グッドナイト、ミスターセーフ
その日はとても雨の強い日だった。
外で遊ぶのは無理だからと、クラスの子が皆でビデオを見ようと
言って家にやって来たんだ。
友達付き合いはそれほど悪いほうではなかった。
とゆうか、その頃はもう何もかもに無気力で、
他人の誘いを断るのすらどうでもよかったんだろう。
そのビデオは、最近はやっていたスプラッタホラーものだった。
ホラーものはそう怖いわけでもなかったが、さすがに話題作だけあって
グロテスク度合いが少しいきすぎていた。
…断っておけばよかったと思った。
ああ、例えばそのビデオを見て、怖い思いをしたとしても。
彼等には、恐怖心をやわらげてくれる、暖かい家族がいるんだろう。
だが、自分にはいない。
少なくとも、ここにはいない。
(なによ、あんなのただのハリボテでしょ。)
それでも、窓の向こうでする風の音に。雨が窓を撃つ音に。
どうしようもなく恐怖心が募っていった。
家族が欲しかった。
もって生まれた才能と要領の良さで、親が居なくてもこれまでなんとかなってきた。
学校や教育委員会からもその才能を認められて、奨学金をもらって。
資金面にも、生活面にも、特に問題はない。
だけど、そーゆー問題ではないのだ。
自分には、明るい未来を切り開くための才能も、素質もある。
だから大丈夫だと、そう思おうとしていたこともあった。
だけど、そーゆー問題ではない。
才能を開花させるために。生きていくために。
家族は必要ない。
ああ、だけど。
幸福であるためには、それが必要なんだろう。
家族が欲しかった。
もしくは、あまりにも五月蝿く響く雨音と、妙なビデオのせいで。
頭がおかしくなっていたんだろうか。
けれど今なら、そのとき自分の脳がいかれていたことを、こんなにもうれしく思える。
あの日雨が降っていなければ。妙なビデオを見なければ。
自分は一生、一人きりだったんだろうから。
幸福にはなれなかったんだろうから。
もうその日は眠ることを諦めて、気晴らしに夜の散歩でもしようと思った。
夜中に子どもが一人で歩き回るなど、危険以外の何者でもないのだが、
ブルーは自分だけは大丈夫だと確信していた。
いざとなれば逃げるだけの脚力も、相手の言葉をかわす話術も備えているからだ。
紺色の布地に、明るい水色の花があしらわれた
かわいらしい傘を手に持って、夜の街に歩を進めた。
雨が降っているせいだろうか。夏に近い季節だとゆうのに、なぜだか肌寒い。
家の周辺をうろつくだけでもよかったのだが、できるだけ明るいところに行きたかったので、
近くの商店街を通っていく。
もうほとんどの店はしまっていたが、自動販売機だけは年中無休なので、
「あったか〜い」ココアを一本買った。
タブを開けようと手をかけた瞬間。
ガタン、とゆう奇妙な音が、店と店の間の、小さな道から聞こえた。
ハッとして振り返る。
普段ならそんなささいな音は気にならないのだが、なにせあのビデオを見てしまった後だ。
気になって仕方がない。
じり、と、音のした方に近づく。
怖いのならいかなければいいのに、と、頭の中で自分の声が響いたが、
人間とゆうものは、こーゆー時「怖い」より、「気になる」の方が強くなるようにできているのだ。
とゆうか、安心したいんだろう。
隙間を覗いて、音を立てたネコか何かを見つければいいのだ。
そうすれば、安心して、この暖かいココアを飲むことができる。
深呼吸を一つして、実行にうつした。
そこには、ネコはいなかった。
いや…いたのかも、しれない。
赤い髪の、目つきの悪い、ネコが一匹。
お互いに何もしゃべることなく、警戒心を最大まで働かせて、見詰め合う。
とゆうか、にらみ合うと言った方が正しい。
何故こんなところに、子どもが居るのだろう?
今、自分と、目の前の少年の心にあるのは、きっとそれだ。
別に何か話すこともないのだが、このまま黙って去っていくことも何故かできなかったので、
話しかけてみた。
「…どうして、こんな所にいるの?」
なんとなく初対面の人間に対して使う文章としておかしいような気がしたが、
一応質問の意図を少年は理解したらしい。
でも、答えはしなかった。
なんとなく気になって、再び質問を投げる。
「…お母さんと、お父さんは?」
少年は黙りこくったままだった。
こうも頑なに口を閉ざされると、なんとなく言葉をしゃべらせてみたくなってしまう。
「見るな」といわれると見たくなる、人間の心理の一種だろうか。
ちょっと違うような気もしたが、そのまま話を続けた。
「駄目じゃない、子どもがこんな時間に、一人で外へ出ちゃ。」
「あんたに言われたくない。」
少年が不機嫌そうな声で言い返してきた。
予想通りだ。
「いいのよ。あたしの場合は。」
そういってにっこり笑うと、少年の眉間のしわはいっそう深くなった。
再び何かいってやろうかと口を開くと、少年は下を向いてくしゃみを一つした。
ああ、そうか。
少年がここに、どのくらい座っていたのかは知らないが、雨が降っているのに
傘もささないでいたら、寒くなるのは当たり前だ。
ふと、自分が手の中にココアを持っていることを思い出した。
ココアを差し出すと、少年は一瞬探るような目つきをした。
「飲みなさい。」
あえて命令形にして、タブを開けると少年の手にそれをおさめた。
少年は一瞬まごついたものの、寒さに勝てなかったのかあっさりそれを飲んだ。
「ねえ、お父さんとお母さんは?」
さっき答えてくれなかった質問を、もう一度してみる。
答えてくれるとは思っていなかったが、他に聞くことも思いつかなかったので、言ってみた。
「…いない。」
予想に反し、少年は答えた。
「…そう、いないの。」
目を細め、少年を見る。
かなしい顔をしていた。
「…お姉ちゃんねぇ、今日、すっごく怖いホラー映画を見たの。」
ポツリとつぶやくと、少年が目をパチクリさせる。
いきなり何を言い出すのかと思われただろうか。
「ちょっとグロくてさー、結構怖かったのよね。
家にいても怖いままだから、気晴らしに散歩でもしようと思ったの。
でも、あてもなくただただ外をうろつくのって暇ってゆうか、
なんか寂しい人みたいじゃない?」
そう言って、後方にあったダンボール箱に腰掛けた。
「だから、暇つぶしにお話しましょう」
にっこりと微笑みかける。
少年の、嫌そうな複雑そうな顔が見えたが、見なかったことにした。
何かいい話題はないかなと記憶をめぐらせ始めると、少年は諦めたように溜息をついた。
朝が来て、世界が明るくなるまで。
しばらくの間付き合ってもらうことにしよう。
ブルーはやりたいと思った事はやらないと気がすまない性質なのだ。
腕につけていた水色の時計を見ると、もう朝の5時だった。
ずいぶんと長く話していたそうだ。
とゆうか、語りかけたといったほうがいいのだろうか。
少年は「ああ」とか「ふーん」とか、短い返事をたまに返すだけなので、
ほとんどブルーの独り言だったのだ。
しかし、つまらないとゆうような素振りは見せなかったし、ブルーはたとえ少年が話を聞いてなかったとしても、楽しかった。
待ちに待っていた朝なのに、何故だか寂しい。
世間話に夢中で聞くのを忘れていたが、そういえばこの少年の名前を聞いていない。
それに、どうしてこんなところにいるんだろう?
