その後のデメトリオ 前編 | |
作者:
シウス
2009年06月15日(月) 22時41分42秒公開
ID:G2uK9fjVNL2
|
|
「ねぇ……ユリーってさ、ひょっとして泳げないの?」 その言葉がユリウスの心臓にグサッと突き刺さった。ユリウスの落ち込んだ様子を見て、フィエナが慌ててフォローする。 「ああっ、そうじゃなくてね! ええと、アーリグリフの人って泳げないのを忘れてたのよ。泳ぐこと無いんでしょ?」 「たしかに無いさ。でもちょっと練習してみたら、意外と簡単だったぞ?」 「ひょっとするとユリーには、泳ぐ才能があったのかもね」 フィエナはまた、あの柔らかい微笑みを浮かべた。正直に言って、何度見ても飽きない、最高の笑顔である。続けるように、フィエナは言った。 「じゃあさ、今度は潜ってみて」 「潜るって……顔を水の中に漬けるやつだよな?」 「まあ、慣れないうちは私でも少しはためらっちゃうんだけどね。慣れたら面白いわよ?」 そう言ってフィエナは、ユリウスの側まで泳いできて、そして潜って川底にしゃがみこんだ。 ユリウスは少しためらったが、覚悟を決めて大きく息を吸い、勢いよく水の中に頭を沈めた。目を開けてみると、最初は泡ばかりが視界に飛び込んできたが、それらが晴れると、今度は美しい水底と、水中で笑顔を送ってくるフィエナが見えてきた。 だがマジマジとフィエナを見つめてると、 「ブハッ!!」 ユリウスは突然、肺の中の空気を吐き出してしまった。というより、『見て』しまった。 今の自分達が水着代わりに着ている物は、村の洋服ダンスなどの中にあった下着類(この時代には、ブラジャーやパンティといった下着は存在せず、代わりにノースリーブ・シャツやトランクスのような形状の『ドロワーズ』が主流)だ。だが元から古くなっていた布であるそれらを、3年間もフィエナが使っていたせいでか、布が完全に透けて見えていた。しかも下着である。普段なら互いに下着姿なら見慣れているが、ユリウスは彼女の裸は、まだ見たこと無い。 水面に顔を出すユリウスに続いて、フィエナも後を追う。 「ぷはっ。どうしたのユリー? 鼻の中に水でも入ったの?」 「あ、ああ……まあ、そんなところだ」 「…………?」 ユリウスの言葉に少し引っかかりがあるのを感じたが、あえてフィエナは気にしなかった。今度は仰向けになり、そのままの体勢でプカプカと浮き、ふと何かを思い出したかのように口を開いた。 「あれからもう、七日も経ったのねー」 「ん?」 「ユリーが来てからのこと。銅を取りに来た人達と戦って負けたんでしょ?」 「ああ、そうだったなぁ。もう、どうでもいいんだけどな」 本当にどうでもいいかのように、その口調には興味が含まれていなかった。フィエナは気にせずに続ける。 「で、その時シーハーツ側に協力してたのはグリーテンの人間だったのよね?」 「まあ、隠密が仕入れてきた情報によると、そういう事になってるしな」 ユリウスも、フィエナを真似して仰向けになってみた。案外、簡単に浮くことができた。 「前にそれをユリーから教えてもらった時も思ったんだけどさー、それって本当にグリーテンの人? アーリグリフに落ちてきた『謎の飛行物体』って時点でおかしいのよ。前に一度だけグリーテンの首都に行ったことあるんだけどね、馬車以外に自動で動く乗り物すら存在しなかったわよ? そんな国に空を飛ぶ技術なんて考えられないわ」 「さあね。俺だってそんなこと知らねーよ。たしかにそれなら、奴らを拷問したときにゲロっててもおかしくはないと思ったんだけど、結局、奴らは何も言わなかったしな。 ―――ああ、でも、グリーテンに自動で動く乗り物の技術があるのは否定できないんじゃねーの? 大昔の『機工兵』なんてものもあるだろ?」 歴史上で、かつて悪魔のような機械人形が大挙して、シーフォート王国―――今のシーハーツに押し寄せてきた事があった。 その機械人形は、たった一騎で数十人の兵を惨たらしく殺す力があるというのに、何と数百、あるいは数千という数が居たという。 フィエナは理解できないといったふうに、 「一番の謎はそれよ。そのことをグリーテンに行って調べてみたら、『かつて謎の飛行物体に乗って舞い降りた一人の人間が、地上を支配するために機工兵を造った』なんて書かれた歴史書しか残されてなかったのよ。