羽のある生活 5 | |
作者:
トーラ
2008年12月05日(金) 17時03分13秒公開
ID:Ar11ir4Sh.c
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幸人の提案で海浜公園に行くことになった。その道中にこれといった話はしなかった。 ほぼ無言のまま歩き続け、公園に到着した。人気はなかった。波の音が耳に心地よかった。 「ここに何かあるの?」 「来る途中気付かなかったかな。その、時計塔に」 気まずそうに告げる幸人の視線の先を確認した。そこにはあるべきものがなかった。 街の象徴である時計塔の先端部分、巨大な文字盤が飾られている部分が消え失せていた。もぎ取られたかのように破断面は荒い。 「――嘘……」 こんなことが現実に起こりえるのか。何をすればこんな奇妙な崩れ方をするのか。 「……隠しても仕方がないし、ちゃんと夜乃は知るべきだと思う。だから、俺が知ってることは全部話すよ。あれは君がやったんだ」 「私、が……? そんな、私にそんなことできる訳ないじゃん」 反射的に否定してから、自分に永遠に付き纏う名を思い出す。 「サンダルフォンの魂が夜乃には宿っている。それは、分かってるよね? その力が暴走した」 淡々と話す幸人の声は重たく暗い。彼も伝えづらいに違いない。夜乃が拒むまで彼の口は事を伝え終わるまで閉じられることはないだろう。 「サンダルフォン……」 夜乃が呟いた。聞き慣れた名だった。それが自身を指す言葉なのは分かっているつもりだったが深く考えることは殆どなかった。 自分は夜乃で、サンダルフォンは別人の名だとさえ思っていたし、その考えが夜乃の根底にあった。 「覚えていないかな。夜乃にも翼が生えていたよ。空だって飛んでた。とても、苦しそうだった」 夜乃には空を飛んだ感覚も、時計塔を破壊した感触も残っていない。だが、幸人の言葉が嘘でないことは分かりきっている。 罪を擦りつけられたような気がした。もう一人の自分。サンダルフォンという名があろうが、それは紛れもなく自身なのだ。それでも、何処かで理不尽だと感じている。 受け入れなければいけないのだ。もう一人の自分の存在を。 「――本当に、私がやったんだね。凄く苦しかったのは覚えてる。幸人君が助けてくれたことも。大事なとこだけ綺麗に覚えてないとか、都合の良い頭してるな……」 覚えがない、では済まされない。自分が無意識のうちに破壊した物が無機物でなく、生き物だったら取り返しがつかない。 「……! 私、他に何をしたの! 誰か怪我させたりとか、……殺したりとか……、してない……?」 気付くのが遅すぎた。巨大な時計塔すら破壊する程の力を暴走させたのだ。巻き添えを受ける者だっているかも知れない。 誰かを傷つけたかも知れない。しかもそれを覚えていない。 夜乃の罪の意識が恐怖に変わっていく。自分の足で立っていられなくなるまで身体が震えた。 幸人に持たれかかりながら、夜乃が自分にへたりこむ。幸人は驚きながらも夜乃の姿勢に合わせて屈み、夜乃の身体を支えた。 「大丈夫。夜乃は誰も傷つけていないよ。電線が切れて、ちょっと大きな停電になってるみたいだけど、気にしなくていいと思う」 不安に溢れ泣きそうになる夜乃に幸人が笑いかける。この笑顔は恐らく、夜乃を安心させるための笑顔だ。作り物だとしても幸人の労りや優しさが感じ取れた。 「大丈夫だよ」 安堵感に耐えかね、夜乃は泣いた。嗚咽を含むような大きな物ではなく、雫が流れる程度の小さな物だった。 涙のせいでぼやけて見えるが、幸人が困惑の表情を浮かべているのは分かった。 「ごめんね、いきなり……」 瞼を擦り雫を拭う。もう涙は止まっていた。だが、まだ気持ちは落ち着いていない。