親がいないと言っていたが、何か複雑な事情でもあるんだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていたが、もし複雑な事情があったとしても、
つい先ほどあったばかりの自分には、何の関係もないだろうとも思っていた。
それに、ただ単に道に迷って、途方にくれているとゆうのもありえるかもしれない。
眠くなってきたので、重いまぶたを閉じて、あくびを一つする。
「…眠いのなら、帰って寝ればいいだろう。」
今日は日曜だ、と付け足して、少年はひざを抱えた。
「…そうね。眠いわ。」
あくびをした時に出た涙を拭きながら、正直に答えた。
まぶたが言うことを聞かない。
少年は帰れと言ったが、どうせ、あの家でぐっすり眠れるわけがないのだ。
いっそここで寝てしまおうかな、などとゆう考えをめぐらせていたら、
目の前の少年はすでにすやすやと眠りに入っていた。
平気そうな顔をしていたが、眠かったんだろう。
「話聞いてくれて、ありがとう。」
羽織っていた上着をかけると、さっきまで座っていたダンボールをどかし、
壁によりかかって、重いまぶたを閉じた。
…今の、自分と少年の状態は、通行人に見られたら少しやっかいかもしれない。
路地裏に迷い込んだ、家なき子みたいだからだ。
ああ、でも。何故だろう。
不安をあまり感じない。
こんなにも安心して眠れるのは、久しぶりかもしれない。
不思議な懐かしさだ。
目が覚めて、少年がまだそこに居たら、名前を聞いておこう。
そうして、ブルーの意識は眠りについた。
まぶしい光が、まぶたの上から降りかかって来る。意識が浮き上がり、目が覚めた。
腕時計を見ると朝の10時だったので、大して時間はたって居ないようだが、
夢も見ないような深い眠りについていたのだろうか、妙に目がパッチリしている。
少年は、2mほど左側の方で、気持ちよさそうに眠っていた。
…ずいぶんと寝相が悪いようだ。
寝る前にかけてやった上着も、少年の少し隣でぐちゃぐちゃになっていた。
しょうがないなあと思いながら、上着を手にとってパンパンとはたき、再び少年にかけてやった。
しかし、上着をかけたとたん、少年は小さく呻きを漏らすと、起きてしまった。
「おはよう。」
「………」
少年はあたりを見渡すと、不思議そうに目をしぱしぱさせていた。
しばらくぼーっとした後、手元にあった上着に目が止まった。
「ああ、それあたしのよ。」
ブルーのほかに誰がかけたのかと言われるとそれまでだが、一応言ってみた。
「…ありがとう。」
少年はそう言うと上着をはたき、たたみ始めた。
ブルーは、まあなんてしつけのできた子どもが世の中に居るのかと思った。
先ほどまでぐちゃぐちゃだった上着が、クリーニング屋でたたまれたかのようにピシッとなっているのだ。
それに、お礼を言われるとも思わなかった。
「どういたしまして。」
上着を受け取るが、なんだかあまりにも綺麗にたたまれすぎていて、着るのがもったいなく思えてしまう。
なんだかのどがかわいたので、自販機にでも行こうかなと思ったら、
少年のお腹がぐーっとなったのが聞こえた。
「…お腹すいたの?」
聞いてみると、少年がいささか顔を赤くしたような気がした。
ふふ、と笑いがこみ上げる。
「そうねえ、私もお腹すいたし、もうそろそろ家に帰ろうかしら。」
そう言うと、少年が少しだけ悲しそうな顔をした…ような気がした。
「…ねえ、あなた…お家は?」
そう聞くと、ますます顔がゆがみ、俯いてしまった。
「…帰れないの?迷子?」
なんとなく予想していた言葉を聞いてみると、少年は首を横に振った。
「じゃあ…うーん…」
他に何があるのかと考えて、はたと気がついた。
「家に…帰りたくないの…?」
少年は、今度は首を横には振らなかった。
「…そう。」
俯いてしまった少年の頭をなでると、手をとった。
「…?」
「まあ、詳しい事情はしらないけど、とりあえずお腹すいたし、簡単なものなら作ってあげられるわよ?」
少年の目が大きく見開かれた。
しかしすぐに元にもどると、
「…でも…迷惑…」
ぼそぼそと喋ると、再び俯いてしまった。
「ああ、大丈夫よ。親居ないから。」
そう言うと、一瞬おびえたような顔になった。
「…家に?この世に?」
「この世に。」
「…まさか、孤児院に住んでるのか…?」
「え?いや、違うわよ。普通の家。」
そう言うと、いささか安心したような顔になった。
…孤児院が嫌なんだろうか?
一瞬そんな考えがめぐったが、ぐーっとゆう低い音によりその思考はさえぎられた。
今度は少年のではなく、自分の腹の虫らしい。
「あ、あはは…」
笑ってごまかしてみるが、はっきりいって無駄な行動だった。
かなり居づらい状況だ。
ふう、と溜息をついて、少年を見据える。
「…そういや、あんたの名前聞いてなかったわね。」
なんていうの?と聞くと、少年は戸惑った顔をして、黙り込んでしまった。
「あたしはブルーよ。ぶるー。」
そう言って笑ってみるが、やはり黙ったままだった。
先ほどから、しょっちゅう黙りこくったり、俯いたりを繰り返している。
ずいぶんと内気な子どもだ。
どうしたものかと思い頭をポリポリとかいてみると、少年は少しだけ顔をあげ、
小さな声で、ポツリと言った。
赤い髪の少年は、その銀の瞳に準えた名前を、持っていた。
一人でなんでもできるとゆうことは最高の名誉だ。
誰にも迷惑をかけないとゆうのは最高の誇りだ。
そう、教えられてきた。
親がいない自分にとって、孤児院の大人達は親代わりだ。
親の言うことはよく聞くようにと言われてきた。
事実、一度も逆らったことはないし、自我もさほど強いほうではなかったから、
言うことをよく聞いていたと思う。
手間がかからなくていい子ね、言うことをよく聞く子ねと言われることが、うれしかったのだろうか。
その日はとても雨の強い日だった。
”あめあめふれふれかあさんが、じゃのめでおむかえうれしいな”
そんな歌があったような気がする。
時刻は9時。保育園の遊び場で、一人ポツンとすわっていた。
…迎えを、待っていた。
だが、さすがにもう時間が時間だったので、保育園の先生に言われ外に出ることにした。
来てくれればいいなと思っていたが、きっと来てくれると、確信していたわけではない。
すこし寂しい気もしたが、大人にはいろんな事情があるんだろう。
雨は冷たかったがかまわなかった。
孤児院に帰り、玄関を通って廊下をあるいていると、出てきた女性に顔をはたかれた。
何が起こったのかわからなかったが、怒鳴られて次第にわかってきた。
何故こんな時間まで外をうろついていたのか、そんな格好で廊下を歩いたら木が傷むじゃないか、
ようはそういったことだったと思う。
その時ははたかれて痛かっただけで、特に何も思いはしなかったが、
夜中布団にはいり、一人で思考をめぐらせていくうちに、色々なことが気になっていった。
…だれも迎えに来てくれなかったから、時間が遅くなったんじゃないか。
貴方は子どもの体より廊下の木のほうが大事なのか。
どうしてはたく必要があるんだ、そういえば廊下を去っていく時「全く今日は嫌なことが多いわ」
とぶつくさ言っていたような気がする。
ああ、そうか。気が立っていたのか。
気が立っていたら大人が子どもをはたいてもいいのか?
心配していたから怒ったんじゃないのか?
心配などしていなかったのか?
親の言うことはよく聞くようにと言っておいて、向こうは自分のことを家族だとは思っていないのではないだろうか?