おかしいと思わない?」 「『謎の飛行物体』ってところが、俺を打ち負かした奴らと同じ気がするな。でも奴らは機工兵なんか連れてなかったぞ? それどころか、シーハーツ側の秘密兵器とやらの開発に携わってるって聞いてるし……」 「謎が、謎を呼ぶわねぇ……」 しばらくの間、二人はプカプカと空を眺め続けた。 そこから見える空は、相変わらず狭かった。左右を崖に挟まれ、蒼い空が縦に太い『道』を引いている。普段は霧に隠れてみえないはずの空―――その珍しい一日の中で、わずか数時間しか見えない太陽は、すでにここからは見えなくなっていた。 その時、どこか遠くの方から、ドーン、ドーンという音が聞こえてきた。かなり小さな音である。音のする方角からすると、アイレの丘の方だろうか。 「戦争………してるのかな?」 フィエナが呟くように言った。聞こえてきた音は、間違いなく施術砲の音だと分かったからだ。 「あれから七日も経ったからな。奴ら――あのフェイトとかクリフとかいう奴らが、パルミラ平原やイリスの野を往復して、アイレの丘で戦争を始めていてもおかしくはないな。大方、ヴォックスの野郎が『銅を奪われた今、施術兵器が開発される前に奴らに総攻撃をしなければ!!』とかほざいてんだろうけどガボガボガボッ!?」 長く喋り続けたせいか、肺の中に溜めた空気が一気に無くなり、ユリウスは沈みかけてしまった。 「ユリー、大丈夫?」 フィエナが寄ってきた。 「ブハッ!! あ〜死ぬかと思った! つーか鼻の奥が痛てぇ!」 フィエナの手にしがみつきながら、咳き込むユリウス。 「大丈夫? 鼻の中に水が入ると痛くなるんだけど、やっぱ知らなかった?」 「一応は知ってたさ。アーリグリフに水浴びの習慣は無くても、風呂くらいなら入るんだ。それくらい知ってて当たり前だっての」 「それもそっか」 「ああ」 それっきり、二人は何も言わなくなった。 (おかしいなぁ。いつもなら話が続くんだけど、何か変な気分になってくるような……) 今までに感じたこともない感じがし、フィエナは胸中で呟いた。ユリウスも同じ気分になったらしく、首を捻っている。 互いに目を合わせたまま、何も言えなくなってから数秒。だんだんと心拍数が上がるのを感じ始める。なにか嫌な予感がしてきた。 (何!? 何なの、この感じ!?) まさか話のネタが無くなったというわけでもない。不安は次第に大きくなってきた。 「……ユリウス?」 「……ん……」 今、気付いた。 (ああ、そうだ。この感じは―――) この感じは――― ユリウスは上を見つめ――いや、睨んだ。 ほぼ同時にフィエナも上を睨む。ユリウスの方から口を開いた。 「何かが………来るな……」 「ええ。でも何なの、これ? ……気配?」 たしかにそれは気配だった。だが獣が忍び寄ってくる気配でも、人が忍び寄ってくる気配でもない。あえて言うならば、それは今までに感じたことも無い気配だった。 何かが…… 何かが来る…… やがて、『それ』が見えてきた。 「……なに……あれ?」 『それ』は、赤く、大きかった。 後方には蒼い『ヒレ』のようなものが光っており、『それ』はここから見える道のような空を渡るかのように、通過していった。向かっている方角からすると、どうやらアイレの丘を目指しているようだ。 フィエナは呟くように、ユリウスに問いかけた。 「アーリグリフに落ちてきたっていう奴って……今のような奴?」 ユリウスは呆然とした声で返した。 「ンなわけないだろ……今の奴の100分の1くらいだった……」 そう言った直後、 ドオオォォン……ドオオォォン…… 先程の施術砲とは比べ物にならないくらいの音が、しっかりと聞こえてきた。 「……ああいうデカイ音のする大砲ってのは……グリーテンに無かったのか?」 「……あるわけないに決まってるでしょ。いま開発中の施術兵器でも、これに比べたらムシケラみたいなものよ……」 今、アイレの丘では、一体何が起こっているのだろうか? ここまで聞こえてくる音からすると、恐ろしい事態になっている事だけは確かだ。 時間にして数分、爆音のような音は鳴り止むことはなかった。