幼なじみ二人
1 『やっこが女の子らしくなったら、ボクの彼女にしてあげる』 その言葉にすがるたび、だんだん自分が空っぽになっていく。 子供同士の約束なんて、大人になってしまったら何の意味もないもの。 そして私には、その「約束」しかなかったから。 二学期も始まって間もないある日。久夏高校1年B組は、昼休みが始まって、生徒たちのざわめきに満たされていた。 雑談、席を動かす音、男子が弁当をかき込む音・・・。 夏が終わったといってもまだまだ日差しは強くて、入学してもう半年たったというのに、 私、向井弥子の学校生活は何も変わっていないようだった。 ううん、一つだけ変わったことがある。 あの夏の日。 アイツと、幼なじみから恋人同士になったこと。 「じゃあね、早希、洵。私、学食だから」 昼休み。私は今までおしゃべりしていた親友二人にそう告げて、席を立った。 「弥子ってば、最近付き合い悪いー」 「まあまあ、いいじゃないの洵。親友の恋路を邪魔しないのが友情でしょ」 「さっすが、早希。話がわかる」 「その代わり彼とのこと、今度ゆっくり教えてよね」 「うーん、考えとく。早希の場合、想像が先走っちゃうからさ」 「なによそれえ」 「はいはい、さっさと愛しの彼のとこ、行った行った」 親友二人のからかい半分の言葉を聞きながら、私は二年生の教室の方へ急いだ。 残念ながら冷麺は終わってしまったけれど、学食で一緒にお昼を食べるのが、私と勇太の大事な習慣。大抵学食で。 時々は勇太が作ったお弁当を二人で食べることにしてる。さらにさらに時々、私が作ったりしてるけど、 勇太の方が凝ったお弁当作るのがちょっとイヤ・・・っていうか、私のプライドが疼くかな。味は負けてないけどね。 私は足取りも軽く、2年D組の教室に向かった。 「おーい!そこの森崎勇太!」 はは、あの声は百道先輩。勇太の親友なのに、なぜか「キミ」とか「森崎勇太」とか、変な呼び方しかしないのよね。 「おい!森崎勇太!無視するな!」 ちょうど教室を出ていくアイツ、森崎勇太の背中が見えた。たぶんお手洗いにでもいくのかな? 今なら後ろから「だーれだ?」ってするチャーンス!・・・だけど、この前恥ずかしいから学校では止めてくれって言ってたし。 代わりに私も「森崎勇太!」って声かけてやろうと思って、すーっと息を吸い込んだそのとき、「事件」は起こった。 「あなたの名前・・・森崎勇太っていうの?」 髪をツインテールにした女の子が勇太にそう声をかけた。 「そう・・・だけど、君は?」 「わたし・・・私、楠瀬緋菜ですっ」 女の子のちょっと必死な雰囲気を感じて、私は柱の陰で様子をうかがうことにした。 「えーっと・・・それで?」 勇太の困惑した表情。 「だから、私、楠瀬緋菜ですっ!あなた、森崎君でしょ?」 「そう・・・だけど・・・」 「私のこと、覚えてないの?」 その子は、勇太の顔を見つめて、必死に詰め寄る。 「うーん、たぶん、人違いだと思うんだけど・・・」 「そう・・・そう、よね。森崎なんてよくある名字だもんね」女の子が肩を落とす。 そう、森崎なんてよくある名字。勇太なんてよくある名前。 でも、これは人違いなんかじゃなかった。 2 「あの子はね。楠瀬緋菜ちゃんは・・・勇太にとって大事な子なの」 その日からしばらくたったある日の日曜日。私は突然るりちゃんに呼び出され、駅前のファミレスにいた。 「ふーん・・・。やっぱり、そうなんだ・・・」 るりちゃんのその言葉を聞いて、私はテーブルの上に視線を落とした。 「あっ!ちっ違うちがうちがう。好きとか、付き合ってるとかそういうのじゃなくてっ」 るりちゃんが両手をぶんぶん振って慌てて否定した。 楠瀬緋菜先輩に声をかけられた日から、勇太の様子はおかしかった。