そう考えた時、ぞっとした。
自分には親がいない。今日からこの先も、もっと憤ることがあったとしてもここにいなければならないのだ。
愛してはくれないくせに、命令だけは聞くようにとしつけられ、ここで薄っぺらな「家族」と共にずっと暮らしていくのだ。
正直な話、耐えられない。
そこまで考えると、急に頭が冷静になった。
ここを出よう。
どうせ愛してもらえないのなら、一人のほうが気が楽だ。
これは、世の中で言う「家出」とゆう奴だろう。
行く先はない、家出してどうするのかも考えていない、住む家も、食料もない中どうやっていくのかも考えていなかった。
が、ここでないどこかへ行けるのならいいと思った。
しかし、すぐに警察か何かに補導されてしまうかもしれない。
そうしたらまた、手間をかけさせないでとしかられるのだろうか。
心配かけさせないでとしかってはもらえないんだろうな。
ともかく行こう。行ってしまえば案外どうにでもなるのかもしれない。
外は雨だった。
孤児院に自分用の傘はあったが、借りていく気にはなれなかった。
自分が雨にぬれたとしても、廊下の心配だけで、自分の心配は誰もしない。
そして、その心配されるであろうその廊下を、もう自ら進んで歩くとゆうことはないのだろうから。
門をくぐり、歩道を出る前に、孤児院を振り返ってみた。
恨むつもりはない。責めるつもりもない。
迷いも悲しみも、全く感じなかった。
いままでいままで住む家と、食料を与えてくれてありがとう。
のろのろと、歩道を歩き始めた。
しばらく歩いて、とある商店街を通った。
店と店の間の裏側の通路は、人の目につかなさそうだったので、ひとまずそこで眠ることにした。
しかし中々眠れずに苦戦していると、物音がなった。
ひょこりと、茶髪の少女が通路にはいってきた。
それがはじまりだった。
とりあえず、びしょぬれだったため風呂にはいるよういって、適当に服を渡した。
その間に何か作ってしまおうと、がさごそと棚をあさり、ホットケーキミックスを取り出した。
分量をよく見て、ボールに放り込んでいく。
なんだ以外に簡単だなと思い、フライパンに油をいれてボールの中のものを流し込んだ。
シルバーが出てきた頃には、異様に分厚く、真っ黒に焼け焦げたホットケーキができていた。
こげを除けば食べられるかなと思ったが、中身が生同然だったためやめておいた。
「あはは、ごめんね、あたし料理はどうも…作り直さなきゃ。」
「…俺、できる…」
「え?」
シルバーはポツリというと、ブルーの手からミックスをとり、片手で卵を割って混ぜ始めた。
「片手で割れるの?すごいわね〜」
「・・・・・・・」
無言で油を引き、しばらくたったあと、ボールの中身を半分流した。
その後できあがったホットケーキを食べながら少し話をした。
誰かと一緒に食事をするなんてとても久しぶりで、懐かしくて、これがずっと続けばどんなにいいだろうかとブルーは考えていた。
シルバーはといえば、やはりまだ少し警戒心のようなものがあるらしい。
心を開かせてみたかった。笑顔で語りかけてくれたらどんなにいいだろうと思った。
だから、言ってみた。
「貴方の事情はよく知らないけど、喋れとは言わないわ。
でも行く場所がないなら、ここに居てくれていいのよ。」
シルバーは黙ったままだった。
とりあえずその日は家に泊まっていくことにしたようだが、翌日はどうだかわからなかった。
しかし、その心配は無用に終った。
朝、包丁のトントンとゆう音に起こされ、リビングに行ってみると、シルバーが朝ごはんを作っていた。
「あ〜いいにおい〜…」
そうつぶやくと、シルバーが振り返った。
「…台所…勝手に使って…」
「ん?ああ、いいのよ。何作ったの?オムレツ?」
「…うん。」
テーブルに広がった料理を見て、なんて幸せなんだろうと思った。
朝ごはんにかかわらずいえることだが、ブルーは料理ができないため、
食事はいつもコンビニかスーパーで適当なものを買ってすませていたのだ。
顔を洗ったあとさっそく席について、食事をとりはじめた。
味も見た目も、普段食べているものにくらべれば100倍いい。
まだ自分よりもだいぶ年下であろうはずの少年が作ったとはとても思えなかった。
トーストをひとかじりした時、シルバーがふと口を開いた。
「…あの…」
「ん?」
もぐもぐしながら返事をする。
「…俺…本当に…ここに…」
「…………」
「…………」
しばらく沈黙が続いた。
しかし、シルバーが言いたいことはわかっていた。
「…あたしね、誰かと一緒に食事するなんて久しぶりだったの。」
「…………」
「…ずっとこれが続けばいいって、思うわ。」
シルバー見開いた目で、見上げてくる。
「いてもいいのよ。うちには親もいないし、あんたとさして年の変わらないあたしに、遠慮することないじゃない。」
帰りたくなったら、帰ってもいいけど。と付け加えると、シルバーは首を横に振った。
「…帰っても、孤児院の人は…俺たち孤児を家族だとは思ってくれない。」
シルバーは俯いて、床を見つめた。
ここにつれてくる前に、シルバーがまさか孤児院に住んでいるのかと、
不安そうな顔で聞いてきた意味が、わかった気がした。
「…ねえ、シルバー。ここにいてもいいけど、一つ提案していい?」
そう言うと、シルバーは顔をあげて、怪訝そうな顔でこちらを見た。
「…あたしね、家族がほしかったの。ホラー映画見て怖くなったら、一緒に笑ってなごんでくれる、家族が。」
トーストの最後のかけらを口にほうりこむと、シルバーの方をみて、言った。
「あたしのこと、姉さんって呼んでくれない?」
しばらく目をパチクリさせていたシルバーが、ふと、一瞬だけ笑顔を見せたような気がした。
心配もしてもらえず、かまってももらえず、ただただ「いいこ」にしていれば、褒めてもらえるだけの世界。
孤児院に居た時は、あれが普通だと思っていた。
とゆうか、それしか知らなかったから、他に比べようもなかったのだ。
だがしかし、今なら分かる。
正直な話、ここに来る前の生活がどんなものだったのか、思い出すとちょっと嫌になる。
むしろ、あれを普通だと思い込み、大人の都合のいいように生きていた自分が嫌だ。
全く無知とは恐ろしい。
だが、今ではもう、そんなことは関係ないのだ。
孤児院を出たばかりの頃は何も考えてなかったため、とにかく行けばなんとかなると思っていたが、
本当になんとかなってしまった。
とゆうか、事態はかなりいい方向に進んでいる。
早めに気づけてよかったと、つくづく思う。
もしこれに気づかず、ずっとあの孤児院で育っていたとしたら、
自分は命令を忠実に守り、目的のためだけに動く、機械仕掛けの人形になっていただろう。
あの日家出をして本当によかった。姉という家族ができて、本当にうれしかった。
きっとブルーも、自分という弟ができて、うれしいんだろうと思う。
お互いの気持ちが痛いほどわかる。
ブルーが、「家族が欲しかった」と言ったときの気持ちが、苦しいほどにわかる。
わかるから、こうして暮らしていけるのだ。
普通なら、「赤の他人と同居なんて不可能」のはずが、可能になるのだ。
ブルーは絵本を読んでくれたり、棚からずいぶん前のクレヨンを引っ張り出して一緒に絵を書いたり、
といかく空いている時間は全て自分との遊びに使ってくれる。
いままで遊び相手も居らず、遊ぶことに楽しみを覚えられなかったシルバーにとって、とても嬉しいことだった。
だがしかし、普段は学校に行っていていない。
その間、自分は家でぽつんと一人でいる。
本当ならば保育園に行っている筈なのだが、もし孤児院の連中に連絡されたらと考えると怖かったので、行かなかった。
ブルーはそれに対して何も言わなかった。
だがしかし、夕食の用意をしたり風呂を沸かしたりと用事がたくさんあったので、暇ではなかった。
強制されたわけではないのに、自然と家事に手がいってしまう自分がちょっとおかしい。
そうして、出会って2週間がたったある日、ブルーがそばのレンタル屋からビデオを借りてきた。
一つは、まあなんともおどろおどろしい表紙の、スプラッタホラー物だった。
「2人で見れば怖くないわよ♪」
といって意気揚々と再生ボタンを押した割には、ブルーは結構怖がっているように見えた。
(悲鳴とかはあげなかったものの、口元がかなり引きつっていたので、怖がっていたと思う。)
自分はといえば、全く全然ちっとも怖くなどなかった。
ぎゃああ、と言う悲鳴をあげて、人が化け物に内臓を穿り出されてるシーンでも、別段何も感じなかった。
そういえば、怖い、という感覚は、あまり持ったことがなかった。
そう思った瞬間に、ふ、と、ちょっと前のことを思い出した。
――手間をかけさせないで――
ぞわ、とした。
表情には出ていなかっただろうが、すさまじい寒気が背筋を走った。
…愛してもらえていないかもしれない、これからも愛してもらえないかもしれない。
そんな、あの時の不安よりは、こんなスプラッタホラーなど、ちっとも怖いはずがなかった。
「…シルバー、平気そうね…こーゆーの怖くないの?」
ブルーが青い顔で聞いてきた。
怖いのなら見なければいいのに…と思いつつ、こくりとうなずいた。
「ええ?嘘、本当に怖いって感じないの?」
ブルーが目を見開いてこちらを見る。
「うん、感じない…。…何も…」
そう言って俯くと、ブルーが、なんだか悲しそうな顔をしているように見えた。
…思えば、家出をしようと決心したあの日の、あの恐怖感以外、
「これが嫌だ」とか、「これがしたい」等の感情は、あまり感じることがなかった。
もしや、既に機械人形への道を歩んでしまっていたんだろうか。
何も、感じなくなりかけていたんだろうか。既になっているんだろうか?
