羽のある生活 4 | |
作者:
トーラ
2008年12月05日(金) 16時52分37秒公開
ID:Ar11ir4Sh.c
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「……! 貴様!」 咄嗟に優を振り解き目測で五メートル程度の距離を取る。油断していたつもりはなかった。視界には優を捉えていたにも関わらず接近に気付けなかった。 幸人の冷静さが崩される。優を脅威だと認めざるを得ない。恐らく、実力は自分よりも上だろう。 風の動きを感じた。それは刃の接近の兆し。 鈍い衝撃が走る。 渾身の力で身体を支える。大地を支えとしない身体に力を与える物は己の魔力のみだ。 右側から振り抜かれた優の腕を幸人が片腕で受け止める。二本の腕は触れ合うことはなく、触れ合う寸前で不可視の力でせめぎ合っていた。 「あれ? 受け止めれたんだ。意外」 「馬鹿に……するな!」 優の腕を弾き返す。力と力がぶつかり合うことで生まれるエネルギーがヒトを囲う校舎に放たれた。 ――ここでは戦えんな。 この場で戦えばヒトに被害が出る。幸人は校舎よりも遥か上空まで高度を上げる。 「優しいね。ヒトがそんなに気になる?」 律儀に優が幸人を追う。屋上を見下ろせる位置で高度を保った。 「幸人君がここがいいって言うんなら仕方ないけどね。そういえば、僕にだけ構ってて大丈夫? 夜乃ちゃんのこと心配じゃない?」 「気安くその名を呼ぶな。貴様には関係ない」 夜乃の護衛には晴と陽が向かってくれている筈だ。自分よりは確実に頼りがいもあるし、信頼もできる。今は目の前の相手に集中するべきだ。 全身に魔力を纏う。何処から攻められても対処できるように。 「ホント言うとね、僕は夜乃ちゃんよりも君の方が興味があったんだ」 雰囲気が変わった。 ――来る……! 視界を奪う光の小爆発。走る激痛。 幸人が交差させた腕に優の指が突き立てられていた。 「あはっ。また受けた。さっきのはまぐれじゃなかったんだ。凄い凄い。でも、血が出てるよ。大丈夫? 痛くない?」 受け止めた腕が涙を流すように血を垂らした。 完全に防御は出来なかったが、この程度は傷の内には入らない。 「黙れ!」 腕にめり込む優の指を払い、手刀で優を薙ぐ。だが優は軽く一閃を塞き止めた。苦し紛れの一撃ではなかったのだが、優には通用しなかった。 「惜しいなぁ。残念」 掴んだ手に優の指が絡む。指と指の間に優の指が入り込んでいく。触れ合った肌が毒に侵されていくような禍々しさを感じる。 優から離れようと足掻くが身体が動かない。優の力に抑え込まれていた。 「綺麗な指だよね。細くて、すべすべしてて」 「気味の悪いことを!」 束縛のない片腕で容赦なく優の腹を殴りつけた。 感触があった。拳が肉に沈む感覚。更に力を加え腕を振り抜く。明確な殺意を込めて。 それは堅牢な城門をも打ち破るような一撃だった。まともに受けた優が後方に弾き飛ばされる。だが幸人の拳が優の身体を貫くことは出来なかった。 その事実が、優に追撃を行うかどうかの迷いを生じさせた。四肢を垂らし、仰向けに空に漂う優の姿には何かしらの恐怖があった。 警戒し距離を保つ。何があっても対応できるように気を張り続ける。 優が動きを見せた。脈打つように指先を動かし、次に気だるそうに身体を起こした。 「い、ったいなぁ。今のは凄く痛かった。せっかくのお洋服が台無しだよぉ。酷いなぁ」 拳が接触した部分の衣類は円形に破れ衣服としての機能を大きく損なわれていた。素肌の見えるその部分を手の平で撫でる。 布を破る程度の衝撃しか与えられていないとも取れる姿だった。 「もう手加減はいいや」 声を発すると同時に目の前に優の姿が現れ、袈裟懸けに切り裂くように爪を立てる。 引っ掻いているようにも見えるが優の指先には近づくだけでも切り刻まれる程の魔力が込められている。まともに受ければ幸人の身体は二つに分かれるだろう。 咄嗟に退き優の一閃を避けた。だが、身体を回転させながら放たれた二撃目の裏拳は予測できなかった。 避けきれず優の拳を受け止める。幸人は斜上からの衝撃を受け流すため、加えられた力の方向に身体を預けた。 肌を切る程の速度で急降下の中、追撃に備える。だが仰ぎ見た先に優はいなかった。 