羽のある生活 4
作者: トーラ   2008年12月05日(金) 16時52分37秒公開   ID:Ar11ir4Sh.c
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 4―1

 薄暗い空間を照らすのはろうそくの灯だけだった。頼りなく揺れる灯りが最低限の明るさを作り出している。
 仄暗い部屋と、外の世界を繋ぐ唯一の物が透明なガラスだった。手を伸ばしても届くことはないが、視界だけは壁を通り抜け、蠢くように発光する街並みを見渡すことが出来る。
 偽りの天。ヒトが作り出した虚栄の塔。その最上部で、曇りのないガラスに手のひらと額をガラスに貼り付けた少年が世界を見下ろしている。
 裾を縦に何度も引き裂いたような、特徴的なデザインの黒のノースリーブのワンピースに、幾つものフリルで装飾された同色のロングスカートという服装だ。
 満月のように白い肌と、洋服の色彩との対比で妖艶な雰囲気が生み出されている。
「良いところだね。でも、いつまでここにいるの?」
「長くはいない。目的を果たすまでだ」
 ガラスに自分以外の姿が映る。男の腕が女装の麗人を抱き抱えた。少年は背を向けたまま男に身体を委ねた。
 夜景に溶け込みそうな紺色のスーツ姿の長真の男。ネクタイは締めていない。はだけたシャツからは逞しい胸板が見え隠れしている。
「その服、女物じゃないのか」
「そうだよ。綺麗でしょう。似合ってるかな?」
 当たり前のことのように少年は答える。少年にとって洋服の性別は関係ない。自分に似合うか似合わないか、綺麗か綺麗でないか。見るべき所はそれだけである。
「似合ってるさ。また、服を買ってきたのか。この前の服はどうした」
「またいつか着るよ。別にいいじゃない。何着あっても困らないんだし。お金なんてこのくらいしか使い道がないでしょう」
 身体に絡みつく腕に少年が指を這わせ、甘えるように腕にしがみつく。
「僕ね、ヒトのこういうところは尊敬してるんだよね。着飾る事を伝えたグリゴリたちに感謝しなくちゃ。兄様はいつもその格好だね」
「お前程服に興味がない」
 少年の腕を掴み男が自由を奪う。少年はその手から逃れるような素振りを見せるが、男の腕を振り解くことはしない。
「本当にいたね。サンダルフォン」
「あぁ。お前はただサンダルフォンに近づくだけでいい。学生としてな」
「楽しみだな」
 少年が振り返り男と向き合う。男の顔を見上げ、小さく唇を震わせた。それは少年の求愛の合図だった。
 男が頭を下げ、少年の顔に近づける。
 唇が触れ合える距離まで近づくと、お互いを求めるように唇を貪りあった。
 彼らの情事は、誰の視線のない場所で、ひそやかに行われる。



 転入生がやってくる、というイベントを夜乃は経験したことがなかった。
 間立優(マダチユウ)という名の背の低い男子が夜乃のクラスに加わった。眼鏡をかけ、声も小さく、小動物を思わせるような人物だった。
 クラスメイトも過度に優に接することはなく、転入してからの数日間しか声をかける人はいなかった。
 土日を挟めば転入生に対する興味も薄れ、夜乃と同じく基本的に一人で過ごすことになっていた。
 当の優も積極的にクラスに馴染もうとはせず、声をかけられれば笑顔で対応するといった程度で、ある程度は打ち解けているようにも見えるが、輪に混ざるとまではいかなかった。
 転入生が一躍人気者になるなんてやはり想像の中でしか起こりえないものだなと、現実との差を夜乃は再確認する。
 昼休み、彼はどう過ごしているのだろうか。夜乃は基本的に昼休みを食堂で過ごしているので彼がどこでどう過ごしているのかを知らなかった。知っている方がおかしいのだが。
「どうかしたんですか先輩?」
「あいや、何でもないよ。いやね、転入生はどうやってお昼休みを過ごしてるのかなぁって」
「そういえば先輩のクラスに入ったんでしたっけ。気になるんですか?」
「ちょっとねー。まだ一言も話したことないから」
 望んで一人でいるのなら仕方がないが、そうでないのなら声をかけてみた方がいいのではないか、とずっと夜乃は悩んでいた。
 好んで一人でいる訳ではない自分と優を重ねているのかも知れない。
「なるほど。今から教室に戻れば少しはお話できるんじゃあ」
「教室にいたらの話だけどね。……うーん、じゃあ、今日はちょっと早めに帰るね。ごめんね、葉子ちゃん」
「いえいえー。先輩もたまにはクラスメイトと仲良くしないと駄目ですよー」
 さらりと、耳が痛い事を言ってくれるものだ。葉子の言うとおり、夜乃はクラスメイトと殆ど関わりがない。
「返す言葉もございません」
 後輩に実生活を注意されるのも情けない話だが、心配されるのは嫌ではない。
 先日の一件から葉子の対応が少し柔らかくなったように思う。あれから比較的穏やかな日々を過ごせていた。葉子との関係も心地よい状態のまま維持出来ている。
 葉子がそれを望んでいるのか分からないし、夜乃の望みに応えてくれているだけかも知れないが、あえてこの均衡を崩そうという気にはなれない。
「それじゃ、また後でね」
「はーい。頑張ってくださいねー」
 テーブルから離れ、葉子に軽く手を振る。
 新しく食堂に入る学生とすれ違いながら、食堂を出る。まだまだ学生で賑わいそうだ。



