それは懺悔でも贖罪でもなく 銃声が聞こえたと思った瞬間、右肩に激しい衝撃と熱を感じた。 獣の咆哮(ほうこう)のような絶叫が、鼓膜(こまく)に響く。 衝撃はすぐに凄まじいまでの痛みに変わり、熱は膨大さを増して血脈を皮膚(ひふ)を神経を食い破り焼きつけた。 あまりの熱さに人体が発火したのかと思い反射的に左手で肩を押さえると、燃えるように熱い血があふれ指の間を 通り一瞬にして気に入りの上着を赤黒く染め上げていった。 「――――ッ」 唐突に視界に光が戻り、目の前の扉が開かれた。 訳も分からず呆然としている彼の瞳に映ったのは、足元に転がっている拳銃と小さな子供と男と。 つい先ほどまで法廷で顔を合わせていた、神となるべく教育されてきた『狩魔』の完璧な、 完璧でなくてはならなかった経歴を汚した、愚劣な弁護士。 「……御剣……」 だらしなく首を傾け床に座り込んでいる男の名を呟(つぶや)き、まるで何かに導かれるように 彼はエレベーターの中へ足を踏み入れた。狭い箱の中は異様な熱気に包まれていて、 まだ廊下(ろうか)以外の非常灯が復旧していないのか薄暗く気持ちの悪い息苦しさを覚えた。 継続する右肩の痛みも熱も狂ったように胸を焼き、急激な嘔吐感(おうとかん)とめまいが狩魔の思考を襲う。 何も考えられない頭で、必死に状況を把握しようと正常に機能する『眼』だけが絶え間なく映像を脳裏に複写していく。 足元には一丁の黒い拳銃、すぐ横には自分を神聖な法の場で辱めた男。 不快な耳鳴りに混じり、誰かの声が聞こえたような気がした。 何かが何かを囁(ささや)く音、言葉を理解するまで数秒の時間を要した。 その声は言う。 神罰を下せ、と。 誰が他人の命令になど従うかとせせら笑いながら、狩魔は無事な左手に付着した血を簡単に服で拭い拳銃を拾い上げた。 一片の迷いもなく、銃口を男に、御剣信に向ける。 「……これは、神罰などではない」 頭の中でうるさく騒ぐ声を、一括する。これは力ないただの卑屈な人間が起こす、不合理な復讐だと。 何故なら、この世には神など存在しないから。 「もし本当に居るのならば、正義をのたまっていたこの男が悪と罵られた私に殺されたりなどしないだろう?」 銃声が、一発。 御剣の身体が跳ね、首が揺れた。左胸からおびただしい量の血流があふれ出し、うなだれた顔が小刻みに痙攣(けいれん)する。 衝撃に目を覚ますかと思いしばらく様子を窺(うかが)っていたが、眼鏡の奥から覗く瞳はいつまでも閉じられたままで、 片目のまぶたが少しだけ持ち上がったがその眼に色はなくとても何かを映し出しているようには見えなかった。 「……簡単だな……ふふッ ははははッ」 何かが途方もなくおかしくて、声を上げて笑った。 それまで犯罪者の気持ちなど知る由もなかったが、初めて殺人犯の境地を実感した。自分が思っていたよりもそれはあまりに 短絡であっけなさすぎて、こんな事を否定したり正当化したりするためだけに弁護士や検事が存在しているのかと思うと 滑稽(こっけい)すぎて笑うしかなかった。 しかしその乾いた笑いも、やがて収束を迎える。 エレベーターの奥に横たわる、一人の少年に自然と視線が移った。色素の薄い髪に幼いながら整った顔立ちで、 狩魔は今は閉じられているその瞳が髪と全く同じ綺麗な銀色である事を知っていた。 御剣はいざ審理が終わるとそれまで敵対していた者でも立場も何も関係なく平気で愛想よく話しかけるような男で、 例外なく狩魔も裁判所まで出向いた息子を嬉しそうに紹介された事があった。 相手の目を見てきちんと挨拶のできる、どこか『子供』の形容が似つかわしくない父譲りのきまじめそうな少年だった事は 覚えていたが、軽く受け流していたせいかどうしても名前が思い出せなかった。 加えて冷静になってその少年について考えを巡らせると、ふと自分の娘と同じ年の頃だと思い至りそれまでどこか高揚していた気分が 急速に重く沈静していくのを感じた。 狩魔の妻は趣味のクレー射撃のサークルで知り合った女で、3年の交際を経て17歳も年上の彼に結婚したいと申し出てくれた。 