羽のある生活 4
作者: トーラ   2008年12月05日(金) 16時52分37秒公開   ID:Ar11ir4Sh.c
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「そうですか。仲良くなれればいいですね」
 笑顔を見せれば笑顔で応えてくれる。それで大体が丸く収まる。単純だが大切なことだと夜乃は思う。
 二人を騙している訳でもないのに、火の消えたマッチに残る熱量のような、微妙な罪悪感がくすぶる。
「まぁ、頑張ってみるけど……」
 パスタを口に運ぶ。別のソースを選べば良かったと後悔した。

 4―2

 夜乃と優が、ささやかな秘密を共有してから、少しずつ二人は仲を深めていった。今では友人と称しても差し障りはないだろう。幸人から見ても二人は十分友人に見える。
 優の明樹市見学で目ぼしい要所をいくつか回った。夜乃に誘われ幸人も何度か付き添い、交友を徐々に深めていく姿を時間の流れと共に見てきた上での判断だった。
 二人きりで出かけるのに気を遣ってのことだろうか。どんな理由があるにせよ夜乃の願いを断る訳にはいかない。
 優が転入してから一月は、週末は毎週のように出かけていた。今週は声がかからなかったので自宅待機である。
 時間を持て余していると、十中八九双子が幸人の前に現われる。チャイムも鳴らさずに家に上がり込むのは晴と陽くらいのものだ。
「ゆっきひっとくーん。お姉ちゃんに彼氏が出来たってね。しかも今日はぼっちだなんて可哀相だねー。遊びにきてあげたよー」
「こらこら陽君。本当のこと言っちゃだめよ」
 笑いを堪えながら靴を脱ぎ、幸人が許可を出すのを待たず部屋に上がり込む。ヒトの文化には勝手に他人の家に上がってはいけないという決まりがあったように思うが、彼らは天使だった。ヒトの姿をしていても、だ。
 幸人の部屋には必要最低限の家具しかなくとても殺風景だ。十代の若者らしからぬ部屋だが、幸人もまた、天使である。ヒトの常識に当てはめて考えてはいけない。
「何の話ですか……」
 横になっていたベッドから身体を起こす。晴は台所に向かい、陽は勝手に冷蔵庫の中身を確認していた。
「何にもないわねー。お客様が来たらどうするつもりなの?」
「お茶菓子の一つもないなんて幸人君にはがっかりだよ」
「貴方がた二人しかここにはきませんから」
「まるで僕たちはもてなすに値しないみたいな言い方だね。冷たいなぁ幸人君」
「それで、今日の用件は何ですか。水で良ければお出ししますけど」
 仕方がなしに、座布団を二枚床に敷き、二人を座らせる。幸人宅で出せるものは言葉どおり水くらいの物である。まだ冷蔵庫の中にペットボトルの麦茶が残っていたかも知れないと冷蔵庫を覗くと、二リットルボトルにまだ中身があった。
 背中で二人の文句を聞きながらグラスに茶色い液体を注ぐ。
「夜乃ちゃんの彼氏さんのことよ」
「さっきから彼氏彼氏と……。二人はそういう関係ではないでしょう」
「そうかしら? 夜乃ちゃんも満更でもなかったりするかも知れないのにねー。まぁ、この話も大切だけれど、別の話があるのよね」
 幸人が二人にグラスを手渡し、床に腰を下ろした。グラスを手に取った二人は茶を一口含む。
「問題の彼、怪しいと思わない?」
「それは……はい。確かにそうなのですが」
「お姉ちゃんが舞い上がっちゃってるからねぇ。幸人君も大変だろうに」
「そんなことは……」
