ことのは〜伝えたい気持ち〜
──1──  それはほんの一瞬の出来事だった。龍神の神子を狙うセフルの手が彼女の喉をつかんだ。  少年のものとは思えぬ力があかねの呼吸を遮る。 「・・・っ・・・」  抗うあかねを見つめながら、セフルはクスクスと笑い出す。 「お館様に面白いオモチャを頂いたんだよ」  その手には透明な小さな珠が乗せられていた。コロコロとその珠を手のひらで玩びながらも、彼には僅かな隙も無い。 「動かない方がいいと思うよ?マヌケな八葉達。神子がもっと苦しむことになるからね」 セフルにあざ笑われながらも、彼らは動くことが出来なかった。何より大切な少女を失うわけにはいかないのだ。 京に現れた救いの神子を──。  もちろん、黙って彼女の危機を見ている訳ではない。敵の動き一つ見逃さぬよう、十六の目がセフルを見つめている。 「まったく、忠実な犬達だね。心配しなくていいよ。神子は殺さない・・・今は、ね」  そう言う彼の手が急に光を帯び始める。あかねは喉に熱さを感じて、体をよじるが全く動けない。 「ふわふわ舞う蝶の翅って、?ぎ取ってしまいたくなるよね?目障りなんだよ、龍神の神子!」  セフルの持っている透明の珠が見る間に曇り、ついには真っ白な珠へと変化した。 「面白いだろ?これをお館様にさしあげれば、きっと喜んでくださる・・・」  珠を懐にしまうと、セフルは嬉しそうに微笑んだ。一瞬覗かせた少年の顔だった。 「バカな八葉、神子は返すよ」  セフルが手を放すと、あかねはその場でバランスを失う。そして、セフルは姿を消した。  崩れ落ちるように倒れこむ神子に八葉が目を奪われた瞬間を彼は狙っていたのだ。彼の計画は成功した、筈だった。 「頼久、右だ!」  泰明の指示に頼久は素早く刀を振り下ろした。手ごたえはあった。しかし、そこにセフルの姿は無く、 彼が懐にしまい込んだ珠が落ちているだけだった。  泰明はその珠を拾い上げると、 「性質の悪いオモチャだな」  そう呟いて、頼久と共に神子の側へと向かった。  友雅があかねを抱きおこしていたが、その体はぐったりと力が抜け、意識を失っているようだった。 「あかね!」 「あかねちゃん!」 「神子どの!」  皆があかねの名を口々に呼ぶ。固く閉じられたその瞳が輝きを取り戻すことを願って、龍神の神子を取り囲む八葉。  泰明は、彼らに向かって呟いた。 「大事無い。神子の神気、生気ともに大きな乱れは感じられぬ。命に別状はない」 「何が大事無い、だよ!あかねの喉にはこんな痛々しい痕が残ってんじゃねえか、お前よくそんな事が・・・」 「天真先輩、やめてよ!あっ、あかねちゃん・・・!」  あかねの瞼が微かに動いたかと思うと、ゆっくり開かれた。  心配そうな詩紋の顔が一番に目に入ってきた。喉がまだ少し痛かったけれど、あかねは笑って見せた。 『心配かけちゃったんだね、ごめんなさい。でも、私は大丈夫だから』  あかねは友雅の腕から体を起こし、そう言った。筈だった。 『あれ・・・?』  口の動きに伴って発されるはずの声が出ないのだ。 (喉がまだ痛いせい・・・かな?) 「あかねちゃん・・・声が・・・?」 『大丈夫。まだちょっと喉が痛いだけだから。すぐ治るから』  あかねを気遣う詩紋やみんなにそう言ったのだが、やはり声は出なかった。 「神子、自然に治る、などと思っているのではないだろうな」  泰明が小さくため息をついていた。 『泰明さん・・・?』  あかねが首をかしげていると、泰明は彼女の手をとり、乳白色の珠を乗せた。 「例の鬼の子供が持っていたものだ」 『あれ?セフルが持っていたのは透明な珠じゃなかったっけ・・・?』 「声を封じると、色が変わる。この中に神子の声が封じ込められている」 『・・・じゃあ、この珠を落として割ったりしたら、声が戻ったりして?』  泰明が急いであかねの手から珠を取り上げた。 「やめろ、二度と声が出せなくなるぞ」  あかねは単純な自分の考えが恥ずかしくなり、笑ってでごまかしてしまった。 彼女のテレたような笑顔に、泰明は少し表情を和らげ、再び珠をあかねの手に戻した。 「失わぬようにしろ。神子の声だ。私も最善をつくす」 『泰明さん・・・ごめんなさい、私、迷惑かけてばっかりで・・・』 「私は八葉、神子の好きに使えばよい」  龍神に選ばれし地の玄武。八葉とは神子の道具以上でもそれ以下でもない。彼は以前そうあかねに告げた。  その表情は冷淡で、何ものも寄せつけず、受け入れようとしていないように思った。 『じゃあ・・・これを、泰明さんに預けます』  あかねは彼をまっすぐに見つめ、珠を、自分の声を手渡した。 「神子・・・?」  泰明は神子の意思を図りかねた。  彼が困惑を浮かべた目で、自分を見ている。あかねは心の奥がくすぐったい気分になって、自然に笑っていた。 『私が持っていたら、無くしちゃいそうだから。でも、泰明さんにお願いしたら絶対大丈夫って、信じられるから』  ニコニコニコ。  この状況でなぜ笑っていられるのか、泰明にはわからなかった。 わからなかったが、あかねの笑顔を見ていると、肩から力がスッとぬけて軽くなったような気がした。 『ダメ・・・ですか?』  泰明を見上げるあかねの瞳が微かに曇る。 「・・・承知した。預かろう」  そう言って、泰明はそっと珠を懐にしまい込んだ。決して割れることがないよう、大切に。  その姿を見つめるあかねの表情は、ほっとしたような微笑を浮かべていた。 「ところで、よろしいでしょうか?」  鷹通が眼鏡をかけ直しながら、あかねと泰明を見つめていた。 「どうやら私の見る限り、泰明殿は神子殿と会話をしておられるように思うのですが?」 『・・・本当だ、どうして?私の声は出てないんでしょう?』  あかねは泰明を見つめた。彼だけが、自分の声を聞き取ってくれたのは、何故・・・ 「これも稀代の陰陽師・安倍晴明殿の愛弟子の力、と言う訳かな」 「・・・声以外、神子の体に異常はない。私は陰陽寮に戻る」  泰明は友雅の言葉には答えず、その場を去っていった。 そんな彼の背中が見えなくなるまで、あかねは目をそらす事が出来なかった。  ふと、右手に意識が集中する。さっきまで泰明と触れ合っていた右手がふんわり温かい。 彼に触れたのはこれが初めてだった。  彼は必要以上に人に近づこうとしない。あかねは、そんな泰明の様子がなぜか気になって仕方がなかったのだ。  でも、と思う。今日、彼はあかねの手をとった。思ったよりずっと温かな泰明の手・・・信じられると思った。 きっと彼はあかねの声を取り戻すため、力になってくれる。  あかねは右手を見つめて微笑んだ。  そんなあかねに、誰かが後ろから腕をまわす。そんな事をするのは一人しかいない。 『きゃぁ!友雅さんっ、また・・・』 「やっぱり、驚いたくらいでは声は戻らないようだね」  確信犯だと、誰もが思った。  あかねが必死でもがくのと、天真・詩紋が邪魔をするのとで、友雅は腕の中の姫をしかたなく放す。 「つれない姫君だね。