そう思った瞬間、何故かブルーの腕の中に居た。
よしよし、という声が聞こえてきて、頭をぽんぽんと叩かれる。
あ、そうか、と思った。
―自分が、機械人形であるはずがない。
今深い優しさに包まれて、安心感に泣きそうになっている自分が、機械人形のはずがない。
自分には感情があるのだ。
当たり前のことなのに、自分の中で大きな革命がおこったような感覚だった。
その後、スプラッタホラーは消して、ブルーが借りてきたもう一つのビデオをみることにした。
そっちはちっとも怖くなどなく、血も噴出さない、
メルヘンチックな絵柄のうさぎが大冒険をする子どもの喜びそうなビデオだった。
子どもの喜びそう、などと大人びたことを思った割には、テレビに釘漬けになっていたことは秘密である。
シルバーと出会って、1ヶ月がたった。
いままでの人生の中で一番、と言っても過言ではないぐらい、楽しい1ヶ月だった。
最初はあまり笑わなく、自分から発言することもなかったシルバーだったが、
時間がたつに連れて、感情を表に出すようになった。
そして、自分の事も少しだけ…聞けば答えるようになった。
シルバーは、生まれた時からずっと孤児院にいたそうだった。
父親の顔も母親の顔も知らないし、何故孤児院にいたのかもよくはわからないといっていた。
ただ、それでも日々に疑問を感じることは無く、大人の言うことを聞いていれば、
愛してもらえるとずっと思っていたと、自分は馬鹿だったと、苦い顔で語った。
けれど、一つだけ嬉しそうに話していた。
孤児院の従業員からは、一つも愛情など感じられなかった。
だがあの孤児院の院長のおばあさんだけは、とても優しくて、好きだったと。
そう言った後、あのおばあさん、なんだか姉さんみたい、などと言い出すので、
「あたしはおばあさんどころか、おばさんにもまだなってないわよ」というと、シルバーがくすくすと笑った。
内心では、そのおばあさんにちょっと感謝していた。
その人の存在が無ければ、シルバーは本当に、大人の勝手に押しつぶされてしまうところだったんだろうから。
ブルーは、シルバーが行っていたと言う孤児院に、少し心当たりがあった。
とゆうか、実はブルーの学校から少し歩いたところに、小さな孤児院があって、もしやそれではないのかと思っていたのだ。
シルバーは、あまり外に出ようとしない。
家出というか…勝手に抜け出してきた以上、みつかることを恐れるのは当然だろう。
だがしかし、それがシルバーにとっていいことだとは思わなかった。
なんとかして、怖がることなく外を歩けるようにしてやれればいい。
最初は孤児院の周りを探り、脅してみるとか、そういった不穏な方法ばかり考えていたのだが、
シルバーの言いようだと、院長だけはそこそこ話がわかるらしい。
シルバー君はもう何も心配いりません、私が預かります。
保育園も別のところに編入させますので、書類ください。
…少し年齢が上とはいえ、シルバーと同じ子どもである自分がそう言って、通じるかどうかはわからないが。
シルバーは、自分の家族だ。
自分には家族が必要で、彼にも家族が必要なのだ。
それに、あれだけ孤児院を嫌がっているシルバーを、帰すわけにも行かないじゃないか。
こちらは、いざとなれば本気で脅しでもなんでもかけてやるつもりでいるのだ。
不穏な想像に不気味な笑みを浮かべていると、開けていた窓から風が入り、クレヨンがごろごろと転がった。
「…姉さんは、なんで親が居ないの?」
「え?」
クレヨンを転がらないように箱に入れていると、シルバーがそう言って見上げてきた。
質問の内容を、「聞いてはいけない事」ではないのかと心配するような、弱弱しい問いかけだった。
「うーん、ぶっちゃけると聞いた話だけど…
私、昔なんかの誘拐事件に巻き込まれちゃってね、しばらく行方不明になってたらしいの。
パパとママは私を探しに行って、なんかよくわかんない間に一緒に行方不明になっちゃって…」
そう言うと、シルバーが目を丸くしていた。
「…なんかよくわかんない間って…そんないいかげんな…」
あはは、と笑う。まあもっともな言い分だろう。
「周りの大人は大騒ぎだったけど、私は…あの時は何も感じなかったわ。
パパとママがいなくても生活していけたし、私は…自分一人でなんでもできると思ってたから…
まあそのうち帰ってくるだろうなとか呆然と思ってたのよね。」
そう言って、俯いて床を見る。
…ああ、そうだ。今思えば自分はずいぶんと馬鹿者だ。
自分ひとりで、生活はしていける。
それは今でも思っているし事実だ。自惚れでも過信でもない。
だが、そういった問題ではないだろう。
「…でもさ、いいかげんにでもならないと、どんどん絶望的な考えばっかり浮かんでくるのよ。
駄目人間っぽいセリフかもしれないけど、結局のところ”本音”って素っ気無いもんだし。」
ゆっくりと顔をあげ、シルバーの方を見る。
俯いた時垂れ下がった髪が、顔にまとわりついて目を隠した。
シルバーの顔が見えなくなったが、それでもよかった。
「家族がいなくても平気だなんて思ってたくせに、どうして家族が…
…アンタがここにいると、こんなに安心するのかしら。」
それは半分独り言のように、ポツリと口から漏れた。
自分は、普通の子供とは違うと思っていた。
他の子がいきなり親と離れ離れになれば、泣き喚いたり、寂しいと駄々をこねたりするだろう。
だが、自分は違う。親がいなくなったって、こんなにも冷静で、こんなにも平常心だ。
それはある意味何かの自信のように、心の中心で柱を担っていた。
しかし、そんな自信は虚しいだけだ。
泣き喚いていればよかったんだ。それが普通の子供だ。
何も恥ずかしいことではないのだから。
あの時何故、パパとママがいないなんて、辛いと。
生活に問題は無いとか、ひとりでなんでもできるとかそんな問題をおいといて、
家族がいないこと自体が辛いのだと、寂しいのだと。
何故思わなかったのだろう。
思っていれば両親が帰ってくるわけじゃない。
ただそうしていれば、こんな自己嫌悪などは感じなくてすんだだろう。
現実的な問題ばかり考えて、両親がいないこと自体を悲しめなかった自分。
家族などいなくても平気だと思い、自分はなんだってできると大きな事を言いながら、
赤毛の少年を見つけ、家族が再び手に入ると思った途端、心の底から喜び安心した自分。
長い月日がたってようやく、その虚しさに気がついた自分。
「姉さん。」
シルバーの、よく通る声が聞こえた。
風が吹いて、垂れ下がっていた邪魔な髪が揺れた。
「それは、姉さんが普通の子供だからだよ。」
揺れる髪の間から、呆然としたような、すっきりしたような顔のシルバーが見えた。
「…昔の自分が信じられなかったり、馬鹿だったって後悔したりするのは、人間として当たり前のことだけど。
姉さんは、そーゆー難しい問題の前に…両親が好きだろう?」
それならきっと、親子として何の問題もないよ。
シルバーの言葉が、やけに脳に沁みた。
風がやんで、再び髪がだらしなく垂れ下がった。
手でそれを払い、顔を上げる。
目の前がにじんでよく見えなかったが、とても優しい笑顔が見えた気がした。
ある日、ブルーはケーキ屋に赴いた。
ウインドウをしばらく眺めたが、ケーキなんてものを買うのは久しぶりで、どれを選んでいいかわからなかった。
とにかく何かどれも長ったらしい名前をしていたが、まあ恐らくどれを買っても、
まずくて食べられないということはないだろうと結論付けて、ブルーは店員に声をかけた。
「この列のケーキ、片っ端からください。」