一緒に帰っていても、心ここにあらず、といった様子で。 朝、校門前で会っても、なんだか元気が無くて、「変な夢見て、寝不足なんだ」とは言っていたけど、 私がその夢どんな夢?って聞いても絶対話してくれなかった。だから私はイヤな予感がしてたんで、 るりちゃんの言葉にちょっと驚いた。いや、どっちかっていうと、いきなり立ち上がったから驚いたんだけど。 るりちゃん、周りの人が見てるよ・・・。 「緋菜ちゃんはね、勇太が思い出してあげなきゃいけない子なの」 るりちゃんはぺたん、と腰を下ろすと、ゆっくりと話し始めた。 「思い出す・・・?」 「勇太は、母さんが生きてた頃の記憶を封じ込めている。それは知ってるよね?」 「うん、るりちゃんが教えてくれたから・・・」 「緋菜ちゃんは私たちの母さんの実家の近くに住んでた子なの。勇太とは毎年夏に会うだけだったけど、 緋菜ちゃんとはすごく仲良しだった。でも、勇太は覚えてない。・・・母さんが死んじゃってから、 勇太を傷つけないために、母さんの実家にはめったに行かなくなったし。でも、そんなことよりも、 勇太は緋菜ちゃんのことも記憶の底に封じ込めちゃったみたいなの。それはきっと・・・」 その理由は分かる。緋菜ちゃんを思い出すことは、お母さんのことを思い出すこと。お母さんが死んじゃったっていう、 悲しい思い出と向かい合うって事だから。 「でも、勇太だっていつまでも記憶を封じ込めたままじゃいけない。だって、たくさんの母さんの思い出を持っているのに、 それを忘れたままなんて、勇太も母さんもかわいそうでしょ?」るりちゃんは自分に言い聞かせるみたいに、 ここにはいない勇太に言い聞かせるみたいにそう言った。 「だから、緋菜ちゃんとのことは、やっこにも見守っていて欲しい。・・・実は、私が緋菜ちゃんにお願いしてるの」 「え!?な、何を?」 「『勇太が自分から思い出すまで、緋菜ちゃんから名乗り出ないで欲しい。でも、勇太を見捨てないで、話しかけてくれ』って」 るりちゃんは私の視線を避けるように言った。 「・・・ごめんね、やっこ」 るりちゃんは、私にそうつぶやいた。 「私じゃ、駄目なんだよね」 私は、勇太やるりちゃんのお母さんのこと、実はよく知らない。お母さんが亡くなられたとき、私はあんまりにも小さくて、 人が死ぬって事がどういうことなのかもよく分からなかった。ただ、お葬式のとき、いつも元気なるりちゃんが、 じっと黙ったままお父さんの手を握っていたこと、勇太がいつまでもいつまでも泣いていたこと、その二つだけははっきり覚えている。 でも、すぐにるりちゃんはいつものるりちゃんに戻って、私たちにあれこれ命令する「隊長」に戻ったし、 勇太はまるでお母さんはちょっと出掛けてるだけだよ、って感じに話すから、私も大したことないんだって思ってた。 本当のことを知ったのはもっと大きくなってからだった。 「私じゃ、勇太の力になれないんだよね。私は、勇太の大事な思い出の中には・・・」 入ってない、そう言おうとしたら、急に涙があふれそうになって。 私は必死に涙をこらえながら、慌ててバッグからハンカチを取り出そうとした。でも手が滑って、バッグの中身がばさばさ、 とテーブルの下にこぼれてしまった。私はそんな落ちたバッグの中身を、拾いもせずに見つめていた。 「・・・ばかやっこ」 「え?」 突然るりちゃんが、ぽん、と頭を軽くチョップした。 「やっこは、勇太の大事な人なんだから。あんたが泣いてどうすんのよ。ばか」 「・・・ありがとう」 「私が何のために海に行こうって誘ったと思ってんの?なんで学校で羽交い締めにして遊んだと思ってんの? 全部やっこを応援するためなんだから」 それを聞いて、私は吹き出しまった。