さっきもすぐに私の腕から立ち上がってしまって・・・ せっかく白雪が私の腕に舞い降りてきたかと思ったのに」  宮中一浮名を流す橘少将は、臆面もなくそんなことを言ってのける。 あかねが真っ赤になるのをわかっていて楽しんでいるに違いない、と思う。 「あかね!さっさと帰ろーぜ。友雅がまた手ぇ出さないうちにな」  天真の言い草に、頼久が笑いをこらえているのをあかねと詩紋は見逃さず、二人でこっそり微笑みあった。 ──2──  藤姫の屋敷に戻ってからが、また一騒動だった。静かな土御門殿にまだ幼さの残る少女の声が響き渡る。 あかねを送り届けた泰明を除く八葉は、藤姫から少々私情のまざった小言を一通り貰ってから帰され、 あかね本人はと言うと、外出禁止を言い渡された。 「神子様、これ以上心配をさせないで下さいませ。私、心労で倒れてしまいそうですわ・・・」 『ごめんなさい・・・』  あかねは、自分より6つも年下の大人びた星の姫を好ましく思っていた。そんな相手の、 よよよ・・・と泣き崩れる姿(泣きマネであるのは周知の事)を見せられると、下手に出るよりはなく、謝るほかなかった。 「神子様も反省しておられるようですし・・・今回のことは仕方ありませんわ」  藤姫は大きくため息をついた。 『本当にごめんね・・・』 「・・・そのお声、なんておいたわしい・・・。どうか、もうあまり無茶なことはなさらないでください。 私の力など微かですが、お役に立たせてくださいませ」  声の出ないあかねを、藤姫が心配そうに見つめている。その大きな瞳には強い意志と、そして僅かに涙が浮かんでいた。  あかねは自分の軽率さを恥じ、もう一度謝った。でもやはり声にはならない。 こんなに気持ちを伝えたいのに、言葉はあかねの心の中で繰り返されるだけでおもてに出ない。 (私・・・これからどうなってしまうの・・・?)  ふわり、といい匂いがしてあかねの手を誰かが包み込んだ。慣れ親しんだ香のかおり・・・。 藤姫の小さな両手があかねのそれを包みこんでいた。 「神子様にかけられた術のこと、私も出来る限り調べてみますから。焦ってはかの鬼の思うままですわ」 (不思議・・・藤姫には、なんとなく私の気持ちが伝わるみたい。やっぱり、星の一族のお姫さまだからなのかな・・・?)  あかねと藤姫はどちらからともなく微笑みあった。 「まぁ、やはり神子様には桜の重ねがよくお似合いですわ。私、ずぅっとそう思っておりましたの」  朝起きるなり、女房たちに囲まれ逃げる間もなく十二単を着せられ、呆然とするあかねに対して、藤姫はそれは楽しげである。 『お・・・重い〜・・・』 「その袿は私の母のものなのです・・・神子様に着て頂けたら、 亡くなった母も喜ぶのではないかと思いましたの・・・ご迷惑ですか?」  藤姫は母親の事を話す時、その瞳に寂しげな陰がちらつく。彼女が笑ってくれるなら、 少し、いや結構重いけど今日一日くらい十二単を着ててもいいかな、 とあかねが思いはじめると、藤姫がにわかに微笑んだ。 「我ながら良い考えですわ。女房装束を着ていては、いくら身軽な神子様でも、そうそうお一人で外出などできませんもの」 『・・・え?』 「声が元に戻るまで、外出は禁止と申し上げたでしょう?当分の間、毎日母の袿を着て頂きますわ。 神子様は私の母の形見を汚してまで外に出ようとはなさいませんものね?」  にっこり。極上の笑顔の裏になにやら策士の顔が見え隠れしている。藤姫は心労と引き替えに自分の趣味を満たし、 おまけに外出禁止を実行に移すつもりらしい。 幼く見えても聡い藤姫に、あかねはすっかりしてやられたのだ。  着付けられるだけでも、数人の女房によって一時間あまり、あかねに抵抗する気力はすでになかった。 (でも・・・重いよう。平安絵巻の女の人たちがほとんど座ってるのって、着てるものが重いからだって思うわ・・・絶対。)  あかねは大きくため息をついた。なんだか息をするのも大変な気がする。 (でも、よく見るとすごく綺麗。現代っ子の私でも平安のお姫様に見えるのかなぁ) 「神子様、とってもお綺麗・・・。そうですわ、髢もつけてみませんこと?」  すっかり楽しんでいる藤姫を見て、あかねは着せ替え人形になる覚悟を決めた。抵抗をしても無駄だと知っていたのだ。  十二単を着せられ、髢をつけたあかねは立って歩くのもままならない身となってしまった。 どうやって着付けられたかなど覚えていないので、おいそれと脱ぐこともできない。  おまけに、昨日まで着ていた制服と水干は藤姫に命じられた女房に持ち去られてしまった。 洗ってくれるのだと言っていたが、いつ返してくれるのか聞いても微笑むばかりで答えてくれなかった。 藤姫があかねのものを丁寧に扱わぬはずはないと思うが、あの様子では今日明日返してくれるとは思えなかった。 (あーぁ、平安のお姫様って退屈・・・でるのはため息と欠伸ばっかり・・・) 「あかねちゃん?」  突然名を呼ばれたのと、欠伸をしたのは同時で、思わず大きく口を開けたまま声のした方を見てしまった。 「わぁ、大きなアクビ。せっかくお姫様みたいに綺麗なのに・・・」  クスクスと笑いながら、詩紋が庭からあかねを見ていた。明るい色の髪と瞳が、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。  あかねは重さに耐えつつ、彼の方に近づいていった。『外はいいお天気なんだね』  声をかけたが、やはり言葉は届かなかった。輝いていた詩紋の瞳が陰る。 「まだ、声が出ないんだね。・・・待っててね、きっと声を取り戻してあげるから。 今もね、天真先輩がセフルを捜し出して術を解かせるって言って、僕たち街に出ることにしたんだ」 『詩紋くん・・・』  あかねは自分の無力さが歯痒かった。龍神の神子などと呼ばれながら、八葉の彼らに守られるだけ。 自分の身すら、自分で守れないなんて・・・ここで待っているだけの自分が心苦しくて、せめて一緒に行きたかった。  一緒に連れて行ってと言いかけて、藤姫の悲しげな顔が脳裏によぎる。今、あかねが外に出れば、 彼女がどんなに心を痛めるか、よくわかっていた。 (私にもっと力があったら・・・) 「あのね、今日はイノリくんも一緒なんだ。イノリくんには言うなって言われたんだけど・・・僕嬉しくって」  でも、イノリくんには話したこと秘密ね、と詩紋は嬉しそうに念をおした。  鬼を毛嫌い、いや憎んでいるイノリは、詩紋の髪や瞳の色が鬼のそれと似ていることから、 彼の事を八葉と認めようとせず、鬼の仲間だと決めつけていた。  あかねは、そんなイノリの誤解を解きたくて、彼曰く〈おせっかい〉をいろいろと焼いていたのだ・・・ 「イノリくんの誤解が解けて、親しくできるようになったのは、あかねちゃんのおかげだよ。」  詩紋の笑顔に、あかねは首を振った。 『それは違うよ。詩紋くんの心がイノリくんにちゃんと伝わったからだよ。だって、詩紋くんとってもいいコだもん』  あかねが手を伸ばして詩紋の頭を撫でると、彼はテレくさそうに笑った。