ケーキの箱を3つも持って帰ってきた姉を見て、シルバーは随分と驚いていた。
「並んでたやつ1列分もらってきたから、どれか気に入るのがあると思うわよ。」
そう言って、買ってきたケーキを箱から取り出す。
「…姉さん、何でこんなにたくさん…ケーキ買ってきたんだ?」
シルバーが不思議そうに、大量のケーキを眺めていく。
「あたしねー、ちょっと健康には悪いけど、ワンホールのケーキ食べるの夢だったのよ。
でもやっぱワンホールそのまんま買うよりは、ワンホール分のいろんなケーキ買ったほうがお得だし、
あんたも喜ぶかなーと思って。」
そう言って、一つ目のケーキの箱の中身をすべて出し終わり、ブルーは紙でできた箱を畳んで捨てた。
「それに今日…あたし誕生日だから、ケーキたくさん買っても誰にも文句いわれないかなと思って。」
そう言うと、シルバーは少し驚いた顔をした。
「え…今日?」
「うん、今日。シルバー、あんたも手伝って。」
2箱めにとりかかりながらそう言うと、シルバーは3つ目の箱の中身を丁寧に取り出していった。
ようやくすべて出し終わると、テーブルの上はケーキで埋め尽くされ、他に物が置けなくなっていた。
「さてシルバー、まずどれ食べる?」
「あ、えと…姉さん。」
台所からフォークを持ってきて聞くと、シルバーは正座して落ち着かない顔をしていた。
大体シルバーがそうやって落ちつかなそうにしているときは、何か言いたい事がある時だった。
「…誕生日おめでとう。」
ブルーは、しばらく目をしぱしぱさせた後ぱあっと明るい笑顔になった。
立ち上がってシルバーを抱き上げ、くるくると回ってはしゃぐ。
「誕生日って楽しいわね!」
シルバーは腕の中で呆然としていたが、ブルーは夢のようだと思った。
誕生日を祝ってもらうことを、それほど強く望んでいたわけではない。
父や母との別れを悲しくないなどと思っておきながら、そんなことを望むのもおかしいような気がしたからだろうか。
しかしそれでも、こうして祝ってもらえると言うことは、たまらなく嬉しかった。
3重苦の人間が始めてものの名前や意味を知る時のような、不思議な感動がそこにあった。
ひとしきり回った後、ブルーは弾む足でテーブルに戻った。
「おーし、じゃあ食べるわよ、ひたすら食べるわよー!
もっかい聞くけど、シルバー、アンタどのケーキが好き?」
ブルーの手動メリーゴーランドから開放されたシルバーは、テーブルの端のほうに座ると、
並ぶケーキたちを前に神妙な顔で言った。
「ケーキ食べたこと無いから分からないな…。」
「じゃ、かたっぱしからゴーね。」
ブルーはまず右端のケーキをとった。
しばらくたつと、全てのケーキはあまることなく二人の腹に納まったが、
ブルーもシルバーも甘いものの食べすぎによる胃のもたれに苦しんだ。
「やっぱ甘いものは少しがいいわね…なんか気持ち悪い…」
腹部をさすりながら、ケーキについていた銀紙をゴミ箱に捨てる。
「…さてシルバー、どのケーキがおいしかった?」
気を取り直して聞くと、シルバーはしばらく考え込んで、悩みながら応えた。
「…一番最初に食べた、あの白い…苺の乗ったヤツ。」
ブルーは今さっき食べたケーキたちの味を思い返しながら、確かにあれもおいしかったわね、と言った。
「ところでシルバー、お願いなんだけどさ、夕食は辛いものにしてくれる?」
そう言ってふりむくが、シルバーの姿は無い。
きょろきょろと周りをみわたすと、冷蔵庫から何かをとりだしていた。
視線に気付いたのか、不思議そうに振り返ったシルバーの手には、
「激辛!泣くほど辛い」と書かれたカレールーがあった。
「呼んだか?姉さん。」
ブルーは何故だか笑顔がこみあげてきた。
「んー?いや…やっぱ私達って以心伝心なのかなと思って。」
テーブルに頬をつき、笑いながら言うと、シルバーはまたきょとんとした顔になった。
すう、と息を吐き、顔を引き締めて、小さな門を開けた。
門はあまり綺麗でもなかったが、デザインは子供の喜びそうなかわいらしいものだった。
門の向こうに続く道はところどころに花が植えられており、傍らの庭には遊び道具が転がっていた。
ブルーは少し歩いた後建物の扉の前につき、チャイムを震える手で押した。
バタバタという音のあと、エプロンをつけた若い女性が出てきた。
「以前こちらにお世話になっていたシルバー君を預かっている者なんですけど、
院長さんにお会いしたいんです。」
ブルーはできるだけにこやかに、丁寧に言った。
こーゆー時の、大人の作り笑顔のようなものはかなり得意だった。
従業員はブルーの発言の後、急に顔色を変えた。
院長に会いたいと言うブルーの言葉を完全に無視して、シルバーはどこに居るのか、
一体何故いなくなったのか、預かっていたのなら何故もっと連絡をよこさなかったのかと聞いてきた。
そしてしまいには、教えないのなら誘拐罪で警察に連絡するとまで、ヒステリックな声で言い放った。
これにはさすがに笑顔を作れなくなり、ブルーも反論したが、相手は全く持って聞き入れようとしない。
ブルーの頭の中で何かがブチリと音をたて、怒りは言葉となって口を出た。
「ああそう!じゃあもういいわ!」
乱暴に扉を閉め、くるりと踵を返すと、大股で門まで歩く。
頭に血が上っていたため気付かなかったが、はたと目の前を見ると、ここに居るわけのない人物が目に入った。
それは、少し前に知り合った赤目のサッカー少年だった。
「…アンタこんなとこで何してるの?」
呆然と立ち尽くす少年、レッドにそう言って近づくと、レッドはなんともいえない表情をした。
「まかしとけ!院長には絶対会わせるぜ。」
レッドはニカッと笑いながら言うと、門を勢いよく開けた。
ブルーは、その少年に強い期待をよせながらも、先ほど聞いた話を未だに少し信じられずにいた。
レッドがここに来たのは、ブルーがぼうっとしていたためやらかしてしまった失敗のせいだ。
自分がそんな失態をやらかすとは思っても見なかったので少し驚いたが、信じられないのはそれではない。
なんと、レッドはここの孤児院に世話になっていたことがあると言うのである。
孤児院に世話になるということは、すなわち親がいないと言うこと。
この目の前で笑う少年に、親がいないなどと、考えもしなかった事である。
そしてそれを、ケラケラ笑いながら話すのだ。
子は親がいなくても育つというが、この少年と自分の差に、ブルーは考え込まずにはいられなくなった。
「…ねぇレッド、アンタ親がいなくなったとき悲しかった?」
そう聞くと、レッドは急ぐ足をぴたりと止めた。
「え…んな事言われてもなぁ、俺小さかったし…全然覚えてねーや。」
こちらを振り返り、顔をポリポリとかきながら、言った。
「…親がいなくなるって、どーいうことなのかしら。」
ブルーは俯いて、ポツリと言った。
レッドは不思議そうな顔をしたが、かまわず続ける。
別に喋れば受け止めてくれるとも思っていないし、そうなって欲しいわけでもなく、
ただただ漂う思念だけをこぼすような感覚だった。
「あたし…アンタと同じように、パパやママがいないわ。
でもいなくなったとき、そんなに悲しくなかったの。
あたしは他の子とは違うから、みっともなく泣いたりしないんだって思ってた。」
レッドは目を見開いて驚いた。
自分が、レッドに親がいないと分かった時驚いたように、彼も驚いているのだろう。
「今思うと、すごくおかしい事だわ。
おかしいけど…親ってなんなのかやっぱりよく分かんない。
普通の子が親を亡くすとどうなるのかも、分からない。」
言い切ると、やたらと悲しい気持ちになった。
「…分からないのは、怖い…」