たった数分の事とはいえ、二人には永久のようにも感じた。肩を震わせたフィエナが、ユリウスの腕にしがみつく。 そして、その『数分』が終わった時のことだった。 空から『光』そのものが消滅し、辺りが暗闇に包まれた。同時にアイレの丘の方角から、膨大な蒼い光がチラッと見える。 「な……何なの!? 一体何なの、あの光は!?」 悲鳴に近い声で、フィエナが叫んだ。それに対してユリウスは、恐怖で何も言えなかった。 施術が使える二人には、確かに感じることができたのだ。空の彼方に見えた光が持つ、ありえないほどの莫大な施力を……。 ここまでくれば、もはや存在しているだけで恐怖である。誰であろうと畏怖させる、絶対的な力が、そこにはあった。 「…………もう、何も起きなくなったみたいだな」 空の彼方が光った後、何も聞こえてこなくなった。 「一体……何だったのかしら?」 フィエナが呟いた直後のことだった。 恐らく、二人がこの時見たものは、彼らの人生の中で、最も恐ろしい物であったに違いないだろう。 「あれは……ヴォックス………?」 最初に見えた『それ』を見て、ユリウスは呟いた。 この谷の上空を、しかもエアードラゴンでも飛ばないほどの高空をヴォックスと、その相棒のエアードラゴンであるテンペストが飛んでいた。ここでユリウスとフィエナの頭に、一つの疑問が生まれた。『なぜ、そのような高空を飛行しているのか?』ではない。『なぜ、そのような上空にいる者が、地の底も同然のここからハッキリと見えるのか?』という、至極単純な疑問だった。 高空に見えるヴォックスは、衣服のシワから白髪の数まで、至近距離でも見えないはずのものが不自然なほどハッキリと見えた。そしてその顔には、『感情』と呼べるものが何一つとして、浮かんではいなかった。 「………幽……霊?」 どこか放心したような声で、フィエナは呟いていた。証拠はない。だが漠然と、それが正解だと確信していた。それはユリウスも同じだった。 そして生涯ずっと忘れられないような、最も恐ろしい光景が空に現れた。 「ひっ………」 悲鳴にならない悲鳴を、フィエナは上げた。ユリウスに至っては、もはや声すら出なかった。 崖に挟まれ、狭くなった空の『道』を、ヴォックスに続くかのように、何万もの人間達が飛行していった。 ある者はエアードラゴンに跨り、またある者はルムに跨り、またある者はうつ伏せの姿勢のまま飛行して。アーリグリフ人もシーハーツ人も関係なく、そして中には白い外見の魚顔の『何か』でさえ混じっていた。 それらが、空の『道』を、埋め尽くしているのだ。 恐らく、彼らは幽霊なのだろう。きっとそうなのだ。ただ、その数が通常の戦場ではありえない程にのぼっているのだ。 『…………』 そのおぞましい光景から目を逸らせず、気絶することすら叶わず、二人は最後まで見届けることとなってしまった。 幽霊が全て消え去った時、空は久しぶりに見る夕焼けで、赤く染まっていた。 ―――本来なら美しく見えるはずのそれは、戦場で流された『血』なのではないかと二人に錯覚させた。 あれから更に、七日が過ぎた。 あの後、二人して、しばらく寝込んでしまったのだが、今ではもう、すっかり回復していた。 この日もまた、ものの見事に空は快晴だった。午前中を畑仕事に費やし、午後は先日と同様、川で水浴びすることにした。 普段でも水浴びはしているのだが、それはあくまでも『入浴』の代わりであって、今はただの『水遊び』である。 「またこの間みたいに、あの化け物みたいな赤いヤツが現れるかな?」 フィエナが冗談めかして笑いながら言ったが、正直、ユリウスには笑えなかった。無理して笑ったためか、少し顔が引きつる。 「そういえばどうなったんだろうな、あの赤いヤツ。あの後も何日かは、ちょくちょく空を飛んでただろ?」 「でも今はもう見かけなくなったわ」 「そりゃそうだけど……」 たしかにフィエナの言う通り、あの例の赤い物体は、二日前を境に空に現れなくなっていた。 (結局、あれは何だったんだろうな……) 考えても判らなかった―――判るわけがない。 ⇒To Be Continued... |
|
■一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集 |