僕もう中2の男なんだけどな、とつぶやきながら。 「あかねちゃんが龍神の神子でよかった。僕、すごいと思うよ、あかねちゃんのそーゆー力。 じゃあ、天真先輩とイノリくん待ってると思うから、行ってくるね」  詩紋はそう言うと、手を振ってあかねの前から走り去った。 『力・・・私に・・・?』 ──3──  詩紋に言われた一言は、あかねにとっては信じられないものだったが、少し嬉しい言葉だった。 (言葉って不思議。ほんの一言で嬉しくなったり、悲しくなったり・・・ ただ伝えるためだけのものじゃないんだって、失ってみて改めてわかった気がする) 「神子」 (それを言うなら、声も不思議・・・声だけで相手が誰だかわかる。気持ちも伝わる。 それで、うれしくなったり、ドキドキしたり・・・) 「神子」 (ドキドキしたり・・・??) 「神子」  あかねは心臓が跳ね上がったかと思った。振り向いて、声の主を確認しなくても、誰だかわかった。  八葉の一人、稀代の陰陽師安倍清明の弟子──  『泰明さん・・・』  いつも通り顔色ひとつ変えることなく、彼は佇んでいた。あかねの心臓は、大きく脈を打ち続けてたままだ。 「どうした?呼吸に乱れが感じられる。胸が苦しいのか?」   知らぬ間に両手で胸のあたりを押さえていた事に気づき、 あかねはぶんぶんと頭を振ってなんでもないことを伝えようとした。 『だ、大丈夫です!ちょっと考え事なんかしてて、急に声をかけられたから、 だから、びっくりして、だから・・・それだけなんですっ!』  そう、心臓が飛び出るほど驚いたってだけ。泰明さんはあまり気配を感じさせない人だから、と。 自分を納得させながら、今度は頭を縦に振った。 「神子、落ち着け。落ち着いて、私を見て話せ」  泰明はあかねの頬を両手でつつみ、じっと瞳をのぞき込んだ。彼の色違いの瞳が、不思議と心を落ち着かせた。 『・・・大丈夫です、ごめんなさい。私、びっくりして・・・』 「なぜ、神子が謝る?驚かせたのなら、謝るのは私ではないのか?」 『違うんです。泰明さんは悪くないんです。私・・・ちょっと今変なんです』 「変?」 『変って言うか・・・あれ?私、泰明さんと普通に会話できてる? でもさっきまで声は出てなかったし、それに、昨日も・・・ですよね?』  あかねが尋ねると、泰明はあかねの頬から弾かれるように手を離した。 そして、いつも強い視線を相手から外さない彼が、目をそらす。 そう言えば、昨日もこの事が話題に上ると去って行ってしまった。 『泰明さん?』  声にならないと知っていて、あかねは彼を呼んだ。けれど、泰明はあかねの方を見ようとしない。  こんなに近くにいるのに、頬には泰明の手の温もりがまだ残っているのに・・・昨日の右手の温もりも・・・  あかねは右手を見つめて、少し考えていたが、ふいに、その手を伸ばした。 そして泰明の手を取ると自分の頬に彼のそれをおしあてた。 『泰明さん』  彼は驚いたようにあかねを見つめた。 『よかった、やっと見てくれましたね。』 「神子・・・」 『すごいなぁ、泰明さん。私の声が手を通して聞こえるんですね?本当にすごいなぁ』  あかねの瞳は、驚きと尊敬と、泰明がこちらを向いてくれた嬉しさとで、満ちていた。 純粋で無垢で、汚れなき魂の依代───龍神の選びし神子は、喜びを得たとき、最も輝きを増す。 「なぜ・・・?」  彼のかすれるようなつぶやきに、あかねは小首をかしげる。 「・・・お師匠以外の者たちは、この力を、私のことを気味が悪いと言う。 人の心と言葉は必ずしも同じとは限らぬものだから・・・」 『あぁ、そうかぁ。だから、泰明さんはいつも自分の心のままに言葉を紡いでいるんですね』  泰明は目を見張った。事実を伝えれば、あかねは手を引くはずだった。 誰もがそうして彼の側に寄りつかなくなったのだから。 『でもね、もう少し言葉を選んだ方がいいと思いますよ?良く言えば〈嘘がつけない人〉だけど、 〈敵を作り易い人〉ってことでもあるし。相手が温厚な人ならまだしも、 天真くんみたいなタイプの人とは喧嘩になってもおかしくないですよ?って、この前天真くんが突っかかってましたっけ』  その時のことを思い出し、あかねはクスクスと笑っている。  彼の予想を易々とひっくり返してみせるあかねに、泰明は頭の奥がチリチリと痛むような気がした。  それは、戸惑いであり、いらつきだった。───どうして、なぜ、この娘は・・・わからない。  だからこそ龍神は彼女を見いだしたのか・・・?  普通の娘だ。異界から訪れたことと、龍神の気を宿していることを除けば、なんの修行を積んだ訳でもない、ただの娘。 華奢な躰、細い腕、柔らかな手。その手が、泰明の頬におしあてられている。呪いよって染められた頬に・・・。  泰明はあかねの手から身を引いた。 「気味が悪いとは思わないのか?」  あかねは、空を掴むその手を今度は泰明のそれに重ねた。 『はい。泰明さんに私の声が聞こえて良かったです。』  迷う間もなく重ねられた温かな手、まっすぐな瞳。少女の言葉と心からは心地良い和の気を感じる。  強大な龍神の気と神子自身の気のバランスを保っているのは、この和の気のせいか・・・ 『なんと言っても不便だし、おしゃべりな私がこんなに黙ってるなんて辛すぎ・・・あ、そうだ。 泰明さん、お仕事が忙しくない日には、ここに来てもらえませんか? 藤姫にはナイショなんですけど、外出禁止は退屈で仕方ないんです』  あかねは肩を竦めて笑った。  彼女のころころと変わる表情は、泰明にとって不思議なものだった。けれど、不快さは感じない。 『あっ・・・泰明さんが笑った・・・』  あかねは、初めて見る彼の笑顔が嬉しかった。 ほんの微かな笑顔だったけれど、とてもキレイで、もっと見ていたいと思わせる笑顔だった。 「笑う・・・私が?まさか」 『私、嘘をついてますか?』  そう、誰よりも彼自身には伝わるはずだから。  あかねに感じていた戸惑いは、自分自身に対するものへと変わった。 そして、頭の奥の微かな痛みは消え、その代わり師・清明の掛けた呪いの色を宿す頬に熱を感じる。  あかねの手がふれていた頬が・・・ ──4──  その日から泰明は土御門の屋敷へ、あかねの元へと顔を出すのが日課となった。珠に封印された神子の声を元に戻すために。  一日と置かず訪ね、ほんの半刻ほどでもあかねと言葉を交わして帰って行く。 元々口数の少ない彼のこと、多くは語らないが、少しずつ泰明のことを知ってゆくことが、あかねは嬉しかった。 「泰明殿は、本当に責任を感じておいでなのですね。お忙しいのに、毎日神子様のご様子を気にかけて訪ねておいでになるなんて」  泰明が訪ねるようになって数日たった頃、藤姫がそうあかねに話しかけた。あかねは、少し困ったように笑うしか出来なかった。 (私が、来てくださいって言ったせいで、毎日時間をさいてもらって・・・我が儘言っちゃったのかな・・・)  泰明には責任ある仕事があって、その仕事もけっして易いものではない。