ぎゅっと、自分の服を握り締めた。
同じ境遇にいる人間の気持ちが分からないのは、とても怖い。
いつ相手を傷つけるのか分からないからだ。
あの日、シルバーは優しく笑っていた。
あの笑顔に随分と心を救われた。自分は大丈夫だと思うことが出来た。
何か、革命的な思考の転換が、できたと思っていたのに。
何故こうも気持ちが沈むのだろうか。
「あのさー、ブルー。そんなこと聞かれても、俺だって親がいなくなった時の
普通の子供の反応なんてわかんねーぞ。」
レッドは頭をポリポリかきながら、バツが悪そうに言った。
ブルーは、まあそりゃそうだろうなと思った。
「アンタも大概普通じゃないからね…今度からもうちょっと普通の子供に聞いてみるわ。」
「んー…俺はこれで普通なんだけど…何かよく無神経とか自分勝手とかって言われるんだよな。」
「いや…それはその通りだわ…。」
「でも一応、酷い事とかは言わないし。自分勝手って言われるけど、そんなに嫌われたこともないかな。
…あー…でも一回強烈にうざがられた事もあったなー、もちろん後で友達になったぜ。」
レッドは空を呆然と見上げながら、もうここにいないけど、と独り言のようにつぶやいた。
「ブルーも俺のこと自分勝手とか思ってるかもだけどさ、そんなに嫌いでもないだろ?」
視線をこちらに向けて、否定のしようがなくなるような爽やかな笑顔をむけてきた。
「相手を嫌ってる人間がいくら嫌ってないフリしたって、相手には嫌われてるのが分かるように、
相手を大事にしてる人間が多少何かやらかしても、相手には大事にされてるのがわかるもんだよ。」
レッドは身振り手振りまでつけて必死に言いたいことを伝えようとしているのだろうが、
悲しいかなブルーにはその表現がよく分からなかった。
「アンタのフォローは非常に分かりづらいわ…。」
ブルーがなんともいえない表情で溜息をつく。
もう悩むのも面倒になってきたので、とりあえず歩き出した。
レッドの言ってることはよく分からなかったが、それでも心が少し浮いたような気がした。
「うん。だから、俺の言ってることわからなくても…落ち込んでるのをフォローしようと
してるんだろうなって思ったら、何か嬉しくなるだろ?」
結果オーライ!といって、レッドも後を追いかけてきた。
そこでブルーは、ようやくレッドの言いたい事が少し分かったような気がした。
「ま、ようは気持ちの問題だって。」
レッドはふわりと笑うと、ブルーを追い越し孤児院の扉の前へと走り出した。
チャイムを鳴らすと、今度は年配の女性が出てきた。
先ほどの若い女性が、事情を話してベテランに対応を頼んだのだろう。
ブルーは今度は笑顔を作らずに、キッと相手をにらみつけながら、扉の前に立った。
年配の女性は、さすがさっきの若い女性のようにヒステリックにはならなかったが、
やはり言ってることは同じだった。
ブルーがはあ、と溜息をついた瞬間、後ろからレッドがひょこりと顔を出した。
「おばさん相変わらず頭固いねー!そんなこと言わないで中にぐらい入れてよ。」
年配の女性はしばらくパチクリとレッドの顔を眺めた後、さあ、と顔が真っ青になった。
「…れ、れれれレッ…ド…くん?」
「お久しぶりー!院長居る?あ、入っていいよね。」
レッドは真っ青になっている年配の女性を無視してさっさと上がりこむと、
呆然と立ち尽くすブルーの手を引いた。
「なー、顔パス利いただろ?」
階段を上りながら、レッドは得意げに言い放った。
確かに中には入れたが、ブルーはさっきのアレがいい意味の顔パスではないことを分かっていた。
(…ていうか、アンタあの青い顔が目に入らなかったの…?)
ズキズキ痛む頭を抑えつつ、とりあえず2階までたどり着いた。
「えーと、院長室は…3階だっけ?」
レッドが少し間うんうん唸っていると、階段近くの部屋から先ほどの若い女性が顔を出した。
女性はブルーの顔を見た瞬間驚き眉をひそめたが、追及の言葉は口から出なかった。
「…あ、おばさんもまだここで働いてたんだー元気してた?」
そう言って、レッドは爽やかな笑顔を向ける。
ブルーは、その二人の間だけ気温が一気に10℃ほど下がったように思えた。
女性はしばらく青い顔で固まった後、「院長ー!」と叫びながら3回へと駆けていった。
「あ、やっぱり3階なんだ。そうだよな、偉い人って大概高い所が好きだもんな。」
レッドはそう言うと、後を追うように階段を駆けはじめた。
3階に上がると、先ほどの女性が一番奥の部屋に入るのが見えた。
恐らくアレが院長室なのだろう。
「えーと、じゃあ、これから院長室に殴りこ…じゃなくて乗り込むけど、
院長は他の従業員と違ってそんなに嫌な人でもないから、安心してよ。」
レッドはガチガチに固まったブルーになだめるように言うと、院長室へと歩き出した。
ブルーは、ここに来る前考えていたシナリオのようなものを頭の中でリピートしながら、
レッドの後にふらふらと続いた。
(…これが修羅場ってヤツね。)
フッと乾いた笑みをこぼしながら、頭の中でこんな事を言える程度の余裕はあるのだと分かり安心した。
院長室は、今までの部屋に比べると少し綺麗だった。
とはいっても、ここで言う「綺麗」は、「掃除がきちんとされていて綺麗」でも、
「装飾が綺麗」でもなく、「あまり使っていないから綺麗」の部類に入ると、ブルーは何故だか思った。
部屋に入ると、二人の人間が居た。一人は灰色の髪の落ち着いた老婆で、
もう一人は先ほど叫びながら走っていた女性だった。
若い女性は顔をますます青くしながら、「院長来ましたよ!」と騒ぐ。
しかし院長と呼ばれた老婆は気にする様子も無く、紅茶をコップに注いでいた。
紅茶を注ぎ終わってようやく、院長はゆっくり顔をあげると、レッドとブルーの存在に気がついた。
報告に来た女性を院長が無言で見つめると、女性は少し戸惑った後、
ちらちらと気がかりそうに振り返りながら出て行った。
「報告に来てもらってとても助かったと思ったわ。紅茶を入れる余裕ができたから。
でもあの子が言ってたのは一人だけだったから、コップが全員分ないのよ。
ごめんね、えーとピンク君だったかしら。」
「レッドだよ…つーか報告もらったって事は名前聞いたって事じゃないの?性質の悪いギャグ?」
とんでもない名前の間違い方をされたレッドが微妙な表情でツッコミをいれる。
「いえね、あの子が来た赤目の子が来た歩くトラブルが来たって騒ぐもんだから、大体想像はついたのよ。
でもよっぽど混乱してたみたいで、名前は言ってなかったの。
そう、レッド君だったわね。ピンクの方がかわいいと思うけど。」
老婆はふわりと笑うと、棚からもう一つコップを取り出した。
レッドは手をひらひらさせながら、一応「おかまいなく〜」と言った。
「…懐かしい再開を邪魔して申し訳ないけど、院長さんお話よろしいかしら。」
ブルーは笑顔を作らず、けれど睨み付けもせずに、普通に話しかけた。
「あ、えと、コイツちょっと院長に話があってさ…」
「ええ、聞いてるわ。シルバー君の面倒見ていてくれた人でしょう?お名前なんて言うのかしら。」
レッドが珍しくフォロー側にまわろうと口をはさむと、院長がにこやかに聞き返してきた。
「あ、一応話聞いてたのな。」
レッドがポリポリと頭をかく。
ブルーは少し瞬きをしたあと、
「…ブルーです。」
とだけ言った。
「そう、ブルーちゃんね。紅茶にお砂糖いるかしら?レッド君も。」
「結構です。」
「あ、俺はいるー。」
院長は、じゃあひとつでいいわね、と言って、棚からスティックの砂糖をとりだした。
