羽のある生活 4
作者: トーラ   2008年12月05日(金) 16時52分37秒公開   ID:Ar11ir4Sh.c
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「兄さん。お待たせ」
 優が男の傍に寄る。兄の傍にいる優は普段よりも増して幼く見えた。
 兄の手が優の頭を撫で、それをくすぐったそうにしながらも嬉しそうに優は受け入れていた。
「どうも。優の兄の隆由(タカヨシ)です。優のお友達かな? 優と仲良くしてくれてありがとう」
 壮年の男性のような落ち着いた声で隆由が言った。無表情で微笑を包み込んだような優しげな顔をしている。隆由が最初に見たのは夜乃だった。幸人には隆由の言葉が夜乃にだけ向けられたようにも感じられた。優の親族なら、優と同じように警戒しておいて間違いはない。
「初めまして。仲尾夜乃っていいます。その、こっちこそ優君をあちこち連れ回しちゃってすみません」
「気にしないでください。優も喜んでいるみたいだからね」
 自分より年下に向けた敬語でも、隆由の話し方に違和感はなかった。彼が最も自然に話せるのがこの口調なのかも知れない。
「それじゃあ、僕たちはこれで。これからも優をよろしく頼みます」
「また明日ね、皆」
 優が大袈裟に幸人たちに手を振り、隆由と共に出口に向かう。彼らの後ろ姿には、兄弟というよりも恋人同士のような親密さがあった。優の表情が夜乃たち三人といる時の何倍も和み、明るく見えたからだろうか。兄と会った途端に優の凪いだ表情が揺らいだのがとても印象的だった。
「綺麗な人でしたねー」
 絵画の感想のような気の抜けた声で葉子が言った。
「二人並ぶと絵になるよね。さてと、私らも帰ろうか。駅まで一緒にいく?」
「もちろんご一緒させてもらいます」
 葉子は何かにつけて夜乃に抱きつく。夜乃は一度も嫌そうな素振りを見せたことがない。自分も葉子を見習うべきなのだろうか。
 夜乃に抱きつくなど論外だと、一時の気の迷いを幸人は忘殺した。



 夜の入口を歩く。淡い暗闇を恐れるヒトはもう存在しない。ヒトが作り出した明かりは闇夜の端を塗りつぶし、ヒトの住みやすい環境を作り上げる。
 薄明るいアーケード街を優と隆由が並んで進む。すれ違いざまに何度かヒトの視線を感じることがあった。その視線は自分ではなく、隆由に向けられているのは分かっている。
 今の自分は、地味な男子学生なのだから。
「しかし、家に帰ると行って家から遠ざかるのか。面倒な話だ」
「仕方ないじゃない。だって、時計塔に住んでるなんて言ったら怪しまれるに決まってる」
「まぁ、たまにはこうして歩くのは悪くないが」
「ちゃんとした洋服を着れないのは残念だけどね。手は繋いじゃ駄目?」
「勝手にしろ」
 隆由の許可を得た優は彼の手を取り、指と指を絡ませた。隆由の指に力は入っていない。
 また、視線の数が増えたようだ。だからどうということはないのだが。
 目的地もなく歩く。歩くのに飽きれば部屋に帰る。それまでのただの暇潰しだ。こうして歩くも悪くないが、二人きりでいるのも捨て難い。いつ頃散歩を切り上げるべきか。
「夜乃という娘にサンダルフォンの魂が宿っているのだな」
「そうみたい。だけど、僕たちが見えるくらいで普通のヒトと変わらないよ。力を隠しているのか、自分の意思では扱えないのか、どっちだろう」
 自分たちが見える、というのは、通常ヒトが認識できない物を見ることができる、ということだ。その程度ならヒトにできないことはない。
「どちらにしても今の状態では何の役には立たん」
「だね。今回は確かただの顔合わせ程度、だよね?」
「あぁ、少し挨拶が出来れば十分だからな」
 サンダルフォンの話題になってから、隆由の態度が変わった。優でなければ気付かないような些細な変化だが、楽しんでいるような、隆由には珍しい感情だった。
「そんなに楽しみ?」
「退屈しないでいいのは有難い話だよ」
「答えになってないじゃない。素直に楽しみって言えばいいのに」
 隆由の含み笑いを愛おしく思いながらも、隆由の興味を受ける夜乃に小さく嫉妬する。それもお遊び程度の感情で本気ではない。膨れ上がらせることもできるし、消し去ることもできる。
 感情を操り、様々な感情で隆由を想う。それだけで幸せな気持ちになれる。そんな自分の気持ちに隆由が気付いているかどうかは、大した問題ではなかった。
 隆由が夜乃に目を付けたように、優にも別に目ぼしい人物がいた。
「僕は、楽しみだよ」
 騎士気取りの天使の姿を思い浮かべ、勝手な想像で彼を凌辱する。
 本当に楽しみだと、優は口の端を吊り上げた。