けれど、会話が出来ることが嬉しくて、 彼と話すことが楽しくて、つい引き止めたりしてしまっているのではないか、とあかねは心配になる。  同じ敷地内に住んでいるというのに、天真や詩紋とは一日顔を合わせない日もあるのだ。 「噂をすれば・・・ですわね。泰明殿が見えられたようですわ」  藤姫はそう告げると、あかねの部屋から立ち去った。間もなくして、衣の擦れる音が静かに近づいてくる。 「神子」  彼の声は静かに心地良く響き、あかねの元へと届く。そして、あかねの顔に自然に微笑みが浮かぶ。 『こんにちは、泰明さん』  いつものように元気よく御簾を跳ね上げ、あかねが泰明の前に現れる。そして、彼の手をとると、部屋に招き入れた。 『今日も来てくださって、ありがとうございます』 「神子が八葉に礼を言う必要などない」  彼は相変わらず感情を面に出さない、と数日前のあかねならそう思っただろう。  けれど、毎日泰明と間近で話をするようになった今の彼女は、彼のわずかな表情の変化を見逃さなかった。 『・・・なにかあったんですか?』 「・・・・・・・・・」 『泰明さん?』  彼は視線をあかねから外し、言葉を紡ごうとはしない。 あかねの困惑は泰明の中にそのまま伝わっているはずなのに、彼は何も伝えようとしないのだ。 「おや、噂通り仲睦まじいことだね?」  ふいに降ってきた声は軽やかで、それでいて華のある美しい声だった。 あかねはこれほど艶のある声の持ち主が存在することを、この世界に来るまで知らなかった。  その声と微笑みとで幾人もの女性との浮き名を流しつつも、宮中にこの人有りとまで言われる左近衛府少将、 その声の主はいつの間にやらあかねの部屋に佇んでいた。 『友雅さん』 「やあ、神子殿。お声を失われて以来、私を召して下さらないのでお忘れになられてしまったかと思い参上したのだけれどね」  友雅はチラとあかねの手元に視線を落とした。  彼女の白い小さな手は、泰明のそれに重ね合わされている。 「お邪魔だったかな?泰明殿」  友雅に意味ありげな笑顔を向けられると、泰明は無言で立ち上がった。 『泰明さん?』 「神子、私はこれで失礼する」  それだけ言うと、彼は部屋から去っていった。  あかねには何があったのか意味がわからず、ただ呆然とするしかなかった。  そんな彼女の様子を見て、友雅が小さく笑う。 「神子殿には、泰明殿がどうして急に帰ってしまったかわからない、といったところかな?」 『今日はなんだか様子が変だなって思ってたんです。 私が力になれたらいいなって思って、話を聞きたかったのに・・・それなのに・・・』  あかねは泰明の去っていった方を見て、しゅんと肩をおとした。 「そんな置いて行かれた仔犬のような目をして・・・」  友雅は苦笑混じりにそうつぶやいた。 「まったく、そんな目で男を見るものではないよ、龍の姫」 『え・・・?』 「男は連れて帰ってしまいたくなってしまうからね」 『もうっ!何言ってるんですか、友雅さん!』  真っ赤になって怒るあかねの姿に、京の名うてのプレイボーイは破顔した。 「神子殿は隠し事が出来ないタチらしい。あなたの心なら、泰明殿ではなくとも・・・私にもよくわかるよ?」  友雅はそう言ってあかねの腰に腕をまわすと、まっすぐに彼女を見つめ、頬にかかる髪をその手で梳きあげた。  こんな至近距離で友雅の顔を見たのは初めてかもしれない。彼がモテるのはわかる気がする。 端正な顔立ちに、甘い声、雅やかな身のこなしに、何もかもを見透かされているような眼差し・・・  彼の視線にさらされると、胸がザワめく。 「ほら、胸が高鳴ってる」  あかねは思わず胸に手をあててしまう。 「本当に、素直でわかりやすい姫君だ」  あかねの様子を見て、友雅が声を上げて笑う。 『もぉ!私をからかったんですね!?』  怒りながらも、いつもの彼だ、と思った。 あかねをからかっては、楽しそうに笑う彼。一瞬、いつもの彼が見せない顔が見えた気がしたが、気のせいだと思った。 「神子殿」  友雅が優しい声で彼女を呼ぶが、あかねはプイッと反対の方向を向いて見せた。まだ怒っているのだからと。 「すまなかった。可愛らしい神子殿を見ていたら、つい、悪ふざけが過ぎてしまったようだ」 (まだ怒ってるんだから。からかわれっぱなしじゃ、悔しいもん) 「仕方ない・・・」  友雅がわざとらしくため息をついた。 「泰明殿の今日の態度の理由をお話しようかと思ったのだけれど、 ご機嫌を損ねてしまったのなら仕方ない・・・出直すとしようか」 『えっ、うそっ!』  立ち上がろうとした友雅を、あかねは反射的に引き止めていた。  友雅はニヤニヤと笑っていて、あかねはまんまと彼の策に踊らされている自分に気づいた。。彼の方が役者が格段に上なのだ。 「まっすぐな姫だね、あなたは。そんな神子殿にこの話は聞かせるべきではないのかもしれないが・・・仕方ない」  あかねの真剣な表情に、友雅は小さく一息吐き出すと、おもむろに話しだした。 「あの陰陽師の安倍泰明殿が、最近足繁く左大臣家に通っているのは、思う姫がいるからに違いない」 『え・・・?』 「そういえば、左大臣殿は星の一族に縁の年頃の姫君を引き取ったとか・・・」 『は・・・?』 「最近内裏で囁かれている噂だよ。星の一族縁の姫。まさか龍神の神子だとは言えないからね」 『思う姫・・・泰明さんの・・・』 (この時代でお家に通うって言うのは、ただ通うっていう意味じゃなくて・・・確か、結婚を考えてるって事だったような・・・) 『・・・えぇ〜〜〜っっ!!?』  あかねは顔を真っ赤に染めて狼狽えだした。頭を抱え込んだり、衣の裾を弄んだり、泣きそうな顔をしたり・・・ 「純粋無垢な汚れを知らぬ龍の神子・・・。十六にもなってこんな娘がいるとは、まったく興味深いことだね」 『え?何ですか?友雅さん今何か言いましたか?』 「いや、何も。ただ、内裏というところは、とかく噂好きの集まったところでね。 しかし、ただの噂と軽く見ると痛い目にあうものなのだよ」  全く、気の休まる暇もない・・・と、友雅はわざとらしく扇の後ろでため息をついて見せた。 彼が噂で痛い目にあう事があるとは思えないのだが。  なにせ、彼は帝のおぼえもめでたい左近衛府少将、橘友雅その人なのだから。  一方、泰明はと言うと、位こそ従七位だが、その技量は師である希代の陰陽師あの安倍清明に次ぐと言われている。 噂ぐらいでその地位を危ぶまれる事はないと思うのだが・・・  それでも、あかねは自分が彼に迷惑をかけているかもしてないと思うだけで、絶対に嫌だった。 (ただでさえ、お仕事忙しいのに、毎日時間をさいてきてもらってるのに・・・これ以上迷惑かけたくないよ・・・) 「噂はまんざらでもないのかな?」 『友雅さん・・・?』 「神子殿は泰明殿に思いを寄せておいでだね」  突然の友雅の言葉にあかねの頭の中は真っ白になった。思いを寄せる・・・というのは、つまり好きだと言うことで・・・。 (好き?私が泰明さんを・・・?好きか嫌いかって訊かれたら、好きだよ? でも、それを言うなら、天真くんや詩紋くん、友雅さんだって・・・八葉のみんなのことは好きだもん・・・。 だから・・・泰明さんを好きなのは・・・)  そう、何も特別な事じゃない。通うとか、そんな疚しいことなど何も無い・・・ 『もぉっ!友雅さんったら、変なこと言わないで下さいっ!』  あかねの剣幕に、友雅は目を丸くした。 声こそ聞こえないが、彼女が自分に対して憤り、声を荒げていることは、表情から充分に伝わる。 こんな女性は、星の姫と龍の姫だけだな、と思うと、口元が自然にほころんだ。 『友雅さん!私、ほんっとに怒ってるんですよ!?』 「本当に、退屈をさせない姫君だ」  友雅は晴れやかに笑むと、あかねの頬に唇をよせた。 『なっっ・・・とっ友雅さん、何するんですかっ!!』 「友雅殿!八葉の貴方が神子様に無礼をはたらくとは何事ですかー!!」  藤姫の高い声があかねの部屋に響き渡った。  友雅は肩をすくめ、悪戯の見つかった子供のようにウインクして見せた。 「神子様のご様子を、と思い来てみて良かったですわ!友雅殿にはかねてよりお話しして差し上げねばと思っていた事がございます。 神子様、失礼致します」  友雅は藤姫に連れられあかねの部屋を退出していった。年齢的には親子と言っても良いほど年の離れた二人だが、 その力関係は微妙で、見ていて面白いなぁと、あかねは思う。  その後、友雅は大人びた星の姫の説教を上手くかわしながらも、小一時間ほど話をして土御門邸を後にしたのだった。 ──5──  翌日の天気は、あかねの心模様と同じく曇天。厚い雲が陽の光を遮ってしまっている。  あかねはこの日、やっと女房装束から解放された。しかし、それでも水干でなく、小袿という衣装を着せられている。 あの長いズルズルが減っただけでも随分マシになったので、あえて何も苦情は言わなかった。否、言うような気分で無かったのだ。  衣装は軽くなったが、心は同じように軽くなったわけでなく、むしろその逆で・・・。  昨日の友雅の言ったことが気になって昨夜はよく眠れなかった。 陽が落ちて周囲に静かな夜の帳が落ちてくると、あかねの心に小さな不安が忍び込み、落ち着かなくなってしまったのだ。  泰明は今日来ないかもしれない。昼間の彼は、明らかに心を乱していた。 ほんのわずかな変化だったが、あかねは気付いてしまったから。  友雅のもたらした言葉が頭の中を巡る。内裏での噂・・・そして、あかねが泰明に恋していると言った。  あかねは、頭を振ると勢いをつけて立ち上がった。 『ここ何日も外に出ていないのが行けないのよ、きっと。外の空気を吸ったら、すっきりすると思うのよね。うん、そうよ』  そう自分に言い聞かすと、あかねは藤姫が整えてくれた庭に下りた。 四季折々の花が絶えることなく咲くように設えてあるのだと、星の姫がはにかむような笑顔で案内をしてくれた事を思い出す。  あかねは池の端の石に腰掛けた。水面に花が映り込んでいる。これもこの庭の趣向の一つだった。 『晴れてたら、もっともっと綺麗なんだろうな』  曇り空の池に映る花はどことなく寂しげだった。けれど、優しい花達に、あかねの心は段々と癒されていると思ったその瞬間・・・ 「神子、もうまもなく雨が降る。部屋に戻れ」  後ろから声をかけられ、あかねは文字通り飛び上がって驚いた。 『泰明さん・・・』  今日は聞けないと思っていた声。いつもと変わらない声だった。  あかねもいつものように挨拶して、彼の手に触れて、笑って話をする ──はずだった。  なのに、泰明の顔を見るなり、体がカタカタと小さく震え、心臓は大きく早く脈打って、息が苦しい。 (やだ・・・私ったら意識しすぎ・・・。友雅さんがあんな事言うから・・・!?) 「神子・・・?」  泰明が一歩歩み寄り、手を伸ばそうとした瞬間、あかねはほんの半歩退いてしまった。  このほんの半歩が、このあとあかねを後悔の淵に突き落とすことになる。  一瞬彼の顔に浮かんだ表情・・・しかし、泰明は何事もなかったように、きびすを返し、あかねの前から去っていった。 雨が降るからと言い残して・・・。  わずか一分ほどの出来事だった。 けれども、あかねには、この短い時間に起こったことが取り返しの付かない事なのだとわかっていた。  立ちつくし、泰明の去っていった方から目が離せないあかねの頬に、雨の雫が落ちてきた。  『すごいよ・・・泰明さん。本当にすぐ雨が・・・』  冷たい雨が本格的に降りだしても、あかねはその場から動くことができなかった。  傷ついた彼の色違いの瞳 ──傷つけたのはあかね自身。  怖かった ──。  彼の力が?  違う。私のこの重い雲がたれ込めたような気持ちが伝わるのが怖かった ──。 ──6──  雨に濡れたためか、自責の念からか、あかねは熱を出して床に伏せてしまった。  あの日から、もう三日。泰明が姿を見せる事はなかった。毎日訪ねてみえてたのに、と藤姫は首をかしげていた。 しかし、その事に触れるとあかねの表情が心なしか沈む様子を汲み、昨日あたりからその事には触れない。  そんな心遣いを見せる藤姫にも、あかねは真相を伝えることが出来なかった。 あの時の泰明の瞳を思い出すだけで、胸が苦しくなって涙が込み上げてくる。それを抑えるだけで、精一杯だった。  何より、彼女の声は、未だ封じられたまま戻る気配も無い。 (私があの珠を泰明さんにもってて下さいって言わなければ、こんな事にはならなかったの・・・?)  自分は造られたモノだから、と心を閉ざしていた彼が、やっとわずかに笑みを見せてくれるようになった矢先だった。 (泰明さんの手はあんなに温かくて、本当は優しい心を持ってる。造られたモノ≠セなんて、もう言わせたくない)  そう思っていたのに、もう彼の悲しい瞳を見たくなかったのに、傷つけたのは自分。  会って、謝りたい。  いつものあかねなら、もうとっくに一人で屋敷を抜け出して会いに行っていただろう。  けれど、今のあかねの言葉を泰明に伝えるためには、 自分の心に巣くうモヤモヤとした形の掴めない感情も同時に伝わってしまう。  この感情は、伝えられない。知られたくない・・・その気持ちが彼女の行動を邪魔しているのだ。  「あの・・・あかねちゃん、具合どう?」  開かれた半蔀の向こうから詩紋が心配そうに見つめていた。 『・・・大丈夫だよ。ごめんね、最近心配かけてばっかりで』 「ホントに、声出ないままなんだな・・・」  詩紋の横から顔を出したのはイノリだった。いつも活気のある彼だったが、さすがに心配そうにあかねを見つめている。 病床にいる女性に滅法弱いのだ。  あかねは体を起こし、二人に部屋に入っていいよ、と手招きした。随分楽になったのだ、体は ──。 「ば、馬鹿っ。横になってろって」  乱暴な言葉の向こうに、彼が病弱な姉を思って生きてきた事を思い出す。 『本当は優しいんだよね、イノリくん』  あかねは、微笑みを浮かべていた。