私を羽交い締めにしたとき、アレは絶対「いつもの」いたずら心だと思うけ でも黙っておいた。 「とにかく、もうしばらくあの二人を見守ってあげて。これは命令よ、命令っ」 わざとるりちゃんが胸を張って言う。私が黙っていると、 「返事はどうした、やっこ隊員!」 「了解であります、隊長!」 そういって私たちはくすくす笑った。まるで小さい頃、勇太と三人で遊んだときみたいだったから。 3 でも、その後も私は楠瀬先輩のことをうまく整理できないでいた。私はるりちゃん経由で、 勇太と楠瀬先輩の話を知らされるようになった。 だから二人がどんなことを話しているのかは、大体分かってた。でも勇太から聞いたことは一度もなかった。 時々でも楠瀬先輩のことが会話に出てくれれば、まだ私も何とか納得できたかもしれない。ところが勇太は、 まるであの日声を掛けられてから、もう全然楠瀬先輩と会ってないみたいに振る舞った。そのたびに、 私はまるで除け者にされてるみたいな気分になった。 どうして私には楠瀬先輩と会っていること隠すんだろう?もしかして浮気でもしてるんじゃないかって、 まるでおばさんみたいなこと考えたこともあった。でも、るりちゃんの話だと、時々楠瀬先輩と学校であったり、 一緒に帰ったりしてるけれど、別にやましいところもないみたいだった。ただ、楠瀬先輩の話が家で出た次の日は、 妙に寝不足気味な顔で部屋から出てくるらしかった。 私は勇太に直接聞くことが出来なかった。だって私は楠瀬先輩のことを知らないことになっているから。 ・・・本当はそれが自分についた嘘って事は分かってた。るりちゃんの話から、 段々二人が仲良くなっていくのが分かったから。もしも、私より楠瀬先輩の方が好きになってたら? もしも、別れてくれって言われたら?そう考えたら、勇太に何か聞くのが怖くて、何も出来なかっただけ。 私たちの関係はうわべは全く変わらなかった。時間が合う日は一緒に登下校したし、お昼は一緒に食べた。 休みのときは近所の公園や商店街を散歩したり、お互いの家に行って遊んだりもした。 でも・・・ふっとある考えが浮かぶときがあった。 『勇太の隣にいるべきなのは、楠瀬先輩なんじゃないか』 ってこと。最初はなんでこんな馬鹿なこと考えるのか分からなかった。 きっと浮気してるなんて変なこと想像したからだって、その延長でこんな事考えるんだって、そう思った。 それは違った。  私は勇太の幼なじみ。家族の人を除けば、勇太を一番知ってるって自信があった。 泣き虫で、るりちゃんの子分で、からきし臆病で・・・でもやさしい勇太。 私は小さいときの勇太を全部知っているはずだった。楠瀬先輩が現れるまで、私は自信満々だった。 私はただ上っ面がかっこいいからって理由で、彼氏を作ったりする他の子とは違う。 勇太の全部を知ってるから、好きなんだって。  でも楠瀬先輩は違った。あの人は私の知らない勇太を知ってる。 4 「やっこ・・・じゃなかった弥子。一緒に写真撮らないか?」 もう九月も終わりごろ、勇太が学校からの帰りがけに突然そんなことを言った。 「写真?」 私はその申し出にちょっと驚いた。プリクラを撮ろうっていうのなら分かるけど。でもアレは写真とは呼ばないよね、普通。 「そう、写真。誠太郎がさ、撮ってくれるって言うんだ。たまにはそういうのも撮りたいって」 じゃあいつもは何を撮っているのか・・・ってことは大体知ってるけど、私は黙っておいた。 一度水泳部の先輩が、百道先輩に隠し撮りされた、って怒ってて、私が「生徒会なり、先生なりに報告したらどうですか」って 言ったことがあった。そしたら本人は「でも別にいいや」みたいなこと言ってるから不思議に思っていたら、 後で他の先輩が教えてくれた。