優の姿を見失ったことで幸人を支えていた冷静さが崩れ始める。 「こっちだよ」 背後から優の声を聞いた。戦慄するよりも早く背後から更に追撃を加えられる。 鈍痛に思わず声が漏れた。身体が言う事を聞かず態勢を整えることもできず、幸人の意思とは関係なく身体が運ばれる。 幸人の身体を受け止めたのは屋上のフェンスだった。がしゃんと鉄が擦れ合う音を確認する。 「大丈夫?」 フェンスに幸人を磔にするように、優が幸人の前に立ちはだかる。優の魔力のせいか、フェンスから離れられない。 目を細め幸人を嘲笑う。もっとも邪悪に見える笑みだった。 「動けないでしょ。これって、君のこと自由に出来るってことだよね」 優の腕が伸び、幸人の唇に指先が這う。 優の真意がまったく分からなかった。避けきれない攻撃以上の恐ろしさがある。 優の顔が近付き、彼の吐息が幸人の顔にかかる。 唇が開く。赤黒い舌が姿を現わし、幸人の唇を舐めた。 顔の一部を他人に触れることなど殆どない。唇なら尚更だ。初めての感覚をはっきりとおぞましいと認識した。 一刻も早く優から離れたいが、優の魔力がそれを許さない。 「幸人君って綺麗な顔してるよね。綺麗な人って僕好きだな」 「……知るか」 耳元で優が囁いた。吹きかけられる息が寒気に変わる。 死にたくなるような屈辱に耐えながら、優の束縛から逃れる術を探す。いつまでもこんな真似を許す訳にはいかない。 機会を待つのだ。今はそれしかない。 昼休みが始まり、廊下に学生も増えてきた。全力疾走とまではいかないが廊下をかける夜乃が放つ雰囲気はその他大勢とは被りようもなかった。擦れ違う者の中には何事かと振り返り見られたりもしたが、そんな視線に構っている暇はない。 幸人の言葉に従い晴たちを探す。高校に隣接する小学校まで行けばいいのだろうか。それとも二人が自分を探してくれているのだろうか。だとしたら行き違いになったりはしないか。 足を止めずにあれこれと考えてみるが、結論は出ない。 階段を滑るように降る。一歩踏み外したらそのまま転げ落ちそうだが、どうやら何事もなく一階まで降りられそうだ。 一階の教室の連なった廊下を抜ければ出口だ。もう少しで晴と陽に会える。この異常事態に一人でいるのは心細過ぎる。早く二人に会いたい。 疎らな人集りの中に制服以外の服装を見つけた。見覚えのある顔だった。背の高いスーツ姿の男だった。ゆっくりとだが一歩ずつ確実にこちらに近づいてくる。 夜乃は足を止めていた。こちらに迫ってくる男に近寄ってはいけないと身体が拒否していた。 目の前には優の兄、隆由がいた。校内の部外者であるにも関わらず堂々した態度で、学生たちのざわめく声も気にも留めず、隆由が夜乃の前で立ち止まる。 「迎えにきた。抵抗はしない方がいい」 静かに隆由が言った。彼の言葉は忠告ではなく、命令なのだろう。 夜乃が隆由に逆らうことなどできない。絶対的な強者には従うしかない。だが、従う訳にもいかない。 間違いしか選べない二択が夜乃を苦しめる。隆由から漂う気配を感じるだけで、呼吸すら上手くできなくなる。 突然、廊下に激しい閃光が差し込んだ。夜乃に纏わりついていた負の気配をすべて焼き尽くしてくれそうな、温かな光だった。 光源は窓の外にあった。神々しく眩い光を放つ二対の翼を二組確認できた。間違いなく晴と陽だ。 「何だか援助交際みたいよ。これ以上夜乃ちゃんに近寄らないで」 夜乃の脇の窓ガラスを打ち破り、隆由と夜乃の間に二人が入り込む。ガラスの飛び散る音に反応し学生が声を上げる。何もないところでガラスが弾ければ驚きもするだろう。 「晴ちゃん! 陽君も……! 良かったぁ……」 夜乃は二人の名前を呼んだ。名前を呼ばずにはいられなかった。今すぐにでも二人の後ろ姿に縋りつきたかった。だが、四つの翼の輝きは何人もの接近を拒んでいるようで、夜乃は二人の背を見守るしかできなかった。 「……リリエルとルルエルか。似合わない格好だな」 隆由の背に翼が生まれた。優と同じ、漆黒の翼が風景を塗り潰した。 翼の出現と同時に、隆由の姿が見えなくなった学生が驚き騒ぎ出す。声も出さずこの場ですべてを見ているのは夜乃唯ひとりだった。一般人の目からは夜乃も突然姿を消した隆由と同じくらいに奇異な存在に映っているだろう。 「久しぶりだね、タウミエル。