 優は教室の隅で空を眺めていた。数人の生徒が談笑している中でも浮いていることはなく、風景の中に溶け込んでいた。優が一人でいることに誰も触れようとはしない。一人が優にとっての立ち位置だと認められたかのような馴染み具合だった。
 傍から見れば自分も優のように映っているのだろうか、と夜乃は自身を省みる。
 別に一人が駄目な訳ではないが欠片も負い目を感じていないと言えば嘘になる。一人でいるのを望んでいるのに、一人という環境を好いているのでもない。難儀な性格をしている。
 ほんの少しの勇気を握って、優が座る窓際の机に歩み寄る。
「あー、その、どうも」
 何と声をかけていいか分からず、挨拶にもならないような言葉を選んでいた。それでも声が聞こえれば反応もしてくれるだろう。
「あ、えと、何か用?」
 確か、その、と語尾のはっきりしない言葉をぼそぼそと続ける。夜乃の名前が分からないのか。
「仲尾夜乃っていうの。一応、クラスメイトね」
「そうなんだ。殆ど初めましてだね。仲尾さん。それで、どうかしたの?」
 人あたりの良い、拒絶の感情の見られない笑顔のまま小さく首を傾ける。とても愛らしい仕草だと夜乃は思った。マスコットのような、何処か作られたような動作にも感じた。そう思わせる程に彼の動作には警戒心がない。それだけに、安心できる。
「別に用事がある訳じゃないんだけど……。ちょっと話がしたくて。どう? こっちの方には少し慣れてきた?」
 思ったよりも自然に言葉が滑り出た。初対面の人と会話するのならもっと緊張して、噛んだり、どもったりするかも知れないと不安だったのだが、案外普通に話が出来そうだ。
 人と話さないだけで、人と話すのが苦手ではないのだ。そう自分に言い聞かせる。
「うん。少しだけどね。だけどなかなか話し相手は出来そうにないみたい」
 更に笑い、顔に皺を増やす。困ったような顔で笑われるとこちらも笑みを作らなくてはいけないような気にさせられる。
 夜乃は、苦笑しながら次の言葉を考えた。
 優が会話を続かせることなく窓の外を見た。夜乃も優にならい空を見る。いつものように天使が空に浮いている。
 何気なく、手を振ってみた。夜乃の手の動きに気付いた天使が手を振り返してくれたのを見て、少しだけ気分が良くなる。
「仲尾さん?」
 意識から優の存在が一瞬抜け落ちていた。優の顔を見ると笑顔が消えていて、真顔でこちらを見ていた。一般人から見れば何もない空に手を振っているのだから、おかしくも映るだろう。
「もしかして、見えるの?」
「え?」
「その、空に浮かんでるものが」
 気まずそうに優が空に指を向けた。その先には先刻夜乃に手を振り返した天使がいた。二つの視線が見えない筈の天使を捉える。
 夜乃たちの視線に気付いたのか天使はどこかに飛び立った。
 これは、何と答えたらいいのだろう。誤魔化すべきなのか、そもそも、誤魔化せれるのか。
 嫌な汗が流れる。他人に知られてはいけないと身内に釘を刺されたことはなく、黙っていれば知られることはなかったし、今まで誰かに話したこともない。
 どうしよう。どうすればいいのだろう。
「仲尾さん?」
「は、はい」
「見えるの?」
「……は、はい」
 初めての指摘の対処方が見つからず、良く分からないまま、何故かかしこまって返事をした。
「本当に? 僕以外に見える人って初めて見たな」
 夜乃の返事を聞いて、優の顔に笑顔が戻る。相手を安心させるための物ではなくて、新しい玩具を見つけた子供のような無邪気さが見えた。これが優の素顔ではないか、と勝手に推測していた。
 見えると認めたことで別の表情を引き出せたのなら、あながち間違った選択肢でもなかったようだ。
 まだ夜乃の気持ちは落ち着いていないが、なんとかなりそうだとは思えてきた。前向きに考えれば、ただ、普通では見られない物が見えるだけのことなのだ。自分以外にも見ることの出来る者がいるのなら、そこまで気を遣う必要はなかったのかも知れない。過ぎたことだからそう思えるのは分かってはいるが。
「何だか、凄い偶然だね。私も初めてだよ。というか、聞いたことないだけだけど」
「そうだね。この町はさ、凄く多いの。天使? っていいのかな。何なのかは良く分からないけどさ」
 優の声が弾む。自分の同類が見つかったのがそんなに嬉しいのだろうか。夜乃にとっては一応隠し続けていた秘密を知られた訳で、素直に優に合わせて喜べばいいのかと悩んでいた。
 最初よりも深い苦笑を張りつけて優の笑みに答える。
 自身の異能力が話の種になるとは、夜乃も夢にも思っていなかった。