まだ、微笑むことが出来る自分に、少し安堵した。 「あかねちゃん、昨日より元気になったみたい。なら、大丈夫かな?」  詩紋は、ハイッと布に包まれた何かを差し出した。中に入っていたのは、黄色く熟れた木苺だった。 詩紋は一つ摘んであーんして、とあかねの口に運んだ。甘酸っぱい風味が口いっぱいに広がる。 「イノリくんがね、沢山実がなってる秘密の場所を教えてくれたんだよ」 「ばっ、馬鹿。詩紋、言わない約束だっただろーが!」 イノリの言葉に、詩紋は慌てて口を押さえる。 そんな二人の仲の良いやりとりが嬉しくて、彼らの気遣いが甘酸っぱい木苺の実のように心に広がって、涙が零れた。 「あかねちゃん!?どうしたの?酸っぱかった??」 「どうしたんだよ!?そ、そうだ。元気になったら一緒に木苺を摘みに行くってどうだ?秘密の場所だけど、あかねにも教えてやるよ」  二人がかわるがわる、あかねを元気づけようとしている。あかねは顔を上げて精一杯の笑顔を見せたが、 泣きながらも笑って見せるその姿は痛ましくて、二人はどちらともなく顔を見合わせ目を伏せた。  日暮れ前、藤姫があかねの部屋を訪れた。 「お顔の色が随分良くなられて、よかったですわ。 雨の中で神子様倒れられたと聞いた時は、わたくし生きた心地がいたしませんでした・・・」  あの日、雨の庭で立ちつくすあかねを見つけたのは頼久だった。放心状態のあかねを抱き上げ、彼女の着替えと、 藤姫に伝えるために女房を呼んだ。冷え切ったあかねの体に、頼久も藤姫も背筋が凍る思いがした。 「どうか・・・もう無茶はおやめ下さい」 『ごめんね、藤姫。いつもいつも・・・』  あの日の夜遅く、あかねが目を覚ますと、藤姫の濡れた睫毛に縁取られた大きな瞳がのぞき込んでいた。 大層驚かせ、心配させたことが容易に予想できた。  けれど、彼女は何があったのか、とは聞かないでおいてくれた。 ただ、あかねの心配をするばかりなのが、余計にあかねの心に応えた。 (こんな小さい子に心配かけちゃって、私ったらお姉さん失格よね・・・)  あかねはそっと藤姫の手を握って、微笑むと、藤姫の表情も明るく輝きを取り戻した。 「神子様が伏せっておいでなのは、八葉の皆に知れ渡ったようで、お見舞いの品が届いておりましてよ」  あかねは自分の心臓が跳ね上がった気がした。 「友雅殿と鷹通どのから」  ホッとする気持ちと、ガッカリする気持ち。なんて都合の良いことを考えているのかと、自分が腹立たしい。 「友雅殿からは上品な香ですわ。鷹道殿からは美しい御料紙と、筆と硯のお道具が。お二人の人柄のよく出た贈り物ですわね」  クスクスと藤姫が笑う。鈴の音のようだと、いつも思う。張りつめた心を溶かしてくれるような、明るい笑い声だった。  二人からのお見舞いの品を手にすると、彼らの優しさ心遣いが伝わってくる。 みんなに心配をかけてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。  龍神の神子と呼ばれながらも、実は八葉に守られているだけの自分。 「・・・神子様、お疲れになりましたか?」  あかねの体を気遣う藤姫の顔が目に入る。 (せめて、心配かけないようにしなくっちゃね) 『大丈夫だよ。ありがとう、藤姫』  微笑んで見せた。 「そうですわ。友雅殿の香をお焚きしましょう。そうそう、文も添えられておりましてよ。 本当に、友雅殿らしいと申しましょうか・・・」  藤姫は、ふうっとため息をつきながら、あかねに文を渡した。  花の枝に括り付けてある、美しい手の文だった。歌も詠んである・・・と思う。実は達筆すぎて読めないのだ。 あかねは自分の字が汚いと思ったことは無いが、ここでは相当の悪筆だろうと言う事は簡単に予想がつく。  でも、読めないと言うほど酷くはないだろう。『お習字』なら小学校の頃に少し習いに行ったことがある。  声で伝えられないなら、文字で伝えることが出来るのではないか、二人からの贈り物は、そのことに気付かせてくれた。  早速あかねは墨をすり、恥を忍んで筆を執った。 【わたしの字読める?よみにくい字でごめんなさい】  そう紙に書いて藤姫に見せてみる。クエスチョンマークはまずかったかしら、と思いつつ・・・  藤姫は長い睫毛を何度か瞬かせたあと、あっ・・・と小さくつぶやいた。 「まぁ、神子様、とんでもございませんわ。これでお声が出なくとも、お話しする事ができますわね」  あかねはホッとした。どうやら大変読み難いようだが、時間をかければ何とかなるようだった。 ただ、慣れない筆で書くのは時間がかかるので、日常会話には向かない。それに、紙は高級品だと聞くし、 必要なことを必要最小限に使うようにしようと思った。  でも、この方法であれば、泰明に会ってちゃんと謝る事が出来るのではないか・・・と気付く。 心の奥をそのまま見透かされることなく・・・。 「藤姫様」  女房の静かな声に呼ばれると、藤姫は失礼致しますと言って、あかねの部屋を後にした。いつの間にか外はもう日が暮れていた。 「あかね、起きてるか?」 『天真くん?』  声は部屋の外、庭へ続く方からが聞こえる。いつもなら、平気で御簾をあげて入ってくるのに・・・ 「起きてたら、庭の方見てくれよ」  あかねは首をかしげながら立ち上がると、御簾の外に出てみる。  天真の姿があった。そして、頼久の姿も。  天真はあかねと目が合うとニッと笑った。 『どうしたの?二人そろってこんな時間に・・・あっ』  あかねは驚きに目を見張った。  庭に無数の小さな光が見えたのだ。その光は、ふわりふわりとゆっくりと移動している。 『蛍?蛍だよね?こんなに沢山・・・きれーい・・・』  まるで、庭の木という木に、星が降りてきたように見える。あかねはしばらくポカンと見つめることしかできなかった。 どうしてこんなに沢山・・・と思ったが、ふと気が付いて天真と頼久の顔を交互に見る。  頼久が微かに笑みを浮かべ、天真と二人で集めてきた事を教えてくれた。 「捕まえるのはるのは手伝ったけどな、実は、頼久の提案なんだぜ?武骨なだけかと思ったら、案外ロマンチストな男みたいだぜ」  後半のセリフは頼久に聞こえないように、あかねの耳の側にだけ聞こえるようなで小声でおどけて話す。 聞こえていても意味は解らないかもしれないが、言葉に含まれる感情は伝わるものなのだ。  思わずあかねは笑ってしまった。久しぶりに見る彼女の笑顔に、天と地の白虎は心底安堵したようだった。 『頼久さん、天真くん、ありがとう』  そう言うと、あかねはあることに気付いて部屋に急いで戻った。 「あかね?」 「神子殿、何か不都合でも・・・」  しばらく部屋の中でがさがさと衣擦れのような音をさせたかと思うと、すぐにパタパタと心配げな二人の元に戻ってきた。 その手に綺麗な紙を持って・・・ 『はい』  そう言うと、手にした紙を二人の前に差し出す。 その紙には【ありがとう】と書いてあった。  