そしてこちらに歩いてくると、席に座るように言って、三つ目のコップに紅茶を注いだ。
「…会ってすぐ連絡をいれなかったのは謝ります。
でもシルバーはここに帰る事を嫌だと言ってます。怖がってさえいるんです。」
ブルーはそう言うと、紅茶に反射する自分の顔に目線を落とした。
「…そう。」
院長はうっすらと目を細め、少し悲しそうに微笑んだ。
ブルーは予想外の反応に少し戸惑いながらも、表面には出さず淡々と話を続ける。
「私は今日、この孤児院とシルバーの縁を切るために来ました。
あの子はあなた方に見つかることを恐れて、外にも出れません。
後の面倒は全て私が見ます。書類を下さい。」
一通り言い終わると、まっすぐ院長を見つめる。
院長は紅茶のカップを手に取ると一口飲んで、同じくまっすぐな視線を返してきた。
「…シルバー君がそうしたいというのなら、あなたのところにおいてもらいたいわ。
ただ、貴方がシルバー君と一緒にいたいと思っても、あなたの両親はどう言ってるの?」
院長は持っていたカップをテーブルにおろすと、真面目な顔で聞いた。
「私、親はいません。シルバーのことを反対する人は誰もいませんよ。」
そう返すと、院長は少し驚いた顔をした。
「あなた、一人でどうやって生きてるの?」
「家はローン無し家賃無しですし、学費は奨学金をもらってます。
食費は祖母と祖父が送ってくれてるので、今の所お金で困った事は一度もありません。」
淡々と、今の暮らしについてを話しておく。
「お金は大丈夫って言っても、家族がいないのはお金が無いより大変よ。」
院長は少し目を伏せて、静かに言った。
「…だからシルバーと暮らしていたいんです。やっと、家族がいないと悲しい事が分かったから。」
そうつぶやいて、ブルーは少し、笑った。
院長は、それを見ると少しだけ、驚いたような顔をした。
そしてしばらくの沈黙の後、話を続けた。
「私は、子供だからといってきちんと責任をとれるはずがないと決め付けはしません。
あなたは子供だけど、しっかりしてるしね。
ではどうして世の中で子供が責任を背負うに相応しくないと言われるのかと言えば、
それはやはり、何かをする時責任を背負えない、または投げ出す子供が多いという事実があるからです。
だから、私も貴方を少し疑ってるわ。本当にシルバー君をまかせていいのか不安です。
あなたには反対する人はいないけれど、同時に間違ったことをしても止める親はいないのだから。
シルバー君はここを嫌がっているというのに、こんなことを言う資格は無いかもしれないけど、それでも心配なのよ。」
ブルーは、静かにその話を聴いた。
その話には、とんでもない説得力と、迫力があるような気がした。
何よりも、きいていて納得できるのである。責任能力を疑われているというのに、納得できるのである。
そして、ここまで一言も喋らず話を聞いていたレッドは、ブルーの隣に腰掛け
神妙そうな顔をしている割りに、実はあまりよく分かっていなかった。
(そんなに心配しなくても、大事なもののためなら責任でも何でも背負えると思うけどな。)
それとも、いつか大事でなくなる日が来るかもしれないということだろうか。
そんなことがあるのだろうかと少し考えたが、確かに、どんなに仲のいい友達でも喧嘩で絶交になる事がある。
そしてそれは、子供であれば子供であるほど喧嘩の理由がつまらなくなるものだとも思う。
だが喧嘩を中々忘れられず、謝ることが出来ないのは、年月を経て頭の固くなった大人たちだと思うが。
「今は子供でも、シルバー君はこれからどんどん成長していくんです。
お金ももちろん大変だし、たまに喧嘩もするかもしれない。
だって人間と、しかも血のつながっていない人と暮らすんだから。
それを分かってますか?投げ出さないと誓えますか?責任を背負えますか?」
院長は、厳しい表情で言った。
ブルーは、先ほど「責任」について説かれた時、少し不安になった。
今は、シルバーと一緒にいたいと思う。喧嘩しても仲直りが出来ると思う。
責任を、とれると思う。
だが、1年後、2年後、3年後はどうだろう。
絶対に大丈夫だと思っているが、それでも、未来の事はわからない。
「…私は、何て言えばいいのか分かりません。
シルバーがずっと、あたしの家にいてくれたらいいと思う。
簡単に投げ出してしまえるようなことは絶対ないと思う。
でもあたしは予言者じゃないから、3年後5年後10年後も変わらずいられると、言い切れはしない。
今ここで言い切ることは簡単だし、言い切ってしまいたいけど…
さっきの話の、責任を投げ出す子供達だって、背負わされた当初は
絶対に投げ出さないと胸を張って言えたはずなのよ。
だからあたし…あたしは、ここで何て…」
―何て言えば、許しをもらえるのだろう。
何て言えば、嘘ではない誓いになるのだろう。
急に不安や焦りが生まれた。
ブルーが頭の中をぐるぐるさせていると、ぽん、と頭に何かがおかれた。
「ごめんなさいね、少し大げさに言ったの。
もし貴方が簡単に投げ出す人だったらどうしようかと思って、少しきつく言っただけなのよ。」
頭に置かれていたのは、どうやら手だった。
ぐちゃぐちゃした頭の中をなだめるように優しく撫でたあと、手はそっと離れていった。
「責任を投げる子供も、最初は自信にあふれているといったけど、
だからといってあなたが自信をなくすことは無いのよ。
その自信は、責任を投げる人の自信じゃないわ。
責任を投げる人の自信は、盲目的なのよ。周りが見えていないからこその、自信。
でもあなたが持つ自信は、シルバー君を思ってこその自信でしょう?
3年後5年後なんて、むやみやたらと考え込むものじゃないわ。
石橋は叩きすぎると壊れるんですよ。」
「そうそう!細かいこと考えてると頭がまぶしくなっちゃうぜ!」
ようやく喋るタイミングを見つけたレッドがフォローにならないフォローをいれる。
「レッド君、紅茶冷めますよ。」
そう言うと、レッドは慌てて紅茶を飲んだ。
ブルーは今の院長の一言が、「ちょっと黙ってろ」という意味を持っているのだと直感した。
しかしレッドは気付かない。
「さて…と、書類のことだけど、手続きは全てこちらでやっておきますね。
シルバー君のことはあなたにおまかせしますけど、一つ約束してもらいたいことがあるわ。」
ブルーは、パチクリと瞬きをした。
(………え?)
拍子抜け、と言うのはこのことを言うんだろうか。
ものすごくあっさりと許しをもらい、頭の中で回っていた無駄な思考回路がふっと消えた。
「や…くそくって、な、なんですか?」
拍子抜けしたままで、口だけを動かして聞く。
「シルバー君の学費はこちらで支払います。これも、ある種責任の問題ね。
あと、一度だけでいいので…どうしても嫌がるなら私の方から行きますが、
シルバー君と一緒に、またここに来て欲しいの。あの日から荷物もそのままだし…
ここまで言っといてまだ疑ってるのかって思われるかもしれないけど、
やっぱり元気な姿を見て安心したいわ。」
そう言うと、またあの、目を細めた悲しい笑顔を見せた。
「…ええ、必ず来るわ。シルバーも、貴方のことは好きだったって言ってたから。」
そう言うと、院長はハッと顔をあげて、驚いたように目を見開いた。
そして少し俯くと、気が抜けたようにふわりと笑った。
「…ところで、私も一つ聞きたいことがあるの。」
「あら、何?」
この院長に会ってからずっと気がかりだったことを、思い切って聞いてみることにした。
「…シルバーの話どおり、院長はすごく話の分かる人だわ。大事なことを知ってると思う。
でも、どうしてあんな従業員ばかり雇っているの?