 台所から湯が煮立った、ぐらぐらという音が聞こえてくる。コンロの前には叶が立っていて、さえ箸で鍋をかき混ぜていた。
 今夜は叶の仕事がなく、週に何度かある全員集合の日だった。夜乃の目の前には詩縫が、夕食が出来るのを待ち遠しそうに、落ち着きなくテーブルに着いていた。
「まだ茹であがらないのー?」
「もう少しですよ、詩縫」
 今日の夕食は詩縫の希望によりスパゲティになった。ソースはすべてレトルト食品で済ますので、準備は麺を茹でるだけだ。
「ねぇ、お母さん。ちょっと質問なんだけどさ」
「何かしら」
「普通の人でもさ、天使とか見えたりするものなの?」
「見える人もいるわよ。珍しいけれどね。どうしたの、夜乃ちゃん」
「いやね、転校してきた人がね、天使が見えるみたいだから」
 奥から水を流す音が聞こえた。どうやら麺が茹であがったらしい。水気の残る茹でたての麺が盛られた皿を、叶が一つだけテーブルに運び詩縫の目の前に置いた。
「お待たせしました。ソースはお好きなものを。夜乃ちゃんの分もすぐに持ってきますから」
「私も運びますよ。お母さんとは違いますから」
 叶に甘えすぎな詩縫に嫌味を放って、自分の分の皿をテーブルに運ぶ。
「ちょっとは自分で動いた方がいいよ、お母さん」
「人の好意は素直に受けるのが一番だと思うわ」
 何度同じ会話をしたことか。だが、気になるものは仕方がない。
「でも、本当に珍しいですね。昔はよくいたものですよ。そういう人は預言者だともてはやされたりしてましたね」
「へぇ、そうなんですか」
 最後の席についた叶が会話に参加する。一番に皿を持ってきてもらった詩縫は、麺にかけるソースをまだ決めかねていたが、たらこソースを選んでいた。
「その人とお友達になったの?」
「ちょっと話しただけなんだけど、私も見えるって言っちゃって、そしたら凄く喜んでた」
 夜乃はバジルソースを選び、叶は詩縫と同じたらこソースを選んだ。
「だったらお友達になれそうね。良かったじゃない」
「かなぁ。ていうか、私が天使を見れるってことばれちゃったけど、いいのかな」
「私たちは別に困らないけれど」
「あまり大勢に知られると、夜乃ちゃんが困るのではないかな……と」
「そう。だったらいいや」
 詩縫と夜乃が言わんとしていることは分かった。詩縫たち、天使に迷惑がかからないようなら何も問題はない。特異な能力が皆に知れて、輪から外れるのではないか、とでも心配しているのだろうが、そもそも輪に入れていないのだから叶の心配も無駄になる。申し訳ないとは思うが。
 優も、天使が見えることは黙って暮らしてきたようだし、周りに言いふらしたりしないという確信が夜乃にはあった。
「大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。こんなこと初めてだったからどうなのかなって思っただけだから」
 二人との温度差を感じながら、優を見習って人を安心させられる笑顔を自分なりに作ってみた。上手く笑えているだろうか。

⇒To Be Continued...

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