天真と頼久は顔を見合わせて、どういたしまして、とテレくさそうに笑う。 あかねに、やっと気持ちが伝えることが出来たことが嬉しかった。 「神子様、永泉様がお見舞いに笛の音を献上したいとおっしゃってお見えなのですけれど・・・」  藤姫はあかねの側までやってきて、目を丸くした。彼女もまた、これほどの蛍を見たことがなかったのだ。 何しろ、左大臣が姫君。夜に出歩くことなどもっての他なのだ。 「そうですわ」  藤姫は、あかねに提案した。永泉にこの庭で笛の演奏をお願いしたら、きっと素晴らしいかに違いないと。 もちろん、あかねは目を輝かせて、首を縦に振った。 「神子、このような時間にお訪ねするのはどうかと思ったのですが、せめて私の笛で心安らいでいただければと・・・」 『永泉さん、ありがとうございます』  みんなの気持ちが嬉しかった。昼間には詩紋とイノリが仲良く顔を見せてくれた。 友雅と鷹通からは心のこもった見舞いの品が届けられた。今は天真と頼久、そして永泉が来てくれた。  ありがたいな、と思う。みんなの気持ちにお礼がしたかった。  龍神の神子として、この京のために、自分の出来る限りの事をしよう ──。  あかねの瞳に柔らかだが強い光が戻ったのを見て、藤姫は小さく安堵の吐息をもらした。 ──7──  次の朝、あかねは部屋を訪れた藤姫に外出したいと伝えた。とにかく、泰明に会わなくてはと思う。 ちゃんと、顔を見て【ごめんなさい】と伝えたい。会って・・・ 「外出・・・ですか?やっと熱が下がられたばかりですのに。 神子様はすぐ無茶をなさりますから、もう少し安静にしていただきたいのですが・・・」  あかねは藤姫に手を合わせて、お願いっというジェスチャーをして見せた。 「仕方ありませんわね、神子様をこれ以上お部屋に閉じこめておくこともできませんし。 でも、先ほどから友雅殿がお待ちなのです。お見舞いにと訪ねておいでなのですが・・・お断りになりますか?」 『友雅さんが・・・?』  あかねは一瞬悩んだが、せっかく訪ねてくれた友雅を無下に帰すことも出来なかった。 (昨日お香をプレゼントしてもらって、まだお礼も言ってなかったし・・・)  友雅があかねのいる対に近づいてくるのはすぐにわかる。女房達がそわそわと色めき立つから。 「麗しの白雪は思ったより元気そうだね」  そう言うと、彼はいつものように優雅な立ち振る舞いで入ってきた。彼の香があかねの部屋に鮮やかに広がる。 【お見舞いの品をありがとうございました】 と、あらかじめ書いておいた文を友雅に差し出す。苧環の花を添えて。 実は、紙に書いたそのままで渡そうとしているのを藤姫に見つかり、あまり格好の良いものではないと止められたので、 庭に咲く薄紫の花を摘んでおいたのである。 「おやおや、神子殿からお返事をいただけるとは・・・贈り物をした甲斐があるというもの。 使っていただけているようで、嬉しいよ」  友雅は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに含みのある、けれど女性を魅了してやまない微笑みを浮かべた。 「あの香はね、私の香と混ざって、初めて完成する匂いになるよう作られているのだが・・・ その意味も、愛しの姫君には届いただろうか?」 『もう、友雅さんったら、また私をからかってるんですね?』  あかねは、もう慣れっことばかりにクスクスと笑い出した。 「冗談だと思っている?」  彼のいつにない真剣な声音にあかねの笑いは知らず止まっていた。気が付くと、友雅に見つめられていた。 まっすぐに。こんな彼は初めてだった。  いつも軽く物事をこなし、真剣になるなど愚かしいと、笑ってかわす彼が、あかねの知るすべてだった。 「自分のことを愚か者だと思った事など無かったのだけどね」 『え・・・?』 「月を欲するなど、以前の私では考えられないことだから」  そう言うと、友雅はあかねの腕を引いた。突然の彼の行動についていけず、 気が付くと、あかねは友雅の胸の中にすっぽりと収まってしまっていた。 『と、友雅さん・・・?』  あかねは体を起こそうとするが、友雅は彼女を抱く腕を緩めようとはしない。逆に強く抱きしめる。 「ずっと、この腕の中に、君という月を閉じこめてしまいたかった」  耳元でささやかれ、抗う力が抜ける。甘い痺れに体が支配される。 (女房さん達が言ってたっけ。橘少将様はお声だけで女性を支配してしまわれるって。あぁ、これも声≠フ話だ・・・)  あかねはぼんやりとそんな事を考えていたが、気が付くとすぐ目の前に友雅の顔が見えた。 『きゃぁっっ』  あかねは驚き、とっさに顔を遠ざけた。 「かわいいね、神子殿は。でも、その声では誰かを呼ぶことも出来ないのではないかな?」  そう言うと、友雅はあかねの顎を片手で持ち上げる。抗うことを許さない、強い力だった。 急に友雅が男≠ナ自分が女≠ることを意識した。  あかねの体が小刻みに震える。 「泰明殿でなくとも、神子殿の気持ちなら私にでもわかると言っただろう?」  あかねの震えが止まる。泰明の名を聞くと、体より心が震えた。心がざわざわと波立つ。 あの日のように・・・。会いに行けると思っていたが、先ほどのような強い気持ちが持てない。 なぜ、彼の事を思うとこんな気持ちになるのか ──。 「神子殿が私を受け入れようとはしていない事くらいわかっているよ」  そう呟きながら、友雅はあかねの耳元に口付けた。あかねの体に走った緊張が、彼の腕に伝わる。 まだ咲ききらぬ蕾の少女から、彼の贈った香が薫る。 「でも、知っておくといい。男と言うのは大層身勝手な生き物なのだよ」  自分をに振り向かぬものほど、欲しくなる・・・。  友雅は、あかねを組みしくと、耳元から首筋へと唇を滑らせていく。 『や・・・やめて・・・』  あかねの声はやはり喉元で消えていき、声を出して、助けを呼ぶことも出来ない。 友雅の整った男らしい指が袿の上から触れていく。彼の表情は長い髪に隠れて見えない。 『怖い・・・ ──泰明さん!』  あかねの心臓がどきんと跳ねた。今、自分は誰の名を呼んだのか・・・。 なぜ、とは思わない。もうわかってしまったから。  哀しい瞳をした陰陽師。自分が傷つけてしまった。もう、心を開いてくれないかもしれない。 やっと、少しずつ笑顔を見せてくれるようになったのに・・・。  あかねの目から涙が溢れて流れ落ちる。溢れる涙と同じくらい、 泰明への気持ちが後から込み上げてきて、もう止められない。 (私・・・泰明さんが好きなんだ・・・)  けれど、今あかねがいるのは、他の男の腕の中だった。 『お願い、やめて・・・友雅さん』  あかねの言葉は、声は届かない。 『や・・・泰明さん!泰明さん!!』  「呼んだか・・・神子・・・」  あかねの耳に信じられない声が、一番聞きたかった声が飛び込んできた。 御簾をあげて立っていたのは、あかねがその名を呼び続けた彼だった。 「無粋な男だな、泰明殿」  友雅がやっとあかねを捕らえていた腕を緩め、髪をかき上げながら顔を上げた。