あの従業員達が子供にいい影響与えてないこと、少しは気付いてるんでしょ?」
そう言うと、院長は困ったように笑った。
「…あの子達はね、昔ここであずかってた子供達だったの。
少し感情的になりやすい人もいるけど…本当は優しいのよ。
皆子供が憎いなんて事は決して無いし、悪意もない。
…悪意が無ければ、いつか大事なことに気付いてくれると…思いたかったのかもしれないわ。
でも最近忙しくて、皆気が立ってたのね。シルバー君にもショックを与えてしまった。
けど私が昔面倒を見た子だから…もう決して子供ではないのに、どうにも甘くなってしまうのよ。」
院長は、駄目ね、といって苦笑した。
そうして話しているうちに、もう外が真っ暗になっていることにブルーは気付いた。
「…色々と、ありがとうございました。そろそろ帰るわ。」
そう言って、ブルーは紅茶の最後の一口を飲み干すと、すくっと立ち上がった。
「ブルー…ちゃん。」
レッドを連れて外へ出ようとすると、院長に声をかけられた。
「シルバー君が道を間違えそうになったら、ちゃんと叱ってあげて。
…叱ってあげられる家族になって。」
こうはならないように、と続きそうな、悲しい物言いだった。
それは痛いほどの説得力を持ち、ブルーの心にしっかりと記憶させた。
部屋を出ると、若い女性が廊下の向こうでうろうろしていた。
「おーい、もう話終ったよー」
レッドが手を振りながら近づくと、女性はまた真っ青になった。
…そういえば、いまだ謎が残る。
(コイツここで何してきたんだろう…)
はあ、とブルーは長い溜息をついた。
梅雨から夏へとぬける時期。
空は多少雲が出ていたものの、青く美しかった。
庭では子供達が遊び、自分はその遊び相手となっていた。
毎日の日課だが、こう雨の多い時期や天気の変わりやすい時期は、いちいち空に気を使わなくてはならない。
子供を濡らしてしまい、風邪でも引かせたら大変だ。
だからこそ、この青空は嬉しかった。
風がふき、さわさわと木の緑が揺れる。
こう天気がいいと、走り回って遊ぶより、絵本でも読んで聞かせたくなるのは何故だろうか。
ふと騒がしい声がしたので振り返ると、一人の子供がかまってほしさに、
洗濯物を干す従業員の邪魔をしているようだった。
従業員はしばらく格闘した後、「いいかげんにしなさい!」と怒鳴った。
子供は泣き出し、従業員はおろおろした。
不謹慎かもしれないが、子供を泣かせてしまった後の、このおろおろした顔が好きだった。
人間的な優しさを感じ取れるような気がして、嬉しかった。
勢いに任せて怒鳴ってはしまうものの、泣かしてしまったら悪いと思う。
ごく当たり前のことだが、それが人間の持つ優しさだと思った。
泣かせてしまったことを強く後悔するわけではなく、次同じことをされたら
また怒鳴って泣かしてしまうのだろうが、その不器用ぶりすら愛しかった。
ふと、数日前のことを思い出した。
あの日、自分は叱ることも大事だということを少女に話した。
だが、叱らずともいいのかもしれない。
人間的な優しささえ見失わなければ、ほんの少し不器用を解消してやるだけで、
随分と違うのではないだろうか。
そう思っていると、いつの間にかさっきの子供は泣き止んで、他の子供達と一緒に遊んでいた。
同時に、泣き止ませるために全神経を注ぎ込んだ従業員が、ぐったりしているのが見えた。
あとで、洗濯物を干すのを手伝ってやらねばならない。
「忙しさ」も取り除いてやらなければ、本当の気持ちを見失ってしまう。
従業員は起き上がり、白いシーツを目一杯広げて、竿にひっかけた。
後方で、キィ、と言う音がした。
この孤児院の古い門を開けるときになる、耳障りな高い音だった。
振り返ると、赤い髪と長い茶髪が見えた。
茶髪の少女は、赤い髪の少年と少し会話をすると、立ち止まった。
そして、赤い髪の少年が一人で近づいてくる。
院長、と呼ぶ声は、記憶のそれより覇気がある。
ふわりと笑った笑顔は、穏やかで、優しかった。
涙が出そうなほど、優しかった。
しかし涙を流したのは自分ではなく、空だったようだ。
急にあたりがくらくなったと思えば、丁度頭上に雲が集まっていた。
子供達を全員中にいれると、茶髪の少女は、仕事もしないで遊んでたんですか、と言った。
しかし、子供と遊ぶことが自分の仕事のようなものだとおもっていたので、仕事はしてるよ、と答えた。
少女はくすくす笑うと、その割りに院長室は使ってないみたいだったわ、と言った。
確かにその通りだったので、そこは何も言わなかった。
しかし、何故院長室をあまり使っていないことを知っているのだろう。
そうこうしている間に、ぱらぱらと雨が降ってきた。
雨が降ってきたから上がっていけばどうかと言ったが、
長居をするつもりはないので酷くなる前に帰ります、と断られた。
やはり中にははいりたくないのかな、と思いながらも、元気な顔を見れただけで嬉しかった。
しかし、とりあえず、おいていった荷物を持って帰ってもらわねばならない。
少し待っててね、と言った後、中にとりに走った。
こんなこともあろうかと、荷物を全てまとめておいてよかったと思う。
白い紙袋の中には、赤い髪の少年の服や、保育園で使っていたクレヨンなどがはいっていた。
もう必要ないだろうかと迷ったが、物を大事にするあの子は、
新しいクレヨンが手に入ってもこちらを使うだろうから。
そうすればほんの少しでも、楽しく絵を描いた事を思い出してくれるかもしれないから。
そう考えながら走ろうとしたとき、ふと窓から外が見えた。
二人の姿はなかった。
大急ぎで走ろうとすると、消えたはずの赤い髪と茶髪にばったり会った。
お年寄りに走らせちゃ駄目よね、と言って、茶髪の少女は紙袋を受け取った。
そういえば、随分息が乱れている。自分ももう年ということだろうか。
しかしそんなことよりも、ただひたすらに嬉しかった。
なんと優しい子供達だろうか。
入りたくもない建物の中に、この老婆を気使って入ってきてくれたのである。
また涙腺が潤んだが、この優しい子供達を心配させてはならない。
ぐっとこらえると、二人と共に玄関へと歩き出した。
ふと、前を歩いていた赤い髪の少年は振り返った。
そして、ごくごく自然な雰囲気をまといながら、言った。
「お世話になりました。」
自分に対してなのか、誰かに言ってるのか。
それとも卒業生がこれから去る学校の校舎を愛しく思うように、この建物に言ってるのだろうか。
分からないまま歩き続けた。
玄関につくと、雨の音が大きく聞こえた。
降り始めから少し時間がたったからか、外はそこそこに降っていた。
走り抜けていけないこともないが、濡れてしまうだろう。
あ、と。思った。
そうだ、まだあったのだ。忘れ物が。
あの日の彼には、必要でなかったかもしれないもの。
だが、今は。
心配させたくない人がいるだろう。
心配してくれる人がいるだろう。
そう思うと、今度こそこらえきれずに、涙がこぼれた。
年をとると涙腺が弱くなるというのは本当なのだろうか。
だが子供達は既にこちらに背中を向けていたので、見られはしなかった。
去ろうとする背中をひきとめて、1本の傘を、渡した。
あとがき
ようやく終りましたね青銀姉弟小説。
いや、最初はオリキャラにする気なかったんです…なかったの…
何故って若流さんは版権小説に下手にオリキャラが関わると冷めるタイプだから…(ぉ
とりあえずなんていうか、「人間って複雑だなー」と言いたかったみたいです。
複雑で複雑でもうマジどーしよーもねーなコレとか思うんですが、
どーしよーもないものって時に愛しかったりするんですよ。
馬鹿な子ほどかわいいって奥の深い言葉ですね。
こんな小説かいてますが、普通の場合家出なんてものは97%失敗に終ります。
ましてや茶色の髪の素敵な姉様に拾ってもらえる確立なんて
デスノートが自分の所に落ちてくるぐらい低い確率です(何ソレ
だから良い子の皆、この小説を家出マニュアルにしたりしないでね!(バチコーン=☆
今回、あまりコメント書く気になりません。
フォローすべきところはたくさんあるんだけど、オチが満足いったので。
終り良ければ全て良しって奥の深い(以下略
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