その後のデメトリオ 後編
作者: シウス   2009年06月23日(火) 12時25分16秒公開   ID:G2uK9fjVNL2
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「こんなもんじゃないかしら?」
 傷口を清潔な水で洗い流し、化膿(かのう)した部分をナイフで切り取り、傷口を縫い合わせてから薬草を塗り、ヒーリングを施してフィエナは言った。無論、包帯を巻くのも忘れない。
 ゼノンは、猫が丸くなるような姿勢から首だけを持ち上げ、フィエナへと向けた。
『すまないな、お嬢さん。それよりも……一つだけ質問していいか?』
「ええ、なに?」
 ゼノンの顔を見つめながら言った。フィエナの表情には、これといって怯えも、驚きすらも無かった。
『フィエナは……俺が人語を解せるのを不思議には思わねーのか?』
 すると、フィエナは急に笑い出した。
「あーそれね、ユリー……ユリウスに教えてもらったの。飛竜の中には言葉を話せる奴が稀にいるって……まぁ、初めて喋ってるとこを見たときは、ちょっと驚いたけどね。他にもあなたの事について、何度も聞かせてもらったわ。初めて会った日から、二人でいろんなこと話し合ってたからね」
 その言葉を聞き、ゼノンは口元を吊り上げ、ニヤリと笑ってユリウスを見た。
『おいおい、堅物なお前でも、遅いながらも青春してんじゃねーか。しかも、こーんな美人と。……本当のところ、どこまで行ってんだ?ええっ?』
「『遅い』はねーだろ。だいたい俺は、まだ19じゃねーか」
「えっ……ユリーも?」
「ってことは、フィエナもか」
『俺の話を無視すんじゃねーよ。どこまで行ってんだって、訊いてんだよ』
「どこまでっていわれてもなぁ……」
 ユリウスとフィエナは顔を見合わせた。
「同棲ぐらいしかしてないなぁ」
『ほほぅ……?』
「夜は一緒のベッドで寝てるけど、まだ襲われてもいないし、私からも襲ってないし……」
「ま、どのみち『その程度』なの。なんてゆーか……ビミョーな関係なのよね。恋人同士っていうか……夫婦って言われても否定しないけど」
『チッ、面白くねえ。なんでこう、人間は奥手なのか解んねーな』
 するとユリウスとフィエナは、やや悲しそうな顔をして言った。
「この谷のこと説明すんの忘れてたが、この谷では、翼を持たない者は二度と地上へと戻れねーんだよ。だから、もし俺がフィエナを襲って孕ませたとしたら、その子はどうなる? 無事に出産できたとしても、俺やフィエナが死んだ後、ずっと一人ぼっちになるんだ」
 フィエナの顔に少しだけ影が差す。だがユリウスが彼女の肩を抱き寄せると、彼女は元の明るい顔を取り戻し、体重を預けてきた。
「でもゼノンがいるから、もう悩む必要なんてないよ」
 フィエナの肩を抱き寄せたまま続きを、再びユリウスが引き継いだ。
「そうだな。お前がまた飛べるようになったら、後は二人で幸せに暮らすだけさ。……それよりお前はどうするんだ、ゼノン? 地上へ戻ったら、俺はフィエナと暮らそうと思ってるんだが……お前も着いてくるか?」
『着いてくるって、どこへだよ? お前らの邪魔にならないように、俺は山へ帰るぜ。焔の継承とかいう儀式も、どうせ形式だけだしな。気にするこたぁ無いだろ。俺としても、嫁さんを見つけたいからな』
「そうか。そうだよな……」
 やや落ち込みかけるユリウス。長年、パートナーを務めていた者にそう言われると、さすがにショッキングだったらしい。するとゼノンは軽く笑って、
『そう気落ちすんなって。最後にお前の彼女も乗せて、空のドライブを楽しませてやるよ』
「ああ、ありがとうな」
「じゃあ、ここいらで食事にしない? そろそろ日も落ちてきたしさ」
 食事の時間は早い。町に住んでいる時は気付かなかったが、この村には『明かり』というものは存在しない。ロウソクくらいならあるが、そのようなもので足りるはずがないのだ。暗くなる前に食事を済ませて片付けるのが当たり前である。
「ゼノン、おまえは大人しく待っててくれ。魚は俺が取ってくるから」
「じゃ、行ってらっしゃい。私はご飯作ってるから」
『悪いな、ユリウス』
「気にすんなって」
 そう言ってユリウスは、川に向かって駆け出した。空は太陽こそ見えないものの、美しい夕焼けの色を呈していた。
 
 
 
