羽のある生活 4
作者: トーラ   2008年12月05日(金) 16時52分37秒公開   ID:Ar11ir4Sh.c
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「まさか、こんなにも上手くいくとはな」
 隆由が顔面に掌を被せ、堪えきれない笑みを必死で隠して見せた。
「まったく、貴方は昔と変わってないのね。自分勝手だわ」
 隆由の返答は聞こえなかった。かき消されたのかも知れない。
 夜乃が二度目の絶叫をあげたのだ。それは覚醒の始まりの合図だった。
 槍で身体を貫いたかのように、一対の白の翼が天に向かって伸びる。
 続けて、次に一対の黒の翼が生まれた。
 次々と翼が生まれていく。白、白、黒、白、黒……。
 無数の翼に夜乃の身体が埋もれていく。翼が生まれる度に撒き散らされる羽が夜乃の周辺に広がり斑模様を作り出し、それを淡く発行する翼の茂みが照らす。
 祭壇に祀られる神像のような雰囲気を保ったまま、翼が動き出した。蝶が舞うかのように柔らかく、飛ぶというよりは浮くような、肉体の質量を感じさせないような軽さで夜乃の身体が浮かぶ。
「良い姿だ」
 変貌した夜乃の姿を隆由が満足そうに眺めた。
 詩縫は一旦夜乃から意識を離す。隆由以外の気配が近づいているのに気付いた。
 小柄な少年が黒い光の翼をはばたかせ、隆由に近づく。塔の中から出てきたのか。
「兄さん、どうなってるの? あれが夜乃ちゃん? というか、サンダルフォンってやつ?」
「まだ発展途上だがな。まだ半分の力も解放できていないが、まぁ上出来だ」
 愛娘を見せ物のように話す二人の態度が耳に障る。彼らの声に意識を削がれても、夜乃から視線を外すことはない。
 意志の定まらない動きで夜乃が塔から離れていくのが見えた。
「夜乃ちゃん!」
「させんよ」
 夜乃を追おうとする詩縫を隆由が遮る。その間にも夜乃は移動し続けている。
「力に慣れさせる良い機会だろう。放っておいてやれ。優、詩縫に手を出すなよ。相手は俺がする」
 隆由の顔に笑みが生まれる。下品な表情だ。隆由が表情を崩してまで喜ぶ理由が詩縫には分からなかった。天使に性別はないが、肉体を持たない時分から、隆由と自分はまったく別の物だと詩縫は感じていた。同じセラフに分類される存在だとしても。
 優と呼ばれた少年は動かなかった。隆由の言葉に従っているのだろうか。とりあえず今は邪魔者としては捉えないことにした。
「そんなものは夜乃ちゃんに必要ないの。夜乃ちゃんとサンダルフォン様は違うわ。一緒にしちゃだめよ」
 何とか隆由を振り払って夜乃の元に辿り着きたいが、彼に隙がない。一滴ずつ、徐々にではあるが着実に焦りが蓄積されていく。
「まさか、夜乃を普通の人間として育てるつもりか? そんなことは不可能だと分かっているだろう」
「だからってこんな大きな力、下界には必要ないでしょう。もう一度言うわ。夜乃ちゃんにはいらないものなのよ」
「下界も夜乃も関係ない。俺の目的には必要だ」
「貴方の目的なんて、どうせろくな物でもないのでしょう。そんなことのために夜乃ちゃんを利用しないで」
 こんな会話をしている場合ではないのに。夜乃は着々と塔から離れていく。このままもたついていれば夜乃を見失ってしまう。

 一瞬の空白。

 身体が怯えた。
 夜乃の背に茂る翼が一斉に羽ばたく。
 生み出される爆発。
 聴覚が奪われる。詩縫が見た物は光の球だった。
 時計塔の先端が破壊され、塔から切り離されていた。先端部分が重力に捕まり、落下し始める。
「ははっ! 凄い! 出鱈目だ!」
 優が手を叩いて歓喜の声を上げた。
 塔を破壊するだけの力を放出した夜乃は、その力を推力に変え、夜空の彼方へ飛び立つ。