 乗客の疎らな電車に揺られる。ボックス席に夜乃と向かい合って座っていた。幸人はなるべく夜乃の顔を見ないように、基本は窓の外を見ていた。特に意味はない。
「今日はつきあってくれてありがとね」
「気にしないでください。どうせ予定もなかったですから」
「敬語、また出てる。やっぱり難しい?」
「あ、すみません、じゃなくて、ごめん……。少し難しいよ」
「あはは、ありがと」
 片言で言い直す幸人を見る夜乃の顔は、危うい程に無防備だった。誰の侵入も拒まない開け放たれた窓のようで、夜乃の表情から内側まで見えてしまいそうだ。
 幸人は夜乃の笑顔を直視出来なかった。視線を逸らすが、見られている感覚は消えない。落ち着かなかった。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
 何でもないことはないのだが、こう答えるしかなかった。恥ずかしい、という感情が今の幸人の気持ちを的確に表していた。何が恥ずかしいのか、何を恥ずかしがっているのか、それが分からないもどかしさが更に幸人を焦らせた。
「変なの。最近ね、ずっと幸人君を付き合わせてたでしょ。だから今回も誘うの我慢しようかなぁって思ってたんだけど、優君が幸人君も誘おうって言ってくれてね」
「……そんなこと、気にしなくていいのに。いつでも誘ってくれていいから」
 落ち着かないが夜乃と話すのが嫌ではない。夜乃の満ち足りた様子を見られるのは嬉しい。
 喜ばしいことなのだが、その要因を考えると手放しに喜べなかった。
「また、皆で遊びにいきたいな。幸人君と、葉子ちゃんと、優君と皆で」
 優という名を聞く度に幸人に小さな陰りが生まれる。夜乃の気持ちに共感できないことや、彼が敵でないかと疑っていること、それを夜乃に黙っていること。後ろめたさには多くの理由がある。
 夜乃のためという言い訳を用意していても、騙しているとも考えられるこの状況は少しつらい。
 夜乃の楽しげな表情を見られることも、結局は後ろめたさに相殺されている。
「そう、だね。その時はまた俺も誘ってほしいな」
「うん。そうするね」
 眩し過ぎる笑顔で夜乃が言った。
 やはり、幸人には夜乃の顔を直視することができなかった。