 それから三日が過ぎた、ある日の真夜中のこと。
 この日はルム小屋で、二人と一匹は昔話に興じていた。というのも谷からの脱出法が見つかったことにより、毎日の日課としていた畑仕事を収穫だけに留め、日がな一日を寝たり遊んだりして過ごしているうちに、体内時計が狂ってしまったからだ。
「とにかく! そん時からコイツは魚が嫌いだったんだよ」
『おいユリウス、常識の範囲で考えろ。俺達エアードラゴンは雑食性だが、基本的には肉しか食わねぇ。そりゃたまには薬草なんかを食う時もあるが、それはいいとしよう。とにかく、ベクレル高山でもパール山脈でも、食料って言ったら『肉』しか無いんだ。間違っても『魚肉』なんてものは口にしたことがあるわけがねえ』
 時刻は午前3時頃になるが、彼らの声に眠気は無かった。
 ちなみに、今の話のテーマはゼノンの過去についてである。
「一番ひどかったのは初めて魚をやったときだったな。この図体だから、さぞかし大量に食うだろうと思って、海で獲れたデカイ魚をやったんだよ。そしたらどんな反応をしたと思う?」
 フィエナに問いかけた。
「さあ? 一口だけ食べて、吐き戻したとか?」
 するとユリウスは人差し指を立てて、『チッチッチッ』と左右に振った。
「体長1メートルくらいの魚だったかな……とにかく、そんだけデカイ魚の尾のほうを咥えて、何度も何度も俺の顔に魚の頭をぶつけてきたんだよ」
「ぶっ!!」
 フィエナが吹き出した。そのまま爆笑し始める。
「しかもその時ゼノンはこう言ったんだ。『テメェよくもこんな臭ぇモン持ってきやがったな!! 俺への嫌がらせか!? おお!?』なんて叫びやがんだ。とても誇り高いドラゴンとは思えねえだろ? あげく、魚をぶつけられまくってノックダウンした俺に、『今度こんな臭ぇモン持ってきてみろッ!! ただじゃおかねえからなッ!?』なんて言いやがるんだ。いま思えば、あれほど面白かったものは無かったな」
 フィエナは笑いすぎたせいか、軽い引き付けを起こしていた。地面を叩きながらヒイヒイ言っている。
 ユリウスはゼノンの方を向き、口を開いた。
「でもよぉ、あんなに魚嫌いなお前が、なんで魚食えるようになってんだよ?」
『それ以外に食い物なんて無かったからな。餓死するよりは、あの臭いのもマシだったぜ……』
「好き嫌いが無くなって何よりだ」
 するとゼノンは押し黙り、ふと遠くを見るような視線をする。
『ああ。マジで肉食いてぇな……』
「……もう少しの辛抱だ。この谷さえ出れば、何でも食わしてやるよ」
『金あんのかよ?』
「―――訂正する。何でも食わせに行かせてやる」
『結局は俺が狩るんじゃねぇか』
 ようやくひきつけから開放されたのか、まだ顔に笑いの表情を残しながら、フィエナはゼノンに問いかけた。
「そういえばさ、ゼノン。背中の傷……痛む?」
『いや、いまのところ痛みは無いな。っていうか、お前の治療のおかげで、明日には治ってるんじゃねーのか?』
 するとフィエナはやや呆れたような顔になって言った。
「……それはドラゴンっていう存在自体が持つ、驚異的な代謝力のおかげだと思うわ。人間でもかすり傷を負えば、治るのに数日はかかるもの。ヒーリングやブルーベリーなら傷を速攻で直せるけど、さすがにあの大怪我は時間がかかるわね。ま、それでもあと2〜3日はかかるわ。良かったわね。人間なら一ヶ月はかかるとこよ?」
「2〜3日かぁ……たったそれだけで、この谷とはおさらばだな」
「あら? 私は1秒でも早く出たいわ」
 フィエナがにっこりと笑って言う。
「……そうだよな。俺はまだ日が浅いから愛着もあるけど、フィエナにとっては監獄でしかないもんな」
 彼女は首を横に振って答える。
「違うわ。……確かに孤独は辛かった。神も恨んだし、ここの地形も恨んだ。……でもね、あなたが来てから、私にとっての世界が変わったの。ほんとに邪魔者の居ない、二人だけのスイートホームのように思うのよ、この谷が」
「じゃあ、フィエナはここから出たくないと?」
「言ったじゃない、『出たい』って。いつまでもここで暮らしてちゃ、私たち、ずっと結婚もできないでしょ?」
 瞬間的にユリウスの顔が赤くなったが、それでも彼は否定はしなかった。
 構わずに彼女は続ける。
「だから早くここを出て、二人で暮らす場所を見つけたいの。アーリグリフでもなく、シーハーツでもない、戦争の無いところへ」
 彼女の言葉に聞き入っていたユリウスだが、ゼノンが横から、
『……おまえの嫁さん、ほんとイイ女だな』
「まだ夫婦じゃないさ。―――まだ、な」
 それ以降、話のネタが尽きたのか、三人はしばし沈黙する。が、フィエナが沈黙を破るように、
「さ、それじゃあそろそろ寝ましょ。明日からは旅立ちのための準備をしなきゃダメなんだから。私たち、たぶん地上では死んだ事になってると思うの。つまり元手がゼロ。少しでも売れそうな物をまとめないと」
「となるとかなりの重労働だな。雑貨や野菜を何回かに分けて上へ運ぶか?」
「それに限るわね」
『――――おめーらよぉ。運ぶのが俺だってのを忘れてねぇか?』
「あはは。冗談よ、ゼノン。この村の一番大きな家に金細工の物が沢山あったの。その内の幾つかは施術が使われた特殊アイテムもあったわ。ああいうのって、物凄い額で取り引きされてるの。それを持って行こうと思うの。ほら、そこに吊るしてる皮袋」
 そう言って、近くの柱に吊るされた、パンパンに膨らんだ大きな皮袋を指差す。それも2つも。
「もうすでに用意してました〜」
 ずっしりとはしているものの、持てなくはない重さ。フィエナが中身をいくつか掴み出してみると、それは金銀・宝石に施紋を描いた、いかにもなアクセサリーがぎっしりと詰まっている。
「『おおぉ……!!』」
「これだけあれば、家くらいなら買えるでしょ。他にも金目のものがあるか確かめたいから、今夜は早く寝―――……ッ!!?」
 突如、フィエナは強烈な施力を感じた。先日の、空に赤い船のような物体が現れたときよりも強大で、禍々しい力を。
 ユリウスも感じたらしい。施力の発生源―――上を向いて、顔を真っ青にしている。
『ど……どうしたんだよ、二人とも―――』
「静かにしてくれ」
「静かにしてて」
 二人にピシャリと言われ、ゼノンは口を閉じた。
「なあ、フィエナ。何だと思う? この感じ」
「この前の赤いヤツとは違う……この禍々しい感じは何?」
「分からない。でも……」
 二人は同時に直感した。
 