 4―6

 空気の震えを全身で感じる。遠方に見えていた時計塔が光に包まれ、姿を隠した。
 幸人と双子の三人は時計塔から離れた上空で詩縫を見守っていた。先刻から街全体の雰囲気が変わり始め、そして目の前に現れた閃光。
 一体何が起こっているのか。事実を自身の目で確かめられないことへのもどかしさよりも、想像もつかない何かに対する恐怖の方が強かった。
 闇夜を塗り潰す眩い光が晴れ、時計塔が再度姿を見せる。その姿を見た幸人は愕然とする。
「まさか、これ、時計塔が崩れるんじゃあ……」
 最初に口を開いたのは陽だった。
 曲がった鉄パイプのように時計塔の先端が不自然に傾いていた。このままでは確実に崩れ落ちるだろう。
「あれが街に落ちたらち拙いわね。詩縫様のお邪魔になるかも知れないけれど、仕方がないわ。行きましょう」
「待ってください! 何かが、こちらに向かってます」
 時計塔を視界に収めていると何かが見えた。夕闇を切り裂いて羽ばたいた詩縫よりも白く、大きな軌跡を描き、何かが向かってきている。
 それは真っ直ぐには移動せず、上下左右不規則に動きながら前進していた。
 嫌な予感がした。何故、覚えのある気配を感じるのか。白い影が近づいてくるにつれて予感も気配も強まっていく。
 影は、無数の翼を羽ばたかせ宙を舞っていた。舞うというよりは、もがき苦しんでいるようにも見える。
 幸人たちの頭上を影が通り過ぎる。幸人は見上げ、正体を確認した。
 血が逆流するかと思った。擦れ違った人影に頭が支配される。

「……夜乃、様?」

 幸人の思考を埋め尽くす夜乃の顔は苦痛に歪んでいた。幸人の中に、本当に夜乃だったのか、という考えは存在しなかった。
 確かに翼を生やした夜乃が自分の頭上を飛んで行ったのだ。そう幸人は確信していた。
 夜乃が苦しんでいる。それだけが重要だった。
 夜乃が苦しんでいるのなら、自分はどうするべきか。
 考えるまでもない。自分が、何とかしなければ。
 幸人の翼が羽ばたく。最早自分でも止められない。
 陽の怒声を幸人は背後から聞いた。何と言ったかまでは聞き取れなかった。



「あの馬鹿! 死ぬ気か!」
 陽の声は幸人には届かなかった。最早姿すら見えない。何の躊躇いもなく火の中に飛び込む羽虫の如く、幸人は飛び去った。
 自ら死に行く者の面倒までは見きれない。晴たちには時計塔の先端を受け止めるという差し迫った目的がある。
 幸人がこちらに振り向かないように、晴たちも幸人を追うことはない。
「死んだら自己責任よ。私たちも行きましょう」
 晴の翼が動き出し、夜空を駆ける。遅れて陽も晴のあとを追う。
 流星の如く空を横切り、塔との距離を定規で線を引くように素早く詰めていく。
 時計塔の自由落下よりも速く、その下に潜り込む。二人が瓦礫の下に潜り込んだ時にはもう瓦礫はかなりの加速度を持っていた。
 更に加速度を増し、速度を高めていく筈の瓦礫が減速していく。
「流石に重たいねぇ……! 真下に下ろす? どこかに運ぶ?」
「下手に動かすと詩縫様の邪魔になりそうね。どうしようかしら」
 瓦礫の下からでも、巨大な力が激しくぶつかりあっているのが分かった。空の震えが瓦礫を粉々に粉砕しそうで、ここに留まるのも得策ではない。だが、瓦礫を運ぶにも推力が足りない。
 何も好転しない状況に晴は舌を鳴らす。
「やぁ、お二人さん。大変そうだね」
 晴の目の前を急降下して現れたのは、隆由と共に行動していた少年だった。
「初めまして、かしら。何か用?」
「兄さんが天使の相手をしててね、暇してるんだよ。手伝ってあげようか?」
 ひょうひょうとした軽い態度が鼻につく。自分のことしか考えないような浅はかな笑い方も気に入らない。
「幸人君はいないの?」
「彼は好きな子を追いかけていったわ。残念ね」
「夜乃ちゃんを? それは凄いなぁ。結構幸人君って馬鹿なんだね」
「失礼なことを言わないで。あの子を馬鹿と言っていいのは私たちだけよ」
「まぁまぁ、いいじゃない。さっさと手伝ってもらおうよ。そろそろ僕もきつい」
 晴の声に続いたのは陽の声だった。苦しいのは晴も同じである。幸人のように、堕天使だからとすべてを疑ってかかるつもりはない。協力してもらえるのなら手を貸してもらいたいものだが、羽の色からして一応彼は敵対者だ。簡単に信用する訳にはいかない。
 しかし、見定めるには時間が短すぎる。
「一緒に抱えてもらえるのなら手伝って欲しいわ。お願い」
「元々そのつもりだよ。何処に運ぶつもり?」
 二人の支える力にもうひとつの力が加わる。劇的に負担が軽くなった。彼一人に任せても問題ないくらいの力だった。
 確かに、彼の相手は幸人では荷が重すぎる。
「そうねぇ、海まで運びましょうか」
「海まで! そんな遠くまで大丈夫?」
「彼がいるんだもの。簡単よね? 貴方、名前は?」
 瓦礫の両端を晴、陽の二人で支え、中心を少年が支えている。
「優だよ。兄さんがつけてくれたの。良い名前でしょ」
「そう。じゃあ優君、頑張ってね」
「任せて」
 初めは気に入らなかった彼の態度も、手を貸してもらってからはそうでもなかった。現金な性格だなと自分を嘲る。
 一戸建ての住宅よりも大きな瓦礫が夜空を走る。この光景を街から見下ろすヒトはさぞ驚くことだろう。
 ――たまには、天使の起こす奇跡を生で見るのもありよね。
 テレビで見た手品師にでもなったような気分で瓦礫を担ぐ。
「ねぇねぇ晴ちゃん。まるで小惑星を押し返してるみたいだね」
「私たちをロボットみたいに言わないで」
 そういえば、何かのアニメにこんな場面があったかも知れない、とあやふやな記憶を探るが、確かなことは思いだせなかった。