凄みのある視線を泰明に向ける。 「私は神子に呼ばれここへ来ただけだ」  左近衛府の少将に睨みつけられ、平然としていられる者は少ないと言われる、 その目をまっすぐに見つめ返して、泰明はそう答えた。 「神子」  泰明はあかねに向き直る。 『泰明さん・・・』  あかねは立ち上がると泰明に駆け寄り、彼にしがみついた。 「泰明さん!」  あかねの声が響く。  その場にいた三人の誰もが驚きの表情を浮かべた。  泰明が弾かれたように、懐に入れた珠を取り出すと、白濁していたはずのそれは、透きとおり、見事に二つに割れていた。 「声・・・戻ったの・・・?」 「何故・・・」 「やっと、元通りの龍神の神子と言うわけだな。どうやら、私の方が無粋な輩のようだ。今日はこれで退散するよ」  友雅はそう言うと、先ほどまでの熱が嘘のようにサラリと立ち上がる。 「あぁ、そうだ、泰明殿、貴方の息を切らす姿など初めて見たよ」  ほんの一瞬泰明の冷静な顔に変化が現れた事を友雅は見逃さなかった。  くすり。口元に笑みを浮かべると、あかねの横を通り過ぎていった。が、ふと振り返り、 「それと、神子殿、襟元が乱れているよ。今度は泰明殿が狼に変わってしまう。直しておくんだよ」 「きゃあぁぁぁ!」  あかねが真っ赤になって襟元を直す姿をからかい、笑いながら部屋から去っていった。 「もおぉぉ、友雅さんったら・・・何考えてるんだか・・・あ、もしかして・・・?」  あかねは自分の喉に手を当てた。 (私の声を取り戻すために・・・?) (ああ見えて、何やら複雑に物事を考えている男だ。軽率なだけの行動とは思えぬ・・・) 「じゃあ、友雅さんは、やっぱり私のためにわざと・・・?」 「・・・神子・・・?」 「・・・あれ?」  あかねと泰明は驚いたように見つめ合った。 「いま、泰明さん声に出して話してなかったですよね?」 「・・・・・・」 「うっわー!すっごーい。私、泰明さんの心の声が聞こえちゃった。これも龍神の力ですか!?」  あかねは嬉しそうにはしゃいで、泰明の胸に耳をあててみた。もう一度彼の心の声を聞いてみたかったのだ。 「んんー?何も聞こえてこないですよ?」 「当然だ」  聞こえてきたのは彼の口から紡ぎ出された言葉だった。 「先程私の中に結界を張った。私の心の声が漏れ出る隙はない」  泰明の表情はいつもの彼のそれに戻っていた。ただ、少し顔の呪いが薄くなったように思うのは、あかねの気のせいだろうか。 「残念。せっかく泰明さんのと同じ力を持てたかもと思ったのに。でも、もういいか。 私は声を取り戻せたし、これからは伝えたい事、伝えるべき事、言葉でちゃんと届けることが出来るんだから」  そう言うと、あかねは深く頭を下げた。 「ごめんなさい。私、泰明さんを傷つけてしまって・・・」 「神子、頭を上げろ。神子が八葉に頭を下げるものではない」 「どうしてですか?悪いことをしたと思ったら謝る。八葉も神子も関係ないです。私にとっては当たり前のことです」  あかねはまっすぐに泰明を見つめた。ずっと会いたかった彼が目の前にいる。 「私、内裏での泰明さんと私の噂を聞いてしまったんです。それで、泰明さんはどう思ってるのかなぁとか、 自分の気持ちとか妙に意識しちゃってて・・・自意識過剰って言うんですけど、そんな私のグチャグチャした気持ちを 泰明さんに知られるのが怖くて、恥ずかしくて、あの日、泰明さんを傷つけてしまった・・・」  あかねは泣くまいと一気に言葉をはき出したが、言い終わるとやはり涙が零れてしまった。 「神子を苦しめるとは、私は八葉失格だ」  泰明はあかねの頬を伝う涙をすくい、初めて出会った時のことを思い出していた。この世で初めて美しいと思えた彼女の涙・・・ 「違う!違うの・・・八葉と神子じゃない。〈泰明さん〉と〈私〉のことです。私は・・・!」  あかねは泰明の胸にとびこみ、顔を埋めた。泰明の中に輝くばかりの強い思惟が流れ込んでくる。 「泰明さんが好きなんです・・・」  あかねの小さく呟く声が、泰明の耳に、心に強く響いた。  泰明は自分の指先が微かに震えているのを知り、強く拳を握りしめた。 「私は、ひとではないかもしれぬ・・・」  ずっと彼が自分に対して抱いてきた不安だった。口に出せば言霊に捕らわれてしまいそうで、 ずっと心の中で繰り返しては封印していた思い。  あかねが顔を上げるのを見たくなかった。もし、その瞳に今までと違う自分が映っていたら───。 「泰明さん、聞こえなかったですか?」  あかねは顔を上げると、まっすぐに彼を見つめた。 「恥ずかしいけど、もう一度言いますよ?〈私〉は〈泰明さん〉が好きなんです」  顔を真っ赤にして泰明を見上げる、あかねの瞳は澄んでいた。 そして、そこには泰明自身が映っていた。不安げにけれど微かな笑みとともに。  泰明はあかねの体に腕をまわし、強く抱きしめた。  あかねは思いもしなかった彼の行動に驚き、小さく声をあげた。 「す、すまぬ」  泰明は、まわした腕をひいた。彼自身も困惑していた。 (どうしたと言うのだ、私は・・・)  ただ、彼女に触れたいと思った。  もう一度抱きしめたら、この感情がわかるような気がした。 「神子・・・もう一度抱きしめても良いだろうか?」  あかねは、大きな瞳をことさら大きく開き、驚いたようだったが、頬を染めて、小さく頷いた。  今まで、自分には感情など無いと思っていた。  けれど、あかねに出会ってから、変わった。彼女の涙を美しいと思い、 頬を染めて微笑む彼女を思うこの気持ちは・・・愛しいという思い。  泰明はそっとあかねに腕をまわし、大切なものを護るように抱きしめた。  膨大な神気をその身に秘める龍神の選びし娘。その力とは裏腹になんともその肢体は華奢で、その身は泰明の胸に収まってしまう。  彼女を護るのは八葉としての努めと思ってきた。けれど、これからは〈泰明〉として、彼女のためにこの身全てを捧げよう。  この愛しい少女をこの腕の中から失うことの無いように・・・。 「・・・あの、ね?泰明さん」  おずおずとあかねが顔を上げる。 「泰明さんの気持ち・・・、ちゃんと言葉にして下さい」  抱きしめられてて、言う台詞とは思えないが、今度の事で言葉の大切さを身にしみて感じたあかねとしては、 もう勘違いですれ違ったりするのは嫌だった。 「神子・・・」 「・・・違うでしょう?」  あかねは、口をとがらせて拗ねて見せた。 「・・・あかね・・・」  泰明が名を口にするのは初めてでは無いだろうか。それだけで、あかねは嬉しそうに微笑んでいた。 「私は、あかねを、愛しいと思う」 「泰明さん・・・」  あかねは飛びつくように、泰明の首に腕をまわした。その腰に泰明は腕をまわし、強く抱きしめた。  二人はお互いの思いを感じながら、幸せに包まれていた。  

あとがき

初めての作品です。ドキドキです。

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