羽のある生活 5
作者: トーラ   2008年12月05日(金) 17時03分13秒公開   ID:Ar11ir4Sh.c
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 5―1

 夜乃の暴走から一夜明け、街の混乱は局地的な地震が理由にされていた。地震により送電線が切れ、未だに電気の通らない家庭もあるとニュースが伝えている。
 夜乃の学校からは休校の連絡が届いていた。それを伝えるべき人物、夜乃は疲労のためか眠り続けていた。
 何処のチャンネルを回しても最も強く伝えていることは、時計塔の先端部分が海まで移動したことである。
 何故こんなことが起こったのかと議論する特番が朝から放送されている。テレビのモニターには派手な文字で、天使の起こした奇跡か、などという文句が大きく書かれている。
 あれだけの惨事でも、一夜開ければ祭りになる。ヒトは本当に逞しい。当事者でありながら、熱く議論する番組を素直に楽しめそうだ。
 夜乃は昨日の事で身体に負担がかかり過ぎたのか起きられないようだ。夜乃抜きの遅めの朝を、コーヒーを啜りながら詩縫はぼんやりと過ごす。
 そんな、普段と変わらない時間に非日常を届けたのは一本の電話だった。



 仲尾家に客が訪れることは稀なことである。呼び鈴を鳴るのはせいぜい回覧板が回ってくる時くらいだ。
 彼女らは電話をよこしてから、十数分で家に訪れた。
 一人は、夜乃の通う高校の制服に身を包み、優等生を絵に書いたような自然な黒髪をポニーテールに纏め、薄いレンズの眼鏡をかけた少女。昨日、詩縫をセラフと呼んだ彼女だった。手には有名菓子メーカーのロゴがプリントされた紙袋を持っていた。
 もう一人は木の肌のような深い土色の髪をこけしのように切り揃え、黒のスーツにスカート姿の成人女性。こちらは手ぶらである。
 こちらの女性は、何処かで見た覚えがあるが、確かなことは思いだせない。
「リィ……! 貴方もここに住んでいたの」
「久しぶり、カイン。この街に住んでるのは知ってたけど、なかなか会う機会がなくてね。今は田中理香子(タナカリカコ)と名乗ってるの。貴女は?」
「守羽叶よ。本当に久しぶりね」
「叶の知り合いなの?」
 話についていけないのはつまらない。二人で盛り上がる会話に水を指すように詩縫が割りこむ。
「失礼しました。私はリキメナと申します。そちらのカイン、叶さんと同じく、咎人です。叶さんには数百年程前にお知り合いになりまして。今はこちらの、田中玄枝(タナカクロエ)の保護者として生活させてもらっています」
「なるほど。そういえば、叶以外にも同じ境遇の者がいるとは聞いていたけれど、貴女だったのね。どうりで見覚えがあると思った」
 リキメナという名を聞いて思い出した。第二次集団堕天、グリゴリの反乱の引鉄となったヒトの名だったと記憶している。俗な言い方をすれば、魔女だ。天使を誘惑した罪により不老不死の身体を与えられたということまでしか詩縫は把握していなかった。
「どうも初めまして。夜乃さんと同じクラスの田中玄枝です。昨日は私たちの身内がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。その、お詫びの印という訳ではないのですが、受け取ってもらえますか?」
 玄枝が事務的な口調で告げ、紙袋を差し出した。詩縫に彼女の好意を拒む理由はない。
「ありがたく頂くわ。さっそく頂こうかしら。叶、お茶をお出ししないと。これをお茶菓子に」
「そんな気を遣って頂かなくても……」
「私にお話があるんでしょう? ゆっくりしていってちょうだい。お客様なんだから遠慮しないで」
 二人が菓子折りを届けにきただけではないのは誰にでも分かる。別に引きとめる理由に茶を出す訳でなく、詩縫が菓子折りの味見をしてみたいだけなのだが、玄枝たちは詩縫の笑顔に押され、結局従うことになった。