 4―3

 優が学校を休んだ。学校で優に会わないのは今回が初めてだった。欠席届はちゃんと出されていて、教師は体調不良と説明した。誰にでも起こり得ることで、特に気にすることもないだろう。こんなこともたまにはある。
 夜乃は優の席に目をやった。優のいない教室で授業が進み、そろそろ半日が過ぎようとした。
 クラスの一人が欠けたところで何の変化もなく、昨日と変わらない風景を見ることができる。
 それもある意味学校という場所の良さなのかも知れないと、ぼんやりと考えていた。
 不意に風が吹き込まれた。空気の流れなど殆どなかったのに、突然空気が意思を持ったかのように暴れた。質量の軽い物、ルーズリーフ、プリントなどは簡単に風に巻き込まれ宙を舞い、ばさばさと音を立てる。
 教室がざわつき、教師が皆をたしなめる。授業も終盤に差し掛かっていたせいか、一度途切れた集中力はなかなか戻らないようだ。隙を見つけては周りと雑談をし出すクラスメイトに混ざれない夜乃は、何気なく窓の外に顔を向ける。
 窓の外に有り得ない物があった。目を擦り、数回瞬きをしてから再度窓の外を確認した。
 どうみても窓の外に人影が見えるのだ。窓に人影が映っているのではなくて、窓の向こう側に人がいる。
 ここは三階であり、窓の外に人影が見えるなんてありえないのに。
 おかしなことはまだあって、その人物は夜乃の良く知る者ということもあるが、それ以上に、彼の背に翼の形をした漆黒の影が見えることに意識を奪われていた。
 黒のロングコートを羽織り、下に着ている衣類もすべて黒で統一されていた。コートに装飾された銀色のチェーンが光を反射している。
 眼鏡の外れた優が、窓の外に確認できた。普段の優からは想像もつかないような格好だが、確かに優だった。
 優の存在に気付いているのは夜乃だけだった。見慣れたあどけない笑顔ではなく、何処か暗さを感じる笑みを浮かべて教室の中を見ている。
 優が夜乃の視線に気付く。手を振ってきたが、それに返事を返す余裕は夜乃にはなかった。
 認めかねる情報が一気に夜乃に与えられ、認めることが出来たら次はその情報を処理しなくてはいけない。状況を受け入れることに精一杯だった。
 優の背の翼が意味することは分かっている。だが、夜乃の個人的な感情はそれの受け入れを拒否していた。
 優は堕天使だったのだと頭は認めているが、それ以外のところで事実に反発している。
 こうして夜乃が思考を格闘させている間にも、時間は流れる。
 うねるように、ゆっくりと大きく、猛禽類を連想させるような動きで優の翼が羽ばたいた。
 一瞬の沈黙。そして訪れる衝撃。
 同時に机の上のすべてのものが空に吹き飛ばされる。窓ガラスが罅割れ、形を失い破片をまき散らした。
 それはもう風などではなく、爆発によって生じる衝撃波の類だった。
 ざわつきはもはや悲鳴へと変わっていた。混沌とする教室の中で、夜乃は声も出せずに優を見ることしかできなかった。
「黙っていてごめんね。僕はヒトじゃないんだ。見ての通り堕天使なの」
 自身が作り出した惨状に目もくれず、無関係だと言うように幼さの残る笑顔で夜乃に言った。
「君を迎えにきたんだ。兄さんが君とお話がしたいらしくてね。僕は別に、サンダルフォンがどうとかは興味ないんだけれど」
 皆混乱していて、夜乃の行動を気に留める者はいなかった。ガラスの破片を踏みつぶしながら窓際に向かい、優に近づく。
「優君、どうして」
「どうしてって言われても、最初から君がどんな人なのかを知りたかっただけだもの。それだけだよ。短い学生生活だったけど、それなりに楽しめたよ。ありがとう」
 世間話でもするように気軽に優が話す。そんな優に対して何と答えればいいかが分からなかった。
「一緒に来てくれるよね。あんまり手荒いことはしたくないんだ。何ならここから僕が君を担いでもいいけれど、それじゃ困るんじゃない? それにずっとこっちを見てると変な人に思われちゃうよ」
 指摘され、窓から離れる。四時間目の終了の合図が響いた。誰も鐘の音に意識を傾ける余裕はなかったが、当事者ではない他のクラスの生徒が野次馬になり、夜乃のクラスの惨状を覗きに来ていた。
 周囲から聞こえるざわつきに呑まれそうになる。心臓の高鳴りが自身の焦りや戸惑いを分かりやすく表している。
 絡まりもつれる夜乃の頭の中を一掃するように、また一迅の風が生まれた。落ち着いていた紙類が再度散らばり舞う。
「夜乃様! 逃げてください! リリエルたちを探して!」
 幸人が全力で優を殴りつけている様が見えた。幸人が与えた衝撃で優が吹き飛ばされ、夜乃の視界から外れる。
「早く!」
 幸人の怒声が夜乃の身体を震えさせた。上手く思考できない夜乃にとって信頼のある者からの指示は有難いものだった。
 幸人の言葉を信じ夜乃は教室の出口に向かう。人ごみを掻き分け何とか廊下に出る。優に従うか幸人に従うか、考えるまでもないことだった。



 不意撃ちで殴りかかったが、手応えがあまりない。吹き飛ばされたように見えたのはただの演技か。
「やはり堕天使だったか。夜乃様には近づけさせん」
「びっくりしたなぁ。いきなりだね。痛いじゃないか」
 わざとらしく殴りつけた頬を摩ってみせた。優の顔には苦痛など浮かんではいない。人を見下したような笑みだけが張り付いている。
「やっぱり君がお姫様を守る騎士様だったんだ。格好いいね」
 黒い翼を羽ばたかせ態勢を整えた。ただ浮いているだけの、隙だらけな格好だった。絶対的な自信があるのかは知らないが、幸人には挑発しているようにしか見えなかった。
「僕に勝てると思ってるの?」
「勝ち負けは関係ない。俺は夜乃様をお守りするだけだ」
 相手の誘いに乗るものか、と冷静に努める。相手にその気がなかったとしても、怒りを曝け出したところでこちらが不利になるだけだ。
「そう。だけど君じゃあ無理だと思うな」
 声を聞いた時には優が目の前にいた。優の手のひらが幸人の頬に触れていた。顔と顔との間も恐怖を覚える程に近い。不気味な笑顔が間近に迫っている。

⇒To Be Continued...

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