詩使


 私は丹波の詩使…詩使と申しますのは、その国に伝わる説話や神話などを他国の方々へ伝え歩き旅する者にございます。さて、今夜お伝えいたしますのはとても暖かく優しいお話でございますが、お話を始めます前に固くお誓い頂きたいことがございます。このお話を私から聞いた事は決して他言なさいませんよう。長い年月を経てこられた分お話そのものにも不思議な力が宿ると申します。今までふとお口がお緩み致しました方々のご家族は皆、不思議不吉の死をとげております故、どうぞ細心のご注意をお払いくださいまし。

 私の生まれました丹波には今では比叡山と呼ばれます山がございます。私の村はその比叡山のふもと。貧しい民が皆苦しみ助け合い毎日を過ごしておりました。ある時、村の童子が山へ狩に出かけた折、ひとりの娘子と出会いました。娘子は山をやっと登った辺で、必死と御足を抑えうずくまっておられ、足のけがの深さに童子はやっと登った山をすぐに引き返したのです。村に戻った童子はすぐに親の元へ娘子を運び看病に当たり、そのお陰あってか娘は五日後の明朝には童子、そして童子の家族、暖かく迎えた村にお礼を述べ村を後に致しました。

 しかし、その後村を襲ったのは恐ろしい流行り病でございます。お医者様もおられない村でございましたので、幼子、年寄りと弱って参りました。かつて娘子を助けすっかり成人した童子は名を丙ノ介とし、毎日村人の看病の為、山へ登り薬草を摘む毎日。そんな時でございます。月も息を呑み、天を照らす星々のような輝きを放ち、四万十川をそのままにした美しい黒髪を持つ美女が丙ノ介の前に現われたのです。その美女は以前丙ノ介が助けた娘に他ならず、以前のお礼に村へ向かう途中だったと申しますので、丙ノ介は村の流行り病の事を告げ、移ってはいけないからと娘を帰そうと致しました。しかし、娘は止めるのを聞かずに肩にかけていた蝶の羽に似た羽衣を一振り。その羽衣に丙ノ介を乗せ村へ降り立ったのです。村で苦しむ村人を目の前に、娘は手をかざし、暖かな光で病人を包み込み次々と村人の病を治したのでございます。また、流行り病の原因は村奥の井戸の汚れにあると知った娘は井戸の水さえも美しく透き通る水へ変え、村を救ったのでございます。生き返ったように活気を取り戻した村は娘へ感謝の意をこめまして、宴を開きましたが、娘は丙ノ介の腕を引き宴を抜けてしまわれました。そして美しいその髪を風になびかせながらこう囁いたのでございます。私は以前助けて頂いた恩返しに、流行り病を治しました。しかし、私のあの力は山の神から授かった力。これは本来、関係のない方々に知られて良い力ではございません。ですので、私の不思議な力が村より外へ漏れてしまいますと罪を犯したことになり山の神に命を奪われてしまいます。この事を丙ノ介殿の御口から村の方々へお伝えして頂きたいのです。丙ノ介が頷いたのを確認するとまた美しい衣を一振りし、娘はあっという間に姿を消してしまったのです。丙ノ介は急いで村人を集め娘から聞いたことを伝えました。村人は娘に深く感謝し誰へにも口を開くことを致しませんでした。

 その後丙ノ介はといいますと、すっかり娘に心を奪われてしまい、毎日山へ行き薬草を摘んでは娘を思い出しておりました。本来人間と会うことなど許されない娘もまた丙ノ介に恋焦がれ、その様子を見た山の神は神無月の新月の日、一番神の力が弱まる頃に娘から神の力を奪い、人間とし、二人はそのたった一日だけ人間の男と女として逢瀬を繰り返しました。しかし、役務で離れの村に行っていた丙ノ介は流行り病を患ってしまったのでございます。娘は丙ノ介を助けようと致しましたが、村以外の場所で力を使うことは適わず、丙ノ介も村へ病気を持ち帰らぬようにと考え、丙ノ介は流行り病に溢れた村でひとり息を引き取りました。娘は悲しみに明け暮れ、山の神の元から離れ生涯孤独に暮らしております。

 今となりましてはこのようなお話はありふれておりますし、説話や伝説を信じる方もとても少なくなり、丹波も京都と改名され、数多の明りが常に光り輝く高層建築に姿を変えました。婆には居辛いと感じる事さえも少なくなく…あぁ、申し分けありませぬ、どうしてか歳を取ると話が長くなりますな。では、年寄りはこれで退散致しますが、くれぐれも先のお話、そしてこの婆の事は誰にもお話しなさいませんようご注意くださいませ。

あとがき

「不思議」をテーマに書きました。

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