 菓子折りの中身は羊羹だった。叶が適度な大きさに切り分け全員に配ったが、口をつけたのは詩縫だけだった。湯呑に注いだ茶に湯気はなく、冷めかけていた。
「信じていただきたいのは、夜乃さんの力を利用するつもりはまったくないということです。タウミエルが望むような下界の混乱は王の意思に反します。夜乃さんをお守りすることが下界の平穏に繋がるのならば、私たちは貴方がたとは敵ではありません。むしろ、目的を同じなのですから、お互い協力し合えるのではないでしょうか」
「私も貴女と敵対するつもりはないわ。こちらに危害を加えないのなら何でもいいもの。そういえばタウミエルはあの後どうなったのかしら?」
 理香子は玄枝の保護者らしいが、どうやら立場は玄枝の方が上らしい。堕天使と咎人とでは位が違い過ぎる。理香子は出来た娘に満足する母親のように、あっさりとした笑顔を浮かべているだけだった。
「一応、幽閉しています。恥ずかしながら彼を完全に拘束する力は私たちにはありません。彼が自由になるのも時間の問題なのですが、今のところは大人しく従ってくれています」
 あまり感情の乗らない声が、スピーカーを通して再生される。外見は夜乃と変わりないのに、玄枝には年相応という言葉がまったく似合わない。天使、堕天使として会話しているのだから仕方がないとはいえ、可愛げがなく感じる。
「それと、タウミエルの部下の、ヒトの名で優と名乗っていた者ですが、タウミエルが幽閉されている間は私たちに指示に従うことになりました。なので、引き続き高校に通うことになります。今回のようなことにならないよう、私たちも彼を監視しますがご不満はおありですか」
「大丈夫よ。貴方たちの判断に任せるわ。わざわざ報告に来てくれてありがとう」
「……いえ、これが私たちの今日の仕事ですから」
 大体の事を伝え終わったのか、玄枝は口を閉ざし、初めて湯呑に口をつけた。あれだけ話したのだから喉も渇くだろう。
 堅苦しい話は終わった。後は普通にお喋りができる。それだけでも気分がよくなった。茶菓子が美味しくなった気がする。自分の分が残り少なくなってきていた。
「夜乃ちゃんとは仲良いの?」
 長い息継ぎを経て、詩縫が会話を再開させる。どちらかといえばこちらの方が大事な話だ。
「あ、えと、……あまりお話とかはしたことないんです」
「でしょうねー。自分から話しかけるタイプの子じゃないから。これから仲良くしてあげてね。こんなこと、心配するような年でもないんだけど」
「それは、喜んで。良いきっかけができましたし」
 玄枝が笑った。初めて笑顔を見た。淡い色の花を咲かしたような、雑草の中に紛れるくらいに派手さのない笑顔だが、とても印象的に映った。
「私も、夜乃さんとはお知り合いになりたいと思ってたんですが、……その、ちょっと話しかけづらくって」
「夜乃ちゃんに会ってみる? あ、でもまだ寝てるかしら」
「寝てるのでしたら起こすのも悪いですし、また学校でお話してみます。夜乃ちゃんによろしくお伝えください。それでは、私たちはこれで失礼しますね」
「えー、もう帰っちゃうの?」
 立ち上がろうとする玄枝を詩縫が呼びとめる。
「学校もお休みなんでしょう。一緒にお出かけしましょう。この時間なら早めのランチもいいわねー」
「それは良いですね。でも、電車は動いてませんけれど、足はどうするの?」
「私が車を出すわ。軽だけど、十分でしょう」
 叶が運転手を買って出た。話は淀みなく進んでいく。
 玄枝は断るつもりでいたようで、理香子の反応が玄枝の予想に反したのかとても愛らしい困惑の表情を見せた。
「で、でも夜乃さんを一人にするのは拙いのでは……」
「大丈夫」
 詩縫の有無を言わせぬ一言に玄枝の反論は捻じ伏せられ、玄枝は詩縫に再度強引に付き合わされることになる。