 白と黒の意思。二つの感情が動かす力がぶつかりあい、空をも引き裂かんばかりの力が生まれる。力の弱い者が近づけば、身体の形を留めておくことなど出来やしない程の力量だ。
 何処かに飛び立った夜乃を追おうとする詩縫を、執拗に隆由が遮り邪魔をする。お互いに相手を倒そうという考えはなかった。
 詩縫はただ、夜乃の後を追いたいだけであり、隆由はそれを阻止したいだけだ。当人同士の間には命のやり取りの実感がなくとも、殺傷能力の持った雰囲気を作り出していた。
 相手を殺すつもりはないが、自身の目的が遂行できない場合には殺すことも厭わない。だがそこに殺意はない。
「もう、邪魔しないで! 通して!」
「行かせんと言っただろう。翼の扱いにも慣れねばなるまい。あんな不様な飛び方では格好がつかんだろうに」
「夜乃ちゃんに飛ぶ必要なんてないわ」
 静かに言い放ち、小さく息を吸った。
「退いて!」
 息を吐きだすと共に生まれる衝撃波が隆由を飲み込む。遠くの山林が詩縫の力によって悲鳴をあげていた。
 目の前に隆由の姿が見えなくなった。前に進めるだろうか。
 考えている時間が勿体ない。詩縫が翼を羽ばたかせた。その時、翼の端に空気の振動を感じた。
 その振動が何を意味するのか、詩縫には分かり切っていた。咄嗟にその場から飛び退く。逃げ遅れた髪が引きちぎられ、空に霧散した。
 詩縫のすぐ脇を、見境のない刃が風になり通り抜ける。
 先刻詩縫が隆由に向けた必殺の威力を持つ衝撃波と同じものだ。詩縫に行えることは、隆由にも行える。
「まだだ、まだ付き合ってもらうぞ」
「しつこい!」
 振り返ると隆由の姿があった。彼に背を向けて飛ぶのは自殺行為だ。前に出られたのではない。後ろに回られたのだ。何ひとつこちらに有利なことはない。
 微かな硬直時間。再度詩縫は隆由と向き合う。何もできない。
 時を動かしたのは、不自然な空気の流れだった。渦を巻くように風が舞う。
 風を起こしたのは複数の黒の翼を持つ者たちだと詩縫が気付く。
 数人の堕天使が隆由をとり囲む。すべての堕天使が隆由の急所に攻撃を仕掛けられる位置を保っていた。
「ここまでです。これ以上の地上の混乱は王の意思に背きます」
 隆由の頸動脈に掌を重ねている堕天使は女だった。声で判断できた。
 闇色をした髪は短く、少年と見間違いそうだ。服装も黒いローブと、何かの制服のように見える。
 何が起こったのかいまいち把握できていない。彼らは何者か。敵の敵は味方ではないだろうが、敵でもない。暫くは様子を見るしかなさそうだ。
「私たちを消したとしても王の配下は私たちだけではありません。第二、第三の部隊が待機しています。タウミエル様、引いてください」
 落ち着いた声で彼女が告げる。込められた感情はとてつもなく薄い。
「時間切れか。興醒めだな」
 声と同時に隆由が纏っていた殺気が消えていく。彼をとり囲む堕天使の集団に抵抗する気もないようだ。
「貴方の名を存じ上げませんのでセラフ、と呼ばせて頂きます。サンダルフォンを追ってください。貴方なら止められるでしょう」
 隆由から手を離すことなく首を詩縫に向け、彼女が言う。
「私たちの目的は地上の安定です。貴方と目的は一致しています。私たちは貴方の敵ではありません」
 感情は依然として薄いが、強い意志を感じる。真偽を問うこと自体が無礼に当たりそうな、誇り高い声だ。
「そうなの。貴方の言葉、信じるわね。後覚えていれもらえると嬉しいのだけど、私は詩縫。あの子はサンダルフォンではなくて夜乃という名前があるの」

⇒To Be Continued...

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