写真部の百道誠太郎に隠し撮りされると、恋が実るとか、告白されるとか、 そういうジンクスがあるらしい。そんなバカな、って言ったら、『弥子だってそうじゃない。百道誠太郎に写真撮られてから、 男子水泳部のキャプテンに告られるし、彼氏出来たし』だって。 そういえば、写真部の撮った水泳大会の記録写真はやたら私が目だってて、 恥ずかしかったけど。あれは一応ジンクスのうちに入るのかな。まあそんなことはどうでもよくて。 「いいけど。どこで?今すぐに?」 「誠太郎が中庭で待ってるから。今日撮りたいっていうから、OKしちゃったんだけど・・・もしかして用事でもあるのか?」 「ううん。別に無いけど。・・・ところで勇太、いい加減その『やっこ』って呼ぶの・・・」 「分かってるって。でも癖になっちゃってるんだから、仕方ないだろ?僕にとってはやっぱり弥子は『やっこ』なんだから」 「・・・違うもん」 「うん?何か言ったか?」 勇太には聞こえないようにつぶやく。私は定番になっているこの会話が、大嫌いだった。 だって、私は勇太にとって恋人の「弥子」で、幼なじみの「やっこ」のつもり。 でもいつまでたっても勇太にとって私は「やっこ」。 そのとき、私の一番会いたくない人が、廊下の角からひょっこりと現れた。 「あ、森崎君」 「!・・・あ、ああ楠瀬さん」 勇太が傍目から見てバカみたいに動揺しているのが分かって、私はいらいらした。 「ねえ、今日一緒にかえら・・・あ、ご、ごめんなさい」 「あの、楠瀬さん?」 「ごめんなさいっ」 楠瀬先輩は私に気づいて、あわててきびすを返した。勇太の返事も聞かず、小走りに去っていく。 勇太は呼び止めようとして、手を伸ばしたポーズのまま、固まっている。 「・・・友達?」 私は一生懸命何気ない風を装って聞いてみた。でも、言葉の端に浮かぶいらだちは隠そうとしても隠せなかった。 「そ、そうだよ。前に同姓同名の知り合いと間違えられてね・・・」 「ふーん。・・・一緒に帰ったりするんだ」 「た、たまにね」 私はそこで会話をうち切った。話したくないならそれでいい。私だってもう聞きたくない。 どうせ私には心の奥深くに眠ってるような、そんな劇的な思い出もないし、 ファーストキスの相手だって事すら忘れられてたし、同じ高校にいるのに 3ヶ月以上気づいてもらえもしなかったし、その程度の幼なじみだもの。 あの「約束」があったから、今はあなたの隣にいる。だけど。 『やっこが女の子らしくなったら、ボクの彼女にしてあげる』 その言葉にすがるたび、だんだん自分が空っぽになっていく。 子供同士の約束なんて、大人になってしまったら何の意味もないもの。 そして私には、その「約束」しかなかったから。 5 「遅いぞ、キミたち。僕はこう見えても部活で忙しいんだからな」 中庭のオブジェ前で、百道先輩が芝居がかった調子で言う。あれが素なんだろうけど。 「あー、ごめんごめん。でも刀根先生今日はもう帰ったぜ」 「僕がいつまでも同じ対象を追っかけてると思ったら大間違いだっ!いま僕は・・・」 「はいはい、分かったから、さっさと撮ってくれよ」 勇太はそう言って私を中庭の隅のベンチの一つへ導いた。でも、私の方を見ない。百道先輩とごちゃごちゃと何か言ってる。 そんなに私の目を見るのが怖い?そんなに楠瀬先輩のこと、知られたくなかった? 「そっちは光の向きがよくない。このオブジェを背に立ってくれ」 私たちが並んで立つと、百道先輩がそういって呼び止める。 「そっち?そっちじゃ他の人が写っちゃうだろ」 確かに、オブジェの向こうには第一校舎と第二校舎の間を行き来する人の姿が見えた。 「馬鹿にするなっ!僕がそんな素人臭い写真を撮るような男に、見えるかね?」 「こっちでいいじゃないか。どうせ日も傾きかけてるし」 「いーや。