僕は結構気に入ってるんだけどね、今の姿は」 「天界の英雄がそんな格好では締まらんだろう」 「今はただの守護者よ。私も可愛い方が好きなの」 旧友と語らうように天使たちが会話する。ただの雑談をしているようにも見えるが、二人の神経が弾けんばかりに張りつめられているに違いない。夜乃の目の前で揺らぐ翼は隆由を威嚇しているようだった。 「そうか。まぁ、どうでもいいことだな。俺の邪魔をするなら加減はせんぞ」 一際激しく翼が揺らぎを見せた。瞬間、晴の身体が外に放り出された。ガラスが割れた窓の格子、壁ごと打ち怖し、晴が口校外に転がる。 晴の苦しむ声も聞こえない程の一瞬の出来事だった。 「晴ちゃん!」 もはや名を呼ぶ声は悲鳴と化していた。親しい者がこんな仕打ちを受けて黙っていられる筈もない。 「よくも姉様を!」 陽の怒りは雄叫びに変わり、夜乃が叫ぶと同時に隆由に飛びかかっていた。陽が急激に加速度を得たことで生じた力で夜乃は吹き飛ばされそうになった。陽の突進を隆由が受け止めた際に生じた衝撃波には耐えられず、態勢を崩し床に尻から倒れた。 隆由がかざした片腕が陽の接触を拒む。 「そういうところは変わってないな。久しいぞ」 「殺されたいのか」 「お前の力では俺を殺せはしまい。ましてや、そんな身体を操っていているお前に勝ち目などなかろう」 激流どうしがぶつかりあったように、見えない力が唸り、周囲に発散されていく。今にも崩れそうな危うい均衡が保たれていた。 どうすればいいかも分からず、夜乃は立ち上がることすら忘れただ二人を見つめていた。 「夜乃ちゃん、逃げるわよ」 晴が身体を引き摺りながら夜乃に近づいてきていた。 声をかけたのは先刻隆由に吹き飛ばされた晴だった。晴が外に放り出された際に出来た穴がちょうど良い抜け穴になっていた。 「でも……陽君が」 「夜乃ちゃんを守るのが私たちの仕事よ」 「だけど……!」 「逃げるつもりか? ならルルエルを殺すぞ」 陽と隆由の間の均衡が崩れた。隆由の腕が陽の首を掴む。 「サンダルフォンを渡すのなら、弟の命を奪う必要もないのだが」 限りなく無表情に隆由が言った。脅しではなく、事実を伝えるだけの言葉だった。隆由の腕から逃れようと足掻く陽の苦しげな声が鮮明に聞こえてくる。 「……行きましょう。夜乃ちゃん」 「何で! そんなの出来ないよ……」 晴の出した答えは夜乃が納得できるようなものではなかった。 「最初から覚悟していたことよ。陽もそれを望んでいる筈だから」 晴の声は変わらず冷たい。だが、晴の言葉はすべて真実で、間違いの中でも、最もマシな選択肢を選んでいるのだ。 それでも、感情は晴の決断のすべてを否定していた。その選択で誰かが死ぬことになるなんて、論外だ。 「サンダルフォンに危害を加えるつもりはない。ただ、少し貸してもらいたいだけだ。落ち着いて話ができる程度の時間を、な」 隆由が夜乃に選択を迫る。 晴の答えを否定したのなら、否定した本人、夜乃が別の答えを出すのが道理だ。自分で考え、誰の意見も聞かずに運命を決めなくてはいけない。夜乃の選択には陽の命もかかっていた。 陽の命を助けたいのなら、答えは決まっている。 間違いかも知れない。不安もある。だが、夜乃は間違いでも、自分の意思で一つを選ぶ。 4―4 重苦しい空気が部屋を支配していた。広くはない台所のテーブルを天使たちが囲んでいる。 学校で起こった出来事を、当事者である三人が詩縫に伝えたところだった。夜乃を連れ去った隆由は、時計塔にいるとだけ言い残した。 学校から仲尾家に移動するまでは、無理やりにでも夜乃を連れて逃げなかった晴を陽が激しく非難し、怒り狂っていたが、やり場のない怒りをぶつけていただけのことだった。確固たる意志を持って決断した夜乃に背くことなど、誰が出来ようか。 幸人に至っては敵に弄ばれていただけで、夜乃を守ることすらできなかったのだから。 「夜乃を連れ去った堕天使は、タウミエルなのね」 神気の宿った鈴を鳴らしたような声が通る。幾億もの天使の上に立つ者の声音。本来ならば間近で声を聞くことすら恐れ多いものだ。 ⇒To Be Continued... |
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