 口では否定したものの、陽の指摘は的を射ていた。
 優は、もしかしたら天使の敵かも知れない。そんな疑惑が夜乃以外の全員に生まれていた。リリムの一件で警戒が強まったのもあるが、それを差し引いても優からは不穏な気配を感じる。
 その疑惑を夜乃に言える訳がない。だが、夜乃の護者の幸人にとっては危険因子を夜乃の傍に置き、何もせずというのはかなり精神的に負担がかかる。
「まぁ、前回は駄目駄目のへたれだったけれども、今回はもしもは許されないよ」
 不意に陽の声に鋭さが生まれた。冷水を頭から被ったように気が引き締まる。砕けた言葉を選んでいるが、陽は冗談で言っているのではない。
「……それは、重々承知しています」
「まぁまぁ、何ともなかったんだしいいじゃない。幸人君はまだ若いんだし。私たちもすぐには動けなかったでしょう。お互い様よ。あの時は、今まで何もなかったから皆の気が緩んでいた。本当は有り得てはいけないことだけど」
「姉様! だから今回はいつもより気を張ってるんでしょう」
「だけど、幸人君だけを責めるものではないわ」
「お止めください! あれは俺が不甲斐なかっただけの話です。俺以外に責任などありません」
 自身の情けなさにも苛立つが、自分の失態で無関係な二人が言い合う姿を見るのも同じ位に苛立つ。
「とにかく、夜乃様を悲しませるようなことは避けなくてはなりませんね」
「そうね。夜乃ちゃんの知らない所でこんな話をするのも申し訳ないんだけど」
「監視を増やすにしても、相手に姿を見られるんじゃあ警戒されるだけだね。お姉ちゃんにもばれちゃうし」
 陽が茶を一気に飲み干し呼吸を整えた。会話が途切れ静けさが生まれる。
「現状維持かな、やっぱり。今のところ害はないみたいだしね。このまま何もなければそれでよし」
「そうね。何もないことを祈るわ。幸人君もぼーっとしてたら夜乃ちゃん取られちゃうわよぉ」
「またその話ですか……。俺には関係ありませんよ」
 付き合う付き合わないだのヒト染みた話題をいつも愉快そうに晴たちは話す。そんな二人とは対称的に幸人はいつもうんざりしていた。
 よくもここまでヒトの文化に馴染めるものだと、呆れると同時に感心する。
「でもでも、男の子と二人でいるかも知れないんだよ。気にならないの? 嫉妬しちゃったりしない?」
「嫉妬などと……。そんな悪魔の感情を抱く訳がないでしょう」
 陽の質問にも半ば投げやりに答える。まともに相手をしていれば時間も体力も幾らあっても足りる気がしない。
「程よい負の気持ちは、ヒトを前向きに動かしたりするものだよ。何でも否定すればいいってものじゃないと思うなー。そうやってヒトは上手く大罪と上手く付き合ってるんだから」
 天使らしからぬ発言だ、と幸人は眉を顰める。幾千の時を生きてきた天使だからこそ言える言葉だろうが、幸人の根底にある常識は陽の言葉の受け入れを拒否していた。
「もう、陽君ったら。偉い人に聞かれたら大変よ」
 晴の注意も形式的なものだろう。本気で戒める気がないのは分かる。
「まぁ、幸人君。昔は昔、今は今よ。適応していかないと上手く生きてはいけないわ」
「……考えておきます」
 適応云々の問題ではなく、夜乃に特別な感情を持つことなど許されない。自分はただの護衛であり、それ以上ではない。
 自分には二人を楽しませることは出来ない。何故それを理解しないのか。
 幸人の中に、消化しきらない何かが渦巻く。あまり気分の良い物ではなかった。