そっちでは僕の撮りたい芸術写真にはなり得ないっ!」 「あのなあ・・・芸術とかじゃなくて、スナップ写真なんだから。早く撮ろうぜ」 何よ、早く撮ろうぜ、って。私だって、もう写真なんてどうでもいいのに。勇太が誘うから、一緒に撮ろうって思ったのに。 それなのに。あんまりじゃない。ばか・・・。 「どっちでもいいから!さっさと撮っちゃってよ」 私は思わず大きな声でそんなことを言ってしまった。でも、もう写真なんてどうでもよくなってたのは確かだし、 この後勇太と一緒に気まずい雰囲気のまま帰ることを考えると、憂鬱になってきてたから。ああ、勇太がおろおろしてる。 そんなに楠瀬先輩のこと知られたのがショックだったの?そんなにうろたえないでよ、もう! 「あー、それではキミたち。そこに並んで立ちたまえ」 でも、百道先輩は私の台詞に驚いた様子も見せず、中庭の一角を指した。私はむっつりと口をつぐんだまま、指示に従って立った。 勇太が私の後ろをおびえるようについてきた。 「な、なあ。こっちでいいのか?光の向きがどうとかって・・・」 「確かに。そこだとキミは最悪の位置だ」 百道先輩がカメラを構えながら言う。 「じゃあ、オブジェ前で・・・」 「どうせ最悪に写るのはキミだ。俺は向井さえきれいに写ればそれでいい」 百道先輩が、勇太を遮ってそう断言した。 「はあぁ?」 勇太の間抜け声。私は思わず最悪に写ってる勇太を想像して、ぷっと吹いてしまった。 「・・・さあ、撮るぞ。レンズをちゃんと見てくれ」 カシャッ、カシャッ。フラッシュが何度か光り、私たちは写真に収まった。そして、取り終わったとたん、私は駆けだしていた。 6 あの日以来、勇太とご飯もあんまり食べなくなった。早希と洵に心配かけたくなかったから、 昼休みは一人で購買部にいって、パンを買って屋上で食べた。帰りは部活が忙しいといって、勇太の誘いを断る日が続いた。 そんなある日。私はまた昼休みを一人で過ごそうと思って、パンと飲み物を買ってから、屋上に向かった。 両手が塞がっていたので、いつも鍵のかかってない屋上のドアを体で押して、屋上に出た。 案の定、人影は少なかった。秋の空は晴れ上がっていて、とっても気持ちよかったけど、 ところどころにいる女の子同士で楽しそうにご飯を食べる様子や、カップルの微笑ましい姿に、私は思わず目を伏せてしまっていた。 私と勇太も、ちょっと前まであんな感じに見えていたんだろうか。二人でいたこと。なんだかそれは夢の中のことのように思えた。 私は出来るだけ目だたない、小さな花壇の隅に腰を下ろした。そこはほとんどの人から死角になるはず・・・だった。 「あっ。あなた」 それは一番聞きたくない声。 「向井弥子さん・・・でしょ?」 自分の名前を呼ばれて、私は背けていた顔を声のした方に向けた。楠瀬先輩が私と同じように座っていた。 「こんにちは」私は一応軽く頭を下げた。 「ああ、ごめんなさい。私、2年生の楠瀬緋菜・・・。あはは・・・ごめんね。あなたのこと、森崎君から聞いてたから。 突然声かけられたらびっくりするよね」 そういって楠瀬先輩はにっこり笑った。・・・女の私が言うのもなんだけど、すごくかわいい。 以前、同じクラスの男子たちが『有森先輩が卒業したら、次の久夏のマドンナは楠瀬先輩だろ』なんて言ってて、 バッカみたいとか思ったけど、今ならその意見に賛成できる。なんていうのか、太陽みたいな人って、こういう人なんだろうな。 笑っただけで周りが明るくなったような、そんな感じ。きっと男の子がみたらすぐに好きになっちゃう。かわいいし。 ・・・私と違って、胸もおっきいし。 「いいえ、私も、森崎先輩からお話は伺ってますから」 「あ、森崎君から?」 