6歳と2歳になる娘達は元気で愛くるしくて、ひざの上に座らせ絵本を読んであげているだけで絶対に嫁になどやるものかと つい感傷的な気分になるほど可愛くて仕方がなかった。 家族は、かけがえのない大切な存在。 しかしそれは、御剣信にとっても同じ事だった筈だ。 きっと尊敬のまなざしで父の背を見つめていた少年は、憎悪と非難に色を変えた瞳で自分を睨みつけるのだろう。 どうして父を殺したのかと、返して欲しいと泣きながら訴えるのかもしれない。 御剣に向けられていた銃口が虚空(こくう)を滑り、少年の頭に標準を定めた。 右肩が痛くて熱くて、呼吸が浅く荒くなり一度は沈下しつつあった思考が徐々(じょじょ)に取りとめもなく散漫になっていく。 父親が意識を取り戻す事もなく絶命したのなら、今ここで撃ち抜いてしまえば少年も眠ったまま苦しむ間もなく 殺せるのではないかと。娘ほどの子供に泣きながら叱責されるくらいなら、いっそ殺してしまった方が。 引き金を引く指に、不意(ふい)に力がこもった。 『パパ、次は動物園に行こうね』 「……ッ……」 あどけない娘の顔が脳裏に浮かび、銃口が震えた。 別れた前妻に親権を取られた、元気に成長していればちょうど目の前の少年と同じ小学生くらいになっているであろう愛娘だった。 前妻の情けで最後に二人だけで出かけた帰り、にこにこと笑いながら娘がある筈もない『次』の希望を持ちかけた。 『あぁ、そうだな――――』 かなえられないその約束を、狩魔は裏切る事になると分かっていながらまだ幼かった娘と交わしてしまった。約束だよ、と。 嬉しそうに見上げてきた娘の笑顔が、冷たい床に横たわる幼い少年の姿に重なる。 殺してしまいたいのに、指が硬直して震え、動かなかった。 「……バカげている……」 痛む右腕を突き動かして首から白いフリルタイを引き剥(は)がし、手にした拳銃から軽く指紋を拭き取り足元へ放り投げた。 ついでに床に滴(したた)り落ちていた血痕も全て拭いきってからズボンのポケットにそれをねじ込み、逃げるようにきびすを返した。 無意識の内に左手で傷口を押さえ、思いのほか出血がひどく銃弾が深部にまで達している事を再認識した。 そこでようやく彼は当然の疑問に思い当たり、足を止め再び背後を振り返った。 エレベーターの中には絶命した御剣信とその息子と、偶然に乗り合わせたのであろう男が一人。狩魔の右肩を負傷させた銃弾は、 状況から判断してこの中から撃たれたと見てまず間違いはない。 では誰が、どういう経緯をもって発砲するに至ったのか。 「……そう易々(やすやす)と、逃しはしないか」 血の気の失せた御剣の顔を見やり、狩魔は口元を歪(ゆが)ませて笑った。 人を殺してしまった、自らの罪。逃げおおせるかもしれないし、捕まるかもしれない。後の事など想像もつかなかったが、 長くなる、漠然(ばくぜん)とそんな予感がした。 右肩の痛みと熱が、これで終わりではないのだと、戒(いまし)めのように通告する。 「どちらが勝つのだろうな……我輩か、貴様か」 目を伏せ、静かに笑う。言いようのない『自信』にも『不安』にも似た不確かな感情が、沸々と心の底からにじみ出てくる。 「この事件の顛末(てんまつ)を我輩が見届けてやろう、貴様に代わって」 自らに新たな目的を課し、逃げるためではなく進むために、再び歩き始めた。まばゆいばかりの光に包まれながら、 狭い死臭に満ちた箱を後にする。 その時ふと、どこか遠くに幼い子供の声が聞こえたような気がした。 歌うような楽しげなその声は、自分の娘達のようにも御剣の息子のようにも、 あるいは捨ててしまった最初の娘のようにも感じられた。 しかし狩魔には、それが誰の声であったのか、15年の時を経ても最後まで分からなかった。 終
あとがき
訳の分からない話ですみません…実はこれは今日オレが見た夢の内容でして、 あまりのリアルさに思わず文に起こした次第です。狩魔先生の感情表現が 曖昧だったり飛んでいたりするのは夢をできる限り忠実に再現した結果です、 文才がないのが非常に悔やまれます。何故こんな夢を見たのか謎なのですが、 おそらくゲームのやりすぎかと思われます…
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