 夜乃に時計塔に登ろうと誘われたのは昼休みだった。優と葉子も一緒に来るとのことだった。誰と一緒だろうが、夜乃の頼みなら断る理由はない。優と夜乃を監視できるのなら幸人にとっても都合が良かった。
 優は時計塔にはまだ行ったことがないらしく、明樹市観光の一環として今回は時計塔が選ばれただけの話である。
 放課後に集まり、時計塔に着いた頃には日も沈みかけていた。時計塔の展望スペースから見える景色に優と夜乃が見惚れていた。
「へぇ、案外綺麗なものだね」
 ガラスに手を付き景色を眺めながら夜乃が言った。夜乃の隣には優がいて、夜乃が見る景色を共有しているようだった。
「この時間に来れてよかったなー。今日は誘ってくれてありがとう」
 二人の会話を幸人は距離を置いて聞いていた。隣には葉子がいる。自然と二組に分かれていた。
「仲いいですね。あの二人」
 冷めた口調で葉子が言う。視線の先は声を向けた幸人ではなく、夜乃たちがいた。
「あ、あぁ、そうだね」
 葉子が夜乃の友人なのは知っているが、幸人は葉子とあまり面識がない。どう葉子に接すればいいのかいまいち掴みかねていた。
「幸人先輩は、二人を見て何とも思わないんですか?」
「え? どうして……」
 葉子の声自分を責めているようにしか聞こえなかった。声から不機嫌なのだと悟れる程に葉子の言葉に棘が隠されている。
「どうして? 昔からずっと仲良しだったんじゃないんですか? ご近所さんで、毎日一緒に学校に通ってるのに、夜乃先輩のこと、何とも思ってないんですか?」
「そう言われてもな……。夜乃が誰と一緒にいようが、夜乃の自由だろう」
 思っていることをそのまま口にした。その答えに間違いはない筈なのだが、葉子の態度は更に不機嫌になっていく。
「そうですか。先輩って結構冷たいんですね。夜乃先輩は何で私たちを呼んだと思います? 先輩は単純なところがあるから、皆と一緒だと楽しいから、ってとこでしょうけど。一応、幸人先輩は夜乃先輩に一緒に出かけたいと思われてるのに、先輩は一緒にいたいとは思ってない訳ですか」
 葉子の容赦ない非難が双子にされた指摘と被る。天使から指摘されるよりも、ヒトに指摘される方が説得力があり、衝撃力も備えていた。
 返す言葉もなく幸人は黙り込む。上手く葉子の言葉を飲み込むことが出来なかった。
「ま、先輩がいいなら別にいいんですけどね」
 そう言い残し、一度も幸人の顔を見ないまま葉子が幸人の隣から離れた。
 夜乃に駆け寄る葉子の姿を見ながら、自分に向けられた言葉を反復する。答えを出すにはかなり時間がかかりそうだった。蜘蛛の糸のように思考が纏わりつく。結論を出そうと考える程に絡まり答えが遠退いていく。
 もどかしさが幸人を苛立たせた。だが、この苛立ちは答えが出ないことに対してだけのものなのか。
 内側を引っ掻く何かは、楽しげに笑う夜乃が関係しているのだろうか。
「優先輩だけずるいですー。私ももっと構ってくださいよー」
「ちょっとちょっと、重たいって葉子ちゃん」
 葉子がいつものように夜乃の腕にしがみついていた。終わりの見えない思考を中断させ、彼女らの姿を眺める。
 さっきの葉子とはまるで別人だったが、じゃれあう姿は微笑ましく映る。
 夜乃が振り向きこちらを見た。顔が向き合う。恐らく視線も重なった。
 こちらを見た時、確かに夜乃の笑顔が曇った。
 夜乃の表情の変化が気になり、幸人は集団に近づく。
「どうか、した?」
 夜乃とは敬語で話さない。夜乃と二人で決めた約束事だった。約束を破るのはいつも幸人だが、公の場であれば、ぎこちなくとも砕けた口調で話すことは出来る。
「つまらなかったかな」
「そんなことないよ。気にしないで」
 表面だけは笑って見せたが、退屈そうに思わせた事実は消えない。夜乃に気を遣わせるのは本意ではない。気をつけなければ。
「幸人先輩は元々つまらなそうな顔してますもんねー」
「そうかな……」
 幸人にそんなつもりはないのだが、外からの評価と自身の認識とが上手く一致しない。何もかも上手くいかないものである。
「僕は幸人君が一緒で楽しいよ。男の友達って幸人君くらいだから」
 灰汁のない微笑で優が会話に混ざる。優も幸人が退屈していると判断していた。幸人は一言も退屈だなどと口にしていないのだが、皆の認識は一致していた。
「それは、よかった。それと、俺は退屈なんてしてないから」
 一応否定はしておく。もはや反論に意味などないのだろうが。
 優の人懐っこい顔作りは才能の域に達している、と幸人は思う。あまりに完璧過ぎて不自然に感じる程で、皮肉にもその表情に幸人は警戒していた。
 優の顔からは何も見えないのだ。濁った泉の深さを見ているようで底が知れない。それが不安を煽るのだ。夜乃の傍に置いていいものか、と。
 優から微かに感じる不穏な気配と合わさって、要注意人物というレッテルが剥がれることはない。
「どうしたの?」
 優が幸人の顔を覗きこむように見た。優は目を見て話す。同性に見つめられるというのはなかなかに落ち着かない。
「何でもないよ。時間は大丈夫?」
 夜乃に門限はないが、なるべくなら暗くなる前には帰路に着きたかった。日が沈みかけているところを見ると、夜の訪れが近いことが分かる。
「もう少ししたら兄さんが迎えに来てくれるから、それまで付き合ってもらってもいいかな……?」
「大丈夫だよー。そろそろいい時間かもね」
 答えたのは夜乃だった。夜乃の決定に逆らうような人物はここにはない。



 優の兄の話で時間を潰し、連絡が来たのは新しい話題が出来てから十分程経ってからだった。
 展望スペースから降りると、出口に一人の男性が立っているのが見えた。
 背が高く細身で、紺のスーツを着ている。幸人には一般的な社会人の姿に映った。勤め人にしては綺麗過ぎる気もするが。
 スーツ姿の男に優が手を振る。どうやら彼が迎えにきた兄らしい。

⇒To Be Continued...

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