上手く思考を言葉に変えられる気がしなかった。 少し、時間が欲しい。幸人が支えてくれているのなら、すぐに持ち直せる気がする。 息を吸って、吐いて、まだ微かに振動する心を宥める。 「なんか……、普通にしてるのってこんなにも難しいって思わなかったなぁ」 思いついた言葉を口にした。黙ったままでいるのが苦しかった。陳腐だが、張り裂けそうになるという例えが一番的を射ていると思った。 「今までさ、多分私、信じてなかったんだよ。サンダルフォンがどうとかって。天使って言われても実感なかったし、幸人君みたいに羽も生えないし、どうせ私は人間でしょって」 何も言わずに幸人は夜乃の言葉に耳を向けていた。何かに耐えているように顔を歪ませながら。 「……そんな都合の良い話ないよね。どっかで信じてたんだよ、私。……馬鹿だよね、ホント」 幸人に縋りつく気力も失せ、腕が力なく垂れる。今夜乃を支えているのは幸人の力だけだった。 「そんなことない。俺だって、夜乃と一緒だから。俺だって、サンダルフォンの魂が宿っているって確信はなかった」 「でも、実際に見たんでしょ? 私に羽が生えて、暴れ回ってるところを。普通でいたいだけなのに……何でこんなに難しいんだろ……。何でだろ、初めから無理だったのかな」 今までの生き方をすべて否定された気分だった。ずっと間違った道を歩き続けてきて、今になってそれを知らされたようなやるせなさ。 「……弱音だったらいくらでも言えばいい。だけど、その、本当の気持ちに嘘はつかないで。今まで通り、ヒトとして普通に暮らしたいと思うんだったら、それを諦めないで」 夜乃の瞳と幸人の瞳が重なる。幸人の視線には目に見えない拘束力があり、夜乃は俯くことも目を逸らすこともできなかった。 「俺にできることなんて高が知れてるけど、二度とこんなことのないように頑張るから。俺が役に立たなくても、詩縫様も、晴も陽もいる。みんな夜乃のために頑張ってる」 「それで昨日みたいにみんなが危ない目に遭うの? そんなのやだよ……」 「危険を冒してでも、夜乃の望みを叶えたいと思ってる。みんな同じ気持ちだよ。だから夜乃は守られることに耐えて欲しい。じゃないと俺たちは夜乃に何もできなくなる」 初めて見る姿だった。幸人がただ真剣に夜乃を見ていた。 怖い、訳ではない。だけど、初対面の異性に見つめられているようで、酷く心が騒いだ。 固まっていた心が加熱され、硬度が和らいでいくような、とても不安定な感覚。 「一緒に頑張らないと意味がないんだ。……俺、無理なこと言ってるかな……?」 均整を保っていた顔が崩れ、怯えたような表情に形を変えた。その表情には見覚えがあった。 「――無理じゃ、ないよ」 幸人に見つめられていると、こう答える以外の選択肢を選んではいけないような気がした。捨て犬のような視線を完璧に振り払えるほど夜乃の意志は強くなかった。 まるで言わされたみたいだと考えた瞬間、夜乃に笑みが戻る。 「うん。無理じゃ、ない」 自信はない。不安もある。 「頑張れなくなった時は、幸人君が助けてくれるんだよね」 「俺にできることなら何だってする。約束するよ」 「……うん、ありがとう」 自分は信じられなくても、幸人の言葉なら信じられる。 結局、口説かれてしまったけれど、きっと、自分の最下層に埋もれていた気持ちを幸人が引き摺り出しただけのことなのだろう。 先刻の自身の言葉も、決意というには薄く限りなく行き当たりばったりで強い意志が込められたかどうかも分からない。 だが、もう口にしたのだ。この言葉は呪いになって、夜乃に付き纏う。 それでも良いと夜乃は思う。 こんな、羽のある生活も悪くない。 |
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