いいえ、三年生のお姉さんの方からです・・・そう言おうとしたけど、楠瀬先輩は私の返事を待ったりしなかった。 「よかった〜。この前、廊下で変な会い方したから、誤解されてるんじゃないかって心配したの。 あの次の日、学校であって『私なんかと話してたら、彼女に誤解されちゃうわよ』って言ってあげたの」  誤解も何も、私はもう・・・って、あれ? 「誤解?」 「ねえ、知ってる?私も森崎君とは幼なじみなの」  私の疑問の声には気がつかなかったのか、楠瀬先輩はそう言って私のすぐそばに座り直した。 「・・・はい。知ってます」 「毎年夏になると、私の家のすぐそばにあったお母さんの実家に森崎君とるりさんが遊びに来たの。 子供が少ない地域だったし、私たちはすぐ友達になった」 話の先が見えなくて、私は空を見上げながら話す、楠瀬先輩の顔を見つめていた。 「私がね、よくいたずらに誘ったら、森崎君は必ず『駄目だよ、怒られるよ』って言うんだけど、 結局私が強引に仲間に引き込んじゃって。よく一緒に怒られたわ。でも森崎君は絶対私のせいにしなかった。 ずっと私の代わりに謝ってくれた。それから『ヒナちゃん、もういたずら止めようね』って言うの」 「あ、それ・・・」 私も一緒だ。一緒に海に行って大きな落とし穴を掘ったとき。知らないおじさんが落ちちゃって、 私が言い出しっぺだったのに、勇太は泣いている私の横でおじさんにずっとごめんなさいって謝ってた。 それから私に『やっこ、もういたずら止めようね』って言った。 「でも、ある日森崎君は来なくなった。私は森崎君のお母さんの実家に行ったけど、 そこの人は『もうあの子は来ない』って言うだけだった。私悲しくて一日泣いたわ」 ふと気づくと、私は楠瀬先輩の手にそっと手を重ねていた。まるで、今の楠瀬先輩が、 そのときの『ヒナちゃん』に思えたから。 「あのね。怒らないで聞いてね。そのとき、私たち結婚しようねって約束したの」 「えっ、け、結婚って・・・」 さすがに私もびっくりして、聞き返してしまった。 「もちろん、子供の頃の約束。でも私はどこかでその約束を勇太君が覚えていてくれるって、信じてたの」 楠瀬先輩は、勇太のこと『勇太君』って呼んだけど、私は全然気にならなかった。 どっちかっていうと、そっちの方が自然だったから。 「でもね。私のこと、勇太君は全部忘れていて・・・私は思いだして欲しかっ 私と遊んだことや、私との約束もね。だから一生懸命勇太君と話したんだ」 楠瀬先輩が、私の手をそっと握ってきた。私もそっと握り返した。 「私、あなたがうらやましかった。私の知らない勇太君を知ってる向井さんが。 私が知ってるのは5歳までの勇太君。でもあなたは私よりもっとたくさんの勇太君を知ってる」 「先輩・・・それは」 違います。あなたも私の知らない勇太を知ってるんです。それが私はうらやましかった。 「・・・勇太君、昨日、やっと全部思い出してくれた」 楠瀬先輩は私から顔を背けるようにして、そう言った。 「先輩・・・?」 「だから、私、わたし・・・。言ったの。あなたのことが好きって」 楠瀬先輩は、私の手をふりほどくと、両手で顔を覆った。小さな嗚咽が、覆った両手の間から漏れた。 私は楠瀬先輩をやさしく抱きしめていた。制服越しに、かすかな震えが私の体に伝わって、 私はまるで子犬を抱きしめるみたいに、先輩を抱きしめ続けた。 ・・・やがて、楠瀬先輩は手で涙を拭って、私の方に顔を向けた。 涙で濡れた顔は小さな『ヒナちゃん』の顔だった、と私は思う。 「・・・でも、勇太君は『ごめんなさい』って。今はもっと大事な人がいる・・・って・・・」 そういって、楠瀬先輩はまた顔を覆って泣いた。私は先輩が泣きやむまでそばでやさしく彼女の髪をなで続けた。 