 空に、何かがいる。
 
 あるいは何かが『ある』のかもしれない。
「ゼノン、ここでじっとしていてくれ」
「ユリー。さっき装備してた武器、まだ持ってるわよね?」
 短く言葉を交わし、二人は松明を持って、村の中央広場へ向かって駆け出した。



 中央広場まで来たのには理由があった。
 川と比べると、遥かに視界が開けているからだ。
 残念なことに、今日はいつも通り濃厚な霧が上空を覆っており、何も見えなかった。
 しかし何も見えないからといっても、感じるものはあった。
 施力だ。膨大な施力が、この谷の上の、更に高空で風と共に渦巻いているのが感じ取れた。
「なんか………この前に感じた、莫大な施力よりも危ねぇ力を感じないか?」
「ええ。一体あれは何なのかしらね?」
 数日前とは異なり、それほど恐怖は感じなかったが、それでも恐怖はゼロではかった。
 しばらく空を見つめていると、やがて唐突に施力が消滅した。
 二人が呆気にとられたまま空を見上げていると、二人の前方に『ポフッ』という音と共に、何かが落ちてきた。用心しながら駆け寄ってみる。
「なあ、コイツは……」
「うん、たぶんアカスジガね」
 アカスジガ―――赤筋蛾とは、文字通り羽に赤い筋を持つ蛾である。体長は約10センチほどであり、主な習性として、エアードラゴンよりも高い空を飛ぶことが目撃されている。その為か、ゲート大陸のいたるところで生息が確認されている。
「なんで落ちてきたのかしらね?」
「さっきの風の音みたいなヤツのせいじゃないのか? この谷もそうだが、カルサア山道ってのは山に囲まれているせいで、風が吹かないって有名なんだ。でもアカスジガなら、風の吹きすさぶ高空を飛ぶし……それでやられたんだろうな。さっきの風みたいなヤツ、生き物を殺す力を持っているのか?」
「本当に何だったのかし……ら!?」
 フィエナが後ろに向かって勢いよく跳び、ユリウスもそれに習って後ろへと跳んだ。
 次の瞬間、アカスジガの身体がドクンッと脈打った。同時に、アカスジガの身体が、内側からブクブクという音を立て、膨張していく。

⇒To Be Continued...

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