他には何も言わずに和輝の横に腰を下ろす。いつもの彼とは違う、硬い表情。
 昨日の彼の無謀な行動に同調するものはいなかったが、彼の行動を叱責するものも誰もいなかった。すぐさまシステムを復旧させて――明らかに自殺行為である停止操作とは違い、復旧にはそう時間がかからない――、それで終わりだ。
 皆、死んでしまうことは怖いのだ。だから自らの世界を護った。だが彼の抱えていた気持ちも、皆、痛いほど解っている。だから彼を罰することは出来ない。同病を憐れむように、彼らは浩史を暗黙のうちに許した。
「何で夜空を作る必要があるんだろうな?」
「……いきなり、何だよ」
 僅かに驚いたような顔をして、浩史はそう言った。ちらりとその反応を見てから、和輝は空へと視線を送る。
「宇宙を恐れて色を蒼くしてまで、どうして人には夜が必要なんだろうな?」
「ほとんど毎晩、飽きずにそれを見上げているお前がそれを聞くのか?」
 そう問い返されて、和輝はふっと口元に笑みを浮かべた。
 人工的なものとは解っていても、それでも夜空とそれに浮かぶ星たちを見上げているのは好きだった。同じ虚構でも、昼ほどに夜は白々しくない。太陽の映像が沈んだ後の夜が好きなのか、それとも蒼い空が好きなのか、瞬く星が好きなのか。自分でも、何に惹かれるのかは解らない。
「……俺は」
 和輝の思考に、浩史の声が割り込んだ。
「昼と夜が交互に来てくれないと時間が経つのを感じられない。景色も人も動かないこの空間で、時間まで止まってしまったら、とても耐えられないな。自分が生きているのか、それとも死んでいるのか、それすら解らなくなりそうだ」
 視線を空から浩史に落とすと、彼は何処か儚げに、少し笑って見せた。
 彼にとって、毎日かならずやってくる夜という時間は、自分と言う存在を確認するために必要なものなのかもしれない。自分がここに生きていると言うことを、確認するために流れる時間。
「そんなもんかな」
 和輝はそう言って、夜空に手を伸ばした。
 無意識に、星を掴む。単なる映像である夜空の星を。そうして、呟いた。
「俺は……そうだな。手を伸ばしたいのかもしれない」
 つくりものだと解っていても。それでも、空に向かって――煌く星に向かって、手を伸ばしたいのかもしれない。とうの昔に捨ててしまった、何かを掴むために。

 ――終焉を生きると言うことは、きっと。そうやってもがき続けると言うことだ。
■作者からのメッセージ
 こんばんは。お初にお目にかかります、暁です。
 素敵な作品ばかりで恐縮しつつ、こうした場で少しでも勉強できたら、と思い自作を投稿させていただきました。アドバイス等ありましたら、是非ともよろしくお願いいたします。

■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集