7 「・・・ごめんなさい。もう落ち着いたわ」 楠瀬先輩はそういって目尻の涙をそっと拭った。私はお昼のために買ったスポーツドリンクをそっと差し出した。 「ありがとう。・・・あのね、私、振られたあとに気づいたの。私の好きだったのは『勇太君』で、 『森崎勇太』じゃなかったんだって。あなたと違って、私は・・・」 「それは違います!私だって、もしかして私が好きなのは、昔の勇太で、今の勇太じゃなくって、 今の勇太が好きなのは今の私じゃなくって、昔の私で!・・・でも私は昔から勇太が好きで、 でも今の勇太も昔の勇太も・・・えーっと・・・えーっと・・・」 そこまで言って、私は黙ってしまった。そして、楠瀬先輩は見つめ合ったまま、ぷっと吹き出した。 「私たち、ちょっと似てるわね」先輩が微笑んだ。 「・・・そうかもしれません」私も笑った。 楠瀬先輩は私の方をまっすぐ見ながら、聞いた。 「あなたが『今』好きなのは?」 「・・・『今』の勇太です」 私はきっぱりと言った。楠瀬先輩は静かに笑みを浮かべたまま、頷いた。 「『今』の森崎君が好きなのも『今』のあなた。だったら何も問題ない」 「・・・はい」 楠瀬先輩はそっと右の手を私に差し出した。私はその手をしっかりと握った。 「あーっ、やっこってば、こんなところにいた!探したんだから・・・アレ?緋菜ちゃん?」 私と楠瀬先輩がパンを半分こしながら食べていると、るりちゃんが相変わらずけたたましく飛び込んできた。 「珍しいじゃない。幼なじみ同士が一緒だなんて」 私と楠瀬先輩は、その言葉に思わず見つめ合ってしまった。確かに珍しい。今日初めて口をきいたんだ。 同じ人間と幼なじみだったのに、ずっと口もきいたことがなかった二人。 「まあいいわ。それより何だか勇太が必死に探してたわよ。・・・喧嘩でもした?」 るりちゃんが私の方を心配そうにのぞき込む。 「べーつにー」 「何よー、お姉さまに秘密なの?」 「そういうこともありますわ、お姉さま」口元を隠して笑うフリ。 るりちゃんはやれやれ、といった風に首をすくめて見せた。 「とにかく行ったげなさいよ。たぶんやっこの教室に行ったはずだから」 うん、と私は頷くとぱっと立ち上がった。楠瀬先輩が、じゃあね、と小さくつぶやいた。 階段のところで、二人の方を振り向く。るりちゃんは右手でガッツポーズ、楠瀬先輩は小さく手を振っている。 私は手を振り返すと、一気に走った。 「おーっと、キミは向井じゃないか」 「あっ!百道先輩、こんにちはっ!」 ちょうど自分の教室の前で、私は百道先輩と出会った。相変わらずカメラを下げて、飄々と歩いている。 「森崎の奴がキミを探してたぞ。たぶん中庭に行ったんじゃないかと思うんだが・・・」 「そうですか!ありがとうございますっ!」 私はぺこり、と頭を下げると、慌てて走り出そうとした。すると。 「おーっと、待った」 「はい?」 百道先輩が呼び止める。 「この前の写真だ。これがキミの分」 百道先輩が封筒を手渡してくれた。・・・正直、あまり見る気はなかった。 しかめっつらで写ってる写真なんて嬉しいはずがない。でも撮った人が目の前にいたら、見ないわけにはいかない。 私は封筒から写真を引き出した。 「あ・・・これっ・・・!?」 そこに写っていたのは、ぷっと吹き出している私と、おマヌケ顔の「最悪に写った」勇太。 私が笑ったほんの一瞬が、きれいに撮られている。まるで仲のいいカップルの自然なワンシーンを切り取ったように。 「カメラの前で人は自然と顔を作ってしまう。それは俺の撮りたい芸術写真ではないっ!」 ちなみに、と言って百道先輩はもう一枚写真を出した。 「これが今日森崎に渡した写真だ。こんな写真は僕のアルバムには要らないからな。