 5―2

 布団を抱き締めているのに気がつく。同時に今まで自分に意識がなかったことにも気がつく。
 身体がだるく、重い。睡魔は意識の半分以上を捕まえて放さない。
 もう一度眠りにつこうとする夜乃に、睡魔の支配を受けなかった一部の意識がある光景を見せた。その光景が夜乃を覚醒に向かわせる。
「……何が、あったんだっけ」
 何故ベッドで寝ていたのか。何時家に帰ってきたのか。最後に意識を失ったのは何時だったか。
 記憶は所々途切れていた。断片的に思いだせる場面も幾つかある。だが、それらを繋げて時の流れを確認するまではできなかった。
 詩縫の白い翼と隆由の黒い翼は、はっきりと記憶していた。知りたいのはその先のことだ。
 身体を起こし頭を抱える。浅い頭痛を伴いながらも記憶を探った。
 次に思いだしたのは別の翼の光景だった。それは何故か自分の背から伸びていた。
 連鎖的にある感覚がよみがえる。背に走った焼けるような痛み。耐え難く、発狂しかねない程の激痛。
 今は痛みなど感じていないにも関わらず、記憶の切れ端が夜乃の身体を震わせた。
 記憶の探究に先が見えなかった。このまま作業を続ければどれだけの時間がかかるのか。他にできることは何か。分からないことは何か。
 ベッドの上にいては知ることのできるものは限られる。
 微熱でもあるかのようなだるさを引き摺りながら部屋の外に出た。人の気配がない。誰もいないようだ。壁掛けの時計を見ると午後三時過ぎだと分かった。
 次に携帯を確認した。メールが四件。受信ボックスを開いて誰の物かを確認する。
 葉子、詩縫、幸人の三人からメールが届いていた。葉子は昨日からメールを送ってくれていたようだ。
 日付の古い物から内容を確認していく。
 最初に開いたメールは葉子の物で、隆由のさらわれたことはどうやら早退扱いになっているらしく、体調を心配する物だった。次に開いたメールも葉子の物で、地震と停電があったらしく夜乃の安否を訊いていた。
 次のメールを開く前に葉子に返事を送る。簡潔に、心配かけて申し訳ないと詫びておく。
 送信完了の表示を確認し、メールチェックを再開させる。次は詩縫のメール。友人と出かけるとのことと、学校は休校になったことの二つが記されていた。
 詩縫のメールで初めて学校の事を思い出したが、もう今更だった。
 最後のメールは幸人の物だ。
 メールを開く指が止まった。少しだけ鼓動が早まった気がした。
 意図せずに思いだされる昨日の記憶。満たされた感覚。眠りにつける程の安堵感。
 そして、幸人の温もり。
 自分の身に何があったのか。まだ完全には思いだせない。だがパズルのピースは揃い始めていた。
 良い事、悪いこと。望む事実、望まない事実。思い出そうとしているものにはどちらも含んでいるのだろう。自分にとって都合の良いことを思い出せば、邪魔な物も思いだす。その逆だってある。すべては繋がっている。
 メールを開く。夜乃の体調を気遣う内容だった。幸人は夜乃の気だるさの理由を知っている。
 凪いだ水面に一つだけ波が生まれるように、夜乃の次の欲求が生まれた。
 夜乃は幸人に返信を送る。今、幸人に会いたいと。
 暫く待ってもメールの返信は来なかった。
 代わりに家の呼び鈴が鳴った。心の準備の出来ていない状態での突然の訪問だった。
 玄関の前で一度呼吸を整え、何も警戒せずに扉を開く。案の定幸人が立っていた。
 目の前の幸人の姿と、淡い記憶の中の幸人の姿とが重なる。
「――あぁ……、いきなり呼び出してごめんね」
「気にしないで、いいよ。身体の方はもう何ともない?」
「少しだるいけど、多分大丈夫」
 幸人の話し方にぎこちなさを感じた。夜乃に対する気遣いの現れだろうか。有難いような、恥ずかしいなで、判断に困る。
 幸人に抱きつき助けを求めたのを自力で思いだせたことは幸運だと思う。幸人の口からその事実を語られたくはない。できればあまり話題にも出したくなかった。
「……あのさ、昨日のこと、何だけど――。上手く思い出せないの。でも、幸人君に助けてもらったのは思い出せて……。幸人君なら知ってるよね? 何があったか、教えて」
 上手く思い出せないのは本当だが、朧げには大体の形を掴めていた。幸人に手伝って欲しいのは記憶の答え合わせなのだ。自分が思い出せることが本当に正しいのかが知りたかった。
「俺の知ってることなら教えられるけど……。夜乃、外に出られる? 外の方が多分、伝えやすいと思うから。……どうか、した?」
「夜乃って呼んでくれた」
 驚きや嬉しさが表情に出ていたのか、幸人はすぐに夜乃の変化に気付いた。
「きっかけがあると案外簡単に直るみたい。慣れると、こっちの方が話しやすいね」
 控え目に幸人が笑って見せた。あまりに照れくさそうに笑うので、自分まで恥ずかしくなる。
「準備してくるね。ちょっと待ってて」
 照れ笑いに引き摺り込まれ動けなくなっていた。このまま雰囲気に浸っている訳にもいかない。
「分かった。外で待ってるよ」
 笑顔のまま幸人が外に出る。一人になった夜乃は数秒間、玄関の前から動けなかった。



 何枚か厚着して家を出た。学校の件と同じく気付くのが遅すぎたが、恐らく昨日は風呂に入っていない。臭ったりしないだろうか。万全の体勢でいられないのは落ち着かない。

⇒To Be Continued...

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