ネガごとくれてやった」 そこに写ってるのは、おろおろ顔の勇太とふくれっつらの私。誰だってコレを見たら、 喧嘩してる二人だって思うだろう、って写真。もしかして、勇太コレを見て・・・。 「それじゃあな。俺は部活中だから」 百道先輩はくるりと背を向けて去っていく。 「・・・あ、ありがとうございました!・・・あの、今度撮るときは」 百道先輩は背を向けたまま片手を挙げて、ひらひらと振ってみせた。そして相変わらずの歩き方で去っていった。 8 「勇太!」 「弥子!」 昼休みもあと少しで終わりというころ、中庭で、私は勇太を見つけた。 互いに駆け寄った私たちは、ちょうどちいさなベンチの前で向かい合った。 『ごめんなさい!』 同時に頭を下げた、二人の声が重なる。そして。 「なんで謝るの?」 「なんで謝るんだよ?」 また重なる二人の声。  しばらく二人は見つめ合ったままだった。やがて、どちらともなく笑い出してしまった。 「笑うなよ」勇太が言う。 「だって。勇太ったら必死に謝るんだもん、おっかしくて」私はくすくす笑いが止まらない。 「そんなの、やっこ、いや弥子だって同じだろ」  勇太がちょっとむっとしたように言った。でも顔は笑ってる。 「もう、いいよ」 ようやく笑うのを止めた私は、勇太にそう言った。 「何が?」 「やっこでも弥子でも、どっちでもいいよ」 勇太は、しばらくぽかんと私を見つめてたけれど、やがてうん、と一つ頷いて。 「そうか、分かった」と言った。 きーんこーんかーん。 四限開始の予鈴がなる。中庭にいた生徒たちがぞろぞろと校舎に戻っていく。 わたしたちはその中、じっと見つめ合っていた。私はちょっとためらったあと、口を開いた。 「・・・ねえ、勇太。キスしてみようか」  へ、と勇太が間抜けな声で聞き返す。私はといえばはずかしさに精一杯の抵抗をしながら、勇太の顔を見つめていた。 「えっ!な、なんで」 「なんでも」 「ここで?」 「そう、ここで」 「い、いま?」 「いますぐ」  勇太は明らかに私に助けを求めていた。小さい頃、私のいたずらを最初止めようとしたときと同じ、困り切った目をしていた。 「で、でもまだ人とかいるし、もし先生に見つかったら・・・」 「そんなのいいから」 「で、でもキスなんてしたことないし・・・」 「私と小さい時したじゃない。二度も忘れないでよ」 私は顔が熱くなるのを感じた。そう感じたとたん、今まで耐えてきた恥ずかしさがどっと押し寄せてきて、 勇太の顔を見てられなくなった。 だから、私は勇太の胸に飛び込んだ。  目をつぶって、じっと勇太の胸に顔を埋める私。その私の両肩を、勇太の両腕が抱きしめる、温かくてたくましい感触を感じた。  目を開け、勇太の顔を見上げる。勇太は小さく頷いた。 私は目をつぶって、おずおずと唇を差し出した。 『ねえゆうた。チュウしてみようか』 『な、なんで?』 『だって、恋人同士になったらチュウするんだよ。もしアタシが約束守ったら、 ゆうたはアタシとチュウしなきゃいけないんだよ。だから練習』 『・・・・・・わ、わかった。いいよ』 「勇太」 「なに?」 「あのときから、ずっと好きだったんだよ」 「あのとき?」 「ううん、いい」 これからも、ずっと好きだよ。勇太。 Fin

あとがき

PS2の恋愛シミュレーションTLSSの二次創作です。 ネタバレ気味なのでご注意ください。 ゲームをやってないと意味不明な点もあると思いますがお許しを。 弥子は「約束編」「水泳大会編」「CDドラマ」の全ての事件が 起こったという設定。緋菜は「幼なじみ編」のみ起こったという設定です。 楽しんでいただければ幸いです。

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